自分のために自分を使える時間
昨日は久々にプレイですごく疲れてしまった。個人で受けているもので6時間、さらにお客さんとの食事があった。プレイ自体は対して疲れなかったのだが(それでも私の手はボロボロになったけども)、ADHDぎみのお客さんで会話で振り回されている感があって疲れた。
家に帰ったらもう動けなくて、頭痛がして、いつ眠ったのかは覚えていない。次の日のお客さんが体調不良でプレイ日が延期になったので、急に休みができたため、遠慮なく寝かせてもらった。12時間ぐらい寝ていたのは久々だった。
もう昨日は疲れで、何を考えても、何のコンテンツを見ても「苛つく」という言葉がよぎったが、きちんと睡眠を取って起きると世界が見違えた。
最近はなぜか気分が高揚したままなことが多くて、眠りが浅く、4時間ほどしか眠れない日が続いていたこともあって、イヤホンをする耳が痛くて仕方がなかった。人生で初めてマッサージ店に足を運んだぐらいだった。
その耳の根本のほうの痛みもなくなり、いつもイヤホンをしなくてはイライラしていたのが、今日は大丈夫だった。
夕方の風の音が心地よく、七夕に向けての飾りがついた町並みがキレイで見とれてしまった。
私が大好きなドリア屋さんに入って、お米が焦げる音を聞きながらぼんやりと「ああ最近は他人のための自分」を努めていたんだなあと思った。
私の性格のせいもあるんだけど、接客業とはそういうもので、この人に何をしてあげられるんだろうと頭の片隅で常に考えている。次あったらなんのプレイをしようって、お客さんから頂いた手紙を何度も読み返しては考えるし、同僚や友達にあげるプレゼントを考えている時間はとても好きだ。
でもお米が焦げる音を聞き入れるのって、私のためだけだし、友達と食事にきていたらそんな悠長なことはできない。
だから、いまのこの米の焦げる音を聞いているのは久々に私が私のために自分を使った時間だった気がする。
やっぱり休みは予定がなくても、定期的にちょっと多いめぐらいに取ろう。改めてそう思った。あとデザートのパフェも頼もう。