見出し画像

小説で知らない言葉を知ると劣等感を感じる人がいるらしいということ

元のツイートの引用はしませんが、

「小説で知らない言葉が出ると作者が知識をひけらかしているように感じて劣等感にさいなまれる人がいる」

とのことです。で、結構批判的というか、

「自分はむしろ嬉しい」
「調べればいい」
「自分より語彙の少ない人の文章読むほうが嫌だ」
「そんなプライド持っても仕方ない」(これはもっとひどいこと言ってるけどマイルドに書きました)

とか出てるんですけど、個人的にはそんな「心を入れ替えて」「気の持ちよう」的なこと言ってもその人が小説から離れてしまうだけなんじゃないかと思うんですね。SNSって揶揄が目立ちやすいですからどうしてもそういう意見が見えやすいところもあるんでしょうが。僕もそういう知らない言葉に出会う楽しみを知ってほしいとは思うんですが、では、どういう作品に、どういう形で触れればその人は小説で言葉を知ることの楽しみを知ってくれるだろう?その作品は自分に書けるだろうか?という考え方の方がいいんじゃないかなぁって。
 それと別の話で、僕は小説を書く際に、できるだけ平易な語彙で書きたいと考えています。それは僕の作品がわりと構造とか展開が複雑になるがゆえに、言葉でつまづいちゃったらほんとに読んでくれないだろうなって思いがあります。あと、わりと言文一致的な思想を持っていることに最近気づきました(笑)
 それに、最初にあがってた方の気持ち、ちょっとわからないでもないというか、作品によってはひけらかしと感じることもありますからね。有名なSF作家さんでそれに引っかかって途中でやめてしまった作品があります(笑)
逆にいうと同じようにわからない言葉でも作品によっては気にならないんですよね。多分それはディティールの違いから生まれるんだと思っていて、例えば文の流れからわからない言葉の意味が推察できるとか、作品の中にも言葉の意味が分からない存在、つまり読者と同じ目線で物語に参加するキャラクターがいるとか、難しい語彙があっても、密度としてはあまり詰まってないとか、そういうのがあるんじゃないかな、とか。
 ただ、別にそういうディティールがある方が「よい」ってことではなくて、難しい語彙を詰めなければ表現できない世界もあるでしょうから、先ほどのように難しい語彙に劣等感を感じる方は、そのようなディティールの工夫がされている作品に出会って、そこから小説の新しい楽しみ方を見つけていただければいいなと思いますね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?