〝わたし〟とヨーガの軌跡 《探究道編》 2️⃣
目を覚ますと窓の外はもう北京とは全く異なるいわゆる高地の景色でどこか靄がかかったようなグレーの世界だった。
美しいというよりは眠る前の視覚の世界との違いに少し戸惑った。
僕はチベットに向かう48時間の鉄道旅の二日目に入っていた。
寝台列車の部屋は相部屋で僕の真横のベットには中国人の大学生が1人で携帯電話を触り続けていた。彼とは何度か会話を試みたがお互いの英語力の低さにより各々の頭の中で各々の解釈で会話を完成させていた。
僕はこの長い鉄道時間を使っていくつかの本を読み終えることにしていたから自然に会話は終わり僕は本、彼は携帯に戻った。
読みたかった本はもちろん今から向かうチベットに関するものだがガイドブックなどの観光に関するものではない。
河口慧海という日本の仏教僧が当時入国することが不可能だったチベットにチベット人になりすまし命懸けで密入国した自伝的記録本は楽しく読んではいたが僕の電子書籍のほとんどを占めていたのはチベットの”悲しみの記録”ばかりだった。
今この記録を読んでくれているみんなの中には何が”悲しみ”なのかわからない人もいると思うけれど僕のこれから書いていくコトバできっとその中身に触れてもらえると思うからあえて今日は記さず書き進みます。
ひたすら本を読み、外の景色を眺め、友達が持たしてくれた食べ物を食べる。時間は過ぎていく。
標高5000メートルを超える世界一高地を走るこの鉄道には車内の空気を調整する装置が付いているらしく息苦しいことはなく窓の外の異世界はあくまで窓の外で車内はいたって普通な“中国の景色“だ。トイレに行くために車内をうろうろ見て回るとほとんどが中国人の観光者のようでチベット人が乗っているとか僕のよく知るインド旅にいるようなバックパッカーの姿はない。
トイレに行くたびにどんどんいろんなものが流され汚れていく洗面台を見ながら中国との文化の違いを感じずにはいられなかったのを覚えている。
48時間。ひたすら本を読み続けた。
そして到着が近づいた頃、電子書籍のほとんどを端末から消去した。
”悲しみの記録達”を持ってチベットの中を歩くリスクを僕は恐れていたから。
僕のこの過度に見える用心が過度ではないことが後にわかることになる。
鉄道は終着駅であるラサに到着した。
想像を大きく裏切ったあまりにも近代的なホームに降り立ち恐る恐る”紙切れ”を見せ、僕はチベット入国に成功した。
すんなりと駅はでれたが僕はどうすれば良いんだろうか。
駅の外はどこか物々しい雰囲気が漂っていたし酸素が平地より3〜4割も薄いこともあったのだろうが僕は経験したことのない動悸を感じていた。
しばらく駅でうろうろしていると1人の男が僕に向かって歩いてくるのがわかった。顔がどこか僕たち日本人に似ている。雰囲気も車内で見ていた人たちとはっきりと異なる。
チベット人だ。
瞬時にそう思った。
これが〝D〟との出会いだった。
名前は今でもしっかりと覚えている。
でも書くのはやめます。
この記録では僕が書くことはないと決めていたことを書くつもりだから。
僕とDの旅が始まる。
僕はこの旅を忘れることはない。
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