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チームを支える上で大事な「助け合い」と「競い合い」の両立〜「ゴーゴーファイブVSギンガマン」トークショー(2020)を振り返って〜

さて、前回まででスーパー戦隊シリーズをCO(中央集権型組織)とDAO(分散型自律組織)、プロとアマをベースに分類したが1つ「ああ、これは!」と思ったことがあった。
それは2年前のちょうど今くらいの時期に開かれていた東京国際映画祭のスーパー戦隊シリーズのトークショーであり、この時は確か5つの戦隊のトークショーがあったと記憶している。
「ゴーゴーファイブVSギンガマン」「ガオレンジャー」「マジレンジャー」「ゴーバスターズ 」であり、どの戦隊のトークショーも面白かったが、特に見応えがあったのが「ゴーゴーファイブVSギンガマン」だ。
この2作は私の中でも思い入れがかなり深いのだが、中でも面白かったのは「撮影の思い出」の話になった時に、このようなトークをしていた。

宮澤「バルバンが現れた時にみんな多分競争してるんですよ。でも私はピンクで、尚且つちょっと足が遅いので、凄く置いていかれちゃう時とかあって……そういうのはちょっと辛かったですね」
酒井「じゃあ、ちょっと気を遣って……」
宮澤「そう、気を遣ってくれてないんですよ多分。競争してたよね?絶対してたよね?(笑)」
酒井「ちょっとそういうところは調整してくれなきゃいけないのがレッドなんじゃないんですか?」
前原「あのー、ね、やっぱり、男たるもの勝ち続けたい。どんな些細な時でも……」
酒井「なんで前しか見ないの?」
前原「まあ、先頭が見切れちゃうしおかしなことになるしと……」
酒井「いやまあそりゃレッドですからね、早くないといけないですよ。でもブルーだったりグリーンだったりに「ちょっと間取って走ってやってくれ」くらいの一言があってもよかったんじゃないかと」
前原「いやむしろ、「ヨーイドンだからな。ヨーイドンで行くからな!」っていう……」
酒井「本当に競争してたんだね」
前原「うん、特に照英君なんて陸上競技選手だったから、彼に負けまいみたいな……全然、チームワーク取れてなかったですよ
宮澤「ゴーゴーファイブはそういうのないんですか?」
かよ子「なんかそういう意味では、私足速いのかなって……」
西岡「いやいや「合わせてた」んだよ(苦笑)
前原「え?足が速いとか遅いとかそういう問題?」
酒井「ちょっと、また谷口が薄ら笑いを浮かべてます」
かよ子「今左見たらすんごい嫌な顔してました」
谷口「違います違います、ゴーゴーファイブは走る順番が決まってるんですよ。長男が一番後ろで次男が後ろから支えるからブルーがゆっくり走ってあげているんですよ、ピンクを前に行かせるためにね
かよ子「ありがとうございます、ということでバランスが取れた走りはしてました」
酒井「秋田の原田さん、この証言は本当ですか?」
原田「そうですね、ちゃんとどのポジションで走ろうってのはちゃんとバランス取ってはやってましたよ。だから今もに(かよ子)が足速かったって思ってたことの方がビックリですよ」
一同「はははは笑」
前原「調整してたんだね」
酒井「じゃあちゃんと役柄に沿った走るスピードがゴーゴーファイブにはあったけど、ギンガマンの男の子たちは競争してたと」
前原「そのバルバンが街に現れてるから急いで行かなきゃならないという風に例えてもらうといいんだけど、今たまに作品を見返すと、寿梨が物凄く遅れてる(笑)」

かなり長いが、やはり演じていた役者から紡がれる言葉ほど説得力があるものはなく、こういうさり気ないトークの部分に両戦隊のチームカラーの違いが現れていると思った。
実際にその通りでギンガマンは主題歌がそうであるようにとにかく役者たちが「走る」イメージが強く、役者たちが本当に仲間なのに競い合っているところが多々散見される。
例えば稽古シーンでもヒカルとサヤが喧嘩したり、ヒュウガがリョウマに「この俺が敵になることもある!」と言いリョウマも「あんまり甘く見ないでくれよな!」と返す。
バルバンとの戦いに備えて3,000年もの間技術を研鑽してきた戦闘民族という設定は伊達じゃない、「俺(私)こそが星を守るんだ!」という戦士としての自負心と自尊心が物凄く高い。

思えば名乗りのポーズの時も全員で同じポーズを取るのではなく、それぞれの星獣を模したバラバラのポーズを取っており、共に戦う仲間なのに合わせる気がないバチバチの空気感がギンガマンらしさである。
青山親子がいることと普段が優しいイメージだからそう思われにくいが、ギンガマンは歴代の中でも意外とお互いを助け合うという雰囲気は薄く、チームとして力を合わせるようになるのは後半からだ。
個人の力量と心構えが完成する=リョーマが真のギンガレッドとしての心構えと実績を積み上げた時にこそギンガマンというチームが完成するという「個」→「全」という図式となっている。
これを更に個人単位で鍛えるという形にしたのが「フラッシュマン」であり、もしギンガマンが違う場所で育ったらフラッシュマンのような感じになっていただろう。

これに対してゴーゴーファイブは走る順番が決まっていて、長男が前で次男が後ろでみんな同じくらいのスピードで走れるようにバランスを調整しているという風に「仲間」「兄妹」の力を大事にしている
ここがギンガマンとは正反対のところであり、マトイ兄さんを中心に男性陣がとても血の気が多いため喧嘩っ早い印象があるが、意外と根っこのところではチームワークを重視しているのだ。
何をするでも基本的には5人一緒で、マトイ兄さんとモンド博士のリーダーシップが絶対という典型的な日本社会の封建制度のようだが、これは家族5人で身を寄せ合って生きてきた影響だろう。
喧嘩しているように見えるゴーゴーファイブだが、一見息が合ってないように見せておきながら戦いになるときちんと各自が自分の役割を自覚し、その上で最適の動きを見せている。

そんなギンガマンをマトイ兄さんは「お前たちは俺たちとは違う戦いのプロだ!」と言っていたが、戦闘民族というのは「ドラゴンボール」のサイヤ人がそうであるようにとてもプライドが高い。
一方でゴーゴーファイブの5人はそれぞれ国家試験に合格してそれぞれが社会の中で生計を立てていた国家公務員であり、プロフェッショナルではあるが社会性と協調性が強いのである。
ここから戦隊シリーズの中には「協力」と「競争」という2つの要素があり、前者が強いほどCO(中央集権型組織)、そして後者が強いほどDAO(分散型自律組織)のようになることがわかる。
これは二律背反の要素だが、どうにも日本人は集団主義国家ということもあってか前者が素晴らしく後者が悪いということにしたがるらしい。

SNS界隈で見ても今の時代は「競争=相手を蹴落として出し抜く最低の行為」「協力=相手を思いやる心がある最高の行為」と定義されているが、果たして本当にそうだろうか?
実際はスポーツの世界を見てみると、個人競技にしても集団競技にしても最終的に勝つのは「俺こそが勝つんだ!」というエゴが強いやつであり、今の日本に根本的に欠けているものだ。
サッカーもバスケットも野球も同じことであり、日本から海外へ進出した選手たちの中でトップクラスの活躍をできるのがほんの一握りなのもこの辺りにあると言えるだろう。
確かに協調性やパスも大事かもしれないが、いざという時には「俺こそが点を取ってやる!」という我の強さも必要であり、この両方の要素がスーパー戦隊シリーズの歴史を支えてきた。

ところ変わって2010年代になるとスーパー戦隊シリーズでもDAOが増えてきたが、それはどうにもポジティブな意味ではなくネガティブな意味合いが強いように感じられる。
つまり「俺こそが敵を倒してこの星を守るんだ!」という自尊心・自負心はイマイチ強くないくせに自分のわがままだけはやたらに通そうとする志は低く、そもそも組織にすらなっていない
海外ではすでにDAOの概念がきちんと成立しているのに日本はまだまだCOの方が根強く、今の時代になっても副業・兼業を禁止している企業が多いのを鑑みると本当にそう思う。
スーパー戦隊シリーズを見ていると作り手がまだまだDAOというものが何であるかという本質をきちんと理解しいないのではないだろうか。

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