『忍風戦隊ハリケンジャー』レビュー打切りと私の飽き性とスーパー戦隊論(『仮面ライダーOOO』サブタイトル風)
『忍風戦隊ハリケンジャー』巻ノ二のレビューを書こうと思ったのだが、フィルムがあまりにもつまらなさすぎれ言語化しても全く面白くならなかったので早めの打ち切り(損切り)とさせていただく。
マガジンをご登録いただき楽しみにして頂いた方には申し訳ないのだが、自分自身が全体重をのっかけて心の底から面白いと思えないものを続けるのは時間とエネルギーの無駄だし、そんなものをお見せする方が不誠実なので。
わかっていたことだし昔から周りにも言われていたし最近では自分でも思うけど、私自身のめんどくさい「飽き性」というか「気分屋」な性分はもうどうにもならない。
これは別にそういう性分であることを分かってくれとか理解してもらおうとかいうのではなく、文章書きでありながらそれを意識的に継続することができないという意味においては結構めんどくさいなと思う。
年間読書人から私は「無知なオタク」なんて言われたが、「無知なオタク」の方がよっぽどマシである、何故ならば無知なオタクという奴は自分が無知であることに対する自覚があればナンボでも貪欲に成長できるから。
私は「オタク」「マニア」という人種というものを昔から理解できた試しがないしそれになろうと思ったこともない、何故ならば自分の肉親からしてそういう「オタク」「マニア」と呼ばれる人ばかりでうんざりしてたから。
詳細は書かないがオープンリールやレコードプレイヤーなんてレトロなもので部屋全体が埋め尽くされるくらいのコレクション趣味があったし、自室はほとんど洋楽・映画の雑誌やCD・カセット・フィギュアなどが未だにある。
そしてまた、ゲームなどでも一旦のめり込むととことんまでハマる人であって、例えば「ドクターマリオ」「スーパーマリオワールド」なんかは何故か当時その世代ど真ん中の私以上にのめり込んでプレイしていた。
よくもまあそこまでできるものだと思った。
周りがどう評価しているかは知らないが、親友の黒羽翔や昨年諸事情でブロックした伊藤幸実からは「スーパー戦隊の専門家」と言われたことがあるのだが、専門家だなんてとんでもない、スーパー戦隊ならば私より遥かに専門的知識がある人なんていくらでもいるだろう。
しかも私の場合明らかに趣味嗜好から感性から偏っていて、シリーズの全部が大好きというわけでは決してなく『未来戦隊タイムレンジャー』までが好きで、なおかつその中で『電撃戦隊チェンジマン』『鳥人戦隊ジェットマン』『星獣戦隊ギンガマン』しかレビューしたくない。
こんな偏屈な思考と感性をしながらシリーズ作品を見ているやつのどこが専門家なのかと不思議でならないし、おそらく「専門家」なんてものを自称してしまった瞬間に私のスーパー戦隊好きは終わりを告げてしまうであろう。
確かに『鳥人戦隊ジェットマン』と『星獣戦隊ギンガマン』という二度の孤独な視聴体験によってスーパー戦隊シリーズを「見る」ことが決定的にはなったが、それは決して「戦隊バカ」になることを意味するものではない。
ここ最近特にそうなのだが、どうにも私自身が書いてるスーパー戦隊論自体が最近方向性というか指針を見失っている気がしていたことが最近クリアになってきた。
黒羽翔さんが叱咤してくれたこともあり、ありがたいことに私は旧サイトを運営していた時『特命戦隊ゴーバスターズ』までの全戦隊の感想・評価を書くことができたし、それが今の視聴体力に繋がっているのも事実ではある。
しかし、そうしていく中でどうもシリーズ作品を全て見ることが半ば義務化していた(=自分の意思で見て書いてない)感じはあったし、本当に自分が心底からいいと思えないものを書く必要はあるのだろうか?という疑念もあった。
何故私が今ではスーパー戦隊の「専門家」とありがたくも評される程になったかというと、あくまでも原点は自分にとって命がけで擁護してその魅力を発信したいと思える程の強烈な視聴体験があったからである。
その強烈な視聴体験を改めて大人になってアップデート・アップコンバートした感性と視点で書きたいのが根幹の意欲としてあったわけで、必ずしもスーパー戦隊の全てを擁護したいから始めたわけではない。
私は自分が心底から「良い」と思えないものは決して擁護なんてしないし、ましてや私が書いた文章を見て「『百獣戦隊ガオレンジャー』以降のスーパー戦隊はクソだ」なんて誤解や偏見を持ったエピゴーネンを少なからず生んでしまったことも責任としてはある。
もちろん『百獣戦隊ガオレンジャー』以降でも例えば今やっている『烈車戦隊トッキュウジャー』のようにかろうじて擁護できる作品もあるが、やはりそれでも私の中で「タイムレンジャー」までと比べてスーパー戦隊の現在を揺さぶってくれる程の作品では到底ない。
だから「ガオレンジャー」以降のスーパー戦隊だってその魅力をいわゆるZ世代以降の若いファンに伝わるように書けと言われればできなくもないだろうが、そういうことはむしろそのリアルタイム世代の若い戦隊ファンがやるべきことじゃないのか。
釘を刺すように強調しておくが、私がスーパー戦隊において命がけで擁護したいのはあくまでも「チェンジマン」「ジェットマン」「ギンガマン」の三大傑作、もう少し広げても『未来戦隊タイムレンジャー』までのA(名作)以上のランクに相当する作品のみ。
そうじゃない作品まで特段にその価値を発掘して褒めようとまでは思わないし、以前にB(良作)で評価した『電子戦隊デンジマン』にしてもA(名作)に近いB(良作)で今見直しても面白いから書いているというのがある。
要するに「集中と選択」とでも言っておこうか、シリーズをある程度見たらその中で本当に自分に合うもののみに絞ってそこにエネルギーと時間を注ぐ、そういう風にシフトしていく方が私の場合は合っているのではないかと思う。