「ドラえもん のび太の創世日記」〜世にも不遜な物語〜
ドラえもんの映画に、「のび太の創世日記」(1995)という作品がある。
のび太がドラえもんの道具を使って、新たに別の世界を創る話だ。
宇宙の誕生に始まり、地球が形成され、動植物さらには人類が生まれる。
しかし、こんなことが許されるのだろうか?
主人公が新しく、意思を持った人間たちを生み出してしまうストーリーは、あまりに不遜ではないか。
しかも新世界の人間たちの間では戦争まで起きていて、のび太たちはそれを俯瞰的に観察している。
クローン人間ですら倫理的に忌避される現代において、そのような作品はどこの文化圏でも眉をひそめられるに違いない。
しかも、主人公はマッドサイエンティストのようなキャラではなく平凡な少年であり、新世界創造の責任を問われることも特になかった。
「魔法少女まどか☆マギカ」では主人公が、今ある宇宙の歴史をつくり変えているが、あれは強敵を前にして、やむを得ず行ったものと言える。
一方、「創世日記」では夏休みの自由研究のために、わざわざ未来の道具を使用して新世界の創造主になるのだから何の緊急性・必然性もない。
そもそも、そんな道具が未来で流通しているのがおかしい。22世紀人の倫理観は一体どうなっているのか?
以上のことから、実は藤子不二雄Aよりも、藤子・F・不二雄のほうがヤバい人だと分かる。