見出し画像

休職理由を因数分解 私が休職に至るまで①

休職してから1年7ヶ月が経とうとしています。
今は、日常生活は送れているけど、労働に耐えられる体力、気力が戻っていない状態です。少しずつジムに通ったり、カウンセラーさんとの面談したり、社会復帰に向けて動いているところです。
そんな私がなぜ休職に至ったのか、まとめてみようと思いnoteを開きました。わかりやすくまとめられる自信はありませんが、誰かの役に立ったら良いなと思っています。

まずは簡単に自己紹介。さとうゆかです。30代、夫と二人暮らし、メーカーに勤めていましたが休職中です。3ヶ月くらいの休職で元に戻れると思っていましたが、そんな簡単には行かず1年7ヶ月が経ちました。

職場の異動

私が休職に至るほど体調を崩した大きな原因は職場の異動です。下流工程から上流工程の職場へ異動することになりました。勤務地も変更となり、夫と一緒に引っ越しました。

下流工程から上流工程への異動は望んでいたものですが、希望していた部署とは全く同じ部署ではありませんでした。勤務地は希望に沿わないが、仕事の内容は希望していた部署と似ているといった感じでした。ですが、ほとんど異動がない会社のため、自分のステップアップのためにも異動を決断しました。

職場異動:1〜6ヶ月目

異動して初日に感じたことは忙しい部署だということ。職場はバタバタとしていて、受け入れ初日から仕事が与えられました。受け入れの研修だけで初日が終了すると思っていたので驚きました。先輩に教えてもらいながら、定時いっぱいまで仕事をしたのを覚えています。希望はしていた仕事内容とはいえ、今までの仕事とはまるで違う仕事であることを初日から痛感しました。転勤というより未経験職種への転職といった方が近いと思いました。

異動から半年は日々与えられた仕事を教えてもらいながら、それらをこなす毎日でした。この頃は、コロナ禍の影響が後を引いていた時期で出社の制限もされていました。聞きたいことがあっても先輩が出社しておらず、恐る恐る電話したり、わかりそうな人に質問したりと、やりずらい点が多かったように思います。それでも、異動したてで力が入っていたのもあって、朝早めに出勤して一人でできるようになった仕事を進めたり、教えてもらったことをまとめたり、効率的に仕事ができるように頑張っていました。苦手なマルチタスクもなんとか計画を組みながら進めていました。

しかし、なんとか進めていたマルチタスクも抱えすぎて「やりきれないのでは?」と不安になる時がありました。「なんでも相談して!」と言われていた先輩に「ちょっとタスクが多くてやりきれないかもしれないです。」と相談したことがありました。その時、先輩からは「上手く調整してやってみよう!」と返答されました。自分の甘さを感じた出来事でした。「こんなことで弱音を吐いてはいけない」「自分のやり方に問題があるんだ」と強く思いました。

これが、職場で相談がしにくくなってしまった出来事の一つです。その後も、気にかけてくださる先輩達はいらっしゃったのですが、本音を言ったら甘えていると思われるのではと怖くなり、限界ギリギリまで本音で相談することはありませんでした。

②へ続きます…

いいなと思ったら応援しよう!