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『鳥人戦隊ジェットマン』から抜本的に変化した戦隊シリーズの最大の特徴は「変身」にこそある

今年は戦隊50周年ということもあってか、歴代戦隊のパイロットが『秘密戦隊ゴレンジャー』から配信されているのだが、改めて90年代は激動期なだけあって今見直しても個性的で面白いなと
『電磁戦隊メガレンジャー』はまだ現役配信中だから仕方ないとしても、90年代戦隊のパイロットで今の所『超力戦隊オーレンジャー』『救急戦隊ゴーゴーファイブ』が配信されていないの仲間外れ感が凄い(笑)
とりあえず「ゴーゴーファイブ」くらいは加えてやってくれ、「ギンガマン」とは完成度とクオリティーの高さなど総合的には及ばんかもしれないが、まあいい作品なんだよこれが。
冗談はさておき、最近見直していて思ったのが、『鳥人戦隊ジェットマン』以降で大きく変わったポイントは「変身」にこそあるのではないかと思う。

『ウルトラマン』然り『仮面ライダー』然り、戦後日本の特撮ヒーローの売りは何なのかというと一番は「変身」である。
この「変身」という特徴は日本の伝統芸能の「能」から来ていると思われるが、スーパー戦隊シリーズが『ウルトラマン』『仮面ライダー』に比べて設定の詰めが甘かったのは正にこの「変身」だろう。
ウルトラマンや仮面ライダーがなぜ今でもシリーズものの原点にして頂点なのかというと、「変身」自体にロマンというかドラマが詰まっていたからではないかと思う。

例えばウルトラマンは地球人たるハヤタ隊員の体を宇宙人であるウルトラマンが借りる形で人格を乗っ取り、表向きは擬態しつつもウルトラマンという宇宙人に変身する。
ウルトラマンにとっての「変身」とは「地球人」から「宇宙人」という「異質の存在に変わる」ことが売りだったわけで、だから今見直しても神様ではないが神秘的に見える存在だ。
一方、仮面ライダーにとっての「変身」とは「人間」から「怪物」という「異形の存在」へと変質するという悲劇的かつ孤独な要素が漂っており、それがウルトラマンとの差別化に繋がった。
ウルトラマンも孤独ではあるが悲劇的な要素は全く感じられないので、仮面ライダーは後ろに常に暗いものというか痛みを背負って生きている存在だろう。

これに比べてスーパー戦隊シリーズはどうだったのかというと、『秘密戦隊ゴレンジャー』のパイロットを今見直してもやはり「変身」という要素はイマイチ薄い。

『仮面ライダー』の1話と比較してみてほしい、ここに脚本家・伊上勝と上原正三の作家性も含めて単体ヒーローと集団ヒーローであることの違いが現れているはずだ。
「ライダー」敵組織からのドロップアウトというか裏切り者であり、そもそもなりたいと望んでヒーローになったのではなく「なってしまった」ことからドラマが生まれる。
一方で「ゴレンジャー」は冒頭で敵組織たる黒十字軍の猛攻から命辛々逃げ延びた5人の若者が抜擢されているが、その描写は「変身」という要素の必要条件ではあっても十分条件ではない。
「ゴレンジャー」最大のウルトラとライダーにはない最大の違いが「チームワーク」であり、何より5人揃った時の名乗りの見得切りが最高にかっこいいのである。

そしてゴレンジャーストームがそうであるように必殺技も「5人揃わないとできない」ことにこそ最大の魅力があり、この点においてはチームヒーローであることの必要十分条件は満たしている。
しかし、そのことと「5人がわざわざ変身しなければならない説得力」はまた別問題であり、変身シーンも「ゴー!」と叫んでジャンプすれば簡単に変身できてしまう
ウルトラマンや仮面ライダーと違って「変身バンク」のようなものもなかったから、変身それ自体にドラマはあまりなく精々が「強化スーツ」を纏っている程度にしか感じられない。
つまり「チームヒーロー」の必要十分条件は満たせていたとしても「変身ヒーロー」としての必要十分条件は満たせておらず、その辺りの掘り下げが甘くドラマ性が薄いのだ。

これに対して『ジャッカー電撃隊』以降は様々な形で変身バンクを設けてドラマを作ろうとしていたのだが、それでも『地球戦隊ファイブマン』までは「変身」自体にドラマツルギーはない。
『地球戦隊ファイブマン』までを見てもその辺りは掘り下げが甘く、なんとなく「戦隊といえば5人揃って変身して戦う」ことだけが暗黙の了解という形で進められていた。
そこに抜本的なメスを入れたのが正に『鳥人戦隊ジェットマン』であり、「ジェットマン」からは「チームヒーロー」であることと同時に「変身ヒーロー」であることの意味も問い直している。
是非とも『鳥人戦隊ジェットマン』のパイロットを見てほしい。

ここで見ていくと、ジェットマンは変身前にバードニックウェーブを浴びており、変身前に超人(鳥人)的な能力が与えられ、変身後は翼で飛ぶ能力が付与される
正にこれは変身前にはない能力であり、この能力を付与されて以降『恐竜戦隊ジュウレンジャー』以降のファンタジー戦隊ではよりその傾向が強くなっていく。

「ジュウレンジャー」「ダイレンジャー」「カクレンジャー」では変身後にモチーフとなる動物のアクションが更に洗練された形で付与されていく。
そして「カーレンジャー」「メガレンジャー」ではここに「変身しなければただの一般人」と設定したことで「生身じゃ勝てないから変身する」という差別化を徹底した。
正にここに「変身ヒーロー」であることのドラマツルギーが生まれ、それが最終的に完成を迎えたのが『星獣戦隊ギンガマン』の第一章で示されている。

Bパートの変身シーンでは兄・ヒュウガを沈められたことへの怒りからリョウマの秘めたる闘争心に火がつき、ここから一気に銀河転生まで持っていきテンションを上げる。
変身後では変身前のアースと剣術に加え、星獣から付与されたアニマルアクションが変身後独自の能力として付与され、ここで1つの到達点に至ったのではと思う。

もちろん「ゴレンジャー」〜「ファイブマン」までも変身前と変身後の差別化を図る試みはなされてきただろうが、それがドラマツルギーとして試行錯誤され完成を迎えるまでが「ジェットマン」〜「ギンガマン」までの歴史ではなかろうか。
いずれこのあたりももっと掘り下げて語りたいわけだが、「チームヒーロー」であることと同時に「変身ヒーロー」であることの意味を90年代戦隊は色んな方面から考えていて、そのプロセスが今見直しても非常に面白い。
この辺りの考察・研究ももっとなされていくべきだと思うわけだが、本当そういう意味ではスーパー戦隊シリーズの考察・批評・研究の水準はまだまだ低いから今後いいプレゼンテーションを考えておこう。

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