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フラットでありたい
相手に期待しすぎないというのは大事だなぁと思う。人は勝手に期待して落胆するものだから。それが怒りに変わったり落ち込んだりする要因にもなるから気をつけたい。
期待に応えようとしすぎる必要もない。プレッシャーに感じてしまったり頑張りすぎてしまう。これはよくない。
しかし、期待はつまり信頼でもあったりする。信頼できなければ人を頼ることが難しくなる。自分でなんでもやろうとすることにつながるのではなかろうか。それはとてもしんどいことだ。よっぽど容量がよかったり、器用な人ならいいかもしれないが僕はとても不器用だ。
信頼されて任されるということは光栄なことである。自信になる。仕事を任せてもらえないと逆に信用されてないのかな?と勝手に落ち込んだりもしないだろうか。
僕は期待をしすぎるとき、プレッシャーを感じたり頑張りすぎてしまうとき、もっとフラットでいたいなぁとか、落ち着かなくてはと思う。しかし自分の中でフラットというのは0ではない。
応えようというエネルギーは利用したい。それが原動力でもあったりする。淡々とこなす人はそれはそれでかっこいいが僕はそういうタイプじゃない。
期待したっていいじゃない、逆に相手のそういうエネルギーにもなりうるのだから。でも例え思うような結果でなくたって素直に受け止めよう。それではじめて±0としよう。
期待しすぎず、かといって悲観もしすぎない。が僕のフラットだ。することはよくて、すぎないが大事。
世の中極端な言葉の答えが溢れている。それは簡単に言えばマインドを振って楽にするため、しんどい人を救うための言葉だ。まるっとそのまま飲み込むものじゃない。
でもまるっと飲み込んだ人同士で言い争ったりもするもんだから、僕はそういう意味でもフラットでいたい。どっちの意見も分かるよ。って中立に。
フラットというのはある意味で両方のいいとこどりができるお得なものかもしれない。どっちつかずってずるいなって思うものなぁ。
フラットで僕が連想するのは平らだ。しかし直線ではない。水平や平和もそう。きっとよくみるとちょっとでこぼこしているものなのだ。