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離婚に至る病
夫婦仲の悪い、特に奥様にキツくあたられている方には心の痛い内容となっておりますので、記事を読むかどうかは自己責任でお願いします。
夫2とは社内恋愛だった。
ものすごく仕事が出来る人で尊敬していた。
女っ気が無いのも素敵だと思った。
夫2は私が結婚して子どもを産んで離婚したことも、もちろん知っていた。
長男の育児休暇中に一度目の結婚を終わらせた私は、復帰後ほどなくして夫2と恋人になった。
離婚後の女性は必死なぐらいに次の恋をしたがる(私調べ)。離婚した相手よりも先に幸せになりたいと、自分でも怖いぐらいの強さで、願った。
まあ、この記事にも書いた通り、夫1には浮気されていたし、それもあってね。笑
夫2とは2年付き合った。
彼は「世界一私を嫌な気持ちにさせる男」だった。私はそれを「運命の相手だから感情がこんなに激しく動くに違いない」と勘違いした。そして夫2の望む通りに二度目の結婚をした。
二度目の結婚をするにあたり自分で決めたことがある。それは「息子と夫が仲違いした時は息子を選ぶ」ということ。これは夫2にも宣言した。母親として当然の決意だと私は思ったし周囲の人々も賛同してくれた。私は正直、この自分の決意に酔っていた。ちょっとした病だったかもと思うぐらいに自己陶酔していた。
今振り返れば、この決意こそが離婚への入り口だったのかもしれない。
幼い頃の長男は素直で従順だった。いつも真剣に接してくれて、たくさん遊んでくれる義父(夫2)のことが大好きだった。生さぬ仲ではあったが夫2も長男のことを実の子と同じように愛してくれた。ように見えた。
が。
長男が成長し「従順」ではない部分が増えた頃から、夫2と長男の間にイザコザが増えた。
「なぜそうなるのか納得できない長男」と「自分の言うことをきかない長男に憤り権力で押さえつけようとする夫2」
この対立の間に「息子と夫が仲違いした時は息子を選ぶ」と決意した私が入り、長男の肩を持つ。
私と息子に否定されて躍起になって権力を振りかざす夫2。
悪循環である。
これが延々と繰り返されるなか、長男は不登校になる。学校にも要因があり、家庭にも要因があった。
学校で先輩や先生に目の敵にされ、ようやく帰りついた家では父親に押さえつけられ、最終的には目の前で父と母が大喧嘩を繰り広げる。
…。
そりゃ、病むわ…。
不登校になった長男に対して夫2の締め付けはますます厳しくなった。
夫2は真顔で言った。
「良い成績を取り良い大学に入り良い就職先を見つける以外の人生が俺には理解出来ない。」
よくもまあ、その価値観で、バツイチ子持ち(私)と結婚したもんだ…。呆
家庭内の不仲に耐えきれなくなった長男は家を出て一人暮らしをはじめた。家庭が穏やかじゃないのは自分のせいだと思っていたらしい。
「俺のことはいいから、家族4人で幸せになって」
16歳の男の子に、そんなことを言わせてしまうほど、私は不甲斐ない母親だった。
息子は通信高校に入学し高校生にはなったが、学校には行けずにいた。いくつかアルバイトをしたが続かないようだった。
そんな折、私に苦言を呈してくれた人が2人いた。
友だちその1曰く。
「さくらは良いかもしれないけど、息子さんが、どんなに辛い気持ちで家を出たのか考えたこと、ある?子どもを子どものままでいさせてあげられないなんて、親失格だよ。」
友だちその2曰く。
「息子さん、顔では笑ってるかもしれないけど、心で泣いてるよ?さくらと息子さんは強い絆で結ばれてた。息子さん、いま、さくらと離れて、ものすごく寂しいって言ってたよ。さくらには言わないでおこうと思ってたけどさぁ…。」
それでも、まだ、離婚という選択は出来なかった。私の気持ちだけで長女と二女から父親を奪うことはできない。
正直もう夫2のことは生理的に受け付けない状態になっていた。
セックスやキスやハグはおろか、同じ部屋にいるのも耐えられないし、同じ車に乗ることも出来ない。
そんなとき夫2が勝手に私の車を運転した。
ものすごい嫌悪感が私を襲った。
私の運転席に夫2が座った…。
私、そのシートに座るの、嫌。
臨界点を超えたと思った。
同じ空間にいられないのも重傷だが、同じシートに座ることすら嫌なのだ。
無理。
もう、無理だろ。
そんな頃ある人に相談した。
私「夫2の顔を見るだけで、夫2がそこに存在するだけで、腸が煮えくり返るぐらい怒りの気持ちで、いっぱいになるんです。」
友「なぜ、そんなに腹が立つのか、教えてあげる。それはね。さくらの『こういう生活がしたい。こういう人生を送りたい』っていう場面に、夫2さんが存在しないからなの。だから、存在するだけで腹が立つの。」
…。
そうだったのか…。
友「夫2さん、働き者だし、おだててれば、たくさんお金を運んでくれるよ?ATMだと思ってニコニコしてあげたら?」
私「それは無理…。お金のためでも我慢出来ない。私も仕事してるし、お金なんて、たくさん無くてもいい。夫2のいない幸せな人生がいい。」
友「そりゃあもう、腹くくったら?夫2さんはお金しか運んでくれないけど、息子さんは幸せを運んでくれるよ?」
これで、ようやく、離婚の意志が固まった。
お金よりも大切なものがある。
私は、それが欲しい。
心からの幸せが。
子どもたちみんなに聞いた。
「ママ、離婚しようと思うけど、嫌?」
子どもたちは言った。
「別に良いよ。あのね、ママ。もう我慢しなくて良いんだよ。」
…。
そか。
そうだよね。
ありがと。
胸がつぶれるかと思うぐらいに、ぎゅーっと締め付けられた。子どもたちをハグしながら涙が止まらなかった。
その後、夫2に離婚を申し入れた。
離婚したくない夫2は荒れに荒れた。
私に暴言を吐き続け、毎日家の中には怒号が響いた。夫2は娘たちを自分の味方につけようと猫なで声を発し、私に嫌味を言い続けた。
「ママのところにいたら気が狂ってるのが移っちゃうから、パパとお出掛けしようね。」娘にそう言って、部屋の隅に追い詰められて過呼吸になった私に「仮病だろ?」と言い捨てて出掛けていく夫2。
気が狂ってる…。
って???
お前じゃなくて、私が???
さらに家庭内が荒れ、日常生活もままならなくなった。何度も警察が介入し、最終的には逃げるように別居に踏み切った。
弁護士を雇い、離婚調停を2年間やって、2020年のコロナ蔓延寸前に、家庭裁判所で離婚が決まった。
そして、ようやく。
ようやく、私は、幸せになった。
ここで、ふと思う。
もし仮に。
私に仕事と収入と生活力が無かったとしたら…?
私はまだ、あの場所に、いたのかもしれない。
夫2の運んでくるお金と引き換えに、心を圧し殺して幸せをあきらめて。
そして子どもたちの「生きていて幸せ」だという言葉を聞くことも、心からの笑顔を見ることも出来なかったのかも、しれない。
なにが良かったのか、なにが悪かったのか、なんて、わからない。
私の進んできた方向は間違っていたかもしれないし、もっと良い方法もあったかもしれない。
けれど、あの時の私は、あの時の私なりに、一生懸命考えて、一生懸命生きた。その事には胸を張れる。
いま。
私も子どもたちも幸せだ。
だから、私の人生は、これで良しとしようと思う。