ISSUEと刺繍とクレイジーなオジさん
奈良県は良福寺にある刺繍屋を訪ねた。
勿論、目的は私のブランド「ISSUE」の刺繍ロゴを作って貰うためである。
この話は刺繍ロゴの作成依頼を断られ続けていた私と刺繍に魂を売った良い意味でクレイジーなオジさんとの出会いの記録である。
私は本業を終え、奈良の刺繍工場に車を走らせていた。
細く曲がりくねった道を恐る恐る進んだが、工場まであと2分位の所でいよいよ道が細すぎて工場に辿り着け無いと判断した。
車を道路の脇に停め、オーナーに電話した。
迎えにきたオーナーは多分50代位の感じの良さそうなオジさんだった。
後ろを付いて別ルートを辿るとやがて刺繍工場に着いた。
工場に入るなり、挨拶をすませるとオジさんは彼の刺繍人生を話し始めた。
オジさんはお母様が経営する刺繍工場で30年働き、社長として事業を引き継いでいたのだが、7年前のある日株主であったお母様の金銭事情等の絡みから、当時自分が社長であった会社から追放されたのだ。
結局、家族の生活のために自分で刺繍会社を起こすことになったそうだ。
初めの頃は維持コストを避ける為に外注での生産を検討していたそうで、知り合いの刺繍工場の営業時間が終わってから刺繍用ミシンを借りて顧客の注文をこなしていたそうだ。
しかし、その知り合いから「その情熱があるなら自分で工場を持ってやった方が良いよ」と言われ知り合いから買い替えのタイミングで刺繍用ミシンを譲って貰い、工場を作り始めたのだ。
そもそも、刺繍屋は言うまでもなく大変な商売だ。
刺繍の技術に価値を見出す人は少なく、価格競争にとても巻き込まれやすい。
結果、単価が低く儲からない。
但し、低価格化の副作用として刺繍屋は複雑な依頼を受けたくないし、受ける技術もどんどん失われている。
実際、ISSUEのロゴは結構作りが複雑だったりするので最近まで技術面と数量面の両方で多くの刺繍屋に依頼を断られてきた。
しかしこのクレイジーなオジさんは電話をすると「一度工場を見に来て下さい」と言って手を差し伸べてくれた。
オジさんは「今となればお金も何も無い所から今の土地を買って譲って貰ったミシンを置いて事務所を作ってとにかくガムシャラだった初めの3年位が生きてることを実感した」と言う。
家族も養わなければならない中で大変な思いもしただろうが、自分で全て手作りで会社を作る充実感は相当なものだったと言う。
そして当然私はそんなクレイジーな人間が大好きだ!
オジさんは私に「拘ったモノづくりをしている人と仕事がしたい、数量は多く無くて良い、逆にいくら数量が多くても刺繍なんか安ければどこでも良いと言うような人と私は絶対に仕事しない」と言ってくれた。
刺繍サンプルは10日後に出来るが早くも完成がとても楽しみだ!
個人事業しているとこういう熱い人間と会えるのも醍醐味な気がする。