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大丈夫になるために与論島へ行った話

 看護師を辞めてニート期間を1ヶ月作ったのだが、この1ヶ月はとにかくしたいことをしたかった。お金に糸目を付けず、今しかできないこと、心が整うことをしたかった。

 大丈夫じゃない状態から、自分の力で自分を大丈夫にするにはかなり労力が要る。一歩踏み出すのに超えなければならない心の壁がいくつかある。心が凝り固まっているのだ。

 5月末に退職したが、最終出勤日は28日の夜勤明けだった。
私は次の日の29日からかなり嬉しくなってしまい、その日のうちにジェルネイルをし、ずっと行ってみたかった島へ1人で行くことを軽率に決めた。退職後ハイだ。この退職後ハイの状態でなければ南の島へ1人旅なんてしなかっただろう。

 私には夫がいるが、夫は三半規管が弱い上に飛行機に怖くて乗れない、乗ったとしてもパニックになり介護が大変なので私の1人旅はとんとん拍子に進んだ。

 いつ知ったのか記憶が定かでないが、鹿児島県の離島、
与論島というところが海がきれいで自然以外何もないことを知っていて、死ぬまでに行きたいと思っていた。
「今だ!!」とブッキングドットコムで宿の手配をし、2泊3日で9000円という破格の素泊まりドミトリーを手配した。
飛行機を使うことは人生でほとんどなかったので、チケットの取得や二次元バーコードに苦戦しながらもなんとか手配できた。

結論から言うと、与論島は最高だった。

与論島へは飛行機と宿だけを決めて、それ以外のマリンアクティビティなどは予約していなかった。強いて言えば、ダイビングはしたかったので、ダイビングだけ予約していた。

実は与論島は女性の1人旅がかなり多く、みんな思い思いの場所で昼寝をしたり、本を読んだりして過ごしている。
お洒落なカフェもあるが、水曜日と金曜の午前にしか開店してないなどかなり自由。なかでも島の中心地からかなり離れた場所にある海岸沿いのカフェはよかった。

くじらcafeの看板
くじらcafe
くじらサンデー

ここはお土産物屋さんも併設していて、このサンデーの器は
与論焼という与論島の窯元で作られたものだ。
窯元へ行くこともできるが、陶芸体験は今はもうやってないらしい。

1人旅だったのでホテルもお金をかけず、ドミトリーで1部屋4人の相部屋を選んだが、他に泊まってくる客も私と同い年くらいの若い女性の1人旅のひとばかりだった。自然と宿の中で仲良くなり、一緒に飲み歩き、夜中にスーパーで花火を買って今日会ったばかりのドミトリーの客同士で浜辺で手持ち花火をし、浜に寝そべって天の川かと思うくらいの星を無言で眺めた。波の音、浜と潮の香り、夜なのに少しムッとする程の湿気。
与論島で偶然出会った3人はみんな転職の合間に旅行に来ており、7月から新たな仕事を始めるという境遇が同じだった。

 なんか、小説にできそうな設定。
人生を変えようとしている3人の若い女が
人生の夏休みに南の島へ行って一期一会に励まされ
心を洗って再出発する話とか。書けそうだわ。

実際、映画「めがね」という2004年の邦画がある。
この作品を見て与論島へきた人も珍しくないみたいだった。

レンタサイクルやレンタカーを借りて島内一周しても2時間かからないので島内をぐるりと散歩するのもいい。
私は電動自転車を借りて、島内を一周した。
思わぬ道を登ると道の向こう側に海が見える。
道を走ってるのにいきなり海が出てくるのだ。

急に牛舎が出てきたり、飼い犬は基本的に放し飼い。
首輪をつけた可愛い犬が何にも繋がれず草の中で寝ている。
自由。
途中見つけた浜辺で休んでると後ろからおじさんに声をかけられ、ビーチのゴミ拾いを一緒にした。
「ゴミを拾ったらきれいになる。存在意義なんてな、こんなもんでいいんや」と言っていた。今思い出すと、もしかしたら自殺志願者と思われていた可能性がある

宿に帰ると女性のオーナーが「おかえりー!暑かったでしょ!すごい汗ー!」とまるでほんとにここが私の家かもしれないという錯覚に陥るほど家族みたいに話しかけてくる。

最終日の飛行機の時間が迫っていたときのツイート。
与論島2泊3日で私はかなり「大丈夫」になった。
リフレッシュとかそういう言葉じゃ足りない、
大丈夫になった。この島で。また生きるね。
ありがとう。

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