【食探究】三田・無炉蘭の「焼き鳥」?

 父は、滅多に飲まない人だった。自宅でも外でも。ただ、たまに飲みに出かけると、きまってお土産に「焼き鳥」を買ってきた。昨晩立ち寄ったであろう飲み屋の「焼き鳥」である。翌朝、それが食卓においてあると、父がめずらしく飲みに行ったことを了解した。その「焼き鳥」は、今となっては少し変わったものだった。「焼き鳥」なのに、串には薄く切った豚のバラ肉が三枚ほど(鳥ではなく豚!)。間にはタマネギ(長ネギではない!)。そして、あっさりめのタレとからし……。わたしにとって「焼き鳥」とはこれのことであった。
 大学への進学を機に、東京に住み始めた。だが、驚いたことに、どの焼鳥屋にも「焼き鳥」がないのである。店先には部位ごとに豊富な品々が並んでいるにもかかわらず。わたしの心の中に在る「焼き鳥」は、どこに行けば食すことができるのだろうか?
 その後、わたしは心の中の「焼き鳥」に出会うことなく、10年余がすぎた。気にはなっていたものの、あえて探すこともしなかった。
 ある時、故郷の居酒屋で「焼き鳥」なるものが供された。かつて食したあの心の中の「焼き鳥」だった。一緒にいた幼馴染に尋ねた。「東京にはこれがない」。口を揃えて友人は笑った。供された(そして、心の中の)「焼き鳥」は室蘭(流)の焼き鳥だといった。北海道では、鶏肉を指定しない限り、「精肉」とよぶ豚バラ肉が出てくる。まったく知らなかった。どうりで東京にはないわけだ。
 疑問は四半世紀を経て氷解した。
 実は、これには後日談がある。ついこの前、東京・三田に室蘭流の焼き鳥を扱う店を見つけた。その名も「無炉蘭(むろらん)」(残念ながら数年で閉店)。「灯台下暗し」である(2012年度『萌木』(48号)「校内アンソロジー」より)。

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