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"普通"でありたいぼくがしたいこと。

”普通”でありたい人たちがいることをぼくは知っている。

彼らにとって、自身が”普通”ではないと考える理由は様々。身体的な障害。家庭環境や職場・学校での立場や扱いなどの人間関係。物事が平均より優れていたり、劣っていたりする、自らの能力。なんとなく周りの人とは違う気がする、なんて人もいる。

”普通”なんてものはないと言う人もいるけれど、”普通”に憧れている人にとって”普通”は明確に存在する。

”普通”になれない自分を受け入れてあげることができる人はそれでいい。世の中に、「”普通”の価値観に惑わされず私自身を見てよ!」と叫ぶことができる人はそれでいい。「”普通”ってなんだよ!」と誰かに押し付けられた”普通”を跳ね飛ばすことができる人はそれでいい。

”普通”ではない自分を責め、自分を受け入れてあげることができない、許してあげることができない人たちもいる。

”普通”を世の中に押し付けられている人たちではなく、ぼくは、”普通”でありたいと願い続け、”普通”ではない自分を許すことができない人たちに寄り添いたい。

彼らの悩みや抱えている事情を解決したいわけではない。

ただ、寄り添いたい。

寄り添い、共に生きていきたい。


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