いろいろと抱えていたことが手元からなくなり、ただぼーっと過ごす日が続いている。 とは言っても、やるべきことは多いため忙しさには変わりない。 自分を犠牲にしてでも全てを尽くしたから、燃え尽きな状態だと思う。 ここまで好きなことに向き合えたのは、自分を犠牲にしてきたことだけじゃなくて、周りの人がそれを許してくれた、支えてくれたことが大きいと思う。 自分がやりたいことをさせてくれたこと、その分会えずに機会を見送ってくれたこと、数えきれない優しさが、自分を見失った時に助けになっ
心は一つでも 気持ちは一つじゃない。 眼の前の事柄に心躍らせ漲るのも,強烈な嫉妬や焦燥も全ては大切な気持ちでどれも大切なわたし。 よくわかったつもりで,いちばんわかっていない,得体のしれない存在。 これからもこのわたしに振り回され,とても受け止めきれないようなベクトルを向けられるかも知れない。 それでもいい。 抱えきれなくても,振り回されたとしても,きっとそのまま受け止めれば良い。
多分,私達はずっと幸せなのかもしれない。 今,当たり前に生きていることも,いつでも友人に会えるのもすべて幸せなこと。 しかし,幸せなことのはずなのに,なかなかうまくいかないことがあったり,トラブルになってしまう事,つまり苦しみがあると思う。むしろそれらばかりかもしれない。 どうにか笑っていたいから,安心がほしいから歯を食いしばったり,我慢したりするんだと解釈しているし,苦しみがないと,人は考えることをやめてしまうと思う。 自分のやりたいことがあったとして,最初はいろん
流れるものは止められない。 川の流れ、時の流れ。 血液の流れのように、体内のものでさえも人は自らの意思で止めることはできない。 人はこの止めることはできない、絶え間ない流れの中で生きている。 今、目の前にあるもの 人間が作り出した形のないものも全ては流れの中の一部に過ぎない。 流れの中では失っていくばかりだ。 物も人も。失うことは本質。 この流れの中で、失いながら、空っぽにならないように何かを得ていく。 失いたくないもののために、何かを得ていくとも言えるかもしれな
1から餃子を作った。 餃子の皮だけ買って、餡を包んで焼くとかじゃなく、皮から作った。 理由は思いつき。なんとなくやってみたかったし、何より餃子が食べたかった。 流石に餃子の皮を失敗しては元も子もないから、皮を作るための粉の種類だとか、粉の量に対してどれくらいの水がいるのかをざっくり調べ、薄力粉と強力粉を買いに行き、足早に帰宅し作業に移った。 大きめのボウルを軽量器の上に載せ、薄力粉と強力粉が1:1になるようにボウルへと移していく。 2つの粉をボウルへ移し、粉同士を軽
良くも悪くも、必要なことは相手は言ってくれない。 何かが秀でていたとしても、劣っていたとしても。 自分自身を周りと比べてしまい、劣っていると感じた時、 陰口を言われているんじゃないか。 嫌われているんじゃないか。 よくないことばかり考えてしまうし、何も信じられなくなってしまう。 だけど、そんな自分のいいところを見てくれている人は以外といる。 しかし、そのいいところを言ってもらえるのは大抵、その場から遠くに去ってしまう時や、次のステージに移る時が多い。 いいことは
大学生活も残りわずかになり、そろそろ社会の出るのか、もう少し勉学に励むのか、違う選択肢を見つけるのかという大きな選択をしなければならない時期が迫っている。 私自身、幸せなことにやりたいことがあってそのやりたいことに向かっているのだが、時々わからなくなることがある。 本当に今私がしていることに意味はあるのか? 本当に価値はあるのか? それでお金を稼いで暮らすことができるのか? やりたいことに熱中すればするほど、それと同じくらいの不安や焦りが湧き出てしまう。 私は「スポー
1年は早い。 今年もあっという間に誕生日が訪れ、21歳になった。 この1年を振り返ってみれば、いろいろな流れがあった。 私自身が置かれる立場の変化、求められる行動、大怪我と、沢山の流れがあった。 今まで追いかけていた先輩たちが居なくなり、自分たちが追われる立場になったこと。 急激な変化の流れの中で、焦りだったり、及ばないことで失敗もした。失ったものもある。 だけど、私の復帰を待ってくれる人だったり、真剣に自分の道を進もうとしている友人だったり、色んな人のおかげで心折
人は何かしら影響しあって生きている。 関わりがあろうがなかろうが、同じ環境で過ごしていくことで、お互いに影響を受けている。 だからこそ、組織の中にいるからにはそれぞれが持つ役割を果たす必要がある。 だが、役割を果たすというのはものすごく難しい。 “役割を果たす必要”といってもアバウトすぎるし、誰かに言われてやるようなものとは違うようにも感じる。 そもそも役割という言葉自体が重く聞こえてしまい、硬いイメージが先行しているのかなーとも。 自身の立ち位置から物事を見渡し、
分析の活動をしていると、選手と監督の間に立つことが多い。 両者が思い描いていることを同じ解像度になるよう、手助けするのも分析の役目である。 このポジションに立ってから、両者の「あたりまえ」が大きく異なることに気が付いた。 シュートやパスなど、プレーの選択について、大きくズレがある。 選手にとっては正解でも、監督にとっては不正解で、その反対もある。 そんな状況で、あれやれこれやれと言われても、反発が起きるだけ。 内部のことなので言えないことも沢山あるが、ただ言えること
気がつけばずっとスポーツをしてきた。 幼少期から中学までは野球、高校から大学生の現在までハンドボールをしている。 正式に野球を始めた小学生の頃に、なんとなくスポーツの世界で生きていくんだろうなという直感があった。 幸せなことに、気持ちの浮き沈みはあれど、特定の競技が嫌いになったりするようなことはない。 決まった時間に集まり、好きな競技に打ち込める喜びを日々、噛み締めている。 しかし、そんな喜びを味わえる時間も短くなってきた。 この残りの少ない時間をどう使うのか、そ
我々アスリートには、嫌でも仲良くならなければならない存在がある。 それは「怪我」だ。 腰が痛い、足首捻ったなどの怪我は、部活動のみならず、スポーツを続けた方なら誰しもが一回は経験したことがあるだろう。 私も現在、膝の怪我のためリハビリに専念しているところだ。 長期間競技に打ち込めないのは、正直気が滅入る。 コートに自分がいないこと、1人だけリハビリで別メニューに取り組むこと。 チームの活動の中で「1人だけ違う」ことは、自分が感じている以上にストレスがかかる。 お
無事、進級しあっという間に大学3年生。 辛いことも嬉しいこともありながらも大学ハンドボールも折り返し。 先輩と呼ぶよりも、呼ばれることの方が多くなってきた。 まだまだ怪我からの復帰も遠いため、コートの外で見守ることが多い。 最後の年に賭ける4年生 一つひとつのプレーに落ち着きが出てきた同期、色々慣れたことで、かえって迷いが出てくる2年生に 慣れない環境の中、手探りで頑張る1年生 一人ひとりに照準を当てながら観察するのも面白い。 最初の頃は自分も必死にしがみつくのがや
本州に来て、3度目の春。 春というには、暑いような、寒いようなチグハグとした天気が続いている。 ずっと布団にくるまるわけにもいかないから、気合いで体を起こし、流れで外に出て、日光を浴びるのが晴れた日の日課だ。 少し前まではこんなことできなかったよなーとか考えると、大分、心にゆとりができてきたように感じる。 こうして過去のことを振り返る時間は自分の中で、大切にしている。 限りある時間の中で、積み重ねてきた物だけが、今の、これからの自分を作る。 あの時悔しかったこと、あ
3ヶ月経った今年も。 出会いや別れ、その場に留まるとしても、立場が変わっていくこの時期。 寂しさ、忙しさ共に年末年始で鈍った体を慣らすのに時間がいる。 いろんな感情や出来事に振り回されがちですが、目の前を全力で進めば、道も開けるでしょう。 おそらく。 「よく動いて、よく学ぶ」 私自身、なりたい者への目標を定め、慣れないことをあーでもない、こーでもないとしていく上でのこのスローガン。 昨年は、話に聞いていただけの大怪我を負い、沢山の悔しさ、やるせなさ等etc、、、に
人とのコミュニケーションは難しい。 「なんでそんな言い方するの?」 「そんな目して言う?」 みたいなことがある。 こういう時は、被害者になったような気持ちになる。 でも一旦ストップ。 自分がそう感じたと同じように、相手を傷つけてしまっているかも知れないことを忘れてはいけない。 些細なことをおかしく思ったり、ほんの少しの、小さな傷が積み重なって、 なんもかんも捨ててしまいたくなることもある。 でも、いろんなことを見限るには全然まだまだ早いし、傷ついて傷つけてしまうから