谷沢を超える2人の逸材・桜木と流川のルーキーコンビがもたらした変化と蘇る白髪鬼・安西(後編)
前回は白髪鬼・安西と谷沢龍二の数奇な師弟関係について、それが「SLAM DUNK」という作品に落とした大きな影であることを語った。
確かに「白髪鬼」という噂に違わぬ恐ろしい人物であり、またそれ故に指導者としてとんでもない過ちを犯してしまったという詰め込み教育の問題点を過去の安西は示している。
そして逆に谷沢はまだ基礎すらまともに身につけていないのに「自分は何でもできる」と思い込んで失敗するという、典型的なダニング=クルーガー効果の失敗例を読者に示した。
それぞれの性格的欠点による静かな摩擦がとんでもない軋轢を生み、こじれにこじれた結果修復不可能な領域にまで至ってしまう最悪の師弟関係だったと言ってもいい。
それを踏まえて1から「SLAM DUNK」という作品を見返すと、実は谷沢の喪失に伴い腑抜けになってしまった白髪仏・安西先生が全盛期の滾りを取り戻す物語としても読むことができる。
最初はのらりくらりとしたカーネル・サンダース似の置物監督であった彼は桜木花道と流川楓という、谷沢以上の期待の新星と出会うことでその運命が大きく変化していくのだ。
練習試合、県大会、そして全国大会と見ていくと初期と後期で指導者の顔つきや言動がまるで違うものであることがこれほど克明に描かれたスポーツ漫画もそうないのではないだろうか。
ここでは物語序盤(導入〜三井復帰)、中盤(県大会予選〜決勝リーグ)、終盤(全国大会)にわけて安西先生がどのような変化をたどって全盛期の熱を取り戻したのかを見てみよう。
練習試合で少しだけ監督らしいことをする白髪仏・安西(序盤)
まず序盤の安西先生は全盛期の面影などまるでなく、だらしなく腹を出して呑気に顔を出すだけの置物監督と断言して差し支えないだろう、少なくとも練習試合までは。
部活の時も練習メニューを考えているのは赤木・木暮・彩子姉さんの3人であり、陵南との練習試合に関しても何の意図があって組んだのかという真意が見えない。
赤木や陵南の田岡監督は礼儀正しく頭を下げて対応していたが、それはあくまでも全盛期の白髪鬼・安西がどれほど偉大な人物であるかを知っているからであろう。
そうでなければ、ただの太ったしがないおっさんとしてしか見られず、いくら礼儀知らずの桜木といえども舐められて当然ではないだろうか、少なくともこの時期の安西先生に尊敬するところはあまりない。
ただ、じゃあ何もしていなかったかといえばそうではなく、陵南との練習試合の時に試合になかなか出させてもらえず暴れる桜木を「秘密兵器だから」と宥めて納得させる。
この「秘密兵器」というのは終盤の山王戦までかかってくる桜木を象徴するキーワードであり、実際後半戦で出た桜木は初の実戦にも関わらず想定以上の活躍を見せた。
また、流川と桜木がお互いを嫌い合っていることを知りながら、敢えてこの試合から天才・仙道を2人がかりで止めるように指示するなど2人に目をかけていることが伺える。
2人がかりで止めさせたのは三井と宮城がいなくて他に仙道を止められる奴がいなかったからだが、それでも勝負所では割と的確な指示を出していた。
練習試合で少しだけ勝負師としての側面を匂わせた安西先生だが、それでも練習試合は1点差で負けてしまい、とても全盛期にすごい人物だったとは思えない結果に終わった。
その後、宮城と三井がバスケ部に戻ってくる時に発生した校内暴力によるバスケ部壊滅未遂事件、ここで改めて三井の過去と共に白髪仏・安西の人柄が描かれる。
中学MVPを手に入れるきっかけとなった決勝戦、三井は膝をくじいて諦めかけたが安西先生はその時三井にとって希望となる言葉をかけた。
白髪仏としての安西先生を象徴する名言であるが、この言葉が三井を救い、また不良に落ちてしまった彼の前に現れた時再び救いの神としての姿を見せる。
三井の記事と併せて読んでいただくと面白いのだが、はっきり言ってかつて白髪鬼として恐れられた指導者がこんな風に尊敬され崇められているのは不気味だ。
もし天国か地獄にいる谷沢くんがこんな安西先生の姿を見たら、自分の時とのあまりの違いにショックを受けるのではないだろうか。
似ても似つかぬ別人28号として描かれていたのが初期の安西先生であり、「丸くなった」というよりは「腑抜けになった」と言った方が正確であろう。
三井はきっと安西先生の善性の部分しか見ていないであろうし、実際劇中でも最後までそれだったのだから幸せといえば幸せかもしれない。
海南戦から徐々に顔を見せ始める「勝負師」安西(中盤)
県大会が始まってからは少しずつであるが「勝負師」としての顔を安西先生は見せ始め、海南戦から桜木たち湘北のステージが上がると共にかける言葉も厳しくなっている。
まず県大会の最初の方は赤木以外の4人を暴力沙汰を起こした罰として試合に出さないというけじめをつけさせるが、これ自体はまあ4人の自業自得といったところだろう。
流石においたが過ぎれば仏様であっても許さないのは当然のことだが、これがある意味で山王戦で顔を覗かせることになる白髪鬼・安西の始まりとでも言うべきか。
翔陽戦まではスタート時以外の仕切りを選手たちに任せている安西先生だが、決勝リーグに進むにあたって桜木たちにかなり厳しめの言葉をかけている。
「今後のバスケ人生を左右する」なんて言い方を少なくともそれまでの安西先生はしたことがなく、桜木たちのステージが上がっているからこその言葉であることがわかるだろう。
そして始まった海南戦、相手が帝王・牧と策士・高藤監督ということもあってか、安西先生は前半戦から勝負師として様々な作戦に打って出る。
まずは桜木が宮益の登場によって混乱を来した場合は一旦桜木を下げて温存させ、また赤木が捻挫で倒れた時には陵南の練習試合の時と同じように桜木と流川に声かけをしていた。
また、後半戦では牧が本領を発揮して10点差になると4人のゾーンを作って牧を封じ、桜木のフェイスガードで3Pシューター・神を抑えるという賭けに出ている。
「なんとか勝たせてあげたい」と言っているように、この段階での湘北はいろんな点で海南大附属に及んでおらずに力不足を突きつけられることが多々あった。
赤木の不慮の事故、ゴール下ではダンクとレイアップ以外にシュートできないという桜木の課題点、さらに前半で25点も得点した分後半でスタミナ切れを起こしてしまった流川、と弱点や欠点が露呈する。
更にポイントガードの宮城も牧には最後まで力が及ばないままだったし、三井もこの時はブランクがあったことも含めて3Pが決まらないなどイマイチ5人がうまくかみ合っていなかった。
結果として湘北は負けてしまい、桜木は悔し涙を流すわけだが、安西先生が指摘したようにこの試合は確かに湘北バスケ部の課題点が色々と露呈し、その後のバスケ人生を左右する試合となっている。
その後武里との試合に備えてまずは桜木の自信回復とゴール下のシュートを克服という課題を提示するなど徐々に監督らしくなってきたわけだが、何と陵南戦を前に入院することになってしまう。
ここで安西先生不在という状況が湘北バスケ部にもたらす精神的ダメージは大きく、安西監督抜きでパワーアップした陵南に勝たなければならないという状況に陥った。
そこでの試練を桜木たちはしっかりクリアした上で全国大会への切符を手にするわけだが、ここでの入院はある意味安西先生にとっても全国大会に向けての試練だったのかもしれない。
監督でいられることが決して当たり前ではないこと、そして自分がいなくてもしっかり結果を出せるほどの成長をメンバーが見せてくれたことへの安堵、安西先生が県大会で自分がなすべき使命を実感する。
山王戦後半で遂に蘇った白髪鬼・安西(終盤)
県大会までを踏まえて、後半〜終盤の安西先生はどんどん全盛期の白髪鬼としての顔を取り戻すように、指導者としてなすべきことを積極的に行うようになってくる。
まずはアメリカに行きたいと言った流川に対して「それは逃げではないか?まずは日本一の高校生になりなさい」という厳しくも温かい言葉をかけ、流川に発破をかけた。
そしてなんといっても1週間桜木にミドルレンジのジャンプシュートを徹底的に積ませて個人スキルを増やすということをやったところから、指導者らしくなってくる。
桜木から「オヤジの道楽に付き合ってる暇はない」と言われながら、それでも谷沢を超える素質を持っている桜木の成長を日々の変化として楽しむようになってきた。
最初に桜木にかけたこの川柳はかつての谷沢の失敗例がその背景にあるのだと思うと、とても切なく桜木にはそうなって欲しくないという思いがあることが伺える。
豊玉戦ではどんどんステージが上がる桜木に流川を見て「彼のいい所を見て盗めるだけ盗み、彼の3倍練習をする。でなければ流川くんに追いつけない」とまで言うようになった。
ここから桜木は流川を嫌いながらもどんどんそのプレーを目で追うようになるわけだが、これはもちろん桜木が流川と対等になれる可能性があることを見越してのセリフだ。
また桜木以外にも、豊玉の挑発に乗って無謀なことをしでかした赤木と宮城を注意し「全国制覇とは口だけの目標かね?」と初期からは考えられないほどの言葉をかけている。
そして安西先生が遂に全盛期の白髪鬼としての顔を取り戻し本気で勝負に打って出た山王戦、まずは昨年の海南大附属と山王工業のビデオを見せた上で「断固たる決意が必要なんだ」と言った。
だが、初心者桜木以外の4人は山王の名前と圧倒的な実力に恐れをなしており、海南相手には恐れもしなかった赤木ですらも恐れており、試合前に1人1人に励ましの言葉をかける。
そうして始まった山王戦、序盤からアリウープで奇襲をかけるなど積極的に声かけをしていくわけだが、後半で本領を発揮した山王にとんでもない点差をつけられ絶望的な状況に陥った。
誰もが逆転するのが無理だと思っている中、桜木は自分が下げられたことに納得できずにいたのだが、その時遂に谷沢に見せていたあの白髪鬼・安西が牙を剥く。
桜木と彩子はあまりの剣幕に目をこすり自分が見たものを疑ってしまうのだが、基本的に怖いもの知らずなこの2人が思わずたじろいでしまう程だから相当に怖かったのは間違いない。
そして桜木のオフェンスリバウンドからどんどんプレイがよくなっていき、河田が冷静に桜木のすごさを分析する中で安西先生は頭を抱えて谷沢を超える2人の逸材の出現に興奮していた。
そんな白髪鬼としての顔を取り戻した安西先生を見て、桜木もまた断固たる決意ができたと言い、山王に辛くも勝利しガッツポーズで両腕を高らかに上げる。
桜木と流川という2人の逸材の成長と変化に触発される形で安西先生もまた失ったはずのバスケットへの情熱と全盛期の輝きを取り戻すに至ったのだ。
赤木・三井・宮城のことはどう思っていたのか?
さて、ここで気になるのは安西先生が谷沢以上の逸材と評価している桜木と流川以外の3人、赤木・三井・宮城のことをどう思っていたのか?ということである。
これに関しては明確な答えが出ていないため何とも言えないが、おそらく高くは評価しているもののわざわざ一対一で育てようとまでは思っていなかったのではないだろうか。
これは決して赤木・三井・宮城が流川と桜木に劣っているというわけではなく、この3人は安西先生の指導がなくても自分で課題点を見つけ自分で克服して強くなってきた。
だから、安西先生が細かい技術や心構えの指南をする必要がなかったのだろうし、また成長速度という意味で見ても流川や桜木ほどの成長の余地はないものと思われる。
上級生組は才能や実力こそ確かなものではあるが、プレースタイルとしてはもはや完成されきっていて、ここから大きく伸びる余地があるからというと疑わしい。
赤木はセンターとしては立派だと思うが、今からジャンプシュートを叩き込んだとしても桜木と同じようにできるようになるとは思えない、何せ最初はドリブルすらできなかったのだから。
次に三井に関してはテクニックとセンスはあるが、フィジカルとパワー、スタミナに大きな問題があるため2年間のブランクがそう簡単には埋まらないという問題がある。
宮城にしてもシュートが下手という問題点はクリアしておらず、頑張れば克服可能ではあるが桜木や流川ほどの大化けは期待できないだろう、競い合える同期もいないのだし。
つまり、上級生組はもうすでに選手としての個性や才能が完成されきってしまっており、練習と実戦経験を積むことで強くはなれるだろうが、さらなる成長はおそらく望めない。
その点、まだ1年生で荒削りな「未完の大器」である桜木とそんな桜木を見て対抗心を燃やしてストイックに練習する流川は相乗効果で高め合えるライバル同士だ。
だからこそ安西先生は上級生たちではなく1年生の中でもとんでもない素質を持った桜木と流川のことを「日本を騒がすコンビになるかもしれない」と評しているのだろう。
安西先生の物語として見る本作は桜木や流川の視点とはまた別の「指導者」としての俯瞰した位置から違った物語として見えてきて面白いところである。
過去の記事も併せてどうぞ。
湘北のコラム
ライバル校のコラム
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