心の器を大きくする方法-愛とは。
受け入れがたいものを受け入れなければならないとき。
「ああ、もっと自分の心の器が大きかったらなぁ」
と、いつも思う。
心の器が大きかったら「そんなこともあるよね」って思えるはず。
「こんなはずじゃ無いのに」って苦しまなくても済むはず。
自分が苦しめば、その余波で周囲も苦しくなる。
私は大切な人たちを苦しめたくない。
そして、私は、器を広げる努力をする。
今まで生きてきた中で一番「心の器を広げざるを得なかった」できごとは、息子の不登校。
不登校ってなんなのか知らなかった。
ただのサボりだって思ってた。
怠けたいから怠けているのかと思ってた。
親が甘やかしているから子どもが学校に行かなくなるのだと思ってた。
うちは厳しく子どもを育ててきた。それなにのに何故学校に行けなくなるのかわからなかった。
家から追い出せば学校に行くと思っていた。
家の居心地が悪ければ、学校に行くと思っていた。
でも、息子は学校に行けなかった。
毎朝腹痛を訴え、微熱を出した。
それでも家から追い出した。
症状は悪化する一方。
学校に行くある日の朝、息子は明け方3時頃から腹痛を訴え、泣きながら何時間もトイレに籠もった。
息子の不登校は仮病や怠けだと思っていた私だったが、その姿を見てさすがに、本当に具合が悪いのだと理解した。
ずっと認めたくなかったのかもしれない。逃げていたのだと思う。「息子が学校に行けない」という事実から。
気が進まないと渋る息子を説得して、ようやく病院に連れて行った。
胃腸内科の医師はこう言った。
「身体に異常はありません。学校で、なにか、イヤなことやトラブルは??心当たりはありませんか?」
病院の帰り道、私は家ではなく図書館に向かった。
思春期の不調や不登校関連の本を何冊も借りて帰宅した。
そこに書いてある症状は、息子にぴったり当てはまった。
そうして、ようやく受け入れた。
「ああ、うちの子、不登校なんだ」
と。
絶望と、受け入れがたい現実と、逃げ出したい衝動。
最初はなかなか受け入れられなかった。息子が学校にさえ行ってくれたら私は楽になれるのに。そればっかり考えて、自分を変えようとは1ミリも思えなかった。それどころか息子が不登校になったせいで自分が不幸になったとすら感じるようになってしまった。被害者意識しか無かった。
しかし日々を生きているうちに「息子が学校に行かない日常」を受け入れざるを得なくなり、苦しさから逃れるために、救いを求め、似た境遇の人たちと話をする機会を増やした。
不登校に対しての知識を得るにつれて、自分が変わっていくのを感じた。
心理学も勉強した。スクールカウンセラー講座も受けた。対話サークルもやった。居場所作りにも参加した。
今までの自分が持っていた「学校に行けない子どもは普通じゃない」という概念を、とにかく変えたかった。自分で自分を洗脳しているような気持ちだった。
そして、ある日、突然こう思った。
「生きていれば、こういうこともある。」と。
全くの未知であった「不登校」というものを受け入れざるを得なくなり、救いを求めてひたすら自分なりに知識を増やそうと躍起になって動いていくうちに「不登校の息子を受け入れる」ことが出来るぐらい、私の器が大きくなったのだと感じた。
そうして、私は「心の器を大きくする方法」を身をもって理解した。
誰だって「よく知らないものは怖い」し「怖いものは受け入れたくない」。
でもその思考は裏を返せば。
「受け入れたくないものでも、それについて知っていくうちに、受け入れる心の余裕が出来てくる。」
それを私は「心の器を広げる方法」だと考えている。
取っつきにくい不機嫌な上司だって、その人のことをよく知れば「あんな態度をとるのも無理はない」と思える事情があるかもしれない。
どうにも手のつけられない反抗的な子どもだって、じっくり話を聞いてみれば「なるほど、そんな理由があるなら仕方ない」と思えるかもしれない。
仲違いしてケンカ別れした恋人だって、私に言えない悩みにずっと苦しんでいたのかもしれない。
器を広げることは「被害者である自分を捨てて自主的に生きる」ための方法でもある。
世の中には、色々な事情がある。
全ての人を受け入れる必要なんて、全く無い。
でも、自分の大切な人のことだけは、投げ出すことは出来ない。
どんなに苦しくても、側にいて、自分の器を広げる努力を続ける。
その継続の先には「ああ、そうか。それは致し方ない。そういうこともあるよね。」と大切な人の肩を抱いて心から言える日が来る。「今まで理解できなくてごめんね。」と謝ることだってできる。
だから私は、器を広げる努力をする。
私はその努力の名前が、愛だと思っている。