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喧嘩して絆が強まる、友情が深まるなどというのは所詮幻想でしかない!『デジモンアドベンチャー02』11話の太一とヤマトの「雨降って地固まる」論の怖さ

以前にこういう「MBTI別の怒り方」に関する記事を書いたわけですが、その観点で「02」11話の太一とヤマトが大輔たちに語る「雨降って地固まる」論はどうにも幻想でしかないんじゃないかと思います。

「ケンカもしないでいたら、一生友達になんかなれないんだ。だからどんどんケンカしたほうがいい」

こんなことを太一は言うわけですけど、私は正直リアルタイムでこの話を見た時に「何言ってんのこの爆発頭は?こんな時代錯誤な根性論丸出しのいアホが前作主人公だったとか嘘だろ」と思ってしまいました(苦笑)

まさに猫ミームのヤギ(太一)とhuh猫(大輔)であり、典型的な探検家(SP型)と外交官(NF型)の違いを見た感じですが、私は誰がこんな諺を作ったのかが不思議でなりません
もちろん太一とヤマトの語る友情論は無印だと実際にその通りに描写されてはいましたが、あくまでも「太一とヤマトのケースがたまたまそうだった」だけじゃないでしょうか。
デジモン専門家の大山シュウもこのように指摘していました。

これは太一たちの経験則であり、また前作ファンへの提示でもあるのですが、確かにその通りながら真実のすべてではないと思います。
現に、当の大輔と賢の友情のかたちは太一とヤマトとはまた別のものでした。

実際、太一とヤマトは探検家(SP型)のESTP(起業家)とISFP(冒険家)だから口より先に手が出るわけですし、また「男なら拳で語り合おうぜ」を地で行く大兄貴もこのタイプではあるのでしょう。
しかし、わざわざ己の心の内を人様に誇示して何がわかるのかと思いますし、関弘美をはじめとした作り手はたまたま喧嘩で仲良くなった昭和世代だからそう思い込んでるだけなんじゃないか?と思うのです。
現に私は生まれてこの方、家族も含めて「喧嘩して仲良くなった=雨降って地固まる」はほとんどなく、例外的だったのはそれこそ黒羽翔さんくらいで、彼とは一回だけ大喧嘩したことがありました。
とはいえ、あれは全面的に私が悪かったので反省したわけですけど、いわゆる「殴り合ったらいつの間にか親友になった」などというような経験は一回もないし、羨ましいとも思ったことはありません

何で喧嘩しないと仲良くなれないのかという話に関しては、答えは簡単で「相手の気持ちを察する想像力がないから」であり、これは私がINFP(仲介者)だからこそ尚更相手の感情が読めてしまうのもあります。
太一もヤマトもめちゃくちゃ喧嘩の回数多いのはいいんですけど、そのせいで世話焼き女房の空をはじめ周囲にめちゃくちゃ迷惑をかけたことに関しては全く気が回ってないのです。
私が太一とヤマトを心底好きになれないのは空に精神的負担をかけまくっていることに関して無頓着というか、それが当たり前みたいに思っていたところにあります。
もちろん空も太一とヤマトがそういう脳筋な奴らだってことは重々承知だから諦めてるところはありますが、私だったら太一やヤマトみたいなのとは相性が良くてもお近づきにはなりたくないです。

「雨降って地固まる」という諺にも語弊があって、地面が固まってより良くなるのはあくまで「普通の雨」の時だけであって、その雨が酸性雨や台風レベルの豪雨のような破壊力の強い雨だったらどうするのか?という話です。
太一とヤマトをはじめとして「喧嘩するほど仲がいい」とか言うような人たちはそもそも「お互いの信頼関係」が構築し、尚且つ「これ以上は言わない」「きちんと一線は守る」といった配慮がありました。
しかし、そういうのがなく単に力で相手を打ち負かそうとするのは結局やっていることはチンピラと同じで、実際私の場合は大輔と賢のように喧嘩しなくても仲良くなることが大半です。
実際、11話で取っ組み合いの喧嘩をした大輔とタケルは全然仲良くなれなかったし、そもそも一生のうちで本当に親友クラスまで仲良くなれる人なんてある程度決まっているのではないでしょうか。

「親しき仲にも礼儀あり」ではないですが、それこそこの喧嘩論に関しては国民的アイドルの二宮和也がしゃべくり007に出た時に嵐の中に関してこう言ってました。

「嵐は1回ケンカしたらそれで終わり。俺の肌感ですけどケンカすればどんどん絆が深まってくっていう人たちじゃないと思います。みんながみんな多分知らない間に気つかってバランスが取れてるんだと思う」

これを見た時私は思わず「そうだなあ」と頷いたのですが、櫻井翔はこれを「遠慮と我慢のレベルの設定」という抽象的な言葉で表現していましたが、要するに気遣い・気配りも人間関係の上では大事だということです。
じゃあなぜこういう違いが出るのかということですが、単純に時代・世代の問題が大きいのかなあと思うわけです、実際「雨降って地固まる」論が通用したのはおそらく氷河期世代、具体的には70年代生まれの人たちまででしょう。
SMAPとかTOKIOとかV6のトニセンとか、あの辺りは典型的な血の気が多い昭和世代ですし不良文化が隆盛した最後の世代ですが、嵐や私のようなプレッシャー世代以降は「喧嘩して絆が強まる」感覚は薄いと思います。
ましてや、85年生まれの私にとっては一つ上の84年生まれがめちゃくちゃ血の気が多くて不良も多かった年代ですし、それこそ中学時代は先輩方から怖気を振るわれたことも体罰を食らったこともありましたからね。

そういう暴力を一方的に振るわれる理不尽さを知っているからこそ、尚更太一とヤマトの不良文化の理不尽を強引にでも押し通そうとするかのような意見には同調できないし、喧嘩の前に予測ができないのかと思ってしまいます。
だからこそ私にとっては余計に「02」の子供達の方が自分の世代の感覚には近いと思えたし、幼馴染であったはずの大輔と京、大輔と伊織の仲がそんなに深くなくて大輔と賢の方が遥かに仲がいいのもリアルだなあと思いました。
少なくとも「雨降って地固まる」という諺に関して言えば大した真実味はないし、先人の言うことが常に正しいとは限らないことを私は経験からも歴史からも十分に学びましたから。
もちろん気を遣いすぎるのも良くないのでそこは「自分が本当に思っていることを言う」のは大事ですが、だからと言って何でもかんでもオープンにすればいいわけではないというのが私の持論です。

実際、ここ数年で言えばそれこそ私が波動低かった2021年10月〜2022年辺りにX(旧Twitter)のスペースで交流していた人たちはジャンルを問わず全員私の前から消えました。
理由としてはまず私自身の波動が上がって余計な人間関係を気にしなくて良くなったことが挙げられますが、それ以前の問題としてそもそもその人たちとは根本の部分で波長や価値観が最初から合わなかったのです。
これはもう自信を持って言い切れます、第一印象で軽く会話をした段階で「この人凄い」「へえ、面白いなあ」と思えた人は大体今でも仲がいいし関係性は続いています。
逆に、第一印象で私が心底「ああこいつ大したことないな」「上辺しか見てねえな」って思ったやつは大体長続きしません、そういうのはもう瞬間にわかるものです。

ここら辺はおそらく大輔や啓人らNF型と太一や大のようなSP型の違いでしょうけど、NF型は第一印象で8割型相手がどういうやつかを見抜く直感力に優れています
そしてその直感というやつは余程のことがない限り外れることはなく、しかもINFPもENFPも大体それを悟らせず表向きにこやかに振る舞いながらシビアに判断しているというね。
一番その違いが出たのが大輔の「友情なんてわかんねえ」に対する太一の「わかんないからいいんだよ」でしたが、大輔からすれば内心そんな太一の態度がウザかったようにも見えます。
サッカー部の先輩後輩という関係だから大輔は太一に憧れていただけで、それがなかったら別段仲良くないというのが私の大輔と太一の関係性だと思うのは私だけでしょうか?

あれだけ仲が良いのに大輔が自宅に上げたのが京でも伊織でもタケルでも八神兄妹でもなく賢だけというのが偶然だったとはいえ大輔の人間関係のリアルを表していると思います。
本当にいいと思った人や信頼している人しか大輔は多分自室に招かないので、この辺りからも大輔って賢以外の子供達とは所詮上辺だけの関係だということがわかってしまうのです。
だから喧嘩して仲良くなれるとかいうことは大輔の場合ないんでしょうね、姉との関係がそうであるように喧嘩したら基本的に平行線という考えしかないでしょう。

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