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堀江貴文という芸術的センスゼロの"逆・手塚治虫"について考える!経営者と作家は根本的に分かり合えない存在である

そういえば、この間の「日本の芸能界のやりがい搾取という構造」を取り扱った記事でサラッと「手塚治虫は作家としては超一流だが、経営者としては下の下(三流のC)」ということを書いた。
既に故人である為にフォローしておくと、手塚治虫自身は決して悪いわけじゃない、彼は多作多筆であるが故に過労が祟ってしまったが、間違いなく「漫画の神様」という名がつくほどの超天才である。
しかし一方で、虫プロが何度も倒産・自己破産寸前まで行っていた話やアニメーターが低賃金重労働を余儀なくされているのを聞くにつけ、彼は日本のウォルト・ディズニーにはなれなかったのだと思う
そう考えるとウォルト・ディズニーという男は化け物である、「作家」であることと「経営者」であることを両立し、何度も自己破産を繰り返しながらもディズニーを世界一のアニメ会社に育てたのだから。

天は二物を与えず、とはよくいうが「作家」であることと「経営者」であることは両立が難しい、必要とされる才能・センスや向き不向きの問題が特に強いからだ。
経営者には作家の人たちが抱える「産みの苦しみ」というものは決して理解できないし、逆に作家には経営者の人たちが抱える「お金が循環する仕組み」を成立させる苦しみはわからない
そんな事例がかつてあったのだが、それが今YouTubeでひろゆきと並ぶご意見番となっている天才経営者・堀江貴文ことホリエモンであり、以前も書いたと思うが私は彼のことが大嫌いである。
何故ならば彼は「経営者」としては超一流だが「作家」としては無能という、いってみれば"逆・手塚治虫"であり、日本の芸能界やクリエーションに対するセンスが壊滅的だ。

そもそも西野亮廣の映画「えんとつ町のプペル」なんぞを「感動した」なんて褒めてる時点でセンスがないと私は思っていたし、宇野常寛と話していた「映画館に何故見に行かないといけないのか?」論争がわかりやすいだろう。
何が腹立つといって、そういう芸術的センスが皆無で不向きなのに芸術のことをどうこう口を出したり、訳のわからない三流ラップみたいなダサい芸術活動を余興みたいにしてやっていることだ。
「お前芸術ナメとんのか?」と言いたくなるし、そういえば最近も大分で温泉ぶっかけのしょうもない音楽フェスやってたっけ、本当に大分県民の方々にとってはいい迷惑である。
つくづくこういうのを見ていて思うのは、最近だと西野亮廣もそうなのだが、何故作家・芸術家のセンスがゼロの奴がさも「自分は芸術のことわかってますよ」みたいな立ち居振る舞いをしているのか?ということだ。

西野亮廣に関しては以前映画「えんとつ町のプペル」の感想・批評のコーナーでも書いたが、彼がやっていたのは「斬新なビジネススタイル」が話題を呼んだのであって「作家性」が素晴らしいのではない
それにもかかわらず、「自分は絵本・映画・芸術のことがわかっています」というような顔をして自己主張してくる感じが嫌われているのではないかと私には思えてならない。
大体、本物のアーティスト・作家と呼ばれる人たちは例えば北野武や又吉直樹がそうであるように「作品」で語るものであって、ビジネスモデルがどうのこうのと講釈を垂れることはないだろう。
だから私はホリエモンも西野亮廣も「起業家」「経営者」「マーケター」という「金が回る仕組みを生み出す人」としては評価しても「作家」「芸術家」「クリエイター」として評価しないのはそこにある。

これを裏付ける端的な事例があった。
もう10年前になるが、ホリエモンは声優業に関してろくに現場のことを知りもしないくせに、経営者目線で余計な失言をして榎本温子から反感を買い、緒方恵美や橋本裕之ら業界人が宥めた事件があった。
形だけを見ると榎本温子がホリエモンに対して癇癪を起こしただけのように思われるが、この一件の何が厄介といってホリエモンもあっちゃん(芸人じゃない方)も言い分は間違っていないことである。
以下、当時のやり取りを抜粋してみよう。

堀江貴文:声優って実際そんなにスキルいるんかえ?って身も蓋もない話もあるし。RT @bowwanko : 養成所は何十万もかけてるけどアニメを作ろうは一万円だからお得、というのは違うように思います。声優の卵が養成所にお金を払って通ってるのは己のスキルを上げる為であって。(2013.6.16 12:14 PM)
堀江貴文:真面目にやってる人達には悪いけど実際売れてるタレントさんには常に声優のオファーはあるんだよね。俺にすらあるからw 養成所に入ってスキルあげなきゃってのは悪い意味での日本的真面目さなのかなと。有料オーディション通いまくる自己流でトレーニングの方が場数踏めたりしてね。(2013.6.16 12:17 PM)

榎本温子:声優って実際そんなにスキルいるのか?と聞かれれば、ものすごいいる。匠の世界だよ。(2013.6.16 3:36 PM)
榎本温子:もちろんいろんな現場があるし、最初からみんなうまいわけじゃない。でもね、一言発するだけでそれが芸術になるような、人間国宝みたいな人がたくさんいるって私はそばで見てきて思うよ。分かれとは言わないけど、バカにされると悔しい。(2013.6.16 3:38 PM)
榎本温子:やってみたらいいんだよ!!!今はデジタルで口パク直してくれたりするけどそんなん許さないからね!ちゃんとパク合わせてね!あと絵はコンテ撮だけどちゃんとお芝居してね!← ※カラーで絵が入ってる現場も稀にあります。(2013.6.16 3:47 PM)

緒方恵美:温子の言うのは正論だけど、こういうと、パクだけ合わせるのに一生懸命になってる素人さんが、「私はできる!」とイッチャウから(笑)>RT<なのでたまには真面目にひとことフォローを。⇒(次のツイート)(2013.6.16 4:13 PM)
緒方恵美:本当に難しいのは、パクを合わせることじゃない。キャラクターに「呼吸をさせること」。 本当の意味で「いのちを注げる声優」は、プロと言われる人の中でも、限られている。そこへの道は、本当に、…遠い。 それがホンモノの「匠」であり、そこへの必要スキルは、∞~!( ̄∇ ̄)w(2013.6.16 4:22 PM)
緒方恵美:今はいろいろ便利な世の中だから、口パク合わせだけなら素人でも上手くなれる。モノマネもね(←私は誰のマネが出来る!と思ってる人注意~)。 でも「誰かマネ」をやってるうちは、何者にもなれない。 オリジナルには一生勝てるワケはないのだから。 大事なのは自分だけの「人間スキル」だよ。(2013.6.16 4:33 PM)
緒方恵美:(…あー、さっきの話が出てきた、元話はコレかぁ。。(^^;;ナルホド!) めんどくさいことになるとアレなので取り上げないけど、ひとり、勝手につぶやいとく。 「彼」が言おうとしていることは、その通りでしょ。…別の意味の「正論」!w …文章は、ちゃんと読まないとな!( ̄∇ ̄)(2013.6.16 4:59 PM)

橋本裕之:声優でも何でもやるだけなら出来るやるだけなら…でも続けて仕事したいならやるだけじゃやっぱりダメで、何より続けていける事が大事なんだよ、続けて行こうと思っても自分一人の力では続けていけない。周りがあいつなら次の仕事も出来るだろうって仕事をくれたり一緒にやりたい人が居て始めてなりたつ(2013.6.16 4:20 PM)

緒方と橋本がフォローしてくれなかったらとんでもない大論争になっていたと思われるが、私に言わせればこれはどう考えたってホリエモンが悪い、明らかな勉強不足による失言だ。
確かに「実際売れてるタレントさんには常に声優のオファーはあるんだよね」や「養成所に入ってスキルあげなきゃってのは悪い意味での日本的真面目さなのかなと」は間違いではない。
経営者目線で見れば「声優を育てるのに養成所以外のビジネスモデルがあるんじゃないの?」という構造上の問題があって、それが以前私も指摘した「やりがい搾取」という業界の闇だから合っている。
しかし、だからと言って「声優って実際そんなにスキルいるんかえ?」「有料オーディション通いまくる自己流でトレーニングの方が場数踏めたりしてね」は明らかに声優業の実態を知らない差別発言だ。

そりゃあ榎本温子でなくても誰かしら声優のプロなら怒っているだろう、学生起業でたまたま運よく成功してずっと思考の抽象度が高い経営者という上流のステージしか知らない経営者は平気でこういうことをいう。
逮捕されて刑期を終えて少しは反省したのかと思いきやこれだから、彼を見ていると「口は災いの元」というのが非常によくわかるいい例ではないだろうか。
緒方恵美がいうように、声優という職業の難しいところは「声だけで演技しなければならない」上で「キャラクターに命を吹き込む」という高いハードルをクリアすることにある。
そこが舞台・映画・テレビドラマとは大きく異なるところであり、生身の肉体や表情をフルに駆使して演技ができないのが声優という職業の一番難しいところだろう。

ましてやこれが原作付きのアニメだと余計に難しく、例えば「ドラゴンボール」の主演に野沢雅子、「ONE PIECE」の主演に田中真弓のような大御所を起用している理由もそれである。
ジャンプ漫画の中でも老若男女が楽しめる国民的漫画として出てきたこの2作は原作ファンの思い入れも強く、だからこそ声優のキャスティングやオーディションには相当気を遣ったはずだ。
原作漫画のファンが実際に映像を見た時に「これだ!」と思えるものを提示しなければならず、それが大変なのであり、緒方恵美のいう「キャラクターに呼吸をさせる」とはそういうことである。
それをホリエモンは不躾にも「俺でもできんじゃね?」みたいに言ってみせたのである、役者や声優だって「作家」「芸術家」であり「産みの苦しみ」を感じながら作っているのに。

しかも上が詰まっていて若手が代替可能な消耗品のごとく使い捨てにされている昨今は益々そのシビアな競争に打ち勝って生き残るのは難しいことなのである。
つくづく思うのは経営者と作家というのは基本的に「分かり合えない」存在であるということだ、むしろ経営者も作家もできたウォルト・ディズニーのマルチぶりが異例中の異例だろう。
もちろんだからと言ってホリエモンがダメだと言いたいのではない、彼も厳しい受験戦争を勝ち抜いて東大合格を果たし、ネット黎明期の頃に新しいビジネスモデルを打ち立てた経営の天才である。
少なくとも数多くいる日本の経営者の中では孫正義や松下幸之助と並ぶくらい歴史に名を残す人であるのは間違いないし、私は大嫌いだが彼のビジネスパーソンとしての才能には敬意を表する。

しかし、だからこそ思うのは作家や芸術家の苦しみなぞ大してわかりもしないくせに、芸能のセンスなんてないくせに土足で足を踏み入れないでいただきたいということだ。
合理的で無駄なものを嫌う経営者と無駄だらけの遊びの塊である芸術作品を作り上げる作家とは根本的に分かり得ない存在なのだと改めて思う。

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