男なんてね
最近先輩が彼氏さんと喧嘩をしていた。この先輩のことが私は非常に好きなのだが、彼氏さんのことはどう見ても矮小でわがまま、小学生みたいなやつで私にもセクハラをしてこようとするので正直好きではない。
今回の喧嘩の内容も酷かった。先輩よりも早く帰宅した彼氏さんが鍵を忘れて家を出たので、先輩に鍵を届けて欲しいと言うのだ。先輩は既にお客さんの予約が入っているし、そもそも仕事中に抜けられないのに。そのお客さんを断ってまで、自分に鍵を届けに来いと要求していた。
その様子を職場の女の子みんなで見守っていた。もう呆気にとられてみんなから言葉も出なくなってきた頃、年少の女の子が「だから男ってのは」と言い出した。私はそれに「そんな男ばっかりじゃないですよ」と返したのだが、「それってらぶさんがそう思いたいから、自分に言い聞かせてるんですよね」と言い返されてしまった。
まあ昔の私なら、その後輩の女の子のような考え方だったと思う。現に私が「そんな男ばっかりじゃないよ」と言えるようになったことに自分でびっくりしたぐらいだ。
ざっと身の回りの男や、マゾたちのことを思い浮かべたけど、みんな自分のやることに責任を持ち、私という存在を大切にしてくれて誠意を示してくれる。
最近ハッとしたのは、別に私も男運に恵まれてきたわけではないけど、そういえば嫌なセックスはしてきてないなと気づいたことだ。なし崩しでされて、嫌な思いをしたセックスなんて一度も無いと思う。セックスの前後でお酒に呑まれたこともないし、常に自分で相手を選んできた。それって凄いことなんだろうなと思う。
話を戻すと、別にいい恋愛をしてきたわけではないけど「そんな男ばっかりじゃないよ」と他者に言えるほど、いい男性が周りに居るということが少し誇らしかった。若い頃はどんなに頑張ってもゴミカスのような男しか自分の周りにはいないと感じていた。
異性を憎んだり絶望させられたこともあったけど、生きること自体を支えられたり、プレイの価値観をマゾに根本から変えられたこともあった。そう感じられたのは、私に向き合ってくれた男たちが"誠意"を私にくれたからだ。
お局のお姉さんたちに「男の人に〜してもらいなさい」と言われることもあるけど、最近は「もう男性にはこれまで沢山甘やかされてきました。だからもう十分です。」と答えている。
数年前までは満たされない気持ちが常に自分に付き纏っていたため、幼い子どものような愛情への飢餓感のままに強請って何度もこれまでに相手の男性を疲弊させてしまった。それでも何年も私と一緒に居てくれて、セックスも会話も重ねてくれる男たちには感謝している。私は沢山甘やかされた。
こうして昔の自分がなりたかった自分に今はなれている。昔の自分は、どう足掻いても不幸になってしまうのだと思い込んでしまうぐらいに、不幸な境遇から抜け出せなかった。幸せというのは天国みたいなもので届かないものだとも思っていた。
だけどいまはそのままの自分で居られて、周りには誠意をくれる人たちがいてすごく幸せだよ。生きることを諦めて来なくてよかった。
過去の死ぬほど努力した自分、そして周りに居てくれた男たちに感謝したい。