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ショートエッセイ:箱根駅伝は紐帯だったことに気づいたひとり暮らしの年始

 今年は箱根駅伝をほとんど見ませんでした。おそらく5分も見ていなかったです。ここまで見なかったのは人生初でした。

 去年の12月、私は人生初めての一人暮らしになりましたそれまでは1/2~3の朝は必ず箱根駅伝が今のテレビについていたと思います。同居家族は4人だったり、3人だったり、2人だったり、時期によって違いはしたのですが、元日の次の日はいつも居間のテレビに箱根路を走る学生と沿道で旗を振る人達が映っていました。お兄さんだったはずの走者たちがいつの間にか年下になり監督の方が世代が近くなったことに気づいても、その姿をしっかりと、時にはぼんやりと見る新年を過ごしていました。

第一中継所が映る頃に起きて。
エース区間のごぼう抜きを見ながら残ったおせちや雑煮、家族が大好きで毎年やたら買っていた味付数の子を食べる。
申し訳ないけど3区、4区は少しぼんやりしたり、CMの間だけ他局のバラエティを見たりが多かったかな。
5区の山登りになると「あの旅館にいつも泊まって特等席で見てる人いるんだって」などと毎年話しながら、でも展開に集中して。
復路で到着順と順位が違う理由は、幼い頃は理解していなかったな。
繰り上げスタートって、なんであんなに切なかったのでしょう。
いつからか、走者の高校名を見ることが楽しくなっていました。
ゴールの瞬間を見ると、年始が終わるなって感じがちょっとずつしてきたような。

そんな1月2日、1月3日を過ごす日々でした。

 今考えると、きっと箱根駅伝は無難だったのでしょう。
 家族個人個人の趣向は近いところもあるけどバラバラです。ちゃんと探せばきっともっと見たい番組、もっと合っている番組はあるかもしれません。
 でも、あの時間の日本テレビにチャンネルを合わせればとりあえず「まあ箱根駅伝は一年に一回だしな」とある程度みんな納得できました
 年始からチャンネル争いなんてしたくもないし、なんとなくみんなで見て、みんなで共通の話題にできる。年始の家族の「紐帯」になってくれる。襷とは違う形で家族をつないでくれる。わが家にとって箱根駅伝とはそういうものだったのでしょう。
 だからこそ一人暮らしになって、そんな紐帯がいらなくなった時、自分勝手にテレビでもネットでも見たいものを見ればいいとなった時に箱根駅伝を見ない年始がやってきたのでしょう。箱根無き正月は私と言う人間の変化の象徴なのかもしれません。
 もちろん今年は痛ましい出来事がありましたが、きっと家族みんなで暮らしていたら「ニュースを見たいかどうか」で意見が割れるのを避けるかのように箱根駅伝をみんなで見たんだろうなと、そんなイメージが在りし日の記憶とともに浮かび上がっても来ます。。
 そんなことを思いながら日常が少しずつ近づいてきて、私は「この年始は暇あればnote書いてたな」なんてことを考えています。今週中にで2本は書きたいのですがどうなるでしょうか。

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