とある画家の独白

「音楽は嫌いだ。

生まれた時から音という物体がこの耳にこびりついていて、

音を楽しむという現象が生まれつき本能に遺されていて、

生まれた瞬間から僕という定義に一生付き纏ってくる感じがするから。」


「音楽を創った奴は全然偉大なんかじゃない、

知っているだけで識らなかった事を分解して、

都合の良いように楽しむと組み替えて、

人類末代まで名前を知らしめて、

世間も人間もそれを才能だと囃すから。」


「音楽を嫌いな奴は周りの何処を見ても見当たらない。

365日24時間60分60秒、いつでも何かの音が生活の中に居て、

生活音でさえも音楽だと誰かは云い、

皆この異常事態に一切気づかない。」


「絵は静かなのに、

言葉は白いのに、

写真は止まるのに、

誰も彼もがそこに音楽を結びつけようとする。

静かなのに白いのに止まるのに、

うるさくして色を着けて動かそうとする。

僕が生まれた時からそう決まっていて、

絵も言葉も写真も全部全部本当は音楽とおんなじだった事を思い知る。」


「物心つく前から音に触れていた。

母はピアノ教室の先生だったので、

家には当然の様に真っ黒なグランドピアノが居た。

僕はきっと生まれる前から、

このピアノの音をきいていて、

きかされていて、

この世に生まれる事もピアノに触れる事も音楽をやる事も全部が

決まっていた。」


「音楽を好きで良かった事なんてひとつも無い。

練習用に用意されたピアノは全部鋏で引っ掻いた。

音楽は僕を独りにしただけだった。

神童だと囃されても賞を貰っても仕事を貰っても生活が周りより豊かでも

僕の手には何も遺らなかったし僕の背中はあたたかくならないし180cmの殆ど見下ろすばかりの頭を撫でる人は居ない。」


「幸せそうな顔をしている親子を見ていると胸の中心が苦しくなる。

生クリームを塗りたくったショートケーキを頬張った時みたいに胃がどっと疲れる。

これは憎悪だ。

これは嫉妬だ。

これは羨望だ。

わかってる。

こんな時も頭の中ではピアノの音が響いてる。

その音の彎曲する響きが

まるであの愛を祝福するかのように、

まるでこの僕を慰めるかのように、

あの音楽だけが僕の傍に居る。」


「音楽は嫌いだ。

孤独な僕に最期、傍に居るのは結局音楽しかなかった。

母は10歳の頃に死んだし、父は母のピアノが好きだったから僕がピアノを覚えたら消えた。

ずっとピアノと生きてきた。

ずっと音楽と生きてきた。

だけど音楽には ピアノには 温度が無いじゃないか。

顔も頬も手も歳も無い。愛も無い。

僕に愛を教えてくれない。」


「これから何も無いまま空っぽな人生を終えようとしているが、

生まれてきた意味なんて考えても仕方ない様な人生だった。

唯一傍に居た音楽を嫌って、

他人の寄せる感情の一切を嫌って、

未来に期待もできなくて、

過去を許されないのに救われもしなくて、

碌でも無かったと呟く様に息を吐く。

愛を知らないまま哀だけ理解して藍を仰いで歩いてきた人生に、

早く見切りをつけたくて生き急いでいた人生に、

意味があったなんて大口を叩けはしないが、

死に際の今 想い出すのは

唯一愛しいと思えたあの歌を描いた君の絵の事だ。」


『きみがぼくのあいだった。』




【<br >】――――とある画家の独白


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