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「幸せ」って「なるもの」じゃなくて「感じるもの」だよね

昨日。
末娘とドライブデート。

のち。

最後の最後に入ったショッピングモールで。

さて帰ろう。
と駐車場に戻ると…。

私の車。
ハザードランプつきっぱなし!

うわ?
やべ??

と思いながらエンジンをかけるけど…。

かからない。

はい。

バッテリー上がってまーす。笑

うーん…。

どうしよっかな。

バッテリーを繋げるコードは持ってる。
だから誰かの車と繋げればエンジンはかかる。

だが。
誰かを呼ぶには遠い距離
(自宅から約1時間)

レッカー?
ロードサービス?
保険屋さん??
見ず知らずの誰かにバッテリー繋いでもらう?

たいしたことないことだし。
自分で対応できる案件に違いない。

だが。
いったん落ち着きたい。

心を切り替えたい。

ちょっと前に「仕事終わったよ」とラインをくれた恋人に電話してみる。

私「急に電話してごめんね。いま大丈夫?」
彼「大丈夫だよ。どうしたの?」
私「あのね。車のバッテリー上げちゃって。」
彼「え?どこで?僕、これから行くよ??」

場所も状況も聞かずに「行くよ」と言ってくれる彼。

絶対的な私の味方だ。
そう感じた。

それで。
気持ちが落ち着いた。

私には味方がいる。

電話して良かった。

私「ありがとう。ちょっと遠い場所だから大丈夫。でも、こういう時どうしたら良いか教えて?事故なら経験あるから、どうしたらいいかわかるけど、バッテリーあがりは初めてなの。」
彼「任意保険の証書があるなら、ロードサービスが付いていると思うから、そこに電話してみるのが良いかもしれない」
私「そっか!ありがとう!助かった。そして気持ちが落ち着いた。」
彼「ロードサービスにお願いして時間がかかるようなら、僕、行くから。とりあえず出られるように待機しておくね」

頼もしすぎるだろ!
惚れ直すわ!

保険屋さんに連絡すると、ロードサービスを手配してくれるとのこと。

結局30分ほど待って、エンジンをかけてもらって事なきを得た。

予定より帰る時間が遅くなったけれども、無事帰宅。


ロードサービスで来てくれた車屋さんのお兄さんが。
めちゃくちゃ、ちゃきちゃきしていて。
でも、折り目正しくて、感じが良くて。

その作業を見ていた母娘。
さんざんお礼を言って車屋さんを見送ったあとの会話。

娘「車屋さんって、めちゃくちゃカッコいいね。」
私「ああ、テキパキしていて感じのいい人だったよね」
娘「車屋さんってあんなにカッコいいんだね!」
私「いや…。もちろん格好良かったけれども。アレは『吊り橋効果』的なヤツだから、ちょっと落ち着け?」
娘「はっ!そうか、吊り橋効果…。」
私「恋におちやすい案件だからよく覚えておけ。笑」
娘「たーしーかーにー」
私「でも、私も彼が電話で『行くよ』って言ってくれたとき、嬉しかったけどね。」
娘「それ、めっちゃ吊り橋効果やん!笑」
私「それな!笑。でも『吊り橋効果』も使えないような男には惚れないかもね。」
娘「なーるーほーどー」


一夜明け。
娘が言った。

「昨日は良い日だったねぇ。」

お?
そう思ってくれたの?

「どうして、そう思うの?」と聞いてみた。

「トラブルはあったけど、今日無事に生きてここにいるし、車屋さんはいざというときにカッコいいことがわかったし、ママの恋人も頼りになることがわかったし、吊り橋効果も実感できたし。笑」

そうか、そうか。

そうやって。

昨日の「悪かったこと」や「大変だったこと」を拾うんじゃなくて。

「トラブルがあったからこそ知ることが出来た良いコト」にフォーカスできる人間に育ったのだなぁ、キミは。

なんだか。
単純に。
嬉しい。


「幸せ」って。
「なるもの」ではなくて。
「感じるもの」で。

同じ環境で、同じことが起きたとしても。

それを「幸せ」と感じるのか。
「不幸」と感じるのかは。

本人次第。

それは、当人の精神状態によるモノなので。

いいオトナは、それを自分でコントロールできれば最高だし。

子どものうちに「保護者」に導かれながら、そのワザを身につけられたら最高だって思う。

私は。
自分の母親が「私は不幸だ」と思いながら、それを撒き散らかして生きてきたので「幸せだ」と感じる方法を学べなかった…。
んだろうと思う。

でも、だから、模索して身につけた。
「自分が幸せだと感じて生きる方法」を。

だって、幸せになりたかったから。

そうして、それを。
自分の子どもたちに身につけて欲しい。

そう願っている。

だから。

娘が、トラブルの中から「良かった部分」を拾い上げられるコツと精神状態を保てていることについて。

願いが叶って幸せだなぁ。

と。
感じているところ。