暮らしはいろんな活動に彩られている。
特にこうして街から遠く離れて暮らすと活動の色は多様でオモシロイ。
言い換えると〝大変〟なんだけれど、そう感じる人に山奥暮らしは向いていないのかもしれない。
僕のいわゆる“仕事”はヨーガの先生で、本来なら街でヨーガ教室を開いたりいろんなところでレッスンを繰り返すこと。
実際にそういう仕事のスタイルで活動を行っていた期間が10年くらいはある。
そんな一つの段階を経て今はこうして山奥からヨーガの伝達をさせてもらっています。
ヨーガの伝達とは、本当に大きな枠組みのことでこの現代に生きるみんなで共有して進んでいるようなもの。
世界中でバランスを保っている。
そんなバランスにおいて僕が担っているところは限りなく少ない人数で受け持っている。
少なすぎて世界中でもどのくらいの人数がいるのかもわからない。
【ヨーガスートラ】
このバイブルを用いるという点では数はそこまで少ないようにはみえないかもしれないけれど、この書物の奥にある真意まで見つめたときに数は愕然と減ってしまう。
今の段階でそれがこれからどんなバランスの欠如につながるか気づいている人はほとんどいなくて、その結果が顕在した時にはもうバランスが崩れ切った時なのかもしれない。
僕が急に山奥から声を出しだしたのはそんなところからなんです。
これは大きな声で叫んで届くことじゃない。
本来はゆっくり時間と信頼を紡ぎながら進むこと。
それでも状況は大きく変わったのが事実で、こうして山奥から言葉を記す。
だれかに繋がり、糸が織り合うことを祈って。
そんな僕にとって最後の活動の合間には自然のモノコトが溢れてる。
今は小豆たち。
毎日収穫をして、筵に干して。
殻をはずして選別する。
長い長い合間の手仕事。
この冬はヨーガスートラの伝達にかなりのウエイトが置かれる。
合間を大切に進もうと思います。
今日は谷は雨がパラパラ。
太陽の合間。
手仕事日和。
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