『デジモンアドベンチャー:』が示した現代種デジモンの進化ツリーの派生と『デジモンアドベンチャー』の進化ツリー・価値観の旧式化
昨日、聖なるオーバーライト『アルフォース』とそれに類似した「デジメンタル」「デコード能力」を中心に古代種デジモンに関する考察をしましたが、やはり古代種デジモンに関してはまだまだ未解明だらけのブラックボックスの塊です。
公式側の解説が少ないのでファンの方でその隙間を埋めていかなければならないのですが、逆に進化の自由度が高く色々できるのが現代種デジモンであると思っていて、『デジモンアドベンチャー:』は正にそれを実現した世界観とお話でした。
あの作品で登場した「ブリッツグレイモン」や「クーレスガルルモン」、並びにその合体である「オメガモンAlter-s」という新たなウィルス種の登場により無印の進化ツリー・価値観がもはやカスみたいに旧式化してしまったのです。
私がもう無印をまともに見れない、所詮は信者の思い出補正による過大評価が凄いだけの「過去の栄光」でしかなく、そんなものは真の名作には決してなり得ないのであらゆるデジモン作品の中でも無印だけはほとんど見返すことがありません。
デジモンシリーズのポケモンにはない魅力の1つに「無数の進化ツリーがある」ことであり、イーブイなどごく一部の例外を除いて進化ルートが一本化されているポケモンに対して、デジモンは育成の仕方や環境によって進化ツリーが異なります。
「02」の本宮大輔とブイモンを除いて主人公サイドが「正解」とされたルート以外へ進化することは好まれず「暗黒進化=間違った進化」という扱いにされており、紋章などを用いて正しい方向に進化させねばならないという制約がありました。
しかし、これはよくよく考えるとおかしなことであって、そもそもゲーム『デジモンワールド』では完全体より上の究極体は存在せず、また同じアグモンであってもグレイモンになるかティラノモンになるかは半々でした。
そしてグレイモンの進化が素晴らしいことでありティラノモンに進化するのがハズレであるなどという価値観はありませんでしたが、アニメシリーズがその価値観を持ち込んで本来あるデジモンの進化のあり方を歪めてしまったように思えるのです。
そう考えると無印信者がこぞって批判している『デジモンアドベンチャー:』で現代種デジモンが無印とは違う進化ツリーを派生させて違うタイプへの進化を提示しているのはむしろデジモン本来の進化の魅力へ原点回帰しているのではないでしょうか。
例えば「02」で出された青色のウィルス種のメタルグレイモンはイービルスパイラルによる「間違った進化」扱いを受けていましたが、無印でオレンジ色が出る前はむしろ青色こそが正当なメタルグレイモンとして扱われていたのです。
もちろん『デジモンアドベンチャー:』にも俗に言う「暗黒進化」と呼ばれるものはありましたが、それは決してウィルス種=闇=悪という単一的かつ稚拙な価値観ではなく、外的要因によるテイマー側の暴走で引き起こされています。
しかし、それを経た上でなおワクチン種とは異なるウィルス種への進化が物語の中で肯定されるようになったことで、改めて進化すること自体がそもそも難しい古代種とは違い現代種の魅力がこのシリーズに詰まっているように感じられました。
無論このような進化が可能になった理由としてはアドコロ版の八神太一が「Vテイマー」の八神タイチと出会い「グレイモンでは究極体に勝てるわけない」と厳しく評されたことが大きなヒントになったと思うのです。
タイチはアルフォースブイドラモンに覚醒させるまではパートナーのゼロマルがオーバーライトによる寿命の短さというリスクと向き合いながら戦ってきたために、デジモンは進化できることそれ自体がいかに尊いかを知っています。
そしてそれがアドコロ版太一の心の中にある勇気を奮い起こし、通常であれば不可能なはずのアルフォースブイドラモンへの進化を可能にしていた、つまりアドコロの太一とアグモンはこの時彩羽レイとデジメンタルと同じ役割を果たしていたのです。
そういうこともあって、アドコロ版の太一は無印の太一と違って様々な進化があることを知り、それがあったからこそブリッツグレイモンというウィルス種への進化もまた可能となったのではないでしょうか。
だから私は無印最終回のゲンナイのセリフがどうにも胡散臭かったのです。
はっきり言って最初に見たときは「何を今更取ってつけたように糊塗しようとしてんだよこのクソ爺が」と思ったし今でもそれは変わりませんが、アドコロでそれが実現したのを見ると結果的にこのセリフは間違ってなかったことになります。
つまりウィルス種に進化するかどうかではなく「自らの本質を見失うことなく強き意志をコントロールして進化させること」が大事であって、それが21年越しにようやく実現したのです。
そうなると当然太一たちの戦いのステージも無印の頃に比べて格段に上がることになるわけで、無印では精々ダークマスターズやアポカリモン程度で精一杯でしたが、アドコロではミレニアモンと戦うほどになっています。
やはり本宮大輔もそうでしたし秋山遼・神原拓也もそうなのですが、「Vテイマー」の八神タイチと出会えた者たちは必然的に七大魔王かそれに匹敵するレベルの暗黒クラスとの戦いを経験することになるようです。
古代種デジモンの魅力が「オーバーライト」という名の「力とエネルギーの前借り」というリスクを持って戦うが為に「成熟期以上へ進化することがそもそも稀である」が故の魅力・ロマンがたくさん詰まっていました。
それに対して現代種デジモンの魅力はそういう進化のリスクがない古代種の廉価版であり希少価値が薄いが為に、逆に言えば進化ツリーの制限がなくなろうと思った様々な形態に派生した進化ができるのが最大の魅力でしょう。
これも正に本宮大輔や彩羽レイが持っている「想いの力がデジモンの更なる進化の可能性を切り開く」がベースにあるものであって、私はアドコロ版こそが本来あるべき『デジモンアドベンチャー』だと思うのです。
少なくとも漫画『デジモンアドベンチャーVテイマー01』やアニメ『デジモンアドベンチャー02』に関してはそこをきちんとわかった上で古代種だからこそできる進化を示していたから今でも好きなのです。
以上を踏まえると、た『デジモンアドベンチャー』のウィルス種=闇=悪やその続編である「ラスエボ」の「大人になったら成長が止まる為、エネルギーが失われて別れざるを得ない」というクソみたいな設定や価値観が受け入れられません。
やはり元凶は従来のヒーロー作品に対してひねくれているお局様こと関弘美でしょうか、「ポケモン卒業生集まれ」だのやたらポケモンのファン層に喧嘩売る真似をして自分が作り出すものは名作劇場かぶれしか作れないのですからね。
そんな人間が本来あるべきデジモンの魅力をことごとく潰してきたのだと思うと私はやはり何年経っても、どこまで行こうと無印の価値観は許容できないし彼女には2度とデジモンのアニメシリーズには携わるなと言いたくなります。
決してアドコロ版が名作だったとは言いませんが、少なくともデジモンの進化ツリーの派生も含めてやっとゲームの世界に近い本来の「デジタルモンスター」の価値観に近づけられたことは間違いないでしょう。
逆にもう無印は耐用年数を既に過ぎ去っており今見直しても何も感じるものも刺さるものもありません。