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皆さん、来年以降に向けての準備は完了していますか?

今年ももう残り12日、以前にもお話ししたと思うが、10月〜12月の3ヶ月間、来年以降に向けてどれだけ「準備」を頑張るかがこれからの人生の鍵を握るという話を以前した気がする。
9月21日からの3ヶ月、noteでも仕事でも何でも私は「種蒔き」「準備」を意識してやってきたし、お陰様で波動も上がっているし環境もどんどんいい方向に変わってきた。
今が本当に人生で一番仕事もプライベートも楽しい、仕事が充実すればnoteも遊びも充実するし、逆に言えば仕事をちゃんとやれない人はnoteも遊びも中途半端ということだろう。

来年以降の3年間、これはもう予め言っておきたいことだが、バブル崩壊やリーマンショックが可愛く見えるほどの抜本的なパラダイムシフトが社会全体で起こる。
どうなるかというと、偽物が淘汰され本物だけが生き残る世界という弱肉強食の様相を呈するようになっていくだろう。
これは決して良し悪しや好き嫌いの問題ではなく、事実として間違いなく現段階でもそういう自浄作用が世界全体で起こっていて、それが来年以降本格化する流れだ。
それまで真っ当に頑張ってきた人が報われる時代が来て、逆に楽しようと逃げ続けてきた人や適当に生きてきた人はあっという間に梯子を外されてしまう。

それこそ「叱ってもらえないZ世代」の話をここ最近しているわけだが、ぶっちゃけ真っ当に頑張る人とそうでない奴との二極化はZ世代に固有の問題というわけじゃない。
例えバブル世代だろうがプレッシャー世代だろうが頑張るやつは頑張るし頑張らないやつは頑張らない、天才は天才だし凡人は凡人というわけである。
仕事に貴賎はないが人間に貴賎はあるし、これからは人としての深み・思考力・心をきちんと持っていなければ簡単にAIに取って代わられてしまう。
だから今までは週末に彼女と遊び呆けて何となく生きていた人たちがもはや職場に依存して楽できるようなぬるい世界ではなくなる。

今いる職場でも、私よりも遥か年下の同期は業務中も休憩時間も和気藹々とまるで友達かの如く仲良く談笑しているようだ。
しかし、それでは実際の仕事への取り組みや結果はどうなのかというと、やっぱりきちんと結果を残すことができていないようである。
正直張り合いがない、というか余りにも競争心と向上心がなさすぎて、あんなところに意識を合わせていたら自分が下がるだけだと自分を戒め、彼らの輪に混じらない。
最低限「おはようございます」「お疲れ様です」の挨拶程度は交わすが、それ以上の話をする気はなく、黙々と自分がなすべき業務に真剣に取り組む

職場は決して仲良しこよしの理想郷では決してない、大事なのは「結果を出すこと」であり、目標を数値化してやれることはどんどんやる。
先輩上司の姿にどんどん教わり、間近で仕事の姿勢を見てその背中に学び、その技を盗み抽出して自分なりのやり方を模索し構築していく
確かに職場の上司の方々は「仲間」ではあるが、同時に「ライバル」「敵」でもあるという意識を持つことは大事ではなかろうか。
そういう競争心・向上心があるかぎり何歳になっても成長はできるし、逆に言えば現状の自分に満足してしまうと停滞からの後退を招いてしまう。

仲良くすることが悪いとは言わないが、その中にしっかりしたプロ意識と向上心を忘れては単なる大学の飲みサーと大して変わらない。
その癖、質問の時間になったら何の意味があるのかよくわからない質問ばかりをして、貴重な時間を奪っているという自覚すらもないのである。
だから私は本当に必要なこと以外は質問しない、どうせほとんどの人が聞くことなんてマニュアルに書いてある枝葉のどうでもいいことばかりだからだ。
質問をする前にまず自分で深く内省し、何が良くて何がダメだったかという振り返り・フィードバックして自分で考えられるところまで考えてみる

その上でどうしてもわからないことがあれば、その時だけ質問するわけだし、質問もきちんと目的・意図を明確にしないと無駄なコミュニケーションコストになるのだ。
そうした意識の差は思考の差となるし、その思考の差が結果としては表層に具現化するところの行動・言動の差となって現れることに気づかないままである。
かといってあれこれ言う時間もエネルギーも無駄だから、何も言わず自分が背中を見せてしっかり頑張ることで力の差を見せ続けるしかない。
そこで本当に上達しようという意思のある人は曲がりなりにも何とかしようとするが、向上心の低い人たちはそれを見て「自分には無理だ」と諦めてしまう、改善の努力すらせずに。

来年からはそういう向上心・向学心・競争意識が低い人や弱い人はあっという間に叩き落とされていく厳しい時代が来るだろう、逆に言えば今真剣に自分の人生を生きている人にとってはチャンスである。
私はもうかれこれ5年間、自分の人生を真剣に考え将来どうなりたいのか、そのためには何が必要かを考え必要な自己投資をしてきて今がある、まだスタートラインにすら立てていない。
だから今のうちにやれるだけやって大きな差をもう今の段階からつけておく、それで指さされて嘲笑されようが何だろうがどうでもいい、だってそいつら全員偽物なんだから
この期に及んで「ワークライフバランス」だの「コスパ」だの「タイパ」だの言うくせに、「給料が欲しいけどきつい仕事は嫌だ」なんてわがままを言うくせに、自らは環境を良くするための方策すら考えない。

仕事に給料がつくのではなくその人自身の給料がつくのであり、よほどの例外がない限り収入というのは常にその人に見合った分しか払われないようにできているのだ。
Z世代は合理的な選択をする人が多いというが、それは本当の意味での合理性ではなく、単なる「嫌なことから逃げ出して楽したい」という感情論なのではないか?
実際、Z世代の新人に電話を取らせる理由として面白いものがXにあった。

見た時思わず笑ってしまったのだが、上の世代の人たちがZ世代の新人に対して与える仕事なんてこんな風に「AIに取って代わられるような雑用」ばかりなのである。
少なくとも30代以上の大人が若者に何を期待しているかというと、一生そのめんどくさがりの脆弱なメンタルをそのまま持ってバカで居続けることだ。
なぜならば、その方が必要最低限の賃金だけ与えるだけでいいし、その取り分をもっと頑張っている人に与えることが可能になるのだから。
文句があるのならば、会社の先輩たちを出し抜くような仕組みを1から考えて作ればいいが、そんなのは上位6%の思考力を持った天才以外は不可能である。

合理性とかコスパとかタイパとか、そんなのは自分の生き方を真剣に考えあれこれ模索して、要らないものを削ぎ落として最適化した先にこそ手に入れるものなのではないか?
それを最初から持っているかの如く振る舞うのは滑稽だし、詰まるところそれは戦術だけは磨いているが肝腎要の目的・目標・戦略を持たないままイキってるだけだと私は思う。
そのくせちょっと嫌なことがあったらすぐ逃げ出し、厳しいこと言うなら「暴言」と見做すし、笛吹けども踊らずで結局自分のコンフォートゾーンから抜け出そうとしない。

「好きを仕事に」なんてふざけたことを抜かす奴らが2010年代に跳梁跋扈したが、そうやって言っていた奴らは今全員見る影もないじゃないか
好きなんて感情論で仕事はできない、いつの時代であろうと仕事はあくまでも真剣勝負の場であって、自分の生活や命をかけて責務を全うし、それに見合った対価をいただく。
好きなことなんてそれをできるだけの仕組みを作ってお金を得るだけ得てからやればいい、あるいは好きな時間に趣味でやるか。
常に臨戦態勢で構えて言葉という名の日本刀を抜いて真剣勝負を交わすことによって初めて対価を得る、だから私も仕事の最中に無駄口は叩かないし全神経を目の前のことに集中する。

できるかどうかじゃない、この俺が何とかしてやってやるという意思、それがいい緊張感をもたらしクオリティの高い仕事につながっているのではないだろうか。
どんな仕事でもそう、たとえ昼職だろうが夜職だろうが結果を出す人は出すし、結果を出せない人は自分を客観的に見ることができずに不平不満を並べるだけ。
俺はそんな人になりたくはないから、感情的にキツくてしんどくても、痛み傷つくことはあっても、今自分がやれる目の前の仕事は何でも全力でやる、そこに「自分らしさ」なんて必要ない
自分らしさなんてプライベートで出せばいいのであって、仕事では間違っても「自分らしさ」なんて持たない方がいい、仕事で求められるのはあくまで数字であり結果なんだから

退職を惜しまれるぐらいの人に、あるいは転職時に「是非うちに来てください」と言われるぐらいの人にならないとダメだし、そういう人が来年以降はチャンスだろう。
来年以降の地獄の3年間を歯を食いしばって我慢し凌ぐことができるか、そこへの準備を私はこの12月までに一通り済ませることはできた。
あとは来年以降に向けてレイヤーを上げるのみ、他の人のことなんかぶっちゃけどうでもいい、頑張れる人は頑張ればいいしサボりたい人はサボればいい。

結果は3年後、見事な二極化となって現れるだろう。

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