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6.3日誌(私は)

ひゅっけです。
Xでとあるアカウントをフォローしているのですが、それが「今年も残すところ何%か」を教えてくれるアカウントでして。まぁ、いわばbotみたいなやつなのですが..。あれ手動なんですかね?あれを見ていると、頑張って生きていかなきゃって思えるので好きなんです。ちなみに今年も残すところ60%とのことです。張り切っていきましょうと言いたいところですが、どうも完全に前向きになれなくてですね、今回保育とは関係ない自分語りをしていこうと思います。あの、感情って文字起こしすると整理つきやすいって言うじゃないですか。そうそう、その感覚で。暇があったら、こんな拗らせアラサー女の記事でよければ見てやってくだせえ。







コンプレックスの話。





書こうと思ったわけ

こんな話、書かないほうが良いんですよ。それが正しいと思っていたし今も思っている。でも書こうとした、何故か。もうね、苦しいったらありゃしない。いつまで自分から目を逸らし続けるんだ、と。「逸らしてない、これは自己防衛だ。」となんとか正当化してきましたが、そろそろ痛い。もう見てられない自分を。これを克服といいますか、強みに変えていかないと自分を受け入れて次のステップへ行くことができないと判断して今回、筆を走らせている訳でございます。あくまでも過去の自慢話ではなく、なんやかんやで自分の選択に自信もててないんじゃないのっていうところに結末をおいて、「じゃあどうしたら自信持てるの」という前向きな思考へ自身を導いてやりたい…そんな次第です。



結局後悔してるんじゃん

遡ること高校時代。私の暗黒時代でもあり、黄金時代。
以前自己紹介でも話しましたが、私は県立の普通高校の音楽科に属してました。ピアノ専攻しており、今も覚えてます、木曜日2限と3限のレッスンの時間。ぞろぞろと非常勤講師がレッスン室にやってくるあの緊張感。
具体的に説明すると、高校が生徒に専攻楽器を教える為だけに雇っている講師が要るんですね、素晴らしい肩書とご活躍をなさっているその方々から、1から22まであるレッスン室で1on1でぶっ通しの授業を受けるわけです。時々4限に遅れるときもあります。音楽科の生徒は暗黙の了解でそれを許されます。一般科目の教師陣もそれを理解しています。
私はその中にいました。
忘れもしない。あのときは打ち込む何かがあり、競争するなにかがあった。認められたくて泣きながら練習した。「そんなの当たり前だろ」と思うかもしれませんが、いや、それでも言わせてくれ、泣きながら練習をしていたんだ。ピアノだけじゃない、音楽理論も学んだ。夏休みの課題に混声3部合唱曲1曲作ってこいと言われたときにはゲロ吐くかと思った。
「えー無理だよ」と言っていた友だちは着々と音符を書き始めていく中で、私の手だけは夏休み1日目と大差なかった。それでもやりきった。父が作曲している隣で、仕事場で事故って肋骨を6本折って帰ってきたあのときも私は横目で音楽をしていた。「おい!病院連れてけ、早くしろ!」と痛みで母に怒鳴り散らかす父の声と、夏の匂いと、作った曲はしっかりと紐づいて覚えている。ドイツ歌曲を家で歌って練習していたときには、弟の友達に笑われた。それでも私はやらねばドイツ歌曲の試験に落ちるから、死ぬ気で歌った。ソルフェもやった。少しずつ4声が書き留められるようになってきて、純粋に「何かに打ち込むことで伸びていく自分のスキル」にうれしく思った。ここからはもう楽しくて仕方なかったわけです。

高2のある日、私にレッスンしてくれていた先生が実技の試験の後に「あなたは音大に入れるほど成長した、目指してほしい」と言われた。
何度も。
何度も。
「〇〇(名字)!上手くなったわね」と担任の先生にも褒められ、音大を進められた。
何度も褒められた、何度も。

私は弾ける、弾ける人だ。
音楽史も音楽理論もわかった。上には上がいる。「道化師の朝の歌」なんて絶対に弾けない。「ラ・カンパネラ」も弾けない。それでも私は音楽科で生き延びた、ということは弾ける人なんだ。


自信だった。
受け入れられた。何度も泣いて、悔しがって、妬んで、拗ねて、練習した。
下手だ、と言われたこともあった。たくさんあった。
でもそれでも最終的には弾ける人になっていたから。

それが自信だった。
でも









過去の話だ、そんなこと。





保育科の短大に行くと決めると、担任は私と口をあまり効かなくなった。
ソルフェのクラスも下の方になった。友達は「戦争のソナタ」を得意げに弾いた。
「どうだった?」と言われたが「すごいよ、そんなに弾けて…」
としか言えなかった。「えぇ?下手くそとか言っていいだよ」と言われたが、んなこと口が裂けても腸引きずり出されてもいえなかった。
気がつけば、もっと頑張れたんじゃないかと思う日々だった。両親がお金をかけてくれていたが、それに見合う努力はしてなかった。もうこの際言う、全然頑張れた、まだまだ。やれたはずなのにやらなかった。
私のレッスンについていた非常勤の講師はその年音大進学者を出さなかったことになるので、割と落ち込んでいた。家に帰れば音楽じゃ食えないと父にこんこんと言われた。私はこの言葉は本当は音楽じゃ食えないのではなくて、「練習しないのにお金を出してたまるか」という思いが含まれていたのだと思う。
誰もが私のせいで悲しみ落胆した。
母は私と二人三脚でピアノをしていた。コンクールのときも母が一番厳しかった。練習部屋で練習していると台所から「そこ音が違う!!もう一回やり直して!何回も練習して!」と叫び声が飛んできたもんだ。
そんな私が金を出すに値しない結末を迎えたこと、保育の道へ行くこと、ずっとお世話になった先生に頭を下げなくてはならないこと….母はその時なにをおもったのか、今も怖くて聞けない。

私は結局、後悔をしています。
もっと練習しておけば
音大に入っていれば
そう思ってやまないのです。いつもふとした瞬間に思います。
私は不完全燃焼の過去に色々文句をたれて、自分を納得させてなんとか逃げてきていたのだと思います。そうやって自分を庇うことで精一杯だった、なんならそれしかやることがなかったといっても過言ではなかったはずです。
保育は美しい、楽しい、幸せだ。しかし、クラシックの世界からずいぶん離れた場所にいるなと寂しくなるのが本音です。
ずっと後ろ髪引かれる思いでいるのです。
これがだんだんと私の性格を捻じ曲げていくのでした。
何度ピアノを売り払おうと思ったか、そのたびに夫は私に言いました。
「お前はピアノを捨てるな、絶対捨てるな、音楽を辞めるな」と。
 もはやそれすらも「弾けないお前に何がわかるんだよ、言ってみろよ」と思いました。でも、口にはしませんでした。



想像が容易かったから、彼のその優しさと私がきっと音楽を捨てたくないと思ってるということがわかっていたのではということが。





保育にクラシックは必要ないのだと

「まあとはいえ、ピアノ弾けりゃ業界的にも重宝されるだろ」
と軽率な感情を抱いていたのは声を大にして言えない本音です。
ですが、案外そうでもないんですよね。
最近では、「ピアノが苦になってしまうなら動画サイトやCDや音楽系のサブスクリプションアプリを活用してみんなで円滑に業務回しましょうや」
って考えが広まってきてます。
素晴らしい、実にいい考え。
明治時代、「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」とよくいったもので、同じような風が吹いているな、と上記の考えに触れたときに思いました。


ただ、私の市場価値が消えていく音も同時に聞こえて来ました。
「いや〜まいったな、弾ける・弾けないから弾かなくて良いに落ち着いたもんな」
と。
おわかりだろうか。あんなに「落ちた、落ちた」と自分に思っていながらまだ弾けない側に回るのを拒んでいるのです。
見るに耐えないプライドが邪魔をしてなりません。これを少しずつ受け入れるので、まだ読んでてくださいな。


自己申告するときもあります。「私ピアノ多少弾けますよ」と。
でもね、これ一回墓穴ほったことがありまして。
申告したときは「すごいね」とリアクションを頂いたのですが、何かのときに「ほらwひゅっけ先生は音楽科!だもんねw」と言われたことがありまして。
ああ、ああ。誇張してません。本当にこの言い方でした。私われて嫌だったことの記憶の解像度高いんですよ。全然いまもそれを言われた時間と明るさと匂いとメンツを思い出せます。
 それ以来「なるほど、あまり自分の長所を全面に出すと馬鹿にされるのか。めんどくせえ業界だな。お前も練習してみろよじゃあ」と思い、言うのをやめました。
あと純粋に私、クラシックあがりなので「ねぇねぇなにか弾いてよ!」と言われるときも、「えーじゃあ..」と平均律グラヴィーヤを弾き、「ぇえ…すごいね。わかんないや」と場がシラけるのがオチ。これね、まじで耐えられないんですよね。
なんだよそれ、と。
「なにか」弾いてと言われたから、「なにか」を弾いたまでで、そのなにかにあなたが本当に弾いてほしいジャンルがあったのにも関わらず、それを伝えず、全然的外れのジャンルが来たら「わからないや」は酷くねえかと。これを繰り返されると落胆しすぎて、さながら気分は「夜に駆ける」のMV。

ということで、私は1つの結論に至りました。


弾ける・弾けないは世間的には速弾きとポップスが弾けるか否かにある。
クラシックを弾けるのは弾けないのも同然。ましてや、保育業界にはもっと必要なく、本当に必要なのは「さんぽ」を上手く弾ける能力だ。


この持論を導き出したはいいものの、飲み込むまでに時間がかかりました。
でも飲み込めなくはなかったのでした。体験してきたから。



「弾けない」がガチ

少しずつ、自分から自分の強みを披露しなくなりました。
自己紹介文にも「お酒が好き」としか書かなくなりました。
「本当は….」と思いつつ、もう特技とするのも辛くなりました。ただ、その理由は他人が要因としてありました………

が。


 日々の業務に追われて、少しずつ鍵盤に触れることもなくなりました。
ピアノよりも、子どもたちへどんなアプローチをしていくかと考えたり、「本来のよりよい保育とは」とか「子どもの最善の利益とは」とかを考えていたほうが群を抜いて楽しく興味深く、真剣になれるものであると思い始めました。この業界においては、それが正しいともおもっておりましたし、今も思ってます。それをマストで考えなければならないのです。
ただ年に1回、ピアノを弾かねばならない時期が出てきました。
卒園式シーズンです。
他職員はそのシーズンになるとピアノが弾ける職員を血眼になって探しますが、そのときによくバレます。「え?!ピアノ経験者なの?!話はえーや!!」と4〜6曲任せていただけます。
ありがたい、本当にありがたい。
私はその曲数に高揚感を覚えておりました。
唯一私が現場に貢献できることはこれしかない!そう思っていたので、他職員のちからになれることが何よりも嬉しいことでした。

ただ__。
全然指が動かなくなり、譜読みの速度もぐんと落ちていたのでした。
それを練習のたびに感じました。
3年前より2年前、2年前より去年..と言った具合に、年数が重なれば重なるほど、拍車をかけて弾けなくなるのでした。
特に小指と薬指。この2本は両手とも使い物にならなくなっておりました。
私は愕然としました。
音も汚くなっており、何度練習しても指は思うように動いてくれません。
なんでだ。
なんでなんだ。
あんなに「弾けてた」じゃないk_____





 弾けて「た」????
「た」なのか。
私はもう弾けないのか。そうなのか。こんなに指が回らないのは、弾けないからなんだ。そうか、そうだったのか。これが私の末路か。
もう、強みではなくなったことをこのとき確信しました。それが2年前?かしら。ついに特技にしない理由が他人ではなく自分になりました。

ここからはもう、案外楽でした。ピアノの蓋を閉めてなにもしなければ良いので、頑張ることやプライドを持ち続ける必要もなくなりました。もうプライドもクソもなくなりました。
これでまっさらです。

昨年度の卒園式での演奏はひっどいものでした。でも大丈夫。だって弾けない人なのに一応やってのけたのですから。



まったくめんどくさいやつめ

「お前まじでめんどくさいよな」と夫からよく言われます。
そう言われるたびに凹みます。と、同時に「私ってば、人間してる!ほんとかわいい!」とおちゃらけて現実逃避をします。
でも面倒くさい人だと最近になってよくわかるようになりました。
遅すぎます、遅すぎますよね。遅すぎるんですよ。
さっき、「もうまっさら、何もない!」と言いましたが、まっさらな時間が進みゆくに連れて、次第に「弾けていた過去を羨む」ようになってきたのです。
あのときはなにかに打ち込むことができていた。生き抜こうとしていた。
そう思うと、戦える武器などなにもない気がして生に対して悲しさしか覚えなくなりました。
こんな虚無感を感じながら他に生きている人がいるとしたら、どう乗り越えているのか私にはさっぱりだとずっと思ってました。


私は理論が破綻しております、常に感情優先。
今私こう思ったからこうしたい、やっぱりよくよく考えたらこう思った。
きっとあのときは冷静じゃなかった、だから今こう考えている。
ああ、やっぱり、やっぱり…。
なにかにつけて感情を優先し、時に盛大に失敗をします。
んで、へこむ。へこんで考えるのが疲れたら馬鹿になるフリをする。
それで感情をまた優先し、馬鹿になる。何度も何度も本質に向き合うことを恐れて、蓋をし馬鹿になっていたら、いつの間にか本当に馬鹿になってました。もう正常な判断なんでできっこなくて大事なときは誰かに助けを求めて、落とし込んだ感情をさも自分で見つけたかのように振る舞う。

気づいたらもう心なんで空っぽです。ピアノだけなら良いんです。
ですが、様々な場面で考えなくてはならないときに、この思考は影響を与えました。
本当に面倒くさい。
なんとかしなくてはならない。
もっと感情的に、自分の意思を持って。
自分に強みを出していかないと。
まずはピアノに対する考えを変えていかねば。


少しずつ応えを導き出して行けるようになりました。
それは





うごく

動かないことには何も始まらないと思いました。
もう一度、ピアノを開きました。ピアノが弾けていた日を羨んで要るのなら、もう一度弾けていた日まで自分を引っ張り上げるしかない。そう結末を出すようになりました。
そして今、少しずつピアノを練習しておりまして、最近では「苦手だと思ったこともやってみる」ようにしております。
この2つを並行して行うと自己肯定感が高まっているような気がしてきました。
今日も動けた!ピアノ上手くなっている!
苦手だと思ってたこの料理も案外美味しい!
少しずつ閉鎖的な私の世界が美しくなってきています。
ハノンを弾いてバッハを弾いてツェルニーを弾いて、→Pia-no-jaC←さんの曲を弾いて…とても充実した日々を過ごしております。
いまはあの頃のような後ろめたさは感じておりません。
ピアノ弾けます、練習できますと公言するようにしました。いつか誰かとセッションできたらいいなと舞台の上に立つことも憧れております。
コンプレックスを自分で叩き潰す…少しばかりではありますが、できたのかなと思います。
人生難しい、本当に難しい。
やらなくてはならないことって何故こんなに労力使うんだと心底思っておりますが、どうやら乗り越えた先の景色はとてもきれいなものだと薄々わかるようになりましたね。
時々熱血自己啓発本が「行動せよ、さすれば変わる」と言ってますよね。私はそれを鼻で嘲笑し、「馬鹿言ってんなよ、そんな人生明るくねぇし、このマインドでは行動する気もねぇよ。人生RTAして〜」と思っておりましたが、いやいや、1歩だけ踏み出すだけでも人生は色づき、等身大の明るさにはなり、目の前くらいは照らされることを知りました。そして自分を少し好きになればRTAしなくても良いのだと思います。
熱血自己啓発本、あのときは笑ってすみませんでした。行動はすごいです。
本当に自分を好きにさせてくれます。



とはいえ100%ではないから

だからといって、「オールジャンル、全部行動してポジティブに生きてます!」ではないです。
もうなにもできてない。臆病ものです。
「理解してても行動できない」部分はまだまだあるってわけです。
それに対してもまた悩んでます。なにかを理由にしてやる・やらないを決めてしまうこの私、まじでリセマラできるなら早いところやりたいくらいですが、そんなことしても私の命や今までの人生への冒涜でしかないので絶対にやりませんよ。
とはいえ、コンプレックスが解消した次は、私の性格の問題が浮上したのでここを叩かねばなりませんな。
課題は山積みです。
いつなくなるんだよ。
早く私の人生そのものが、「まずは行動を!」を体現したような人生になるようにしたいですね。それにはまず行動…..嗚呼、なんか滅入ってきたな。






ほらみろ、すぐ滅入る。






おわりに

クソ面白いのが、結局時代は繰り返されているということ。
なにか新しいことを発見したが如く自分語りをしましたが、結局、端的に言いますと…

ピアノ弾けてる私すごい!→音大行けないの?→保育ピアノ必要じゃないじゃん(きゅぴ!)→ピアノ弾かない私に価値はないだろ→価値生み出そ→ピアノひこ

これですね。
結局夢中になれるものは、人生いつだって変わらないのでは?
だってあの頃情熱を少しでも注いでいた高揚感なんて忘れる訳ないだろう。そうだろう。誰しもの心に少年ジャンプがあるように。
私の心には、幼少期から家でかかってた「ラ・カンパネラ」があるのだ。
そこに正直になったほうが良いってことだ。

…これ世に放つの!???と思っていたら、書き始めから2周間くらい経っておりました。
いやねぇほんと、筆が進まなくて。
でもまぁ。
私は少し気持ちが整理できたし、何より自分の良くない点も露呈したので、良しとします。
これは誰かに向けて何かを書いたわけじゃない。
自分のために書いたものです。
私はこれからもコンプレックスを生み出し、絶望し、泣いて笑って、コンプレックスを解消し、また生み出すのです。
その都度「こうやって生きていた!」と残していきたい。

保育の話じゃなくてもいいかい?いいよな、私のページだもん。
構わないだろう。


最後にこれだけは言っておきたいです。
決して弱みを潰すことだけが正義ではないからな。
弱い部分があって初めて誰かに優しくできることもあるから、私の正義で誰かをぶっ叩こうってつもりも一切ない。
あなたが、あなたのままで今日も明日も笑ってくれるならそれはそれで100点満点ですし、そんなあなたが私も大好きです。

これからも一緒に生きていきましょ。
私も27年間生きててまだ人生チュートリアル済んでないのかってくらい生きるの下手くそですが、明日もあさっても寝て起きてを繰り返しますから。

書き終わる頃には、今年も残すところ54.4%になっておりました。
ときの流れに身を任せていたら、簡単に1年おわりますな。
きちい、きちい。


では、締めはこのくらいにして。
自分の嫌いな部分を大好きになるまでの話でした。
大丈夫、こんな私でも社会から追放されずに生きることができておりますよ。




それでは。

明日もご安全に。



ひゅっけ









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