『正しい女たち』千早茜
千早さんの本を読むのは2冊目だ。
小説という形をとりながら、今日の女性たちの抱える問題(もっとも、女性たちが抱えさせられていると言った方が正確かもしれないが)について、まるで論文を読まされているかのように切り込んでくる。
・温室の友情
遼子、環、麻美、恵奈の4人をめぐって進行していく。本書は群像劇のような構成になっており、彼女らはおおよそ全編にわたって登場する。
男から見た「女の友情」が二流であるということを突き付けてくる。具体的に挙げるのならば、どうせ裏では足を引っ張り合っている、お互いを憎みながら仲の良いふりをしている、何か末恐ろしいもの…などだろう(某大手雑貨屋の広告炎上を思い出す)。
しかし、本書の4人の友情はそれほどやわではない。だからといって手放しに女の友情は美しいと称賛する気もないけれど。
・海辺の先生
海沿いの小さな村の女子高生とその家庭教師を務めることになった男の話。本書の中でいちばん気に入っている。
教え導かれる存在である生徒や女、教え導く存在である先生や男という二項対立のように見えて、家庭教師の男の「男らしさ」が意図的に削り取られているため攪乱させられる。
筆致から雨や潮の香りがしてくるような一編。
・偽物のセックス
本書の山場的な一編。既婚者の男が魔女のような魅力を持つ既婚者の女に惹かれ焦がれる話。「正しいセックス」と「偽物のセックス」というワードが登場するが、いったいセックスにおける「正しさ」とはなんだろう。
現在日本を含めたあらゆる文化圏で、婚外交渉はときに女の死を以て贖わなければならないほどの悪とされている。しかし、このような規範は生殖を目的に家父長制を維持するための規範にすぎないのではないだろうか。
本編の女はこの規範を内面化して「正しいセックス」にこだわりをみせている。私たちはセックスに特別な地位を与えすぎているように思える。
・幸福な離婚
極めて現代的な一編。ロックバンドの歌詞や映画の情景に描かれていそうな風景が浮かぶ。
不倫やキャリアへの考え方などのすれ違いから離婚することになったが、その時期を決め、それまでは同居しようという夫婦の物語。
失うことになってはじめてその価値に気が付いたというようなことはよくあることだが、本編の2人も例に漏れない。何事も終わりが見えていた方が慈しめるのかもしれない。
離婚が悲しみや絶望のみを導くのではないと教えてくれる。
・桃のプライド
芸能界の片隅にしがみつく環の物語。
本作に限らず、桃は女の性的な表象として描かれがちである。鮮度が落ちれば味が落ちてしまうところも女の表象たる所以なのかもしれない。
しかし、桃にだってプライドがある。食べごろは自分で決めたい。
・描かれた若さ
最後の一編。わかりやすく悪いところを煮詰めたような男が登場する。
いつまでも女性蔑視でしかプライドを保てないようであればこうなりますよ、という教訓的な物語か。
現実なのか空想なのかわからないような空間に迷い込むようで頭がふわふわする。