機が熟す-無理矢理モノゴトを動かそうとするからトラブルが起きるのだ
種から芽が出るように。
つぼみが花開くように。
木になった果物が熟れるように。
どんなことにも
「そのとき」
っていうのがやって来るんだと思う。
若い頃は、そういうことがわからなくて。
流れに沿ったり、経過を見たりすることなく、自分の意志と自分のタイミングで物事を動かそうとして生きてきた。
それは「他人を自分の思うように変えようとする」ことだったり、「人がやりたいことをやめさせようとする」ことだったりしたから、当然のように、そこで生じた軋轢がトラブルを生んだ。
トラブルが続くと「自分の人生は思う通りにいかない」と思った。
思い通りにモノゴトが動かないのは、苦しかった。
もちろんその頃は「自分は幸せじゃない」って思ってた。
6年前のいまごろ、私は子どもたちを連れて家を出た。
それから調停を一年半やって、2度目の離婚をした。
離婚しようと心に決めてから別居前~離婚に至るまでのあいだと、もちろん離婚後も。
子どもたちの意見はたくさん聞いたし、なるべく不自由させないようにと最大限努力したし、状況の説明も丁寧にした。
だから私と子どもたちのあいだにトラブルは少なかった。
だけど私は。
夫2の気持ちは完全に無視をした。
夫2とは。
話し合って話し合って話し合って。
16年間話し合い続けて、それでも理解し合えなくて。
それでとうとう、私は夫2を見捨てたのだ。
別居から離婚に至るまで夫2とのあいだにはトラブルがたくさん起きた。
それは「トラブルを起こす夫2のせい」だと、その頃は思ってた。
でも、いま振り返れば、それは違う。
私は、夫2の「人生の流れ」を完全に無視して、ぶった切った。
だからトラブルばかり起きたのだ。
離婚したことに後悔はしていないし、離婚して良かったと思っているけれど、もう少し私が成熟していたとしたら、あれほど傷つけ合わずに離婚できたかもしれない。
なんて思ったりする。
再構築はしなかったけれど、再会して些細なやり取りをするようになった夫2から「さくらにばったり会って声をかけたら無視された夢を見てショックで泣きながら起きた」なんてメールが来たりすると、ことさら、ね。
離婚してから。
私は自分の人生を自分のペースで進められるようになった。
それで。
心に余裕ができてきて。
「流れを読むこと」と「流れに沿ったタイミングでモノを動かすこと」の大切さを知った。
ちゃんとしたタイミングでモノを動かせば、そこに軋轢は生じないからトラブルも起きないのだ。
(っていうような当たり前のことを、この歳まで理解できていなかったっていうことなんだけど。笑)
臨月で赤ちゃんが生まれてくるように。
幼子が自分のタイミングで言葉を発するように。
不登校の子どもが自分から学校に行く日が来るように。
働かなかった子どもが自分で動き出すように。
流れとタイミングに逆らわなければ、絶対にその時が来て、モノゴトはトラブルなく進んでいく。
もちろん自分の気持ちも意志も大切だけど。
でもモノゴトが動くタイミングって、あるんだろうって思う。
無理矢理モノゴトを動かそうとするからトラブルが起きるのだ。
遅ればせながら、だけれども。
そういうことが理解できる自分になれて良かったな。