I_am_SOME
違う視点で似た様な話をアツく語ったりする。たまに説教くさくもある。昔話もよくする。 今日は飲みに付き合ってやるかって感覚で読んでもらえるとちょうどいいかもしれません。
相手に期待しすぎないというのは大事だなぁと思う。人は勝手に期待して落胆するものだから。それが怒りに変わったり落ち込んだりする要因にもなるから気をつけたい。 期待に応えようとしすぎる必要もない。プレッシャーに感じてしまったり頑張りすぎてしまう。これはよくない。 しかし、期待はつまり信頼でもあったりする。信頼できなければ人を頼ることが難しくなる。自分でなんでもやろうとすることにつながるのではなかろうか。それはとてもしんどいことだ。よっぽど容量がよかったり、器用な人ならいいかも
ちょっと胡散臭い話をしようと思う。 あなたは神様を信じますか?と問われたら、ぼくは信じてないけど当たり前のようにいると思うと答える。 とても矛盾している。神様を信じてないし、いないと思ってるって答える人がいたとする。でもじゃあなんでクリスマスを祝って、除夜の鐘を聞いて、神社で初詣するんですか?って話になってくる。 まぁ、形式的になんとなく、楽しいから。みんなが祝ってるから。って人もいるかもしれない。 僕は物心つく前から身近に宗教があって、正直宗教が嫌いだった。神様を信
人間はストレスを快楽に変えることができる唯一の生き物である。とある人が昔いってた。 何年か経って唯一ではないことを調べて知ったが、唯一でないことがどうということはない。 例えば、ホラー映画を好きになった人はどんどん背筋が凍るような映画を求める。 高いところが昔苦手だったはずなのに、気付けばジェットコースターやバンジージャンプ、果てはスカイダイビングに挑戦する人もいる。 僕はというと、辛いものが好きだ。とりわけカレーが大好物である。スパイスカレーにスープカレー、タイカレ
自分の居心地のいい場所ってどこだろう。 家がやっぱりなんだかんだ一番落ち着くなって思う時もあれば、なんだか帰るのがちょっと嫌になることもある。 1人でご飯を食べにお店にきたとする。そのお店にはカウンター席とテーブル席があるとして、お店にお客さんは数名のみ。席は両方空いていたとしよう。 「どこでもお好きな席どうぞー」と店員さんにとおされたなら僕は大体迷わずカウンター席を選ぶ。 それは別にお客さんがたくさん入ってきた時を想定した気遣いからではない。カウンター席が僕は好きだか
"公園で子供を見ながらニヤニヤする不審者です" 20後半まで時々こう言って自己紹介してたのだけど、流石に30過ぎていよいよ本気で疑われてしまう歳になったからか、あまり言わなくなっている 笑 子供の発想力の豊かさにはいつも驚かされる。。。予想だにしない角度からその鋭い感性のままに言葉をヒュンっと投げてくる。 脳裏にずっと焼き付いてる公園での子供達のやりとりがある。 1匹の蜂がぶんぶん公園を飛び回っていた。 女の子「はちさんがきました。おまわりさんたすけてください!」
服屋で働いてたとき、僕は毎日自分の中で100点は無理だから80点を目指して仕事に着ていく服を選んでいた。 その日ちょっと靴下が気に入らないだけで、20点とか30点減点。テンションがさがり、お客さんに話しかけにくなったり、ちょっとビビりだす 笑 転職活動をしてる時、スーツを着た自分を鏡で見ると20点くらいに見えてしまう。スーツほんと似合わねぇの 笑 年齢を重ねるごとに太ってしまったりして減点されることもある。 低い点数の答案用紙は大概の人が他人に見られたくはないと思う。も
"はじまりはルームシェア" 僕は小学校の頃からの友達ともう約4年ほど一緒にルームシェアをしている。 きっかけは彼が手助けやものをくれるときなど、何かをさりげなくしてくれるとき、「粋やろ?」と言うのが口癖になっていたことからである。 「いや、粋やろ?っていうてんのがもう無粋やねん」と僕は毎度答え、粋と無粋について考えるようになった。 "粋と無粋ってなんやねん" と考えた時、"粋"なことで僕がすぐに思いつくのが『侘び寂び』である。 夏目漱石でいう「月がきれいですね」の
”僕はお洒落を楽しむことも好きなんですが、どちらかといえばオタク気質なんです” 僕が服に興味を持ち始めて、アパレルの販売員をはじめた頃、何より先に服飾の歴史や生地、染色、加工、といったモノづくりの背景に興味を惹かれてたくさん調べていました。 その中で僕が特に印象に残っているのがイッセイミヤケがパリコレで発表した”一枚の布”です。 パリコレのファッションショーでイッセイミヤケはモデルに一枚の布を巻いてランウェイを歩かせました。これが国境などの線を引かない、服の原点だという
僕の頭の中のイメージで”考え”というものは水になってるんです。 それは高校の時はじめてできた友達が人の話を聞く姿勢について、下記のように例えて話してくれたからなんだと思います。 まず頭の中にコップを浮かべてみてください。そのコップは多分、人によって様々だと思います。 他人(ひと)の話を聞くとき頭の中のコップはどうなっていますか。 今あなたのコップの中には水が入っていたとして、相手の水が注がれるとどうなりますか。 あなたの水がコップに擦り切れるくらい入っていたとしたら