結局のところ人間関係というものはほとんど「手のひら返し」と「誤解」で成り立っているのではないか?
私がXを辞めた理由の1つをこの漫画はよく分からせてくれた気がした、今ネットで流行っている「メスガキ」とか「ツンデレ」とかってものはほとんどこれなのだ。
愛情の裏返しのつもりがその愛情が相手にきちんと伝わっていなくて「都合のいい手のひら返しするんじゃねえ」って突っぱねられてしまうという最悪のパターンである。
まあこの漫画の場合、自分が肩を壊していて再起不能かもしれないという事情を隠していたことにも問題はあったのだが、残酷な人間関係の縮図を見せてもらった気がするのだ。
解説を入れると、野球を諦めたフリして必死に復活に向けて水面下で努力していた男の裏の部分を知らず、女は自分が叱咤激励したつもりになっていただけ。
要は「ありがた迷惑」というやつで、叱咤激励していたつもりの女は善意でやったはずのことが男にその意図が全く伝わらずに空回りしていたことに気づいていない。
一方で最初は計算高さもあった女の方はたとえ落ちて一人になったとて、態度を変えずに一人の男を応援し続けたことには変わりないのだから、そりゃあ男とキスする権利が与えられる。
まさに「言葉よりも行動」とはまさにこのことで、心で何を思っていようが計算高い女の方が行動で男のためになることをしていたわけで、こういう変わらず接してくれる人の存在はありがたい。
「まさかの友は真の友」とはまさしくこのことであり、本当に自分にとって大切な人は自分が上手くいっている時ではなく窮地に陥った時にこそ手を差し伸べてくれる人であるということだ。
人に対する気持ちはそれが好意的なものであれ悪意的なものであれ、きちんと偽りなく素直に伝えないと伝わらないというしごく当たり前のことを教えてくれる教訓話だ。
考えてみればごく当たり前のことなのだが、その「当たり前」が決して「当たり前」ではないということをよく分からせてくれる話ではないだろうか。
しかもラストは奥底でめちゃくちゃ計算高い女の方が勝ってしまうというお話だが、私も黒羽翔さんも実はXでこれに近い経験を2年近く前に経験している。
それこそ2年ほど前にXで一時期交流を持っていた「戦隊ファン(特撮オタク)」を自称しているにわかファン、まあ名前を挙げるなら江ノ島・まぐ・八景島・えるある子辺りがそうだった。
かつて、私が運営していたホームページの記事の隠れ読者だったことから私に近づいたのだが、面白いことにその人たちは今ほぼ全員が掌返しで私のアンチに回っている。
特にまぐの特攻はもう今思い返すと笑い物であり、本人としてはこの女のように敢えて批判することで私に好意を差し向けたつもりのようだが、私にとってはただのノイズでしかなかったというわけだ。
それこそえるある子も同じ、本人は私の行動・言動・記事を執念深く観察し続けて陰口を叩いて注目を向けようとしたらしいが、こちらも同じく奥底の卑劣な魂胆が見え見えである。
えるある子に関しては私のことをかつて「新自由主義」という、全く馴染みのないよく分からない経済用語で陰口を叩いていたようだが、詰まるところは自分に意識を向けて欲しかったのだろうな。
まぐに関しても同じだし江ノ島が私のめんどくさいところを見て勝手に失望して離れていったのも同じこと、最初は好意で始まったことが途端にあるきっかけで憎しみ・悪意へと変わる。
そしてそういう相手に限って、その憎くて叩いている相手が成功しうまく行き出した瞬間に手のひらを返して「俺はお前のことを信じていたんだ」と心にもないことを言う。
いかにも「ワシが育てた」的なことを突然に主張して都合よく自分の好感度を上げるために利用してくるという、全くもってけしからん輩しかいない。
言葉を選ばずに言うなら、抽象度の高い思考力を持って正しい日本語を用いて大人の会話ができる人があまりにも少なすぎるというある種の孤独がこの話を通して描かれている。
周囲がどう言おうがどう思おうが、目的・目標に向かって一心不乱に頑張っている人を後ろ指差して笑う権利などどこにもない、それをする権利など誰にもないはずだ。
そう理屈でわかっていたとしても、人間は感情の生き物だからついついその時の自分の感情や気分に釣られて普段は思ってもないことをやりたくなる生き物である。
相手がそれに気づくか気づかないかの話ではあるのだが、人間関係とはほとんどの場合「誤解」と「手のひら返し」で成り立っているのではないかと思う。
もちろん私とてそれは例外ではない、何かと自分が目をかけていた相手がその信頼・信用に応えてくれる人ではなかったら、もう見切りをつけて次に向かうだけだ。
けど、それはなるべくやりたくないから、私は長きにわたる人間関係をきちんと構築して忖度なく話をさせてもらった上で、自分が本当に心許せる人にしか本音は話していない。
そしてその本音はこういうところには載せていない、あるいは有料記事でしか載せていないのだが、SNSやっている奴らにそんなことがわかるわけもないだろう。
私は基本的に人類という生き物はごく一部の例外を除いて根本的に愚者しかいないと思っているし、経験則としても理論としても94%が信用に値しないというスタンスは変わっていない。
これは何も今殊更にそう思うのではなく、幼少期の頃から人間とは根本的にそういう生き物であることを直感レベルで体験してきたからこそ思うのである。
だが、他者がどうあれ自分がそうならなければいいだけの話だからと思うと、人間関係で余計なストレスを抱えずにやってこられたというのが私の実感だ。
相手の本質を深くまで踏み込み理解することもしないで、わかったつもりになって愛情の裏返しみたいなズレた叱咤の言葉をかける、これがいかに情けなく浅はかで哀れか。
昨日の小林良平にしたって結局同じようなもので、別に小林良平という元役者に何の感情も抱かなければ、何の興味もなければ感情的に苛立つこともなかったはずである。
自分にとって真に価値のある人間なんてそうそう出会えるものではない、いい人だと最初は思えても深く付き合っていくとどこかでボロが出てしまう。
そんな「手のひら返し」と「誤解」で成り立つ中で自分を成長させてくれる素敵な人たちに出会えるというのはそれだけで価値あることなのではないか。
私はそういう意味では94%の有象無象には好かれなくても6%の本物に好かれればいいと思って生きているし、今まさにそういう世界になってきている。
その決して当たり前でない事実に感謝しつつ生きていけるようにしなければとこの漫画を見て思った。