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【作品と私】自分と出会い直すこと──『アンドリュー・ワイエス展 追憶のオルソン・ハウス』大山崎山荘美術館
アンドリュー・ワイエスの展覧会に初めて足を運んだのは、2019年3月のことだった。
大学を卒業し、就職を控えた僕は、来たるべき春に不安を感じながらも、学生生活のモラトリアムを引き摺るようにうだうだと毎日を過ごしていた。就職先から事前に手渡された、数々の法令が記された冊子には、一切目を通さなかった。そんなことよりも、これまで自分の心を癒やし、勇気づけてくれた数々の芸術作品に、頻繁に出会う機会が無くなることへの恐れの方が大きかった。それでもなんとかなるだろう、という楽観と、いや、このままで良いのだろうか、という悲観が常に両極にあって、僕はその狭間で、結果的にどちらにも傾くことなくふらふらと過ごしていた。今になって考えれば、その時期の僕はこれまでに無い程、多感で神経質な時期だったのかもしれない。
そんな折に、偶然のきっかけで見つけた新宿の外れの小さな美術館──美術・愛住館で見たワイエスの絵は、喧しいほど強く僕の目に焼き付いた。ただ絵を見ているだけなのに、緑豊かなアメリカ・メイン州の風の音が聞こえる。粗雑な筆致なのに、今ここにある現実以上の手触りを持った「現実」を感じる。浮世離れへの渇望が高じてか、僕はそれらの絵に描かれる物語世界の一つ一つに、自分の身体ごと迷い込んでしまったようだった。それだけの大きな体験だったのに、当時の僕はそれを適切に表現する言葉を持たないが故に、その高揚を誰にも伝えることができず、悶々としながら、しかし確かな胸の震えを自宅の部屋に持ち帰ったことをよく覚えている。
あれからもうじき六年。すぐにリタイアしてしまうと思っていた仕事も、変わらずずっと続けている。旧友は結婚し、家庭を持った。かつてのステージ上のライバルは、あっという間にメジャーデビューして遠い存在になった。思ってもみなかった疫病に生活を脅かされ、遠い国では戦争が起きている。当たり前だと思っていたことが簡単に当たり前でなくなってしまう今を生きながら、なぜか不思議と、僕自身の生活においては目に見えるような変化が感じられない。それでもきっと、気付かない内にゆっくりと、色々なことが変化しているのだ──そうやって自分の生活を納得させながら生きているけれど、結果的にふらふらと過ごしている事実はあの頃となんら変わりない。少しだけ朝起きるのが早くなったような気がするけれど、そんなことが果たして、変化と呼べるのだろうか。
***
ワイエスの展覧会が京都で開催されると知り、僕は思い切って、京都行きの旅券をネットで予約した。ワイエスの絵画作品は、埼玉県朝霞市の「丸沼芸術の森」という芸術施設が多数所蔵しているが、常設展示が無いため、実際に絵を見ることができる機会は数少ない。どれだけ遠方であろうと、機会があればどこへでも足を運ぼう、と思っていたし、学生時代に比べれば、それなりにまとまったお金を出す余裕もある。またちょうど、拙作ながらも全力を尽くして小説を一作書き上げた直後だった。日々の労働のストレスや、昼夜問わず画面を見続けた眼精疲労を癒やすにはもってこいのタイミングだと思った。そうした経緯で僕は、まだ暑さの残る秋の京都へと、意気揚々と旅に出かけた。
京都の空は予報に反して、清々しい青で澄み渡っていた。人混みの京都駅から20分ほど阪急電鉄に揺られ、美術館のある小さな駅・大山崎駅に降り立つ。中心部は外国人観光客でごった返しているが、さすがにここまで来ると、平日ということもあってか人の数は少ない。美術館への送迎バスが来るまではあと1時間弱かかるようだったから、僕は自分の足で急な坂をのぼり、山の中腹に佇む美術館まで、歩いて向かうことにした。
運動不足の身体に鞭打つようにして坂をのぼりながら僕は、これまでのこと、そして、これからのことを考えた。いや、それは決して「考えた」と言えるようなことでは無かったのかもしれない。ただ、これまでの数年間で見た──あるいは見たような気がするだけかもしれないが──幾つかの景色が僕の脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消えた。それらの景色を通り抜けてきた結果として僕は、今の僕として、今この瞬間を生きている。けれど今の僕が、あの頃に思い描いていた理想の自分の姿で無いことは確かだった。それが悔しい、と思う感情も、もはや僕の中から失われてしまった。それは成長なのか、後退なのか。あるいはそれなりに必死で生きてきたが故の、ある種の諦念のようなものなのか。わからないけれど僕はその瞬間、ワイエスの絵を見るために自分の足で坂をのぼり、前へ前へと歩いていた。それだけは確かなことだったし、その確かさが、少なからず僕を勇気づけた。
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鉄筋コンクリート造ではあるが、木製のフレームを敢えて外に露出させた形の「ハーフ・ティンバー様式」の建物の美しい扉をくぐり、ワイエスの経歴・美術館の沿革の記された序盤の展示室を足早に抜けると、穏やかな光の差し込む渡り廊下の向こうに、待ちに待ったワイエスの絵画作品が目の前にあらわれた。場所は異なるけれど、あの時に見た作品が、今、自分の目の前にある。どれだけ月日を経たとしても、変わることなく僕の胸を震わせる作品はこの世界に存在していて、それらにこうして出会い直すことができる──そんな単純な事実が、その時の僕にとっては途轍もなく大きい意味を持っていて、目にじんわりと滲んでくるものがあった。
前半に展示されていたのは「ブルー・スカイ・ピリオド(青い空の時代)」と呼ばれる初期の水彩画の数々で、僕はその時代のワイエスの色彩感覚が好きだった。水の分量を少しく増やしすぎたような、滲んではっきりとしない色遣いでありながら、しかし力強い存在感を感じさせる大自然の風景。そこでは曖昧さが、曖昧なままにある種の確かさへと変容する魔法が起きている。僕らは何かを見る時、どうしても細部の隅々まで何かを「見よう」としてしまう。けれど実際には、曖昧なままに何かを見ることでしか見えてこないものがあり、矛盾するようだが、それこそが本当に何かを「見る」ということなのだ──ワイエスの初期作品を見ていると、そうやって自分が当たり前と思い込んでいることの根底が、いとも簡単に覆される。僕はそうした体験こそが「芸術の力」である、と常々信じているが、ワイエスの作品は正に、そうした芸術の力を身をもって体現しているように思う。
かつて得た感慨の再来に激しく胸を揺さぶれながら、展示室をゆっくりと先に進んでいくと、次第に時は下り、僕が当時から愛してやまない『カモメの案山子』という作品に行き着いた。一時期には画集からその絵をコピーして、机の前に貼り付けていたほど心を惹かれていたその絵だが、やはり実物を見ると、平面上の印刷物はただの「写真」でしかなく、「絵」ではないのだ、ということを痛感する。ワイエスの絵は時期によって用いられる技法が大きく変容するが、1960年頃の絵には、細かな傷が多数刻み込まれているのが散見される。傷つけられた箇所は、土の色を塗られた部分の下地にあたる紙面が明らかに露出しているのだが、その不自然に浮きだった白さが、逆に荒涼とした風が吹くさまを見る者に感じさせる。そこでは現実と虚構が行き交い、自然と創作が対の関係ではなく、渾然一体となって身に迫ってくるようだ。窓の無い展示室にいるはずなのに、不意に肌に当たる風の冷たさを感じ、僕は戸惑う。自分は今一体どこにいて、何を見ているのだろうか。
鳥除けのための案山子として吊るされたカモメはその絵の中で、無惨な姿で死に絶えている。しかしそのカモメが、ワイエスという画家が執った筆の力で、今この場所で作品として確かに生きている──それは創作にしか果たすことのできない、途方も無い奇跡だ。何かを「描く」ということはきっと、何かを「生かす」ということでもある。それはきっと、「書く」ことにおいても同じことだ。対象とする物に意を注ぎ、それを作品という形にしてこの世界に提示することが、その物や事象に対して、恒久の生を与える。しかしそれは、決して簡単に為せる業ではない。短絡的に何かを見定めようとするのではなく、じっと辛抱強く何かを観察し続け、その何かと自分の内声との交換に耳を澄ませ、反芻し続けること。そしてそこで見えてくるものを誇張せず、無駄な創作的意匠を排してそのままに作品として現出させること。ワイエスの絵から発せられるそうした、表現にまつわる箴言は、しかし僕自身の中から生まれ出たものでもあり、それは他でも無い僕自身が今、一番必要としている言葉なのだと思った。
その後の展示を見ている時間も、奇跡のように濃密な時間だった。特に心を惹かれ、没入したのは、『青い計量器』という静物画だった。農作業の跡が見て取れる大きな樽の上に、真っ青な計量器が置かれている、ただそれだけの絵。全体がグレーや黒、茶系の深い色で塗られているからか、中心に据えられた小さな器の青色が、際立って目に飛び込んでくる。静かだが力強い、その美しい絵を見る僕の胸に差し迫ってきたのは、なんでもない日常の風景にも色があり、それぞれの表情があるという、それも極めて単純な事実だった。そうした見落としがちな一つ一つの些事を、ワイエスの目は鋭敏に捉え、切り取る。僕はそうした目を持っているワイエスのことを、ひどく羨ましく思っている自分に気付く。
僕はいつからか、何かを丁寧に、時間をかけて見つめることを忘れてしまったのかもしれない。仕事に忙殺され、空いた時間も「何かのために」なりそうなことを探し、効率性に追われて時間を費やす毎日。ワイエスの絵を初めて見たあの時の僕は、もっと大きな心で、世界に存在するあらゆる美しいものに新鮮に出会い続けていたように思う。何かを「美しい」と思う感情は、他から与えられるものでは決して無く、常に内発的に生み出されるものだ。どれだけ美しい(と言われている)作品に出会おうとも、自分の中にその美しさを感受する余力が無ければ、その作品は自分に何の意味ももたらさない。逆に言えば、ありふれた日常のあれこれも、そこから何かを感じ得る力さえ自分の中にあれば、それらに多様な色彩を与えることができる。そしてそこで見出した色を使って何かを描く──それは辞書的な意味での「描く」ということに留まらず、何かを書いたり音にしたり、そうした「表現」と呼称できる全ての行為を含む──ことこそが、自分のやるべきことというか、自分の生の中心にある、と思っていたし、僕はずっと、それだけを信じて生きてきた。それを僕は、今も忘れずに生きることができているだろうか。僕にはその時、その自信が無かった。
***
数々の美しさに触れることのできた高揚感がありながらも、自分の生活への不思議とざらっとした後ろめたさの余韻が後を引く中、僕は全ての作品を見終え、美術館を後にした。そこからは事前に計画していた通りの道筋を辿り、行きたかった店や庭園をチェックポイントのように通過して、家に帰った。なんとなく、良い旅だったな、という気がしていて、僕はそれなりに満足をしてそこからの数日の日々を、今までと変わらずそれなりに忙しなく、それなりに怠けながらうだうだと過ごした。
この文章を書き始めたのは旅行当日に立ち寄った喫茶店の中だったけれど、書き出しの数行以上は何も書くことはできず、それからというもの、僕がその時に「何かを書こう」と思ったことすら忘れてしまうような毎日を過ごしていた。それでも心のどこかで、何かを書きたい、書かなければいけない、という声が、自分の中に小さな種として、うずくまり続けているような気がしていた。
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厄介な仕事を片付け酒を呑み、泥のように眠った挙句の土曜日の朝、自然に目が覚めてカーテンを徐ろに開けると、冬の訪れを感じさせる澄み切った空気の向こうに青天が見えた。たったの二週間で、あっという間に季節は移り変わってしまったようだった。寝起きのぼんやりとした目で時間の赴くままに空を眺めていると、そこに浮かぶ初冬の積雲が、まるで青く塗られたキャンバスに削り付けられた、無数の傷のように見えてきた。そうして僕は、俄かにワイエスの絵のことを思い出した。
僕は二週間前、ワイエスの絵と出会い直すために、京都まで行ったような気がしていた。けれどそれはもしかすると、あの頃の自分に出会い直すためだったのかもしれないな、とふと思う。
どこかに進んでしまう不安と、どこにも進むことのできない不安の両方を抱えながら、それでも自分の見たものを確かなものとして、ありのままに表現しようと努めていたあの頃。それは今でも変わらない。けれど、変わってしまったと言えば変わってしまった。創作へ向き合うことの困難さを、仕事や時間のせいにすることが上手くなった。そうした現実を生きることになった自分の選択を、誰かのせいにすることが上手くなった。そうして納得させている内に、あっという間に季節は移り変わってしまう。それも、恐ろしく無情に。
時間が無いわけではない。時間が無いと思ってしまう心が、時間を失くしているのだ。生活が荒んでいるわけではない。美しさを感じられない心が、生活を荒ませているのだ。そうした自分を否定する言葉がどんどんと自分の中に溜まっていき、居ても立っても居られず、僕は途中まで手を付けていたこの文章の続きを書き始めた。
思えばずっとそうやって、何かを作り続けていたのだと思う。何か屈託があり、それを押し留めることなく表現することで作品を生み出す人に憧れて生きてきた。今でも、こうしてこの文章を書き終える今になっても僕には、それができている自信が無い。まだどこかで、「書こう」と思って書いている節がある。何かを作るということは、自分の生の全体をもって向き合うことだ、と、素晴らしい作品の数々が教えてくれた。しかし頭ではわかっていながらも、それを実践して生きていくことは、やっぱりとても難しい。
それでもこの文章を書くことができて、少しだけ安堵している自分もいる。六年前、言葉で表現することもできずに自宅の部屋に持ち帰った屈託と、今ここで、ふらふらとしながらも何かを書き、生き続けてきた何年もの時間を掛けて出会い直すことができているような気がする。それは決して僕の力では無く、作品の力であることは確かだけれど、こうして変わらずにただ生き続けてきた自分のことを、少しは信じても良いのではないか。
自分と出会い直すこと。そうした契機を与えてくれたアンドリュー・ワイエスの素晴らしい作品の数々に、心から感謝している。