
『星獣戦隊ギンガマン』第九章『秘密の子猫』
◾️第九章『秘密の子猫』
(脚本:武上純希 演出:辻野正人)
導入

ヒカル「いただき!」
サヤ「ダメ!これはギンガットのなんだから」
前回に続きヒカルのヤンチャさから始まる今回だが、ちょっとした寸劇ではあるがケーキをつまみ食いしようとするヒカルを止めるサヤの描写は覚えておいてほしい。
この描写は後に第二十二章でも露呈することになる訳だが、前回に引き続き武上純希のお陰でヒカル=ヤンチャな痩せの大食いというイメージが固まったようだ。
小林靖子脚本だと内面を掘り下げる描写が多いので、外面的な部分での肉付けを武上純希や荒川稔久が行っているということが前回と今回で見えたことである。
ヒカルとサヤは年少キャラ同士ということで絡みが描きやすいこともあるのだろうか、後の『侍戦隊シンケンジャー』でも谷千明と花織ことはで年少者同士の絡みが描かれていた。
内容的にはスーパー戦隊というよりはウルトラシリーズでありそうな「巨大生物が小型化する」というネタだが、これは平成ウルトラを経験している武上純希だからだろうか。
ちなみにだが、同じサヤメイン回で逆の「人間が巨大化する」をやったのが第三十九章であり、何だかサヤメイン回はこういう妙なところだけ一貫性がある。
とはいえ、では面白いのかといえばそうではなく、全体的に設定はもちろん少女が山奥に住んでいることの設定も特別な広がりがないまま終わってしまった。
まあ、ギンガピンクVSサンバッシュという珍しい絡みが描かれたり、また巨大戦ではギンガイオーでアースを繰り出すなど、戦術の幅も広がっている。
サヤと少女の交流にしても全てにおいて掘り下げが甘いので全体的なクオリティーは低いが、前回と違うところは不快な部分がなかったことだろうか。
とにかく、話の密度もアクションもまあ武上純希らしい薄さといったところだろうか、あまり見ていて面白いものではない。
ただ、前回の田崎監督よりは辻野監督の方が自然に演出できていたので、武上純希は辻野正人との相性がいいというのはその通りなのだろう。
ドラマは月並み以下だが、細かい伏線になっている

今回の発端は謎の赤い隕石が降ってきたことでギンガットが小型化して聖なる力が封じられてしまったことにあるが、実はこれが細かい伏線になっている。
1つは本作において降ってくる隕石が星獣ではなく魔獣側に味方する設定であり、これは第四十章の展開に向けた1つの仕掛けになっているのではなかろうか。
宇宙から降り注いでくるものが必ずしも地球人にとって味方をしてくれるものだとは限らない、ましてや特撮において「隕石」はほとんどが敵か生涯のフラグである。
今回でいえば星獣の持っている力を封じ込めてしまう邪悪な力が入った宝石であり、イリエスだったとしたら目の色変えて欲しがりそうだ。
また、ギンガットに関してはぶっちゃけ普段の巨大化した姿も今回の小型化したデザインも可愛いかといえば別に可愛くはない。
元々星獣自体が「可愛さ」というよりも「ゴツさ」「神々しさ」といったところに重きを置いたようなデザインだからである。
本来は星を守るために生まれてきた存在であり、少なくとも山奥に住む孤独な少女が簡単に触れ合えるような存在ではない。
青山勇太だってその辺りの一線を弁えていたからこそ、第六章・第七章でも決して星獣の聖域に踏み込むようなことをはしなかった。
逆にいえば、今回サヤが女の子と2人きりで描かれているのは男性陣だと女の子同士の特別な絡みや雰囲気が出せないからだろう。
家に両親がいなくてずっとひとりぼっち、自分の家によってきてくれた猫は決して自分のものにはなってくれない星獣だったのだ。
これは男性性が強い中だと描けない話であり、そういう意味では前回に比べて不快感が少ないのはこういうところからだろうか。
しかし、本作はこの辺り面白いのが男同士の話を描くのが小林靖子で、女の子同士の話を描くのが武上純希や荒川稔久というところである。
なぜこのような組み合わせになっているかというと、これは前作『電磁戦隊メガレンジャー』の反省が活きているからかと考えられる。
というのも、小林靖子が描いたネジイエローとネジピンク、メガイエローとメガピンクの女同士の殺伐とした感じは露骨にやりすぎた。
シリアスが得意なのは別にいいのだが、女同士の絡みを描くと小林靖子の場合あまりにも生々しい一面が出過ぎてしまうところがある。
対象年齢が子供であることを考えると、あれは明らかにやりすぎであり、そこら辺もあってあまり過度に重くしすぎないようににしたのだろう。
サンバッシュの「やられ」キャラ感

さて、今回注目しておきたいのはもう退場まで残り話数の少なくなってきているサンバッシュの「やられ」キャラみたいな描写の数々である。
まずはサンバッシュがいかにDQNなやつかというのはこのセリフが如実に語ってくれている。
「成功したら俺様の手柄、失敗したら先生の責任ってことだ」
このジャイアニズムというか幼稚な他責思考がサンバッシュの上司としての器の小ささを表しており、有能なモークをはじめとするギンガマン側と好対照を成している。
ここまで実績らしい実績を残せずに来ているサンバッシュだが、その原因は結局「自分は悪くない、結果を出せない周りが悪い」という他責思考にこそあるのだ。
だがこれはサンバッシュのみならず、バルバンのほぼ全員が共通に持っている性質であり、仕事ができない奴に限ってこういうことを言うのである。
サンバッシュの陽動作戦はこの後も第十二章まで使われるのだが、結局自分が泥を被りたくないからと樽爺に全ての責任を押し付けてきた。
そしてゼイハブやシェリンダを前にするとズレた言い訳ばかり並べる、典型的な仕事ができずうだつの上がらないダメ上司の典型だろう。
というか、そもそもゼイハブやシェリンダはあくまで「結果」を求めているのであって「理由」「言い訳」がほしい訳じゃない。
まあこれはサンバッシュに限らないが、今の世の中に増えているのはサンバッシュみたいな痛い点を指摘されても「自分はやってます」とか無意識に反論する人だ。
これははっきりいえばあまりにも周囲をイラッとさせるディスコミュニケーションであり、素直さがない奴はこうなるという典型だろう。
目的に対する目標・戦略・戦術の見通しが甘く、朝令暮改や部下の裏切りを見抜けなかったという結果が悲惨な現状をまねいている。
誰もサンバッシュの正義なんぞ聞いていないし、こういうことばかりを繰り返しているとそのうち気付かなくなってどんどん落ちていくのだ。
まあサンバッシュの末路がどうなるかは第十二章で全てが露呈するから置いておくとして、このサンバッシュの「やられキャラ」感は決して他人事ではない。
私も特にこの1週間で嫌というほど痛感しているが、人として最低限の礼儀・礼節・仁義のなっていない人は誰しもがサンバッシュのようになりうるということだ。
ましてや今世の中はAIに一番心血を注いでいるから、ギンガ戦士のレベルに到達できない人はどんどん首を切られて淘汰されていくのである。
バルバンとはそういう意味で現代にも通ずる、どころか今の時代にこそ改めて見直すべき「こうなってはならない」の寄せ集めであろう。
だから今回も自分より弱いはずの女子供にしてやられるという展開になっており、ここは本作の特徴がよく出ている。
どちらかといえば印象的だったのはギンガレッド/リョウマとギンガイオー

さて、個人的にこの回一番目立ったのはギンガレッド/リョウマとギンガイオーであり、やっぱり私はなんだかんだ主人公キャラを中心に見てしまう。
今回初めて二刀一閃という二刀流の技を披露して倒していたが、これもまたギンガレッドを特徴づける初期の代表的な個人技ではないだろうか。
長剣と長剣、あるいは短刀と短刀ではなく長剣と短刀というアンバランスな技の組み合わせで自由自在な面白さを生み出している。
決めポーズもかっこいいし、後半に入るとガレオパルサーなども手に入るので、歴代でも相当に優遇されたレッドだといえるだろう。

そしてギンガイオーだが、合体前のみならず合体後にもアースを使って右肩から銀花弾を出すなど、近距離だけではなく飛び道具も上手に活用している。
ガルコンボーガンも背中から外して使うようになるなど、後半に入ると強化されてしまうために、初期のロボアクションの豊富さは改めて強調しておきたい。
後半の超装光も嫌いではないが、やはり単独でバルバンの魔人相手に無双していたこの頃の方が動きも良かったし、映像のリズムとしても最高である。
逆にいうとギンガイオーは前半がピークだったも言えるのだが、前半では扱うドラマの情報量もそんなに多くないからこそできたことかもしれない。
細かいところで言えば、やはり森のロケーションの色気をそれなりに出せているのは辻野監督の良さが出ていたが、それでもやはり出来としては物足りないだろう。
せっかく仕込んだゲストキャラの設定がギンガマン側と有効に機能して物語に広がりが出るわけでもなく、またギンガマン側のキャラとバルバン側の相剋も本格的ではない。
したがって総評としては D(凡作)100点満点中50点、辻野演出は確かに武上脚本との相性がいいようだが、本気度という意味では次回の足元にも及ばない。
次回は満を持してやってくるハヤテメイン回、小林脚本と辻野演出の本気を是非とも堪能せよ。