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心の扉の奥にあるもの―ライオンズゲート―

こんにちは、iです。

夏真っ盛りですね!
先日海に行ってきました。
久しぶりにシュノーケリングをしたのですが、魚たちと一緒に泳ぐのは本当に楽しかったです。
冷房の下にこもりがちな夏ですが、お日様の光をたくさん浴びるのもたまには必要ですね。
次の日は日焼けと筋肉痛のダブルパンチが来ましたが(笑)。

占星術的に言えば、夏はやはり獅子座の季節。
先月の終わりに、獅子座で新月が起こりました。
「地の時代から風の時代へ」の変化が強調されていたため、時代の変化の切り替えポイントのひとつだなあと感じていました。

獅子座の象徴は「自己表現」。
変化の過渡期において「自分をどう見つけ、どう生き、どう表現するのか」というテーマを強く感じます。

自分をどう生きるのか。
それにはまず、自分の中にある価値観を発見することが大切です。
自分の価値観というものが軸になり、自分の生き方というものは創られていくのだと思うから。
はじめに、このあたりについて今私が感じていることをお話していこうと思います。

そして今は、ライオンズゲートの時期でもあります。
これまでライオンズゲートについて触れてこなかったのは、その本質がよくわからなかったから。
けれど今年、私にとってのライオンズゲートがぱかっと開きました。

なので、この感覚をお伝えしたい。
でも、これを伝えるためには「価値観」や「自己愛」についても触れていった方がわかりやすいのではないか。

というわけで、今回ちょっと長い記事となっております(笑)。
直感的に「気になる!」と感じた方は、読んでいただけたら嬉しいです。


価値観の変化が新しい自分を創る

「地の時代から風の時代へ」という言葉はよく耳にするようになりましたが、「価値観の変化」や「自分軸」というキーワードも同時にくっついてくることが多いですよね。

「でもそれってよく聞くけれど、どういうこと?」
「いまいちよくわからないんだよね」

という方も多いのではないかと思います。
私もはじめはよくわかりませんでした。
また、

「よくわからないけれど、変わらなきゃいけないような気がしている」
「何かを変えたいけれど、何を変えればいいのかわからない」
「変わろうと思って色々試したけれど、うまくいかない」

こんなふうに感じている方も、多いかもしれません。
でもそういうもどかしさを感じているときって、きっと本当に大切な変わり時なのだと思います。

まずはこの「価値観の変化」「自分軸」について、今私なりに感じていることについてお話していこうと思っています。


火の時代・地の時代

まず、ざっくりと地の時代について解説してみたいと思います。
今私たちが何から何に変化しているのか、俯瞰的に見るのも大切だなあと思うので。
そのために、火の時代にも触れていきますね。

火の時代

地の時代の前には、「火の時代」がありました。
およそ400年まえくらいに始まったものですね。
火は、「魂を地球世界で表現したい!」という情熱のエレメントです。

同時に、火地風水のはじまりのエレメントでもあります。
この四大エレメントの循環はずーっとずーっと昔から続いているもの。
つまり直近の「火の時代」は、ずーっと昔から火地風水の旅を続けてきた人類の歴史を引き継ぎながら、「また新しい情熱の種を植えよう!」という期間だったのですね。

地の時代

そして、およそ200年前くらいに「地の時代」がはじまります。
火の時代にまかれた情熱の種を育てるために、「実りある大木に育てるぞ!」というのが地の時代です。

物質進化の時代であり、たくさんの「道具」が生み出されました。
畑を発展させるには様々な道具が必要ですよね。
そうした道具が、進化発展した時代です。

もうひとつ付け加えるならば、「選択の自由」が広がったこと。
ヨーロッパで封建制度が衰退していったのは火の時代なのですが(さすが情熱の時代ですね)、その後豊かになるにつれて、かつて平民と呼ばれていた人びとが人権を獲得していくんですよね。

豊かさが広がることで、選択の自由が拡大した。
豊かになった現在では忘れがちな事実があるのだなあと思います。

その反面、歴史上初の世界大戦があった時代でもあります。
いくら道具が豊かに発達したとはいえ、それを使う人々の精神がそれに追いついていないゆえに起きたこと。

では、これらを踏まえた上で、風の時代について考えてみたいと思います。


風の時代とは

火の時代では「情熱の種」を植えた。
地の時代では「豊かな実りを得るため様々な道具」を創りだした。
では、風の時代は?

風は「思考」「コミュニケーション」のエレメントです。
その思考とは、火と地を受け継いだ上での「進化のための思考」であると私は思っています。
というよりも、私自身がそのようにあろうと思っている、と言った方が正しいですね。

私たちの目の前には、もうすでに「道具」がたくさん用意されているんです。
そして、「選択の自由」も。
その道具を携えて、どんな「思考」を選ぶのか。

そんな謎かけが、提示されているような気がするんですよね。
そして選択の基準のもとになるのは「価値観」であり、価値観の根底にあるのは「思考」である。
そんなふうに感じています。

価値観、そして自分軸

ここでひとつ例え話をしてみましょう。

目の前にナイフがあります。

●Aさんは、自分を豊かにするために、木を彫って器をつくるためにナイフを使おうと思いました。

●Bさんは、他者から豊かさを奪うために、武器としてナイフを使おうと思いました。

両者の選択の違いの背景にあるものは何なのか。
それは「価値観」であり、価値観のもととなる「自分軸か他人軸か」という「はじまりの思考」なのではなかろうか、と思うようになりました。


Aさんは、「自分」が楽しく豊かな生活を送るために、道具を使うことを選びました。
自分をとても大切にしています。

その価値観の根底には、自分を愛して進化させていきたいという思いがある。
「はじまりの思考」が、自己愛なんです。

私は最近、「愛」とは「信じること」と同じなのではないかと思うようになりました。
自分を愛するとは、自分と自分の魂を信じること。
そして、魂とつながる扉である「心」の声を、信じること。
そんなふうに感じています。

だから、自分を愛することは、自分を信じることと同じ。
自分を信じる・・・・・・自信とは、自己愛と同じなのではないかと。
そして、自信と自己愛を持つと、他者からそれを与えてもらう必要はありません。


反対にBさんは、自分がまだまだ飢えている、足りないと思っているから他者を傷つけ、支配しようとしています。
自分を他者と比べ、

「まだ足りない」
「あいつの富を奪えば、自分はもっと豊かで満ち足りるはずなんだ」

と考えてしまうのです。
言い換えれば、「自分は常に劣っている人間だ」という思考が根底にあると言えそうです。


これをもっと抽象化していくと、

「自分を愛することができないから、周りから愛を注いでもらいたい」
「でも、自分は注いでもらえるような価値のある人間ではない」
「注いでもらえないなら奪ってしまおう」
あるいは、
「注いでもらえないなら、尽くすことで見返りとして愛をもらおう」

といった流れが想像できます。

この思考の中心には、自分がいない。
だから他者の存在が中心にあり、そこから力を分けてもらおうとする、という構造があるように思います。


つまり価値観とは、

A:「自分で自分を愛する自己愛・自信=自分軸」
B:「自分で自分を愛せない恐怖・自己不信=他人軸」

この二極の「はじまりの思考」のどちらから始まっているかで、大きく変わっていく。
そんなふうに、今は感じています。

そして、この「はじまりの思考」のどちらを選ぶかで、自己表現のための道具の使い方も、自己表現としてのコミュニケーションのあり方も、まったく違ったベクトルのエネルギーを持つことになります。

地の時代に育まれた「道具」をどう使って進化していくのか。
それは、自分の「はじまりの思考」にかかっている。


そういえば聖書には、こんな一節があります。

「はじめに言葉があった」

この「言葉」とは、「原初の思考」がこの世界を創りだしたことを暗示しているのではないでしょうか。

そして、「言葉」とは「自分と相手を分けるもの」です。
「わたし」という言葉が生まれるためには、「あなた」という言葉が必要なのです。

自分はひとりでは、自分を見ることができない。
だから、ふたりに分かれることで自分を見るために、「分ける」という原初の思考の力が働き、宇宙が生み出された・・・・・・。

ビッグバンによって「はじまりの一点」から無数の銀河や星々が創りだされていったことを思えば、なんだかとてつもなくしっくりきてしまうんですよね。
量子が人間の観測によって挙動を変えるというのも、思考というものがひょっとしたらエネルギーを持っているんじゃないか? なんてことを想像させてくれます。


・・・・・・もとい! 話がそれました。

  1. 道具をどう使うか、その選択の基準は自分の「価値観」。

  2. 価値観とは、「はじまりの思考」によって大きく変化する。

  3. そしてはじまりの思考とは、「自己愛」か「自分を愛せない恐怖」。

まとめてみると、こんなかんじです。


「はじまりの思考」は直感するもの

そして私の体感として、「はじまりの思考」は「魂の意図」です。
自分という存在のイデアのようなもの。

はじまりの思考は、「考えること」では絶対に理解できない。
魂の意図は、「感じること」でしか理解できないのです。

なぜなら、私たちが普段「思考」と呼んでいるものは、ほとんどが生物としての「生存戦略」だからです。

生物として生き残るためには、過去の経験でうまくいったことを繰り返すのが最も安全です。
未来に生き残るために、過去を繰り返す。
これはある程度まで必要なことです。

赤信号を渡ったら危険だから渡らない。
これは健全な生存戦略ですよね。

でも、ある程度人生を生きてくると、その「過去の経験により未来の危険をとりのぞく」という生存戦略の思考が邪魔になることがあります。

それはたいてい、魂の意図を実現したいという情熱が出てきたときです。
これまで問題なく機能していた生存戦略思考が、「未体験ゾーン」に突入することに警報を鳴らすのです。

ここで、「変わりたいのにうまく変われない」という葛藤が起きます。

今私に言えるのは、変わりたいという情熱が出てきたのであれば、

「自分の心を愛することで、自然と魂の扉は開いていく」

ということです。
心を大切にして、傷があるのなら癒す。
癒しが進むと、心の扉がどんどん開いていき、魂の意図を感じることができる。
だから、まず自分の心を大切にしてあげてください。
それだけが、心の扉を開く鍵なんです。


風の時代とは、そんな「はじまりの思考=魂の意図」を心を開いて感じとり、

●自分を愛し、自信を持ち、自分のために自分を生き、自分のために自己表現し、自分を進化成長させるために他者とコミュニケーションをとっていくのか

自分を愛さず、人から愛をもらうために生き、自己不信を持ち、人に認めてもらうために自己表現し、他者とコミュニケーションをとっていくのか

どちらの自分を生きたいのか、心に耳を澄ませて感じてごらん。
そして、どちらを選択するのかを、選んでごらん。

そんなふうに、問いかけられているような気がするんですね。

そして、どちらを選ぶのかは私たちの自由です。
それが、自由意志だから。


自己愛はひとつの究極目標

「自己愛を持つことがいいのはわかっているけど、100%の自己愛を持つなんて難しいよ」

と思いますよね。
私もそう思います(笑)。
というか100%自分を愛することができたなら、ひとつの究極目標が達成されているのと同じじゃないでしょうか。

わざわざ自分と他者が分かたれた世界に生まれたのは、自分を信じられず、他者世界に飲み込まれるという体験を経て、真に自分を愛するしか道はないのだと気づくためなんじゃないかな、と思うからです。
だとすれば、真に自分を愛することができたら、ひとつの大きな目的は達したことになります。

もちろんその先も、旅は終わることがないとも思ったりするんですけれど。
そこまで辿り着いたら、きっとまた新しい目標が見えてくるのかもしれません。

何が言いたいのかというと、今すぐに自分を100%愛して信じられなくっても全然大丈夫だということです。
私も100%自分を愛しているかというと、うーんとうなってしまいます。

でも、それで全然大丈夫なんだと思うようにしています。
だって、その旅路を味わうために生きているから。
逆に「もっと自分を愛さなきゃ!」と自罰的になることこそが全然必要ないと思っています。

私はけっこう土星が効いている星のもとに生まれているので、つい自分を責めて「もっと清く正しく生きなければ」という思考が強かった過去があります。
幼い頃はその反動で「自分なんて全然ダメだからもういいや」とヤケになったことも。
わりとその繰り返しだったような・・・・・・(笑)。

私のように土星が効いていたりする方には、そういう「○○しなければ思考」がつい出てきてしまうことも多いと思います。
そんなときは肩の力を抜いて、「自己愛を見つけるための旅だと思えば、自分を愛せない私ってむしろめちゃくちゃ旅を満喫してない?」くらいに思うと、すごーく気楽になるんじゃないかと(笑)。

旅の途中で、選択を間違ったっていい。
間違いが自分という存在を育てる土壌になるのだとすれば、本質的に「間違い」などというものはないからです。


心の扉の奥にあるもの―ライオンズゲート―

毎年この時期になると、ライオンズゲートの話題をあちこちで耳にするようになりました。

占星術的には、恒星シリウスが太陽を引き連れて夜明けをもたらす時期のことを言います。
つまり、シリウスのヒライアカル・ライジング(太陽の前に夜明けの地平線を昇ること)。

シリウスのエネルギーが、太陽とともに地平の彼方からやってくる。
おそらくはそんなイメージなのだと思います。


ただ、私が今回ライオンズゲートを取り上げようと思ったきっかけは、全く違った方向の情報からでした。
先日つらつらと天文情報を見ていたときに、なぜかわからないけれど「太陽系の共通重心は太陽の真ん中ではない」というのがやたらと気になったんです。

実は、太陽というのは太陽系の惑星の中心でじっとしているのではなく、惑星たちの重力によって微妙に動いているそうです。
ハンマー投げの選手が、ハンマーを振り回すときに微妙に身体が動いているようなイメージですね。
そして、本当の太陽系の中心というのは、太陽というより真の中心にある「共通重心」という部分らしいのです。

そのとき、「なんかこれ、二重惑星とか連星みたいだなあ」と思ったんですね。

二重惑星や連星というのは、ふたつの星が同じくらいの力を持っているため、共通重心を真ん中として、互いに互いの周りを公転しているというもの。

それはまるで、星と星がワルツを踊っているような。
神秘的な光景です。

そして、二重惑星や連星の公転軌道を図にすると、このような感じになります。

ふたつの円が、真ん中で重なり合っている。
この円の重なりというのは、様々な言い伝えで神聖視されているシンボルだったりするんですよね。

太陽も、もしかしたら惑星たちと一緒にワルツを踊りたいのではないか。
太陽系の魂の源として、その分魂たちと進化のワルツを踊りたい。
なぜかわからないけれど、そんなことを強く感じたんです。

それが実現するためには、「太陽」と「惑星」が対等に同じ力を持つ必要がある・・・・・・。

太陽は「あなた」であり、惑星は「わたし」である。
太陽は「わたし」であり、惑星は「あなた」である。

以前から感じていたこの反転概念が、自分の中でより強い確信となった瞬間でした。


これを思いついたとき、今書いている記事にこのお話をどうしても入れなければと感じました。
なぜなら、真の自己愛とは、今ここに「身体を持っている自分」と、「魂の自分」とが対等であり、本当はひとつなのだと気づくところから始まると思うからです。

「ハイヤーセルフ」という言葉に象徴されているように、つい人は自分の上に何か崇高な存在を欲しがります。
「神」「創造主」などもそういった存在の優劣を、人間が潜在的に欲しているからこそ生まれた言葉なのではないでしょうか。

つい最近、赤ちゃんと接する機会がありました。
赤ちゃんって、目も見えず、自力で歩くことも出来ず、すべてを世界に委ねた状態で生まれてきます。

私は、それを見たときにすごく感動したんですね。
だって、赤ちゃんは世界を一点の疑いもなく信じているのだと感じたから。
自己不信も他者への不信も一切なく、すべてを愛して委ねきっている。

ああ、人は生まれたときにすべて完成しているのだ。

そう感じました。
大人になるにつれて、魂との扉である心がゆっくりと閉じていき、完成された存在であったことを忘れていく。
それは、苦しみや哀しみのある世界の中で自分を進化させるために、必要なことだからなのだと思います。

でも、途中で気づく瞬間がやってくる。
自分は、この旅をするために生まれてきたのだと。
すべてを愛し信じていた自分を、思い出すための旅をしにきたのだと。

赤ちゃんにとってはきっと、ハイヤーセルフ=魂も、神も、創造主も、すべて自分自身。
それらと深くつながっていて、ひとつである。
そこにあるのは、すべてが本当は対等であり、すべてが崇高な存在であるのだという純粋な確信なのではないか。
そんなふうに思ったんですね。


二重惑星や連星は、互いに同じくらいの力を持っていて、その対等な星たちがワルツを踊っている。

それがまるで、自分と魂がひとつになってワルツを踊っているかのように思えたんです。

魂が、崇高なのではない。
神が、崇高なのではない。
私たちも、魂も、神も、等しく崇高なのだ。
そう、思います。


それがなぜライオンズゲートにつながっていったかというと、実はシリウスも連星なんです。
シリウスAとシリウスBは、互いに互いの周りを公転するふたつの恒星です。

ただ、シリウスBはすでに星の寿命を終えて、白色矮星となっているため肉眼でみることはできません。
全天一光り輝くシリウスは、実はシリウスAのことです。

それはまるで、ワルツの期間を終えて、自分と魂がひとつになった様子を思い起こさせます。


ところで、シリウスBの大きさは地球と同じくらいだそうです。
そしてその質量は、太陽と同じくらいなのだとか。

・・・・・・面白いと思いませんか?
地球から見て全天一明るい星の片割れが、地球と同じ大きさを持ち、太陽と同じ質量を持っているのです。

占星術の根底にあるのは、天と地が相対関係にあるという概念です。
地が顕在意識に生きる私たちだとしたら、天にある星々は何なのか。

天は、人の潜在意識の最も奥深くに眠っている、壮大な魂の旅の記憶を映しだしている・・・・・・私はそう感じています。

ミクロコスモスは、マクロコスモスに映し出される・・・・・・だとしたら、シリウスは私たちに何を語り掛けているのでしょう。

もし、輝きを失って小さく小さく光っているシリウスBが、連星のワルツの残滓なのだとしたら。
旅をまだ続けたいという魂たちが描き出した、小さな残り火のようなものだとしたら。
地球と太陽に、旅の場所を移したのだろうか・・・・・・。
気づけば私は、そんな想像をふくらませていました。


シリウスは一年に一度、夜明け前に遠い魂の記憶をそっと吹き込んでくれる。

あなたたちは魂の反転した姿であり、すべて等しく崇高なんだよ
それを思い出すための旅をしに、あなたたちは再びここに生まれた
その旅を、わたしたちはずっと、ずっと、応援しているよ

―――と、こんなふうに。

その息吹が、私たちの遠い記憶の扉の鍵を、毎年ちょっとずつ開いているのかもしれません。
魂とつながる、心の扉を。


これが、私のライオンズゲートです。
きっと、人それぞれに色んな魂の意図があり、色んなライオンズゲートがあるのだと思います。

このお話を夢物語のひとつとして枕もとに置きたいなと感じられた方は、そっとあなたの世界観の片隅にでも置いて頂ければ嬉しいです。




最後に余談ですが、今回からタイトル画像を自分で描いた絵に戻しました。
記事を書く前に描いたものなのですが、この記事を書いているときに「あれ? このあいだ描いた絵がめちゃくちゃしっくりくるなあ」と、自分の中のパズルがぴったりはまるような感覚になり。
ひとりで謎の爽快感に包まれ(笑)、つい使いたくなりました。


では、同じ旅路を歩む人たちに「一緒に地球旅行を楽しもうね」とささやかなエールを送る気持ちと、私自身が書くこと、そして描くことを楽しもうという気持ちのもとに、これからも note を続けていけたらと思います。

それでは、熱中症にお気をつけて楽しい夏をお過ごしください!


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