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私が私のことを嫌いでも、価値があることには変わりない
すべての物に価値があるっていう話を、ちょっと前に書いたと思うんやけど
自分で書いておきながら「うそつけ、こんな自分に価値ないやろ」って思ったりするときあんねん
すべてのものに価値があるというのは「気づき」であって、私の人生のほとんどは「何もしない自分に価値はない」やから、まあすぐ変えろったって無理な話やねん。
そんな私のために、思い出せるようにいいたとえ話が浮かんできたから書いとくわ
世の中の普通の人は、嫌ったり笑ったりするだろうけど自分は好き!!っていうものがこれまでたくさんあったやん。
BL本を普通に読むって、一定の人には隠さなかった?
海外モノが好きだった、「カッコつけてるだけだろ」「何もわからん」って言ってくる人たちの前では黙ってなかった?
それらってな、私の前ではしっかりと「好き」だったけど、みんなにとっての好きじゃなかったからやろ
それどころか、私の中の「好き」だってこの数年ですごい変化した
私は土下座して泣きながら気持ちよくなる変態だから、Sなんて何が楽しいねんって思ってた
女の子に好かれることは多々あったけど、本気で女の子と性的な関わりは持てないと思ってた
それが今となったら、男の子をビンタしたり首絞めるのもいけるし、女の子責めるのもいけるってわかった
うるさいお兄さんのゲーム実況も、普通に楽しんで見るようになった
ちょっと前まで自分が「何がおもろいねんこれ」なんて思ってたのに
今となっては「好き」になってる
どんなに醜いものでも、
「その醜さが美しい」という人たちが必ずいる
醜いから価値がないんじゃない、
醜いから価値があるという人がきっと現れる
わかりやすい例は、グレイテストショーのフリークショー
あとアメリカンホラーストーリーのガボレイシディべ
ガボレイがあの身体、あのくしゃくしゃの顔で化け物に「私だって愛されたい。あなたもそうでしょ?」って言いながらマスターベーションしながら迫ってくる姿がすごく悲しかった
きっとあのシーンはガボレイの外見じゃないとできなかったし、どうしようもないような残酷さや愛に飢えた人間の姿を映し出せなかった。
グレイテストショーだって、全く普通の人と違った姿をしている人たちが踊る姿が本当に美しいと思った。
だからな、たとえ私が私のことを嫌いでも、普通の人たちから嫌われようと
私に価値があるってことは変わらんのやと思うわ
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