宮城県 3.11から11年経った今。

先日、宮城県に出張で初めて訪れました。

その際に、感じたこと。気づいたこと。をつらつら書きます。

私は、後世へ教訓として残している震災遺構の荒浜小学校へ訪問しました。
当日、荒浜地区は震災発生から1時間後に津波に襲われ、小学校の校舎2階まで浸水しました。
2階校舎のベランダの手すりが大きく歪み、津波の威力の大きさを物語っています。

200人ほどが避難しましたが、孤立状態となり、夜から明け方にかけて小学生がヘリコプターで救助されました。水が足の高さまで引いた翌日に、無事全員が救助されました。

この事実を私は知りませんでした。当時中学生だった私は、この事実に対して向き合うものの、なかなか行動に移すことが出来ず、11年が経ってしまいました。

11年経つと、街は内陸部に集団移転し、元あった住宅街は災害危険区域に指定され、畑や野原、暴風林、更地となっていました。
そして、南北には6mのかさ上げ道路が建設されていました。

もう街は新築の家が多くなり、すっかり変容してしまったことが分かります。
その地に行って、昔の思い出が懐かしいなと建物を見て思い出すこともできない。地元が失われたような気分になる方々が居られると思うと辛いです。
ですが、今後の未来のために、1人でも多くの人を救える街にするためには、仕方がなかった、受け入れなければならなかったのかもしれません。

今、新しい家に住んでいる人々は、何か大変な思いをされてきたかもしれない。そういうところまで考慮して、仕事をしないといけないなぁと思いました。

松島のリアス式海岸は本当に綺麗です。
宮城県の海岸も波が打ち付け、綺麗なビーチが広がっています。
こんな綺麗な景色を守り、生かして行けたらいいなと思います。

そして、宮城の人は皆さんいい人ばかりです。
優しさがあります。

今回、福島沖地震で被災され方、お見舞い申し上げます。

今まで、自分は困っている人達のために、行動できなかったことが悔やまれます。

共生。
誰一人取り残さない。
愛を持って生きる。
物惜しみしない心を大事にしたい。

手を差し伸べられる人になりたいと思います。

そのために、行動力、判断力、思いやりの心を磨いていきたい。

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