『デジモンアドベンチャーVテイマー01』の「新たなる勇気」を見て思う、無印版とアドコロ版の八神太一の共通点〜カリスマとは所詮「偶像」である〜
『デジモンアドベンチャーVテイマー01』の客演回を見直しているのだが、よくよく見直すとこれってきっちりゲスト側に華を持たせてるのは大輔の奇跡のデジメンタル回だけだなと(苦笑)
大輔・拓也・遼・太一(アドコロ版)と何度も客演しているVテイマー版のタイチだけども、実はこの中で客演した側がデジモンにトドメを刺して終わったのは大輔のマグナモンだけである。
拓也回は原作の拓也の負け体質が反映されているのかやっぱり負けてしまって最終的にゼロマルがトドメを刺しているし、遼とは単なる意地の張り合いというかガキの喧嘩を見せつけているだけのお遊び。
そしてアドコロ版の太一はまだ序盤だからかグレイモンへの進化しかできずに、ゼロマルのアルフォースへの進化を促しただけという完全なサポートであり主体ではなかった。
そう考えると、いくらお膳立てが整っていたからとはいえ奇跡のデジメンタルでマグナモンに進化させてタイチとゼロマルを自らの作戦に組み込んで利用しパラレルモンにトドメを刺した大輔って凄いなと。
これは大輔&マグナモン推しの私ですらも欲目や贔屓を抜きにして思うところであり、このイメージがずっと後の客演回にもついたのか大輔は「ここぞという時に頼れる漢」というイメージが付くことに。
あの高石タケルフィルターかかりまくりの原作02ですら終盤の48・49・最終話の大輔は「奇跡の子」ブーストがかかっていて、ラーメンの一言で劣勢を覆してあっさり逆転勝ちを収めてしまう。
対して八神太一は無印版もそうだしアドコロ版もそうだけど、意外とここぞという勝負所には弱くて、単独でまともに勝てたのなんてせいぜいグレイモンへの初進化回とメタルグレイモンへの初進化回くらいだ。
何でこんなにも無印といいアドコロ版といい八神太一という少年はこうもファンから「カリスマリーダー」として神格化されてしまうのだろうと思ったわけだが、思えばホリエモンがそうであるようにカリスマってそういうものなのだ。
どういうことかというと、ホリエモンもそうだし八神太一もそうだが、「カリスマ」と呼ばれるタイプの人って本当は実力的にそんなに大したことないし傍若無人なのに、なぜか実物以上に美化されてファンの目には映りがちである。
「Vテイマー」のタイチはいわゆる「大樹の御神木」という大谷翔平タイプの選手だから別として、アニメ版の太一は文月さんが以前にコメントされていたように戦隊レッドでいうなら「救急戦隊ゴーゴーファイブ」のゴーレッド/巽マトイに近い。
カリスマといえば聞こえはいいけど、それって裏を返せば「傍若無人」「パワハラ」と表裏一体であって、実際太一って今風にいう「正論という名の暴力で他人を無神経に傷つける嫌な人」ってのに分類されると思われる。
だから私は巷で言われる「八神太一はとにかく凄いカリスマ性とリーダーシップでメンバーを引っ張る理想のリーダー」というのは所詮視聴者や原作02初期の太一に憧れを向けていた本宮大輔が過剰に美化して作り上げた偶像だと思っている。
無印版もアドコロ版も共通しているのは太一ってヤマトから横っ面を張っ倒され、空にメンバーの人心をサポートしてもらい、光子郎に作戦立案や参謀を務めてもらってようやくリーダーとして立てる感じ。
特に無印版は「太一ってめっちゃかっこいいじゃん!」というよりは「あれ?こいつカリスマっぽいけど意外と人間的にはクズだぞ。結構戦犯だぞ」って思わせるような描写が多い。
それが同時に大輔との大きな違いにもなっていて、例えとして適切かどうかは甚だ疑問だがアニメ版の太一と大輔の違いって何が違うかというと「ウサギとカメ」のようなものだろうなと。
この漫画が凄く面白いけど、この漫画でいうならアニメ版太一がウサギタイプで大輔が亀タイプであって、太一=ウサギは「試合に勝って勝負に負ける」タイプで、大輔=亀は「試合に負けて勝負に勝つ」タイプ。
だからサッカーとか勉強とかそういう分かりやすい数字の勝ち負けだとか表面上で勝負できるものだと圧倒的に太一のが強い、大輔はおそらくサッカーで一度も太一先輩からボールを取れたことはないはずだ。
カリスマ性やリーダーシップに関してもそう、太一は現場に出るとすごく合理的で冷静な戦略を取るけれど、それは大輔にできないことだからそういう部分だけを見ると太一に分があるかのように見える。
でも大輔って普段のサッカーやゲームなどの「試合」には結構負けが多いけど、いわゆる明暗を分けるここぞという「勝負」の場になると圧倒的な強運と奇跡を呼んで一気に横から勝利を掻っ攫ってしまう。
それは太一にはできないことで、太一って確かに「強い」けど同時に「脆い」人でもあって、その「脆さ」が分かりやすく露呈しているのが「ディア逆」からの「tri.」「ラスエボ」「アドコロ」、そして「新たなる勇気」なんだろうなと。
要するに太一って自分の得意分野には物凄い自信と経験による裏付けを持っている人だけど、その基盤が瓦解してしまった途端に心折れて絶望しやすい人で、これはまんまホリエモンなどのカリスマタイプにありがちなことである。
「おれとぼくらのあどべんちゃー」のアズマケイさんもつぶやいていたけど、太一って最初からリーダーだったわけじゃなく、中盤以降からようやくそのリーダーシップだったり勇気だったりが開花した人なのだ。
カリスマリーダーになっていくには無数の絶望と失敗を踏まえているわけで、太一のカリスマ性って決して「才能」ではなく「努力」によって培われて形成されているのではないだろうか。
残酷な話ではあるけれど、私が思うにデジモンの主人公の中で一番の天才は本宮大輔だと思う、で太一は大輔のそんなところに実は気づいているけれども、大輔自身が自分を努力型と思い込み太一のカリスマ性を天才だと賞賛してしまっている。
原作02の大輔は無印の冒険で太一がどれだけ血反吐を吐く思いで仲間たちとの軋轢・衝突を繰り返し時にはぶん殴られながらリーダーとして大成したのかを全く知らない、だから無邪気に憧れとして尊敬の念を寄せられた。
けど、そんな大輔はキメラモン戦で奇跡のデジメンタルを覚醒させ、Vテイマーのタイチとの共演で自分の才能の片鱗を開花させてから太一に憧れるのを辞めて「決して諦めない奇跡の天才」として覚醒していった。
だからこそなんだろうけど、太一は無印の仲間、特にヤマトと空の前では弱いところを見せられるけれど、大輔の前ではそんなところを一切見せないし大輔も太一のそんな面を見ることは一生ないのだろう。
それVテイマー回の客演の待遇の差に現れていて、だから大輔はおそらくVテイマーの方のタイチを追い越せるけれど、無印やアドコロの太一はVテイマーのタイチを追い越すことはないと思えてならない。
以上から導き出されると結論はこんな感じ。
八神太一(無印・アドコロ版)→試合に勝って勝負に負けるカリスマリーダー(偶像崇拝の対象になりやすいが、その分周囲の期待に応えられなかった時に磔にされる)
本宮大輔→試合に負けて勝負に勝つ奇跡の天才ムードメーカー(いじられやすいし普段の運は悪いが、ここぞというところで天才性を発揮して奇跡を起こし確変を見せる)
八神タイチ(Vテイマー01)→試合にも勝負にも勝ってしまう勝率100%テイマー(よほどの事がない限り負けることなどない、相手の本質を一発で見抜き最短で攻略法を導き出す)
神原拓也→試合にも勝負にも負けてしまう勝率0%のかませ犬(生まれながらの敗者、ヒーローになれるのに本当にここぞというところでの詰めが甘い)
秋山遼→もはや客演にしか存在価値のないアバター(主軸となる芯の部分があまりないため、便利に使えるが同時に存在価値そのものも薄い)
カリスマというのは所詮周囲が見せる「偶像」でしかないのだが、それが「Vテイマー」の客演回で比較するとよくわかる。
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