【書肆残影】古書と学問

 連休最後の「文化の日」は、今年で55回目を迎え、いまやすっかりこの時期の恒例となった「神田古本まつり」の最終日にあたっていた。
 「古本まつり」の「青空掘り出し市」は、ちょっと有名である。神保町の表通りの歩道に、500メートルにもわたって、書店と書棚に囲まれた「本の回廊」が出現する。在庫総数は100万冊にも及ぶという。
 この休日、別件でたまたま都心にいたので、いくつか所用を済ませてから「古本まつり」を訪れた。11月初めともなると、すっかり日は短くなり、午後4時や5時くらいでも、電灯の力を借りないと、暗さのあまり書名の確認もおぼつかない。
 学生時代には、しばしばこの街に足を運んだ。まだ新刊書店に並んでいる新しい本でも、この街に来れば、中古ではあるけれども、安く本を買うことができた。稼ぎのない学生にとっては、古書店の存在はとても大きかった。足しげく通ううちに、やがて懇意の古書店もできてくる。あらかじめ、狙っている本をお願いしておくと、どこかで探しておいてくれる(しかも、こちらの懐事情をふまえ手頃な値段で売ってくれる)。
 専門の勉強が進み、学問の深みに入るにしたがって、古く、すでに絶版となっている本にアクセスする機会がだんだん増えてくる。法律学の場合はとくにその傾向が強い。いや、強かった。その分野の権威とか泰斗とかいわれる人の本が、しばしば引用され、利用頻度が高いので、手元に置いておきたいのだがなかなか手に入らない。
 古書店に、しばしば通い、そこで手に入れ、いまも本棚にある古書たちとの思い出ができたのは、こうした本を熱心に探し、読んでいたころの話である。
 あれから20年ほどが経った。
 いま古書、いや新刊書のなかでも、しばしば参照される定番の本はなくなった。法律が頻繁に改正され、変化を追うための本は数多く出版され、参照もされるが、法律の背景や思想・哲学を語る本は少ない。いや皆、字面を追ってその内容をとりあえず追うことに精一杯で、文字に現れていない哲学や思想をたどる暇はないのかもしれない。古書は、好事家のものとなった。学問の性格は大きく変わったのである(20014年11月5日記)。

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