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神を殺すためのマニュアル


あなたの中にいる「神」

高校生までの僕は、母親や先生、周りの大人に媚びるように生きてきた。
そして最近まで、何か凄そうな「成功者」っぽい人に、羨望の眼差しを持っていた。

今もそう。
YouTubeで流れてくるような、もっともらしく、耳触りの良いことを言う人を、不覚にも「いいな」と思ってしまう。
そしてコメント欄を見ると、信者がうようよとそれを讃えている。

はっと我に返って、怖くなる。

「そいつは、自分を救ってくれやしない」

そうやって僕は神を殺してみる。
そして最終的に自分を生かすのは、自分だけだと言い聞かせる。

誰もが見えない「何か」に動かされているのではないか。
それは人に限らない「何か」。

例えば、「幸せ」という言葉。

絶対神[幸せ]へのアンチテーゼ

幸せに生きたい。

そう思う人はたくさんいるだろう。
そして巷に蔓延る「幸せとは」論議。

問おう。
『あなたが思う「幸せ」は、本当にあなたを幸せにしてくれるのか』

自分も例に漏れず、幸福に生きるためにはどうすれば良いのか、考え続けた。金か?労働か?愛する家族か?

ふと、思う。
「幸せを考える内は、幸せではないかもしれない」

幸せなんて、他人と比較した時の優越感にすぎないかもしれない。と。

もっと今を生きよう。幸せとか考えず。

今必要な(のかもしれない)「神殺しのすゝめ」

何を信じて、生きるか。
それはイエス・キリストなのかブッダなのか。
それとも全てを手にできる巨大な資本なのか、平等を謳う社会なのか。

いざとなったら信じた神が、お金が、国が、私を救ってくれるのか?

資本主義経済、消費社会はこれからもどんどん加速し、新たなテクノロジーに溢れる。そして生活が一新される。
民主主義のあり方も問われ直され、国のあり方も変わっていくだろう。

そんな激動の時代の狭間で我々は、何を思って、何を信じて生きるのか。

社会的な安定?
それは大企業で稼ぐことなのか、公務員として働くことなのか。
一発逆転の大成功?
ノーベル賞をとり権威となることか、起業して億り人になることか。

もはや一切を神に委ねてしまうのも、良いのかもしれない。
僕みたいに捻くれてなければ、きっと幸せになれる。

今この瞬間、全く無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それが全てだ。

岡本太郎著『自分の中に毒を持て』青春出版社

もし少しでも捻くれてしまったら、神を殺して爆発しよう。
僕は暑いので、アイスを食べながら見守ります。


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