求愛ダンス踊らせてくれや
ベタは闘魚とも称されるほど気性が荒いそうだ。
もっとも我々人間は競馬、品評会などと動物を競わせることがあるが、競っているのは実は人間同士であって動物の意志ではないように思う。
そう思うと滑稽だ。
私たちはなぜ他人と比較して勝ちたいのかという問いにずっとぶつかり続けていたが、これはある種の求愛ダンスなのかと考えるようになった。
いかに自分の鳴き声が大きいか、身体が大きいか、美しい尾を広げられるか。動物は様々な方法で異性にアピールする。
人間も同じではないか。
いかに自分がセンス良く着飾るか、歌が上手か、喧嘩が強いか、それらの点は動物と似通う部分があるが、収入が大きいか、賢いか、などと自分の価値を確かめるために勝ちたいのではないだろうか。
そして相手にこの人と遺伝子を残したいと思わせたものが勝つのだ。
・・・
離婚協議が思うように進まない。
相手方が両親が両親がと言って自分の意志を表明せず離婚についての方向性が出せないので、こちらが代理人弁護士を立てたが相手からの連絡を待つ状況が続いている。
焦るつもりはないが、私も28歳になったのでリミットが迫っている。
離婚をしたら次の結婚のことも考えたいし、それなりにライフプランやビジョンもある。子供だってほしい。
まったくもって不平等だなあ、とつくづく思うのは女性は子供が欲しいと思ったら35歳くらいまでにそれなりの計画とアクションを起こさなければならないことだ。男性ならば経済的ゆとりができてから・仕事がひと段落してから等とほかのことに優先順位を置いたとしても後から取り返しがつくのに、女性は自分の子供を望む場合そうはいかない。
生物学的に考えれば当然のことなのかもしれない。
ただ人間は「社会」というものを構成しながら生きていくという方法を選んでしまったから難しくなっちゃったんだよね。うんうん。
だから必死で何が悪いんだって思うのよね。
一番自分が魅力的に見える服を着て、ヒール履いてスタイル良く見せて、自分に自信持てるように爪塗って、リップが落ちてないか気にして。
幸せそうにしてる女友達がいたら妬んでしまうのも、マウント取りたくなる気持ちも、何も間違ってない。私たちは生存競争の中で社会を構成しながらリミットと闘っているんだもの。
勝ちたいと思ってしまう自分を認める理由が見えてきた。