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サトマイさんのいう「知的体幹」とは果たして何を意味するのか?
最近、ゆとり世代以降に対して私が覚えている違和感を非常に的確に言語化してもらえたような動画なのだが、「知的体幹」という言葉は正に今の若い人たちに根本的に足りていない物だと思う。
こういうことを言うと「いやそんなのは世代じゃなく個人差によるだろう」という反論が聞こえてきそうだが、同時に今叫ばれている深刻な国語力の低下の原因から全ては始まっている。
要するに「思考力」という、大学までの教育をきちんとやっていれば誰しもが獲得することが可能な力・技術を若い頃に鍛えていないと、こういうしっぺ返しが大人になって待ち受けているということだ。
そしてその「思考力」の核にあるのが国語教育で得られる「読解力」であり、それを若い頃にどれだけやり込んだかが大人になってから倍以上の差となって現れる。
この差は想定以上に大きいのだが、特に私がピンと来たのは12:10以降のくだりだ。
「こういう風に回答するのが正解」という型のような感想を述べていて、いかにも優等生を演じているなというような違和感を私は覚えたんですね。
でも周りの大人は「偉いね」という風にその子に対して言うもんだから、こうやって自分の言葉を失っていくのかな……って思ってしまったんですね。
その女子中学生にはなるべく早めに「周りに拍手されるような自分」になろうとしていることをどこかのタイミングで気づいて欲しいなと思いました。
これだ、私がXなどのオンラインでもオフラインの現実世界でもつまらないなと思うのは、正に悪い意味での優等生思考=鋳型にハマった回答をする人ばかりだという違和感があるからだ。
要するに「体験による裏付け」だったり「内省を深めたからこそ出る知見」だったりが彼らの書く文章や意見にはないから、語る言葉に深みがないし話していても私の想像力未満の答えしか出てこない。
スーパー戦隊シリーズに関してもそうで、Z世代と呼ばれる年代に分類されるだろう人たちが語る戦隊のヒーロー論は確かに一理あるものの、あくまで「一理ある」であって「心に響く」ものではない。
もっといえば「それ以前に俺が言った」「他の人がこう言ってるんだろ?」ということが読めてしまうものばかりである。
肯定論にしろ否定論にしろ、そういう人たちの述べる言葉が私の感性を変えたことは一度もない。
3年ほど前に書いた「ギンガマン」の評価(今の基準で見直せば完成度としてはせいぜい40点程度の文章)にこんな批判的見解を送りつけてきた奴がいたのでスクショで引用してみる。
![](https://assets.st-note.com/img/1726842222-Jloe78z2Qm0a6twRP14kxYKL.png?width=1200)
どれもがネットで見かけたつまらない意見ばかりだったのだが、中でも私が傍線を引いた「4軍団の力の格差」に関しては「九拾八式工房」で述べられている意見をほぼそのまま使っている。
ただし、これが成功したのかと言うと、残念ながらそうは言いがたい。(中略)つまり、今のギンガマンは戦力自体は増強されているくせに、総合戦闘力において、先代より弱くなっているとしか考えられないのだ。
ネットで見る「ギンガマン」の批判点は大体がこれか最終章「明日の伝説」でヒュウガの炎のアースが復活するくだりをご都合主義だとする展開だが、私に言わせれば「知的体幹」が鍛えられてないが故に本質を見抜けない無様な誤読にしか見えない。
結局のところは大元となる鷹羽の文章もそうだし、それをろくすっぽ反証すらせずに馬鹿の一つ覚えみたいにネットで擦り倒してる人たちにも言えることだが、枝葉の情報にばかり踊らされていて本質を深く読み込む力が根本的に欠けている。
「ギンガマン」という作品をきちんと深くまで見ていけばこんな程度のことは気にならないクオリティーなのだが、彼らが後生大事に考えている批判点はそのほとんどが重箱の隅を突くレベルのことしか言っていない。
特にスクショの人が言っている「バルバンが弱い奴から順々に出してくれたおかげで勝利できた、運の良さに助けられた戦隊」に関しては論理学の知見から見れば完全なる詭弁・誤謬であり論理的にも破綻している。
正確には「後件肯定の虚偽」と呼ばれる類のものであり、本来は全く関連性のないものをある共通点があるからといって、無理矢理どこにも書かれていないトンデモな結論を後付けで導き出すことだ。
「ギンガマン」で言えば、「ギンガマンでは1クール4軍団という交代制にした上で最初から幹部たちが揃っている、その上で戦力が後半に向けて強化されている」という形式上の流れがある。
そこから「バルバンがもしバットバス軍団から出撃させていたらギンガマンは詰んでいた」と都合のいい読み方をし、だから「バルバンが弱い奴から順々に出してくれたおかげで勝利できた、運の良さに助けられた戦隊」とありもしない結論を出す。
典型的な悪しき後出しジャンケンの例だが、作品の批評をする上で大事なのは「画面に描写されているものが全て」であり、「描かれていないことを勝手に忖度・深読みしてはならない」という良い例である。
果たして4軍団の力の格差が本当にあったのか、また、バルバンが最初からバットバス部隊を出していたらギンガマンが詰んでいたかどうかはそのIFストーリーが原作で描かれていない以上議論しても結論は出ないから無駄である。
あくまでも画面上では「1クール毎にギンガマンが強化され、バルバンが戦力を失っていく」ことだけが示されており、また物語的にもキャラ的にも「ギンガマン」は考察する意味など殆どないシンプルな構成となっている。
しかし、戦隊オタク・特撮オタクと呼ばれるような人たちはこういうフェティッシュ化した消費の仕方だけは得意であるために、鬼の首を取ったかのようにどうでも良いことで騒ぎ始めるわけだ。
これも結局のところは知的体幹をきちんと鍛えられていないが故に枝葉の情報に踊らされてしまうからであり、自身が論理学において最もやってはいけないことをやってしまっていることに気づかない。
それこそ「つまり、今のギンガマンは戦力自体は増強されているくせに、総合戦闘力において、先代より弱くなっているとしか考えられない」も「それってあなたの感想ですよね?」でお終いだ。
ゼイハブは確かに「お前たちの先祖の方がもっと手強かったぜ」とは言っているが、実際に初代ギンガマンがどのようにしてバルバンを封印したかに関しては具体的な映像が過去回想で示されているわけではない。
映像で示されていない以上それは「描かれていない」のと全く同じことであり「考えても無駄」なのだが、こういう「あの茶碗のここが欠けているからおかしい」という無粋なツッコミがネットでは跳梁跋扈している。
「だからその茶碗を使って茶を飲めば良いじゃないか」という方向にはなぜか向かわないのが彼らの残念なところであり、戦隊シリーズ一つを取ってもこの「知的体幹」を鍛えた上で語ってる人は私が見る限り殆どいない。
それはなぜかというと、鷹羽も鷹羽エピゴーネンもそうなのだが、圧倒的なまでに「批評体験」が足りていないからだし、もっと言えば「遅読(精読)」を十分にしてこなかったからではなかろうか。
どこぞの読書が趣味のあるスノッブは大量の本を読んでいることが誇るらしいが、私に言わせればその人は「知識量」だけは凄いが「知的体幹」に関しては全くと言って良いほど足りていない。
サトマイさんの言う「知的体幹」とは要するに「思考の根幹を成熟させる経験・体験」であり、またゆとり世代以降の子供たちが失いつつあるものでもあるだろう。
「ドラゴンボール」に例えるなら、格闘術の体幹を東大レベルまで積み上げてきた孫悟空・ベジータに対してそれを積み上げていない孫悟天・トランクスの息子世代が良い例である。
以前に述べたことと関連してくるが、なぜ才能だけで言えば息子世代の方が潜在能力は高いのに、武道家・戦士としての総合力は悟空・ベジータら父親世代の方が上なのかという話だ。
もちろん鳥山明が描いた人物の中でもこの2人が特別なのもあるが、それ以上に「格闘技の知的体幹」を幼少期からどれだけ積んできたかというところが強敵と対決してきた経験も含めて圧倒的に違う。
だからゴテンクスは発想力や技の種類は凄くてもそれが魔人ブウを倒す決定打にならなかったし、逆に言えばベジットが最強なのは単に悟空とベジータが合体したからというだけではない。
老界王神が言う通り、悟空とベジータの体幹が圧倒的に優れているからこそ、ゴジータやベジットが単独で他を寄せ付けない究極の戦士が誕生することにも納得がいく。
「學びて思はざれば則ち罔(くら)し。 思ひて學ばざれば則ち殆(あやう)し」
既に孔子の論語でも言われているように、学んでばかりで自ら考える力を養わなければ知的体幹は磨かれず、また考えすぎて学ばないと考えが偏ってしまうという危険性がある。
学ぶことと考えること、読むことと書くこと、知性と感性、いずれも不即不離でバランスよく行かなければならないことを改めて実感させられる。
人間、何歳になっても成長は可能であり、学び考えることを辞めた瞬間にそれは単なる「退化」にしかならないということだろうか。
「最近の若いのは」という言葉を用いると何かと老害扱いを受けるのだが、そもそもそうやって老害扱いすること自体が知的体幹が全く鍛えられていない愚者のやることである。
何せ「ごんぎつね」すら誤読してしまう程に子供たちの国語力は下がっており、カリスマホストに国語ドリルの重要性を説かれ、しかもサトマイさんからこのような動画が出る始末。
Xでどうでも良い投稿をしてる暇があったら知的体幹を鍛えることに注力した方がいいと私は思うわけだが、やるかやらないかは結局その人次第だから「やれ」とは言わない。
だが、確実に言えるのは若い頃に読解力を磨いてこなかった人は大人になってこういう苦労が待ち受けているということだ。