考えの水
僕の頭の中のイメージで”考え”というものは水になってるんです。
それは高校の時はじめてできた友達が人の話を聞く姿勢について、下記のように例えて話してくれたからなんだと思います。
まず頭の中にコップを浮かべてみてください。そのコップは多分、人によって様々だと思います。
他人(ひと)の話を聞くとき頭の中のコップはどうなっていますか。
今あなたのコップの中には水が入っていたとして、相手の水が注がれるとどうなりますか。
あなたの水がコップに擦り切れるくらい入っていたとしたら、溢れてしまいますよね。
だから、一度水を全部捨てて相手の水を先にいれます。そこから自分の水をそのまま足したり、先に少し減らしたり、調節する。
それが相手の話を聞く姿勢なんだと、要約するとこんな話を高校時代の友達は話してくれました。
『俺はなんでいま説教食らってんだろ!?』ってびっくりしたんですが、その考え方が面白くてずーっと覚えてるんですよね 笑
(説教って言葉が出てくるってことはもしかしたらちょっとその時の僕のコップには水が入っていたのかもしれません。自分の水は時にはちょっと意固地になったり言い訳をしたがります。笑)
多分、素直な人はみんな一度水を捨てることができる人か、とても大きなコップを頭の中に持ってるんじゃないかな?と僕は思います。
それを会話で分け合ってお互い捨てたり、取り入れたり。
頑固で天邪鬼な僕みたいな人は多分、少しずつコップの水を捨て忘れてだんだん水が入らなくなってしまったんじゃないかなーと思うんです。
若い子はスポンジのような吸収力で、歳をとると使い古したスポンジのようになってしまうって例えてた方もいました。
僕は大人になってもコップの中の水をちゃんと捨てたり、スポンジならしっかり乾燥させることできっと素直でいられるんじゃないかな?って思っています。
コップの中の水がいっぱいになってる人が悪いとは思ってなくて、僕はそういう人からは水を分けてもらいにいくようにしています。
そして最近の僕のイメージを最後に少し話します。
僕の頭の中には蛇口があって、自分のコップの中に水を注ぎます。
蛇口の栓はかなり開いていて、勢いよく水が出ています。
蛇口の栓が時々壊れたり、閉め忘れてて、水が出しっぱなしになることがあるんです。
つまり、考えすぎちゃって水がコップからずっと溢れてしまう状態です。蛇口の栓が閉められないのはオンオフの切り替えが下手くそなんですよね。
コップの中から溢れた水は手洗い器の中に、そして手洗い器からも溢れて床まで水浸し。ちょっと前までは溺れそうになるくらいにまで家の中が大洪水 笑
そういうときに、大変だ!と思って水を汲んでTwitterなんかに流すんです。
すると毎日長文の文章が投稿に溢れていって、考えすぎちゃう僕は読み手によっては鬱陶しいだろうなあ、受け流してくれるかな?なんてまた考えちゃうんです。
汲んでも汲んでも、また蛇口から漏れてきちゃったり、汲んで流すことを躊躇っちゃうんです。
だから、まあいいかって唱えて蛇口をしっかり閉めることができるように、これからノートを書き続けることにしました。あと一緒に日常の即興詩もTwitterで書いています。(Twitterまたの名をX:@amenooni)
ノートならみたい人だけ見ればいいってスタンスだから、楽なんです。
詩も一緒で伝わる人にだけ伝わればいいってスタンスだから楽なんです。
時々見たよって言って頂けると嬉しいですし、あなたの水も分けて欲しいと思うのです。
例えば何か日常で怒られたりした時、すぐ水を捨ててごめんなさいができる人。
水を分けてもらったことにありがとうが言える人、すぐ誰かに相談して水が分けあえる人。素直さが人生の宝なのではないでしょうか。
きっと水は透明なようでいてそれぞれ色があるのでしょう。水は捨てなきゃ濁ることもあります。
多分きっと代謝が大事なんでしょうね。
子供ってだからとても可愛いよね、って話でした。笑 亡くなったおじいちゃんは、認知症になってもずっと素直な人でした。でも僕はちょっぴり意固地なおばあちゃん派。
くだらない僕の雑記を読んでくださってありがとうございました。少しずつ書き続けるつもりですのでお付き合い頂ければ幸いです。
フォローや❤️はコップの乾杯のようなイメージに思ってます。頂けたら乾杯しにいきますね。