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東映特撮の代表的なプロデューサーを比較してみる〜天才の平山亨、鬼才の髙寺成紀、秀才の白倉伸一郎、商才の日笠淳〜

今更ながら思うことだが、東映特撮にもいろんなタイプのプロデューサーがいるわけで、わけても個人的な印象論ではあるのだが、色分けするなら天才の平山亨、鬼才の髙寺成紀、秀才の白倉伸一郎、商才の日笠淳だろうなと思った。
他の吉川進や塚田英明、宇都宮孝明に関しても考えたいところではあったのだが、彼らの評価に関しては未だに私の中で決着が着いていないので先延ばしにさせていただく。
まず平山亨に関しては『仮面の忍者赤影』をはじめ東映時代劇や東映特撮の黎明期・草創期を支えたまさに「ファーストペンギン」とでもいうべき偉大なる天才だった
特に『仮面ライダー』を路線変更させてあれだけシリーズ化させてヒットさせたのも、また『秘密戦隊ゴレンジャー』でスーパー戦隊の最初の基盤作りに貢献したという意味でも天才である。

続いて時を大きく隔てて平成に入ると今度は髙寺成紀・白倉伸一郎・日笠淳という3人のプロデューサーが1996年から東映特撮の中心を担っていくようになる。
いうまでもなく『激走戦隊カーレンジャー』『超光戦士シャンゼリオン』『ビーファイターカブト』な訳だが、この3作を見ているとチーフプロデューサーとしての力がわかる。
特に日笠淳に関しては東映不思議コメディーシリーズから長いことチーフプロデューサーを担当していたこともあり、産み出した作品数だけを言えば歴代最多であろう
一方で髙寺成紀はチーフプロデューサーとして担当した作品こそ少ないが、その分1つ1つのクオリティーは高く、今でも語られるものが多い。

そして白倉伸一郎だが、彼はいわゆる「天才のように見せている秀才」であり、実はこの4人の中では一番クリエイターとしても商売人としても「普通」に近いのではと思う。
平山亨のような開拓者でもなければ、髙寺成紀のような凝り性の頑固な職人気質でもなく、さりとて日笠プロデューサーほどの放任主義というか商才に振り切っているわけでもない。
「大人の鑑賞に耐える作品作り」とか言って「シャンゼリオン」にしろ平成仮面ライダーの「アギト」以降の作品群にしろ、やたらに「革命」を好み「保守」を嫌う人であった。
冷徹な数字にこだわる人に見せておいて、実は一番作品のクオリティーとか年間のドラマのテーマとかいう「意味付け」に異常なまでに執着しているのが彼である。

この動画を見てもらえればわかるが、日笠プロデューサーは「ガオレンジャー」のトークショーにて、以前も紹介したが「ぶっちゃけ変身前のキャラクターに少々力がなくてもこれは行けてしまう」とあった。
クリエイターとして見るならばこれは明らかな失言であり、「おい!ドラマ性なんかどうでもいいのか!?」と私も思ったが、別の角度から捉え直すと「商人」としては間違いなく天才なのである。
日笠プロデューサーはファンからもアンチからも決して悪く言われることはないのだが、その理由の1つが「商人」に徹することができるからというべきではないだろうか。
彼は髙寺成紀や白倉伸一郎みたいに自分が主導権を握って作品のクオリティーをよくしていきたいなどというこだわりはなく、どちらかと言えばスタッフ・キャストの自主性に任せる人だという。

悪く言えば「無責任」「放任主義」とも取れるそれは裏を返せば「どうすればこの作品をヒットさせることができるか?」というノウハウと嗅覚が敏感でその部分に長けた人だったといえる。
これに対して高寺Pはやたらと設定周りから何から作品の「形式」をガチガチに固めた上で勝負したがる職人タイプであり、こういうタイプには優秀な天才タイプのスタッフが揃わないといい作品が作れない。
実際「カーレンジャー」「メガレンジャー」「ギンガマン」「クウガ」はいずれもヒットしているが、それは彼の持つ徹底した頑固な形式主義を完璧に実現可能なスタッフばかりだったからだといえる。
同じことは白倉伸一郎にも言えて、彼も作品の「意味内容」に対しては髙寺成紀に負けず劣らずのこだわりを見せるが、その彼についていけるのは井上敏樹や小林靖子のような天才タイプの職人ではなかろうか。

だから以前までは日笠Pが作った作品、わけても「ガオレンジャー」〜「アバレンジャー」、そして「ゴーオンジャー」のチープさに辟易していたのだが、上記の比較・検討すると文句も言いにくくなってくる。
以前から長々と述べていることだが、似たような要素や作風・テイストを持ちながらもなぜ髙寺成紀の『星獣戦隊ギンガマン』ではなく『百獣戦隊ガオレンジャー』の方がその後の00年代の土台になったのかというのはつまりそういうことだ。
どういうことかというと、喩えとして適切かどうかはわからないが、黒澤明と小津安二郎のような関係性に近いのではなかろうかと私は考える。
親友Fと昔よく映画を見て黄金期の日本映画についての話をした時に、「黒澤明のルック・スタイルは比較的真似ができるが、小津安二郎と溝口健二の真似は誰もできない」という話をしたことがある。

現に黒澤明の『七人の侍』『用心棒』『姿三四郎』などは日本だけでなく世界のあらゆる映画監督がそれに影響を受け、特に『七人の侍』は世界中で大量のエピゴーネンが作られた。
しかし、小津安二郎の『東京物語』『晩春』『麦秋』や溝口健二の『雨月物語』『山椒大夫』『近松物語』に「影響を受けた」人はいたとしてもそれを模倣しようとした作家がどれだけいるだろうか?
黒澤明が「世界のクロサワ」と呼ばれて世界中で持て囃されているのは黒澤映画のスタイルは比較的真似がしやすいからであり、そのルックやスタイルは黒澤でなくても再現可能なものが多い。
対して、小津映画の厳密的なまでの形式に対するこだわりや溝口映画の1シーン1カットのようなスタイルはその人自身の個性だから他の人では真似や再現が不可能なのである。

そのことはこちらで蓮實重彦も触れていることだ。

たとえば、小津を見ることでおのれの映画的世界を築いた『パリ、テキサス』のヴィム・ヴェンダース監督は、「形式的厳密さを好む作家がその好みを徹底させた場合、逆に驚くべき自然に達し、ほとんど生なましいドキュメンタリーであるかのように思われてしまうことがある」という言葉で『東京物語』を絶賛しているが、それこそ、形式による自己拘束を介した自由への試みに対する深い理解を示す姿勢であろう。

現代フランスの知性を代表する世界的な哲学者ジル・ドゥルーズも、ほぼそれに近い視点から小津安二郎の現代的な意義を高く評価している。小津の偉大さは、何を考え、何を言ったかではなく、何かを考え、何かを言うことにまつわる諸々の不自由をつきつめ、考え、そして言うことそのものをめぐっての映画を撮り続けたことにある。いま、映画がごく自然に生産され消費される記号であることをやめ、多少の困難を伴うことなく撮ったり見たりすることが不可能になってきている折、世界の最先端に位置する映画人が小津に深い関心を寄せざるをえない理由はそこにある。

そう、小津映画は徹底して画面に不要なものを映さず、真正面からローアングルで撮ることを徹底し続け、早すぎることも遅すぎることもない「小津調」と呼ばれる形式主義を徹底させることで、逆に作品自体が解放されて自由に到達している。
北野映画もやはりこれに近く、彼が徹底している「北野ブルー」「寡黙さ」といったお笑いの文脈から来る形式主義を徹底した結果として逆に作品自体が自由を獲得し、他の作家には真似できない独自性を獲得したのだ。

これは戦隊シリーズの本質である「団結」という点からは大きな逸脱であるわけだが、「王道中の王道」などと謳っていながら「形式的王道」であることをこだわり抜いた結果「ギンガマン」はむしろ従来の形式から逸脱してしまった
それはドラマに関してもそうであり、小林靖子が手がけた作品の中でも「ギンガマン」は意味的においてもとにかくその「形式的王道」に合わせる形で王道的であろうとした結果、かえって他の戦隊ではありえない逸脱を果たしている

こう書いた理由はまさにそこにあり、「ガオレンジャー」を真似しようとする人はいても「ギンガマン」を真似しようとした作品が少ない、したとしても悉く失敗しているのはそういうことであろう。
日笠プロデューサーが手がけた作品群の中でも「ガオレンジャー」は後世の作品群が真似しやすいように具体のレベルまでレイヤー(層)を下げているわけであり、再現性が高いのだ。
これに対して「ギンガマン」は相当に抽象度が高い紋切型の徹底した形式主義であり、そのルックやスタイルは髙寺成紀・小林靖子を中心とした当時の作り手にしか再現できないのである。
現に「ギンガマン」を模倣したと思しき『天装戦隊ゴセイジャー』『動物戦隊ジュウオウジャー』『騎士竜戦隊リュウソウジャー』はいずれもが失敗に終わってしまっているが、それは正にそういうことだ。

そういう意味では白倉伸一郎の作品群は徹底して「ドラマとしての意味内容」にこだわり続け、髙寺成紀とは逆に形式主義を露骨なまでに嫌う人であったが、彼がこだわる「人間の複雑性」を再現できる人は井上敏樹か小林靖子しかいない
だから彼も結果的には髙寺成紀と同じで「そのスタイルはその人にしか再現のしようがない」というレベルにまで到達してしまっているわけであり、「仮面ライダー響鬼」の後半や「仮面ライダーカブト」が失敗に終わったのもそういう理由だろう。
長いこと言語化に苦しんでいた東映特撮のプロデューサーの分類だが、ここ最近その違いが私の中で明確になってきたような気がする。

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