『電子戦隊デンジマン』レビュー打ち切りのお知らせと『新機動戦記ガンダムW』を今の時代にこそ見るべき個人的理由
はい、『電子戦隊デンジマン』レビューを楽しみにしていたファンの方々に誠に残念なお知らせですが、本レビューは打ち切りとなりました。
正直、16話は「見ている分には楽しい」のだが「言語化してみると魅力がさっぱりわからない」というのもあって、視聴自体は現在も続けているのだが、今改めて全部書きたいかというと、正直なところもうそんなモチベーションが微塵も湧かない。
これは恥ずかしい話、本レビューを書いた当初から奥底で感じていたことなのだが、それでもやはり義務感みたいなものがそうさせたのか、1クール以上もダラダラと続けてしまったというのは否めないのだ。
そう考えると、今より10年前だったとはいえ、がむしゃらにスーパー戦隊シリーズの感想・批評をやり続けたあの時は自分でも思うほどの熱量と体力があったのだなあと思う。
それから、やっぱり最初は本当に好きなことというか個人的趣味・嗜好で始めたレビュー・批評に関してだが、本音の本音というところをいうと、やっていて自分が心底目指しているものとはどうにも方向性が違っている気がしてきたのだ。
それこそ天衣無縫の極みを捨てた越前リョーマ、今視聴中の『新機動戦記ガンダムW』のウイングガンダム・ウイングガンダムゼロを本当に必要な時以外には平気で乗り捨てるヒイロ・ユイのような感覚に近い。
もう私の中で、レビュー・批評の真似事らしきものをこの10年ほどやってみて、どうにも心の底からそれを楽しめていたかというと、全部が全部ではないのだが今更ながら物凄い違和感を覚えてしまう。
そんな今の私だからこそなのだろう、『新機動戦記ガンダムW』を放送からもうかれこれ30年近くが経った今見直して刺激を受けているのは、私自身が今ヒイロ・ユイのような心境なのである。
私は決して普段人に作品を勧めることはないのだが、「ガンダムW」の「Gガンダム」までにはない大きな特徴は何なのかというと「完成されている天才故の孤独・苦悩」のようなものを1995年当時にしてすでに描いていたことだ。
同年の『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ君らとは似て非なるものであり、シンジ君らは言うなれば「ごく普通の思春期の中学生」ならではの悩みであり、それはずっとコンプレックスを抱えていた庵野秀明のコンプレックスの具象化でもある。
日本人というのはコンプレックスに弱い、だから『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイや『ドラえもん』の野比のび太みたいな根暗なコンプレックス抱えた人が支持を得ているのも要するにそういうことだろう。
アムロはたとえパイロット・エンジニアとしては天才的でも人間性ははっきり言って問題ありすぎだし、のび太君にしてもいつも周りから酷い扱いを受ける日々の中で自己肯定感が低い日々を送っている。
碇シンジ君もぶっちゃけアムロやのび太君と大差はない、確かにシンジもいざ覚悟が決まればかっこいいところはあるしパイロットとしてのセンスはアスカやレイなんかより遥かに上だが、人間性を好きになる人が果たしてどれだけいるか?
それこそ「ガンダムSEED」のキラや「鬼滅」の善逸もこのタイプであり、あまりにも自己肯定感低く育てられたという人は意外と日本人に多く、セルフイメージを高く保てない「どうせ自分なんか」のタイプがすごく多くなっている。
実は「Gガンダム」のドモンもハタチで大人という設定と劇中で残した戦績や機体スペックに目を奪われがちだが、幼少期のドモンはどちらかといえばのび太くんやシンジ君を馬鹿にできないほどの泣き虫だったのだ。
どれだけ格闘家・武道家として大成し強くなったとしても根っこの潜在意識はそう簡単に変わるものではないのだが、日本人はどちらかといえばこういうタイプに共感を抱きやすいというのが1つの特徴としてある。
しかし一方でヒイロ・ユイや越前リョーマのような何でも卒なくこなせる完璧でかっこいい天才タイプは日本だと主人公にはなりづらく、どちらかといえば二番手やライバルポジションと呼ばれるところに来るものだ。
代表例はベジータ王子や流川楓なのだが、ヒイロはどちらかといえばこの系譜にあり、最初から最後まで基本的には感情的になることが少なく、何をやらせても何をしていても大概において完璧に決まってしまう。
これはシリーズ構成の隅沢さんとプロデューサーの冨岡さんとの対談でも言われていた。
それこそ今では『テニスの王子様』の越前リョーマを皮切りに『デスノート』の夜神月や『コードギアス反逆のルルーシュ』のルルーシュ・ヴィ・ブリタニアや『食戟のソーマ』の幸平創真などがこのクール・天才系主人公だが、ヒイロ・ユイはその魁であろう。
モデルとなったのは『装甲騎兵ボトムズ』のキリコらしいのだが、声優のイメージや描写から判断すると『スラムダンク』の流川楓の方が同時代のモデルに近かったのではないだろうか。
こういうタイプの主人公がなぜ流行りにくいのかというと、年間のドラマを成立させることができず「成長物語」にしづらいからであり、徹底したピカレスクロマン以外に描きようがない。
どちらかといえば私が近いのはこちらのタイプであり、特にヒイロを見ていると本当に若かりし頃の尖に尖っていた10代後半〜20代後半の自分を見ているようだし、最近もそんな頃の尖を取り戻しつつある。
そんなヒイロの面白いところは決して目先の勝利に一喜一憂せず、常に「自分はどこに向かうのか?」「どうすれば戦いという運命を変えられるか?」を言葉にせずとも行動で物語っているところにあるのだ。
ドモンみたいに怒りのスーパーモードになって感情のままに敵をぶちのめすこともしなければ、アムロのように「父さんにも打たれたことないのに!」なんて甘ったれたガキのようなことを言わない。
そして何よりも彼の行動には「自己保身」が一切ない、必要とあらば自爆という形で自分の命すら簡単に投げ打ってしまえるのだから、まさに「命なんて安いものだ、特に俺のはな」を地で行くような感じだ。
私の生き方もどちらかといえばヒイロに近いと本作を見た人からはよく言われるのだが、最近は自分でもそんな気がしてきた(苦笑)
自慢では決してないのだが、私は基本的に「夏休みの宿題」「冬休みの宿題」とかいうやつを自由研究みたいな大掛かりの宿題以外ではたった2,3日で全部終わらせていた。
中学以降はともかく小学校時代は苦手科目なんて1つもなかったし、特に国語は得意中の得意だったから言葉を覚えるのも早かったし、先生からよく朗読係として抜擢されていたのだ。
無論だからと言って決してクラスで中心に来るような学級委員タイプの優等生ではないし、また元気印のムードメーカータイプでもなく、休み時間は仲の良い友達としか話さないか一人だった。
成績はオール5方式ではなくオール3方式だったのだが、算数だけが2であとは全部3だったし、周りからも「本当物覚え早いなお前」って言われるくらいに物事をすぐ理解してコツを掴むのは人一倍早い自負がある。
それが今でも生きているのであろうか、こうして息をするように文章を書くことができる言語化能力に恵まれ、社会人として問題ないコミュニケーション能力等の基礎は一通り身についている。
だから、私はヒイロと同じで「できないこと」で悩んだりはしないのだが(できないことで悩む理由がわからない)、何で悩むのかというと「いらないもの全部壊したほうがいいのじゃないか?」ということだ。
また、前半だと特にそうだが、ヒイロはリリーナとは決定的に違い性善説を全く信じていない性悪説の立場で生きているようであり、完全平和など全く信じない立場の人間として描かれている。
後半だと互いに影響を与えているようだから多少なりは丸くなった部分もあるだろうが、ヒイロはいわゆる「敵を殺す」「いざとなったら引き金を躊躇なく引く」ことに関しては一切のためらいがない。
特にそれを感じたのは「Endless Waltz」のシェルター破壊シーンだ。
打つ前にマリーメイアに「確認する、シェルターシールドは張っているな?シェルターは完璧なんだな?」と問い「あなたたちの無力さを思い知りなさい」と言われて即座に「了解した」と容赦無くツインバスターライフル3発を撃つシーン。
おそらくは『機動戦士ガンダム』のラストシューティングのオマージュだったのだろうが、これをヒイロがやるともはや無慈悲なトドメにしか見えず、しかしながらヒイロは無言のうちにマリーメイアにこう言っているように思える。
ヒイロがやったことは明らかなマリーメイア軍に対する見せしめであり、せっかく数多くの代償という代償を支払い、やっと成立しつつある完全平和の世界を今度はトレーズの亡霊が無意に壊そうというのである。
まさに「終わりなき輪舞曲」の始まりであり、尚且つマリーメイアはあくまで父の美学の上辺しかわかっておらず戦場に出たこともなければ指揮経験も兵士としての実績も全くないただの愚鈍なのだ。
数々の戦場の狂気を潜り抜けてきたリリーナとは肝の座りようが全く違っており、このシーンに関してはまさにガンダムシリーズの中でも徹底した「覇道中の覇道」を往く本作でなければ成立しないだろう。
そしてそれを突き放したように淡々と描く作り手の一貫した製作姿勢も大変面白く、「Gガンダム」が「情感を寄って大仰に演出する」のに対して「ガンダムW」は「情感を突き放し俯瞰することで浮かび上がらせる」のである。
人生40代という不惑の年に入ろうというのにまだまだ彷徨いまくっている私だが、そんな激動の時代だからこそ「ガンダムW」を見直して酔えるのは奥底でヒイロに共感できるからだと最近はっきりわかった。
これは決して自惚ではなく確信であり、ある意味で国家というものが崩れてだんだんアナーキズムが跳梁跋扈している今だからこそ「ガンダムW」は一見の価値があるのではないだろうか。
決して美形揃いだからとかで食わず嫌いせず、ガンダムシリーズの中でも徹底した「覇道」を突き通した本作を見てほしいし、同時にそんなヒイロを見て最近の私の中でいらないものはどんどん捨てていいのだと言えるようになってきた。
よって、私は『電子戦隊デンジマン』なんぞツインバスターライフルで葬り去ってやろう、さらばだデンジマン!