ぼくのかんがえたさいきょうの哲学・宗教・文学bot のテキストデータ①
ウィトゲンシュタイン
現代人の世界観全体の根底には、いわゆる自然法則が自然現象の説明である、という迷妄が存在する。
かくして、古代の人々が神と運命のところで立ち止まったように、現代の人々は不可侵なものとしての「自然法則」のところで立ち止まるのである。
そして、両者ともに正しく、またいずれもまちがっている。だが、明らかな終焉を承認した限り、古代人の方が一層賢明であった。他方、新たな体系の方では、すべてが根拠づけられているかのように思われているのである。
(ウィトゲンシュタイン 草稿 1916.5.6)
祈りとは世界の意義についての思想である。世界の出来事を私の意志によって左右するのは不可能であり、私は完全に無力である。私は出来事への影響を専ら断念することによって、自分を世界から独立させることができ、従って世界をやはりある意味で支配しうる。
(ウィトゲンシュタイン 草稿 1916.6.11)
世界は私の意志から独立である。
仮に我々の望む全てのことが生起したとしても、このことはやはり、いわば運命の恩寵にすぎないだろう。何故なら意志と世界との間には、このことを保証するような論理的な連関は存在しないからである。
そして物理的な連関が想定されるとしても、この連関を欲することは
やはり不可能だからである。
(ウィトゲンシュタイン 草稿 1916.7.5)
既に意志行為を遂行することなく意志するのが不可能なことは、明らかである。
意志行為は行為の原因ではなく、行為そのものである。
人は行なうことなく、意志することはできない。
(ウィトゲンシュタイン 草稿 1916.11.4)
神を信じるとは、生の意義に関する問を理解することである。
神を信じるとは、世界の事実によって問題が片付く訳ではないことを見てとることである。
神を信じるとは、生が意義を持つことをみてとることである。
世界は私に与えられている。即ち私の意志は完成したものとしての世界に、
全く外側から近づくのである。
(私の意志が何であるかを、私は今なお知らない。)
従って我々は、ある見知らぬ意志に依存している、という感情を抱くのである。
いずれにしても我々は或る意味で依存している。我々が依存するものを、神と称することができる。
(ウィトゲンシュタイン 草稿 1916.7.8)
たとえ死を前にしても、幸福な人は恐れを抱いてはならない。
時間の中ではなく、現在の中で生きる人のみが幸福である。
現在の中での生にとって、死は存在しない。
死は生の出来事ではない。死は世界の事実ではない。
もし永遠ということで無限な時の継続ではなく無時間制が理解されているのなら、
現在の中で生きる人は永遠に生きる、と語ることができる。
幸福に生きるためには、私は世界と一致せねばならない。そしてこのことが「幸福である」と言われることなのだ。
この時私は、自分がそれに依存していると思われる、あの見知らぬ意志と一致している。
(ウィトゲンシュタイン 草稿 1916.7.8)
世界と生とは一つである。
もとより生理学的な生は「生」ではない。心理学的な生についても同様である。生とは世界である。
倫理学は世界に関わらない。倫理学は論理学と同じく、世界の条件でなければならない。
倫理学と美学は一つである。
(ウィトゲンシュタイン 草稿 1916.7.24)
論理と倫理は基本的に同じであり、それらは自分自身に対する責務以外のものではない。
(ヴァイニンガー『性と性格』)
幸福に生きよ!、ということより以上は語りえないと思われる。
幸福な人の世界は不幸な人の世界とは別の世界である。
幸福な人の世界は幸福な世界である。
それでは幸福でも不幸でもない世界は存在しうるのか。
(ウィトゲンシュタイン 草稿 1916.7.29)
善と悪は主体によってはじめて登場する。そして主体は世界には属さない、それは世界の限界である。
表象の世界は善でも悪でもない、善悪があるのは意志する主体である、と(ショーペンハウエル風に)語ることができよう。
これら全ての命題の完全な不明瞭さを私は意識している。
従ってこれ迄に述べたことからすれば、意志する主体は幸福か不幸かでなければならないことになる。そして幸福と不幸は世界に属すことができない。
主体が世界の一部ではなく世界の存在の前提であるのと同じく、善悪は世界の中の性質ではなく、主体の述語である。
(ウィトゲンシュタイン 草稿 1916.8.2)
人間が意志をはたらかすことができず、しかしこの世の中のあらゆる苦しみをこうむらなければならないと仮定したとき、彼を幸福にしうるものは何か。
この世の中の苦しみを避けることができないのだから、どうしてそもそも人間は幸福でありえようか。
ただ、認識の生を生きることによって。
良心とは、認識の生が保障する幸福のことだ。
認識の生とは、世界の苦しみにも関わらず、幸福であるような生のことだ。
世の中の楽しみを断念しうる生のみが幸福なのだ。
世の中の楽しみは、この生にとって、たかだか運命の恵みにすぎない。
(ウィトゲンシュタイン 草稿 1916.8.13)
自殺が許される場合は、すべてが許される。
何かが許されない場合には、自殺は許されない。
このことは倫理の本質を明らかにする。というのも、自殺はいわば基本的な罪だから。
(ウィトゲンシュタイン 草稿 1917.1.10)
自殺者の身内の者は、彼が自分たちの評判を顧慮して生きていてくれなかったことを遺憾とする。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』322)
おそらく本書は、ここに表されている思想──ないしそれに類似した思想──をすでに自ら考えたことのある人だけに理解されるだろう。それゆえこれは教科書ではない。理解してくれたひとりの読者を喜ばしえたならば、目的は果たされたことになる。
(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』序文)
この本[哲学探究]を公刊するのに、ためらいがないわけではない。この本を手にする人の大部分は、私が苦手とする人たちである。願わくばこの本が、すみやかに哲学雑誌の書き手たちからすっかり忘れられて、もっと高貴な読み手に保管されることを。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.1.8)
良書はすべて、或る特定の読者およびその同類の人のために書かれたものであり、それがために大多数の他の読者から好ましく見られない。凡庸な悪書が凡庸な悪書たるゆえんは、それが多くの人に気にいられようと努め、また事実気にいられるところにある。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部158)
この本の全意義を次の言葉に要約することができるだろう。「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、語りえないことについては、ひとは沈黙しなければならない」
(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』序文)
思索する人間のもっともすばらしい幸福は、探究しうるものを探究し尽くし、探究しえないものを心静かに崇めることである。
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)
5.132 pがqから帰結するならば、私はqからpを推論することができる。qからpを導出することが。その推論の方法はもっぱら両文から察知され得る。ただそれらの文自体だけが当の推論を正当化することができる。推論全般を正当化するとされる「推論法則」などというものは無意味であり、そして無用だろう。
5.133 総ての導出はアプリオリにおこなわれる。
5.134 ひとつの基本的文からは、他のどんな基本的文も導出され得ない。
5.135 何か或る状況の存立から、それとは全く異なる何らかの状況の存立が推論されることなど、到底あり得ない。
5.136 そうした推論を正当化するような因果連鎖なるものは存在しない。
5.1361 我々は、未来の出来事を現在の出来事から推定することはできない。因果連鎖への信頼が迷信だ。
(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)
日常言語のすべての命題は、あるがまま論理的に完璧に秩序づけられている。我々がここで与えるべき最も単純なものは、真理の比喩などではなく、十全な真理そのものだ。(我々の諸問題は抽象的ではない。むしろ存在する諸問題で最も具体的なものであろう)
(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』5.5563)
あるいは、全ての新たな発見や発明に先立って可能であるものを「哲学」と呼ぶこともできるだろう。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』126)
世界の意義は世界の外になければならない。世界の中ではすべてはあるようにあり、すべては起こるように起こる。世界の中には価値は存在しない。──かりにあったとしても、それはいささかも価値の名に値するものではない。
(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』6.41)
世界がいかにあるかは、より高貴なるものにとっては、全くどうでもよいことだ。神は世界のなかには現れない。
(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』6.432)
たとえ可能な科学の問いがすべて答えられたとしても、生の問題は依然としてまったく手つかずのまま残されるだろう。これがわれわれの直感である。むろん、そのときもはや問われるべき何事も残されていない。そしてまさにそれが答えなのだ。
(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』6.52)
子どもたちはすでに学校で、水は水素と酸素からなりたち、砂糖は炭素と水素と酸素からだ、と教えられている。それがわからない子どもは、馬鹿というわけだ。いちばん大切な問題が隠される。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.3.8)
「科学」という言葉を「ナンセンスに陥らないで語ることのできるものの総体」という意味で使えば、もうそれだけで、科学は過大評価されているのである。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.13-14)
一つの問題で行き詰っていると感じるときは、それについてさらに熟考してはならない。さもないと、その問題にずっととらわれたままになる。むしろ、どこかしら快適に座っていられる場所から、新たに考え始めなければならない。無理強いだけはいけない!
(ウィトゲンシュタイン 秘密の日記 1914.11.26)
ある石が根を張ったみたいに動こうとしないときは、まず、まわりの石を動かすのだ。──
君の車両がレールからずれているとき、ともかくわれわれとしては、君をちゃんと軌道にのせたいのだ。そのあとは君が勝手に走ればいい。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1940.3.6)
適切なスタイルで書くとは、車両をきちんと線路にのせること。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1940.3.2)
汝、汝の最善を為せ! それ以上のことを汝は為すことができない。そして、晴れやかであれ。自分自身に満足せよ。というのも、他の人々は汝を支援することはないだろうし、もし支援したとしても短い時間だけであろうから! 汝自身を助け、汝の全力をもって他の人々を助けよ。その際には晴れやかであれ!
しかし、どれだけの力が自分自身のために、そして他の人々のために必要になるだろうか? 善く生きるということは困難だ!! しかし、善き生というものは美しい。しかし、私ではなく、汝の意志が行なわれますように。
(ウィトゲンシュタイン 秘密の日記 1916.3.30)
常に生命の危機のうちにある。夜は神の恩寵によって無事に過ぎ去った。時おり僕は弱気になる。これは生についての間違った理解に対する試練だ! 人間たちを理解せよ! 汝が彼らを憎もうと思うときにはいつでも、憎むかわりに彼らを理解するように努めよ。内的な平和のうちに生きよ!
しかし、汝はいかにして内的な平和にたどり着くのか? ただ、自分が神の意志に適って生きることによってのみ、ただそうすることによってのみ、生を耐えることが可能になる。
(ウィトゲンシュタイン 秘密の日記 1916.5.6)
穏やかな夜。神は僕とともに! 僕が共にいる人々は、低俗であるというよりは、途方もなく狭量なのだ。このことは、彼らと交際するのをほとんど不可能にする。というのも、彼らは永遠に誤解し続けるのだから。人々は愚かではないのだが、狭量だ。
彼らは、彼らの集団の中では十分に賢しい。しかし、彼らには徳性が欠けており、それとともに広がりも欠けている。「正しく信じる心は全てを理解する」。今は仕事ができない。
(ウィトゲンシュタイン 秘密の日記 1916.5.8)
ある特別な意味で熱狂しているときだけ、私は健康なのだ。そしてそうしたときにも、この熱狂が壊れてしまうのではないかという不安を感じる。
今日、ムーア夫人がブルックナーの第四交響曲に関するひどい批評を見せてくれた。その批評家はブルックナーを罵り、ブラームスとヴァーグナーについて失礼なことを語っていた。犬が大小あらゆるものに吠えるのは当たり前のことだから、最初は何の印象も抱かなかった。
しかしそれから私は痛ましく感じた。精神が決して理解されないと思うとき、私は自分がある意味で(変な具合に)触れられたように感じるのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.4.29)
収穫乏しく、だらけている。精神的なものについて。この頃つまらない奴が出てきて自分の意見を述べることで、この偉大な者たちはかつてないほどひどく傷ついてしまったと、そんな[昨日のような]時にはいつも思う。こう考えるとき、私はしばしばある種の絶望感に襲われる。トリニティー[カレッジ]の
庭で昨日しばらく座っていた。そこにいる一人一人の中で、見事な肉体的発達と精神性の完全な欠如(理解力の欠如と言いたいのではない)がいかに同居しているのか私には不思議だった。そして他方で、ブラームス本人の腹は出っ張っていたのに、彼の主題にあふれる力と気品と活力がどうして備わっているのか
が不思議だった。それに対し今日の精神には足下の跳躍台が欠けている。一日中ただ食べて眠りたいだけだ。私の精神が疲れているかのようだ。でも何に? ここのところしばらく、本当の仕事を全くしていない。自分がくだらない臆病者のように感じられる。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.4.30)
シュペングラーの『[西洋の]没落』を読む。一つ一つをとってみれば無責任なところもたくさんあるが、多くの本物の重要な思想を見出す。多くは、多分ほとんどは、私自身が考えてきたことに完璧につながっている。同時に眺めると一つが別のものの継続であるかのような複数の閉じた体系の可能性。
そしてこれらすべては、どれだけのものが人間から奪われうるのか、あるいは人間に与えられうるのかを我々はまったく知らない(考慮していない)のだ、という思想と結びついている。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.6)
上下二つの部屋に二つの世界が宿れるとしたら、それは奇妙なことだ。上で大騒ぎをしている二人の学生の階下で私が暮らすとき、それが起こっているのだ。それは本当に二つの世界であり、いかなる意思疎通もありえない。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.11.7)
私が言いたいのはこういうことだ。我々が人間を「認識する」のは当たり前のことであり、もし誰かが人間を認識できないとそれは完全な崩壊である、と我々は考えているように見える。
しかしこの認識という石が建物から欠けることは実際にありうるのであって、その場合も崩壊が問題になったりはしないのだ(他方この思考はフロイトの思考と、言い間違いに関する彼の思考と近い間柄にある)。
つまりこういうことだ。我々は自分たちが持っているものすべてを当たり前とみなしており、
自分の理性の完全性にとって不可欠に見えるので個別特殊な能力とは決して思っていないしかじかの物がたとえ無くなっても、自分たちは完全でありうる、ということをまったく知らないのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.6)
シュペングラーが彼のすばらしい思想に留まらず、自分が責任をもてないほど遠くに行ってしまったのは残念なことだ。確かに、もっと潔癖であったなら彼の思想は理解しにくいものになっていただろう。しかし同時に、そうすることによってのみ思想は本当に持続的な影響を及ぼしうる。16~17世紀に弦楽器は
最終的な形になったという思想が巨大な影響力(そして象徴的意義)を持っているのも、そのようにしてなのだ。ただ大多数の人間は、誰かがこうした思想を多くの付随物なしに示しても、そこに何も見ない。それはちょうど、人間は無際限に発達し続けると信じている者に、誰かが次のように言うようなものだ、
「見なさい、子供の頭蓋骨は…年でくっついて閉じる。これはどのような発展でも終わるものだということを示している。そこで発展するものは閉じた全体であり、いつか完成するものであって、好きなだけ伸ばせるソーセージのようなものではないのだ」。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.6)
私は率直に告白するが、上に述べたデーヴィド・ヒュームの警告こそ十数年前に初めて私を独断論の微睡から眼ざめさせ、思弁哲学の領域における私の研究に、それまでとはまったく異なる方向を与えてくれたところのものである。
(カント『プロレゴメナ』序言)
一六年前に、因果法則それ自身は無意味であり、因果法則を考慮しない世界の考察が存在するという思想を抱いたとき、私は新時代の始まりを感じていたのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.6)
〔英雄的行為の〕困難さ、実践的意味、それらはすべて、いわば外側から判断されることである。偉大さ、英雄的精神、それらは行為の持つ意味によって決定される。行為の様式と結びついた熱情によって決定される。
しかし特定の時代や人種は、まったく特定の行為様式と熱情を結びつけるので、人間は誤って偉大さと意味がその行為様式に宿っていると信じるのである。そして常にこの信念は、大激変により価値の転倒が起こるときに初めて、つまり本当の熱情が別の行為様式に宿るようになって初めて馬鹿げたものになる。
そして、おそらくは常に、新しい洞察がやがて当たり前のことと見なされ、「当たり前だが、これらの古い紙幣は無価値だ」と人が言うようになるまでは、古く、今や無価値となった紙幣が流通し続け、まったく誠実というわけではない人々によって、偉大で意味あるものの代わりとして使用されるのである。
ある時代には象徴的意味を持つ飲酒という行為が、別の時代には飲んだくれることとなる。
すなわちこういうことだ。輝き、つまり本当の輝きとは、外的な事実に、つまり事実に付着しているのではない。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.6)
しばしば人は──そして私自身しばしばこの誤りに陥るのだが──自分が考えることすべてが書き付けられるのだと信じる。現実に人が書き付けられるのは──つまり馬鹿げたことや場違いなことをせずにそうできるのは──我々の中で文字という形で生まれるものだけだ。
他のすべてのものは滑稽でいわば泥のように見えるのである。つまり、ふき取られるのがふさわしい何物かのように。
ヴィッシャーは、「話されたものは書かれたものではない」と言った。そして考えられたものは、なおさらのこと書かれたものではないのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.9)
私が思うに、事物をクラウスの意味での記号と見なさないことが、今日では英雄的行為に属している。すなわち、決まりきった繰り返しになりうる記号体系から自由になるということが。もちろんこれが意味するのは浅薄に記号体系を今一度見直すといったことではなく、
いわば安っぽい記号体系の雲をより高い気圏へと蒸発させることである (大気が再び透明となるように)。
今日においてこの記号体系に身を委ねないのは困難なことである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.16)
ところで、芸術家の仕事のほかにも、世界を永遠ノ相ノモトニとらえる、もうひとつの仕事があるのではないだろうか。思想の方法がそれであると思うのだ。思想は、いわば世界の上空を飛び、世界には指一本ふれないまま、上空から高速で世界を観察する。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1930.8.22)
大都市文明において精神は、ただ片隅にのみ刻み込まれうる。しかしそこで精神は何か時代遅れで余計なものなのではない、それは文化の灰塵の上空を(永遠の)証人として──いわば神性の報復者として漂うのだ。
あたかも(新たな文化における)新たな具現を待ち望むかのように。
この時代の偉大な風刺家とは、どんな外観を呈さなければならないのだろうか?
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.10.8)
本当に自分のことを理解していない人たちと話すとき、常に人は自分が馬鹿にされたと感じる、少なくとも私はそうだ。そしてこれはここでは繰り返し起こる。完全な疎外とこの不愉快な体験のどちらを選ぶかだ。
それどころか次のようにさえ言えるだろう、この危険に陥ることなく話せる人間がここにも一人か二人はいる、なぜ他の人間との交際を完全に絶たないのか、と。しかしそれは困難で私にとって不自然なのだ。
難しいのは、人と話しながら、互いによく理解しえないようなことには触れないことだ。誤解につながるに違いないことには触れずに真剣に話すこと、私にとってそれはほとんど不可能なのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.10.19)
本当に我々の時代はあらゆる価値の価値転倒の時代である(人類の歩みがある角を曲がり、以前の上が今は下である、など)。ニーチェは今起こっていることを目論んでいたのか、それとも彼の功績はこれを先んじて予感し、それに対する言葉を見つけたことにあるのか?
芸術においても、優れた業[ドイツ語では「作品」も意味する]によって永遠の生命を無理やり手に入れることができると信じる人間と、神の恵みに身を委ねる人間が存在する。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.10.22)
今日の咽頭炎みたいに体に具合の悪い所があると、私はすぐにとても不安になり、もっとひどくなったらどうなるのか、医者に診てもらわないといけない、ここの医者はまったくだめだ、多分長い間講義を休まないといけない、などと考える。
あたかも神様が、ここではお前を妨げずにおく、という契約を私と結んだかのように。
もし他人がこんな不安を抱いているのを見たなら、「とにかくそれを甘受せねばならない」、と私は言う。享受ではなく甘受する心構えをするというのは、自分自身の場合とても難しい。
人は(自分たちに演じられている)劇として、喜んで他人のうちに英雄を見る。しかし自分自身が英雄であるということは、それがどんなに些細なことであっても、まったく違った味がするものなのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.10.22)
過去の時代の音楽というものは常に時代自身の特定の良き、正しき規範に対応している。だから我々はブラームスの音楽にケラーの原理を認めたりするのだ。それゆえ今日、あるいは少し前に見出された良き音楽、つまり現代的な音楽は、馬鹿げたものに見えざるを得ない。
なぜなら今日言い表されている規範のいずれかに対応しているとすれば、それはつまらないものに違いないからだ。この命題は理解しやすいものではないが、それはこういうことなのだ。たとえそのために今日正しいことを公式化しようとしても、それはどれほど利口な者でもできないほど大変なことであって、
言葉で言い表されているいかなる公式や規範も無意味なのである。真理はいかなる者にとってもまったくの逆説と響くだろう。そして自身のうちに真理を感じる作曲家は現在言い表されているすべてのものと対立せざるを得ず、そのため現在の基準では馬鹿げたナンセンスなものに映らざるを得ないのである。
しかし人を惹きつけるような風に馬鹿げているのではなく (というのも、そうだとすると根本においてはまだ今日的見方に対応していることになるから)、何も語らないがゆえに馬鹿げているのである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.1.27)
もし私の名が死後も生き続けるなら、それは偉大な西洋哲学の終点としてのみである。──あたかもアレキサンドリアの図書館を炎上させた者の名のごとくに。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.2.7)
今日において誰かがカトリックからプロテスタントに、あるいかプロテスタントからカトリックに改宗するという考えは(他の多くの人にとってそうであるように)私にとってはばつの悪いものである(それぞれの場合で違った風に)。そこでは(今や)伝統としての意味しか持たないことが、
信念の問題として変更されるのである。それはあたかも誰かが我々の国の葬儀の風習をよその国のものと交換しようとするようなものである。プロテスタントからカトリックに改宗する者は私には精神的な怪物に見える。どんな良きカトリックの司教でも、
もし非カトリックに生まれていたならそんなことをしなかっただろう。そして逆方向の改宗は、ある底なしの愚かさを示している。おそらく第一の改宗はある深遠な愚かさを、第二の改宗はある浅薄な愚かさを示している。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.2.25)
自分が最も愛するものを結局は神の手に委ねられず、むしろいつも自分の手で弄びたいと思う者は、それに対する正しい愛を抱いてはいないのである。つまりこれが愛に備わるべき厳しさなのだ。(私は『ヘルマンの戦い』とヘルマンが盟友にたった一人の伝令しか送ろうとしなかった理由を念頭においている)
確実な予防措置を講じないというのは、安易なことではなく、むしろこの世で最も居心地の悪いことなのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.3.1)
ベートーヴェンはまったくのリアリストだ。彼の音楽はまったくの真理だ、と私は言っているのだ。私はこう言いたいのだ、彼は人生をまったくそのあるがままに見て、それからそれを高めるのだ、と。それはまったく宗教であり、宗教的な詩などではない。
それだから、他の者達が苦しむ者を慰めるのに失敗し、苦しんでいる者が、「この苦しみはそんなものじゃないのに」と自分自身に対して言わなければならないときに、ベートーヴェンは本当の痛みにおいて[苦しんでいるその人を]慰められるのである。
彼は決してきれいな夢の中の気休めを言わずに、世界をそのあるがままに英雄として見ることにより、世界を救うのである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.3.1)
この数か月の仕事で疲れた、そしてマルガリートとのつらい事態に打ちのめされている。私はここに一つの悲劇を予見する。でも要は一つのことしかないのだ、最善をつくし、さらに仕事をすること。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.3.7)
倫理的命題は、「汝これをなすべし!」とか「これは善い!」といった内容を持っており、「これらの人間はこれが善いと言っている」という内容を持ってはいない。しかし倫理的命題とは一つの個人的な行為なのである。事実の確認などではないのだ。賛嘆の叫びのようなものなのだ。「倫理的命題」の
根拠付けとは、その命題を、自分にある印象を与える別の命題へと連れ戻そうとすることに過ぎないのだということをぜひとも考えよ。もしお前があれに対する嫌悪もこれに対する賛嘆も感じていないのなら、その名に値するどんな根拠付けも存在しないのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.5.6)
もしキリストの奇跡、例えばカナの結婚式の奇跡をドストエフスキーがしたように理解しようとすれば、それは象徴として理解しなければならない。水をぶどう酒に変えるのはせいぜい驚くべきことであるに過ぎず、そうしたことができる人間を我々は呆然と見つめるだろうが、それだけのことである。
つまりそれは素晴らしきことにはなりえないのだ。──婚礼の人たちにキリストがぶどう酒を調達してやるというのも、彼らにぶどう酒をあのような前代未聞のやり方で届けてやるというもの素晴らしきことなのではない。奇跡とはこうした行為にその内容と意味を与えるものなのでなければならない。
そして奇跡ということで私が意味するのは、尋常でないことでも、現に起きた出来事でもなく、そうした出来事がなされる精神、水のぶどう酒への変化がそれの象徴、(いわば)それを示すジェスチャーに過ぎないような何かなのである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.5.6)
かつて偉大な作曲家の下にいた後代の作曲家たちが、単純で調和的な進行の曲を作曲する場合、彼らは自分たちの祖先への賛意を表明している。
まさにこうした瞬間に(他の作曲家たちが最も感動させる時に)、マーラーは私にとってとりわけ耐えがたく思えるのだ。
そうしたとき私はいつも言いたくなる。君はこれを他の作曲家から聞いただけじゃないか、それは(本当は)君なんかの物じゃないのだ、と。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.5.6)
ある者にとって教育(教養の獲得)とは自分を自分本来の財産へと導くことにすぎない。その人はそれによっていわば父の遺産を知るにいたるのである。他方、別の者は教育を通じて自分の本質にそぐわない型を身につける。
こうした者にとっては、たとえまったく無教養のままだとしても、教育を受けないでいるほうが良いだろう。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.5.6)
ついでながら言えば、自分の中の、いわば宗教的次元で生じるあの正しさを私は断罪しない。自分の欲望と嫌悪の汚らわしい低地から私はその次元へと逃れる。この逃避は、それが汚れへの恐れから生まれる場合、正しい。
つまり私がより精神的な次元に赴く場合、その次元においては自分は人間で在ることができるのだが、そこでは私のすることは正しいのだ。──これに対して他の人たちはそれほど精神的ではない次元においても人間で在ることができるのだ。
まさに私は建物のその階に彼らのような権利を持っていないのだ。
そして彼らの次元においては、正当にも自分に劣等感を感じる。
私はもっと希薄な大気の中で生きなければならない。そこに属しているのだ。そしてもっと濃い気圏で生きようと望むのを許されている他の人々と、共に生きようという誘惑に屈してはいけない。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.5.6)
哲学においてと同様に人生においても、うわべだけのアナロジーが我々を惑わす。そしてここでも誘惑に対抗する手段はただ一つしかない。ここでの事情はあそことは違うのだよ、とささやく小さな声に耳を傾けることである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.5.6)
というわけで、誇張と独断にあふれた意見にたいしては、いつもかならず、こう質問してもらいたい。「これにかんして本当に正しいのは、どういうことか」。あるいはまた、「いったいどんな場合に、そうなのか」。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.8.19)
英国の建築家、あるいは音楽家(たぶん芸術家全般)がペテン師であることは、ほとんど確信してもよい!
私は絵筆の質を判断することはできないし、絵筆のことは何も分からない。絵筆を見てもそれが上質か悪質か普通なのか分からない。でも私は英国の絵筆は飛びっきり上等だと確信している。
そしてまったく同じように、英国人は絵画のことが何も分からないと確信している。
ここ[英国]では材料は常に際立っているが、それを形にする能力が欠けているのだ。つまり人々に几帳面さも、知識も、器用さもあるのだが、技と微妙な感覚がないのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.5.6)
「およそイギリス人というものは、本当の意味での反省を知らない人種だ。気晴らしや党派根性のために、じっくり教養を身につけることが不可能なのだ。しかし、実際的な人間としては、偉大だよ。」
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1825.2.24)
〔キリストの〕奇跡が我々に語りかけるものであるのなら、それはジェスチャーとして、表現として理解されなければならない。奇跡とは、それを奇跡的な精神でなす者がなした場合にのみ奇跡なのである、とも言えるだろう。この奇跡的精神がなければ、それは単に異常で奇妙な事実であるに過ぎない。
それが奇跡だと言えるために、私はいわばすでにその人物を知っていなければならないのだ。そこに奇跡を感じるために、私は全体を本当に正しい精神で読まなければならないのだ。
おとぎ話で魔女がある人を野獣に変えるという話を読むときも、私に対して感銘を与えるのはやはりその行為の精神なのである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.5.6)
かつてクラウディウスの本で、スピノザが自分自身について書いている箇所の引用を読んだことがある。でも私はその考察があまり気に入らなかった。そして今では、その考察を、具体的にどことは言えないが、ある点で信じていなかったのだと思えてくる。
しかし本当のところ今思うのはスピノザは自分自身を認識していなかった、と私は感じているということである。これはすなわち、私が自分自身について言わなければならないことだ。
下らないおしゃべりはよせ!
彼は自分が惨めな罪びとであることを認識していなかったようだ。
もちろん今私は自分が惨めな罪びとだと書ける。しかし私はそのことを認識してはいない、認識しているならこんな風ではないだろう。
認識という言葉は実に紛らわしい。というのも問題なのは勇気を必要とするある行為なのだから。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.10.12)
時々私は人間を球として想像してみる。あるものは全部本物の金でできている。別のあるものは表層が無価値な材質でできていて、その下が金になっている。また別のものは表面が紛らわしいニセの金メッキで、その下が金。さらに別のものは金メッキの下がごみになっており、
また別のものはそのごみの中に小さな本物の金の球がある等々、等々。
たぶん最後の種類が自分なのだと信じている。
しかしこうした人間を判別するのがいかに難しいか。ある人間について第一の層が偽物だと分かり、「そうか、あいつには値打ちがないのだ」と人は言う。というのも本物の金に
金メッキがしてあるとは誰も思わないからだ。あるいは金メッキの下にガラクタを見つけて、「当然だ! こんなことだと思っていた」と人は言う。だが、その場合でもガラクタの中にまだ本当の金が隠れているに違いない、こう想像することは難しいのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.10.31)
キルケゴールの著作には人をからかうものがある。もちろんそれは意図的なものである。私に対して彼の著作が及ばす影響そのものが意図されたものかどうかは私には定かではないが。私をからかう者が、彼の問題に取り組むことを私に強いること、そしてその問題が重要であれば、これがいいことであることに
何の疑問もない。にもかかわらず私の中には、このからかいを非難する何かが存在する。それは単に私のルサンチマンにすぎないのか。もちろん私はキルケゴールが彼の著作で美的なものの不条理さをその名人芸で示していること、それを彼が意図して行っていることを知っている。しかし彼の美学的著作には、
すでにかすかな苦味が含まれており、まさにそれ自身において詩人の作品とは違った味わいを持っているのも事実である。彼は詩人ではないのに、いわば信じられないような名人芸で詩人をまねているが、人はその模倣の中に、彼が詩人でないことに気づく。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.11.7)
私は自分の心の中で自分自身に耳を傾ける代わりに、早くも後世の者が自分について語っているのに耳を傾けている。もちろんこの自分自身とは、私をよく知っているがゆえにまったくありがたくない観客なのだが。
そして私がしなければならないのは、想像の中の他人に耳を傾けることではなく、自分自身に耳を傾けることである。すなわち自分を眺めている他人を眺めるのでなく──というのも私がしているのはこのことだから──、自分自身を眺めることである。
自分から目をそらした上で他人を眺めるために、私はどんなに策を弄していることか。どれだけ際限なく何度もそうした誘惑にかられていることか。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.11.15)
私の自己叱責的な考察の中で、それでもやはり自分の欠点を自分で見つめるのは素晴らしいことだ、という感覚をまったく抜きにして書かれているものは、ほとんど一つとして無い。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1932.1.11)
(倫理的芸当とは、何が自分にできるのかを示すために私が他人に、あるいは単に自分(自身)に対して演じる何かである。)
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.11.7)
その頃の文壇は私を指さして、「才あって徳なし」と評していたが、私自身は、「徳の芽あれども才なし」であると信じていた。私には所謂、文才というものは無い。からだごと、ぶっつけて行くより、てを知らなかった。野暮天である。
(太宰治『東京八景』)
私は大部分の人間よりもむき出しの魂を持っている。私の天才とはいわば、そこにあるのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1932.1.28)
私にとって聖書とは、目の前の一冊の本にすぎない。だがなぜ私は「一冊の本にすぎない」と言うのか? 目の前に一冊の本がある、一つの文書がある。この文書は、それだけでは他のどんな文書以上の価値を持つこともできない。
(こうレッシングは言いたかったのだ。) この文書それ自身は、そこに書かれているどんな教えにも私を「結びつける」ことはできない。これは、私の手に入っていたかもしれない他のあらゆる文書と同様に、聖書について言えることである。
もし私かその教えを信じるとすれば、それは、他の教えは私に伝えられなかったが、この教えが伝えられたからではない。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.1.27)
お前にとって信仰に関するいかなる論争もありえない。何故ならお前は何について争われているのかを知らない(識別できない)からである。説教は信仰の前提条件かもしれないが、その中で言われていることを通じて信仰を動かそうとすることはできない。
(もしこれらの言葉が信仰に結びつけることができるのなら、別の言華もまた信仰に結びつけられるだろう。)信仰は信じることから始まるのだ。信じることから始めなければならない。言葉からはいかなる信仰も生まれない。もう十分だ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.1.27)
信仰が人間を幸いにするというのがどういう意味なのかが分かった。それは、信仰は人間を直接神のもとにおくことにより人間に対する恐怖から解放する、ということなのだ。人間がいわば皇帝直属になるのだ。英雄でない、というのは一つの弱さである。しかし英雄を演じるというのは、
つまり決算において自分の負債を明確に、曖昧さを排して告白する勇気を一度も持たない、というのは、さらにもっとひ弱な弱さである。そしてそれはすなわち、謙虚になることである、それも、あるときにロにするいくつかの言葉においてではなく、生において謙虚になることである。
理想を持つのは正しいことである。しかし自分の理想を演じようと望まないのはなんと難しいことか! そして理想を自分から切り離して、それがあるがままの場所において見るのはなんと難しいことか!
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.1.28)
哲学をする場合、適当な時に、子供が(そして素朴な人々が)一番長い橋がこれで、一番高い塔がこれで、一番早い……、と聞いてどんなに喜ぶかを想い出せ(「一番大きな数は何?」と子供は尋ねる)。
こうした衝動があらゆる種類の哲学的偏見を、従って哲学的混乱を生み出すに違いない、これ以外にはありえないのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.2)
決して自分を欺こうとしないこと、これを我に堅く守らせよ。すなわち、自分が認識する自分に対する要求を、繰り返し自分自身に対して要求として告白すること。これは私の信仰と完全に一致する。あるがままの私の信仰と一致する。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.13)
新約聖書に述べられていることのどれたけが正しく、どれだけが間違っていようとも、疑えないことが一つだけある。つまり、正しく生きるためには、私は自分に心地よい生き方とはまったく違ったように生きなければならないだろう、ということである。
つまり、生きるとは表面で見えているよりずっと真剣なものだということである。生きるとは恐ろしいほど真剣なことなのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.13)
私が満たすことのてきる最高のこととは「自分の仕事において楽しくあること」である。すなわち、厚かましくならず、思いやりを持ち、あからさまなごまかしを言わず、不幸にあってももどかしがらぬことである。こうした要求を自分が満たせるというのではない、満たそうと努められる、ということである。
しかしこれより高い所にあるものを満たすことは、私にはそのように努めることもできないし、そうしたいとも思わない。私にできるのは、ただそれらを認識し、《その認識の圧力が恐るべきものでないことを願うことのみである。》
すなわち、認識の圧力が私に生きることを許し、私の精神を陰鬱にしたりしないことを、である。
《そのためには、いわば、私がその下で仕事をし、その上に昇ろうとは思わない天蓋・天井を通って、あるほのかな光があたりを満たさなければならない。》
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.13)
昨日次のようなことを考えた。あの世での応報というものを完全に度外視するとして、ある人が終生正義について悩み、その挙句に恐らくはひどい死に方をし、こうした生き方に対していかなる報賞も受け取らない、というのが正しいと自分は見なすのか? やはり私はこうした生き方に感心し、
自分の生き方より高く評価する。どうして私は、人生をそんな風に費やすなんて、そいつは間抜けだったんだ、と言わないのか。これが間抜けでないのはなぜなのか。あるいはまた、なぜ彼は「最も惨めな人間」でないのか? もし彼が終生ひどい生活を送った、というのが事のすべてなら、
当然彼は最も惨めな人間なのではないか。だが今私が「いや、彼は間抜けではなかった。なぜなら死後彼の人生はよくなるからだ」と言ったとせよ。これもまた満足のゆくものではない。私には彼は間抜けとは思えない、それどころか逆に、正しいことをしているように思えるのだ。
さらに、彼は正しいことをなしているのだ、なぜなら正当な報賞を受け取るのだから、と言えるようにも思われる。しかしこの報賞が死後の褒美だとは私には考えられない。「この人は帰郷するに違いない」、こうした者について私はこう言いたい。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.15)
《神よ! 私をあなたと次のような関係に入らせてください、そこでは私が、「自分の仕事において楽しくあれる」、そのような関係に! 神はいつでもお前からすべてを要求できると信じよ! そのことを真に意識せよ! それから、神がお前に生の賜物を与えてくださるよう請い願え! というのも、
もしお前に対して要求されたことをお前がしない場合、お前はいつでも狂気に陥ったり、まったくの不幸になったりするかもしれないからだ!》
神に語ることと、神について他人に語ることは違う。
《私の理性を純粋で穢れなきよう保たせてください!──》
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.16)
よろこびをもって仕事をし、なしとげた仕事をよろこべる者は幸福である。
(ゲーテ『箴言と省察』経験と人生)
神に語ることと、神について他人に語ることは違う。
《私の理性を純粋で穢れなきように保たせてください!──》
私はたいそう深遠でありたがる、──それなのに私は人間の心の深淵から後ずさりしているのだ!!──
仕事ができず、疲労を感じ、誘惑に乱されずには生きられない苦しみに
私はのたうち回っている。そして他の人々──本当に何者かであった人々──が蒙らなければならなかったことを考えれば、私が体験していることなどそれに比べると何でもない。なのに、比べれば取るに足らないような圧力の下で私はのたうち回っている。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.16)
自分にとって謙虚であることほど難しいことはない。キルケゴールを読んでいるので、このことに今再び気づく。自分が負けたと感じることほど私にとってつらいことはない。問題になっているのが、ただ真実をありのままに見ることに過ぎないのに、そうなのである。
《私は自分の原稿を神に犠牲として捧げられるだろうか?》
「これをしなければお前は罰せられるだろう」と言われるよりも、「これをしなければお前は自分の人生を棒に振ってしまうだろう」と私は言われたい。
第二の言葉が本当に意味するのは、これをしないなら、お前の人生は見せかけのものであり、真実と深さを持たない、ということである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.18)
説明しないこと! 記述すること!《お前の心を服従させよ、こんなに自分が苦しまなければならないことに腹を立てるな! これは私が自分に与えなけれはならない忠告である。お前が病気なら、病気に合わせて過ごすのだ。病気であることに腹を立てるな。》
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.19)
「お前はそこまで新約に関わり合いになるべきではない、そんなことをしたら頭がもっとおかしくなるぞ」と人は私に言うことができよう。しかし私がそうすべきでないのは、私自身が自分はそうすべきでないと感じる場合のみである。もしある場所で重要なもの・真理を見ることができると自分が信じるなら、
あるいはそこへ入ってゆくことによりそれらを見つけることができると自分が信じるなら、そこで何が起きようともそこに入ってゆくべきであり、そこに入ってゆくことを避けるべきでない、と確かに自分は感じることができるのである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.20)
私が今信じていること。自分か善いとみなすことをする場合、私は人や人の意見を恐れるべきでない、と信じる。
自分は嘘をつくべきでなく、人に対して善くあるべきであり、自分をあるがままに見るべきであり、より高貴なものが関わるときは自分の安楽を犠牲にすべきであり、
許される場合は良き仕方で楽しくあるべきであり、それが許されない場合は忍耐と毅然たる態度で惨めさに耐えるべきであり、私からすべてを要求する状態は「病気」とか「狂気」という名によっては片付かず、つまり、そうした状態においても他の場合と同様、私は責任を負っており、
その状態は他のすべての状態と同様に私の生に属しており、それゆえそれに対して完全な注意を払うべきである、と私は信じる。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.21)
人間は己の日常の暮らしをそれが消えるまでは気がつかないある光の輝きとともに送っている。それが消えると、生から突然あらゆる価値、意味、あるいはそれをどのように呼ぶにせよ、が奪われる。単なる生存──と呼びたくなるもの──がそれだけでは全く空疎で荒涼としたものであることを人は突然悟る。
まるですべての事物から輝きが拭い去られたかのようになる。すべてが死んでしまう。これは、例えば、病気の後に時として起こる。もちろんだからといって、それがより非現実的であったり、重要でないことなのではない、つまり、肩をすくめて済ますことはできない。その時、人は生きたまま死んでしまう。
むしろこう言うべきかもしれない。これこそが人にとって恐ろしいものでありうる本当の死なのだ。何故なら単なる「生の終わり」など人は体験しないのだから(私がまったく正しく書いたように)。だが私が今ここで書いたこともまた、完全な真理ではない。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.22)
宗教的な問いとは生の問いか、さもなくば(空虚な)無駄話でしかない。この言語ゲーム──と言ってよいだろう──は生の問いと共にしか演じることはできない。それは「痛い」という言葉が痛みの叫びとしてでなければ何の意味も持たないのとまったく同じである。私はこう言いたい、
もし永遠の至福というものが私の生、私の生き方にとって何の意味も持っていないのなら、私はそれについて頭を悩ませるべきではない。もし私がそれについて正当に考えることができるのだとすれば、私の考えることは自分の生と厳密に関係付けられなければならない、さもなくば私の考えることは
無駄なおしゃべりであるか、あるいは私の生が危機に瀕しているのである。──影響力を持たない政府、従わなくてもよい政府、それは政府ではない。ある政府について私が語るのが正当だとすれば、私自身がその政府に依存しているのでなければならない。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.23)
純粋な者は耐え難い厳しさを持っている。ドストエフスキーのような者の訓戒がキルケゴールのような者の訓戒よりやさしく感じられるのはこのためである。一方がまだ押し紋っているとき、他方はすでに切り落としているのである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.2.24)
他のことについては多くの優れた意見を持っているシュペングラーが、キルケゴールの評価については大きく誤っているのは興味深い。ここには彼にとって偉大すぎる人間が、あまりにも近くに立っているのだ。彼はただ「巨人の長靴」を見ているに過ぎない。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.6)
「精霊によらなければ、誰もイエスを主と呼ぶことはできない」という文章を読む。──たしかにそうだ。私はイエスを主とは呼べない。そんな呼び方は意味をなさないからだ。「手本」とか、そう「神」となら呼べるだろう。実際、そういう呼び名なら、理解することができる。
だが「主」という言葉を口にしても、意味がない。キリストが私を裁きにやってくるだろう、とは思えないからだ。私にとっては意味をなさないからだ。かりに私がまったくちがった生き方をするなら、その場合にのみ、なにか意味をもつかもしれないが。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1937.12.12)
ひざまずくことが意味しているのは、人は奴隷だということである。(ここに宗教が存在するのかもしれない)
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.3)
ああ主よ、自分が奴隷だということさえ分かればよいのですが!
今太陽が私の家にとても近づいている。ずっと元気に感じる! 身に余るほど調子が良い。──
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.4)
「信じる」ということは、権威に服従することである。いったん権威に服従してしまえば、権威に反抗することなしに、権威を問いなおし、あらためて権威を信じるにたるものと思うわけにはいかない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1944)
私は才能の乏しい人間だ。こんな私にも何か正しいことが成し遂げられますように。というのもそれは可能だからだ! そう私は信じる。──惑わされることなく真っ直ぐでありたい! 価値あることはそこにこそ存するのであろう。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.12)
ぼくはぼくの中に可能性が存在することを認容する──だれにむかって認めるのか? 手紙にか?──、身近の可能性、だが、ぼくにはまだそれがわからないのだ。それにしても、そこに通じる道が見つかりさえすれば! そしてそれが見つかったら、まっしぐらに突き進んでいけたなら!
可能性があるということ、これは実に多くのことを意味しており、一人のならず者から高尚な人間が生れでるかもしれないということ、幸福な人間の高尚さが生れでるかもしれないということをさえ意味するのだ。
(カフカ 日記 1922.2.26)
もしお前が神の摂理というものを信じているのなら、つまり、起こることはすべて神の意思によってのみ起こる、と信じているのなら、神である一人の人がこの世に来た、というこの最も偉大な出来事も、神の意思によって起こったと当然信じなければならないのだ。だとするなら、この事実はお前にとって
「決定的な意味」を持たなければならないのではないか?私が言いたいのは、その場合それはお前の人生に対してある帰結をもたらし、お前に何らかの義務を負わすのではないか、ということである。私が言いたいのは、お前はその人と倫理的な関係に入らなければならないのではないかということなのである。
というのも確かにお前は、自分には父と母がいて、彼らなくして生まれてこなかった、ということにより様々な義務を負っているからだ。それゆえお前はあの事実によってもまた、そしてあの事実に対して様々な義務を負っているのではないか?
だが私はそうした義務を感じているのか? 私の信仰は弱すぎる。
神の摂理に対する私の信仰が、「すべては神の意思により起こる」という私の感覚が弱すぎる、と私は言いたいのだ。そしてこれは見解ではない──確信でもない、それは事物と出来事に対するある態度なのだ。《私がうわついてしまいませんように!》
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.15)
今おそらく、太陽は山の上に来ているのだろう、だが天候のせいで見えない。もしお前が神を訴えたいと思うのなら、お前は誤った神の概念を抱いているのだ。お前は迷信に捕らわれているのだ。もしお前が運命に怒るのなら、お前は誤った概念を抱いているのだ。
お前は自分の概念を転換すべきなのである。おのれの運命に満足すること、それは知恵の第一の掟でなければならないだろう。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.18)
信仰という心の状態が人間を幸せにできるということを理解している、と私は信じる。というのも、もし人が心の底から、自分のために完全な者〔キリスト〕が自らを捧げ、自らの命を犠牲とし、それによって、始まりから自分を神と和解させてくれたのであり、それだから今から自分はこの犠牲に
ふさわしいようにのみ生き続けるべきである、と信じるのなら、それはその人間全体を高貴にせざるを得ない、いうなれば、貴族の地位へと高めざるを得ないからである。これが幸福へと向かう魂の運動であることを私は理解している。私はこう言いたいのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.20)
私の信じるところでは、〔聖書には〕「お前たちは今赦されたのであり『今後はもう』罪を負っていないのだと信じよ!」と述べられているのである──しかしこの信仰が一つの恵みであることもまた明らかである。
そして私の信じるところでは、信仰の条件とは、我々がなしうるすべてをなし、同時に、それが我々には何ももたらさず、どれほど我々が苦しもうとも、我々の罪は赦されぬままである、ということを見ることである。その時に赦しは正当となるのである。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.20)
どのように努力しても目的に達することができぬばかりか、かえってそれから遠のいて行くような気がして、慄然とする時、そういう時、あなたは忽然として目的に到達せられるのじゃ。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)
たとえ、今日、自分が信じていないことを明日信じることがあるとしても、だからといって私が今日、間違っていたということではない。というのも、この「信じる」というのは意見を持つということなどではないからだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.23)
「信仰」は、個々人の決定によってどのようにでもなるかのように考えられている場合が多いと思われる。スーパーマーケットにさまざまな商品がならんでいて、それらのなかから自分の気に入った商品を選んで購入するように、自分の前には「○○教」「△△教」「××信心」などがあって、
そのなかから自分の気に入ったものを選んで、そのようにして選んだのがたまたまキリスト教だったので「(本当はどれでもよいのだが、自分に合っているので)私はキリスト教を信仰している」ということになってしまう。
(加藤隆 『新約聖書』の誕生)
真剣な人々が真剣に書いたことを批判するな、何故なら自分が何を批判しているのかお前は分かっていないのだから。なぜあらゆることについて自分の意見を作り上げなければならないのか。だがこれは、それらすべてに同意せよ、ということではない。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.26)
過度の要求はするな。おまえの正当な要求が水泡に帰すことを恐れるな。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1941.6.27)
私は自分のあるがままにおいて、自分のあるがままに照らされ、啓かれている。私が言いたいのは、私の宗教はそのあるがままにおいて、そのあるがままに照らされ、啓かれている、ということだ。昨日、私は今日よりも照らされ方が少なかったわけではないし、今日、より多く照らされているわけでもない。
なぜなら、もし昨日私が事をこの様に見ることができたのなら、私は確かにそう見ただろうからである。
ある時代が魔女を信じなかったのに、その後の時代が魔女を信じたということや、魔女を信じるとか、それに似たことが滅してはまた復活するということに人は当惑する。だがこの当惑を解きたいのなら、
自分自身に起こることを見るだけで十分である。──ある日お前は祈ることができる、なのに別の日には多分できない、そしてまた、ある日には祈らざるを得ず、別の日には祈る必要がない。
《神の恵みのおかげで今日は昨日よりもずっと調子がいい。》
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.3.26)
しばしば人は文章が長すぎると感じ、言葉を削ることによって簡潔にしようと思う。そうすることにより生まれるのは、ぎこちなく満足のゆかない短さである。だが本当に簡潔であるためには、おそらくその文章は言葉がたりないのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.4.11)
私の理想はある種の冷たさである。情熱に口をはさむことなく、情熱をとりかこむ寺院。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1929)
文学はおそらく、もっとも知性に抵抗を与える素材を取り来って、それを知的に再構成するという職分を持っており、これこそ知的冒険であり、水の力で以て火を消さずに、火を水で包んで結晶させるような一種の魔術なのである。
(三島由紀夫『陶酔について』)
人生の問題の解決策を見つけたと思い、「さあこれで楽になったぞ」と呟きたくなったとしよう。そのとき、それが間違いであると証明するには、「解決策」が見つかっていなかった時代があったことを考えればいい。その時代にだって生きることができたはずであり、その時代のことを考えれば、発見した
解決策など偶然にすぎないと思えるのだ。論理学の場合も事情は同じである。「論理学の(哲学の)問題を解決」したとしても、これだけは肝に銘じておくべきだろう。その問題はかつて未解決だった(が、そのときだって生きることも考えることもできたはずだ)
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1929.6.29)
エンゲルマンが自分の書いた原稿を見て、すばらしいと思うとき (もっとも彼は、原稿をバラバラのかたちで出版したくはないのだが)、彼は自分の人生を、神の手になる芸術作品とみなしているのだ。もちろんどんな人生でも、どんなものでも、そういうものとみなすなら、観察にあたいするわけだが。
しかし、バラバラのものを芸術作品として描き出せるのは、ひとり芸術家だけである。だから、エンゲルマンの原稿をバラバラで観察するなら、つまり、偏見なしに、いいかえれば熱狂しないで冷静に観察するなら、原稿の価値が消えるのは当然の話なのだ。芸術作品はわれわれに──いわば──
適切なパースペクティブを強制する。しかし芸術がなければ、作品は、ほかのものと同様にひとかけらの自然にすぎない。われわれは熱狂してそれを価値あるものと考えてもいいが、だからといって、人目にさらす権利はないのである。 (いつも私は、例の味気ない風景写真のことを思い出してしまう。
本人はその場所に行って、なにか経験をしたので、おもしろいと思って撮ったのだろうが、第三者からは当然、冷ややかにながめられる風景写真のことだ。もっとも、ものごとを冷ややかにながめることが、正当であるとしての話だが。)
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1930.8.22)
典型的な西洋の学者に理解されたり評価されたりすることは、私にはどうでもいい。どのような精神で私が書いているのか、いずれにしても理解されていないのだから。
われわれの文明の特徴は、「進歩」という言葉で言いあらわすことができる。進歩はわれわれの文明の形式であって、
「進歩する」という文明の特性ではない。われわれの文明の典型は、建設である。その活動とは、ますます複雑なものを建てること。しかも明晰さですら、建築の目的に奉仕するだけで、自己目的となっていない。
ところが私にとっては、明晰さ、透明さこそが自己目的なのだ。
私が興味をもつのは、建築物を建てることではない。考えられうるかぎりさまざまな建築物の、基礎を透視することである。
だから私の目標は、学者たちとは別のものであり、私の思考は、学者たちとはちがったふうに動く。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1930.11.6-7)
私が興味をもつのは、建築物を建てることではない。考えられうるかぎりさまざまな建築物の、基礎を透視することである。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1930.11.6-7)
信仰とは、自己が、自己自身であり、また自己自身であろうと欲するに当たって、神のうちに透明に基礎をおいている、ということである。
(キルケゴール『死に至る病』)
私がたどり着きたいと思っている場所が、ハシゴを使わなければ上れないような場所なら、私はたどり着くのを諦めるだろう。実際たどり着くべき地点には、既にいなければならないのだから。
ハシゴを使わなければ手に入らないものに、私は興味がない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1930.11.6-7)
あなたがもしわたしに石の祭壇を造るならば、切り石で築いてはならない。あなたがもし、のみをそれに当てるならば、それをけがすからである。
あなたは階段によって、わたしの祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所が、その上にあらわれることのないようにするためである。
(出エジプト記 20:25-26)
誰も、傷ついた他人を見たくはない。だから、他人が傷ついていないなら、誰もが気持ちいい。誰も、くだらないことでむくれた人の顔など見たくない。このことを覚えておこう。
侮辱されて傷ついた人に優しく接するより、その人をじっと──黙って──避けるほうが、はるかに簡単である。優しく接するには、勇気までが必要だ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931)
私の思考は、じつは複製・再生でしかない。そう考えるとしたら、一面の真理があるのではないだろうか。私は思想の運動をつくりだしたことなど一度もなかったのではないか。いつも誰かからあたえられては、すぐに情熱的にそれに飛びつき、それを明晰にしようとしたのである。
こうして私は、ボルツマン、ヘルツ、ショーペンハウアー、フレーゲ、ラッセル、クラウス、ロース、ヴァイニンガー、シュペングラー、スラッファから影響をうけた。ユダヤ的複製・再生の一例として、ブロイアーとフロイトの名前をあげることができるだろうか。
──私のつくるもの、それは新しい比喩・たとえ話である。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931)
「哲学って、ぜんぜん進歩しないんですね」とか、「哲学って、その昔、ギリシャ人が頭を悩ませていたのとおなじ問題で、いまも頭を悩ませているんでしょう」とか。何度も何度も聞かされてきたセリフである。ところで、そういうセリフを口にする人は、なぜそうなのか、理由がわかっていないのだ。
その理由とは、われわれの言語があいかわらずおなじでありつづけているからであり、われわれの言語が何度も何度もわれわれをおなじ問題へと誘惑するからである。
ちなみに、こういう堂々めぐりは、この世ならざるものへの望みを満足させてくれる。というのも、「人間の知性の限界」を見ているのだと思うことによって、当然、限界のむこうまで見えているのだと思うからである。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.8.24)
ユダヤ人は、西洋文明のなかではいつも、自分にあわない尺度で測られる。多くの人にとっては明らかに、ギリシャの思想家は、西洋的な意味での哲学者でもなければ、西洋的な意味での学者・科学者でもなかったし、また、古代オリンピックの参加者は、スポーツマンでもなかったし、
西洋的な分類にはなじま<ない>。ところでユダヤ人の場合も、それとおなじことが言える。
そしてわれわれの<言語の>単語が尺度そのものだと思われるために、いつもユダヤ人を不当に扱ってしまう。
そしてユダヤ人が、あるときは過大評価され、あるときは過小評価される。この場合、シュペングラーがヴァイニンガーを西洋の哲学者に分類していないのは、適切なことだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.9.13)
えてして哲学者は、不器用なマネージャーになりがちだ。自分では仕事をせず、ただ部下が仕事をきちんとやっているかどうかを見張っているだけでいいのに、部下から仕事を取り上げ、ある日、気がつくと、部下たちの仕事の山にうずもれてしまっているのである。
部下たちのほうは批判的な目で、それを傍観しているのだが。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.10.14)
(哲学者は、しばしば幼児のようだ。幼児はまず鉛筆で、好き勝手な線を書きなぐってから、大人に「これ、なあに?」とたずねる。──こんなことがあった。大人が子どもに何度か、絵を描いてみせて、「これは男の人」、「これは家」などと言ったのである。
すると子どもも線を何本か引いて、「じゃ、これ、なあに?」とたずねたのだ。)
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.10.27)
意志の概念や物心平行論についてもう一度、しかも数百の先輩がしたのと少し違って述べるというのは、まったく憫れな生活内容である。それは「職業」であってもいい。だが哲学ではない。
(シュペングラー『西洋の没落』緒論15)
トルストイによると、「ある対象をみんなが理解できることが、その対象の意味(重要性)である」。これは正しくもあり、まちがってもいる。ある対象が重要な意味をもっている場合、なぜ、その対象は理解しにくいのか。対象の理解のためには、わかりにくい事柄にかんして
なにか特別の指導が必要だからではない。対象の理解と、大部分の人が見ようとするものとが、対立しているからだ。というわけで、じつに明白なものが、きわめて理解しにくいものとなる。克服すべき困難は、知性ではなく、意思のほうにある。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.11.22)
われわれの主張が公平を欠いたり、空転しないようにするには、われわれの考察においては、理想を、あるがままの現実として、すなわち比較の対象として、──いわば物差しとして──差し出すしかないのである。つまり理想といっても、あらゆるものが合致しなくてはならないような先入観ではないのだ。
まさにこの点にこそ、哲学がじつに陥りやすい教条主義があるのである。
さて、そのときシュペングラー風の考察と私の考察との関係はどういうものなのだろうか。
シュペングラーが公平でないのは、理想が、考察のかたちを決める原理として差し出されたとき、その理想の尊厳がなにひとつ失われないことである。結構な尺度の単位だ。─ ─
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1937)
キリスト教というのは、人間の魂に起きたこと、起きるだろうことについての、教義でもなければ、理論でもないと思う。キリスト教は、人間の生涯で実際にあったことの記録なのだ。「罪の意識」は実際にあったことだし、絶望も、信仰による救いも、実際にあったことだ。
(バニヤンのように)そういうことについて語る人は、自分の身に起きたことを書いているだけなのである。誰がなんと言おうとも。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1937.9.4)
まずわが説くところは、別に難しい学問ではないことを知れ。われはわれ等一同の知れることを悟り、われ等一同の目撃したことを確かめているだけである。
(トルストイ『要約福音書』)
ときどきこんなふうに言う人がいた。「あれやこれの判断ができません。哲学の勉強をしたことがないので」。こんなナンセンスな発言を聞くと、いらいらする。というのも、「哲学は科学です」と申し立てられているわけだから。しかも哲学が医学かなんかのように思われているのだ。
──だが、次のようなことは言える。たとえば、たいていの数学者のように、哲学的な研究を一度もしたことがない人には、その種の研究や検査に必要な適切な視覚器官がそなわっていないのである。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1937.9.24)
どうも私には、パウロの手紙には、人間の情念が見えるような気がするのである。それは、誇りや怒りといったものであり、福音書の謙虚さとは矛盾するものだ。なにしろパウロの手紙では、自分というものが強調されている──それも宗教的な行為として──ように思えるのだが、
それは福音書には見られないことである。私としては、これが冒涜とならないことを願いながら、「キリストなら、パウロにどう言っただろうか」と質問したい。
だがその質問には、当然、このような答が返ってくるかもしれない。「それは、あなたにどんな関係があるのかね。あなたのほうこそ、もっと行儀よくするべきじゃないか。いまのままじゃ、パウロの手紙にどういう真理があるのか、見当もつかないだろう」。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1937.10.4)
言語ゲームの起源であり、そのプリミティプな形式とは、リアクションである。リアクションがあってはじめて、さらに複雑な形式が育つのだ。
私は言いたい。言語とは、精密にし洗練することである。〈はじめに行為ありき〉。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1937.10.21)
神は、神の子の生涯を四人の福音書家に報告させているが、報告はそれぞれ食い違っている。だが、こうは言えないだろうか。重要なのは、その報告にはごくありふれた「歴史の確からしさ」以上のものがないことである。というのもそれは、その報告が本質的で決定的なものとみなされないための配慮なのだ。
それは、文字が分不相応に信じられないための配慮であり、精神・霊が分相応に認められるための配慮なのである。つまり、君が見なければならないものは、きわめて精確な最高の歴史家によってすら伝えられないものである。だから平凡な記述で十分なのだ。いや、平凡な記述のほうが好ましい。というのも、
君に伝えられるべきものは、平凡な記述でも伝えることができるのだから。(それは、平凡な舞台装置の方が洗練された舞台装置よりもよく、絵に描いた木の方が実物の木よりもいいのに似ている。平凡な方が、肝腎な点から観客の注意をそらせないからだ)
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1937.10.22)
誰も自分自身について間違いなく「俺は糞みたいな奴だ」とは言えない。私がそう言うとしたらある意味それは正しいかもしれないが、自分ではその正しさに浸ることができない。そんなことができるなら、私は狂人になるか、自分を変えるしかないだろう。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1937.12.8-9)
自分自身について、自分自身よりも真実味のあることは何も書けない。それが、自分について書くことと、外部の対象について書くこととの違いである。君は、君の身長から眺めて君自身について書く。竹馬やハシゴの上に立つのではなく、裸足で立つのだ。
(ウィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1937.12.12)
自分自身の行儀のよさの限界に突き当たったとき、いわば思想の渦巻きができる。(そして)無限の後退がはじまる。言いたいことを言えばいいが、先には進めない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1930.11.8)
とても奇妙に聞こえるかもしれないが、福音書に書かれている歴史的な報告は、歴史的な意味では、まちがっているかもしれないと証明することができる。しかし、だからといってそのために信仰が揺らぐわけではない。しかもそれは、信仰がたとえば「理性による普遍的な真理」と関係しているからではない。
そうではなくて、歴史上の証明(「歴史上の証明」というゲーム)が信仰とは無関係だからである。信仰のある(つまり、愛のある)人間が、そういうレポート(福音書)に、飛びつくのである。ほかでもないこのことこそが、その正しさを保証している。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1937.12.8-9)
旧約聖書を、頭のない体とみたてるなら、新約は体であり、使徒の手紙は、頭にかぶせた王冠である。
ユダヤの聖書、つまり旧約聖書のことだけを考えるとき、こう言いたくなる。この体には(まだ)頭が欠けている。この問題には解決が欠けている。この希望には成就が欠けている。だが私は、王冠をかぶった頭を、かならずしも想像するわけではない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1939-1940)
天才をはかる物差しは、人格である。──もっとも、人格をそなえているだけで天才になるわけではないが。天才は、「才能と人格」の合計ではなく、ある特別な才能の形において現れた人格のことなのだ。人を助けようとして、勇敢に水に飛び込む者もいれば、
勇敢に交響曲を書く者もいる。(あまり出来のよくない例だが。)天才のほうが、天才ではない実直な人より、たくさん光をもっているわけではない。──だが天才は、ある特定のレンズによって、光を焦点にあつめるのだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1939-1940)
私は、天才とは単に高い道徳であることを、あらゆる点で証明したと思う。偉大な人間は、自分自身に最も忠実で、最も忘れがたく、誤りや嘘が最も嫌いで耐えがたいものであるだけでなく、最も社会的で、同時に最も自己完結的で、最もオープンな人間である。
(ヴァイニンガー『性と性格』)
ショーペンハウアーはじつに粗野な人物である、と言えるかもしれない。つまり、洗練はされているのだが、ある程度の深さに達すると、突然そうではなくなり、このうえなく粗野になるのである。ほんらいの深さがはじまる場所で、彼の深さは消えてしまう。
ショーペンハウアーは自分をけっして反省しない、と言えるかもしれない。
下手くそな乗り手が馬に乗っているように、私は人生のうえにまたがっている。いまこの瞬間、私が振り落とされないのは、ひとえに馬の気立てのよさのおかげなのだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1939-1940)
学者や科学者がとる態度は、なんと奇妙なのだろう。──「これはまだわかりません。だが、わかるはずです。時間の問題にすぎません。そのうちわかるでしょう」。まるでそれが当たり前であるかのような発言ではないか。──
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1941.6.16)
自然の世界には、我々が近づきうるものと近づきえないものがあるということだ。これを区別し、十分考慮し、それを尊重することだ。この二つのうちの一方がどこで終り、もう一つの方がどこで始まるかを知るのは、たしかにいつも困難なことではあるが、ともかく、そういう区別があることを知るだけでも、
必ず我々の助けになる。これがわからない人は、おそらく一生涯、近づきえないものに取りくんで苦労し、結局、真理に近づくこともできないだろうよ。ところが、これを知る賢い人は、近づきうるものだけをよりどころにするだろう。
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1827.4.11)
"気ばらしの旅行者"。──彼らは、まるで獣のように、鈍感に、そして汗をかきかき山を登る。途中にいくつもの美しい眺めのあることを彼らに言っておくことが忘れられたのだ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部202)
いつもいつも「なぜ」を問題にする人は、ベーデカーのガイドブックをのぞきながら、建物のまえに立ち、その建物の成立事情などなどを読むのに忙しくて、建物を見るのを忘れてしまう旅行者に似ている。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1941.7.3)
我々の病は、説明を欲するということ、これである。
(ウィトゲンシュタイン 数学の基礎)
原因を熱心に問いただし、原因と効果を混同し、誤った理論に安住することは、きわめて有害であり、この害をさらに増大させてはならない。
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)
ふさわしくない雰囲気のなかに人を置くと、なにもかもが本来の機能をはたさなくなるだろう。その人はすべての部分において不健康に見えるだろう。その人を、ふさわしい場所に戻せば、すべてが力を発揮し、健康に見えるだろう。
だが、不当な場所に置かれると? そのときは、障害者のように見えることに甘んじるしかない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1942.5.18)
なぜ私は言葉を、その言葉の本来の用法に反して使ってはならないのか。それは、たとえばフロイトが不安夢までも願望夢と呼ぶときに、やっていることではないのか。どこにちがいがあるのだろう。学問や科学の考察では、言葉の新しい用法は、理論によって正当化されている。
もしもその理論がまちがっていれば、拡張された新しい言葉の用法も捨てなければならない。だが哲学の場合、拡張された言葉の用法をささえているのは、自然現象に関する正しい意見やまちがった意見ではない。どのような事実も、その用法を正当化しないし、(また)失脚させることもできない。
われわれはこう言う。「この表現、わかるでしょう。さて、君がいつも理解しているように、私もこの表現を使うことにしよう」。[「……この意味で……」ではない]
あたかも意味というものは、言葉が使われるたびに、くっつけるアウラであるかのようだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1942.2.27)
自分を不完全だと思うよりは、病気だと思う。その程度、人びとには信仰がある。
中途半端に行儀のいい人間は、自分をこのうえなく不完全だと思っている。だが信仰のある人間は、自分をあわれだと思っている。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1941-1944)
苦境から救いを求める叫び声は、ひとりの人間の叫び声より大きいことはない。
あるいは、どんな苦境も、個人が陥っている苦境より大きいことはない。
したがって、ひとりの人間の苦境は無限であるわけだから、無限の助けが必要となる。
キリスト教という宗教は、無限の助けを必要とする者のためにだけ存在している。したがって、無限の苦境に陥っていると思う者のためにだけ存在している。
地球全体の苦境は、ひとりの人間の魂の苦境より大きくはない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1944)
こうも言えるのではないだろうか。「人間が憎しみあうのは、自分と相手を隔てるからだ」。なぜなら、自分のなかを他人にのぞきこまれたくはないからである。なぜなら、自分のなかは美しくないからである。
とすれば、自分の内面を恥じ続けるべきではあるが、ほかの人たちにたいして自分を恥じ続けるべきではない。
ひとりの個人が感じる苦境より、もっと大きな苦境を感じることはできない。ある人間が絶望しているとき、それこそがこのうえない苦境なのだから。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1944)
ユクンドゥスがこう言っている。「私の宗教っていうのは、今うまくいっていても、運が悪くなるかもしれない、と心得ておくこと」。じつはこの発言は、「主があたえたもうた。主が取り上げたもうた」という言葉と同様、似たような宗教を表現している。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1946.8.12)
このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、そして言った、
「私は裸で母の胎を出た。
また裸でかしこに帰ろう。
主が与え、主が取られたのだ。
主のみ名はほむべきかな」
すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。
(ヨブ記 1:20-22)
難問を深くとらえることは、むずかしい。
浅くとらえると、それは難問のままなのだから。難問は根元から引き抜かねばならない。つまり、新しいやり方で考えはじめる必要がある。それは、たとえば錬金術の思考から化学の思考への変化のように、断固たる変化なのだ。
新しい思考方法がが確立されたなら、
それまでの問題は消えてしまう。それまでの問題をつかまえ直すのが、むずかしくなるからだ。なにしろ問題は表現の仕方のなかにひそんでいるのである。新しい装いで表現されれば、それまでの問題はそれまでの衣裳とともに脱ぎ捨てられるのだから。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1946.8.15)
人生の問題は、表面では解けない。深いところでのみ解くことができる。表面の次元では解くことはできない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.7.25)
予期された通り、ラッセルは二年間ノルウェイで一人で生活するというウィトゲンシュタインの計画を無謀で、狂気の沙汰だと考えた。ラッセルはいろいろな反対理由をあげ、彼を思い止まらせようとしたが、その全てが無造作にはねつけられた。
「私が闇になると言えば、彼は日の光が嫌いだと言いました。
私が淋しくなると言えば、彼はインテリに話しかけるのは心の売春行為だと言いました。私が彼は気が狂っていると言えば、彼は神が自分を正気にならないようにしていると言うのでした。(神は確かにそうしています。)」
(レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン1』)
今日、原子爆弾の製造に反対する人たちは、インテリの屑ではあるが、だからといってかならずしも、彼らの忌み嫌うものを称讃すべきだと、証明されたわけではない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1946.8.19)
人間は、自分がなにをもっているかは、よくわかるが、自分がなにであるかは、わからない。自分がなにであるかは、自分が海抜何メートルの高さにいるか、のようなものだから、たいていの場合、すぐには判断できないのである。
ある作品の偉大さまたは矮小さは、作品をつくった人がどこに立っているのか、に左右される。
またこうも言える。自分で自分を誤認し、自分で自分を煙に巻いている人は、けっして偉大ではない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1946.9.1)
深いところに降りていくには、遠くへ旅をする必要はない。自分の家の裏庭でできることだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1946.9.2)
哲学するときには、古いカオスに降りていき、そこでくつろぐ必要がある。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.1.3)
お前が家を出て行く必要はない。じっとお前のデスクに坐って、耳を澄ますがいい。耳を澄ますこともない、ただ待つがいい。待つこともない、すっかり黙って、ひとりでいるがいい。お前の前に世界は姿を現わし、仮面を脱ぐだろう、世界はそうするほかないのだ。
(カフカ)
まちがった思想でも、大胆明晰に表現されているなら、もうそれだけで大収穫だ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.11.19)
思想に値札をつけることができるかもしれない。値段の高い思想もあれば、安い思想もある。 [ブロードの思想はみんなじつに安物だ]。さて思想の代金は、なにで支払われるのか。私の考えでは、勇気によって。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1946.9.28)
真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」
(太宰治『トカトントン』)
キリスト教は、なによりも次のように教えているのではないか。どんなにすぐれた教義もなんの役にも立たない。生活を変えるしかないのだ。(あるいは、生活の方向を変えるしかないのだ)
どんな知恵も冷たい。冷えた鉄を鍛えることができないように、知恵によって、生活をきちんとさせることはできない。
すぐれた教義は、われわれを感動させる必要がないからである。医者の指示に従うように、従えばよいのである。だがこの点において、われわれは、なにかに感動させられ、方向転換させられる必要がある。──(つまり、そう私は理解している)。方向転換したなら、もう方向を変更してはならない。
知恵には情熱はない。それにたいしてキルケゴールは、信仰を情熱と呼んでいる。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1946.10.11)
宗教は、いわば、最深の静かな海底である。海面でいかに波が逆巻こうと、海底は静かなままである。──
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1946.10.16)
深い眠りと浅い眠りがあるのとまったく同様に、思想にも、心の奥深くで動く思想と、表面で騒ぎまわる思想とがある。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1942)
哲学の仕事とは、無意味な問いについて精神をなだめることである。そうした問いを抱く傾向の無い者に哲学は不要である。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.2.8)
ナンセンスなことを言うのを、恐れたりする必要はない。ただし、自分の言っているナンセンスに耳をすます必要はある。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.3.5)
私が教えようとしていることは、明白でないナンセンスから明白なナンセンスへ移行することである。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』464)
馬鹿で素朴なアメリカ映画からは、その馬鹿さゆえに、その馬鹿さを通じて教えられるところがある。素朴ではないが間の抜けたイギリス映画からは、教わるところはない。しばしば私は、馬鹿なアメリカ映画から学んできた。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.2)
ウィトゲンシュタインはアメリカ映画しか見ようとしなかった。イギリスやヨーロッパ大陸の映画は全て嫌いだった。それらの映画ではカメラマンが『ほら私のカメラワークの巧みさをご覧なさい』とでも言いたげに映画に割り込んでくるからだった
(クリスティアンヌ・ショヴィレ『ウィトゲンシュタイン』)
映画は芸術であってはならぬ。芸術的雰囲気などといういい加減なものに目を細めているから、ろくな映画が出来ない。
(太宰治『芸術ぎらい』)
私のやっていることは、努力のしがいがあるのだろうか。上から光をうけとるときにかぎり、努力のしがいはある。では、努力のしがいがあるなら、──どうして私は、自分の仕事の成果が盗まれはしないかと、心配するのだろうか。
私の書くものに本当に価値があるなら、どのようにして、この価値あるものが盗まれるというのか。上からの光がなければ、私は器用な人間にすぎない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.3)
「芸術作品は『感情』を伝える」というトルストイのまちがった理論から、多くのことを学ぶことができるのではないか。──実際、われわれは芸術作品のことを、感情の表現そのものとは呼べないにしても、ある感情表現とか、感じられた表現と呼ぶことができるのではないか。
だから、「そういう表現を理解する人たちは、いわばそれに『スウィング』して、それに返事をするのだ」とも言えるのではないか。「芸術作品は、なにか別のものを伝えようとしているのではなく、自分自身を伝えようとしているのだ」と言えるのではないか。
ちょうどそれは、私が誰かを訪問するようなものである。私は、これこれの感情をその誰かに呼び起こしたいだけではなく、なによりもその誰かを訪問したいのだし、もちろん歓迎されたいのである。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.5)
「最高の詩人や思想家でも、凡庸なものや拙劣なものを書いた。ただし、そのなかからいいものだけを選別したのだ」とニーチェがあるところで書いている。だが、完全にそうとは言い切れない。園芸家の庭園にはバラのほかに、もちろん肥料やゴミや藁もあるのだが、
それらが区別されるのは、すばらしさという点だけではなく、むしろなによりも、庭園ではたす機能においてなのである。
拙劣な文章と思われるものが、すぐれた文章の芽であることもある。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.8)
自分には趣味しかないのか。それとも独創性もあるのか。私には判断がつかない。趣味のほうは、はっきり姿が見える。独創性のほうは、姿が見えないか、まるでぼんやりしている。もしかしたらそうにちがいない。
われわれに見えるのは、自分がなにをもっているかだけであって、自分がなにであるかは見えないのだ。ウソをつかなければ、それだけで独創的であると言える。望ましい独創性とは、芸当のようなものではないわけだし、どんなに特徴のある個性でも、それを独創性とは呼べないわけだから。
自分以外のものでありたいと思わないこと。それだけでもう、すぐれた独創性がはじまっているのだ。だがこんなことはすでに、ほかの人がはるかに上手に指摘していることだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.9)
たとえば、歴史書に書かれている因果関係のおしゃべりほど、馬鹿ばかしいものはない。これほど逆立ちした、考えの浅いものはない。しかし誰がそのことを指摘して、そのおしゃべりを止めさせることができるのだろう。
(まるでそれは、私が演説して、男女のファッションを変えようと思うようなものだ。)
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.13-14)
人生は、尾根のうえの道に似ている。左右には、すべりやすい傾斜があるので、どちらに傾いてもズルズルすべり落ちる。すべり落ちる人を私は何度となく目撃しては、「ああ、どうしようもないな」と思った。つまりそれは、「自由意思を否定する」ことである。
自由意志否定の態度が、そう「思う」ことに表わされているのだ。だがそれは科学的な考えではなく、科学的確信とは関係がない。
責任を否定する、とは、人間に責任を問わないことである。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.7.28)
ゲーテが本当に見つけたかったのは、生理学的な色彩理論ではなく、心理学的な色彩理論だったのではないだろうか。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.11.26)
色は、われわれに哲学する気にさせる。色彩論にたいするゲーテの情熱は、このことから説明されるかもしれない。
色は、われわれに謎をあたえるようだ。われわれを刺激するが、苛立たせはしない謎。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.1.11)
マーラーの音楽が、私の思うように無価値なら、問題は、彼がその才能でなにをするべきだったか、ではないだろうか。なにしろ、こんなにまずい音楽をつくるには、一連のじつに風変わりな才能が明らかに必要だからである。たとえば彼は交響曲を書いて、焼き捨てるべきではなかったか。
または無理にでも我慢して、書かないでいるべきではなかったか。書いたなら、それが無価値だと見抜くべきではなかったか。しかしどうやって見抜くことができただろうか。私にそれが見抜けるのは、マーラーの音楽と大作曲家たちの音楽を比較できるからだ。だがマーラーにはできなかった。
比較することを思いついたなら、作品の価値に懐疑的になっただろう。ほかの大作曲家たちの、いわば資質が自分には欠けている、ということがわかるだろうからである。──だがマーラーには、比較したあとでも、自分の作品が無価値であることが見抜けないだろう。
なにしろ彼は、なるほど(尊敬している)ほかの大作曲家たちとはちがうけれど、別の意味で自分には価値があるのだ、といつも思える人間なのだから。こういうふうに言えるかもしれない。
「君の尊敬する人物が、君に似ていないなら、君が自分に価値があると思うのは、ただ君が君であるからにすぎない」。──自惚れと戦ってはいても、自惚れを抑えきれない場合には、いつも自分の作品には価値があると勘違いしてしまうだろう。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.1.14)
夢は、フロイト流の分析では、いわば分解されてしまう。最初の意味をすっかりなくしてしまうのだ。こう考えることができるだろう。夢が舞台で演じられている。芝居のストーリーは、ちょっとわかりにくいが、部分的にはよくわかる箇所もある。あるいは、そう思える。ところがフロイト流に分析されると、
そのストーリーは小さな部分に引き裂かれ、そのそれぞれの部分に、まったく別の意味があたえられるのだ。あるいはまた、こう考えることもできるだろう。一枚の大きな紙に絵が描かれている。ところがフロイト流に分析されると、紙が折りたたまれてしまい、一見したところ、
まるで脈絡のない断片が並んでいるように見えて、それから──意味のあるなしは別として── 一枚の新しい絵が生まれるのだ。(この新しい絵が、夢に見た夢であり、最初の絵は「潜在的な夢の思想」ということになる。)
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.1.22)
音楽の理解とは、人間の生の表われである。では、どのようにそれを描くべきか。まずなによりも、音楽を描くべきだろう。そうすれば、人間と音楽の関係を描くことができるだろう。だが必要なのは、それですべてだろうか。理解ということまでも教える必要はないのか。
理解ということを教えるのは、そんなことを教えないレッスンとはちがった意味で、理解とはなにかということを教えることになるだろう。実際、詩や絵画を理解することを教えることも、音楽を理解するとはどういうことか、の説明とおなじことだろう。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.2.15)
バッハは言った。「私のやったことは、すべて努力のたまものにすぎない」。だがそのような努力をするには、謙虚さと、とてつもない辛抱づよさ、つまり力とが必要なのだ。
そうやって自分を完全に表現できる者が、われわれに、偉大な人間の言葉で語りかけてくれるのである。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.5.28)
正直な宗教の思想家は、綱渡りに似ている。一見したところ空中を歩いているかのようだ。足場は、およそ考えられるかぎりもっとも細いのだが、実際にそこを歩いていくことができるのである。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.7.5)
宗教的な矛盾とは、七万尋の水の上に浮かびつつしかし同時に朗らかである、ということだ。
(キルケゴール『人生行路の諸段階』)
モルモン教徒はウィトゲンシュタインを魅了した。「彼らは信仰が何をもたらすかを見事に表現している。心の中に何かが芽生えるのだ。しかし彼らを理解するのは不可能だ。理解するためには鈍感でなければならない。亀裂の入った橋を渡るには大きな靴が必要なのだ。質問してはいけない」
(OKブースマ)
音楽の主題が(きわめて)異なったテンポで演奏されるとき、その性格が変わるということは、大切で注目すべき事実である。量から質への移行。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.7.14)
音楽における心のこもった表現。それは強弱やテンボの度合いでは表わせない。心のこもった表情が、空間的な尺度で表わせないのとおなじである。
おなじひとつの曲でも、無数のやり方で、心のこもった表現の演奏ができるのだから。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1949.3.1)
哲学者たちよりもはるかに狂って考えたときにだけ、哲学者たちの問題を解くことができる。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.11.20)
伝統は、誰もが受容できるものではない。気に入ったからといって、たぐりよせることのできる糸ではないのだ。自分の祖先を選択できないように、伝統も選択するのはむずかしい。
伝統をもっていなくて、伝統をもちたいと思う者は、果たせぬ恋をしている者のようだ。
幸福な恋をしている者も、不幸な恋をしている者も、それぞれそれなりの情熱をもっている。
しかし、幸福な恋をしていて良い人間であるより、不幸な恋をしていて良い人間であるほうが、むずかしい。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.11.29)
ユーモアは、気分ではなく、世界観である。だから、もし「ナチス・ドイツではユーモアが絶減させられてしまった」と言うことが正しいなら、その発言は「みんなの機嫌がよくなかった」といった意味ではなく、もっと深くて重要な意味をもっているのだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.12.28)
次のようにも言えるだろう。シェイクスピアが偉大であるのなら、その偉大さは彼のドラマ全体のなかにしかない。彼のドラマは独自の言語と世界をつくりあげているのだ。だから彼は、まったく非リアリズムである。(夢のように。)
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1949.1)
シェイクスピアには奇妙な比喩が豊富に登場する。これらは擬人化された概念から作られたもので、わたしたちにはまったく似つかわしくないのだが、彼の時代にはすべての芸術がアレゴリーに支配されていたため、彼の場合にはそれが完全に所をえているのだ。
(ゲーテ『箴言と省察』文学と言語)
凡庸な物書きが気をつけるべきことは、荒削りで不正確な表現を、正確な表現に性急に置き換えないことである。そんなことをすれば、最初のひらめきが殺されてしまう。小さな植物にはまだ生命があったのに、正確さのために、枯れて、すっかり無価値となる。ゴミとして捨てられてしまいかねない。
貧相でも植物のままであったなら、なにかの役には立っていたのだが。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1949.1.17)
過去には何者かであった物書きたちが、古びるのはなぜか。彼らの書いたものは、当時の状況に補強されて、当時の人びとに強く語りかけたからである。だがその補強がなくなると、色をつけていた照明が取り外されたかのように、死に絶えるのである。
これと似たようなことは、数学の証明の美しさではないだろうか。その美しさはパスカルですら感じていたが。そういう世界の見方のなかにこそ数学の証明の美しさがあったのだ。──それは、浅薄な人たちが美と呼ぶものとはちがう。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1949.1.18)
心配事は病気に似ている。われわれはそれを引き受けるしかない。最悪の態度は、それに抵抗することだ。
心配事は、内面の問題や外部の問題がきっかけで、発作的にやってくることもある。そのときは「また発作だ」と思うしかない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1949.1.19)
利ロな禿げ山から、緑なす愚かな谷間へ、いつも降りてゆけ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.11.28)
利ロな禿げ山より、愚かな谷間のほうが、哲学者にとっては、あいかわらずたくさん草が生える。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1949.1.28)
人間がときどき愚かなことをしでかさなければ、賢いことがまったく行われないことになるだろう。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1946.9.8)
われわれの馬鹿ばかしい愚行が、とても賢明なことである場合がある。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1941.6.6)
シェイクスピアが「詩人の運」について考えたことがあるとは思えない。
彼は自分でも、自分を予言者とか教師とみなすことはなかった。
人びとは彼のことを、自然のスペクタルのようなものだと驚嘆する。驚嘆しながら人びとは、偉大な人間に触れているとは感じない。特異な現象に触れていると感じる。
ある詩人を楽しむためには、その詩人が属している文化までを、好きになる必要があるのではないか。その文化に関心がなかったり、嫌悪感があったりすれば、称讃の念も冷めてしまう。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1950)
神を信じる者が周りを見回して、「ここに見えるものは、どこから来たのだろう」とか「これらはみんな、どこから」とたずねても、(因果論的な)説明などいっさい聞きたくないのである。質問のポイントは、そう質問することによって自分の気持ちを表現することなのだ。つまり、すべての説明にたいして、
一つの立場を表明しているのである。ではその立場は、彼の人生においてどんなふうに示されるのだろうか。それは、ある事柄を深刻に考えるのだが、ある一点を越えると深刻には考えなくなり、「他のことの方が、もっと深刻だ」と断言する、という態度である。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1950)
ふたりの人がそれぞれ「私は神を信じる」と言うとき、どのようにして私は、それがおなじ意味だとわかるのだろうか。三位一体についても、まったく同様である。ある種の言葉やフレーズの使用を強要して、ほかの言葉やフレーズを追放するような神学では、なにも明らかにはならない。
そういう神学は、言いたいことはあるのだが、表現の仕方がわからないので、いわば言葉をふりまわしているのだ。言葉に意味をあたえるのは、実地の使用である。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1950)
神の存在の証明とは、もともと、神が存在することを納得させるようなものであるはずだろう。だがどうも、信者たち自身、証拠によって信仰に達したわけでもないのに、証拠を並べ、その「信仰」を知性によって分析し、基礎づけようとしているように思えるのだ。
「神の存在」を納得させることができるのは、ある種の教育によってなのかもしれない。つまり、自分がどのように生きているか、を示すことによって。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1950)
神が人間をどのように裁くのか、われわれには想像できない。神がそのとき誘惑の強さと人間の弱さを実際に斟酌するなら、いったい誰が地獄に堕とされるのだろう。もしも神がそのふたつを斟酌しないなら、まさに、そのふたつの力のせめぎあいの結果が、人間に予定された目標となる。
つまり人間という被造物は、ふたつの力のせめぎあいを通して、勝つか負けるか、どちらか一方に決められているのだ。これは宗教的な思想などではなく、むしろ科学的な仮説なのである。
だから、宗教の領域にとどまりたいのなら、戦うしかない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1950)
人間たちをよく観察するのだ。ある人間は他の人間にとって毒である。母は息子にとって毒であり、息子は母にとって毒であり、などなど。だが母は盲目であり、息子も盲目である。もしかしたら双方とも心にやましいところがあるのかもしれない。だが、それがなんの役に立つのか。子どもは邪悪だが、
誰も子どもに邪悪であるなとは教えない。両親の愚かな猫かわいがりによって、子どもはダメになるだけである。どうやって両親にそれをわからせたものか。どうやって子どもにそれをわからせたものか。双方ともにいわば邪悪であり、双方ともに責任がないのだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1950)
私の全傾向、そして私の信じるところ、今まで倫理や宗教について書いてきた全ての人間の傾向は、言語の限界へ向かって走っていこうとすることです。私たちの牢獄の壁へ向かって走ることは、完全に、絶対に成功する望みがありません。
倫理学が、人生に対する究極的な意味、絶対的な善、絶対的な価値について何かを言おうとする欲求から生じたものである限り、それは科学ではありえません。倫理学が語ることは、いかなる意味においても私たちの知識を増やしません。
しかし、それは人間の心の中の傾向を記した文書であり、私は個人的にこの傾向に敬意を払わないわけにはいきません。そして、私がそれを嘲ることは、生涯にわたってないでしょう。
(ウィトゲンシュタイン 倫理学講話)
私の書くどの文章も、意味するところは、いつも全体である。つまり、おなじことをくり返し言っている。いわば、ひとつの対象をさまざまな角度からながめたものにすぎない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1930.11.6-7)
私に書けるものは、せいぜい哲学的な覚え書きの域を出ないであろう。私の思想は、その自然な傾向に反して無理に一つの方向へまとめようとすると、あっさりその力を失ってしまったのだ。──そしてこのことが探究それ自体の本質に関係していたことは言うまでもない。
哲学的探究の本性というのは、私たちに、広い思想領域を縦横に色々な方向から見てまわることを強いる。──この本に含まれる哲学的な覚え書きは、いわば、私の歩んだ長く錯綜した道程の途上で書かれた一群の風景スケッチである。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』序文)
名ざすということは、一つの語と一つの対象との"奇妙な"結合であるように見える。──かくして、哲学者が、名と名ざされるものとの関係"そのもの"を取り出そうとして、眼前のある対象を凝視しつつ、なんべんもある名をくり返し、あるいはまた「これ」という語をくり返すとき、
ある奇妙な結合が実際に生じてくる。なぜなら、哲学的な諸問題は、言語が"仕事を休んでいる"ときに発生するからである。そして、"そのときには"、われわれは、もちろん、名ざすということが何か注目に値する魂の働きであり、いわば対象に洗礼をほどこすようなものだ、と想像することができる。
そして、われわれはまた、「これ」という語をいわば対象"に向って"言うことができ、それによって対象に"話しかける"こともできる──だが、こうしたことは、この語の慣用として奇妙なのであって、おそらく哲学する場合にしか起らないのである。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』38)
例えば、私たちが「ゲーム」と呼ぶ諸過程について考察せよ。つまり、ボードゲームやカードゲーム、ボールゲームや格闘ゲームなどについて。これら全てに共通のものとは何か?──「これらの過程には共通項があるはずだ。そうでなければ、それらは『ゲーム』とは呼ばれないから」と言うのはなしだ。
──そうではなく、これら全てに共通のものがあるか否かという点を良く見よ。というのも、君がこれらを観察するなら、全てに共通のものなど何もないということを見出すであろうからだ。
代わりに君が見出すのは、類似性や血縁関係であり、しかもそれらは一つの完全な系列を形作っている。繰り返す:考えるな、見よ!
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』66)
論理学には特別な深遠さ──普遍的な意味──が備わっており、諸学の基礎に鎮座するかのように見える。──なぜなら、論理的考察は万物の本質を探究するからである。それは事物を根底から見ようとするものであり、あれやこれやの現実的な出来事など気にかけてはならないのである。
──論理学は、[自然科学のように]自然現象の諸事実に対する興味や、因果関係を把握する必要からではなく、全ての経験的なものの基礎あるいは本質を理解しようとする努力から生まれる。しかし、その探究のために新しい事実を探り出すべきではなく、
むしろ私たちの探究にとって本質的なことは、何一つ新しいことを学ぼうとしない、ということである。私たちは、すでに公然と眼の前に横たわっているものを理解しようとする。なぜなら、ある意味において、私たちはそれを理解していないからである。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』89)
日常言語について精密に考察すればするほど、日常言語と私たちの要求の間の対立は厳しくなっていく。(論理が持つ結晶のごとき純粋さは、結果として生じたものではなく、一つの要求だったのである。)この対立は我慢できないものとなり、私たちの要求は空虚なものになっていく。
──私たちは摩擦のない氷の上に迷い出たのだ。そこでは、条件はある意味で理想的なのだが、しかし私たちはそれゆえにまた、先に進むこともできないのである。私たちは前へ進みたい。そのためには摩擦が必要だ。ざらざらした大地へ戻れ!
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』107)
私たちの考察は科学的考察であってはならない、ということは正しかった。先入見に反してあれやこれやを考えることができる、という経験は私たちの興味外のことだった。(思考の力学的な理解。)それゆえ私たちには、一切の理論を立てることが許されない。いかなる仮説も考察の中に入り込んではならない。
一切の説明が排除され、後には記述だけが残らなければならない。そしてこの記述は、その光、つまり目的を、哲学的諸問題から受け取るのである。これらの問題は確かに経験的なものではない。これらは、私たちの言語の働きを洞察することによって解消されるのであり、その洞察は言語の働きを
誤解しようとする衝動に対抗して認識されるものである。問題の解決は、新しい経験を引き合いに出すことによってではなく、昔から知られていたことを配列することによって実現される。哲学とは、言語によって私たちの知性にかけられた魔法に対する戦いである。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』109)
「言語(または思考)は特異なものである」──これは、それ自体、文法的錯覚によって引き起こされた迷信である(誤りではない!)。
そして今や、これらの錯覚と、そこから引き起こされる[哲学的]諸問題に[科学的]情熱が向かうのである。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』110)
自問せよ、なぜ私たちは文法的なしゃれを深遠と感じるのか? (それがまさに哲学的深遠さなのだ)
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』111)
私がいい文章を書いたとしよう。たまたまその文章が、韻を踏んだ二行であるなら、失敗作ということになるだろう。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.4.5)
哲学には修辞学も詩も入るべきでない。これらは哲学において完全に贋造貨幣である。詩によってシェリングは彼の哲学を汚し、修辞学によってなかんずくヤコビイがそうした。およそ哲学者はどんな詩的あるいは修辞学的補助手段をも使わないほどに非常に正直でなければならぬ。
(ショーペンハウアー 遺稿)
哲学の成果とは、全くのナンセンスと、言語の限界に突進することで知性にできた瘤の二つを発見することである。ナンセンスの発見の価値は、こうした瘤から分かる。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』119)
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。
(太宰治『正義と微笑』)
哲学的問題の形式は「私は何一つ知らない」という形をとる。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』123)
われわれはまず埃を立てておいて、それから「見えない」と文句を言う。
(バークリー『人知原理論』序論3)
懐疑家が好むのは、高貴な禁欲によって、自分の徳性の高さを祝う祝日とすることである。そしてモンテーニュとともに、「わたしが何を知っているのだろう」と問う。あるいはソクラテスとともに、「わたしは、自分が知らないということを知っている」と言う。
(ニーチェ『善悪の彼岸』208)
「では試してみよう」と応えることが私に許されるあらゆる懐疑を、私は称賛する。だが、実験を許さないどんな事物もどんな問題も、私は金輪際聞きたくない。これが私の「真理感覚」の限界である。というのも、そこでは勇敢さが権利を失っているからである。
(ニーチェ『愉しい学問』51番)
どんな事実も確実と見なさない者にとっては、自分の用いる言葉の意味もまた確実ではありえない。
すべてを疑おうとする者は、疑うところまで行き着くことまできないだろう。疑いのゲームはすでに確実性を前提している。
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 114-115)
哲学は、いかなる仕方でも言語の日常的な使用に傷をつけてはならない。哲学にできるのはそれゆえ、結局のところ、使用を記述することのみである。なぜなら、哲学は言語の使用を基礎付けることもできないからである。哲学は全てをあるがままにしておく。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』124)
哲学は、全てをまさにあるがままにしておく。そして何も説明せず、何も推論しない。──何も隠されてはいないのだから、何も説明する必要がないのである。なぜなら、例えば、隠されているものには、私たちは興味がないのだから。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』126)
人の真実はどこか奥深くかくされているのではない。かくそうにもかくし場所がないのである。その真実の断片は否応なく表面にむきだしにさらされている。そしてそれらを集めて取りまとめれば百面相の真実ができあがるのである。人の真実は水深ゼロメートルにある。
(大森荘蔵『流れとよどみ』)
私たちがやりたいのは、語を使用するための規則体系を聞いたこともない方法によって洗練したり完全することではない。
というのも、私たちが希求する明晰性は、確かに完全な明晰性ではあるが、それはただ、哲学の問題は完全に消滅すべきである、という意味に過ぎないからだ。
本当の発見とは、私が望むときに哲学をやめられるようにする発見である。──本当の発見は哲学に安息をもたらす。そしてもはや、問い自身を問題にする問いによって哲学が駆り立てられないようにする。──そうなれば、諸事例において一つの方法が示されても、
その諸事例の列を途中で打ち切ることができる。──複数の問題が解消される(複数の困難が除去される)のであって、一つの問題が解消されるのではない。
哲学には一つの方法があるのではない。あるのは複数の方法であり、いわば様々な治療法である。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』133)
私達のパラドクスはこうであった──規則は行為を決定できない。なぜなら、いかなる行為の仕方も規則と一致させうるから。これに対する答えはこうであった──いかなる行為も規則と一致させられるなら、一致させないこともできる。だからここには一致も不一致も存在しない。
ここに誤解があることは、
私達がこの思考過程において──解釈の背後に控える別の解釈を考えるまでは、少なくとも一瞬の安心を得られるかのように──解釈に次ぐ解釈を行っているということのうちに、既に示されている。すなわち、このことを通して私たちが示すのは、解釈ではなく、その場その場の適用において、私達が
「規則に従う」とか「規則に反する」と呼ぶものの中に現れるような規則の把握があるということだ。それゆえ、規則に従う行為は全て解釈であると言いたい傾向が生じる。しかし「解釈」と呼ぶべきなのは、規則の表現を別の表現によって置き換えることだけだ。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』201)
正当化の根拠を尽くしたとき、私は固い岩盤に突き当たり、私の鋤は跳ね返される。そのとき私はこう言いたくなる。「ただこのようにやっているだけなのだ」
(私たちはときに内容のゆえではなく、説明という形式のゆえに説明を求める、ということを想起せよ。その場合、私たちの要求は建築様式上のものである。説明は、何も支えない装飾のための蛇腹である。)
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』217)
私たちは排中律を引用して「そのような像が彼の念頭に浮かんでいるかいないかのどちらかであり、第三の場合はない!」と言う。哲学の他の領域でもこの奇妙な議論に出くわすことがある。つまり「πの無限展開の中には『7777』が現れるか現れないかのどちらかであり、第三の場合はない」という場合だ。
神は知りたもう──だが私たちは知らない、というわけだ。しかしこれはどういう意味なのか?
[このように言うとき]私たちはある像を使っている。それは目に見える数列であり、ある者はそれを遥か先まで見通し、ある者は見通していない、という像である。排中律の命題はこの場合、このように見えるか
あのように見えるかのどちらかだ、ということを述べている。従ってこの命題は本当は──まさに自明のことなのだが──何も述べておらず、私たちに一つの像を与えているのだ。それゆえ問題は今や、現実が像と一致するかしないか、ということでなくてはならない。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』352)
だが、やはり機械は考えることはできない! ──これは経験命題か? 違う。私たちは人間、およびそれに類似したものについてのみ、それは考えると言う。例えば、人形や精霊である。「考える」という語を道具と見なせ!
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』360)
人はときに、動物が話さないのは、彼らに精神的な能力が欠如しているからだ、と言う。つまり、「動物は考えない。ゆえに話さない」というわけだ。だが、動物は〔考えないから話さないのではなく〕まさに話さないのである。
より正確には、動物は──原初的な言語形態を無視すれば──言語を使用しないのである。──命令する、質問する、数える、雑談するなどの言語行為は、行く、食べる、飲む、遊ぶなどの行為と同様に、私たちの自然史に属しているのである。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』25)
われわれの与えるものは、がんらい人間の自然史についての所見である。しかしそれは珍奇な寄与ではなく、誰も疑ったことがない事実の確認である。それは眼前にころがっているために気付かれることがなかったのだ。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』415)
「人間の到達できる最高のものは」とゲーテはこの機会にいった、「驚異を感じるということだよ。根源現象に出会って驚いたら、そのことに満足すべきだね。それ以上高望みをしても、人間に叶えられることではないから、それより奥深く探究してみたところで、なんにもならない。そこに限界があるのさ。
しかし、人間はある根源現象を見ただけではなかなか満足しないもので、まだもっと奥へ進めるにちがいない、と考える。ちょうど子供みたいに、鏡を覗きこむと、その裏側になにがあるのかとすぐ裏返して見ようとするようなものだ。」
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1829.2.18)
我々の誤りは、我々が事実を「原現象」として見るべきところで、かかる言語ゲームが行われていると言うべきところで、説明を求めるということだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学探究 654)
鏡を所有することはできる。では鏡に写る鏡像も所有することができるだろうか。
(ウィトゲンシュタイン 断片 670)
「あなたはなるほど他人の心の状態について十分な確信をもつことができるけれども、しかし、その確信は常に主観的なものにすぎないのであって、客観的なものではない。」──これら二つの語は言語ゲーム間の差異を示している。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』第2部 xi)
"ひとが芸術から望むもの"。──或る者は芸術を介して自分の本質を楽しもうとし、他の者は芸術の助けをかりて暫し自分の本質を超出し、それから離れ去ろうとする。この二つの要求に応じて二種類の芸術と芸術家が存在する。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部371)
「"内的な"ものは我々には隠されている。」──未来は、我々には隠されている。──しかし、天文学者が日食の計算をするとき、そのように考えるか。
はっきりした原因で苦痛に身をよじっている人を見れば、私は、その人の感じていることがそれでも私に隠されている、などとは考えない。
我々はまた、ある人間について、彼は我々には透明〔人間〕だ、と言う。しかし、この考察にとって重要なのは、ある人間が別の人間にとっては謎でありうる、ということである。このことを人は、全く見知らぬ伝統をもつ異国へ行ったとき、さらにはまた、その国の言語に通じたときに、経験する。
人はそこの人々を"理解"しない。(しかも、彼らが互いに話し合っていることが判らないからではない。) 我々は自分自身を彼らの中に見出せないのである。
「私は、彼の内部で起っていることを知りえない」というのは、
何よりもまず一つの"映像"である。それはある確信の確かな表現である。それは確信の根拠を述べていない。"根拠"は手のうちにない。
ライオンに話ができるとしても、我々にはライオンを理解することができないであろう。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』第2部 xi)
感情表現の純正さについて〈専門家〉の判断が存在するか。──ここでもまた、〈よりよき〉判断をもつ人間と〈より悪しき〉判断をもつ人間が存在する。
よりよき人間通の判断からは、総じて、より正しい予測が出てくる。
ひとは人間通〔の知識〕を学ぶことができるか。もちろん。
多くのひとはこれを学ぶことができる。しかし授業の課程を通じてではなく、〈"経験"〉を通して。──その際、他人がその教師になりうるか。確かに。かれは折にふれて適切な"合図"を与える。ここでは〈学ぶ〉ことと〈教える〉こととがそういうふうに見える。──ひとが覚えるのはいかなる技術でもない。
ひとは適切な判断を学ぶのである。規則もあるけれども、それらは体系をなしておらず、経験ある者だけがそれらを正しく応用することができる。計算規則とは違って。
最もむずかしいのは、ここでは、不定のものを正しく、改竄せずに表現することである。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』第2部 xi)
さて、我々の関心は[心的作用の]因果結合にはない。とすれば、心の働きは我々の前にあけっぴろげになっているのだ。我々が思考の本性について思い惑っている時、媒体の本性についてのものだと勘違いしている困惑は、実は、言語を神秘的に使うことから生じる困惑なのである。
この種の勘違いは哲学では幾度となく繰り返しおこる。例えば、時間の本性[が何か]に困惑する時。時間が何か奇妙な物に思える時。ここには隠された物、外から見ることはできるがその中をのぞきこむことのできないものがある、という考えに何にもまして強く誘われる。
しかし、そんなものがあるわけではない。我々が知りたいのは時間についての新事実なのではない。[そして]我々の問題となる事実は全部あけっぴろげに[目の前に]あるのだ。我々を煙に巻くのは名詞「時間」の神秘的な使われ方なのである。
(ウィトゲンシュタイン 青色本)
一般的なるものへの我々の渇望には今一つ大きな源がある。我々が科学の方法に呪縛されていること。自然現象の説明を、できる限り少数の基礎的自然法則に帰着させるという方法、また数学での、異なる主題群を一つの一般化で統一する方法のことである。哲学者の目の前にはいつも科学の方法が
ぶらさがっていて、問題を科学と同じやり方で問い且つ答えようとする誘惑に抗し難いのである。この傾向こそ形而上学の真の源であり、哲学者を全たき闇へと導くのである。ここで私は言いたい。それが何であれ、何かを何かに帰着させる、またそれを説明するというのは断じて我々の仕事ではない、と。
哲学は事実として[もともと]「純粋に記述的」であるのだ。(「感覚与件 (sense data) は存在するか」といった問を考えて見給え。そして、その問に決着をつける方法は何であるか、と問うて見給え。内観?)
(ウィトゲンシュタイン 青色本)
新しい[用語法の]規約に従って「私は無意識的歯痛がする」と言うのは誤りではない。とはいっても、この新しい表現は、我々の規約を一貫して貫き通すことを難しくさせるような挿し画や比喩を換び起して我々に道を誤らせる。絶えず警戒していない限り、
これらの挿し画を無視することは極端に難かしい。我々が哲学しているとき、すなわち、我々が物事について言うことを熟考するときには別して難かしい。例えば、「無意識的歯痛」という表現に引きずられて、我々の悟性を全く途方にくれさせるとてつもない発見がなされたと思わせられたり、さもなくば、
その表現に鼻をつままれて(哲学の困惑)多分「如何にして無意識的歯痛は可能なりや」と聞くことになる。その結果、君は無意識的歯痛の可能性を否定したくなるだろう。ところが科学者は君に、それが存在することは証明済みの事実だと言う。それも通念になっている偏見を打ち破るような顔をして言うのだ。
彼は言うだろう、「全く単純なことなんだ。君の知らないことはうんとある。だから、君の知らない歯痛だってありうる。 これは新発見なんだ」と。君は説得されないだろうが、それに答えるすべを知らない。こういう状況は科学者と哲学者の間でいつも起るものである。
(ウィトゲンシュタイン 青色本)
我々は自分が使っている概念を明確に定義することができない。本当の定義を知らないからではなく、それらの概念には本当の「定義」がないからである。それがなくては"ならない"と考えるのは、子供達がボールで遊んでいるとき必らず厳格なルールに従ったゲームをやっているのだと思うに等しい。
我々が、言語を厳密な記号系で使われる表記法の如くに語るとき、我々が頭の中に浮べているものは、科学や数学の中には見出せる。[しかし]我々の日常の言語使用がその厳密さに近づくのは稀な場合でしかない。
ではなぜ、哲学をしている場合の我々は、自分の言葉使用を厳密な規則に従う用法の如くに見なすのだろうか。答はこうである。我々が取り除こうと努める当の[哲学的]困惑自体がいつもまさに言語に対するこの態度から湧き出てくるからなのだ。
(ウィトゲンシュタイン 青色本)
実在論者、観念論者、独我論者が議論する問題を明らかにするために、それに密接な関連のある問題を示したい。それは、「我々に、無意識的な考え、無意識的な感じ等のものがありうるか」という問題である。無意識的な考えがあるという見解は多くの人を怒らせた。だが相手は、自分に反対する人は誤って
意識的な考えのみしかないと思っているが精神分析学が無意識的な考えを発見したのだと繰返す。無意識的思考の反対者は、自分達は何もこの新しく発見された心理学的反応に反対しているのではなく、その反応をそう言い表わす表現の仕方に反対しているのだということに気付かなかった。一方精神分析家は、
自身のその表現の仕方に誤らされて、新しい心理学的反応を発見したにとどまらず或る意味で意識されない意識的思考を発見したと思いこんだ。前者はその異議を、「我々は『無意識的思考』という言葉を使いたくない。『思考』という語は君が『意識的思考』と呼ぶものだけにとっておきたいのだ」、
と言うことができた。それを、「ありうるのは意識的思考だけであって無意識的思考なるものはない」、と言うのはその言い分を間違って述べているのである。なぜなら、「無意識的思考」について語りたくないなら、意識的思考という句もまた使うべきではないからである。
(ウィトゲンシュタイン 青色本)
誰かが「私には或る種の類似性がみえるのだがそれを描写できないだけなのだ」、と言うならば、「まさにそのことが君の経験を特徴付けているのだ」、と言おう。
君が二つの顔を見て、「似ている。だがどこが似ているのかがわからない」、と言うとする。そしてしばらくして、
「ああわかった、眼が同じ形をしているんだ」、と言ったとする。その場合私はこう言いたい、「その類似性についての君の今の経験は、似ているのはわかっているがどこが似ているのかがわからなかった時の君の経験とは異なっている」と。
(ウィトゲンシュタイン 茶色本)
我々が哲学する際に殆んど判で押したようにやることは次のような種類のものである。例えば、或る物に視線をかたく据えてその色の名をいわば「読み取」ろうとする、といったふうに或る一つの経験を自分に繰返す。そういうことを何度も何度もやっていれば「『青い』という語を言う際には何か特有なことが
起っている」、と言いたくなるのも全く当然であろう。何度も何度も同じ過程を経るのを経験するからである。しかし、様々な状況──哲学する状況ではなく──において我々が物の色名を言う際にも、我々はいつもこれと同じ過程をたどるものなのか、それを自問してみ給え。
(ウィトゲンシュタイン 茶色本)
馴れさすのならば、どんなものにでも、どんな悪いものにでも馴れさすことができる。ちょうど、人々を腐ったチーズや、ウォッカや、タバコや、アヘンになじますことができるように、悪い芸術を人々に馴れさすこともでき、現にそれは行われている。
(トルストイ『芸術とはなにか』)
別の例をとろう。君が一日中絶えず姿勢を変えていることは言うまでもない。そのどの姿勢でもいいが(ものを書いている、話している、読んでいる、等々の)或る一つの姿勢を凍結してみ給え。そして、「『赤い』は特別な仕方で浮んでくる……」、と言うのと同じふうに、「今私は特別な姿勢をしている」、
と自分に言ってみ給え。極く自然にそう言えることがわかるだろう。しかし、君は一日中絶えず特別な姿勢をしているではないか。そしてもちろん君は、丁度そのとき特別に印象的な姿勢をしていたのだと言うつもりではなかったろう。では一体何が起っていたのか。[そのときの]君の感じ[だけ]に注意を
集中していたのだ、いわばそれを凝視していたのだ。君が「赤い」が特別な仕方で浮んだと言う際に起っていたことは正確にはそれなのだ。「赤い」が浮んでくる仕方に"特別な"ものがあるとすれば、それが浮ぶのは、君がそれについて哲学をしている最中であるということだ。
(ウィトゲンシュタイン 茶色本)
音楽が我々に伝えるものは、喜び、憂欝、勝利、等々の感情であると時に言われてきた。この述べ方で我々が反撥する点は、音楽は我々の中に一連の感情を生ぜしめる道具だと言うように聞えることである。
もしそうならば、そのような感情を生ぜしめる手段はすべて我々には音楽の代りになれると考える人もありえよう。──このような言い方に対しては、「音楽は我々に"それ自身"を伝えるのだ!」と我々は言いたくなる。
(ウィトゲンシュタイン 茶色本)
彼は、芸術作品、たとえばある音楽作品の意味を、作品そのものと切り離して語ることはできない、と言っていた。「ベートーヴェンの交響曲第9番を聴く楽しみの一つは、交響曲第9番を聴くことだ」。
(ドゥルーリー ウィトゲンシュタインとの会話 1938年)
論理学は「理想」言語を扱うのであって、"われわれの"言語を扱うのではない、とすれば、それは何と奇妙なことであろうか。その理想言語なるものは、いったい何を表現しているというのか。やはりわれわれが現在通常の言語で表現しているものごとを、であろう。
だとすれば、論理学はこの日常言語を探究しなくてはならない。それとも何かほかのことを探究しなくてはならないのか。だが、そのとき、われわれはそれがどのようなことなのかを、いったいどのようにして知ったらいいのか。──論理的分析とは、
われわれの所有しているものごとの分析であって、われわれの所有していないものごとの分析ではない。それゆえ、それは"あるがままの"命題の分析である。(人間共同体がこれまで、正しい文を使って話しをしてきたのでないとすれば、それは奇妙なことであろう。)
(ウィトゲンシュタイン『哲学的考察』3)
数学者は、数学的な記号の解釈というものを、無駄話の集積だと──数学の実際のプロセス、数学の本質的な核、そういったものの周りを取り囲むガスのようなものだと──考えがちである。哲学者はそうしたガスを提供する──あるいは部屋の壁に描かれた曲線のような一種の装飾を提供する──
というのである。
私は折にふれて新しい解釈を生み出すことになるだろう。しかしそれは、その解釈が正しいと言いたいがためではなく、古い解釈と新しい解釈が等しく恣意的であることを示すためである。
古い解釈と並べて「さあ選び給え、お好きな方をどうぞ」と言うためにのみ、私は新しい解釈を生み出す。私は古いガスを排出するためにのみガスを作るのである。
(ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇 第1講)
私はもっぱら鏡であるべきだ。鏡のなかで私の読者は、彼自身の思考をゆがんだままの姿でながめることによって、思考のゆがみを直すことができる。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931.11.22)
チューリング:自分が間違いを犯さなかったかどうか知ることは、人には決してできません。
ウィトゲンシュタイン:ラッセルは、「12×12=144 と言うときに、我々が常に間違いを犯していることはありうる」と言った。しかし、〔このケースで〕間違いを犯すとはどういうことなのだろうか。
我々は、「これこそが我々が『掛け算』と呼ぶプロセスを行うときにすることである。144は我々が『正しい結果』と呼ぶものである」と言わないだろうか。
ラッセルは、「それゆえ 12×12=144 というのは蓋然的である」とまで言った。しかし、これは何も意味していない。もし我々が皆、常に12×12=143と計算していたならば、それは正しいだろう。──"それ"が技術であるだろう。
(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』第10講)
次の化学式があると考えてみよう。
2HCl+2Na=2NaCl+H2
これは普通、数学の命題とは考えられていないだろう。この式は実験によって検証されるものだろう。
しかしこれは、純粋数学における命題と同じ役割をもちうる──最終的にこれが、実験がどのように行われたのかを記述する方法と考えられたならば。
──実験が私にそのアイディアを与えたのは確かであるにもかかわらず、私はこれを実験の結果から独立のもの(すなわち、数学的命題)とすることができるだろうか。もし、実験の結果がどのようなものであったとしてもその式が正しいと考え、その式を使用し始めたならば、その式は規則の役割をもつものへと
沈んでいく(もしくは、浮かんでいく)。そして、いまや我々はこの規則を用いて実験を記述する。〔たとえば実験が式の通りの結果にならなかったような場合、〕我々は、「この実験においては途中で何かが消えてしまった」等々と言うだろう。
(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』第10講)
私の言いたいことを説明する際に最も難しく思われることのひとつは、我々の間にある違いを諸君が"意見"の違いとして考えたがるということである。しかし私は、諸君が意見を変えるように説得しているのではない。私はただ、ある種の探究を勧めているのである。もし意見が問題だと言うなら、
私の唯一の意見は、この種の探究が非常に重要であり、そしてそれが諸君のうちの何人かの"性分に反している"、というものである。もしこの講義において私がこれ以外に意見を述べたなら、私はへまをしたということになる。
(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』第11講)
「(ある人間の)哲学は気質の問題である」と時々言われるが、これには一面の真理がある。ある種の比喩・たとえ話を好むことは、気質の問題であると言えるだろう。そして意見の対立は、見かけよりもはるかに多くの場合、この気質の問題に左右されているのだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931)
偶数は基数と同じ数だけ存在する、なぜなら、すべての基数に偶数を対応づけることができるからだ──これがラッセルの理論の帰結だと言われる。
しかし、私が「うむ、やってみたまえ。それらを対応づけるのだ」と言うとしてみよ。私がそう言うことで何を意味しているかは、直ちに明確であるだろうか。
基数と偶数を対応づける技術はただひとつしかないのだろうか。諸君は「対応づける」という言葉を、「その通り、基数は偶数と同じ数だけ存在する」と言うような仕方で解釈することができる。しかし、いかなる意味で諸君は、自分がこれを"証明した"と言うことができるのか。諸君はある新たなことを行い、
それを「基数と偶数を一対一対応させる」と"呼ぶ"。また、諸君はあるまったく新しいことを「同じ数をもつ」と呼ぶ。まったく問題ない。しかし諸君は、同じ数をもつ二つのクラスを発見したのではなく、物事を見る新しい仕方を発明しただけなのだ。
(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』第16講)
論理学の真理は、"行為"の一致によって決定される。すなわち、同じことをする、同じ仕方で反応する、という一致である。一致は存在するが、それは"意見"の一致ではないのである。我々は皆、同じ仕方で行為する。すなわち、同じ仕方で歩き、同じ仕方で数えるのである。
数えることにおいて、我々は意見など表明していない。24の次は25であるという意見など存在しないし、そのような直観も存在しない。我々は数えることを手段として用いて意見を表明するのである。
人々がこう言う。「否定が一方の意味をもつとき、二重否定は肯定と等しくなる。しかし、否定がもう一方の意味をもつときには、二重否定は否定と等しくなる」。しかし私は、否定の使用法が否定の意味なのだと言いたい。
(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』第19講)
「我々はいまでもまだ底まで到達してはいない。しかし、ラッセルはとにかく底の近くまで来ていた」。しかし、底とは何だろうか。私の考えでは、我々はいま底にいるのである。子どもが数を適用する仕方を知ったとき、その子は算術の底に到達している。そして、それで終わりである。
諸君がラッセルの仕事以前には知らなかったこととは何だろうか。ラッセルの仕事によって、ある種の事柄が"より明確になった"と諸君が言うならば、私はそれに同意する。しかし、それは別の話である。それが意味しているのは、我々は以前よりもある特定の連関をより明確に見るようになったということだ。
ラッセルの仕事は、ある種のアナロジーに光を当てることで、ある種の誤解を取り除いて物事を明確にすると共に、ミスリーディングなアナロジーによって別の誤解を引き起こしている。
より深いところにある論理学、というアナロジーは有害である。
(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』第28講)
時代の病気は、人間の生活様式の変化によって癒される。哲学的問題の病気は、改変された思考法と生活様式によってのみ可能であったので、個人が発明した薬剤によってではなかった。
自動車の使用がある種の病気を発生させ、促進する、そして人類が何かの原因から、何かの発達の結果として、自動車に乗る習慣をふたたび棄てるまで、この病気をわずらう、と思ってみよ。
(ウィトゲンシュタイン 数学の基礎 第1部 付論Ⅱ 4)
「適当な定義を使って、〈25×25=625〉は、ラッセルの論理学の中で証明できる。」──そしてふつうの証明技術をラッセルのそれによって説明できるだろうか。だがどのようにしてある証明技術は別の証明技術によって"説明"できるのか。どのようにして一方が他方の"本質"を説明するのか。
というのは、一方が他方の〈簡略化〉ならば、それはどうしても"体系的"簡略化でなければならないから。私が長い証明を体系的に簡略化でき、したがってまた証明の体系を得るには、やはりある証明が必要である。
長い証明は、つねに、まず最初短い証明を連れてきて、それらのいわば保護者づらをする。しかしついには、それらの後について行けなくなり、短い証明はみずからの独立性を示すことになる。
(ウィトゲンシュタイン 数学の基礎 第2部45)
「ある真理を直接的に洞察するのではなくて、我々のように、おそらく帰納という迂遠な道を頼りにしている人びと……」とフレーゲは言っている。しかし私に関心のあるのは、その直接的な洞察であり、それが真理の洞察なのか、それとも虚偽の洞察なのかということである。私はこう尋ねている。あるものを
〈直接的に洞察する〉人間の特徴的な挙動は何か──その洞察の実際的成功が何であろうと。
私に関心があるのは、ある真理の直接的洞察ではなく直接的洞察の現象である。(まことに)ある特別な心的現象としてではなく、人間の行為における現象としてである。
(ウィトゲンシュタイン 数学の基礎 第3部32)
哲学者の哲学における労働は、いわば数学における怠惰である。
新しい建物をつくったり、新しい橋を架けたりするのではなく、"現にある通りの"地理を審査すべきなのだ。
われわれは確かに概念の片々を見てはいる。だが、一つの概念を他の概念に移行させる傾斜を、はっきりと見てはいない。
それゆえ数学の哲学では、証明を新しいかたちに鋳直すことは役に立たない。ここには強い誘惑があるが。
(ウィトゲンシュタイン 数学の基礎 第4部 52)
例えば、神は"すべての"無理数を知り給う、と語ることは、いかなる害があるのか。あるいは、無理数はすべて既に現存している、われわれはそのあるものを知るにすぎないにせよ、と語ることにはいかなる害があるのか、なぜこれらの図は無害ではないのか。
まず、それらの図は、ある問題を隠蔽している。
人びとがπの展開をどこまでも計算し続けるとせよ。したがって全知なる神は、世界の没落の時までにかれらが 「777」に到達するかどうかを知り給う。しかし神の"全知"は、人類が世界の没落後にそのかたちに到達し"た"のかどうかを決めるのか。できない。
私はいいたい、神といえども数学によってのみ数学的なことを決めうるのだと。神にとってさえ、たんなる展開の規則が、われわれに決めてはくれないことを、決めることはありえないのだ。
(ウィトゲンシュタイン 数学の基礎 第5部34)
ラッセルが犯している誤りは、彼が、論理的形式は記述することが出来る、しかも不完全な仕方で記述することが出来る、と信じていることである。
もし人が論理的形式を記述するとすれば、人はすべてを記述しなくてはならない。何ものも不完全な姿で残ってはならない。たしかに私は或る人を記述して、
彼の目はどんな色をしているか、を言うことが出来る。かく言うことで私が意味していることは、私はさしあたり正確には何も述べてはいない、正確なことはそのうちきっと明らかになるであろう、という事である。私はいわばその物を我々の方へ近づけ、そしてそれを次第に正確に記述するのである。
しかしこの方法で、論理的形式を最初は暫定的に不正確に、そして次第に正確に記述してゆくという事は出来ない。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』シュリック宅にて 1929.12.30)
なんらかの方法で"近づき"うる「真理」があるとは──!
(ニーチェ『権力への意志』451)
神学的倫理学には、善の本質に関して二つの解釈があった。その一つ、浅薄な方の解釈によれば、善は神がそれを欲するがゆえに善なのであり、他の一つ、深淵な方の解釈によれば、神が善を欲するのはそれが善なるがゆえになのである。しかし私によれば、第一の解釈の方が深淵だ。善とは神が命ずるものだ。
何故ならこの解釈は「何故」それは善なのか、という問に答える如何なる説明の道をも断ち切ってしまうのに対し、第二の解釈はまさに「あたかも」善なるものは更になお基礎づけられ得るかの如くに主張するところの、表面的で合理主義的解釈であるから。
第一の解釈は、善の本質は事実と何の関わりなく、
それ故、いかなる命題によっても説明され得ない、という事を明確に述べている。もし私の思っていることをまさしく表現する命題があるとすれば、それは、善とは神の命ずるものだ、という命題である。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』ノイヴァルトエックにて 1930.12.17)
ベートーベンの或るソナタにおいて価値あるものは何であるか。音の系列であろうか。そうではない。それはただ、多くの音の系列のうちの一つにすぎないのではないか。しかも私は、ベートーベンがそのソナタを作曲しているときに持っていた感情もまた、
何か或る他の感情よりも特に価値があるわけではない、とさえ主張する。同様に、或るものが好まれているという事実は、それ自身としては、何か価値あるものであるという事ではないのである。
価値とは或る一定の精神状態であろうか。或いは、何か或る意識の事実にくっついている或る形式であろうか。
私は答えよう。人が何と言おうと、私はそうではないと言うであろう。しかもそれはその説明が誤りであるからではなく、それが説明であるからなのである、と。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』ノイヴァルトエックにて 1930.12.17)
宗教の本質は明らかに、語られるという事とは何の関わりもない。むしろ、次のように言うべきであろう。即ち、もし語られるとすれば、それ自身は宗教的行為の構成要素であって、理論ではない、と。したがって、語られたことが真であるか偽であるか或いは無意味であるかということも、全く問題ではない。
宗教の語りはまた比喩でもない。何故なら、さもないと人はそれを比喩でなく語ることも出来ねばならないであろうから。宗教の語りは言語の限界に対する突進であろうか。言語は決して牢獄ではない。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』ノイヴァルトエックにて 1930.12.17)
もし人が私に何か或る理論であるものを語るとすれば、私は言うであろう。否、否。それは私に興味がない、と。たとえその理論が真であろうとも、それは私にとって興味がない──それは決して、私が探しているものではない。
倫理的なるものを人は教えることが出来ない。もし私が他人に或る理論によって始めて倫理的なものの本質を説明できるとすれば、その倫理的なるものは全く価値を有しないだろう。
私は倫理学についての講演の最後の所を、一人称で行った。私の信ずるところによると、このことは全く本質的なことなのだ。
ここにおいては、何ものももはや確言され得ないのであり、私はただ個人として現われ、一人称で語ることが出来るのみなのである。
私にとっては理論は価値がない。理論は私に何ものをも与えない。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』ノイヴァルトエックにて 1930.12.17)
私が常にムーアと議論したことは、日常言語の命題で我々が意味することは、論理的分析をまって始めて明らかになり得るものなのか、という問題である。ムーアは、そう考えがちであった。そうすると人々は、「今日は昨日より天気がよい。」と言うとき、自分が何を意味しているか、知らないのだろうか。
我々はその場合、先ず論理的分析を待たねばならないのか。何とまあひどい考えだ! 哲学は先ず我々に、私は私の命題で何を意味するのか、私は私の命題で何かを意味するのかどうか、明らかにすべきだ、と言うか。
勿論私は、分析を知らなくとも、命題を理解できるにきまっている。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』シュリック宅にて 1930.12.28)
かつて私は私の本の原稿に、「哲学的問題の解決は、決して人々を驚かせるようなものであってはならない。人は哲学において何ものをも発見できない。」と書いた。(しかしこれは『論理哲学論考』には印刷されていない。)
しかし私はこのことを、未だ十分に明確に理解していなかったのであり、
そしてこのことに違反していた。
注目しておきたい考えがある。それは、我々は今日未だ知らない事を知るようになるであろう、という考えであり、我々は全く新しいものを"見出す"ことが出来る、という考えである。しかしそれは誤りである。実際には我々は既にすべてを有していて、
そして既に"現在"、我々は何ものをも待ち受ける必要がない。我々は日常言語の文法の範囲内において動いているのであり、この文法は既にここにある。それゆえ我々は既にすべてを有しているのであり、未来を待つ必要はない。
(『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』ノイヴァルトエックにて 1931.12.9)
カルナップの「自伝」によると、「哲学的な問題に対するわれわれの態度は、科学者が自分たちの問題に対する態度とあまり違わなかった」のに対し、
「人々や諸々の問題に対するかれの視点や態度は、科学者よりも創造芸術家のそれのほうに遥かに類似していて、宗教的預言者や予言者の態度といえるほどだった」。
(藤本隆志『ウィトゲンシュタイン』)
「本当はこうなのだ」という文章は特に説得の形式をとる。このことが意味しているのは、諸君が無視するよう説得させられたある種の差異が存在するということである。
このことはわたしにかのすばらしいモットーを思い起こさせる、「あらゆるものはそれがある通りのものであって、別のものではない」と。
(ウィトゲンシュタイン 美学についての講義 3-34)
想像するのが不可能なことについては、論じることも不可能である。
ものは私の意志に対する関係によってはじめて「意味」を獲得する。
何故なら「全てのものはそれであるところのものであって、それ以外のものではない」からである。
(ウィトゲンシュタイン 草稿 1916.10.15)
諸君はあるメヌエットをあるとき演奏して、それから多くを得ることがあろうが、同じメヌエットを別のときに演奏して、それから何も得られないこともある。しかし、だからと言って諸君がそれから得るものがそのときそのメヌエットと無関係だったということにはならない。
意味や思想がことばの随伴物にすぎず、ことばは問題でないと考える誤りと比較せよ。〈命題のいみ〉は〈芸術鑑賞〉の営みにきわめて類似している。文章は対象に対してある関係をもっていて、この効果のあるものがみなその文章の"いみ"になっているという考え。「フランス語の文章の場合はどうか。
──同じ随伴物、すなわち"思想"があるのだ。」
ある人はある歌に表情をつけて、あるいは表情をつけないで唄うことができよう。ではその歌を省いてしまったらどうか──そのときでもその表情をつけることができるのだろうか。
(ウィトゲンシュタイン 美学についての講義 4-2)
「それから何年かの後、私〔ウィトゲンシュタイン〕はたまたまフロイトのある著書を読んで、びっくりした。そこには言うべきことをもっている人物がいたのである。」私〔ラッシュ・リース〕はこれが1919年のちょっと後だったと思う。そして残る生涯の間、フロイトは彼が読むに価すると考えた数少ない
著者の一人であった。彼は自分のことを──以下の議論の合い間に──「フロイトの弟子」とか「フロイトの追従者」とか言っていた。彼はその著作の中の観察や意見ゆえにフロイトを賞讃した。彼の見解ではフロイトが間違っているような場合ですら、「言うべきことをもっている」がゆえに。他方では、
彼は欧米における精神分析の巨大な影響力が有害であると考えた──「我々が精神分析に対するへつらいを失くすまでに長い年月がかかるだろうけれども」。フロイトから学ぶためには人は批判的でなくてはならない。そして、精神分析は一般にそれを妨げる。
(ウィトゲンシュタイン フロイトについての会話)
「決定論は物理的事物に対してと同様、精神に対しても正当にあてはまる。」この言いかたがはっきりしないのは、われわれが物理的事物における因果法則について考えるときには、〔物理学の〕"実験"のことを考えるからである。感じや動機づけとの関連ではこのようなものが見当らない。
それにもかかわらず、心理学者たちは「何か法則がある"に違いない"」と言いたがる──法則など発見されてはいないのに。(フロイト曰く、「紳士諸君、諸君は心的現象における変化が"偶然"に支配されていると言いたいのか。」)
これに対し、わたしにとっては、現実にはそのようないかなる法則も"存在しない"という事実のほうが重要であるように思えるのである。
(ウィトゲンシュタイン フロイトについての会話)
フロイトはこれらとの連関で様々な古代の神話に言及し、自分の研究は、その種の神話が考えられたり作られたりすることがどのようにして起ったのかをいまや説明している、と主張する。それに反して、実際にはフロイトはそれとは違ったことをした。彼は古代神話について科学的な説明をしたのではない。
彼のしたことは新しい神話を提議することだった。たとえば、あらゆる不安が誕生衝撃の不安の繰り返しだ、という見解の魅力は、まさしく神話の魅力だ。「それは昔々起ったあることの結果だ」ほとんどトーテム像に言及しているに等しい。分析は害を及ぼしやすい。なぜならその過程で人は自分自身について
様々なことを発見するだろうが、提示され、あるいは押しつけられた当の神話を認めてこれを見通すためには、非常に強力かつ鋭敏で頑強な批判力をもたなくてはならないからだ。〈もちろんそうであるに違いない〉と言いたくなる誘因がある。強力な神話だ。
(ウィトゲンシュタイン フロイトについての会話)
誰かが最後の審判を信ずるということをこの人生の導きにしたとせよ。彼が何をするときでも、このことが彼の心の中にある。彼はそのことが起ると信じていると言うべきか否かをどのようにして我々は知るのか。
彼に尋ねても充分ではない。彼は、証拠があるのだと言うだろう。だが彼には諸君がゆるぎない
信念と呼ぶであろうようなものがある。それは、推論とか、信念の日常的な根拠に訴えることとかによってではなく、むしろ生活の一切を整序することによって示される。
これは極めて強力な事実である──諸々の快楽に先行し、常にこの映像に訴える。これは一つの意味であり、あらゆる信念のうちで最も
確固たるものと称すべきものだ。なぜなら、人はそのために危険を冒すのに、自分にとって遙かにうまく体制化されている物事についてはそのようなことをしないからである。うまく体制化されている物事とそうでない物事とを分別しているにも関わらず。
(ウィトゲンシュタイン 宗教的信念についての講義1)
哲学においてらわれわれは、基礎を据えるのではなく部屋を整える。この過程でわれわれはあらゆるものに何度となく手をつけなければならない。
哲学をする唯一の方法は、あらゆることを二度することである。
(ウィトゲンシュタイン 講義 1930-1932)
"二度言う"。──ひとつのことをすぐ重ねて表現し、それに右足と左足を与えてやるのは、よいことだ。なるほど一本足でも真理は立つことができる。しかし二本足なら真理は歩いたり、動きまわったりするだろう。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部13)
人は錯誤に立脚して始めなければならず、錯誤に真理を承服させなければならない。
(ウィトゲンシュタイン フレーザー「金枝篇」について)
洗身としての洗礼。──呪術が科学的に説明されるときはじめて錯誤が成立つ。
(ウィトゲンシュタイン フレーザー「金枝篇」について)
ある宗教的象徴の基礎にはなんらの"意見"も存在しない。
そして、意見にとってのみ錯誤はふさわしいものである。
(ウィトゲンシュタイン フレーザー「金枝篇」について)
私が規則に従っているとき、私は選択しない。
私は規則に盲目的に従っている。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』219)
われわれの言語においては、その基底にひとつの完全な神話がある。
(ウィトゲンシュタイン フレーザー「金枝篇」について)
あいかわらずわれわれは、土台にまで降りることを忘れる。疑問符を打ちこむ深さが十分でないのだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1947.6.27)
シューベルトの死後彼の兄弟はシューベルトの楽譜を細かく切って小片にしてしまい、彼のお気に入りの弟子達に数小節だけが書かれたこのような小片を与えたが、このことについて考えてみよう。このような行為は、畏敬のしるしとして、手を触れず、誰もが手にすることができないように楽譜を保存する、
という別の行為とまったく同様にわれわれには理解がゆくのである。また、シューベルトの兄弟が楽譜を焼いてしまったとしても、それもまた畏敬のしるしとして理解がゆくのであろう。
(ウィトゲンシュタイン『フレーザー『金枝篇』について』)
思考の現象と燃焼の現象とを比較せよ。燃焼や炎は我々にとって不可解なものに見えないだろうか。またなぜ炎はテーブルよりも不可解に見えるのだろうか。──また、この不可解さをあなたはどう解明するか。
また、思考の不可解さはどう解決すればよいのだろうか。──炎の場合のようにだろうか。
炎は掴むことができないので、不可解なのではないか。その通りだ──だが、なぜそれが炎を不可解なものにするのか。なぜ掴むことができないことが、掴むことができることより不可解なのか。我々がそれを掴"もうとする"からである、ということでないとするならば。
(ウィトゲンシュタイン 断片 125-126)
「我々は……できない」と言うかわりに──「このゲームには……はない」と言え。「我々はチェッカーでは王を囲うことはできない」というかわりに──「チェッカーでは王を囲うということはない」と言え。
「私は自分の感覚を呈示できない」と言うかわりに──「〈感覚〉という言葉の用法には、人が感じているものの呈示ということはない」と言え。「我々は全ての基数を数えあげることはできない」というかわりに──「ここでは全ての項の枚挙といったものはない」と言え。
(ウィトゲンシュタイン 断片 134)
もし私があるメロディーを理解して聞くならば、私の内に何か特別なものが生じないだろうか──つまり、理解しないで聞く場合には生じないような何かが。それは"何だろう"。──それに対する答は浮んでこない。あるいは私に思い付いたとしても、それはつまらないものである。
理解するということを、聞くことに随伴する過程である、と呼ぶのは誤っている。(もちろん、理解の表現である表情豊かな演奏も、また聞くことの随伴物であるとは呼べない。)
というのは、〈表情豊かな演奏〉とは何であるかを、どのようにして説明できるだろうか。決して、その演奏に
随伴するものによってではない。──ではその説明のために何が必要か。一つの文化である、と言ってもよかろう。ある特定の文化において育てられ──したがって音楽に対してじかに反応する人に対しては「表情豊かな演奏」という言葉の用法を教えることができよう。
(ウィトゲンシュタイン 断片 162-164)
楽句の理解は、また、一つの"言語"の理解であると言うこともできる。
私は、ただ二小節からなる非常に短い楽句について考える。あなたは、「そこに何と多くのものがあるではないか!」と言う。
しかし、我々がそれを聞く際、その内にあるものが生じてくるのだ、とあなたが考えているとするならば、それは一種の錯視現象である。
(「それは、"誰"がそれを言うかに依存する。」)
(思考と生活の流れにおいてのみ、言葉は意味をもつ。)
(ウィトゲンシュタイン 断片 172-173)
あらゆるものがすでに記述されたときに、まだ、何かを言おうという強烈な誘惑がここにある。──この衝動はどこからくるのか。いかなる類比が、いかなる誤解がそれを生み出すのか。
我々はここで、哲学的考察に特徴的な、注目すべきひとつの現象にぶつかる。困難なのは解決を見い出すことではなく、解決の前段階にすぎぬように見えるものを解決として承認することである──と私は言うことができよう。
「我々はすでに言うべきことはすべて言った。
──そこから導かれる何かではなく、まさに"それ"が解決なのだ!」
この困難は我々が説明というものに誤った期待をいだいている、ということと関係があるように思われる。一方、我々が記述を我々の考察の内に正しく位置づけるならば、記述がすなわち困難の解決になる。もし我々がそこに留まり、
それを越えようとしないならば。
ここで困難なのは、留まるということなのである。
「なぜあなたは説明を求めるのか。それが与えられれば、あなたはまた再び限界に直面することになろう。それはあなたを、今いる所より遠くへ導くことはできない。」
(ウィトゲンシュタイン 断片 313-315)
人は、ある程度のことを学んだ後ではじめて、疑うことができる。それは、丁度計算を学んだ後ではじめて、計算間違いができるようなものである。もちろん、計算間違いは随意にやることではないが。
(ウィトゲンシュタイン 断片 410)
子供は、いつわることができるようになる前に、多くのことを学んでいるのでなくてはならない。(イヌは見せかけをすることができないけれども、また正直であることもできない。)
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』第2部 xi)
子供は「私はこの人の名を知っている、あの人の名を知らない」といかなる形にせよ言えるようになるずっと前から人の名前を使えるようになる。
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 543)
「私は大きな喜びを感じている」──どこでか──それはナンセンスに聞える。だがまた、人は「私は自分の胸に、歓喜のうずきを感じる」とも言う。──しかし、なぜ喜びにはその場所が指定されないのか。それは身体全体に分布しているからか。また、喜びを引き起こす感覚は場所が指定されるのに、
喜びについてはそれがなされない。たとえば、我々が花の香を喜ぶ場合。──喜びは顔の表情に、振舞いに現われてくる。(だが我々は、顔で喜ぶとは言わない。)
「しかし、私が経験している喜びの"感情は"本物なのだ。」しかり、あなたが喜んでいるとき、あなたは実際喜んでいる。またもちろん、
喜びは喜びの振舞いでもなく、口もとや目のまわりに感じる感覚でもない。
「しかしとにかく、〈喜び〉はある内的なものを指し示す。」否、そうではない。「喜び」はまったく何も指し示さない、内的なものも、外的なものも。
(ウィトゲンシュタイン 断片 486-487)
哲学者にとって最も危険な考えの一つは、奇妙なことではあるが、われわれが頭で、あるいは頭の中で考える、というものである。
思考を頭の中の、すなわちまったく閉ざされた空間の中の一つの過程として考えることは、思考にある神秘性を与える。
(ウィトゲンシュタイン 断片 605-606)
我々の行為の全てが、あたかも貯水池からのように、そこから流れ出るところの、「心の状態なるもの」を常に捜す(そして見つける)という、一種の一般的な思考の病が存在する。
(ウィトゲンシュタイン 茶色本)
"記憶"に関しては学びなおさなければならない。ここには、時間にかかわりなく再生産したり再認識したりなどする「霊魂」を想定する強い誘惑が隠されているからである。
(ニーチェ『権力への意志』502)
私はこの男を何年も前に見た。今再び彼を見て、彼ということを確認し、彼の名前を想起した。なぜこの想起の原因が私の神経組織の内になければならないのか。なぜある何らかのものが、"何らかの形で"、そこに貯蔵されていなければ"ならない"のか。なぜ痕跡が残されていなければ"ならない"のか。
なぜ生理学的規則性に対応し"ない"心理学的規則性が存在してはならないのか。もしそれが我々の因果性の概念を覆えすとすれば、それはまさにこの概念が覆えさるべきときなのである。
精神-物理的平行論を支持する先入見は、我々の概念の原始的な解釈によって生じたものである。
つまりもし諸々の心理的現象の間に生理学的に媒介されない因果関係を許すならば、それは、何かわけのわからない心霊的存在を認めることにほかならない、と人々は考えているのである。
(ウィトゲンシュタイン 断片 610-611)
「クレタ人の嘘つき。」
「わたくしは嘘をついている」と言うかわりに、「この命題は偽である」とも書くことができよう。それに対する答はこうなろう。
「よろしい、だがあなたはどの命題を意味しているのか。」──「この命題である。」──「分かった、しかしその内のどの命題が問題なのか。」
──「これである。」──「よろしい、これとはどの命題を指しているのか。」等々。
彼は完全な命題に到達するまで、自分が何を意味しているかをわれわれに説明できまい。──また、このようにも言うことができる。
すなわち、その根本的な誤りは、ある言葉、たとえば「この命題」という言葉がそれの対象の代理をしないで、その対象をいわば暗示する(遠くから指し示す)ことができる、と考えていることにある、と。
(ウィトゲンシュタイン 断片 691)
私の世界像は、私がその正しさを納得したから私のものになったわけではない。私が現にその正しさを確信しているという理由で、それが私の世界像であるわけでもない。これは伝統として受けついだ背景であり、私が真と偽を区別するのもこれに拠ってのことなのだ。
この世界像を記述する諸命題は一種の
神話学に属するものといえよう。この種の命題の役割は、ゲームの規則がうけもつ役割に似ている。それにゲームというものは、規則集の助けを借りないで、すべて実地に学ぶこともできる。
こう考えてもいいだろう。経験命題のかたちを具えたいくつかの命題が凝固して、固まらずに流れる経験命題のための
導管となるのだ。この関係はときに応じて変化するのであって、流動的な命題が凝結したり、固まっていた命題が逆に流れ出したりする。
神話の体系が流動的な状態に戻り、思想の河床が移動するということもありうる。だが私は河床を流れる水の動きと、河床そのものの移動とを区別する。両者の間に明確な
境界線をひくことはできないのだが。
その河岸の一部は固い岩石からなり、これにはまったく変化がない。あるいは目に見えない程度にしか変らない。しかし残りの部分は、流れに運ばれてあちこちと移り、あるいは集まって洲をつくる砂からなっている。
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 94-97,99)
正当化の根拠を尽くしたとき、私は固い岩盤に突き当たり、私の鋤は跳ね返される。そのとき私はこう言いたくなる。「ただこのようにやっているだけなのだ」
(私たちはときに内容のゆえではなく、説明という形式のゆえに説明を求める、ということを想起せよ。その場合、私たちの要求は建築様式上のものである。説明は、何も支えない装飾のための蛇腹である。)
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』217)
証拠を基礎づけ、正当化する営みはどこかで終る。──しかし、ある命題が端的に真として直観されることがその終点なのではない。 すなわち言語ゲームの根になっているのはある種の"視覚"ではなく、われわれの営む"行為"こそそれなのである。
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 204)
化学の研究について考えてみよう。ラヴォアジェが実験室内の物質によって実験を行ない、燃焼に際してはこれこれの過程が生じる、という結論を下す。彼は、べつの場合にはべつの過程が生じるであろう、とは言わない。彼はすでに確定しているひとつの世界像に従うのだが、
それは勿論彼が発明したものではなく、幼少の頃彼が学んだものだ。私は世界像と言って仮設とは言わない。それは彼の探究の自明の前提であって、とりたてて言い表わされることのないものだからである。
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 167)
それはわれわれにとって絶対に確かであるとは、ひとりひとりがそれを確信するということだけでなく、科学と教育によって結ばれたひとつの共同体にわれわれが属しているということなのだ。
われわれは地球が丸いということに満足している。
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 298-299)
[独力で思索することのできる哲学者ならば、私のノートを興味をもって読んでくれるのではないかと思う。私は稀にしか問題の核心を射当てないかもしれないが、私がいつも狙っているのが何であるかを彼は認識することだろう。]
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 387)
私がここに書きつける文章で、進歩をしめしているのは全体の何分の一かにすぎない。残りの部分は、床屋がカットのときハサミをカシャカシャさせるようなものだ。ちょうどいい瞬間にチョキンとやるためには、ハサミをたえず動かしていなくてはならない。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.1.8)
私が物理学の命題に従って自分の行動を律していることは、間違いなのであろうか。しかるべき理由は何もない、と言うべきであろうか。それこそ我々が「しかるべき理由」と呼ぶものではあるまいか。
その理由を適切とは見做さない人々に我々が出会った、と仮定しよう。我々はこれをどう考えたらよいか。
彼らは物理学者の見解を尋ねるかわりに、神託に問うようなことをする。(だから我々は彼らを原始人と見做す。)彼らが神託を仰ぎ、それに従って行動することは誤りなのか。──これを「誤り」と呼ぶとき、我々は自分たちの言語ゲームを拠点として、そこから彼らのゲームを"攻撃"しているのではないか。
では我々が彼らの言語ゲームを攻撃することは正しいか、それとも誤りか。勿論ひとはさまざまなスローガンを動員して、我々のやり方を持ち上げようとするだろう。
ふたつの相容れない原理がぶつかり合う場合は、どちらも相手を蒙味と断じ、異端と謗る。
さきに、私は他人を「攻撃」するだろう、と言った──だがその場合、私は彼に"理由"を示さないであろうか。勿論示す。だがどこまで遡るかが問題である。理由の連鎖の終るところに"説得"がくる。(宣教師が原住民を入信させるときのことを考えてみよ。)
(ウィトゲンシュタイン 確実性の問題 608-612)
ヘーゲルと私は折り合いがつきません。ヘーゲルは、「異なって見えるものが実は同じだ」ということをいつも言おうとしていたように思いますが、私の関心は、「同じように見えるものが実は異なっている」ということを示すことにあります。
(ウィトゲンシュタイン ドゥルーリーとの会話 1948秋)
区別を示す時代は過去のものとなった。〔ヘーゲル哲学にみる思弁的〕体系がそれを克服してしまったからだ。当節にあってなおも区別のごときに執心する者は、とっくに消え去ったものに心を寄せる変わり者であろう。
(キルケゴール『不安の概念』)
私はすべての体系家を信用せず、彼らを避ける。体系への意志は正直の欠如である。
(ニーチェ『偶像の黄昏』箴言と矢 26)
全体のなかにしか一般を求め得ないのに、反射的に個別から一般へ進むのが、頭の弱い人間の犯すあやまちである。
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)
ショーペンハウアーが彼の哲学から何を得たのか、私ははっきり理解していると思います。ショーペンハウアーを読むと、私はすぐに底が見えるような気がします。カントやバークリーが深いという意味では、彼は深くはありません。
(ウィトゲンシュタイン ドゥルーリーとの会話 1948秋)
ドゥルーリー「私はプラトンの『パルメニデス』を読もうとしましたが、さっぱりわかりませんでした」
ウィトゲンシュタイン「その対話篇は、プラトンの著作の中で最も深いと思います」
(ウィトゲンシュタイン ドゥルーリーとの会話 1948秋)
ドゥルーリー「アリストテレスを読んだことはありますか?」
ウィトゲンシュタイン「私は元哲学教授ですが、アリストテレスをただの一語も読んだことがありません!」
(ウィトゲンシュタイン ドゥルーリーとの会話 1948秋)
「私は宗教的人間ではない。しかし、私は如何なる問題をも宗教的観点から見ないわけにはいかない」
(ウィトゲンシュタイン ドゥルーリーとの会話)
人間は、宗教的である間だけ、文学と芸術において生産的である。
(ゲーテ リーマーとの談話 1810年夏)
学問と芸術を持っているものは、同時に宗教を持っている。学問と芸術を持たぬものは、宗教を持て!
(ゲーテ『温順なクセーニエン』遺稿)
芸術は一種の宗教的感覚を、深いゆるぎない厳粛を基礎とする。そのためもあって、芸術は好んで宗教と一つになりたがる。宗教は芸術感覚を必要としない。それ自身の厳粛を基礎とするからだ。宗教は趣味を与えることがないのと同様に、芸術感覚を授けることもない。
(ゲーテ『箴言と省察』芸術と芸術家)
まあ考えてもみなさい、ドゥルーリー、毎週説教をしなくてはならないということが何を意味するのかを。君にはそんなことは出来ないであろう。君が、キリスト教の信仰に──あたかもある種の証明が必要であるかの如くに──ある種の哲学的正当化を試み、そしてそれを与えようとするのではないかと、
私は心配する。……カトリックの教えの象徴的表現は、言葉を超えて素晴らしい。しかしカトリックの教えを或る哲学的体系に仕立て上げようとする如何なる試みも、腹立たしい。全ての宗教は──たとえ最も原始的な種族の宗教であろうとも──素晴らしい。
(ウィトゲンシュタイン ドゥルーリーとの会話)
キリスト教が真理なら、キリスト教についての哲学はすべて虚偽だ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1949)
ドゥルーリーのウィトゲンシュタインとの対話に関するメモには、私の見解では、彼を正しく理解するために不可欠な3つの発言が含まれています。
「私の人生において音楽が意味することのすべてを、私の本のなかで語ることは不可能だ。いったいどうすれば理解してもらえるのだろうか?」
「私は宗教家ではないが、あらゆる問題を宗教的な観点から見ずにはいられない」
「音楽はブラームスで完全に止まった。そしてブラームスの中でも機械の音が聞こえ始める」
これらの発言が含まれていることだけでも、ドゥルーリーのメモの出版が正当化されますが、もちろんそれだけではありません。
実際、ウィトゲンシュタイン自身を理解したい、したがって彼が書いた精神を理解したいと願う人には、私はいつもドゥルーリーのメモを勧めています。
(『THE SELECTED WRITINGS OF MAURICE O'CONNOR DRURY』FORWARD BY RAY MONK)
今日の人間教育は、悩み苦しむ能力をへらす方向に流れているようだ。子どもたちが楽しくすごしているなら、その学校は今日では、いい学校ということになる。以前なら、そんなことが尺度にはならなかったのだが。親たちは、子どもが自分たちとおなじように(ただし自分たち以上に)なることを
望んでいるくせに、自分たちが受けた教育とはまったくちがう教育を、子どもたちに受けさせている。悩み苦しむ能力など、評価されていない。悩みや苦しみはあってはならないのだ。そんなものは、時代遅れなのだから。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.5.30)
「精神分析の目的は、神経症的な不幸を正常な不幸に置き換えることである」と述べたとき、フロイトは真の深遠さを示した。純粋な快楽主義的倫理観に基づく精神医学や、不安な時期や憂鬱な時期がすべての人間生活に必要であることを認識しない精神医学は薄っぺらである。
(ドゥルーリー『言葉の危機』)
今日、書店に行くと「夫を成功に導く方法」のようなタイトルの本が並んでいる。周知の事実ではあるが、無害な決まり文句がたくさん書かれているこのような本は、深刻な精神的問題を抱えた人、ましてや精神的な病を抱えている人を助けることはない。このような本を大衆が買うということは、
人生の深い問題に対して彼らがまったく無頓着であることを示している。このことは、「あらゆる問題には、ある特定の科学と、ある特定の専門家がいて、その専門家は本の中で必要な答えを出すことができる」という、教養のある人々にさえ広がる誤りを反映している。
(ドゥルーリー『言葉の危機』第2章)
ローマ・カトリック教徒になれというつもりは毛頭ない。それはあなたにとって、まったく間違ったことだと思う。あなたの宗教は、まだ見つけられていないものを求めるという形をとっているように思う。
(ドゥルーリー ウィトゲンシュタインとの会話 1949年)
神の存在は理性によって証明できるというのは、ローマ教会の教義だ。この教義は私がローマ・カトリック教徒であることを不可能にしている。もし神を自分と同じような、自分の外側にある、ただ無限に強力な存在と考えるなら、私は神に逆らうことが自分の義務だと思うだろう。
(ウィトゲンシュタイン)
今日私達は「宗教」という言葉を耳にすると「教会」のようなものを考えずにはいられない。この「教会」という言葉はあまりにも偽善や専横や下劣さや頑固な迷信などを連想させるので、十把一絡げに、頭っから宗教を「やっつける」ことに誇りを感ずるほどである。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)
科学を大衆化しようとする本は忌まわしい。科学が何であるかを理解するために本当に大変な作業をすることなく、科学の不思議さに心をときめかせたいという人々の好奇心に迎合している。ファラデーの『ろうそくの科学』のような本がいい。ファラデーは、ろうそくが燃えるという単純な現象を取り上げ、
それがいかに複雑なプロセスであるかを示している。ファラデーは、自分の言っていることを、常に詳細な実験によって実証している。最近の科学者は、中年になると実業に飽き、不条理な俗論や半哲学的な思索に走る傾向がある。
(ウィトゲンシュタイン)
しかし、ここで私の恩師であるウィトゲンシュタインの声が聞こえてくるようです。「例を挙げろ、例を挙げろ、抽象的な言葉だけで語るな、それが今の哲学者たちがやっていることだ」。
(ドゥルーリー『言葉の危機』第2章)
私の人生の大部分は、精神病理学の問題、その原因、治療法について科学的に考えようとする試みで占められてきた。しかし、説明できる領域がどんなに拡大しても、説明できない領域は少しも減ることはない、というこの偉大な真理を忘れては、我々の哲学にとって悲惨な誤りであることは間違いない。
最近、多くのことが書かれているが、おそらく遠い将来には、すべてが科学的理解によって説明され、制御されるようになるのではないかと思われているが、私は、神に感謝しつつ、そのようなことは決してないことを強調しようとしてきた。
知覚、記憶、言語など、私たちが説明のために用いる基本的なデータは、永遠に説明不可能な領域にとどまっている。技術的な洗練が日々進むこの時代には、私たちの存在の共通でシンプルな基盤に対する驚きと感謝という貴重な贈り物を失ってしまう危険性が大いにある。
(ドゥルーリー『言葉の危機』第3章)
理論が事実になることはない。仮説は永遠に仮説のままだ。仮説には常に選択の要素があり、物事を見るひとつの方法、つまり、恣意的に選んだ材料を首尾一貫した絵の中に配置するひとつの方法が含まれている。
(ドゥルーリー『言葉の危機』第4章)
事実に関することは、概念によってではなく、事実によって証明されるべきだ。
(バークリー『アルシフロン』第四対話第三節)
概念的な手続きは事実を分類し、限定し、解釈しはするが、事実を生み出すことはできないし、また事実の個性を再現することもできない。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)
哲学的探究、概念的探究。形而上学の本質、それは事実的探究と概念的探究の区別を抹殺すること。
(ウィトゲンシュタイン 断片 458)
しかし、ある仮説が一般に受け入れられ、その有用性を示すようになると、その謙虚な起源を忘れてしまう。それは事実という論理的な地位に身を隠し始める。疑問の余地のないもの。現象の背後にある現実である何か。感覚というカーテンの向こう側を見ることを可能にしてくれたもの。
そうして、私たち自身の有用な創造物である仮説は、私たちのものの見方を眩ます。仮説にないものは見えず、仮説の範囲を空想の領域まで広げてしまう。常に目の前にある現実が、自分自身が作り出した抽象的な絵に置き換えられてしまう。現実は、原子粒子の偶然の結合に過ぎないと言われる。
現実とは、銀河系外星雲の巨大なシステムであるとか、アメーバから意識への長い進化の過程であるとか。このように言っているうちに、私たちは絵空事に目が眩んでしまった。
(ドゥルーリー『言葉の危機』第4章)
知的な虚栄心は、自分であれ他人であれ、ウィトゲンシュタインが嫌うものであった。彼は、哲学の分野で大きな名声を得ることよりも、虚栄心の痕跡が一切ないことが重要だと考えていたのだろう。「傷ついた虚栄心は、この世で最も恐ろしい力である。最大の悪の根源だ」。
また別の機会には、「哲学者は配管工以上の名声を得るべきではない!」と言った。しかし一方、「私が形而上学を軽んじているとは思わないでほしい」とも言った。「私は、過去の偉大な哲学体系のいくつかを、人間の心が生み出した最も高貴な作品のひとつとみなしている。
ある人々にとっては、この種の文章を書くことを諦めるのは英雄的な努力を要することだろう。」
(ドゥルーリー ウィトゲンシュタインとの会話メモ)
ドゥルーリー「見知らぬ人とまともな哲学的議論を始めるのは難しいですね」
ウィトゲンシュタイン「もちろん難しいだろう。お互いに理解しあえるようになるには、長い時間が必要だろう。人生において、本当に価値ある議論ができる相手に一人でも出会えれば、それは幸運なことだ」
大きな社交的な集まりに出ると、とかくわたしたちは、偶然がこれだけ大勢の人間を一堂に集めたからには、わたしたちの友人もそのなかにいてよさそうなものだと考えてしまう。
(ゲーテ『箴言と省察』経験と人生)
オーストリアの古い友人である神父から手紙をもらったんだ。その中で彼は、もしそれが神の意志であるならば、私の仕事がうまくいくことを望んでいると言っている。今、私が望むのはそれだけだ。もしそれが神の意志であるならば。
バッハは彼の本「パイプオルガン小曲集」の巻頭ページに「至高なる神の栄光のために、そして、私の隣人のためになるように」と書いた。これこそ私が私の仕事に言いたかったことである。
(ドゥルーリー ウィトゲンシュタインとの会話 1949年)
ウィトゲンシュタインは私〔ドゥルーリー〕に、シュペングラーの『西洋の没落』を読むようにと勧めた。この本は、私たちが今生きている時代について、何か教えてくれるかもしれない、私の「不治の病のロマン主義」の解毒剤になるかもしれない、と彼は言った。
その本を読んだ後、私は彼に、「シュペングラーは歴史を型にはめてしまおうとしているが、それは無理だ」と言った。
ウィトゲンシュタイン「そうだね。歴史を型にはめることはできない。しかし、シュペングラーは、ある種の非常に興味深い比較対象を指摘している。
私はシュペングラーを詳細については信用していない。彼はあまりにも頻繁に不正確なことを言う。私はかつて、もしシュペングラーが非常に短い本を書く勇気があれば、それは偉大な本になったかもしれないと書いた」
(ドゥルーリー ウィトゲンシュタインとの会話メモ 1930)
彼〔ルートヴィヒ〕は、将来どんな状況になっても、兄弟姉妹に助けてもらう用意があるという事実を、まったく自由に、ゆったりと受け入れていたことが、彼の〔財産放棄の決断に至った〕見通しの本質的な部分であった。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を知っている人なら、倹約家で注意深いイワンが、いつか不安定な状況に陥ることは十分にあり得るが、お金のことを全く知らず、何も持っていない弟のアリョーシャは、誰もが喜んで持っているものを分けてくれ、彼は何のためらいもなくそれを受け入れるので、
決して餓えないだろうということが語られている点を覚えているはずだ。私はこのことを確信して、ルートヴィヒの希望〔財産を兄弟姉妹に与えること〕を細部に至るまで実現するために、あらゆる手を尽くした。
(ヘルミーネ・ウィトゲンシュタイン「弟のルートヴィヒ」)
ドストエフスキーの話題で私たちは喧嘩をした。「ドストエフスキーはディケンズから多くを学んだ」と私が言ったところ、ウィトゲンシュタインはそれを許さず憤慨した。「ディケンズ」、彼は床から60cm上を指差した。「ドストエフスキー」、彼の腕は高く上がった。
(ファニア・パスカル「個人的回想」)
私はちょうど「ソビエト連邦の友」のケンブリッジ委員会のメンバーに選ばれたばかりで、二人〔ウィトゲンシュタイン&スキナー〕にその朗報を伝えた。ウィトゲンシュタインは、「政治的な仕事はあなたにとって最悪のことであり、大きな害をもたらす」ときっぱりと言った。
「あなたがすべきことは、人に親切にすることだ。それ以外には何もない。ただ他人に親切にすることだ」。自分がやっていること以外のことをやれというのは、心外なことだった。
(ファニア・パスカル「個人的回想」)
自分自身について自分に嘘をつくこと、自分の意志の状態における見せかけについて自分を欺くことは、スタイルに有害な影響を及ぼすに違いない。なぜなら、その結果、スタイルにおいて何が本物で何が偽物なのか分からなくなるから。このことによって、マーラーのスタイルが偽りであることを説明できる。
もし私が自分自身に演技をしたら(そのような人が書くように私は書いていると思う)、スタイルが表現するのはそのような類のことになってしまう。そうすると、そのスタイルは、私自身のものではありえない。もし自分が何であるかを知ろうとしないなら、あなたの書くものは欺瞞の一形態である。
もし誰かが、これがあまりに苦痛であるために、自分自身の中に降りていくことを望まないのであれば、その人の文章は表面的なものにとどまるだろう。
(ウィトゲンシュタイン 1938.2)
ウィトゲンシュタインと散歩したとき、ヴァージニア・ウルフのことを話した。「彼女は、文章や芸術や音楽や科学や政治において優れていることがその人の価値を測るような家庭で育ったのだ。これらの分野で何かを成し遂げなければ、誰も本当に賞賛されることはないのだろうか、と」
(ラッシュ・リーズ)
ある浮浪人が自伝を書くとしたら、危険なのは、次のうちのどれかであろう。
①自分の本性を否定する。
②それを誇りに思う理由を見出す。
③自分にそのような本性があるということを、まるで重要視していないかのように振舞う。
①の場合、彼は嘘つきだ。
②の場合、彼は自然の貴族の特徴──つまり明るい悪徳であり、不自由な体が自然の優雅さを持ち得ないのと同様に、彼が実際には持ち得ないプライド──を真似る。
③の場合、彼はいわば社会民主主義の身振りで、荒々しい身体の特質より文化を優先させるが、これも欺瞞である。
自分が何かであることは重要だが、誇りの理由にはならない。他方、それは彼の自尊心の対象である。そして私は、相手の貴族的プライドや私の本性に対する侮蔑を受入れる。このことを通じて、私の本性の環境の一部──醜い私自身を中心とした世界──を考慮しているだけだから。
(ウィトゲンシュタイン)
確かに、人はあることを計画的に行うことができる。しかし、全く計画できないこともたくさん起こる。それは自分がすることではない。自分がされることであり、自分に起こることだ。何が起きても大丈夫なように、身を固め、道を譲る覚悟で計画することはできるかもしれない。
おそらく要点は、何が起ころうと、それが計画されたものであろうとなかろうと、人は自分の態度──希望、恐れ、喜び、絶望などの重要なこと──を計画することはできないということだろう。
(OKブースマ『WITTGENSTEIN Conversations』1949.8.14)
長年にわたって私〔ウィトゲンシュタイン〕が教えてきたことは、良いことよりも悪いことの方が多かった。
フロイトの教えは、ワインのように人々を酔わせたが、彼らはただ数式を見つけただけで、その教えを冷静に使う方法を知らなかった。
(OKブースマ『WITTGENSTEIN Conversations』1949.8.5)
フロイトは、すばらしい説明もどき(なにしろ頭のいい説明なのだ)によって、ひどいことをしでかした。
(どんな頓馬でもフロイトの説明もどきに助けられて、病状を「説明」するのだから。)
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1946.10.31)
心理学はきわめてまじめな人たちにさえ、創作欲をかきたてるものであり、しかもそれがまったく無意識のうちになのです。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)
W.はウィーンにいる二人の友人のことを話した。
一人は彼より10歳年上で、学校の校長先生だったと思うが、彼はカトリックの信者で、信仰心の厚い男だが、彼はあらゆる種類の毒物に手を出している。それらは雨のように降る。
もう一人の友人、学校の教師はW.より10歳年下だが、毒には手を出さない。
彼は鼻が利くので、匂いを嗅いではそのままにしておく。彼は、誰も教えてはくれないが、本能によって特定のものを食べない動物に似ている。彼らも毒を知っている。この人は素晴らしい。とても理知的で、読んだものをきちんと見極めて話す。
(OKブースマ『WITTGENSTEIN Conversations』1950.11.28)
ある日川沿いに散歩していた時、新聞売場の看板に、最近おこったヒトラー暗殺計画はイギリス政府の扇動だとドイツ政府が非難した、と大きく書いてあった。この事件のおこった年だから1939年のことだ。ウィトゲンシュタインは、このドイツ政府の発表について「これが事実でも、僕は驚かない」と言った。
私は、イギリス政府の指導者たちが、あんなことをするとは信じられない、と反発した。私が言いたかったのは、イギリス政府は野蛮人ではないのだから、そんな卑劣なことをするはずがない、という点だった。そんな計画はイギリス人の国民性に反するともつけ加えた。この私の言葉は、ウィトゲンシュタイン
を激怒させた。そんなことを考えるのは大馬鹿者だ、そして、せっかく苦労して教えているのに、自分の哲学の講義からお前は何も得ていない証拠だ、とも言った。彼が猛烈な口調で言った後、私がそうは思わないと反対すると、彼は全く口をきこうとしなかった。
(マルコム『回想のウィトゲンシュタイン』)
それから一週間くらいして、私はアメリカに旅立ったが、別れるにのぞんで、いろいろウィトゲンシュタインが私に言ったことの中に、つぎの言葉があった。「ほかのことは何をやってもいいが、女哲学者とだけは結婚しないでほしいな!」
(マルコム『回想のウィトゲンシュタイン』)
ウィトゲンシュタインは知的な女性が嫌いで、文字通り背を向けていた。彼が無礼な扱いをした私の友人はそれを冗談だと思った。彼の意見は絶対的で反論を許さなかった。知的なケンブリッジが左翼化していた頃、彼はまだオーストリア=ハンガリー帝国末期の古い保守派だった
(ファニア・パスカル 回想録)
二人で川沿いに鉄橋の方に向かって歩いていたとき、君が言い出した"国民性"について激論したね。あのとき、僕は君の意見のあまりの幼稚さに驚歎した。僕は、あのとき、こう思った。哲学を勉強することは何の役に立つのだろう。
もし論理学の深遠な問題などについて、もっともらしい理窟がこねられるようになるだけしか哲学が君の役に立たないのなら、また、もし哲学が日常生活の重要問題について君の考える力を進歩させないのなら、そして、
もし"国民性"というような危険きわまりない語句を自分勝手な意味にしか使えないジャーナリスト程度の良心ぐらいしか、哲学が君に与えるものがないとしたら、哲学を勉強するなんて無意味じゃないか。
(マルコム『回想のウィトゲンシュタイン』)
真に志を同じくする人間とは、いつまでも不和が続くことはない。いつかかならずまた心が通いあうものだ。本来志を異にする人間と協調を保とうと求めてもむだである。そのつどかならずまた決裂が訪れる。
ぼくはきみに率直に忠告したい。しかしきみと仲たがいはしたくない、ときみは言う。しかしそれはできない相談だ。きみのやり方はまちがっている。それでは二脚のいすの中間に腰をおろすのと同じだ。きみは味方も得られず友人も失ってしまう。この先どうなることか。
(ゲーテ『箴言と省察』経験と人生)
今度会うとしても、哲学以外のマジメな問題を話し合うことを避けない方がよいと思う。僕は気が小さいから、人と衝突したくない。とくに僕が好きな人とは衝突したくない。けれども、あたらずさわらずのうすっぺらな話をするくらいなら、衝突する方がましだ。
(マルコム『回想のウィトゲンシュタイン』)
ある晩、夕食後にウィトゲンシュタインと私たち夫婦はミッドサマー・コモンを散歩した。歩きながら私たちは天体の運行について話していた。と、ウィトゲンシュタインが思いついて、われわれ三人がそれぞれ太陽・地球・月の立場になって、たがいの運行関係をやってみようと言いだした。
私の妻が太陽で、ずっと同じ歩調で草の上を歩く。私は地球で妻の廻りを駈け足でまわる。ウィトゲンシュタインは、いちばんたいへんな月の役を引き受けて、妻の廻りをまわる私の廻りを走ってまわった。
ウィトゲンシュタインは、この遊びに熱中し、走りながらわれわれに大声で指示を与えた。そして、息が切れて目がまわりくたばってしまった。
(マルコム『回想のウィトゲンシュタイン』)
ウィトゲンシュタインは哲学的思考を水泳にたとえる比喩を好んでした。水泳では人間のからだは自然に水面に浮かび上がる傾向がある。人間は水中にもぐろうと努力せねばならない。哲学も同じようなものだ、と。
(マルコム『回想のウィトゲンシュタイン』)
ウィトゲンシュタインのお得意の言葉に「すげえものには手を出すな!」というのがあった。これを強い調子で、わざと真面目な顔つきで言った。問題になっている事物がちゃんとしているから、これ以上手を加えるな、といったくらいの意味であるが、彼はいろんな場合に、これを使った。
たとえば、あるときは、彼のベッドが今のままで結構だから動かさないでほしいというつもりで、別なときは、私の妻が彼の上着を修理したとき、これで十分だから、それ以上手を加えなくてもよい、という意味で。
(マルコム『回想のウィトゲンシュタイン』)
二人で議論したときに、私の心を打たれた──そして今も心を打たれる──言葉で、ここに特記しておきたいもので、かつ、彼の哲学を一言にして要約するものは「一つの表現は、生きた生活の文脈の中でのみ意味をもつ」という言葉である。
(マルコム『回想のウィトゲンシュタイン』)
それから一月あとに、私は戦争が"たいくつ"なものだと書き送ったが、その返事にこう書いてきた。
戦争が"たいくつ"だという点について、ひとこと言いたいことがある。もし子供が「学校がぜんぜん面白くない」と言ったら、誰でも「学校で教わることが、ちゃんとわかるなら、
学校はそんなつまらない所ではないはずだ」と言うだろう。失礼なことを言うようだが、この戦争の中に人間について学ぶことが山ほどあるように、僕には感じられるのだが……君が目をあけて観察すれば、また、深く考えれば考えるだけ、見るもの聞くものから沢山のことを引きだせるはずだ。
考えるということは、食物の消化と同じだ。この手紙がお説教調になっているなら、バカ者に免じて許してほしい。だけど、もし君があきあきしているなら、それは君の頭の消化力が減退していることになる、とやっぱり思わざるをえない。
(マルコム『回想のウィトゲンシュタイン』)
残念ながら、ニーチェは(私が考えている人物より優れているとはいえ)、大衆にショックを与えるようなことに主に専念していたようだ。彼は、効果というものを最も意識していないときに、最高の力を発揮する。
(ヴァイニンガー『性と性格』)
トルストイが物語のすじをはこぶときの方が、読者に向かって語りかけるときより、はるかに感銘を受ける。読者に背を向けているときが、もっとも面白い。彼の哲学が作品の表面に出ていないときが、もっとも真実味に富んでいるように僕には思われる。
(マルコム『回想のウィトゲンシュタイン』)
ウィトゲンシュタインは、神という考えは、人が自分自身の罪を自覚するときに、その人の心に存在する、という場合にかぎって、自分も分かるような気がすると、言ったことがある。そのとき、世界の創造者としての神という考えは理解できない、ともつけ加えて言った。神の審判・赦し・贖罪という考えは、
彼の心の中にあった自己嫌悪の気持や純粋さに対する強い憧れ、人間世界をよりよいものにしようとしながら、それを果たしえない無力感、といったものに繋がるものがある点では、彼にも相当に理解可能だったのではないかと思う。だが、世界を創造する存在という考えは、彼にはまったく理解できなかった。
ウィトゲンシュタインは、霊魂不滅というものは、人が自分には死ぬことによっても免かれえない義務があると感じることによって、意味のある言葉になるのだ、という風なことを言ったことがある。ウィトゲンシュタイン自身、強い義務感を持っている人だった。
(マルコム『回想のウィトゲンシュタイン』)
彼自身の性質と経験を通して、ウィトゲンシュタインは、審判と贖罪を行なう神という考えを理解できる素養を持ち合わせていた、と私は思う。けれども、創造とか永遠とか原因とか無限とかいう観念から生まれる宇宙論的な神という考えは、彼の性に合わないものであった。神が存在するというあかしとか、
宗教に合理的な説明を加えようとする試みなどというものには、彼はついて行けなかった。いちど私がキェルケゴールの「キリストが私を救ったことを私自身が知っているのに、キリストが存在しなかったとどうして考えられようか」といった意味の言葉を引いたとき、
ウィトゲンシュタインは「それ見たまえ。それは何かを証明するという次元の問題じゃないんだ!」と大声で言ったことがある。
(マルコム『回想のウィトゲンシュタイン』)
第一次世界大戦の宣戦布告がされるとウィトゲンシュタインは、ヘルニアがあったので兵役の義務は免れ得たにもかかわらず、直ちにオーストリア軍に一兵卒として志願した。1914年9月、彼は前線のとある本屋でトルストイの『簡約福音書』を発見した。その後「彼は砲火を浴びながらも始終それを携えていて
繰り返し繰り返し読んだ」。そして彼は、周りの兵士たちから「福音書の男」として知られるようになった。戦争が終わって間もなく、ウィトゲンシュタインがモンテ・カッシーノの捕虜収容所にいたとき、彼は収容所の或る同僚と一緒にドストエフスキーを読んだ。パラクによると、ウィトゲンシュタインを
ドストエフスキーに近づけたのは、ドストエフスキーの「深く宗教的な態度」だった。パラクの信ずるところ、ウィトゲンシュタインは戦争中に宗教的回心を経たのであり、そしてこのことが、彼が後に相続した莫大な遺産を全て放棄したことに或る役割を演じた。
(マルカム『ウィトゲンシュタインと宗教』1)
ドゥルーリーは、ケンブリッジでの最初の一年を学部学生として過ごした。そして、G・E・ムーアの講義に出席を始めた。ムーアは、最初の講義でこう言った、自分が講義するように要請されている主題の中には宗教哲学があるが、自分はこの主題については何も語らないであろう、
なぜなら、自分はこの主題については語るべき何物も持っていないから。ドゥルーリーは、哲学の教授たるものがこんなに重要な主題について何も語らないなどということに憤慨し、このことをウィトゲンシュタインに言った。これに対するウィトゲンシュタインの返答は、アウグスチヌスの『告白』からの、
次のような引用であった、「そして、なぜなら、それは正に、饒舌な人はただ無意味なことを沢山語っているだけなのであるから」。そしてウィトゲンシュタインは付け加えた、「私は、神について或いは宗教について、君に語ることを拒否しようとは思わない」
(マルカム『ウィトゲンシュタインと宗教』1)
1949年、ウィトゲンシュタインはドゥルーリーに言った、「私が教授の職を辞したとき、私はやっと虚栄心から解放されたと思った。私は今、私が書き得る手稿のスタイルについて成功していない、ということが分かった」。
二人が四福音書について比較していたとき、ウィトゲンシュタインは、彼が好きなのは「マタイによる福音書」である、と言った。そして彼は、共観福音書に比べて第四福音書を理解することは困難であると思う、と付け加えた。しかし彼は、さらにこう言った、
「もし君が、神が人間になった、という奇跡を受け入れることが出来るならば、そのような困難は全くなくなる。なぜならその時は、〈神が人間になった〉といった出来事の記録はどんな形をとるべきかについて、私は言うことが出来ないから」。
(マルカム『ウィトゲンシュタインと宗教』1)
二〇年代にラッセルが〈平和と自由のための世界機構〉のようなものを設立したり、そうしたものに参加しようとしたとき、ウィトゲンシュタインが厳しく非難したので、ラッセルは彼に言った。「それではあなたはむしろ戦争と奴隷制度のための世界機構を作りたいのだと受け取ります。」
それに対してウィトゲンシュタインは激情的になって同意した。「そうです。そのほうがましです、そのほうがましです!」
(レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン1』)
私はウィトゲンシュタインに、私の知人が国際連盟がなぜ失敗したかという論文を書いていると言った。
ウィトゲンシュタイン「なぜ狼が子羊を食べるのか、まずそれを調べろと言いなさい」
(ドゥルーリー ウィトゲンシュタインとの会話 1930年)
アンスコムは当時カフカの熱烈な賛美者であった。その感激を分かち与えようとして、彼女はウィトゲンシュタインにカフカの小説の何冊かを貸した。「この男は」、とウィトゲンシュタインは返却するさいに言った。「自分の苦労を書かずにたいへん苦労している。」
その比較として、彼はワイニンガーの『四つの最後の事柄』『性と性格』を薦めた。ワイニンガーは、たとえどんなに欠点があるとしても、自分の苦労について実際に書いた人間である、と彼は言った。
(レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン2』)
ルートウィヒは一度、ブルクリング沿いのフォルクスガルテン・カフェで、自分の見方を兄に説明しようとしたことがある。彼はできるかぎり気を配りながら、パウルのピアノ演奏を俳優の芝居の演じ方にたとえて話を始めた。
彼によれば、優れた俳優のなかにも芝居の台本を一種の踏み台と見なし、それをもとに俳優自身の人格の一面を観客に見せようとするタイプがある。そしてパウルの演奏も、自我があまりにも強く音楽作品に入り込んでいる(と少なくとも彼には思える)ことで損なわれてしまっているという。
「兄さんは音楽作品の陰に隠れることを望まず、音楽作品に自分自身を表現したがっているように思う。作品が自ら語るのを聴きたいのであれば(僕はたいていそうだが)、兄さんの演奏を聴こうとは思わない」。
(アレグザンダー・ウォー『ウィトゲンシュタイン家の人びと ──闘う家族』)
クラウスが文芸論説欄と闘ったのと同じ仕方で、ロースは設計の領域で、応用美術という考え方と闘った。文芸論説欄の場合と同様に、応用美術という概念そのものが名辞矛盾を含んでいた。応用美術家の製品は、よりいっそう実用的な工芸品でもなければ、機能的な工芸品でもなく、ひどく飾りの凝った
家庭用品にすぎなかった。装飾は、ありとあらゆるものに、つまり、ビールコップからドアノブにいたるまで、「応用」された。ロースがここに見たものは、事実とファンタジーの混合であり、このことは双方にとってきわめて有害である。
(S.トゥールミン+A.ジャニク『ウィトゲンシュタインのウィーン』)
ロース、シュペングラー、フロイト、そして私、これら全員はこの時代に特徴的な同一のグループに属している。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.9)
エンゲルマンがいうには、『論考』はきわめてウィーン的な文化の産物である。哲学に対するウィトゲンシュタインの関係は、文学に対するクラウスの関係や美術および建築に対するロースの関係と同じであった。今では、こういういい方が、どれほど事態を精確に特色づけているかを理解できる。
合理主義的倫理学と形而上学がウィトゲンシュタインに映じた姿は、文芸論説欄がクラウスに映じたものと同じである。それは概念の怪物であり、これは、本質的に異なったものをごちゃまぜにするだけである。
(S.トゥールミン+A.ジャニク『ウィトゲンシュタインのウィーン』)
「われわれは、時折、他人の書斎へ行き、本や論文がそこいら中に散らかっているのを見て、ためらわずに、〈何と散らかっていること、本当に、この部屋は片付けなくちゃならない〉ということがある。
けれども、別の時には、これと同じような部屋に入って、ぐるっと見回した後で、このままにしておかなくてはいけない、と決心することもある。この場合には、ほこりでさえもその占めるべき場所があるのだ、ということを悟るのである」
(S.トゥールミン+A.ジャニク『ウィトゲンシュタインのウィーン』)
ポパーからみて現実の問題は、わたしたちがどう支配されるか、社会がどう構成されるかである。これは帰納法や無限概念におとらず、哲学者がとりくむにふさわしい問題だろう。じっさい、それがかつてないほどさしせまった問題になっていたのはあきらかである。
ポパーがウィトゲンシュタインを嫌った理由のひとつはそこにある。現実世界の焦点課題、すくなくとも哲学者が役にたち、とくべつな貢献ができるはずのテーマに、ウィトゲンシュタインは関心をもたないようにみえた。そのことに、ポパーは軽蔑の念をいだいたのである。
『開かれた社会とその敵』を絶賛したラッセルは、ポパーよりさらに政治的な人間だった。哲学者は象牙の塔から街にでて、現代の問題を論ずるべきだとかれも考えていた。
(『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎』)
彼はウィトゲンシュタインが繰りだす警句をとても気にいっていた。例えば、世界を変えられると信じているポパーのような哲学者を評して「ケツより高くクソをしようとするな」と言ってのけるやりかたである。
(『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎』)
これまでの考えでは──たとえば西洋の(大)哲学者たちの考えでは──、学問には二種類の問題があったという。本質的で、普遍的な大問題と、本質的でない、いわば偶然の問題である。だが、我々の考えはちがう。学問には、本質的な大問題など存在しないのだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1931)
われわれは哲学史を哲学の最もまじめな最後の主題と認める。
(シュペングラー『西洋の没落』緒論15)
ポパー「ウィトゲンシュタインとその一派は、予備的なことがらをとらえて、それが哲学だといいはっている。その予備的な考察の外にでて、もっと重要な哲学の問題を考察しようとしない」
ウィトゲンシュタイン「純粋数学や社会学にしか、もはや〈問題〉などというものはない」
私の書物〔論理哲学論考〕はふたつの部分から成っています。ひとつはここに展開されているものであり、もうひとつは、私が書かなかったものです。そして、重要な部分はまさにこの第二の部分なのです。
私の書物は、いわば内側から倫理的領域の境界を引いているのであり、また私は、それがそうした境界を引く唯一の厳密な仕方であると確信しています。要するに、私がこの書物で取り組もうとしたのは次のようなことだと思います。
つまり、今日多くのひとがおしゃべりしている事柄については沈黙することによって、そうした事柄のすべてをそれにふさわしい場所に置くことでした。
(ウィトゲンシュタイン フィッカー宛の手紙 1919.11)
ウィトゲンシュタインの場合、たいていは美学的方面から見ていくのが最もわかりやすい。彼の行う価値評価がいつも変わらなかったわけではない。その頃の彼はハイドンをベートーヴェンと肩を並べるものと見、そうは言いながらもこの二人よりはバッハを愛していた。その後ベートーヴェン、ないしは
シューベルトがすべてといった時期がやってくる。作曲家の追究は一度に一人と限らなければならないかのようである。彼のヴァーグナー音楽批判の弁を読み込んでみることができそうである。そこで彼は、ある言語から別の言語へ一語一語翻訳することはできないと言っている。これは文学的目標、すなわち
伝えたい言説を、ヴァーグナーははあまりにも機械的に音楽に移している、と言っているように思われる。そして彼は若者らしい『マイスタージンガー』熱から離反し、非表現的な芸術、すなわち何を言うかではなくどのように言うかを重視する芸術へと向かった。
(マクギネス『ウィトゲンシュタイン評伝』)
彼がクラウスのどんな点を好ましく思っていたかは、まったく明瞭である。それは、またもや、文体と人物なのである。風刺、道徳的に卑しい態度の摘発、冷笑などが、文学的というよりむしろ倫理的と言うべき言語使用と言語批判によって表現される。
ルートヴィヒは、相手の言葉をひとまずそのままに受けとめ、たった一つの無分別な文からその者の道徳的性格全体を読み取るというクラウスの習性を終生持ち続けた。
(マクギネス『ウィトゲンシュタイン評伝』)
ニーチェ
僕はもう相当いろいろなことを経験しました。嬉しいことと悲しいこと、晴れ晴れすることと憂鬱なこと。しかしいつの場合でも神様は父親がかよわい子供を導くように僕をちゃんと導いて下さいました。すでに神様は僕をずいぶんつらい目にあわせました。でも僕はいつの場合でも、万事をうまくおさめて
痛みを切り抜けて行くように導いて下さる神様の神々しい力がそこにはたらいていることがわかります。僕はしっかりと心に誓いました、永久に神様に奉仕するために一身を捧げようと。主よ、僕のこの志に力と強さとをお恵み下さい、そして生涯を通じて僕をお守り下さい。子供のように僕は神様の恩寵に
おすがりします。そうすれば、どんな災いも僕たちを困らせないようにと神様は僕たちみんなを守って下さるでしょう。でも、神様、どうかあなたの聖なる御心のままになさって下さい! 神様が与えて下さるものはなんでも僕は喜んでお受けします。幸福も不幸も、貧乏も裕福も。
いや、死をさえも勇敢に直視します。死が僕たちみんなをいつか一つに結んで、永遠の法悦と浄福とに導いてくれるのですから。まことに、主よ、あなたのかんばせをとこしえにわれらの上に輝かせたまえ! アーメン!!
(ニーチェ 自伝集 1856年の記録 僕の略歴 回顧)
僕たちがひとりの人間の生活を観察して、それを正しく評価しようとする場合に、大いに参考になるのは、偶然的なできごと、幸運の贈り物、からみ合った外的諸事情が生み出す変転常ならぬ外面的な運、不運、などではありません。そういうものがまず最初に目にとまるものですが、
それは景色を見る時山の頂が一番最初に目にとまるのと同じでしかないのです。むしろ無視せざるをえないと思われるほどの些細な体験とか心の動きとかの方が、寄せ集めて全体にすると、じつは最も明瞭に個人的性格を示すものなのです。
それらはその人の本性から有機的に生じたものだからです。それに反して、外面的なできごとというのは単に無機的にその人にくっついているだけなのです。
(ニーチェ 自伝集 僕の生い立ち 1863年)
プラトンが言っているのは、ひとり知者にとってのみ、著作は想起の手段としてその意義を持つ、ということである。それゆえに彼によれば、完璧な著作は口頭での教授形式を模倣すべきで、それは、こうすることによって、知者がどのようにして知者となったか、を想起することを目的としているのである。
著作は、「彼自身および彼の哲学の仲間たちにとっては、想起手段の宝庫」ということになろう。
だがシュライエルマッハーによれば、著作は、"無知なる者を"知へ導く"次善の策"、ということになる。つまり著作の全体には、著作独自の、共通した教育および教導の目的がある、というのである。
だがプラトンによれば、著作には、一般に、教育および教導の意図というものはない。それはただ、これまでに教導された者や教育を受けた者にとって、想起の目的を持っているにすぎない。
(ニーチェ『プラトン対話篇研究序説』第1章第1節)
学識者が、確かに自己の専門領域においては民衆の上に立っているとしても、それ以外のすべての点では、つまり、すべての主要事象においては、彼は、何と言っても民衆に属しているのです。このように排他的な専門学識者というものは、こうなると、一生涯を通じて、或る一定の道具とか機械とかのための、
或る一定のねじとか把手とかの他には何も作らない工場労働者に似て来ます、勿論その場合彼は、その範囲内では、信じ難いような熟練を身につけてはいるのですが。このような痛ましい事実にも、光栄が充ちた思想の外套を被せることを心得ているドイツでは、われわれの学識者たちの狭苦しい専門家気質や、
ますます進行してゆく彼らの正しい教養からの逸脱さえも、人倫的な現象として感歎するほどなのです。〈瑣末なものにおける忠実〉や、〈車挽きの忠実〉が華麗なお題目となり、専門領域以外の無教養が、高貴な寡欲の印として誇示されているのです。
(ニーチェ『われわれの教養施設の将来について』第1構)
人は、言葉というものが如何に困難なものであるかを、自ら経験によって知らねばならない、人は、永い探究と努力の後に、わしらの偉大なる詩人たちが歩んだ軌道の上に到達し、その結果、如何に彼らが軽ろやかにまた見事にその上を歩んで行ったか、そして如何にほかの者たちが無器用にあるいは気取って
その後からくっついて行っているということを、追感しなければならないのだ。
このような訓練を経て初めて、若者は、現代の新聞工場労働者や小説書きたちの文体のあんなに人気があって名声嘖々たる〈優雅さ〉や、現代の文士連中の〈選り抜きの用語法〉などに対して、生理的な嘔吐感を催すようになり、
例えばアウエルバッハとかあるいはグツコーとかは本当に詩人であるかどうかというような、実に滑指な疑問や狐疑の系列全部を、一挙にまた決定的に超出するようになるのである。端的に言って、そんなものを読むことはもうできないのである。
(ニーチェ『われわれの教養施設の将来について』第2講)
ところが、わしには、現今の教師たちは、あまりにも発生的にまた歴史的に、生徒たちに接するように思われるので、だから結局はせいぜいのところまたも小型のサンスクリット学者か、語源研究を仕込まれた性急者か、原典判読の道楽者かが、そこから出て来るだけで、しかし彼らのうちの誰一人として、
わしたち老人のように、自分の愉しみのために、自分のプラトン、自分のタキトゥスを読むことはできないのだ。こういうわけで、ギムナジウムは、今日でもなお学識の養成所には違いなかろうが、しかしそれは、いわば最も高貴な目標を目指す教養の
自然的な巧まざる副作用であるにすぎない"ようなあの"学識の養成所ではなく、むしろ、不健康な身体の肥大症的な膨脹に比較すべきようなあの学識の養成所なのだ。こうした学識ある脂肪過多症のための養成所に、ギムナジウムはなっているのだ。
(ニーチェ『われわれの教養施設の将来について』第3講)
他の人々は、早くから、それとは別の真理を学ばねばならないのだ。すなわち、自然を制圧してゆく方法を学ばねばならないのだ。ここでは、あの素朴な形而上学は、おしまいになる。そして植物と動物の生理学や、地質学や、無機化学などが、その帰依者たちをして、自然の全く別種の見方へと強制するのだ。
この新しい強制された見方によって失われて行ったものは、決して詩的幻影などではなく、本能的な真実の唯一の自然理解なのだ。その代わりに、今や、自然に対する怜悧な計算と策略が、登場しているのだ。こういうわけで、真に教養ある者に授けられているものは、何の断絶もなしに幼少期の瞑想的な本能に
依然として忠実であることができ、しかもそれによって、平安や統一に、連関と階調に到達してゆくという、測り知れない宝なのであるが、これらのものは、生存競争のために育てあげられた者には、予感することさえできないものなのだ。
(ニーチェ『われわれの教養施設の将来について』第4講)
その道程の最後に一つの官職とか生業を見込んでいるようなあらゆる教育は、わしたちの解するような教養のための教育ではなくて、どの道を採れば生存競争において自分の主体を救い護り得るかという指教にすぎない。勿論、こうした指教は、大部分の人間にとっては、第一の最も身近な重要性をもっている。
そして闘争が困難であればあるほど、それだけ多く若い人は学ばねばならず、それだけ一層緊張して自分の力を動かさねばならないだろう。
だが、こういう闘争のために刺戟を与え能力を授けてくれる施設が、教養施設として考慮され得るなどとは、どうか誰も信じないようにしてほしいと思う。たといそれが
官吏や商人や士官や大商人や地主や医者や技術家を造り上げるとしても、それは、生活上の困窮を克服するための制度なのである。こういう制度には、しかし、ともかく、教養施設の設立のためのとは別種の法則や規準が妥当するのだ。
(ニーチェ『われわれの教養施設の将来について』第4講)
堕落した教養人というのは、一つの重大な問題だ。そして、わしらの学者社会とジャーナリズム社会の全体がこの堕落の徴候を帯びていることを考察すると、わしたちは恐ろしい感じを受ける。わが学識者連中が倦むことなくジャーナリズムの民衆誘惑の作品を傍観したりあるいは手伝いさえしているとき、
一体これよりほかにどう彼らを評価しようというのか、つまり、ジャーナリストにとって小説製作がそうであるのと似たようなもの、つまり、自己自身からの逃避、自分たちの教養衝動の禁欲的殺戮、個体の自暴自棄的な絶滅といったものを、学識者に対してその学識が意味しているかもしれないということを
仮定するのでなければ、ほかにどうだというのだ。現代の堕落した文学的芸術からもまた現代の学識者連中の馬鹿げたほどに膨れ上がってゆく著作製造からも、同じような溜息が、迸り出て来ているのだ。我々自身を忘れ去ることができたならば! と。
(ニーチェ『われわれの教養施設の将来について』第5講)
実科学校とギムナジウムとが、その現在の目標の点では、完全にかくも一致し、ただかくも微細な線においてだけ互いに相違するのみで、したがって、国家の法廷の前では完全な同権を当てにすることができるほどであるということが、真実であるとするならば、──当然、わしらには、教育施設の一種類が、
完全に欠如していることになるだろう。つまり教養施設という種類が、である! これは、実科学校に対する非難などでは決してない、実科学校は、ずっと低次ではあるがしかし極めて必須の諸傾向を、これまで、誠実にまた首尾よく追求して来ている。
(ニーチェ『われわれの教養施設の将来について』第4講)
大学は、〔教養施設ではなく〕学識者の施設として、専門制度に改めらるべきである。
古典的教育は、そもそも、比較的少数の者に対してのみ、実りあるものであるにすぎない。
「実科学校」なるものは、実にしっかりした核心をもっている。誰も、教養に向かうよう強制さるべきではない。
教養に向かうべく決意するには、ひとは"もっと年を取って"いなくてはならない。
専門学校から発して、"教養"へと決意しなければならない。
専門学校の教師たちは、(教養期を経過した後で)専門へと戻って行った、学問上の"巨匠"である。
(ニーチェ『われわれの教養施設の将来について』草案1)
ギムナジウム故の教養要求は、"虚偽"である。無理強いされた大衆が、それを完全に堕落させたのだ。根源的にはそれは、何と言っても学識者の学校にすぎない。しかし教養の学校ではないのだ。
学識と教養とは相互に連関のないものである。
学問は、決して"大衆向きにされ"得ないのだ。何故なら、
"大衆向きの証明"というようなものは存在しないからである。したがって存在するものは、ただ、学問上の成果についての報告と、一般的な利益に対するその結果だけである。
「普遍的な」教養というものは、それ自身例外的である「教養」というものを格下げにしてしまう。ジャーナリストは一つの必然的な
反動である。いわゆる普遍的な教養の誕生──。「普遍的な教養を身につけた卑俗な人間。」
「普遍的な教養」への努力に反対。むしろ、真の深い稀有な教養を求めること、したがって、教養の"狭隘化"と集中化とを求めること。ジャーナリストに対する対抗として。
今日、学問の分業および専門学校は、
教養の狭隘化へと導いてゆく。ともかく現在までのところ、教養は、ただ"一層劣悪に"なっただけである。仕上げの済んだ人間は異常である。工場は支配する。人間はねじになっている。──教養の普遍化の主要動機は、宗教的圧迫に対する恐怖である。
(ニーチェ『われわれの教養施設の将来について』草案1)
普遍的な教養は、共産主義の前段階にすぎない。教養は、この道程においては、極めて弱体化されるので、その結果、何らの特権ももはや授け得ないものとなる。普遍的教養は、共産主義を防ぐ手段では決してない。最も普通的な教養、つまり野蛮というものが、まさしく共産主義の前提なのである。
「時代に適った」教養は、ここでは「瞬間に適った」教養という極端へと移行してゆく。すなわち、瞬間的な利益の粗っぽい把握にである。教養の中にただ何よりも、利益をもたらすものさえ見つけられればいいのである。そうすれば直ぐに、ひとは利益をもたらすものを教養と混同するようになるだろう。
普遍的な教養は、真の教養に対する憎悪に移行してゆく。諸民族の課題は、もはや文化ではない。しからずして、贅沢、流行である。何らの欲求をもたないことは民衆にとって最大の不幸だと、ラサールは説明した。そこで労働者の教養組合が出て来る。
(ニーチェ『われわれの教養施設の将来について』草案3)
私が何ほどかの期待を抱いている読者は、三つの特質をもっていなくてはならない。彼は落ち着いていて、慌てずに読まなくてはならない。彼は自分自身と自分の「教養」とを、終始間に差し挟むことのない人でなくてはならない。最後に彼は、結末において、何か成果として新しい表でも示されるものと
期待してはならない。学校のための表とか新しい時間割などを、私は約束しない、むしろ、経験の深みから出発して本来的な文化問題の高みにまで辿りつきまたそこから再び下って、無味乾燥極まりない服務規定やこの上なく小綺麗な表の類いの低地にまで到る全道程を、全部歩みぬくことのできるような人々の
精力絶倫とも言うべき素質に、私は驚歎している。私は、喘ぎながらもかなりの山に登攀して、その上からやや自由な眺望を楽しむことが許されるならばそれで満足なのであって、だから私は、表の愛好者には決して満足を与えることはできないだろう。
(ニーチェ『われわれの教養施設の将来について』序言)
教養ある人間とは、今日では、とりわけ、"歴史的知識によって"教育された者である。彼が崇高なるものの領野から身を護っているのは、まさにこの歴史的意識によってなのである。歴史的生起が呼び起こす感激というようなものではなく、まさにあらゆる感激を鈍磨させることこそが、
今日これらの讃美者たちが、一切のものを歴史的知識によって把握しようとするときの目標なのである。だがしかし、彼らには、次のように呼びかけてやらねばならぬのではなかろうか。「君たちは、あらゆる世紀の馬鹿者なのだ! 歴史的生起は、君たちにふさわしいような告白しか、
してくれぬだろう。世界は、あらゆる時代を通じて、ありふれた陳腐な事々や、瑣末なくだらぬ事々で、一杯だったのだ。君たちの歴史的知識への渇望に対しては、まさにただこれらの事々が、そしてただこれらの事々のみが、明らかとなって来るだけなのだ。君たちは、何千回となく、
或る一時代に対して食指を動かして、襲いかかることができる、──だが、君たちは、その前と同様その後でも、依然として、満ち足りず空腹を感じるだろうし、直きに空腹を感じる君たち特有の健康さを自慢してもいいだろう。
(ニーチェ『ショーペンハウアー哲学とドイツ文化との関係』序言)
今や、周知の如くいとも文明化されたドイツ人の間では、「"教養ある人々"」が、そして、これまた周知の如くいとも非文明的なドイツ人の間では、「"俗物ども" 」が、互いに、公に、握手をかわし、相互に協定を結んで、前者の「教養」からあまりにも遠く離れたりせずまた後者の「安逸さ」にあまりにも
近づいたりしないようにするために、将来世間のひとびとは、どのように、物を書き、詩歌を作り、絵を描き、音楽をものし、そして哲学的思索さえをも、いな、政治的な統治までをもしなければならないかを、取り決めているのである。
(ニーチェ『ショーペンハウアー哲学とドイツ文化との関係』序言)
ところで、この、自らを歴史的知識だと自称している、感激の心をもっていない教養や、あらゆる偉大なものに対して毒づくところの俗物の活動などに、かてて加えて、更に、かの第三の粗野で興奮した仲間が──「幸福」を 目指して模索しているところの仲間どもが──合流して来るときには、
つまるところ、それは、実に紛糾し切った喧噪と、四肢も脱臼するばかりの混乱雑踏を生み出すことになるわけで、かくては、思想家は、耳を塞ぎ、眼を閉じて、孤独この上なき荒野へと、身を避け遁れ行くのである、──
(ニーチェ『ショーペンハウアー哲学とドイツ文化との関係』序言)
さて私は、文献学者の成立を問い、こう主張する。
①年若い人間は、ギリシア人やローマ人たちが何者であるかを、全然知ることができない、
②彼は、自分が彼らの研究に適合しているのかどうかを、知ってはいない、
③ましてや彼は、自分がこうした知識によって"教師"となることにどの程度まで適合しているのだろうかというようなことを、知ってはいない。それ故、彼を規定しているものは、自己および自己の学問への洞察ではなく、
(a)模倣であり、
(b)自分が学校時代にやっていたことを続けてやれることから来る、便利さであり、
(c)次第々々には、また、生計の資を得ようという意図、などである。
思うに、百人中九十九人の文献学者が、何らの文献学者でもない"であろう"。
(ニーチェ『「われら文献学者」をめぐる考察』2)
人間が個体であるのは、ただ三つの実存形式においてのみなのである、すなわち、哲学者として、聖者として、芸術家として、である。学問的な人間が何によって自己の生活を打ち殺しているかを、まあ見てみるがよい。ギリシア語の不変化詞論と、人生の意義とどんな関係があるであろうか?
──かくしてわれわれは、ここでも、如何に無数の人間が、本来はただ、真の人間の準備として生きているにすぎないかを、見るのである。例えば、文献学者たちは、哲学者の準備として生きているのであり、哲学者は、彼らの蟻に似た仕事を利用する術を心得ていて、
遂には"人生の価値"について言表をなすのである。言うまでもなく、"指導するもの"がないならば、あの蟻に似た仕事の"最大の"部分は、全く、"無意味"であり、余計なものになるであろう。
(ニーチェ『「われら文献学者」をめぐる考察』9)
"虚栄心"というものは、自分が個体でないにもかかわらず、自分を個体に見せようとする知らず識らずの傾向性である。すなわち、自分が独立的でないにもかかわらず、独立的であるかのように見せようとするものである。
智慧というものは、これとは逆のものである。つまりそれは、独立的であるにもかかわらず、自分を独立的でないかのように見せるのである。
(ニーチェ『「われら文献学者」をめぐる考察』13)
人間! ──最も謙虚な人間が自己を自然と世界のなかで「人間」と感じることにおいて持つ虚栄心に比較すれば、最も虚栄的な人間のもつ虚栄心なぞ何でありえよう!
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部304)
文献学者の古代に対する態度は、"弁解がましかったり"、あるいは、現代が高く評価するものを古代の中に指示しようとする意図で入れ智慧されたりしている。正しい出発点は、その逆なのである。すなわち、現代が顛倒したものであることを洞察することから出発し、後を振り返って見るということである、
そのとき、古代に見られる多くの極めて不快な事柄は、意味深長な必然性として現われて来るだろう。
古代を擁護したりその体裁をつくろったりしたら、我々は大変ばかげたものに見えることを、はっきり心得ておくべきである。我々は何たる者なのだろう!
(ニーチェ『「われら文献学者」をめぐる考察』15)
俗物はひとを諌めて思い止まらせることにかけてはこのように雄弁であることを示すが、その場合に、彼の言うことを聴き、その諌めを容れてくれる芸術家に感謝する。彼はかかる芸術家に次のようにほのめかす、世人は君をもっと気楽に、もっと呑気に取り扱いたいのであり、
真の心の友である君に対して崇高な傑作を要求しているのでは全然なく、ただ二つのことを、すなわち、牧歌や穏やかな滑稽味のある詩において猿真似なほどに現実を模倣することか、あるいは、現代の趣味を外聞を憚るほどの寛大さをもって取り扱いながら、
古典的作家の最も定評のある、最も有名な作品を自由に複写すること、この二つだけを要求しているのである、と。つまり、俗物は亜流的な模倣かあるいは現存するものの肖像画的な実物そっくりの描写だけを尊重するのであるが、これは、後者が彼自身を礼讃し、「現実的なもの」の愉しみを増大し、
前者が彼をそこなわぬどころか、古典的な趣味の審判者としての彼の名声を促進し、これ以外の点では、彼が既に古典的作家ときっぱりと話をつけてしまっているので、彼に何も新しい苦労をかけはしないことを知っているからである。
(ニーチェ『ダーヴィト・シュトラウス、告白者と著述家』2)
そうだ、一般に極くわずかの人々においてしかカントが生き生きと食い込み、血液および体液を改造しなかったかのように私には思われる。なるほど、この冷静な学者の事業以来すべての精神的領域において革命が勃発した、と到る所に書かれてはいるが、しかし私はそのようなことを信じえない。というのは、
どのような領域であれその全体が革命される以前にまずもって革命されねばならぬものは人間自身であるが、私はこの人間においてそのようなことをはっきりと観察しえないからである。しかしもしもカントが通俗的影響を及ぼし始めたとすれば、我々は直ちにこの影響を、腐蝕し粉々に砕く懐疑主義と相対主義
という形式において認めるであろう。ただ懐疑に我慢し切れなかった最も活動的な最も高貴な精神の持ち主においてのみ懐疑の代わりに、例えばクライストがカント哲学の影響として体験したような、すべての真理に対する衝撃と絶望が現われるであろう。
(ニーチェ『教育者としてのショーペンハウアー』3)
クライストは彼の感動的なやり方で次のように書いている。「少し前に私はカントの哲学を知りました──私はあなたに今そこから一つの思想をお伝えします、これが私同様にあなたを深く、痛々しく揺り動かしはしないかと気遣わずに、お伝えしなくてはなりません。──私たちが真理と呼んでいるものが
真実に真理であるのか、それとも私たちにただそう見えるだけなのか、私たちはこれを決めることができません。後者ならば、私たちがここに集めた真理は死後にはもうありません。そして、私達に墓場のなかにまでつき随ってくる所有物を獲得しようとするすべての努力はむなしいものです。
──この思想の先端があなたの心臓に当たらなくても、それによって最も神聖な内なるものにおいて深く傷つけられたと感じている他人を笑わないで下さい。私の唯一の、私の最高の目標は沈んでしまいました、私はもうなに一つ目標をもっていません。」
そうだ、いつになったら再び人々はこのようにクライスト的 - 自然的に感覚するようになるだろうか、いったいいつになったら再び人々は哲学というものの意味を彼らの「最も神聖な内なるもの」によって測ることを学ぶだろうか?
(ニーチェ『教育者としてのショーペンハウアー』3)
しかるに極めて聡明な頭脳の人々でさえも、絵を画くのに用いられている絵具や生地をの上なく密に研究すれば、人生の解釈に一層近づけるという謬見から解放されていない。おそらくこういう研究は、その絵は全く複雑に絞られたカンヴァスであり、この上に塗られた絵具は化学的には測り難いものである、
という成果を得るであろう。絵を理解するためには画家の意中が忖度されなくてはならぬ──ショーペンハウアーはこのことを知っていた。ところがすべての学問の組合全体は絵ではなくあのカンヴァスと絵具を理解することを目ざしている。そうだ、生と生存の普遍的絵画にしっかりと注目した者だけが
自己を害さずに個々の学問を利用するであろう、と言うことができるのだ。というのは、かかる統制的全体像がなければ、個々の学間は、どこまで行っても終わりがなく、われわれの人生行路をなお一層混乱させ、迷路に陥れるだけの糸だからである。先に言ったように、ショーペンハウアーの偉大さは、
ハムレットが亡霊を追うようにあの画像を追った点にあり、したがって学者たちのするように自己を退去させることもなく、あるいは無拘束な弁証法論者の運命がそうであるように概念の煩瑣哲学によって紡ぎ尽くされることもなかった点にある。
(ニーチェ『教育者としてのショーペンハウアー』3)
すべての四分の一哲学者の研究に興味があるのは、次の事だけを認識するためである、すなわち、彼らが偉大な哲学の構造のうちで、学者的な賛成と反対が許され、穿鑿し疑い抗言することが許されている箇所に直ちに入り込み、そのためにあらゆる偉大な哲学の要求を見落としていることを認識するためだが、
偉大な哲学は全体としてはいつもただ、これこそすべての生の画像である、そこから汝の生の意味を学べ、とだけその要求を述べている。逆にして言えば、ただ汝の生を読め、そこから普遍的生の難解な象形文字を理解せよ、となる。ショーペンハウアーの哲学もいつもまずこのように解釈されなくてはならぬ。
要するに、個人によってただ自己自身のために、自身の悲惨と欲求との洞察を、自身の制限性の洞察を得るために、解毒剤と慰めを識るために、自我を犠牲に捧げる事、最も高貴な意図、正義と憐憫の意図に服従する事を識るために解釈されなくてはならぬ。
(ニーチェ『教育者としてのショーペンハウアー』3)
忌憚なきイギリス人バジョットが現今の体系建設家たちについて次のように言うとき、誰しもこれに賛成するであろう。「彼らの諸前提は真理と誤謬の不可思議な混合を含んでおり、帰結を熟考しても徒労であると前もって確信していない者があるだろうか? これらの体系の完結したものは青年を引きつけ、
未経験者に感銘を与えるかもしれないが、既に出来上がった人々はそれによって眼を眩まされない。これらの人々は暗示や臆測を好意的に受け入れるようにいつも用意しており、どんな小さな真理でも歓迎するが、しかし演繹哲学の充満した大きな書物は猜疑の念を惹き起こす。無数の実証されない抽象的原理が
多血質の人間によって性急に集められ、それでもって全世界を説明するために書物と学説の形で念入りに長たらしくされている。しかし世間はこれらの抽象物を気にしないし、気にせずとも不思議ではない。これらの抽象物は相互に矛盾しているからだ。」
(ニーチェ『教育者としてのショーペンハウアー』8)
我々は、この夢の現実という最高の生においてすら、なおそれが"仮象"であるという感をおぼろげながら抱く。すくなくともこれは私の経験であるが、その頻繁なこと、否、正常なことに関しては、私は多くの証拠や詩人の言葉をつけ加えることができよう。哲学的な人間はこんな予感をすら抱く。すなわち、
我々が生きかつ存在しているこの現実の下にも、第二のまったく異なった現実が隠されており、したがってこの現実もまた仮象である、というのである。ショーペンハウアーは、人間やいっさいの事物をときどき単なる幻影あるいは夢像のように考える天分を、哲学的能力のしるしであると言っているが、
そうしてみると、芸術的な感性に富んだ人間は、ちょうど哲学者が実在の現実に対すると同じ態度で、夢の現実に対することになる。彼は正確に見、また見ることを好む。なぜならば、これらの像から彼は人生を解明し、これらの成行きによって生に対する訓練をうけるからである。
(ニーチェ『悲劇の誕生』1)
弁証法の本質の中に"楽天主義的"要素のあることを見のがすものがあるであろうか。一つの結論がでるたびにそれを祝い、かつ冷たい明るさと意識との中でしか呼吸できない、といった楽天主義。この楽天主義的要素は、ひとたび悲劇の内部に侵入すれば、そのディオニュソス的領域をしだいに蚕食し、
必然的に悲劇を自滅に──市民劇への決死の飛躍にまでも──駆り立てざるを得ないのである。あのソクラテスの命題の帰結を考えさえすればいい。「徳は知なり。罪はただ無知よりのみ起こる。徳あるものは幸あるものなり」と。これら楽天主義のこの三根本形式の中に、悲劇の死がある。なぜならば、今や
有徳な主人公は弁証家でなければならず、今や徳と知、信仰と道徳との間に必然的な可能的な紐帯がなければならず、今やアイスキュロスにおける先験的な正義の大団円は、あの月並な機械仕掛の神を伴った「詩的正義」という、平板にして厚顔な原理に転落せしめられるからだ。
(ニーチェ『悲劇の誕生』14)
こうした指導的地位の尊厳をソクラテスに対しても認めるためには、彼の中に彼以前にはかつて聞いたことのない存在形式の典型を認識すれば十分である。それはすなわち、理論的人間の典型である。この理論的人間の意義と目標とを洞察することが、われわれの当面の課題となる。
理論的な人間もまた、芸術家と同様、現前のものを限りなく楽しむ。そしてまた芸術家と同様、この満足によって、厭世主義の実践倫理および厭世主義の暗黒の中でのみ輝くリュンケウスの〔鋭い視力の〕眼から護られている。すなわち芸術家は、真理の外被を剥がすたびごとに、いつも恍惚たる眼差をもって、
外被を剥がしたのちもなお依然として外被であるものにのみ執着する。それに対して、理論的人間は投げ棄てられた外被に喜びと満足とを感ずる。そして、彼の愉悦の最高目標は、彼自身の力によって行われかつ常に成功する外被剥奪の過程のなかにあるのである。
(ニーチェ『悲劇の誕生』15)
もっとも正直な理論的人間であるレッシングは、自分にとっては真理そのものよりも真理の探究のほうが問題なのだ、とあえて言明した。そしてこの言葉によって科学の根本的な秘密が露呈され、科学者たちの驚愕、否、憤激をまきおこしたのであった。さて過度の驕慢ではないとすれば過度の正直である、
この孤立した認識に対して、ソクラテスにおいて世にはじめて現われた、一つの意味深遠な"妄想"が並立するのは、もちろんである。──思惟は因果律という導きの糸をたぐって、存在のもっとも深い深淵の中にまで到達し、かつ思惟は存在を単に認識するばかりでなく、さらにそれを"修正"することもできる、
というあの不動の信念である。この崇高な形而上学的妄想は、本能として科学にそえられており、かつ科学を幾度もくり返しくり返しその限界に導く。そしてこの限界において、科学は"芸術"に変化せざるを得ない。元来、この機構において目指すところは芸術だったのである。
(ニーチェ『悲劇の誕生』15)
この実践的厭世主義からみれば、ソクラテスは理論的楽天家の原像である。この楽天家は、事物の本性を究め得るという前述の信念をいただいて、知識と認識とに万能薬の力を認め、過誤を悪そのものと考える。あの事物の根底の中に侵入し、真の認識を仮象と過誤とから区別するのが、ソクラテス的人間には、
もっとも高貴な使命、否、真に人間的な唯一の使命であると思われた。それは、概念・判断・推論というあの機構が、ソクラテス以後、自然の最高の活動でありもっとも賛嘆に値する贈物として、他のあらゆる能力よりも高く評価されたのと同様である。同情とか犠牲とか英雄的行為とかの振作というもっとも
崇高な道徳行為、およびアポロ的ギリシア人が慎重と呼んだあの到達しがたい魂の静けさすら、ソクラテスや彼と考えを同じくする後継者たちによって、現代にいたるまで、知識の弁証法から演繹され、したがって教え得るものと考えられた。ソクラテス的認識の喜びを自分の身に経験した人、そして、
それがますますその範囲を拡大しながら現象の世界全体を包括しようとしているのを感ずる人は、このときからというもの、あの征服を完成して入りこむ隙もないように綱をしっかり張ろうという、あの欲望以上に激しく生存へ駆りたてる刺戟を知らなくなるであろう。
(ニーチェ『悲劇の誕生』15)
さて、しかしながら、科学はその強力な妄念に駆りたてられて、まっしぐらにその限界まで急ぐ。そしてそこで、論理の本質の中に隠されていたその楽天主義は難破する。なぜならば、科学という円の周は無限に多くの点をもつからである。
そして、この円がどうすればいつか完全に測定され得るかが、まだまったく見きわめられていないのに、高貴で天分ある人間は、生涯の半ばに達しないうちに、不可避的に周のこの限界点に突き当たり、そこで解明しがたいものを凝視するのである。
論理がこれらの限界において自分自身の周囲をぐるぐると旋回し、そしてついには自分の尾に噛みつくのを、彼がここで見て驚くとき──そのとき認識の新しい形式、"悲劇的認識"が出現する。それは、ただ単に耐えられるためにだけ、保護と治療剤として芸術を必要とするのだ。
(ニーチェ『悲劇の誕生』15)
「ギリシア的晴朗」のあの別形式であるアレクサンドリア的晴朗のもっとも高貴な形式は、"理論的人間"の晴朗さである。その顕著な特徴は、私が今、非ディオニュソス的なものの精神から演繹したのと同一である。──それはディオニュソス的叡知と芸術とに闘いをいどみ、それは神話を解体しようと努める。
それが形而上的慰藉のかわりに立てるものは、現世的な協和音、否、独自な機械仕掛の神(デウス・エクス・マキーナ)であり、つまりは機械と坩堝との神であり、換言すれば、高級な利己主義に仕えることによって認識され活用される自然の精霊の力、である。そしてまた、それは知識による世界の修正を信じ、
科学によって導かれる人生を信じ、実際にまた個々の人間をば、解決可能な課題から成るごく狭い範囲内に呪縛することができる。その範囲内では、個々の人間は人生にむかって晴れやかにこう言う。「われ汝を欲す。汝は認識せらるるに値すればなり」と。
(ニーチェ『悲劇の誕生』17)
ここに永遠に変わらぬ現象がある。貪欲な意志は常に一つの手段を見いだしては、事物の上に拡げられた幻像を通じて、その被造物を人生にひきとめ、そして生存をつづけざるを得ないようにする、という現象である。ソクラテス的な認識の喜びに縛られた人、認識によって生存の永遠の
傷口を癒すことができるという妄想に縛られた人もあれば、また眼の前にゆれている誘惑的な芸術美のベールに巻きこまれる人もあり、現象の渦巻の下には永遠の生命が破壊されることなく流れつづけている、という形而上的慰藉に籠絡される人もある。
これら三つの幻像の段階は、一般に
比較的高貴な素質の人々のためにのみあるのだが、彼らは一般に生存の負担と重圧とを常人よりもひどく不快に感じ、選りぬきの刺戟剤でもなければこの不快から脱することができない、といった類である。我々が文化と称するものはすべて、こうした刺戟剤から成り立っている。
(ニーチェ『悲劇の誕生』18)
銘記せよ。アレクサンドリア文化は、長きにわたってその存在を持続し得るためには、奴隷階級を必要とする。しかしそれは、その楽天主義的人生観のゆえに、そうした階級の必然性を否定している。それゆえ「人間の尊厳」や「労働の尊厳」といった美しい惑わしや我々の疲れ果てて蒼ざめた宗教に、安んじて
気休め言葉の効果が使いつくされると次第に恐るべき破滅にむかって進んでゆく。野蛮な奴隷階級ほど恐るべきものはない。こういう階級というものは、自己の存在を不当と見るようになって、自己のためばかりでなくあらゆる世代のために復讐しようと企むからだ。我々に迫ってくるこのような嵐に直面して、
助けを求めるものがあるだろうか? これらの宗教自身、その根底においては、学者宗教に堕し、あらゆる宗教の必然的前提である神話はいたるところで麻痺し、この領域においてすら、我々がいま我々の社会を破滅させる萌芽と呼んだ、あの楽天主義的精神が支配権を握っている。
(ニーチェ『悲劇の誕生』18)
理論的文化の胎内にまどろんでいる禍いは、しだいに近代人を不安にしはじめ、彼はおちつきを失って、自己の経験の宝庫から危険を避けるための手段を取り出そうとする。彼は、こうした手段をほんとうにみずから信じているわけではないが、こうして自己自身の帰結を予感しはじめる。一方その間に、
普遍的天分を恵まれた偉大な人々は、信じられぬほど熟慮を重ねながら、科学そのものの武器を利用して認識一般の限界と制約とを明らかにし、それによって、普遍的妥当と普遍的目的とを得んとする科学の要求を、決定的に否定するすべを知ったのであった。こう指摘してみてはじめて、あの妄想は、
因果律に手をとられながら事物の内奥の本質を究明し得ると自負するもの、として認識されたわけである。カントとショーペンハウアーとの非常な勇敢さと叡知とは、きわめて困難な勝利を獲得することができた。それは、この論理の本質の中にひそむ、我々の文化の基盤である楽天主義に対する勝利であった。
この楽天主義は、自ら疑うべからざると思っている「永遠の真理」に支えられて、いっさいの世界の謎は認識され究明され得ると信じ、かつ空間・時間・因果律をば、もっとも普遍的な妥当性をもつ、まったく絶対的な法則として取り扱ったのであるが、これらのものは次のようなことに役立つにすぎなかった。
すなわち、マーヤのしわざである単なる現象を唯一最高の実在にまで高め、そしてそれを事物の内奥の真の本質のかわりにおき、それによってこの本質の現実的認識を不可能にすること、つまり、夢みる人をさらにいっそう深い眠りに陥らせること、それに役立つにすぎない、と。
(ニーチェ『悲劇の誕生』18)
この認識から一つの文化が開けた。それをわたしは、あえて悲劇的文化と呼ぶ。この文化のもっとも重要な標識は、叡知が最高目標として、従来科学の占めていた位置におかれる、ということである。この叡知は、諸科学が気をそらせようとする誘惑にも欺かれず、不動の眼差をもって世界の全体像にむかい、
そしてこの全体像の中に、共感的な愛情をもって永遠の苦悩を自己の苦悩として把握しようと試みるのである。このなにものにも動ぜぬ眼差をもち、巨大なものに敢然と立ちむかう性向をもって成長しつつある一世代を考えてみよう。この竜殺したちの大胆な歩みを。
彼らが傲慢不遜な態度でもって楽天主義のいっさいの弱々しい教義に背をむけ、完全無欠の中で「断固として生き」ようとしていることを。この文化の悲劇的人間が、自分自身を厳粛と恐怖とに立ちむかうべく教育する際にあたって、一つの新しい芸術を、形而上的慰藉の芸術を、悲劇を、
自分にふさわしいヘレナとして渇望し、ファウストとともにこう叫ばざるを得ない、ということは余儀ないことではあるまいか?
さて俺が、憧れにみちた力で、
あの唯一無二の姿を生にひき入れてはいけないというのか?
(ニーチェ『悲劇の誕生』18)
誰もが、近代文化の根源的苦悩として、こう語るのを常とする。理論的人間は自己の帰結を恐れ、かつ満たされぬまま、もはや生存の恐るべき氷流に身を委ねる勇気はない、と。彼は不安げに岸辺を走りまわる。彼はもはやなにものも完全な形で持とうとはしない。万物にひそむ自然な残忍性をもってしても、
完全な形で持とうとはしない。楽天主義的観察は、彼をこうまで軟弱にしたのである。その上さらに、科学の原理の上に建てられている文化が"非論理的"になりはじめると、つまりその帰結を恐れて逃げはじめると、それは没落せざるを得ない、とそう彼は感ずる。我々の芸術はこの普遍的な窮境を示している。
あらゆる偉大な生産的な時期や人間にすがって、それらを模倣しようとしてもむだである。近代人を慰めるために全「世界文学」を彼の周囲に集め、彼をあらゆる時代の芸術様式や芸術家のまん中にすえて、あたかもアダムが獣たちに名を与えるように、それらに名を与えさせようとしても、むだである。
彼はやはり依然として永遠に飢えたるものであり、喜びも力もない「批評家」であり、結局のところ図書館員・校訂者であり、書物の埃と誤植とのために悲惨にも失明するアレクサンドリア的人間なのである。
(ニーチェ『悲劇の誕生』18)
劇場や演奏会では批評家が、学校ではジャーナリストが、社会では新聞が支配権を獲得した半面、芸術はきわめて低劣な娯楽の対象に変ってしまった。そして美的批評は、空虚なまとまりのない利己的な、そしてさらに憐れむべく非独創的な社交界の接合剤として利用された。
こうした社交界の意義については、あのやまあらしについてのショーペンハウアーの寓話がよく言い当てているところである。その結果、この時代ほど芸術がしゃべられた時代もないが、またこの時代ほど芸術が尊重されなかった時代もない。けれども、
こんにち交わっている人々の中に、なおベートーベンやシェークスピアを楽しむことのできる人があろうか? 各自、自己の感情にしたがってこの問いに答えるがいい。いずれにしても、その答えによって、各自が「教養」とはいかなるものと思っているかが示されるであろう。
(ニーチェ『悲劇の誕生』22)
もっとも単純でもっとも頻繁に見られる例をとろう。非芸術的な天分の人や芸術家として薄弱な連中が、記念碑的な芸術家の歴史という武器を手にした場合を考えてみるがいい。彼らは今その武器を誰にさし向けるであろうか。彼らの不倶戴天の敵、強烈な芸術的精神の持主に対してである。すなわち、
かの歴史から真実に、つまり、生のために学びとる能力を持ち、その学びえたものを高められた実践に移すことのできる者に対してむけられるのだ。なにか偉大な過去の記念碑が一知半解のまま偶像崇拝的に祭りあげられ、「見ろ、これこそ本当の芸術なのだ、
君らのような意欲だけの青二才になんの関係があるのだ!」とでも言いたげに、人々が熱をあげてそのまわりを踊るとき、彼ら真正の芸術家の道ははばまれ、空気は暗くにごらされる。一見この舞踊する集団は、「よい趣味」という特権すら持っているように見える。というのは、いつの世でも、
デモ政論家のほうが局に当っている為政家より賢明で、正当で、考え深かったように、いつでも創作家のほうが、直接手を下すことなく傍観するにとどまっている人にくらべて、不利な立場に立つのがおきまりだからである。
しかし芸術の領域にまでも、国民投票と多数決の習慣を持ちこみ、いわば美的能無しどもの法廷の前へ芸術家をひっぱり出して、弁明を強いようということになれば、彼が有罪の宣告を受けることは、前もって請けあえることだ。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』2)
かくて彼が芸術通たるゆえんは、彼らが一般に芸術なるものを片づけたいがためにほかならず、医者を装うてはいるが、その実ねらいは毒を盛ることにある。彼らが舌と味覚の修業をつむのも、彼らに提供される栄養たっぷりの芸術のご馳走を、なぜこんなに頑固に彼らが片っぱしから拒否するかという理由を、
彼ら"一流"の食道楽から説明せんがためにほかならない。というのは、偉大なものが発生することを彼らは欲していないのであり、その手段は、「見たまえ、偉大なものはすでにあるよ!」ということなのだ。本当は、すでにそこにある偉大なものも、現に発生しているものと同様、彼らにはどうでもいいのだ。
その証拠を示すのは彼らの生活である。当代の強力偉大な者らに対する彼らの憎悪が変装して、過去の時代の強力偉大な者らに対する飽くなき称讃の姿を取るところの仮装が、記念碑的歴史の正体なのだ。彼らはこの仮装において、この歴史的考察の仕方の本来の意味を全然逆の意味にひっくりかえしてしまう。
彼らがこのことをはっきり知っているかどうかはともかくとして、彼らの行うところを見れば、死者をして生ける者を葬らしめよというのが、彼らの標語であると思われるのだ。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』2)
ここにいつでもきわめて間近に迫ってくる一つの危険がある。それは、およそ視野に入ってくるほどの古いもの、過去のものでありさえすれば、単純にどれもこれも尊重すべきものとして受け取り、しかも畏敬をもってこの古いものを迎えないすべてのもの、つまり新しいもの、生成しつつあるものを拒否し、
敵視するということに結局なることである。
骨董的歴史は、現代の新鮮な生命がこれに魂を吹きこみ、これを感動せしめることをやめたその瞬間に退化する。いまや敬虔さが枯渇し、学者的惰性が敬虔さを伴うことなく存続し、わがままに己惚れて自分自身の中心のまわりを旋回する。
かくて盲目的な蒐集狂、かつて在ったものの一切をせっかちにかき集めるという厭うべき芝居が見られることとなる。人間はかびくさい空気の中に閉じこめられる。骨董癖のために、もっと大切な素質やもっと高貴な欲求まで台なしにして、飽くことを知らぬ好奇欲に走り、
もっと正しく言えば、古いものが欲しい、何でも一切欲しいといったところにまで成りさがることができるようになる。時にはひどく成りさがって、ついには餌でさえあれば満足し、がらくた参考書目の埃をさえ喜んで食うようになる。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』3)
現代人は結局、怖ろしくたくさんの消化しきれない知識の石をひきずり廻っている。この石ころは、折にふれて体内でしたたかかち合う。このかち合うということによって、現代人のもっとも固有な特性がお里をあらわす。すなわち、どんな外部も対応することのない内部、またどんな内面も対応することのない
外面の著しい対立であって、古代の諸民族のあずかり知らぬ対立である。飢えもしていないのに過剰に摂取され、それどころか欲求に反してまで取り入れられる知識は、もはや、外部に駆り立てる改造的契機として作用せず、ある混沌とした内面の世界に隠れたままになっている。この内面世界を、現代人は
おかしな誇りをもって、現代人特有の「内面性」と呼んでいる。
このような対立なしにはそれが全然理解せられえないからこそ、現代の教養は生きたものではない。というのは、全然真の教養ではなくて、ただ一種の教養に関する知識にすぎないという意味だ。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』4)
たとえばこういう教養のかたわらをギリシア人が一人通りかかったと想像して見たまえ、彼は次のことに気がつくだろう、すなわち近代人にとっては「教養がある」と「歴史的教養がある」とはぴったりくっついていて、まるで一体であり、ただ言葉の数が違うだけみたいに見えるということに気づくであろう。
さてもしこのギリシア人が「きわめて教養があって、しかも歴史的には全然教養がない人だってありうる」という彼の命題を口にしたとすると、現代人は聞き違えをしたのだと思って、頭を振ることであろう。
この小民族は、その最大の力を発揮した時期において、非歴史的感覚を強靱に保持していた。
当世風の人間がもし魔法によってあの世界へ帰らねばならないとしたら、おそらくギリシア人を「たいへん無教養だ」と思うことだろう。もちろんそこで、ひたかくしにかくしていた現代教養の秘密が、このことで暴露され、みんなの大笑いを買うことだろう。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』4)
感動震撼の持続において、悟性では不可解なものこそ崇高なものとして確保すべきその場所で、瞬間的に理解し、計算し、把握しようとする者は、悟性的だと呼ばれていいかもしれないが、しかしそれはただシラーが悟性的徒輩の悟性について言ったあの意味においてだけである。
すなわち悟性的と呼ばれる者は、子供の眼にさえ見える"あるもの"を見ないのであり、子供にさえ聞こえる"あるもの"が聞こえないのだ。ところがこの"あるもの"こそ、まさにもっとも重要なものなのだ。これが分らないからこそ、彼の理解というものは──たとえ羊皮紙まがいの彼の顔つきに
狡猾な小皺がたくさんよっており、錯雑紛糾したものを解きほぐす名人達者の指先の修練にもかかわらず──子供よりも子供くさく、素朴よりも愚純なのだ。つまり、彼は自分の本能を殺してしまったのであり、失くしてしまったのだ。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』5)
歴史というものはただ強き人格によってのみ堪えられるのであって、弱き人格など、歴史は完全に抹殺消去する、という私の命題も理解してもらいたいし、一考していただきたいのである。
このように言うわけは、感情や感覚が、過去を自分に即して測るにたるだけの強さを持たない場合には、いたずらに歴史によって混乱せしめられるという点にある。もはや自分を信ずることができず、ものを感じとる際に、「ここで自分はどういう感じ方をすべきものであろうか」と、
心ならずも歴史に伺いをたてるような者は、しだいに臆病から俳優となり、なにか一役演ずることになるのだが、たいがいはたくさんの役を引き受け、したがってどれもこれも拙劣浅薄に演ずることになる。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』5)
小生意気な青二才が、まるで自分の同輩ででもあるかのように、ローマ人とつき合っているのを見かけるかと思うと、彼らがギリシア詩人の遺作を引っかき廻し、ほじくり返しているさまときては、まるでこれらの文集(遺体)が彼らの解剖のままになり、無価値なものであるかのように見える。しかしじつは、
彼ら自身の六号記事的文集こそ、まさに無価値なのだ。たとえばある人がデモクリトスを研究しているとすると、いつでも私の口から出かかる疑問は、なぜいったいデモクリトスでなければならないのか、なぜヘラクレイトスでないのか、それとも、フィロンでも、ベーコンでも、デカルトでもそのほか
誰でもいいではないか、ということである。
ところで先に言ったように、これは宦官の種族なのだ。宦官にとっては女などいうものはどの女だろうと別に変りはないのであって、まさにただ女であり、女それ自身、永遠に近寄りがたいものなのだ──そこで歴史自体が見事に「客観的に」保存されさえすれば、
ということは、自らは決して歴史を作りえない連中によって保存されさえすれば、君たちがなにをやろうと、どうでもいいということになる。そして永遠に女性的なものは君たちを決して引き上げないだろうから、君たちはそれを君たちの水準に引き下げるのだ。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』5)
現代人は、その周知の歴史的「客観性」のゆえをもって、自分たちは強い、すなわち"公正"であると自称し、他の時代の人間にまさって、より高度に公正を所有していると唱えているが、はたしてその権利を有するや否やという、もちろん手痛い質問をたずさえてである。
例の客観性なるものが、公正を求める強い欲求と熱望に発するというのは、真実であろうか。それとも全然別の原因の結果である客観性であるのに、公正こそかかる結果の本来の原因であるかのような見せかけだけを、作り出すのではないか。
ひょっとすると客観性こそ人を誤り導いて、現代人のもろもろの徳について、あまりに阿諛的なためにかえって有害な偏見を抱かしめる因となるのではないか。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』6)
《お前は真理を愛していなければならない、なのにお前はいつも他のものを愛し、真理をただついでに愛しているにすぎない!》
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1937.4.27)
いたるところにおいてきわめて無批判に栄光をもって飾られている真理追求に、なにか偉大なものがあるとするなら、それはただ誠実の人が公正たろうとする無制約の意志を有する場合だけにかぎられる。
好奇心や退屈しのぎや、嫉妬、虚栄、遊戯衝動など、全然真理と無関係な千差万別のいくたの衝動が、その根を公正に有するかの真理追求と合流するかに見えるのは、見る者の眼がかすんでいるせいである。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』6)
世の中には、「真理に仕える」連中が充満しているかに見えるが、その実、公正の徳はきわめて稀なのであり、この徳が徳として認識せられることは、いよいよ稀であり、ほとんど常に死ぬまでに憎まれているのである。これに反し、見かけだけの徳を持った人々の群れは、いつの時代にも、
尊敬されてわが世の春を謳歌していたのだ。真理に仕えるのは、本当は少数の者だけである。なぜなら、公正たろうとする純なる意志を持つのは、少数の者だけであり、しかもこの少数者のうちにおいてさえ、
公正たりうる力を有する者は、またしてもきわめて少教にかぎられているからである。公正たろうとする意志を持つだけでは、けっして十分ではない。しかももっとも怖ろしい苦悩が人間に訪れたのは、まさに判断力を伴わない正義衝動からであった。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』6)
問題外なのは、自分たちの時代こそ、世間一般の見るところがすべて正しく、したがってこの時代に調子を合わせて書くことが、畢竟ずるに公正になるという素朴な信念で、歴史家として物を書いているまったく無思慮な連中である。
こういう信念は、すべてどの宗教もそれによって命をつないでいる信仰みたいなものであって、信仰ともなれば、宗教の場合同様、また何をか言わんやである。この素朴な歴史家どもは、過去の意見なり行為なりを、現代の世間一般の通念で測ることをもって「客観性」と呼んでおり、
すべての真理の基準を、世間一般の意見にありとしている。過去を当世なみの平凡陳腐に合わせることが、彼らの仕事である。これに反し、彼らの呼び方では、あの世間一般の意見を基準と考えない歴史記述はすべて「主観的」なのである。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』6)
現代の最高の実力からしてのみ、私たちは過去のものを解釈することを許される。君たちが持っている一番高貴な特性を最強度に張りつめた場合にだけ、過去において何が知るに値し、保存するに値し、偉大であるかを、君たちは推し測るだろう。
等しきものは等しきものによってだ! そうでないと、君たちは過去のものを君たちのところにまで引きさげることになる。もっとも稀有な精神らの頭脳から飛び出したものでないような歴史記述を信じてはいけない。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』6)
およそ何かを、すべての人にまさって偉大に高く体験した覚えのない者は、過去からなんら偉大にして高きものを解く術を知らないであろう。過去の言葉は常に一種の神託である。君たちは、未来の建築の巨匠、現代の知者としてのみ、それを解するであろう。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』6)
以上われわれがキリスト教において学びえたこと、すなわちキリスト教も歴史的にいじくりまわされれば、そのために興味索然たるものとなり、不自然となり、これを完全に歴史的に、つまり"公正"に取り扱えば、それはキリスト教をついにキリスト教に関する純粋な知識に解体し、したがってこれを亡ぼすに
いたるということは、およそ生あるすべてのものについてわれわれの学びうるところである。すなわち、生きるものも、徹底的に解剖せられれば、生きることをやめ、歴史的解剖実習をこれに加えはじめると、生の歩みは痛々しく病的となる、ということなのだ。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』7)
モラリストたちは現在は悖徳者としての非難を甘受しなくてはならない、彼らは道徳を解剖するからである。しかし何かを解剖しようと思うものは、何かを殺さなければならない。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部19)
ドイツ音楽がドイツ人に対し一つの変革的改革的救治力を持っていると信じている人々がある。彼らは今、モーツァルト及びベートーヴェンのごとき人たちが、すでに伝記的なものの博識めいた汚物の山に埋没され、歴史的批評という拷問制度によって、
くさぐさのさしでがましい質問に答えるべく余儀なくされているのを見て、憤怒を感じ、これをわれわれの文化のもっとも生ま生ましいものに対して加えられた不正と見ている。微に入り細をうがって果しなくその生涯と仕事に好奇の眼を向け、
すべての問題を忘れて生きることを学ぶべき場所で、認識の問題を探すというようなことによって、生き生きとした作用のまだけっしてつきないものも、時ならずして葬り去られ、あるいは少なくとも麻痺せしめられることがあるのではないか。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』7)
最後の、そして自然な帰結として起ってくるのは、一般に人気のある科学の「通俗化」(「女性化」や「小児化」と並んで)である。すなわち、「種々雑多な大衆」の体に合わせて、科学の上着を裁断するという芳しからぬやり方だ。これは、仕立屋風の仕事のために仕立屋風のドイツ語を使ってみただけの話だ。
ゲーテはそれを一種の濫用と見て、科学なるものはただ"高められた実践"を通じてのみ外界に働くべきものであると要求した。こういう濫用が、以前の世代の学者たちに困難で不快なものに思われたのは、十分な理由があったのであるが、同様に十分な理由からして、今日の学者どもにはそれが楽だと思われる、
というのは、彼ら自身がまったくちっぽけな隅っこの知識を別とすれば、きわめて雑多な大衆であり、その要求を自分たちのうちに持っているからだ。彼らはただ楽に腰をおろしさえすればよい、そうすれば、彼らのちっぽけな研究領域を、雑多な大衆の要求である好奇心に打ちあけて見せることができるのだ。
こういう楽な振舞いに対して、あとから要求せられる名称は、なんと「国民に対する学者の謙譲な卑下」というのだ。実際は学者が学者でなくて、賤民にすぎないから、自分のところまで下りただけの話なのだ。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』7)
たとえばある宗教思想を、鈍重な大衆がまったく身丈にあったものと考え、強靭に守護し、何世紀ものあいだひきずっていった場合、その時に、まさにその時になってはじめて、かの思想の発見者であり創設者である人が、偉大だとされる。馬鹿らしい、そんなことがあるもんか! 一番高貴な一番高いものは、
大衆なんかに全然作用しないのだ。キリスト教の歴史的成功、その歴史的権力、その強さと持続、これらすべては、その創設者の偉大さに関しては、幸いにもなんら証明するものでない、なぜなら結局かかることは彼の反証になるであろうから。しかし彼と、あの歴史的成功とのあいだに介在するのは、
情熱と昏迷、権勢欲と名声欲にみちたきわめて世俗的な暗い層、ローマ帝国の継続する作用をもった諸力にみちた層なのだ。
偉大さは成果に依存すべきものではない。キリスト教のもっとも純粋にしてもっとも誠実な支持者らは、キリスト教の世俗的成功、そのいわゆる「歴史的権力」なるものを、むしろ
常に疑問視し、促進するよりか阻止してきた。なぜなら彼らは「俗世」の外に立つのを常とし、「キリスト教的理念の過程」などに心を労することはなかったからであり、そのため彼らはたいがい歴史には全然知られておらず、その名さえもあげられてはいない。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』9)
ところでドイツ人においては、文化はまるで造花のようにとりつけられたり、お菓子の上の砂糖のように振りかけられている始末だから、いつまでたっても嘘っぱちで非生産的たらざるをえない。しかるにドイツの青少年教育は、まさにこの誤った非生産的な文化概念から出発している。その目標とするところは
相当純粋に高く考えてもまったく自由な教養人ではなくて、学者、科学的人間なのであり、しかも人生をはっきり認識せんがために、ことさら人生の傍らに立つような、できるだけ手っ取り早く利用しうる科学的人間なのである。その結果は、相当経験的に卑俗に見て、歴史的美的な文化俗物であり、
国家、教会、芸術を論ずる、ませた知ったかぶりの饒舌家であり、多種多様の感応共感に対する知覚器官、本当の飢渇の何たるかを知らぬ飽くなき胃の腑である。あの目標でこんな結果をおさめる教育が、自然に反する教育であることは、この教育で仕上がらなかった人間だけが感じ取ることであり、
自然の本能を失っていない青年の本能だけが感づくことである。しかもこうした本能が破壊せられるのも、あのような教育によってはじめて人為的に暴力を加えられてのことなのだ。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』10)
「我々は無教養である、それだけでない、生きること、正しく単純に見ることや聞くこと、もっとも手近な自然のものをうまくつかまえることに対してすら、駄目になってしまっている。真実な生活を自分たちのうちに持つという確信さえないために、我々には今日まで文化というものの基礎さえできていない。
どこを見ても支離滅裂で、全体としては内部と外部に半ば機械的に分割されているではないか。竜の歯のように概念をやたらに植えつけられ、概念の悪竜を生み出すだけではないか。そのうえ言葉の病気にかかっていて、まだ言葉の印形を押されていないあらゆる独自な感情には自信が持てない始末ではないか。
こういう死物同然な、しかも無気味に動いている概念工場、言葉の工場であってみれば、私は自分について『我考ウ、故ニ我在リ』という権利はあっても、『我生ク、故ニ我考ウ』とはいえた義理ではない。私に保証されているのは、空っぽの『存在』であって、充実した緑の『生』ではない。私の根源の感情が
私に保証するのは、私が一個の思考する本質であることだけだ。生活する本質であるとは保証してくれぬ、私は生き物ではない、せいぜい考える者にすぎない。まず私に生を贈ってくれたまえ、そしたら私は君らに一つの文化をもそこから創り出してみせよう!」
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』10)
「非歴史的なもの」という言葉で私が表しているのは、忘却することができ、制限された視界の内に閉じこもることができる技と力のことだ。「超歴史的」と私が名づけるのは、眼を生成から転ぜしめ、存在に永遠にして不変の意味をもつという性格を与えるところのもの、すなわち"芸術と宗教"へ向かわしめる
諸々の威力を指していう。科学──芸術や宗教が毒であるなどとほざくのは科学だから言うが──科学はあのような力や今述べた威力をもって敵対的なりと見ている。なぜなら、至る所に生成したもの、歴史的なものを見て、なんら存在するもの、永遠のものを見ない事物の見方だけを、科学は真実正当な見方、
すなわち科学的な見方と考えているからである。科学は、芸術及び宗教という永遠化する威力に対し内的に抗争することにおいて生きている。と同時に、科学は、知識の死である忘却を憎悪し、すべて視野の制限を破棄しようと努めている。ところが科学こそ人間を認識せられた生成の無限にして制限のない
光波の海に投げこむのだ。人間がそこで生きられるなら文句はない! しかし科学がひきおこす"概念の震動"が、人間のあらゆる確かさと落着きの基礎をなす、不動永遠のものへの信仰を人間から奪い去るとき、生は内部的に崩壊し、弱体化し、意気沮喪する。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』10)
今われわれが臨んでいるのと似たような危険、すなわち外国のものと過去のものとの氾濫のために、「歴史」のために滅びるという危険にギリシア人が瀕していた世紀があった。
それはちょうど今日「ドイツの教養」と宗教が、すべての外国すべての過去がその中で戦っている混沌であるのに似ている。
しかしそれにもかかわらずヘラスの文化は、あのアポロの神託[汝自らを知れ]のおかげで、寄せ集めのものとはならなかった。ギリシア人は徐々にその混沌を有機化してゆくことを学んだ。デルフィーの教えに従って、彼らは自己自身に立ちかえり、
すなわち自分たちの真の要求に思いをいたして、見かけの要求を死滅せしめることによってであった。かくて彼らはふたたび自己自身を所有するにいたった。彼らはいつまでも全東方の重荷を背負いすぎた後継者、亜流にはとどまらなかった。
彼らは自ら、自己自身との困難な戦いをへたのちに、あの神託を実践的に解釈することによって、引きつがれた財宝をゆたかに増やすもっとも幸いなる者となり、あらゆる来るべき文化国民の先駆者、模範となったのである。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』10)
"現象と物自体"。──哲学者たちは、生や経験の前へ──彼らが現象界とよんでいるものの前へ──きっぱりと展開されつくしているような、不変不動に同じ事象を示しているような一つの絵にむかうように身構えるのが常である。この事象を正しく解釈しなくてはならない、と彼らは思いこむ、そうすることで
絵を生みだしてきた本買へと、つまりいつも現象界の充足理由とみなされるならいである物自体へと、推理せんがためである。これに対してもっと厳密な論理家は、形而上的なものの概念を、制約されないもの、したがってまた制約しないものの概念として鋭く確立した後に、制約されないもの(形而上的世界)
とわれわれに知られている世界とのどんな関連をも否定してしまった、それで現象にはまさに断じて物自体は現われ"ない"、現象から物自体へのどんな推理も拒絶さるべきである、というのである。しかしながら両者とも次のような可能性、あの絵──今われわれ人間に生や経験といわれているもの──は次第に
"生成してきた"のであり、それどころかまだまったく"生成"の途中にあり、それゆえに創始者(充足理由)に関する推理を引き出したりあるいはまたただ斥けたりしてもよいような、確定した大きさとみなさるべきではない、という可能性を見落としている。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』16)
"盲目的な弟子たち"。──或る人が自分の教説・自分の芸術様式・自分の宗教などの強みや弱みをきわめてよく知っているかぎり、そうしたものの力はまだとるに足りない。師の名声や彼に対する自分の敬虔によって眩惑されて、その教説・宗教などの弱みに対してみる眼をもたぬ弟子や使徒は、
それゆえたいてい師よりも大きい威力をもっている。盲目的な弟子たちがいないのに、或る人物やその仕事の影響が大きくなったことはいまだ決してない。或る認識に勝利を達成させるということは、しばしば、認識を愚鈍と姉妹にし、
愚鈍の重みが認識の勝利をも強奪するという意味にすぎない。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』122)
"学問が約束するもの"。──近代の学問が目標としているのは、できるだけわずかな苦痛、できるだけ長い生命──したがって一種の永遠なる至福ではあるが、もちろんもろもろの宗教が約束するものとくらべるときわめてつつましいものである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』128)
"霊感への信仰"。──芸術家たちは、突然の思いつき、いわゆる霊感が信じられることを、いわば芸術作品・詩の理念、哲学の根本思想が恩寵の光のように天から射しこむと信じられることを得としている。本当はすぐれた芸術家または思想家の想像力は、
たえずよいもの・普通のもの・悪いものを生産しているのであるが、極度にとぎすまされ練られた彼らの"判断力"が、捨てたり、選び出したり、結び合わせたりしているのである、今ではベートーヴェンのノートから、彼がもっとも壮麗なメロディーを次第にとりまとめて、
多くの萌芽からいわば選び出したのだ、ということが洞察されるように。それほど厳格にけじめをつけずに、好んで模写的想起に身をゆだねる者は、事情によっては大即興家となりうるであろう、しかし芸術的即興というものは、真剣に苦労して精選された芸術思想と対比すれば、
低い位置にある。あらゆる偉大な人は、発案においてだけではなく、捨てたり、ふるったり、造りかえたり、整えたりすることにおいても、倦むことを知らぬ偉大な労作者であった。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』155)
"天才の苦悩と苦悩の価値"。──芸術の天才はよろこびを贈ろうと欲するが、彼がきわめて高い段階にいると、味わってくれる人がなくなりやすい、彼は御馳走をだすのだが、人はそれを欲しがらないのである。こうしたことが彼に対してことによると笑いや哀れをそそる悲愴さを与える、
なぜなら結局彼には人々を満足するよう強いる権利がないからである。彼の笛は鳴りひびく、しかしだれも踊ろうとしない、これは悲劇的でありうるか? おそらくそうだろう。──しまいに彼はこういう欠乏の代償として、その他の人々があらゆる別種の活動にさいして得るよりも
多量の満足を創作にさいして味わう。人は彼の苦悩を過大に感じる、彼の歎きの声がひときわ高く、彼の口がひときわ雄弁だからである、そして"時とすると"彼の苦悩は実際きわめて大きい、しかしそれも彼の功名心・嫉妬心が非常に大きいがためにすぎない。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』157)
"芸術は芸術家に危険"。──芸術が或る個人を強烈に感動させると、そのとき彼はその芸術がもっとも力強く花咲いていたような時代の見方へと引き戻され、芸術はそのとき後ろ向きの形成作用をする。芸術家はますます突発的な昂奮を尊ぶようになり、神々や魔神を信じ、自然に魂をしみこませ、学問を憎み、
古代人のように気分が変わりやすくなり、芸術に不都合なあらゆる状態の転覆を渇望し、しかもこんなことを子供の烈しさや不当さで以てやる。ところで芸術家は、それ自身すでに遅れた存在である、なぜなら彼は幼少時代につきものの遊戲に満足しているからである、そのうえさらに彼が次第に他の時代へと
後ろ向きに形成されるということも加わる。それでしまいに彼と彼の時代の同年輩の人々との間に烈しい敵対関係が、そして悲しい結末が生じる、古人の語るところによれば、ホメロスやアイスキュロスがしまいに憂鬱のうちに生きかつ死んだ、というように。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』159)
"巨匠を忘れさせる"。──或る巨匠の作品を演奏するピアニストは、彼が巨匠を忘れさせるときに、そしてあたかも自分の生活の出来事を語っているか、今まさになにかを体験しているかのごとくみえたときに、もっともうまく弾いたということになるであろう。もちろん彼がつまらぬ者"である"場合には、
自分の生活からわれわれに語る彼のおしゃべりを、だれしもいまいましく思うであろう。したがって彼は聴衆の空想をわが身に引きつけることを心得なくてはならない。そこからまた「名人気質」のあらゆる欠点や非常識の説明がつく。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』172)
不完全はしばしば完全よりも効果的である、とくに讚辞において。讃辞の目的のためには、聴く者の空想に対してさも海がありそうに思わせたり、霧のように対岸を、つまりほめられるべき対象の限界を蔽いかくしたりするような不合理な要素として、まさに刺激的な不完全が必要なのである。
或る人の周知の功績に言及して、そのさい詳細にわたって締りがないと、このことはいつも、それが功績のすべてだ、との邪推をひきおこす。完全にほめる者は、ほめられる者の上に立つ、彼は相手を"みおろしている"ようにみえる。そのため完全は効果を弱める。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』199)
"老年のよろこび"。──自分のいっそうよい自己を作品の中にかくまってしまった思想家や同じく芸術家は、自分の肉体や精神が徐々に時というものによって砕かれこわされていくのをみると、ほとんど悪意にちかいよろこびを感じる、
彼の金庫がからっぽですべての宝は救いだされているのを彼は知っているのに、泥棒がその金庫をあけようと苦労しているのを一隅から眺めてでもいるかのように。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』209)
〈"自分自身のために書く"〉。──頭のいい作者は、ほかのいかなる後世のために書くのでもなく、まさに自分自身の後世のために、つまり、自分の晩年のために書く。そのときになってからもなお自分に喜びをもつことができるためにである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部167)
"静かな多様性"。──生まれながらの精神的貴族たちは、熱中しすぎることがない、彼らの創るものは、あわただしく渇望されたり、せきたてられたり、新しいものに追いたてられたりすることなしに、現われ出ては或る静かな秋の夕暮れに樹から落ちる。たえ間のない創作欲は俗っぽく、
競争心・嫉妬心・名誉心を示している。もし人が何者かであるなら、その人はもともとなにもする必要がない──それにもかかわらずきわめて多くのことを果たす。「生産的」人間の上にはまださらに高い種属があるのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』210)
"卓越した魂のしるし"。──卓越した魂とは、最高の飛翔の能力ある魂ではなくて、ほとんど上昇も下降もしないが、しかし"いつも"いっそう自由な・透明な空気と高所に住む魂である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部397)
"高級芸術の非感性化"。──新しい音楽の技術的発展によって知性が異常に訓練された結果、我々の耳はますます知的になってきた。それゆえ今では我々は祖先たちより遥かに大きい音の強さ、遥かに多くの「喧騒」にたえられる、我々は"喧騒の中にある理性"に傾聴するように遥かによく仕込まれているから。
実際いま我々のあらゆる感官は、いつもすぐ理性を、「それの意味」を問い、もはや「それの事実」を問わない、というまさにそのことで鈍くなっている。つぎに世界の醜悪な、元来感官には敵対する側面が音楽の領域として征服されてきた、特に崇高なもの・恐ろしいもの・神秘的なものの表現に関する音楽の
勢力圏は驚くほど拡大した、今や我々の音楽は、以前には舌をもたなかった事物にまで口を利かせる。似たような仕方で、幾人かの画家は眼を知的にして、以前色や形のよろこびといわれたものを遥かに超え出てきた。ここでもまた世界の元来醜悪とみなされていた側面が、芸術的分別によって征服されてきた。
これらすべての結論は何か? 眼や耳の思考力が増すにしたがって、それらは非感性的になるような限界にますます近づく、よろこびが頭脳の中に移され、感覚器官が鈍く弱くなり、象徴的なものがますます多く存在者の代わりをし──我々は確実に野蛮に行きつく。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』217)
"学問への関係"。──自分自身が或る学問の中でもろもろの発見をしたときになってはじめてその学問に熱心になるような人はすべて、その学問に本当の関心をもっているのではない。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』182)
"知ではなく能が学問で鍛えられる"。── 一つの"厳密な学問"をしばらくの間厳密にやってきたことの価値は、格別その成果に基づくというわけではない、なぜならこういう成果は、知るにあたいする事柄の大海に比して、消え去るほど小さい一摘にすぎぬだろうからである。しかしそれは
エネルギー・推理力・持久力の強靱さなどを増大させる、人は或る"目的"を"合目的的"に達成することを学んでしまったわけである。そのかぎり、かつて学問的な人間であったということは、その後にやるあらゆることに関してきわめて高く評価されうる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』256)
"多くの言語を学ぶこと"。──多くの言語を学ぶことは、記憶を事実や思想のかわりに言葉で一杯にする、ところが記憶は、どの人の場合でも一定限度の内容しか容れることのできない容れ物なのである。つぎに多くの言語の習得は、もろもろの技能を持っているかに信じさせたり、事実また交際において
一種魅惑的な外観を添えたりする限りで、害を与える、つぎにまた、徹底した知識を得ることや、実直な仕方で人々の尊敬をかち得ようとする意図を阻むことによって、間接にも害を与える。最後にそれは母国語内でのさらに微妙な語感の根に打ちおろされる斧である、この語感というものはそれによって
致命的に損われ滅ぼされる。最大の文章家を生みだした二つの民族、ギリシア人とフランス人とは、なんら外国語を学ばなかった。──しかしながら人々の交わりはますます世界市民的にならざるをえず、多くの言語を学ぶことはもちろん一つの必要"悪"である、
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』267)
時代に先行しているだけの人間は、いつかは時代に追いつかれる。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1930.12.25)
"十五分だけ早く"。──見解が自身の時代を抜きでてはいるが、それもただすぐ次の十年の俗見を先取りしているにすぎないような人が、ときおりみうけられる。彼は世論を、それが世論となる前に持っている、すなわち、彼は陳腐になってしかるべき見解に、他の人々よりも十五分早く抱きついたのである。
しかしながら彼の名声は、本当に偉大な人々や卓越した人々の名声よりもはるかに高いのが常である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』269)
引っ返したのだ、遅れていたのではない。──現代にまだ宗教的感覚から自分の発展を始めるような、そしてそののちおそらくもっと長い間形而上学や芸術の中で生きつづけるような人は、もちろんかなりの道のりを後もどりしたのであって、他の現代人との競走を不利な前提のもとで始めることになる、
彼は外見上空間や時間を空費しているようだ。しかし、熱気やエネルギーが解き放たれたり、たえず威力が熔岩の流れのように涸れることのない泉から湧き出たりするあの領域に滞在したことによって、適当な時機にさえあの地帯から離れてしまえば、たちまち彼はいっそう急速に前進する、
彼の足は翼をえている、彼の胸はもっと静かに、息長く、辛抱づよく呼吸することを学んでいる。──彼は跳躍するのに充分な余地をうるために身を後に引いただけである、それでこの後退にはなにか恐ろしいもの・威嚇的なものすらありうる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』273)
"生の軽減について"。──生を軽減するための主な手段は、生のあらゆる事象の理想化である、だが理想化とはどういうことかを、人は絵画から充分明瞭にしておくといい。画家は観る人があまりに綿密に、あまりに鋭くみないようにと要望する、或る間隔のところへさがり、そこから眺めるようにと強いる、
画家は見物人と絵とのまったく一定した距離を前提する必要がある、それどころか彼は自分の見物人の眼の鋭さまで同様に一定した度合のものと仮定しなくてはならない、こうしたことでは彼は絶対に不確かであってはならない。したがって自分の生を理想化しようとする者はだれでも、
生をあまりに綿密にみようとせずに、自分の眼をいつも或る距離のところへさげて動けぬようにしなくてはならない。このこつをたとえばゲーテは心得ていた。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』279)
"病気の価値"。──病気でねている人は、ときとして、彼が通常自分の職務・仕事または社交という病気に罹っており、そういうものによって自己に対する思慮をすっかり失っていたということを見抜く、彼はこういう智慧を、病気が彼に強いる閑暇から得るのだ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』289)
病気から、わたしは、いやでも静かに寝ていること、何もしないでいること、待つこと、忍耐づよくしていることという贈り物を受けた……だがそれはつまり「考える」ということなのだ!
(ニーチェ『この人を見よ』人間的な、あまりに人間的な および二つの続篇 4)
本は書かず、思うことは多く、もの足りぬ仲間の間で暮らしている、というような人は、たいてい手紙の名人になるであろう。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』319)
手紙というものは、予告なしの訪問者であり、郵便配達夫は不作法な不意打ちの媒介者である。われわれは毎週一時間だけを郵便の受け取り時間としておいて、そのあとで沐浴すべきだろう。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部261)
"防衛手段"。──愚鈍との闘いでは、もっとも正当なもっとも温和な人々でも、しまいには獣的になる。彼らはそうすることでおそらく防衛の正道にあるわけであろう、なぜなら愚鈍なひたいには、論拠として、法理上握りこぶしがふさわしいからである。しかしすでに述べたように、彼らの性格が
温和な正当なものであるために、彼らは正当防衛のこうした手段によって、相手に苦痛を与える以上に自分のほうが苦しむ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』362)
どんな場合にも口論なんぞ気にするな。賢い人でも無知なものと争うと、無知に陥ってしまう。
(ゲーテ『西東詩編』ことわざの書)
社会主義はほとんど老衰してしまった専制主義の空想的な弟であり、そのあとを嗣ごうとしている、したがって社会主義の企てていることは最も深い意味で反動的である。なぜなら社会主義はかつて専制主義だけがもっていたような充実した国家権力を渇望する、それどころか個人の合法的絶滅に努めている点で
一切の過去のものを凌駕している、個人というものは社会主義にとっては自然の不当な贅沢のようにみえ、社会主義によって合目的的な"共同体の一機関"へと改良さるべきものとされる。社会主義はいまだかつて類のなかったほどの絶対国家に対する全市民のもっとも恭順な屈従を必要とする、しかもそれはもう
決して国家に対する古い宗教的敬虔をあてにすることすら許されず、むしろそうした敬虔の除去に不本意でもたえず努めなくてはならないのだから──つまりそれはあらゆる現存"諸国家"の除去に努めているゆえに──、社会主義はほんの短い間極端な恐怖政治によって存在することしか希望できない。それゆえ
社会主義は、密かに恐怖政治の準備をしたり、半教養の大衆の頭に「正義」という言葉を釘のように打ちこんだりして、彼らの悟性を完全に奪い(この悟性が半教養のためすっかりだめになった後で)、彼らの悪い遊びに対して安らかな良心を用意してやろうとする。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』473)
敵対的な二つの党派、社会主義の党と国粋の党──あるいはヨーロッパのさまざまな国々でどういう名で呼ばれているにせよ──は、似合いの相手である、嫉妬や怠惰が彼ら双方の原動力なのである、前者の陣営ではできるだけすこししか手を働かすまいとするし、後者の陣営ではできるだけすこししか頭を
働かすまいとする、後者にあっては大衆運動のためにすすんで隊伍に加わってこないような、みずから成長していく抜群の個々人が憎まれ嫉まれる、前者にあっては最高の文化財の生産という本来の課題が内面的に人生をそれだけひどく重い苦痛の多いものとしているような、すぐれた、外面的には恵まれた
社会階級のほうが憎まれ嫉まれる。もちろん大衆運動のあの精神を社会の上層階級の精神とするのに成功するなら、社会主義者の群れが外面的にもまた自分と上層階段の間を水平化しようとするのはまったく正当なことである、実際両者は内面的には、頭や心では、もうたがいに水平化されているのであるから。
──高級な人間として生きよ、そしてたえず高級な文化事業を実行せよ、──そうすれば生きとし生けるものはすべて諸君の権利を承認する、そして諸君が尖端に立っているうな社会の秩序は、どんな意地わるい眼つきや手つきにも不死身なのだ!
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』480)
人の持たなくてはならぬものが一つある、生まれつき軽やかな心か、芸術や知識によって"軽やかにされた心"かである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』486)
わずかの贈り物で大いによろこばせるということは、大家の特権である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』496)
共に苦しむことではなく、共によろこぶことが友人をつくる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』499)
人間は、人々からなにも欲せずしていつも彼らに与えるならわしになっていると、思わず上品に振舞うものである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』497)
自分のことを全然語らないのはきわめて上品な偽善である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』504)
"事柄に対する情熱"。──事柄(学問・国家の福祉・文化問題・芸術)に情熱をむける人は、人間に対する情熱から多量の火を引き去る(政治家・哲学者・芸術家たちが彼らの諸創造の代表者であるといったぐあいに、人間がああした事柄の代表者である場合でさえも)。
"自己に対するよろこび"。──「事柄に対するよろこび」と人はいう、しかし本当はそれは事柄を介しての自己に対するよろこびである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』501)
"控え目の人"。──人間に対して控え目の人は、事柄(都市・国家・社会・時代・人類)に対しては、それだけひどくうぬぼれをみせる。これが彼の復讐である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』502)
"大きすぎる目標"。──公然と大きい目標を立て、そののち内心自分がそれにはあまりに無力だと認める者は、通常またあの目標を公然と撤回するだけの力もなく、そののちは避けがたく偽善者となる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』540)
"深すぎるな"。──或る事柄をまったく深く捉える人々は、いつまでもその事柄に忠実であることはまれである。彼らはまさしく深みを光にさらしたのである、そこにはいつでもぐあいのわるいものが沢山みあたる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』489)
それぞれの日をよく始める最良の手段は、眼がさめると、すくなくともひとりの人にこの日一つのよろこびを与えてやれるかどうか、と考えることである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』589)
"最も必要な体操"。──小さなことにかけての自制心が欠如すれば、大きなことにかけての自制力も腰くだけになってしまう。もしも少なくも日に一回、何か小さなことを"断念"しなかったならば、常にその日はまずい使い方をされたのであり、翌日にとって一つの危険となる。
自分自身の主人〔克己者〕であるという喜びを保持したいのであれば、この体操が不可欠である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部305)
無能詩人が二番目の時句では脚韻に合わせて詩想を探すように、人々は後半生ではいっそう臆病になり、前半生の行為・態度・境遇に合っていて、それで外面的には全体がうまく和音を発するような、そういう行為・態度・境遇を探すのが常である、
だが彼らの生活は、もはや或る強い思想に支配されたり幾度も新しく規定されたりすることがなく、そうした思想のかわりに、脚韻をみつけようとする意図が現われてくる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』610)
"技巧としての愛"。──なにか新しいものを本当に"知ろう"とする者は(それが人間であれ、出来事であれ、書物であれ)、この新しいものをありとあらゆる愛で受け容れ、それが敵対的である・気にくわない・間違っていると思われるところからはすべて急いで眼をそらし、
それどころかそれを忘れてしまうがよい、それでたとえば或る本の著者に最大の優位を与えて、競走のときのように、それこそ胸を躍らせながら彼が決勝点に達するのを熱望するのである。つまりこうしたやり方で人は新しい事柄の心臓に、その原動点に迫る、
そしてこれこそその事柄を知るということなのである。そこまでいくと、悟性があとからその制限を加える、あの過大評価、批評の振り子をああして一時はずしておいたことこそは、一つの事柄の魂をさそい出そうとする技巧にすぎなかったわけである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』621)
いつか生が我々を全くの強盗のようなやり方で扱い、我々の名誉、喜び、身より、健康、あらゆる種類の所有を奪えるだけ奪ってしまうときがくれば、我々は、最初の驚愕からさめてから、前"よりも豊か"になった自分を発見するだろう。なぜなら、こうなった暁にこそ、どんな強盗の手もふれることのできない
自分に固有のものが何であるのかを初めて知るからである。こうしておそらく我々は、あらゆる略奪や混乱のなかから大地主の気品を身につけて脱け出てくることであろう。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部343)
ゲーテのように自己にむかって次のようにいいながら、群衆の中にあっても自己と
本当に平和によろこばしく暮らしていける人に、今なお出会うことはどんなにまれであろうか、「もっともすぐれたものは深い静けさであり、この中でわたしは世にさからって生き、成長し、世が火や剣をもってしてもわたしから奪いえないものを獲得する」。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』626)
才人たちが学問の所産について望み仕第に多くを学ぶにしても、それでもやはり彼らの会話から、とりわけ会話の中の仮説から、彼らには学問的精神の欠けていることがみてとられる、彼らは、どの学問的な人間の魂にも長い修錬の結果根づいてきたような、思考の邪道に対するあの本能的不信というものを
もってはいない。或る事柄についておよそなんらかの仮説をみつけだせば、彼らには充分なのだ、そのとき彼らはこの仮説のために火となり焔となり、それで事はすんだと思いこむ。或る意見をもつということは、彼らにあってはもうそれだけで、その意見に熱狂したり、それを信念として今後肝に銘じたりする
ということを意味する。彼らはまだ解明されていない事柄のところで、それの解明に似てみえる彼らの頭の最初の思いつきに熱中する。それゆえ誰でも少なくとも"一つの"学問を根底から識っているべきだろう、そうすれば極度の思慮がいかに必要かわかるだろう。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』635)
もっとよく注意してみると、あらゆる教養人の最大部分が今なお或る思想家から信念を、しかもただ信念だけを求めており、ほんの少数者だけが"確実さ"を欲しているにすぎぬ、ということに気づく。前者は強く感動させられることを欲している、それによってみずからに力を増大させんがためである、
後の少数者たちは、個人的な利得を、また今のべた力の増大という利得をも無視するような、あの即物的な関心をもっている。思想家が"天才"として振舞ったり自称したりするときには、したがって権威をもつのが当然であるような高級存在らしい目つきでみているときにはいつでも、
はるかに優勢を占めている前者の部類があてにされているのである。あの種の天才が信念の灼熱を維持し、慎重な謙虚な学問的精神に対する不信の念を目覚めさせるかぎり、彼は真理の敵である、たとい自分をどれほど真理の求愛者と信じているにしても。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』635)
沈黙の許されぬときにのみ、語るべきである──しかも、自らの"克服"しおえたるものについてのみ語るべきである。そのほかのすべては、饒舌であり、「文学」であり、陶冶の欠如である。私の著書は、私の克服のあと"のみ"を語る。そのなかには、「私」が、かつて私の敵たりしすべてのものを
したがえた「私」が存在する。〈最も自己的な我〉が、いや、もっと高慢な表現を許してもらえば、〈最も自"体"的な我〉が存在する。推察の通り私はすでに多くのものを──"脚下"にしている……。しかし、私がすでに体験したもの、それをのりこえて生きてきたもの、あるいは、何らか私自身の事実もしくは
運命たるものを、あとから皮を剥いだり、搾り出したり、あばいたり、「呈示」したり(あるいはどう呼ばれるやり方であるにせよ)して、認識へともたらしたい気持ちが私に起こるまでには、いつもまず、時間が、恢復が、遠さが、距離が必要であった。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』序文1)
"光への敵意"。──人は、厳密に言えば、決して真理について語ることはできず、常に単に蓋然性および蓋然性の程度についてしか語れないということを、誰かに説き明かしてみるとしよう。するとふつう我々は、そう教えられた連中の示すあからさまな喜びから、どんなに彼らがむしろ精神的視界の不確実さを
好んでいるか、そして心の奥底では真理をその明確さの故にどんなに"憎悪"しているかがわかるものである。──それは、彼らが皆、真理の余りにも明るい光をいつか浴びせかけられはしまいかと自身ひそかに恐れているためだろうか? 彼らはひとかどの様子をしたがっているものだから、それで彼らの正体が
はっきり知られてはいけないわけなのだろうか? それともそれは、彼らが光に当たればたちまち眼の眩む蝙蝠──光に不慣れなためそれを憎まずにいられない蝙蝠のような薄明の魂の持主であるため、余りにも明るすぎる光に対して感ずる恐れにすぎないのか?
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部7)
"生の画像"。──生"そのもの"の画像を描くことは、どれほど詩人や哲学者たちによってたびたび提起された課題であるにしても、やはり無意味である。いかに偉大な画家的思想家たちの手によっても、出来上がった絵やスケッチはいつも"或るひとつの"生を、つまり彼ら自身の生を素材にしたものでしかない、
──そして、それ以上のことは、およそ可能ですらないのだ。生成の世界にあっては、或る生成しつつあるものが、固定した永続的なものとして、つまり一個の「そのもの」として映し出されることはありえないのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部19)
"退くつへの勇気"。──自分や自分の作品を退くつだと感じさせる勇気をもたないものは、芸術家であれ、学者であれ、ともかく一流の人物ではない。──例外的な仮定だが、同時に思索家でもある皮肉屋がいるとすれば、彼は世界と歴史を一瞥して、こう言い足すかもしれない──
「神は、この勇気をもたなかった。神は事物をすべて余りにもおもしろくつくろうとし、また事実そうつくってしまったのだ。」
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部25)
"いかなる種類の哲学で芸術は腐敗するか"。──形而上学的、神秘的哲学の霧がいっさいの美的現象を"不透明"にすることに成功すると、それらは相互に"評価しがたきもの"となる。なぜなら、個々の美的現象がどれも謎めいてくるからである。しかし、それらを評価を目的として相互に比較することが
もはや全く許されなくなるとすれば、最後には、完全な"没批判"が、盲目的な放任が結果する。しかも、これはさらに、芸術における"享受"そのものが絶えず減退するという結果をうみ出す(芸術における享受というものは、極度に鋭敏な味覚とニュアンスの感覚によってこそ、たんなる欲望の粗野な充足から
区別されるのである)。しかし、享受が減退すればするほど、芸術に対する欲求は低俗な飢餓感に変化し、退化してゆき、また芸術家は、いまやますます粗悪な料理でこれを満足させようと努めるようになる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部28)
自分が誰かに加えた不正は、他人が自分に加えた不正よりもはるかに堪えがたいものである(これはまさしく道徳的理由からではない、この点注意が肝要──)。行為者は、ほんらい常に受苦者である、──ただし、彼が良心の苛責に敏感であるか、あるいは、自分の行為によって社会を自分に対して武装させ、
自分を孤立化せしめたという洞察をもちうるかのどちらかである場合に。それ故、自分の内心の幸福のためだけにも、すなわち自分の満足感を失わないためだけにも、──宗教や道徳が命じるすべては全然別として──ひとに不正を加えることに対して用心すべきだろう。しかも、ひとから不正を
加えられることに対してよりもいっそう用心すべきだろう。なぜなら、不正を加えられることの方には、良心の曇りなさ、復讐への希望、公正なひとびとの、それどころか悪人を忌む社会全体の同情と賛意の期待という慰めがあるからである。──自分がひとに加えたどの不正をも、自分に加えられた他人の
不正へと改鋳してしまったり、また、自分がやったことに対して正当防衛の非常権を釈明のために留保しておくというような、きたない自己瞞著に長けた連中も少なからずいる。彼らは、こうして自分にかぶさる負担をずっと軽くしようという魂胆なのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部52)
不潔な境遇からもいっそうきれいになって出てくるすべを学ばねばならない。そして、やむを得ないときには、きたない水ででもからだを洗わねばならない。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部82)
われわれは誰にも汚れた生活環境を望むべきではない。だが偶然それに落ちこんだ者にとっては、汚れた生活も、性格と人のなしうる極限との試金石である。
(ゲーテ『格言と反省』)
真に「歴史的」なる朗読とか演奏などというものは、幽霊が幽霊に語りかけるようなものであろう。──ひとびとが過去の偉大な芸術家たちを尊敬するゆえんは、そのどの言葉、どの音符をもそれが制作されたもとの位置のままにしておこうとするあの不毛の畏敬にあるのではなく、
むしろ、その芸術家たちに常にあらたに生命を与えかえそうとする能動的な試みにあるのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部126)
作者たるものは、その作品が語り出すとき、口をつぐまねばならぬ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部140)
読者にもできることは、読者にまかせることだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.12.25)
「"良書は時をまつ"。」──良書はすべて、それが世に出た時は、渋い味がする。その新奇さがかえって欠点をなすからである。おまけに、その存命の作者が有名で、彼に関する多くのことが知れ渡っている時は、そのことがかえって仇をする。なぜなら、世間の連中はすべて、作者とその作品を混同するのが
常だからである。この良書のもつ活力、甘美さ、また燦然たる光輝は、育ちつつある世代の、そしてやがては年古りはてる世代の寄せてくれる尊敬に、また遂には後代に伝承せられるにいたった尊敬に守られつつ、年月を経るにつれてようやく発現してくるにちがいないものである。そのあいだには、
多くの時間が経過しなければならない、また多くの蜘蛛がそのための網をはっておかねばならない。良き読者は書物をますます良くし、良き敵手はそれを醇化させる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部153)
"第二流の芸術的欲求"。──民衆はたしかに芸術的欲求と呼んで差しつかえないものをいくらか持ち合わせてはいるが、しかしそれはごく少量で、しかも安直に満足せしめられるものである。結局、これには芸術の滓だけで十分なのだ──これは正直に認められるべきことである。たとえば、
現在われわれの最も元気さかん且つ健全且つ誠実な階層の国民がいかなる旋律、いかなる歌謡に彼らの真の心情の喜びを感じているかを、ひとつ考えてみてもらいたい。羊飼い、牛飼い、農夫、猟師、兵士、船乗り等の間で暮らしてみた上で、自らに回答してもらいたい。また、小さな町では、まさしく
古く受けつがれてきた市民的美徳の座である家々では、およそ今日作り出されつつある例の特別最低級の音楽が好まれ、それどころか甘やかされているのではないか? 民衆に関して──現にやられている様に──芸術へのいっそう深い欲求とか満たされぬ渇望などを語るような者は、うわ言をいっているか、
あるいはたぶらかしをやっているのだ。それ故、正直でありたまえ! 今では、"例外的人間"のもとにのみ、"高い様式"における芸術的欲求が存在する── 一般に芸術は再び退行期にあり、ひとびとは暫時その力と希望を他の事物に注いでいるからである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部169)
最後に、最後に人々が学ぶにいたることは、それを知らないおかげで若い頃に大損をするようなことである。すなわち、まず優れたことを"なさ"ねばならず、ついで、それがどこに、またどういう名のもとに見いだされるにしても、優れたものを"捜し出さ"ねばならない、ということ。他方では、あらゆる不良、
凡庸なものはすぐによけて通り、"これを相手に戦わない"こと、また、或るものの良否善悪が疑わしければ、それだけでもう──こういう疑念は、いくらか練れた趣味の持ち主には急速に生じるものである──それに反対する論拠とそれを全く回避する動機が得られたと見なしてよいということ、である。
もっとも最後の場合は、何回か勘違いをし、良いものではあるがいくらか近づきにくいものを悪い不完全なものととりちがえるという危険がありはするけれども。そして、これ以上うまくやれない者だけが、文化の兵士として、世の愚劣事を攻撃すべきである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部183)
"二頭立て"。──不明晰な思索と耽溺的な感情は、あらゆる手段を賭してのしあがり、自分ひとりだけ重きをなそうとするがむしゃらな意志としばしば結びついているが、これとまったく同様に、〔他人に対する〕助力、恩恵、好意への断固たる意志は、明るい透徹した思索への、
また節度ある自制的感情への本能としばしば結びつく。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部196)
"両面から"。──或る精神的方向や運動を敵視するのは、自分がそれを凌駕していて、それが目標とするところを承認できないときか、あるいは、その目標が高きにすぎてわれわれの眼に識別できないとき、つまり相手がわれわれを凌駕しているときかである。したがって、
同一の党派が上からと下からの両面から挑戦されることがありうる。そしてこの両方の攻撃者が共通の憎悪心から同盟を結び合うこともめずらしくないが、これは彼らが憎悪する当の対象のすべてよりもいまわしい種類の同盟である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部199)
"不妊の理由"。──極めて天分に恵まれた人物でありながら、気質上の或る欠点のため、しんぼう強く懐妊を待ちうけることができないばっかりに、いつも不妊であるような者がいる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部216)
「なんじ東へゆけ、さればわれ西へゆかん」──この言葉の示すような感覚が、親密な交際関係のなかの人間味を示すすぐれた目印である。この感覚がなければ、いかなる友情も、いかなる使徒同士、門弟同士の関係も、いつかは偽善となる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部231)
世間には、深い感情を持ちながら、なにか抑圧された人々がいるものです。そういう人たちの道化行為は、長年にわたる卑屈ないじけのために、面と向って真実を言ってやれない相手に対する、恨みの皮肉のようなものですよ。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)
現代にあっては、高尚な人間を論破するろくでなしのほうが、つねに強いのである。なぜならばろくでなしは、常識の世界で手に入れた品位のようなものを身につけているのに、高尚な人間は、理想主義者に似ているので、道化のように見えるからである。
(ドストエフスキー『作家の日記』1877.2)
深く考えるひとたちは、他人と交際するとき、自分が喜劇役者のように思えてくる。彼らはその時、ひとに理解してもらうために、いつもまず或る浅薄さを自らによそおわねばならないからである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部232)
"あいそづかしの沈黙"。──誰かが思索家として、また人間として深く痛切な変化をとげたとする、そしてそのあとでそれを公に言明したとする。それでも聴き手は少しもその変化に気づかない! そしてあいかわらず彼を全然旧態のままの人間と思いこんでいるのだ! ──こういうよくある経験のおかげで、
多くの著作家たちはすでに吐きけをもよおしてきた。つまり彼らは人間の知性を過信していたのであり、したがって自分たちの錯覚に気づいた時、彼らは沈黙することを心に固く誓ったのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部246)
我々が激しく変化すると、変化しなかった我々の友人達は我々自身の過去の亡霊となる。彼らの声は、我々の耳には影のように不気味にきこえてくる、まるで我々が我々自身の声を、しかしもっと若く、もっと生硬なもっと未熟な我々自身の声をきくみたいに。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部242)
"ひとつのキリスト教的美徳へいたる道"。──おのれの敵たちから学ぶということは、彼らを愛するための最善の道である。なぜなら、それは彼らに対する感謝の気持ちをわれわれにおこさせるからである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部248)
智慧の増加は、忿懣の減少によって正確にはかられる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部348)
もうこれ以上怒りたくないと思うなら、喜びもまた違ったものにならなければならない。それはもはや怒りの相関物であってはならないのだ。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.5.6)
"親友関係"。──親友関係が成り立つのは、相手を非常に、しかも自分自身よりも敬重する場合、また同様に相手を愛しはするが、しかし自分自身を愛するほどにではない場合、そして最後に、お互いつき合い易くするために、親密さをよそおう・ものやわらかな"うわべ"と柔毛を添えることを心得ていて、
しかも同時に、ほんとうの親密さにはおちいらぬよう、また私と君の混同におちいらぬよう賢明な用心がなされる場合である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部241)
"再会に際して"。──旧友同士が長い別離の後に再会すると、すでに彼らにとっては全然どうでもよくなったような事柄をいかにも興深げに話し合うということがしばしば起こる。そして時には両方とも、そのことに気がつくが、しかしあえてヴェールをたくし上げようとはしない、
──それも或るもの悲しい疑惑の念からである。こうしてまるで死者の国のなかでのような対話が生まれる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部259)
"一つの眼で二つの眼つき"。──ひいきを、またひいきしてくれる人をほしがる畸形な眼つきの連中は、ふつうまた、彼らのたびかさなる屈辱や復讐心の結果として、恥しらずな眼つきもしている。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部243)
"優雅の敵対者"。──寛容でない高慢な人間は優雅を好まず、それを自分に対する有形の可視的な非難のように感じる。なぜなら優雅は運動や身ごなしにあらわれた心情の宏量だからである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部258)
或る連中は、自分のえらさを見せつけたい相手が居合わせると、時には自分の友人をすら虚栄から虐待する。また別の連中は、自分はこれほどの敵を持てるだけの値打ちがあるのだということを自慢して見せつけるために、自分の敵の価値を誇張する。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部263)
"すべて哲学は或る年齢の哲学である"。──或る哲学者がその学説を創案したときの年齢は、その学説のなかから聞こえてくるのであって、いかに自分が時間を、時の刻みを高く超越していると感じようとも、彼はこのことを隠すことはできない。こうして、ショーペンハウアーの哲学は、常に熱っぽい、
憂鬱な"青年時代"の反映である、──その思考方法は年配の人たちむきではない。またプラトンの哲学は、三十代の中頃を想い起こさせる。それは、冷たい気流と熱い気流がいつも交互に吹きすさぶ年齢、そのためにほこりや切れ切れの薄雲が生ずる年齢、
また日ざしが出てうまくいったときは魅惑的な虹が生まれる年齢である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部271)
"裏切りとしての笑い"。──或る女性がどんなふうに、またどんなときに笑うかは、彼女の教養のほどを示す目印となる。しかしまた、笑い声の響き方には彼女の本性があらわれる。非常に教養をつんだ女性たちの場合には、おそらく、
彼女たちの本性の最後に溶けのこった〔教養の醇化し残した〕残滓すらあらわれる。──それ故に人間研究家は、ホラティウスのように、しかし違った理由から、言うことだろう、〈少女らよ、笑え〉と。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部276)
"革命精神と所有精神の人々"。──社会主義に対抗する手段のうちでまだ君たちの力のおよびうる唯一の手段はこうである──社会主義を挑発しないこと、すなわち自ら適度にまた控え目に生活すること、いかなる奢侈のひけらかしも及ぶ限り避けること、そして、国家があらゆる余剰なものやぜいたく品の
類いに手痛く課税してきた場合は、国家に協力すること。君たちはこの手段を望まないというのか? それでは、「自由主義(リベラル)」を標榜する君たち裕福なブルジョアよ、さあ白状してしまいたまえ、君たちが社会主義者どものなかにあれほど恐ろしげに、またあれほどおびえて見いだした彼らの根性は、
実は君たち自身の根性なのであることを。
もしかりに君たちが、現在の君たちのように、自分の"財産"を、またその保持のための憂慮をもたないとするならば、こういう君たちの根性は君たちを社会主義者に仕立てあげていることだろう。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部304)
"富のもつ危険"。──"精神"をもつ者だけが"所有"をもつべきであろう。そうでないと、所有は"公共的に危険"である。つまり、その所有のおかげで手に入れることのできる暇な時間の使い道を知らない所有者は、たえず所有欲に"駆られ続ける"であろう。そしてこの欲が彼の慰みであり、倦怠との戦いにおける
彼の戦略であるだろう。こうして最後には、精神的な者にはそれで十分と思われるはずの適度な所有の域を超えて本格的な富裕がうまれてくる。しかも、精神的な隷属と貧困の絢爛たる産物としてである。ただ富は、そのみじめな素姓などおよそ想像もさせない姿で"あらわれる"が、それは富が教養とか芸術の
仮面を被ることができるからである。それどころかそれは、仮面を"買う"こともできる。こうすることによって富は、貧しい者や教養のない者に嫉妬心を喚びおこし──もっともこれらの者は常に教養を嫉むのであって、仮面を仮面として見ぬくことはしない──、次第にひとつの社会顛覆を準備する。なぜなら
「文化の享受」という謳い文句のなかの金めっきされた野卑と芝居じみた自慢ぶりが、あの者たちに「肝腎なのは金だけだ」という考えを起こさせるからである。──ところでもちろん"いくらかは"金も肝腎だが、しかし"精神の方がはるかに肝腎"なのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部310)
"公然と悩むことを心得る"。──自分の不幸を掻きたて、時には聞こえよがしに溜め息をついたり、あからさまにいらいらして見せたりする必要がある。なぜなら、苦しみや困窮にあっても泰然と自足しているさまをほかの連中に気づかせることは、どんなに彼らを妬ませ、意地わるにするかわからないからだ!
──けれども我々は、我々の仲間たちを傷つけないよう気をつけなければならない。それに、もしも彼らが我々の自足を知ったなら、彼らは我々に苛酷な税をかけてくるだろう。かくて、我々の"公然たる懊悩"はともかく我々の"私益"でもあるのだ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部334)
"愚者のふりする賢者"。──賢者はその仁慈心から、時々、興奮したり、怒ったり、喜んだりする"様子を見せる"が、これは、彼の"真の"性質である冷たさや思慮深さが周囲のひとたちを傷つけることのないようにするためである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部246)
証明してやろうなどと意気込まずに、考えるままに率直に意見を述べるのが、つねによりよいやり方である。なぜなら、わたしたちのもち出す証明はことごとく、わたしたちの意見の変種にすぎないのだから。そして、反対意見の持主は、そのどちらにも耳を傾けはしない。
(ゲーテ『箴言と省察』認識と学問)
全体として誤解されているときは、個々の誤解を完全に解くことは不可能である。自分を弁護するのに余計な労力を費やさないために、このことをよく洞察しておく必要がある。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部346)
"歴史学の最後の教訓"。──「ああ、その頃に生きていたらなあ!」──これは愚かな、そしてふざけた人間の言いぐさである。むしろ、歴史のどんな部分に対しても、それを"真剣に"観察した者であれば、それが過去のうちでもどんなにひとびとの讃美のまととなった国であろうとも、
最後にはこう叫ぶだろう──「とてもまたそこへ戻りたいとは思わない! もしも戻ったとしたら、あの時代の精神は、幾百もの気圧の重荷でおれの上にのしかかってくることだろう、あの時代の善も美もおれは楽しむことができないだろうし、悪を消化することもできないだろう。」──そして必ずや後世は、
われわれの時代のことを全く同じように判断するだろう、あれにはがまんならない。あんな時代の生活はとても生きられるしろものではなかったろう、と。──それでいて誰もが自分の時代を堪えているというのか? そうなのだ、しかもそれは、
彼の時代の精神が彼の"上に"〔気圧として〕あるだけではなくて、彼の"内部に"もあるからこそなのだ。時代の精神は自らに抵抗し、自らを堪えているのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部382)
"耳がない"。──「いつも他人に負い目をおしつける限り、その者はまだ賤民に属している。いつも自分だけに負い目を帰するとき、その者は智慧への途上にある。だが賢者は誰ひとり、自分も他人も、負い目あるものはいないとみる。」──これは誰の言葉であるか? ──エピクテトスである、
一八〇〇年前の。──ひとびとはこれを耳にしはしたが、忘れてしまった。──ちがう、それは耳にされたことも、忘れられたこともなかったのだ。いかなるものも忘却されてしまうとは限らない。だがひとびとは、それを聞く耳を、エピクテトスの耳を持たなかったのだ。──それではエピクテトスは、
これをわれとわが耳に向けて語ったのか? ──そのとおりである。智慧は、孤独者がひとのあふれた市場で自分にだけ囁く密語である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部386)
古代後期のひとびとの魂の慰め手であったエピクロスは、今日なお依然としてめったに見あたらないあのすばらしい洞察の持ち主であった。それは、心情の慰安のためには、窮極的な、また最も迂遠な理論的問題の解決など全然必要でない、という洞察である。そこで彼にとっては、「神々に対する不安」に
さいなまれているひとたちには、「もし神々が存在するとすれば、神々はわれわれのことなど気にかけていないだろう」と言うだけで十分であった、──そもそも神々は存在するのか、といった窮極的な問題について、不毛な、そしてもどかしい論議なぞするかわりに。
ああいう態度の方がずっと有益且つ有効なのだ。つまり、相手に数歩をゆずっておいて、このために相手が進んで傾聴し感銘するようしむけるのだ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部7)
"意志の自由と諸事実の孤立"。──われわれの習慣的な不精確な観察は、一群の諸現象をひとつにまとめてそれをひとつの事実と名づける。そして、この事実と他の事実の間に空虚な空間が存在するという考えをこれに附けくわえて、それぞれの事実を"孤立"させる。しかし本当は、
われわれのすべての行動や認識は、決して諸事実や空虚な中間空間の連続ではなくて、ひとつの不断の流れである。ところで、意志の自由に対する信仰は、まさにこういう不断の、一様な、不分の、また不可分の或る流動の観念と相容れない。なぜなら、
意志の自由に対する信仰は、"個々の行動はすべて孤立的且つ不可分"であることを前提しているからである。それは意欲と認識の領域における一個の"原子論"なのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部11)
我々は、個々の事実を"孤立"させているだけでなく、同種の諸事実の各群(善い、悪い、同情深い、嫉妬深い行動などなど)をも"孤立"させるのだ、──そしてこのいずれもが誤謬である。──言葉と概念が、なぜ我々がこうした分類された諸行動の孤立を信ずるにいたるのかについての最も明白な理由である。
つまり我々は言葉や概念で事物を"表示"するだけではなく、そもそもそれらによって事物の"真理"を把握できると考えるのだ。そして更に我々は、言葉や概念によって事物をその実際よりももっと簡明に思考し、相互から分離された不可分の、それぞれ単独に存在するものと見なす。"言語"のなかには、いかに
我々が注意深くしていても、あらゆる瞬間にまたいきなり姿をあらわす一種の哲学的神話がかくれている。意志の自由に対する信仰、すなわち"同種"の事実と"孤立した"事実に対する信仰、──これは言語のなかにその不断の福音史家と弁護士をもつのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部11)
しかし習慣性というものは、犯罪者が処罰される原因となる行為の罪を、それが習慣的でなかった場合よりも容赦できるものに思わせるはずのものだろう。そこには、抵抗しがたい性癖というものが出来てしまっているからである。しかし実際には反対に、犯罪者は、常習犯の嫌疑がかけられるときは、
そうでないときよりも苛酷な刑を課せられ、習慣性は一切の情状酌量に対する反対事由と見なされてしまう。これとは逆に、ふだんは模範的な生活を送っている者が、それだけいっそうこれとおそろしい対照をなす犯罪を行なったときには、彼の有罪性はいっそう顕著に見えるはずであろう! しかし実際には、
この場合かえって刑が緩和されるのが普通である。かくして、すべては犯罪者を基準に量られるのではなく、社会と社会のうける危害を基準に量られるのだ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部28)
最短の道とは、可能な限り一直線な道ではなく、最も好便な風がわれわれの帆をはらませてくれる道である、──船乗りの教えはこう語る。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部59)
トルコ人の宿命論は、人間と宿命を二つの別々のものとして相互に対立させるという根本的な誤りを含んでいる。その言うところによれば、人間は、宿命に対してその企図を挫折せしめるべく抵抗することができる、しかし結局はいつも宿命が勝利を手中にする、それ故、
諦めることあるいは気ままに生きることが最も賢明である、と。しかしほんとうは、いかなる人間もそれ自身一個の宿命なのである。たとえ人間が上述のやり方で宿命に抵抗できるのだと思っても、まさにこのこと自体のなかにやはり宿命が成就されているのである。宿命との戦いは一つの幻想である。
だがトルコ人の言うあの宿命への忍従もやはり一つの幻想なのだ。そしてこれらの幻想はまたすべて宿命のなかに包摂されているのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部61)
赦すことができるか? ──われわれは、自分が何をしているのかを知っていないようなひとたちをいったい"どうやって"赦すことが"できる"だろうか! その場合われわれは、およそ赦すべき何ものも"持って"いないのだ。──だが、かつて人間が、自分が何をしているのかを
"完全に知って"いたということがあるだろうか? そして、このことがいつも少なくとも"疑問"である以上、人間は相互に赦し合うべき何ものをも持たないのであり、ひとを容赦するということは、最も思慮深い人間にとっては不可能事なのである。最後に、"もしも"非行者たちが自分のしたことをほんとうに
知っていたとした"場合"、──この場合はしかし、われわれがその者に罪を帰し、刑罰を課する権利を持つときに限って、われわれはその者を"赦す"権利を持つことになろう。しかしわれわれはこの帰罪、課刑の権利をも実は持っていないのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部68)
"宗教家の説教と著作"。──牧師の説教や著作の文体や表現全体がすでに"宗教的"な人間を告げているのでなかったら、宗教についての、また宗教に益するための彼のさまざまな意見をもはや真にうける必要はない。彼の文体が曝露するように、彼が、最も非宗教的な人間と全く同様に、皮肉、不遜、陰険、
憎悪、また気分のあらゆる渦巻きや変転の持ち主であるなら、彼の意見はその持ち主自身にとって"無力"だったのである、──そして、ましてや彼の聴衆や読者たちにとってはどんなにかいっそう無力だったことだろうか! 要するに、
彼はこのひとたちをいっそう非宗教的にするのに奉仕していることになろう。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部79)
"世俗の正義"。──世俗の正義を根底からくつがえすことは可能である、──万人の完全な無責任性と無垢の説をもってすれば。ところがまたまさにこれとは反対の、万人の完全な責任性と罪責性の説に基づいてすでに同じ方向の試みがなされている。世俗の正義を廃棄して、
裁きと刑罰をこの世から抹殺せんとしたのは、キリスト教の始祖であった。なぜなら、彼はいっさいの罪過を「罪」として、すなわち"神"に対する冒漬として理解し、俗世に対する冒涜とは理解しなかったからである。他方において彼は、すべての人間を最大限にしかもほとんどあらゆる点で罪人であると見た。
しかし罪ある人間が同じく罪ある人間の審判者となるべきではない──こう彼の公正は判断した。つまり世俗の正義をふるう"すべての"裁判官たちは、彼の眼には、彼らによって有罪を宣告された者たちと同様に罪あるものに映ったのであり、また彼らの無罪過をよそおう顔つきは、彼には偽善的、
パリサイ人的に見えたのである。その上彼は、行動の動機に注目して、結果には目を向けなかった。そして動機を判定するに足るだけの炯眼をそなえるものは一人の者だけ、つまり自分自身(あるいは彼の使った表現によれば──神)だけと見なしたのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部81)
干しぶどうは、ケーキの最上の部分だろう。だが干しぶどう一袋のほうが、ケーキ一個よりいいわけではない。干しぶどうがぎっしり詰まった袋をくれる人がいても、だからといってその人にケーキが焼けるわけではない。もちろん、もっとましなことができるわけでもない。
私の念頭にあるのは、クラウスと彼のアフォリズムのこと。と同時に、私自身と私の哲学の文章のことでもである。
ケーキ。それは、薄くのばした干しぶどう、のようなものではないのだ。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1948.1.11)
あらゆる芸術作品にも、そのなかに何かパンのようなものがなければならない。つまり、芸術作品の持ついろいろな作用は、そうした折々の休息や中休みなしに連続すれば、結局は芸術の"比較的長い"食事というものを不可能にしてしまうだろうからである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部98)
人がもしゲーテの著作、特に、存在する最良の書であるゲーテの『エッカーマンとの対話』から眼を転じるならば、一体ドイツの散文作品のうちで、再三再四読まれるに値する何が残るであろうか。
リヒテンベルグの『アフォリズム』、ユング=シュティリングの『伝記』第一巻、アーダルベルト・シュティフターの『晩夏』、ゴットフリート・ケラーの『ゼルトヴィラの人々』──そしてこれで当分は終りであろう。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部109)
十九世紀から後代に残るべき一対の良書、もっと正確に言えば、今世紀に根を置いていない樹々として、その枝を世紀を超えて張り渡しているもの。──私は『セント・ヘレナ回想記』と『エッカーマンとの対話』とのことを言っているのである。
(ニーチェ 遺稿1888年 芸術と芸術家)
"引用のときの用心"。──若い書作家たちの知らないことであるが、よい表現、よい思想というものは、それと同類のものの間でのみ立派に見えるのであり、立派な引用句がまざるとページ全体が、それどころか書物全体がだいなしにされかねない。その引用句が読者に警告して
こう呼びかけるように思われるからである、「気をつけたまえ、私は宝石だ、そして私のまわりは鉛、色あせた恥ずべき鉛だ!」と。どんな言葉、どんな思想も、"自分の社会の中"でのみ生きたがるものであり、またそれが選り抜きの文体のモラルなのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部111)
ホメロスが書いたものの四分の三は、因襲である。そして、およそ近代の独創熱にふける必要のなかったすべてのギリシア芸術家の場合も同様である。彼らには因襲に対するいかなるおそれもなかった。それどころか彼らはこの因襲によって公衆とのつながりをもった。つまり因襲は、聴衆の理解をうるために
"かち得られた"芸術手段であり、苦労して習得された共通語であり、これによって芸術家が実際に自分を人に"つたえる"ことのできるものである。とりわけ芸術家が、ギリシアの詩人や音楽家のように、その作品の一つ一つごとに"即座に"勝利をおさめたいと願う──なぜなら彼は、一人あるいは二人の競争者と
公開の戦いを行うのが習慣であったから──ときは、彼が"即座に"公衆に"理解される"ということが第一条件であり、そしてこれを可能にするものは因襲だけである。芸術家が因襲の枠を越えて何かを創案するとき、彼はそれを彼自身の自発的な動機からなすのであり、これで一つの新しい因襲を"創始"し、
うまくいけば成功を博そうと試みる。普通この独創的なものは驚嘆され、時には崇拝されさえするが、理解されることはめったにない。因襲をがんこに無視することは、理解されることを望まないことである。それでは、近代の独創熱は何を示すのであろうか?
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部122)
ゲーテはいわゆる「国民文学」よりも高次な種類の文学に属している。それ故彼は、彼の"国民"に対しても、生きているとか新しいとか古くなっているとかいった関係に立っていない。彼はごく少数の者に対してのみ生きてきたのだし、またいまなお生きているのである。そしてたいていの者たちにとっては、
彼は、時々ドイツの国境を越えて外へ向けて吹きならされる虚栄のファンファーレ以外のものではない。ゲーテ、単に良き、そして偉大な人間であるにとどまらず、一個の"文化"であったゲーテは、ドイツ人の歴史のなかでは、あとに波紋を残さないエピソードのようなものである。
たとえば最近七〇年のドイツの政治のなかに、誰がゲーテの片鱗を指摘することができよう!(ところがともかくそこには、シラーの片鱗、またおそらくはレッシングの小さな片鱗は活動していたのだ。)
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部125)
古典作家は、知的および文学的な諸徳を"植えつける者"ではなくてその"完成者"であり、また諸国民が滅亡しゆくときにはその滅亡を越えて生きのこる人たちの最も高い頂きの光なのである。なぜなら古典作家は彼らよりも軽く、自由で、純粋だからである。そして、人類にとって最高の状態が可能となるのは、
諸国民の〔てんでに国民的な要素から合成されたような〕ヨーロッパがひとつの暗い忘却となるとき、しかしヨーロッパが三〇冊の非常に古い、しかし決して古りはてることのない書物のなかに、すなわち古典作家たちのなかになお"生き"つづけるときである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部125)
"古典的な本"。──古典的な本のどれもが持っている最大の弱点は、それがあまりにもその著者の母国語で書かれすぎているということである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部132)
"言語改革者たちに反対して"。──言語上で改革したりあるいは擬古趣味を発揮したりすること、珍しい言葉や外国風の言葉を好んでとりいれること、用語数を制限せずかえって豊富にするようねらうこと、これらは常に、趣味の未熟あるいは腐敗の徴候である。高潔な貧しさ、だが見すぼらしい所有のなかでの
卓越した自由、これはギリシアの雄弁術家たちの特徴である。彼らは民衆が所有するよりも"少なく"所有することを望む──なぜなら民衆は古いもの、新しいものにかけて最も物持だからである──、だが彼らはこのより少ない所有を"より良く"所有することを願う。彼らの使う擬古趣味や外国趣味の言葉を
数えあげるならば、たちまちに数え終わってしまうほど少ない。しかし、言葉や語法上の日常的なもの、また一見とっくに使い古されたかに見えるものとの彼らの軽妙で繊細なつき合い方を見わけることができれば、かぎりない讃嘆の気持ちが湧いてくる。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部127)
「おおよそ、作家の文体というものは、その内面を忠実に表わす。明晰な文章を書こうと思うなら、その前に、彼の魂の中が明晰でなければだめだし、スケールの大きい文章を書こうとするなら、スケールの大きい性格を持たなければならない。」
(エッカーマン『ゲーテとの対話』1824.4.14)
"思想を改善する"。──文体を改善するということ──これは思想を改善するということであって、およそそれ以上のものではない! ──これをすぐに承認しない者には、またいかにしてもそれを納得させることができない。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部131)
"誓い"。──私は、書物をこしらえ上げる意図をもっていたことが見てとれるような著者は、もはや決して読むまい。そうではなく、その思索がはからずも書物となったようなひとたちだけを読むことにしよう。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部121)
"決心"。──生まれることと(インクでもって)洗礼を施されることとが同時だったような本は、もう読まぬこと。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部130)
"まずい本"。──本は当然ペン、インク、また書物机を必要とする。しかしふつうは、ペンやインクや書物机が本を求めるのだ。だからいまでは本がこんなにつまらないものになっているのだ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部133)
三種類の思想家。──鉱泉には、滔々とたぎり出るもの、よどみなく流れ出るもの、ぽたぽたと滴り出るものがある。思想家にもこれに応じて三種類ある。素人はそれを水の量で評価し、玄人は水の含有物で、つまり彼らの中の水でないものによって評価する。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部18)
"感覚の臨在"。──公衆は、絵画について考え込むときは詩人になり、詩について考え込むときには研究者になる。つまり、芸術家が公衆に呼びかける時は、いつも公衆には"正常な"感覚がかけている。つまり、精神がではなくて感覚が不在なのだ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部134)
ある人の高貴さをみることを望まない者は、その人における低劣なもの、目立つものに、それだけ鋭い眼を向けるものだ。──そしてそのことによって自分の正体をさらけだすのだ。
(ニーチェ『善悪の彼岸』275)
"最も鋭い批評"。──或る人、或る書物に対する最も鋭い批評は、その人、その書物のもつ理想を描き出して見せることである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部157)
"選ばれた思想"。──或るすぐれた時代の選ばれた文体は、言葉だけではなく思想をも選りぬいている、──しかもその両方ともを"世間の通例なもの"、また"世間で支配的なもの"の範囲から選りぬいている。大胆な、またあまりにも新鮮な匂いのする思想は、成熟した趣味にとっては、新しい向こう見ずな
比喩や表現におとらずいやなものである。後になると両方とも──すなわち選ばれた思想と選ばれた言葉──は、とかく凡庸の匂いがする。選ばれたものの匂いが急速に揮発してしまって、そのあとに通例なもの、日常的なものの味だけが残るからである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部135)
あまり早くに鋭くならぬよう気をつけねばならない、──同時にあまり早くに薄っぺらになってしまうから。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第1部267)
心という上着なしで、知性の角がむきだしになると、詩の尖端(ポワント)がとがりすぎる。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1946.10.24)
"様式の腐敗の主因"。──或るものごとに対してひとが実際に"持っている"以上の感情を"示そう"とすることが、言語における、またあらゆる芸術における"様式"を腐敗させる。すべてのすぐれた芸術はむしろこれと逆の傾向を持っている。それは、道徳的にすぐれた人間と同様、感情をその途中でおしとどめて
"完全に"終わりまで突っばしらせないことを好む。感情をなかばまでしか示さないこの慎しみは、たとえばソフォクレスの場合に極めて美しく見うけられる。感情が自分を実際よりも冷静に見せるとき、感情の表情は輝かしく変容するように思われるのだ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部136)
ゼバスティアン・バッハ。──バッハの音楽を、対位法とあらゆる種類のフーガ様式の完全なそして如才ない達人としてでは"なく"、したがって、本来の音楽技巧的な面の鑑賞なしに聞く限り、我々は彼の音楽の聴衆として、(ゲーテと共に荘厳な表現を用いるならば)あたかも我々は、"神が世界を創造した"
その場にい合わせているかのような気持ちになるだろう。すなわち、我々はここに何か偉大なものが生成しつつあること、しかしまだ"存在"はしていないことを感ずるのである。その"偉大"なものとは、我々の"偉大な"近代音楽のことである。それは、教会を、国民を、そして対位法を克服したことによって、
すでに世界を克服している。だがバッハにも、まだ非常に多くの生(なま)なキリスト教精神、生なドイツ精神、生なスコラ哲学がある。彼はヨーロッパ(近代)音楽の入口に立ってはいる、だがここから中世の方をふり向いているのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部149)
ベートーヴェンの音楽はしばしば、とっくに失われていたと思われていた「音楽のなかの無垢」の曲を思いがけなくも再び耳にしたときの深く感動した"内省"のように見える。つまりそれは音楽についての音楽である。路地をゆく乞食や子供達の歌の中に、旅行くイタリア人達の〔歌う〕単調な旋律の中に、
村の居酒屋での、あるいは謝肉祭の夜の舞踏の中に、彼は彼の「メロディー」を発見する。つまり彼は、ここかしこと一つ一つの楽音や短い楽句をすばやく捉えながら、蜜蜂のように旋律を集める。それらは、彼にとって「よりよき世界」からもたらされる数々の神々しい"追憶"である、──ちょうどプラトンが
イデアのことをそう考えたように。モーツァルトはこれとは全く違った関係にある。彼がその霊感を得るのは、音楽を聴く時ではなく、生を、しかも最も躍動的な"南国の"生を視るときである。彼は、イタリアにいないとき、いつもイタリアを夢みていた。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部152)
フェーリックス・メンデルスゾーン。──フェーリックス・メンデルスゾーンの音楽は、かつて存在したすべての良きものに対する良き趣味の音楽である。それは常に自己の背後を指示している。どうしてそれが多くの「前方」、多くの未来を持つことができよう!
──しかし、彼は、いったい未来を持つことを"欲し"たであろうか? 彼は、芸術家のあいだでは稀な徳を、すなわち何の底意もなき感謝の徳を有していた。そしてこの徳も常に自己の背後を指示する徳である。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部157)
ハイドン。──ハイドンは、一人の端的に"善良な"人間と結合しうる限りの天才性を所有した。つまり彼は、道徳性が知性に対して劃す限界ぎりぎりのところまでゆく。だから彼は、「何らの過去」をももたない音楽ばかりを作っているのだ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部151)
音楽における演奏の原理について。──いったいほんとうに今日の音楽の演奏の芸術家たちは、彼らの芸術の至上命令は、どの曲にもできるだけくっきりした"高浮彫り"を施して、何としてもそれに"劇的な"言葉をしゃべらせることだと信じているのだろうか? これは、たとえばモーツァルトに
適用したとすれば、本来、精神に対する、つまりモーツァルトの快活で、明るい、やさしい、浮き浮きした精神に対する一つの罪ではないのか? モーツァルトのきびしさは、温和なきびしさであって恐ろしいきびしさではなく、その形象は観る者を驚愕と逸走のなかに追いこむために壁のなかから
跳び出してこようとする種類のものではない。それとも君たちは、モーツァルトの音楽は「大理石像の音楽」と同意義だと思っているのか? しかもモーツァルトの音楽だけでなく、あらゆる音楽のことを? ──だが君たちはこう答える、"効果"がより大きいということが自分たちの原理に味方する、と。
──君たちの言うことはあるいは正しいであろう、だがただしそれは、いったいそれは"誰に対して"効果があったというのか、そして卓越した芸術家はいったい誰に対してのみ効果を与えることを"望んでよい"のか、という反問が残らないとした場合だけのことだ! 芸術家が効果を与えることを許されるのは、
決して民衆に対してではない! 決して未成熟者たちに対してではない! 決して感傷的な連中に対してではない! 決して病的な連中に対してではない! とりわけしかし、決して無感覚な連中に対してではない!
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部165)
"啓蒙の危険性"。──あらゆる半狂乱、芝居じみたもの、野獣的な残忍さ、情欲的なもの、とりわけ感傷的で自己陶酔的なもの、つまり一体となって真の"革命の実体"を形成するもの、そして革命に先立ってはルソーのなかに肉となり精神となっていたもの、──こういう本質の全体は、更に陰険な狂喜のうちに
"啓蒙"〔の光背〕をその狂信的な頭の上にかぶり、これによってまるでこの世ならぬ光輝につつまれたかのように自ら光り始めたのである。しかし啓蒙は、根本においてはああいう本質とはおよそ異質のものであり、独立に支配しながら、そしてただ個々のひとびとを改造することだけに長いこと満足しながら、
一筋の光明のように静かに雲のなかを歩んできたはずのもの、したがってまた、諸国民の習俗や制度をも極く緩慢にのみ改造しなおしてきたはずのものである。ところが今では、無法な、そして激発的な本質と結びつけられて、啓蒙それ自体も無法で、激発的なものになってしまった。啓蒙の危険性はこのために
啓蒙が大革命の運動にもたらした解放と啓発の有用性よりもほとんど大きくなったのである。このことを理解する者は、"自分自身"で啓蒙の仕事を"継続"し、遅ればせにでも革命を起こらなかったものとしてしまわなければならないことを理解するだろう。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部221)
──したがって、誰かに敬意を表そうとするときは、お互いの思想が一致しているということなどを言い出さぬよう用心しなければならない。それは自分を相手と同じレベルにおくことになるからである。── 一つの意見をきくときには、それがわれわれのものとは違う意見であるかのように、それどころか
われわれの視界を絶したところからあらわれた意見であるかのようにして耳を傾けるということは、多くの場合社交的な礼儀に属することがらである。たとえば、老人や老練家が特別にその宝庫をひらいて彼の知見を披瀝するようなときにそうである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部260)
"教育者は存在しない"。──われわれは思索家としては、自己教育についてのみ語るべきだろう。他人の手による青少年教育というものは、まだ未知なもの、あるいは不可知なものについて行なわれる一個の実験であるか、あるいはその新しい存在を無差別に社会の支配的な慣習や習俗に
適応"させる"ための原則的な平準化であるか、である。つまりいずれの場合にしても、思索家にはふさわしくないもの、そして、大胆不敵なまでに率直なひとびとのうちの一人によって〈われわれの不倶戴天の敵たち〉と呼ばれた両親や教師連にふさわしい仕事である。──世間の見方からすればすでにとっくに
教育され終わっているいつか或る日のこと、ひとは自己"自身"を"発見"するだろう。そのときにこそ思索家の任務は始まるのだ。そしてその時こそ、彼に助けを求めるべき時代なのだ、──教育者としてではなく、自己教育を果たした経験家としての彼に。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部267)
労働の価値を、そこにどれだけ多くの時間、精励、熱意や不熱意、拘束、独創あるいは怠惰、正直さあるいは虚飾がついやされているかを基準として定めようとするならば、その価値は決して"公正"なものでありえない。なぜならこういうやりかたをするなら〔労働者の〕全人格を秤りの上にかけることが
できなければならないが、これはもとより不可能だからである。だからこそ、「裁くなかれ!」ということが言われるのだ。けれども、今日我々が労働の価値の査定に不満な人々から聞かされるのは、実にこの正義を求める呼び声なのである。もっと考えをおし進めるならば、いかなる人格もその生産物、
その労働に対して責任がないということがわかるにいたるだろう。したがって決して"功績"というものがそこから引き出されてはならない。どんな労働も、それがさまざまな力や弱さや知識や欲望の必然的な複合構造に従ってそうあらざるを得ないとおりに良い労働であったり、不良な労働であったりするのだ。
労働するかどうか、どのように労働するかどうかは彼の勝手にはならない。ただ"効用"の見地のみが労働の評価を産み出したのだ。我々が今日正義と呼ぶところのものは、この見地では、一つの最高度に洗練された効用性として考えれば極めてぴったりである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部286)
"新しい生活の二原則"。──"第一の原則"──最も確実なもの、最も証明可能なものを目標に生活を整えるべきである、つまり従来のように最も遠いもの、最も無規定なもの、最も地平線の雲めいたものを目標とすべきでないこと。
"第二の原則"──自分の生活を整えて、それを終極的に方位づける前に、最も身近なものと普通に身近なもの、確実なものとそれほど確実でないものの"順序"をはっきりさせておくべきこと。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部310)
"後悔"。──決して後悔をはたらかせてはならない。そうではなくて、むしろすぐにこう自らに言うべきだ、後悔することは第一の愚行に第二の愚行をかさねることだ、と。──何か失敗をしでかしたときは、こんどは良いことをするようこころがけるべきである。自分の行為のために罰を受けるときは、それを
受けることによってすでに何か良いことをしているのだという気持ちで、その罰に耐えるべきだ。つまり彼は、同じ馬鹿な羽目におちこまぬよう他の人たちに警告しているわけだからである。刑罰をうける犯罪者はすべて、自分を人類の恩人と感じてよいのだ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部323)
"賢者の単調"。──牝牛は時々驚きの表情を示すが、もっともその驚きは"問い"に至る途中で立ちどまってしまっている。これに反して、高い理知の者の眼には、雲ひとつない空の単調さに類した〈無驚動〉がひろがっている。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部313)
さわるな!──何かの問題を解くかわりに、その問題に携わろうとする全ての人々に対してそれをかえってもつれさせ、いっそう解きにくくするような、忌むべき連中がいる。釘の頭を打ちあてることを心得ない者には、全然釘を打ちあてないよう頼むべきだ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部326)
論理的なものが人間には必要であり、また非論理的なものから多くの善きものが出てくるという認識は、一人の思想家を絶望させるに足るもののひとつである。非論理的なものは、情念や言語や芸術や宗教や、そして一般に生に価値を与えるすべてのもののなかに、極めて密着してひそんでいるので、
人は、これらの美しいものを致命的に傷つけてしまうことなしには、それを取り出すことはできない。人間の性質が、或る純粋に論理的な性質に変えられると信ずることができるのは、ただ余りにも素朴な人々である。しかしもしこの目標に近づく程度の多少というものがあるとすれば、
この道をゆけば一切はかならず破滅するとは限らぬでないか。最も理性的な人にとってもまた、時には、自然が、すなわちすべてのものに対する非論理的な根本態度が、必要である。
(ニーチェ『余りに人間的』第1部33)
思想家と学問の研究者。彼らはまれにしか効果をあげようと企てず、静かにもぐらの穴を掘った。こうして彼らは、ほとんど不機嫌にも不快にもならず、しばしば嘲りや物笑いの種になったが、自ら望むことなしに、"実践的な生活"の人間の生活を楽にした。結局学問はやはり万人に対して非常に利益になった。
"この利益のために"、現在"実践的な生活"を営むように予定された極めて多くの人々が、その顔に汗し、しかもずいぶん頭を悩まし、呪いながら、学問への道を歩んでいるが、しかしそのような労苦は思想家や学問の研究者の群のせいでは全くない。それは「自家製の苦労」である。
(ニーチェ『曙光』41)
"自由精神の背教者"。── 一体敬虔で信心堅固な人間に対して嫌悪の情を抱いた者があろうか? むしろわれわれは静かな尊敬の念を抱いて彼らを注視し、このすぐれた人間たちはわれわれと共通の感じをもたないという遺憾の念は抱くけれども、彼らのことを喜びはしないか? しかし、
かつてあらゆる精神の自由を"もっていた"のに、結局は「信心深く」"なった"人に対する、あの深刻で、突発的で、理由のない反抗心は、どこから由来するのであるか? われわれはその人のことを考えると、吐き気を催させる姿を見たような気がし、急いで心から拭き取らざるをえない!
最も尊敬されている人間でも、われわれにとってこの点が疑わしくなると、われわれは彼に背を向けはしないだろうか? しかも道徳的な有罪判決からではなくて、突発的な吐き気と恐怖の戦慄からである!
(ニーチェ『曙光』56)
極めてしばしば献身に対する最も深い確信や正直と同盟することによって、キリスト教は、人間の社会にこれまでなかったような、最も上品な人物を"彫琢した"。すなわち、高級の、また最高級のカソリックの聖職者たちの人物であり、ことに彼らが貴族の出身であり、その上最初から天成の優雅なものごし、
威厳のある眼光、美しい手足をもっていたときである。ここにおいて人間の顔は、考え出された生活様式が人間の中の動物的なものを制御したあとで、二種類の幸福(力の感情と服従の感情)のたえ間ない満ちひきによって生み出された、あの聡明な容貌を呈するにいたる。ここでは、祝福をささげ、罪を許し、
神の代理をつとめる行為が、超人間的な使命の感情を、たえず魂の中に、それどころか肉体の中にも眼覚めさせておく。ここでは、天成の軍人が所有するような、肉体および幸福な安寧の脆弱さに対するあの崇高な軽蔑が支配している。彼らは服従を"誇り"と考える。これがすべての貴族を特記するものである。
彼らはその課題の巨大な不可能性を、彼らの弁明であり、彼らの理想であると考える。高位の聖職者の力強い美と優雅は、たえず教会の"真理"を民衆に証示してきた。聖職者の時折の粗野化(ルターの時代のような)は、たえずその反対のものへの信仰をともなっていた。
(ニーチェ『曙光』60)
"幻想能力"。──中世全体を通じて、最高の人間性本来の、また決定的な特徴と見なされたものは、人間は幻想──すなわち、ひどい精神的な障碍! ──の能力があるということであった。そして中世のすべての高級な人物("宗教人")の生活規定は、
根本的に人間が幻想の"能力"をもつようになることを目指している! われわれの時代になってもまだ、半障碍で、幻想的で、狂信的な、いわゆる天才的な人物の買いかぶりが氾濫しているのは、不思議なことではない。「彼らは他人が見ないものを見てとった。」
──たしかだ! しかしこれによってわれわれは、彼らに対して用心深い気持ちにはなるが、信仰をもつ気にはならない!
(ニーチェ『曙光』66)
聖書の中には、最も野心的で、最も厚顔な魂をもち、抜け目がないと同様に迷信的でもある頭をもっている人の歴史、使従パウロの歴史もやはり書かれているということ、若干の学者は別としても、誰がこれを知っているだろうか? しかしこの独特な歴史がないなら、われわれは小さなユダヤの宗派について
ほとんど聞き知ることがなかったであろう。その主は十字架で死んだのだ。もちろん、パウロの書面を「精霊」の啓示として読むのでなく、われわれのあらゆる個人的な危機を考えないで、誠実な、そして自由な自分の精神で読んでいたなら、そして"真に読んで"いたなら、
キリスト教もまたとっくの昔に終わっていたことだろう。このユダヤのパスカルの書き物は、キリスト教の起源をそれほどあらわにする。ちょうどフランスのパスカルの書き物が、彼の運命と、そのためにその運命が破滅した所以のものをあらわにするように。
(ニーチェ『曙光』68)
"キリスト教の文献学"。キリスト教が誠実と正義に対する感覚を陶冶することがいかに少ないかということは、キリスト教の学者たちの著作の性格の上から、かなりよく見積もることができる。彼らはその推測するところを、あつかましく、あたかも教義のように提出し、
聖書の章句の解釈に関して誠実に困惑することは、稀である。再三再四いわれるのは、「私は正しい。なぜなら、書かれているのだから──」ということであり、さてそれから恥知らずの勝手な解釈が続いてゆく。
そこでそれを耳にする文献学者は、痛憤と笑いの間の真中に立ちどまり、再三再四たずねる。そんなことがありえようか! これは信頼できるか? それは実際にまた礼儀正しいことか? ──
(ニーチェ『曙光』84)
"われわれの評価"。──あらゆる行為は評価にさかのぼる。すべての評価は、"自分自身"のものか、"受け入れられた"ものかである。後者の方がはるかに大多数である。なぜわれわれはそれらを受け入れるのか? 恐怖からである。──つまりわれわれは、
それらもわれわれのものであるかのような態度をとることが得策だと考える。──そしてこの考えに馴れる。したがってこの考えは結局われわれの本性になる。自分自身での評価。これは、あるものが他人にではなくて、ほかならぬわれわれにどれほどの快または不快を与えるか、という点に関して
それを測定することをいう。──極めて珍しいことである! ──しかし少なくとも、われわれは大ていの場合"他人の"評価を利用するが、その動機がひそんでいるわれわれの他人に対する評価は、"われわれ"から発するものであり、われわれ"自身"がきめるものに違いないではないか?
(ニーチェ『曙光』104)
"懐疑家を安心させるために"。──「私は、私の"なす"ことが全くわからない! 私は、私の"なすべき"ことが全くわからない!」──君は正しい。しかし次のことは疑うな。"君はなされる"! いかなる瞬間にも!
人類はいつでも能動態と受動態とをとりちがえてきた。それは人類の永遠の、文法に関する誤りである。
(ニーチェ『曙光』120)
「"原因と結果"!」──この鏡の上に──そしてわれわれの知性はひとつの鏡であるが──規則性を示すものが生じる。ある一定の物が、そのたびごとにふたたびある他の一定の物に続いてゆく。──それを知覚し、名づけようとするとき、われわれはそれを原因と結果と"名づける"、われわれ馬鹿者は!
あたかもわれわれはそこで何かあるものを理解したかのようであり、また理解することができるかのようである! われわれは実際「原因と結果」の"像"以外の何ものをも見なかった! そしてこのような"像であること"こそ、
継起の結合よりも本質的な結合を洞察することを、たしかに不可能にする!
(ニーチェ『曙光』121)
有名なドイツ人の中で、ヘーゲルよりもエスプリを多くもっていた人はいないであろう。──しかし彼は、その返報として、それに対する極めて大きなドイツ的な不安をも抱いていたので、この不安が彼特有の悪文をつくり出した。その文体の本質とはつまり、核心が糸を巻きつけられ、もう一度、そしてさらに
また巻きつけられ、それは、恥ずかしそうに、しかも好奇心を抱いて──古代の女嫌いのアイスキュロスの言葉を借りると、「若い女性たちがその被衣(ヴェール)越しに眺めるように」──ほとんどもうのぞいて見えないほどにまでなる、ということである。あの核心はしかし、極めて精神的な事柄についての、
機智に富んだ、しばしば小癪な思いつきであり、巧妙で大胆な語句の組み立てであり、学問のつけあわせとして"思想家の社会"の一部であるようなものである。──しかしあのように糸で巻かれているので、それは難解な学問自身として、しかも最高に道徳的な退屈として姿をあらわす!
(ニーチェ『曙光』193)
しかも何という知識であろう! 一切のギリシア的、古代的な本質は、われわれの眼前に極めて簡単に、周知のものとして存在すると思われているが、極めて理解しがたいものであり、それどころか、ほとんど近づきがたいものであるということ、さらに、ギリシア人について通常軽々しく語られていることは、
軽率か、古くから受けつがれてきた無思慮の自惚れのいずれかであるということ、このことより以上に、私にとって年々歳々はっきりしてくるものはない。類似した言葉と概念はわれわれを欺く。しかしそれらの背後にはいつも、近代的な感覚にとって疎縁であり、理解しえず、あるいは苦痛であることが
"必然的な"ある感覚が伏在している。これが、少年たちがかけずり廻ってもよい範囲なのだ! とにかく、われわれは少年の頃そうしたものだ。そして同時にほとんどいつまでも、古代に対する反感を、一見あまりにも親密さの濃い反感を家にもちかえったものだ! なぜなら、
われわれの古典の教育者たちの高慢な自負心は、いわば"古代人を所有して"いるというほどにまですすみ、その自惚れを、教育をうけた人々にさらに影響を及ぼしてゆくからである。
(ニーチェ『曙光』195)
君は、トリスタンとイゾルデは、二人とも姦通のために破滅することによって、姦通に"反対"という教訓を与えていると思われるか? それは詩人たちを誤解することになるであろう。詩人たち、ことにシェークスピアのような人々は、情熱それ自身に夢中になっているのであり、その"死を覚悟した"気分に
夢中になっているのでは全くない。罪と、その悪い結果とが、彼らにとって大切なのではない。
悲劇詩人は、彼の人生像によって、人生に対して"反感"を抱かせようとはしない! 彼はむしろ叫ぶ。「この刺戟的で、変わりやすく、危険で、陰鬱な、しかもしばしば太陽の灼熱に燃え立つ生存、それは、一切の
魅力中の魅力である! 生きるということ、それは冒険である、──この生き方に味方しようと、あの生き方に味方しようと、生きるということはいつもこの性格を持続するであろう!」──このように彼は、血と力の過剰に半ば酩酊し、麻痺し、動揺し、力に満ちた時代の中から語る。
(ニーチェ『曙光』240)
実にしばしばベートーヴェンの音楽には、粗っぽい、独善的で性急な調子がある。モーツァルトの場合には、心と精神がすこしばかり我慢しなければならない正直な仲間の陽気さがある。リヒアルト・ヴァーグナーにあっては、最も忍耐強い者でもよい気持ちが"辛うじて"失われそうになるような、
飛び飛びでしかもうるさい動揺がある。しかしヴァーグナーは"そこで"彼の力に立ち戻る。前二者も同様である。彼らはみんなその弱点によって、彼らの美徳への渇望と、精神の響き、美の響き、善の響きの滴りのすべてに対する、十倍も鋭敏な舌をわれわれに与えたのである。
(ニーチェ『曙光』218)
「"自然のまま"。」──その欠点は少なくとも"自然のまま"である。──おそらくこれは、技巧的な、それ以外の随所で俳優気どりの本物でない芸術家に対する、最後の讃辞であろう。それゆえそういう存在は、ほかならぬ自己の欠点をあつかましく漏らすであろう。
(ニーチェ『曙光』337)
"いつも幸福そうに見える"。──第三世紀のギリシアで、哲学が公共的な競争の事柄となったとき、少なからぬ哲学者たちは、ちがった原理に従って生活しそれで悩んでいる他の哲学者たちは、自分たちの幸福が癪にさわるにちがいない、という底意のため"幸福"になった。彼らは、自分たちの幸福によって、
他の哲学者たちを最もよく反駁すると信じた。彼らはそのためにいつも幸福そうに見えることで十分であった。しかしその際彼らは結局幸福に"なら"ざるをえなかった! これがたとえばキュニコス学派の運命であった。
(ニーチェ『曙光』367)
そのすることは、すべて人に見せるためである。すなわち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、また、宴会の上座、会堂の上席を好み、広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。
(マタイ福音書 23:5-7)
"小心者"。──ほかならぬ不器用で小心な人たちこそ殺害者になりやすい。彼らは、小さな、目的にかなった防禦なり復讐なりの心得がない。精神と沈着な心構えの欠乏のため、彼らの憎悪は絶滅以外の打開策を知らぬ。
(ニーチェ『曙光』410)
死刑囚を見ていると、事件が悲惨であればあるほど、その犯人には気が小さい者が多いのは間違いないように思えた。彼らは「殺す」ためよりも「逃げる」ために人を殺める。後先のことを考えず必死に逃げようとする分、被害者の受ける傷や事件の態様は悲惨なものになってしまう。
(堀川恵子『教誨師』)
"秘密をもらす非難"。──「彼は人間を知らない。」──これはある人の口にかかると、「彼は世俗的なことを知らない」ということを意味する。他の人の口にかかると、「彼は異常なことを知らず、世俗的なことをよく知りすぎている」ということを意味する。
(ニーチェ『曙光』373)
今日までは、誤謬というものは慰めに満ちた力であった。今や人は、認識された真実に、それと同じ働きを期待しているし、それを待つことはすでにかなりに久しい。もし真実がまさにこのこと──慰めること──をなしえないならば、一体どうなるであろうか。一体このことは、真理に対する異論であろうか。
ある植物が病者の治療に貢献しないと確認されたからと言って、それはその植物の真実に対する反証ではない。
──おそらく結局は次の命題が出て来る。すなわち、全体としての脈絡あるものとしての真実は、ただ力強くもあれば無邪気でもあり、悦びにも安らぎにも満ちた魂(たとえばアリストテレスの魂)
にのみあるのであって、また同じくこれらの魂だけが真実を求めることができるだろう、ということだ。なぜならこれらとは別な人々は、その知性とその自由とを極めて誇りに思うかもしれないが、それは自分の治癒の手段を求めているのであって、彼らは真実を求めているのではない。
(ニーチェ『曙光』424)
"敵の意見"。──もっとも物分かりのよい頭脳であっても、生来どれだけ緻密であるか、あるいはどれだけ低能であるかを測るためには、それらがその敵の意見をどのように把握し、再現するかを、われわれは注意すればよい。このときおのおのの知性の生まれながらの度合が現われる。
──完全な賢人は、そうしようと望むわけではないのに、彼の敵を理想にまで高め、敵の矛盾を一切の汚点や偶然性から解放する。それによって彼の敵が、輝かしい武器をもった神になったときはじめて、彼は敵と戦うのである。
(ニーチェ『曙光』431)
"よいものすべてに必要な乾燥"。──何ですって! われわれはある作品を、それを生み出した時代とちょうど同じように把握しなければならないとおっしゃるのか? しかしわれわれが作品をまさにそのように把握しないときの方が、喜びも驚きも多く、それから学ぶこともまた多い!
どんな新しいよい作品でも、その時代の湿った空気にふれているかぎり、──それはさらに、市場や、敵や、最新の意見などの匂いを、明日をも知れぬ無常なものすべてを、いたく身につけているからこそ──その最小の価値しか所有しないということを、諸君は気づかれなかったのか!
あとになると作品は乾燥し、その「時代性」は死滅する。──そのときはじめて、それは深い輝きとよい香りを、それどころか、もしそれがふさわしい時には、静かな永遠の眼を手に入れる。
(ニーチェ『曙光』506)
自分たちは真であるものを認識するには全く役に立たないかもしれない。この不安が諸君を苦しめたことはないか? 自分たちの感覚はあまりにも鈍く、自分たちが敏感に見ることさえ、やはりあまりにも粗っぽすぎるという不安が? 自分たちが見ることの背後にどんな意志が支配しているかを、いつか諸君が
気づくとすれば? たとえば、諸君が昨日は他人よりも"より多く"を見ようとしたり、今日は他人とは"違ったように"見ようとしたり、あるいは諸君がはじめから、人々が以前に見つけたと誤認したものとの一致あるいは反対を見出そうと渇望していることに気づくとすれば! おお、恥辱に値する欲望!
諸君はまさに疲れているために──しばしば効果の強いものを、しばしば鎮静させるものを探すことに気づくとすれば! 真理は、諸君が、ほかならぬ諸君がそれを受け入れうるような性質のものでなければならないという、完全で秘密な宿命がいつもある!
(ニーチェ『曙光』539)
ミケランジェロは、ラファエルに勉学を、自己に天性を見た。彼に"習得"を、己れに"天賦の才能"を見た。しかし、この偉大な、瑣事にやかましい人に全く敬意を表していうが、これは瑣事に拘泥することである。一体天賦の才能とは、われわれの祖先の段階であれ、もっと古くからであれ、習得、経験、
練習、獲得、摂取の"古い"部分に対する名前以外の何ものであろう!そしてまた、習得する者は自己に自ら賦与するのである。といっても"習得する"ことはそんなにたやすくはない。そしてたんによい意志の問題ではない。われわれは習得"でき"なければならない。芸術家にあってはしばしば嫉妬が、あるいは、
異種的なものを感じると直ちにその刺を向け、習得する者の状態に移る代わりに防禦状態に移るあの誇りが、それに反抗する。ラファエルはゲーテと同じように、このどちらも欠いていた。それゆえ彼らは"偉大な習得者"であり、その祖先の漂石や歴史から濾過されたあの鉱脈のたんなる搾取者ではなかった。
ラファエルは習得する者として、彼の偉大な相手が"自らの"「本性」と名づけたものを獲得するさ中で、われわれの眼前で消えてしまう。
(ニーチェ『曙光』540)
"情熱を真理の論拠にするな"! ──おお、諸君気立てがよくて高貴でさえある熱狂者たちよ、私は諸君を知っている! 諸君はどこまでも正しくあろうとする。我々に対して、しかしまた自分たちに対して、そして何よりもまず自分たちに対して! ──そしてきわめてしばしば、敏感で繊細な良心の疚しさが
諸君を刺戟して、ほかならぬ自分の熱狂に"反対"せよとせきたてる! そのとき諸君はこの良心を策略にのせたり麻痺させたりする点で、何と才気煥発になることだろう! 何と諸君は正直な、素朴な、純粋な人たちを憎み、彼らの罪のない眼を憚ることだろう! "彼ら"がその代表者であり、諸君の信念を
疑うというその声を諸君が自分自身の内面であまりにも公然と耳にしている、あの"よりすぐれた知識"を、悪い習慣であり、時代病であり、諸君自身の精神的健康を軽視するものであり感染させるものであるとして、何と諸君は中傷しようと努めることだろう! 諸君は批判、学問、理性を憎悪するにいたるまで
それを追う! 諸君は、歴史が諸君の証人になるために、歴史を偽造せざるをえない。諸君は、徳が諸君の偶像や理想の光を奪わないために、徳を否認せざるをえない! 理性の根拠が必要なところに彩色画! 表現の情熱と力! 銀色の得! 甘美な夜! 諸君は照らすことと暗くすることに、しかも
"光でもって"暗くすることに通暁している! そして実際諸君の情熱が荒れ狂うようになるとき、諸君が自分に次のようにいう瞬間がやって来る。今私は疚しくない良心を"獲得"した。今私は寛大で、勇敢で、自己否定的で、宏大である。今私は正直である! と。
(ニーチェ『曙光』543)
"しかしその徳もまた隠すな"! ──透明な水であって、ポープの言葉を借りていえば「その流れの底にあるきたないものも見させる」ような人間を、私は愛する。しかし彼らにとってすらやはり虚栄心がある。もちろんめったにない洗練された種類のものではあるが。彼らのうちの二三人は、われわれがまさに
不潔なものだけを見て、このことを可能にする水の透明度を無視することを望む。余人ならぬゴータマ・ブッダは、「諸君の罪を人々の前に見せて、諸君の徳を隠せ!」という定式で、これら少数の人たちの虚栄心を考え出した。しかしこれはすばらしい演劇を世界に与えないことを意味する。
──それは趣味に逆らう罪である。
(ニーチェ『曙光』558)
真理が快い言い方で語られることは、誰の好みにも合わない。だがせめて誰も、誤謬が"不愉快な"言い方で語られれば、それが真理になる、などと思いこんでもらいたくないものだ。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部349)
それは一八七六年の夏であった。当時私は、吐きけのあまりに激昂して、自分がそれまでその席についていた食卓を突きとばした。そして私は、自分の食事を従来のように「俳優連中」や「精神の高等な曲馬師たち」──こういう峻烈な表現をその頃の私は使った──と分けあうくらいなら、
むしろ偶然的に〔運まかせに〕、また拙く生きることを、むしろ芝草や雑草で動物のように途上的に生きることを、むしろもはや生きないことすらを、心に誓った。なぜなら私には、〔それまでの〕自分がジプシーや楽師たちに、カリョストロの徒輩や不純な連中に仲間入りしていたように、
そして彼らの誘惑的な淫蕩に加担していたように思われたからであり、また、私が軽蔑すべき場合に愛したことに腹が立って、いても立ってもいられなくなったからである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的』第1巻第2版 序文2)
私は愛する。サイコロで好運な目が転がり込むと、恥ずかしくなって、いかさま賭博をしてしまったのではないかと尋ねる者を──彼は破滅しようとしているのだから。
私は愛する。みずからの行いの前に、黄金の言葉をなげて、つねに約束したこと以上のことを果たす者を。彼は没落を欲しているのだから。
私は愛する。来るべき人々の正しさを擁護し、過ぎ去った人々を救う者を。彼は現在の人々を相手にして破滅しようとするから。
私は愛する。みずからの神を愛するがゆえに、その神を痛めつける者を。彼はみずからの神の怒りにふれて、滅びなければならないから。
私は愛する。傷ついているときも魂はなお
深く、ちいさな体験でも破滅することができる者を。こうして彼はよろこんで橋を渡って行く。
私は愛する。あふれでるくらい豊かな魂を持っていて、みずからのことを忘れ果て、一切の物を内に受け入れてしまう者を。こうして、この一切の物のために彼は没落する。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』序説4)
『昔の世の中なんて、みな頭がおかしかったんだよ』──この上品な人びとは、そう言ってまばたきする。
彼らは悧巧で、世間で起きることなら何でも知っている。だから彼らの嘲笑の種は尽きない。口げんかくらいはする。だがまもなく仲直りする──そうしないと胃に悪いから。
小さな昼の快楽、小さな夜の快楽をもっている。だが健康が第一だ。
『僕らは幸福を発明した』──最後の人間はそう言って、まばたきする──。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』序説5)
「我々はすべて自分でできる。すべてをよりよきものに変えていける。やがて、幸せの極致に到達できるのだ」
(トルストイ『三人の息子』)
悪意という点で、傲慢な者と意気地のない者がふと手を結ぶ時がある。しかしそれは双方の誤解のなせるわざだ。わたしは君たちをよく知っている。
君たちには、憎むべき敵のみがあり、軽蔑すべき敵があってはならない。みずからの敵を誇れなくてはならない。ならば敵の成功は、諸君の成功でもある。
反抗心──それは奴隷の高貴さだ。忠実であること、これが諸君の高貴さであれ。君たち自身が命令することでさえ、忠実さのあらわれであるように。
よき戦士の耳には「われ欲す」よりも「汝なすべし」のほうが快くひびく。諸君は好ましい一切の事柄を、まず命令されたものとして受け取らねばならない。
君たちの生への愛が、君たちの最高の希望への愛であれ。そしてその最高の希望は、生をめぐる最高の思想であれ。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第1部 戦争と戦士について)
すべて偉大なものは市場と名声から去って行く。昔から、新たな価値を創造する者たちは市場と名声から離れて住んでいた。
わが友よ。逃れよ、君の孤独のなかへ。君は毒ある蠅たちに刺されている。逃れよ。つよい風が吹き荒すさぶところへ。逃れよ、君の孤独のなかへ。
君は卑小で惨めな者たちの、あまりに近くに生きていた。彼らの目には見えぬ復讐から逃れよ。彼らが君になすことは、復讐しかない。
もう彼らに腕を上げるな。切りがない。蠅たたきになることは、君の宿命ではない。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第1部 市場について)
だが阿呆よ。別れの時だ、この教えを与えよう。もはや愛せないなら、──通り過ぎなくてはならない──。
ツァラトゥストラはこう語った。そして阿呆と大都会のかたわらを通り過ぎて行った。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 通り過ぎることについて)
神はひとつの憶測だ。だがわたしは望む、諸君の憶測が、その考えうることのなかに限られることを。
君たちに、一つの神を考え尽くすことができるとでも。──諸君には真理への意志がある。それは、すべてを人間が考えることができ、人間が見ることができ、
人間が感じとることができることに変えることだ。君たちが感覚で知り得たものこそを、最後まで考え抜かなくてはならない。
そして君たちが世界と呼んできたものを、まず君たちが創造しなくてはならない。諸君の理性、諸君の像(イメージ)、諸君の意志、諸君の愛が、世界そのものとならなくては。
そして本当に、これが君たちの至福にならねばならない。諸君、認識する者たちよ。
この希望がないならば、どうして生に耐えることができようか。諸君、認識する者たちよ。君たちが、不可解で理に背くもののなかに、生まれ落ちていいわけがない。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部 至福の島々で)
だが、悩む友がいるならば、彼の安息の場所になるがいい。ただし、言うなれば堅い寝床に、野営用のそれに。それがもっとも彼の役に立つ。
そして友が君に酷いことをしたら、こう言うがいい。「君がわたしにしたことは許す。だが、君が"君に"したことを、わたしがどうやって許せるというのか」。
すべての大きな愛はこのように語る。こうして許しも同情も超えるのだ。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部 同情する者たちについて)
「なんだってあなたは、なんだってあなたはご自分に対して、そんなことをなすったんです!」と絶望したように彼女は叫んだ。
(ドストエフスキー『罪と罰』)
彼らはその徳で敵の目をえぐろうとする。彼らがみずからを高めるのは、ただ他者を低めるためだ。
さらにまたある者たちは、所作を愛し、徳は一種の所作だと考える。
彼らの膝はつねに徳を尊んで曲げられ、手振りは徳をたたえている。が、彼らのこころはそれについて何も知らない。
さらにこういう者もいる。彼らは「徳はなくてはならないものだ」と言うことを徳だと思っている。が、実は警察がなくてはならないと信じているだけだ。
また人間の気高さを見ることができない多くの者たちは、人間の低劣さを近寄って見ることを徳と呼ぶ。つまり、みずからの悪意の目が、徳なのだ。
ある者は感銘を受け心が高められることを徳と呼ぶ。またある者は衝撃を受け狼狽することを徳と呼ぶ。
ほとんどすべての人間が徳にかかわっていると信じている。少なくとも、誰もが「善」と「悪」についてはよくわきまえていると思っている。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部 徳ある者たちについて)
諸君、平等を説く者たちよ。力を持てぬ暴君の狂気が、君たちのなかから叫んでいる。秘められた暴君の情欲が、徳という言葉にくるまれている。
傷つけられたうぬぼれ、抑圧された妬み、おそらく父祖伝来のうぬぼれと妬みが、君たちのなかから、復讐の炎と狂気となって吹き出している。
父が口に出さずにいたことを、息子が語り出す。息子が、父のあらいざらい曝露された秘密であることを、私はよく目にした。
彼らは感激屋に見える。が、彼らを感動させているのは心情の高まりではない──復讐の念だ。そして彼らが緻密で冷静になるときも、それは精神のはたらきではない。嫉妬が緻密で
冷静にさせるのだ。彼らはその妬心のせいで、思想家への道を歩みもする。妬心ゆえであることのしるしは──彼らがあまりに行きすぎることだ。そして疲れ果てて雪の上に行き倒れる羽目になる。
彼らの悲嘆の声すべてから、復讐のひびきがする。彼らの賞賛すべてには、人を傷つけようとする意図がある。
人を裁く者であるということが、彼らには至上の幸福に思える。
だが、わが友よ。私は諸君に忠告する。人を罰したいという衝動がつよい者は、誰であっても信用するな。
彼らは質も素性も劣った種族なのだ。その顔だちは、死刑執行人と密偵の目つきをしている。
自らの正義を力説してばかりいる者は、
誰であっても信頼するな。そうだ、彼らの魂に欠けているのは、蜜だけではない。
彼らが自らを「善く正しい者」と呼んでいるとしても、諸君は忘れてはいけない。彼らがパリサイ人になるために欠けているものは、──権力しかないのだ。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部 徳ある者たちについて)
わが友らよ。わたしはあらぬ者と混同され、とり違えられたくはない。
生についてわたしと同じ教えを説きながら、平等を説く毒ぐもがいる。
この毒ぐもたちが穴のなかに居座って生に背きながら、それでも生への意志について語るのは、ひとに害を与えるためだ。
彼らが害を与えようとしているのは、いま現に権力を握っている者たちだ。権力者のあいだでは、なお死の説教が幅を利かせているから。
他の説教が幅を利かせていたら、この毒ぐもたちは他の教えを説いたろう。まさに彼らこそ、かつてもっとも巧みに世界を誹謗し、異端を火あぶりにしていた。
この平等を説く者たちと、わたしは混同されとり違えられたくはない。なぜなら正義はわたしにはこう語るからだ。「人間は平等ではない」。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部 徳ある者たちについて)
最高の賢者達よ。君達は己を駆り立て、熱狂させているものを、「真理への意志」と呼ぶのか。
一切の存在するものを思考可能なものにしようとする意志、"わたしは"諸君の意志をそう呼ぶ。
君達はまず、すべての存在するものを思考可能なものに"しよう"とする。それは、諸君が真摯な不信の念をいだいて、
すべての存在するものが思考可能なものであるかどうか疑っているということだ。
だが君達の意志が欲しているのは、すべての存在するものが君達に順応し、服従するということだ。それはなめらかになって、精神の鏡として、精神の反映として、精神の意のままにならなくてはならない。
最高の賢者達よ。
これが君達の意志の全貌だ。それは、力への意志の一種である。諸君が善悪について、また様々な価値の評価について語るときも同じだ。
君達はその前にひざまずくに足る世界をみずから創造しようとしている。これが諸君の最後の希望であり、陶酔だ。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部 克己について)
君たち現代人よ。未来にある一切の不気味なもの、そして過去に鳥たちをおののかせ飛び去らせたものも、諸君の「現実」に比べれば親しみやすく感じがよい。
君たちはこう言うのだ。「僕たちはまったく現実的だ。どんな信仰や迷信にもとらわれない」。そう言って胸を張る。だが、あいにくその胸がない。
そうだ。どうしてお前たちに信じることができようか。雑然と塗りたくられた者たちよ。かつて信じられたこと一切の写し絵にすぎないお前たちに。
君たちはそうしてこの世に生きているだけで、信仰の否定そのものだ。思想の脱臼だ。"信じることすらできない者"、私は諸君をそう呼ぶ、現実的な者たちよ。
ありとあらゆる時代が君たちの頭のなかで、たがいに矛盾したことを喋りちらしている。 しかも、どんな時代の夢も舌も、諸君が目を覚ましているときより、まだ現実性を持っている。
お前たちは産むことができない。"だから"何も信じていない。
だが、創造せざるを得ない者は、かならず予知夢と星の兆しをみていた──そして信仰の力を信じていた──。
お前たちは半ばひらいた門だ。そのそばで墓掘り人が待っている。そして"お前たちの"現実というのはこうだ。「一切は滅びるに値する」。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部 教養の国について)
地上のものを蔑むべし。そう諸君の精神は教え込まれた。だが臓腑までは染み通っていない。そしてその"臓腑こそが"、君たちのもっとも強い部分ではないか。
そして、君たちは己の精神が臓腑の意のままになっていることを恥じている。そしてその自己自身への恥ゆえに、偽りの道をしのび歩むことになる。
「私にとって最高のことは」──諸君の偽りの精神はそうみずからに語りかける──「生を、情欲ぬきで、犬のように舌をたらさずに、観照することだ。観照にこそ幸福がある。意志を殺して、利己心がのさばり欲念に駆られるのを抑えて──身体はもろともに冷えて灰色になり、目のみが月のように見ることに
酔い痴れて。これが私にとってもっとも好ましいことだ」──と、この道を誤った者はますます迷い込んでいく──「月が大地を愛するような仕方で、大地を愛そう。ただ目でのみ、その美しさの一切を愛撫しよう。何ものからも何も欲しないということ、これを私はすべての物に対する"汚れなき"認識と呼ぶ。
私は百の眼を持つ鏡のように、すべての物の前に横たわっていさえすればよいのだ」──。
おお、君たち神経質な偽善者よ。好色な者たちよ。諸君の欲望には無邪気さがない。だから欲望そのものをあしざまに言うのだ。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部 汚れなき認識について)
美はどこにあるのか。私がすべての意志をあげて意志せざるをえなくなったところに。像(イメージ)が像のままで終わらぬように、 私が愛し没落しようとしたところに。
愛すること、没落することは、永遠に響き合う。愛そうと意志することは喜んで死のうとすることでもある。君たち臆病者に、そう語ろう。
だが、諸君はおのれの去勢された流し目を「観照」と呼ぼうというのだ。その臆病な眼でなで回したものを「美」と呼ぼうというのだ。おお、高貴な名を冒涜する者たちよ。
しかし君たち汚れなき者たちよ、純粋に認識する者たちよ。諸君は呪いを受けている。決して産むことがないという呪いを。
おおきく孕んだ姿で、地平の上にあったとしても。
たしかに、諸君は高貴な言葉を口いっぱいにふくんでいる。それは我らの心があふれんばかりに満たされているからだ、と、そう信じさせようというのか。君たち、嘘をつく者たちよ。
対して、私の言葉は、いやしい、蔑まれた、あやしげな言葉だ。
君たちの食卓からこぼれおちた物を、私は喜んで拾う。
だが、私はこれを使って偽善者たちに真理を語りうる。拾った魚の小骨、貝の殻、棘ある葉で、偽善者の鼻をくすぐる。
諸君と諸君の食卓には、湿った空気がいつもただよっている。君たちの好色な思想や、そして隠しごとが、その空気にこもっている。
勇気を出して、自分自身を信じてみるがいい。諸君と、諸君の臓腑を。おのれを信じない者は、つねに嘘をつく。
「純粋な者」たちよ、諸君はひとつの神の仮面をかぶっている。その仮面のなかに、蚯蚓のようなおぞましい虫が入り込んでいる。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部 汚れなき認識について)
われわれ詩人のなかで、みずからの葡萄酒にまぜものをしなかった者がいるか。この酒蔵では、幾度となく酒に毒がまぜ入れられたし、多くの名状しがたいことが行われた。
われわれはものを知らない、だから精神の貧しい者は大歓迎だ。ことに若い女性なら、なおさらである。
また、老女たちが夜な夜な語り合うようなことも、われわれはものにしたくてたまらない。われわれのあいだでは、それは永遠に女性的なものと呼ばれている。
そして、何ごとか学ぼうとする者に対しては"閉ざされている"、知に達する特別に隠された通路があるとしよう。われわれ詩人は、民衆とその「知恵」をその通路だと信じている。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部 詩人について)
すべての詩人が信じていることがある。草原やひとけのない山腹に横たわって耳を澄ますだけで、天地のあいだにある事物について何かを知ることができる、と。
そして心がこもった感動がやってくる。すると、自然がこの自分に惚れ込んでいるのだ、と詩人たちは思い込む。
自然はこの耳元にしのび寄り、内緒のことや恋人同士の嬉しがらせをささやいてくれると思い込む。そしてそれを凡人たちに誇り、いばり散らす。
ああ、天地のあいだには、詩人だけが夢みることが出来ることがあまたあるものだ。
とりわけ"天上に"多い。一切の神は詩人の比喩であり、詩人の盗品だからだ。
まことにそれはわれらを高みへと引き上げる──つまり雲の国へ。そこに色とりどりの自分の抜け殻を置いて、神々だとか超人だとか呼んでいる──。
つまり、雲の上に載せられるほど軽いのだ──すべての神々は、そして超人は。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部 詩人について)
ああ、愛に満ちた愚か者、ツァラトゥストラよ。信じやすくよろこびやすいお人好しめ。お前はいつもそうだった。どんな恐ろしいものにも、打ち解けて近づいて行った。どんな化け物も撫でようとした。たった一度のあたたかい息、ほんの少しの前足のやわらかな毛──それだけ愛し、誘いかける気になった。
愛は孤独の極みにある者にとって危険だ。生きてさえいればどんなものにでもそそぐ愛は。そうだ、このわたしの愚かさ、謙虚な愛は笑うべきものだ──。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 漂泊者)
わずかな知恵というものはありうる。だが私が万物に、至福のよろこびとともに見出した確実な事実はこうである。むしろ万物がのぞむのは、偶然の脚で──踊ることだ。
わが頭上の空よ。清らなるもの、深いものよ。私にとってその清らかさは、そこに永遠なる理性という蜘蛛とその巣がないということだ。
──そしてあなたが神的な偶然が踊る場であるということ、神的な骰子を投げて遊ぶ神々の卓であるということだ──。
だが、あなたは顔を赤らめるのか。私は言ってはいけないことを言ってしまったか。祝福しようとして、かえって冒涜してしまったか。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 日の出前)
わたしはこの群衆のあいだを行く。目を見ひらいたまま。わたしは彼らの持つさまざまな徳を羨ましくは思わない。それが、彼らには許せない。
彼らはわたしに噛みつく。わたしが彼らに、小さな人間に必要なのは小さな徳だと言うからだ。
──そして小さな人間が"必要だ"ということを、わたしがなかなか飲み込もうとはしないからだ。
わたしは余所の農家に入り込んだ雄鶏のようだ。雌鶏にさえも噛みつかれる。だがこの雌鳥たちを悪くは思わない。
わたしは彼女たちに礼儀正しく振る舞う、すべての小さな不快なことに対してそうするように。
小さなことに刺々しく振る舞うのは、はりねずみにふさわしい知恵だと思われる。
日暮れて火を囲んですわると、人々はわたしのことを話題にする。──彼らはわたしについて話す。しかし誰ひとり考えなどしていない──わたしのことなど。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 小さくする徳 2)
彼らは私を賞賛して小さな徳に誘い込もうとしている。
彼らは小さくなった、そしてますます小さくなる。そうなったのは彼らの幸福と徳についての見解のためだ。
彼らは徳についても控えめだ。安逸を好むから。控えめな徳でなければ、安逸のままではいられない。確かに彼らもその流儀で歩み、前進する。
だがそれは跛行にすぎない──だから急ぐ者の邪魔になる。前へ歩みながら、首をこわばらせて後ろを振り返る者がすくなくない。私はためらいなく体当たりする。
小さな人々は嘘をついてばかりだ。その中にも意志を持つ者はいる。だが大多数は人の意志に動かされている。その中にもまともな役者はいる。
だが大多数は下手な役者にすぎない。
その中には、知らず役者になっている者と、その意志に反して役者になっている者がいる。まともな者はいつも少ない、ことにまともな役者は。
ここには真の男がいない。だから女が男性化する。十全に男である者だけが、女のなかにある女性を救い出すことができる。
群衆のなかで見た最悪の欺瞞は、命令する者すら、服従する徳を装うことだ。
「私は仕える。お前も仕える。我らは仕えるのだ」ここでは支配者も偽ってこのように祈りの声をあげる。第一の主が第一の下僕であるにすぎないとは、なんと悲痛なことか。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 小さくする徳 2)
ああ、彼らの欺瞞のなかにも、わが好奇の眼差しは入り込んでいった。そして、日当たりの良い窓ガラスちかくに飛ぶ、その蠅の幸福と羽音をよく理解した。
善意があるだけ、そこには弱さがあった。正義と同情があるだけ、そこには弱さがあった。
たがいに角目だつことなく、分際をわきまえ、あたりがいい。砂粒同士が角目だつことなく、分際をわきまえ、あたりがいいように。
つましく小さなひとつの幸福を抱きしめる──それを「帰依」と呼ぶ。だがそうしながら早くも、新しい小さな幸福を流し目で盗み見ている。
彼らが心底ひたすらに望んでいることはたったひとつである。誰からも虐められないことだ。だから先回りして誰にでも親切にする。
だがそれは"臆病"ということだ。それが「徳」と呼ばれていようと。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 小さくする徳 2)
臆病さからではなく、正義感から、あるいは他人への配慮から正しくありたいと思う者は幸福である。──私が正しくする場合、私の正しさはたいてい臆病さに由来する。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1931.5.6)
お前の軽蔑を軽蔑する。お前は私に警告する──ならば、なぜお前自身に警告しないのか。
わが軽蔑と警告する鳥は、ただ愛からのみ飛び立たねばならない。泥沼からなどではない──
口から泡を吹く阿呆よ。人はお前をわが猿と呼ぶ。だがお前を呼ぼう、私のよく鳴く豚と。豚のように不平をうなることで、
お前は台無しにしているのだ、私の愚行への礼賛を。
一体どうして不平を言う豚になったのか。誰も思うように"媚びて"くれなかったからだ。──だから汚物のなかに座り込んだ。豚のように不平を言う理由に事欠かないために。
──絶えず"復讐する"理由に事欠かないために。虚栄心の強い阿呆よ。
つまり、お前の吹いている泡はすべて、復讐でしかない。見え透いている。
お前の愚かしい言葉は私の害になる、たとえ正しいときでも。ツァラトゥストラの言葉が限りなく正しくとも、お前が私の言葉を使えば──正しくないことになる」。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 通り過ぎることについて)
復唱にさいしわたしたちが他人の言葉をこれほど歪曲してしまう原因はただ一つ、わたしたちがそれらの言葉を理解していなかったことだと思われる。
(ゲーテ『箴言と省察』経験と人生)
彼らがわたしを誤解したときに、愚かなわたしは、自分より彼らをいたわった。おのれに苛酷であることには慣れているから、このようないたわりをした自分自身に、よく復讐の懲罰をくわえた。
毒蠅たちに刺されて、滴る多くの悪意に穿たれた石のように、わたしは彼らのなかに座っていた。
そしてなお自分に言い聞かせた。「小さい者が小さいのは、彼らの罪ではない」。
とりわけ「善人」を自称する者たちがもっとも有毒な蠅だった。罪の意識もなく刺し、罪の意識もなく嘘をつく。彼らにどうしてできるだろう──わたしに対して公正であることが。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 帰郷)
善人たちのあいだで暮らす者に教えられるのは、同情によって嘘をつくことだ。同情は、自由な魂の持ち主にとって、陰鬱な空気をつくりだす。つまり、善人たちの愚かさは底が知れない。
わたしとわたしの豊かさを隠すこと──これを下界で学んだ。そこでは誰もがなお精神のまずしい者だったから。
わたしは同情から嘘をついた、彼らのひとりひとりに接するそのたびに──
──その者がどれくらいの精神で"満足し"、どれくらいの精神が"過剰で耐えられないのか"、見てとり、嗅ぎとったからだ。
かれらのなかの硬直した賢者たちを、硬直しているとは呼ばず、賢いと呼んだ。──こうしてわたしは言葉を呑み込むことを覚えた。かれらのなかの墓掘り人を、わたしは学者とか研究者と呼んだ──こうしてわたしは言葉をすり替えることを覚えた。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 帰郷)
夢を見ていた。朝方、夢の終わりに、私は岬の上に立っていた。──世界の彼方で、秤を手にして世界を量っていた。
時間をかければ測ることができ、よい秤があれば量ることができ、強い翼があれば果てまで飛んで行くことができ、神のごとく胡桃を割ることができれば割ってなかまで見ることができる。
わが夢のなかで、世界はそのようなものだった──。
わが夢は大胆不敵な帆船、なかば船でなかば突風、蝶のようにものしずかだが、隼のように性急だ。それがどうして、今朝は、世界を量る根気と余暇とをもったのか。
おそらくわが知恵がひそかに、私に言い聞かせたのだろう。哄笑し、めざめている、
白昼のわが知恵が。「無限の世界」をあざけっているわが知恵が。こう語ったのだ。「力があるところには数も支配する。数がより大きな力だ」。
わが夢はなんと精確にこの有限の世界を見たことか。新奇ばかりを好むのでなく、古きを追い求めるでなく、恐れなく、何かに頼るでもなく──。
──人間の愛を寄せつけないほどの困難な謎ではなく、人間の知恵を眠り込ませるような容易い解答でもない──人間にとって良い何か。きょう、世界は私にとってそれであった。ひとがあれほど陰口を言うあの世界が。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 三つの悪 1)
このような「みずからを歓ぶこと」は、優劣をめぐる独自の言葉で自分を守る。あたかも聖地の森がそうするように。その幸福にあたえた数多の名によって、すべての軽蔑すべきものを追い払う。
一切の臆病なものを追い払う。劣っているということは、──臆病ということだと言いながら。
いつも心配し、ため息をつき、泣き言ばかり言う者、どんな小さな利益さえ逃すまいとする者は、それにとって軽蔑すべきものである。
またすべての悲しみに溺れた知恵を軽蔑する。たしかに闇のなかで咲く知恵もある、夜影の知恵が。それはいつもいつもこう嘆息している。「すべては虚しい」。
用心深い不信もくだらないと見る。眼差しと握手だけでは足りず、宣誓を求める者たちをも。またあまりに懐疑的な知恵も──これはみな臆病な魂の手口だから。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 三つの悪 2)
「人間とはなんと惨めなものだろう」と心の中で考えた。「なんと醜く、なんと喘いでおり、多くの恥辱を押し殺していることだろう。
人は言う、人間は自分を愛するものだと。この自己愛はどんなに大きいことか。こんなに自らを軽蔑しているのだから。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部 最も醜い人間)
認識する者にとっては人間そのものが動物だ。赤い頬をした動物だ。どうして赤い頬なのか。あまりにも多く恥を感じなくてはならなかったからではないか。わが友よ。認識する者はこう語る。「恥辱、恥辱、恥辱、──これが人間の歴史だ」。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部 同情する者たちについて)
人が敗北する原因は…「恥」のためだ
人は「恥」のために死ぬ
あのときああすれば良かったとか
なぜ自分はあんな事をしてしまったのかと
後悔する「恥」のために人は弱りはて 敗北していく
(荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』第6部)
「何のために生きるのか。一切はむなしい。 生きることは、麦わらを叩くことだ。──生きることは、みずからを焼いてなお暖まらないことだ」──
このような古くさい愚痴があいもかわらず「知恵」としてまかり通っている。古くて黴くさい、だからこそますます尊敬される。黴まで箔になるわけだ──。
子供がこう言うならよい。火傷をして、火が怖いのだ。古い知恵の書物には多くの子供らしさがある。
麦わらを叩くように無駄口ばかり叩いている者が、麦を打ち脱穀することを謗ってよいわけがあるか。そのような馬鹿の口に猿ぐつわをかますがいい。
こういう者たちは食卓につきながら何も持って来ない。
旺盛な食欲すら持って来ない。あげくの果てには罵ってこの言い草だ。「一切はむなしい!」。
だが、兄弟たちよ。よく食べ、よく飲むことは、決してむなしい技芸ではない。打ち砕け、打ち砕け、決して楽しむことのない者の石版を、食卓を。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 新旧の石版について 13)
「清らかな者にとってはすべてが清らかだ」──と俗に言う。なら諸君にはこう言おう。「豚にとってはすべてが豚だ」と。
だから狂信し、頭をうなだれ、心も落ち込んでいる者はこう説く。「世界そのものがひとつの巨大な汚物である」と。
汚れた精神を持っているから、このような説教をする。ことに不潔なのは世界を"後ろから"見なくては心休まらぬ者──世界の彼方を説く者たちだ。
このような者たちに言おう、あまり上品な言い方ではないが。世界の背後にも尻がある。人間と同じく──"そこまでは"本当だ。
世界は多くの汚物を垂れ流す。
"そこまでは"本当だ。だが、だからといって世界そのものは決して巨大な汚物ではない。
世界にある多くのものが悪臭を放っている。だがそのなかにこそ知恵がある。嘔気そのものが翼をつくり、泉をもとめる力を生み出すのだから。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部 新旧の石版について 14)
「わたしは"知において良心的であろうとする者"です」と相手は答えた。「知的なことがらについて、わたし以上に厳密に、精緻に、容赦なくやれるものはまずおりませんでしょう。わたしがその仕方を学んだ、ツァラトゥストラその人を除いては。
多くのことを生半可に知るよりは、何も知らないほうがよいではありませんか。他人の判断にしたがって賢者でいるよりは、みずからの力のみ頼りにする阿呆のほうがよい。わたしは──底の底まで行ってやろうと思うのです。
──その底の底が大きかろうと小さかろうと、それが何だというのでしょう。
その名が沼であろうと、天であろうと。底の底は手のひら大で十分だ、わたしには。それが本当の根底であり基底であるならば。
──手のひら大の根底。でもその上に人が立つことだってできる。真の、良心的な知の世界には、大小の区別などはないのです」。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部 蛭)
わたしの知的な良心は、一つのことだけ知り、他のことは知らぬことを要求する。生半可な知を持つ者、薄ぼんやりしていて、あちらこちら漂うばかりで、のぼせあがって狂信的な者は、虫唾が走ります。
誠実であることをやめてしまったら、わたしは盲目になる。また盲目であることを選びます。ものを知ろうという以上、わたしはみずからに誠実たることを要求するでしょう。容赦なく、厳密で、精緻で、苛酷で、妥協なくあろうとするでしょう。
"あなたが"かつて言ったのですよ、おおツァラトゥストラ。『精神とは、自らの生に切り入る生だ』と。この言葉がこの身をあなたの教えへと導き、誘ったのです。真実、わたしはこの血でこの知を増したのです。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部 蛭)
君たち貴人よ。これをわたしから学べ。市場では貴人の存在など誰も信じない。それでも諸君がそこで語ろうとするなら、よろしい。賤民は目を瞬かせて言うだろう。「われわれはみんな平等だ」と。
「あなたたち、貴人よ」──と賤民は瞬きする──「貴人などは居はしない。われわれはみんな平等だ、
人間は人間だ。神の前では──われわれはみんな平等なのだから!」と。
神の前では、と──だがその神は今や死んだ。賤民を前にして、われらは平等であろうとは思わない。君たち貴人よ、市場を去れ。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部 貴人について 1)
高貴な種族であればこそ、完成することは稀だ。ここにいる貴人たちよ。諸君はみなそろって──失敗作なのではないか。
勇気を失うな。それが何だというのか。多くのことが、まだまだ可能なのだ。みずからを笑うことを学べ。笑ってしかるべきように。
諸君が失敗作で、半ば出来損ないだったとしても、
何の不思議があるだろう。半ば砕けた人たちよ。君たちのなかで、ひしめいているではないか、押し合っているではないか──人間の"未来が"。
人間が達しうる何より遙かなもの、何より深いもの、星のように高いもの、途方もない力が。そのすべてが、諸君という壺のなかでぶつかり合い、
泡だっているのではないか。
あまたの壺が砕けたにしても、なんの不思議があるだろう。みずからを笑うことを学べ。笑ってしかるべきように。貴人たちよ、おお、何と多くのことが、まだまだ可能なことか。
そうなのだ。何と多くのことが、すでに完成していることか。この大地は、
何とゆたかに小さい、よい、完璧なもの、完全に出来上がったもので満ちみちていることか。
諸君、貴人たちよ。小さく、よく、完璧なものを身の回りに置くがいい。その黄金の円熟が君たちの心を医(いや)す。完璧なものは希望を教える。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部 貴人について 15)
いままで地上で犯された最大の罪業は何か。「いま笑う者にわざわいあれ」と語った、あの者の言葉ではなかったか。
彼はこの地上で、笑う理由を何一つ見出さなかったのか。探すのが下手だっただけだ。子どもでも笑う理由を見つけるというのに。
彼は──愛することが足りなかった。そうでなければ、われら笑う者たちをも愛したろうに。だがわれわれを憎んだ。嘲った。われらが泣きわめき、歯の根を鳴らすだろうと思って。
いったい、愛せぬからといって呪わねばならないものなのか。それは──悪趣味だとわたしは思う。だが彼はそうした。
この歯止めがきかない絶対者は。賤民の出だったから。
彼自身に愛が足りなかった。そうでなければ、愛されないからといって、あれほど怒りはしなかっただろうに。すべての大きな愛は愛されることなど求めない。──それ以上のことを求める。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部 貴人について 16)
この荒々しく、良く、自由な嵐の精神よ、讃えられてあれ。沼と悲しみの上でも、緑の草原の上であるかのように舞う。
弱った犬のような賤民を憎み、陰鬱な出来損ないの奴らを憎む。あらゆる自由な精神の持ち主の精神よ、讃えられてあれ。それは哄笑する嵐だ、物事を暗く見る目、膿みただれた目すべてに
塵を吹き込む。
諸君、貴人たちよ。君たちが最悪なのは、一人残らず踊るべきように踊ることを学ばなかったことだ。──君たち自身を超えて踊ることを。諸君が失敗作だろうと、それが何だというのか。
何と多くのことが、なおも可能なのだろう。だから君たち自身を超えて笑うことを"学べ"。
心を高く揚げよ、諸君よき舞踏者よ。高く、もっと高く。そして忘れるな、よき笑いをも。
哄笑する者の王冠、この薔薇の花冠、わが兄弟よ、この冠を諸君に投げる。哄笑は聖なるものだとわたしは宣言した。貴人たちよ、"学べ"──哄笑することを。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部 貴人について 20)
ついにそれが言葉になったとき、見よ、彼の口から、一つの問いがまるく、くっきりと躍り出た。一つのよい、ふかい、あかるい問いだった。聞いた者すべてのこころを揺さぶった。
「わたしの友たるすべての人よ」と最も醜い人間は言った。「どう思うか。この一日のおかげで──
"わたしは"はじめて満足した。いままで生きてきた、全生涯に。
それを証言しただけでは、わたしには足りない。この大地に生きることは、意味があることなのだ。ツァラトゥストラと共にあったひと日、一度の祭りが、大地を愛することを教えてくれた。
『"これが"──生だったのか』。わたしは
死に向かって言おう。『よし! ならばもう一度!』
わが友たちよ。どう思うか。君たちはわたしと同じく、死に向かって言おうとは思わないか。『"これが"──生だったのか。ツァラトゥストラのために、よし! ならばもう一度!』と」──
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部 夜を行く者の酔歌 1)
葡萄の樹よ。どうしてわたしを讃える。わたしはお前を切ったのに。わたしは残虐で、お前は血を流している。わたしの酔いしれた残虐さを、お前は讃える。なんのために。
「完全になったもの、すべて熟れたものは──死のうとする」。そうお前は語る。葡萄を摘む鋏に、さいわいあれ、さいわいあれ。
だがまだ熟れぬものは生きようとする。いたましいことだ。
苦痛は語る、「過ぎ去れ、消えてくれ、苦痛よ!」。だが苦悩するものはすべて生きようとする。成熟して、歓び、憧れるために。
──もっと遠く、高く、あかるいものに憧れて。「わたしを継ぐ者が欲しい」と、
苦悩するものはすべて、こう語る。 「子どもが欲しいのだ。このわたしではない、」──
だが歓びにはあとを継ぐ者などいらぬ。子どもなど。──歓びは欲する、おのれ自身を、永遠を、回帰を、万物が永遠に同一であることを。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部 夜を行く者の酔歌 9)
かのエジプトの若者の轍を、我々がふたたび踏むことはまずないだろう。つまり、夜、神殿に乱入し、彫像を抱擁し、しかるべき理由があって隠されたままになっているものをことごとく、露わにむき出しにし、明るい光に晒そうとする、といった真似を我々はしないだろう。否、この悪趣味、「いかなる犠牲を
払っても真理を」と欲する、この真理への意志、真理への愛のこの若気の至り的酔狂──には、ほとほと嫌気がさした。そうするには我々は、あまりに経験を積み、あまりに真面目で、あまりに快活で、あまりに焼きを入れられ、あまりにも深い。真理から覆いが剥ぎとられてなお、それでも真理が真理に留まる
とは、我々はもはや信じない。そう信ずるには、我々はあまりにたっぷり生きた。一切を裸にして眺めたりしないこと、一切のそばに寄り添ったりしないこと、一切を理解し「知る」ことを欲したりしないこと、今日ではこれは、礼節の問題であるように思われる。
(ニーチェ『愉しい学問』第二版への序文)
生まれつき卑俗な連中には、高貴で気前のよい感情はどれも、目的に合っておらず、それゆえまずもって信用ならないものに見える。──彼らは、高貴な人が、あたかもこっそり儲けをたくらんでいるかのように邪推する。利己的な意図や利得などどこにもないことが分かりすぎるほど分かってしまうと、彼らは
高貴な人は阿呆の一種なのだと決めつける。彼らは、高貴な人が喜んでいるのを軽蔑し、その眼の輝きをあざ笑う。「損をしているのに喜ぶなんて、どうしてできるのだろう。みすみす損をしたがるなんて、どうしてできるのだろう。きっと、理性の病気が高貴な情念と結合してしまったに違いない」。──
頭のおかしい人が固定観念から引き出してくる喜びを彼らが馬鹿にするのと同じように。彼らに比べれば、生まれつき高級な連中は、"非理性的"である。高貴で気前よく犠牲的な人は、行為するさいには自分の衝動に屈しており、最高の瞬間には彼の理性は"休憩する"からである。
(ニーチェ『愉しい学問』3番)
情熱の非理性または逆理性こそ、卑俗な人が高貴な人に見つけては軽蔑の的とするものにほかならない。卑俗な人の眼には空想的で恣意的な価値しかないように見える対象へと情熱が向かうときは特にそうだ。卑俗な人は、腹部の情熱に屈している人を見ると腹を立てるが、そこで我がもの顔にふるまっている
魅惑の力がどういうものか、は理解する。だが、認識の情熱のために健康や名誉を賭すことのできる人がいるということは、彼には理解できない。生まれつき高級な人の趣味は、例外へと向かう。つまり、普通は寒々とさせるだけで甘美なところなど何もないように見える事物へと向かう。高級な人は、独特の
価値規準をもっている。そのうえ、高級な人はたいてい、自分の趣味は特異体質のもので価値規準も独特であるなどとは信じない。むしろ彼は、自分にとっての価値と無価値は、万人に妥当する価値と無価値なのだと決めてかかる。そのため不可解で不手際な事態に陥ってしまう。
(ニーチェ『愉しい学問』3番)
心の苦しみに関して言うと、私は今日どんな人間を眺める場合でも、その人が心の苦しみを、経験から知っているか、それとも書物から知っているかの違いに着目する。つまり、この知見を、上等な教養の印でもあるかのように、この知見を持っているそぶりをすることが何といっても必要だと考えているか、
それとも、大いなる精神的苦痛など信じておらず、歯痛や腹痛のことを思い浮かべて、そういう大きな身体的苦痛を言葉にする場合と似たり寄ったりの仕方で精神的苦痛を言葉にしているか、の違いである。しかし今日たいていの人は、まず後者なのではないかと思われる。
(ニーチェ『愉しい学問』48番)
厭世主義哲学があれこれ登場してきたのは、困窮状態が増大したことを示す徴表では決してない。すべての生の価値に疑問符を突きつけるこの哲学が、現代作り出されるのは、この時代にあっては、この世に生きることが繊細化と安楽化を蒙ったおかげで、心身が蚊に食われるのは避けがたいというだけで、
あまりに悪逆非道だと感じられてしまい、現実の苦痛経験の乏しさのなかで、悩みをもたらす一般的観念だけで、最高の種類の苦しみだと思われてしまいかねないからである。──厭世主義哲学と過敏すぎる感傷性に対する処方箋は、あるにはあろう。この過敏すぎる感傷性こそ本当の「現代人の苦しみ」だと
私には思われるが。──ところで、この治療法はおそらくあまりに残酷に響くし、それ自体が「この世に生きることは邪悪なものだ」と現代人が判断するさいの根拠とされる徴候の一つに数えられてしまうだろう。そう、「苦しみ」に対する処方箋とは、苦しみである。
(ニーチェ『愉しい学問』48番)
「自然を忠実に、完璧に描け」──かく言う彼は、ではどう始めるか。
いつか自然が絵の中に"すっぽり収まる"ことなどあろうか。
世界の極徴の断片でさえ無限だというのに──
彼が描くのは、結局、彼の"気に入る"ものだけ。
それで、彼の気に入るものとは? 彼に描くことの"できる"もの。
(ニーチェ『愉しい学問』55番)
彼ら若人たちは、外部から──幸福などではなく──不幸がやってくること、もしくは露見することを要求する。そして、彼らの空想がもう前々から精を出している仕事といえば、そこから一個の怪物を作り出すことであり、しかもそれは、その後は怪物を相手どって戦うことができると思ってのことである。
困窮を欲しがる人びとが、内側から自分自身に喜びをもたらす力、自分自身に何かを恵み与える力を、おのれの内に感じたとすれば、自分自身の困窮の切迫を内側から自分で創造することもできたであろうに。そのあかつきには、彼らの発明は洗練されたことだろうし、
彼らの満足感がさながら良質の音楽のように鳴り響くこともありえたことだろう。しかるに彼らは今、困窮の叫び声で世界を満たし、それゆえ、こともあろうに困窮感情で世界をいやというほど満たすのである。
(ニーチェ『愉しい学問』56番)
科学とは、事物を可能なかぎり忠実に人間へ適応させることだと見なすだけで、十分なのである。我々は、事物とその継起の連鎖を記述することで、我々自身をいよいよ正確に記述することを学んでいるのだから。原因と結果などといった二元など、おそらくありはしないのだ。
(ニーチェ『愉しい学問』112番)
煩わしい性質。──万事を深く見てとること──これは煩わしい性質だ。そのおかげで、ひとはたえず眼を酷使して疲れさせ、そのあげく、望んでいた以上のものをつねに見てとるはめになる。
(ニーチェ『愉しい学問』158番)
洞察力の最大の盲点は、的に達しないことではなく、的を通り越してしまうことだ。
(ラ・ロシュフコー『箴言集』)
真理が擁護者を見いだすこともっともまれなのは、真理をいうのが危険なときではなく、それが退屈なときである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的1』506)
非難として口にされる場合の文学という言葉は、はなはだ強度の言語省略なので、その結果──初めからそのつもりだったのかもしれないが──だんだん正しい展望を奪って、非難を、的のずっと手前に落としたり、はるか彼方に落としたりするような、思想の省略さえ伴うに至った。
(カフカ 日記 1917.8.4)
私がますます学びたいのは、何ごとにつけ必然的なものを、美しいものとして見てとることである。──かくして私は、何ごとも美しくする人たちの一人となる。運命愛、それがこれからは、私の愛であれ。
醜いものに戦いを挑むのはやめよう。告発するのはやめよう。告発者を告発するのも絶対やめよう。"目をそむけること"、それが私の唯一の否定であれ。総括して言えば、いつの日か私は、然りを言う者にひたすらなりたいのだ。
(ニーチェ『愉しい学問』276番)
エピクロス派は、極度に敏感な自分の知的性質に適した状態や人間、それに出来事をも選び出す。それ以外の物事──すなわち、大部分の物事──を彼は放棄するが、なぜかといえば、彼にとっては刺激が強すぎて胃にもたれる料理になってしまうからである。
対するに、ストア派は、石ころや虫けら、ガラスの破片、サソリなどを呑み込んでも、吐き気を催さずにいられるように、修行を積んでいる。彼の胃は、最終的には、この世に生きることの偶然が彼に注ぎ込む一切の事柄に対して無関心でいられなければならない。
一本の長い糸を紡ぐのを運命は自分に許してくれているのだと、ある程度達観している者なら、エピクロス主義流でやってゆくほうがよい。知的労働者にとって、繊細な感受性を犠牲にして、代わりにストア派の針鼠の硬い皮膚をもらい受けるのは、喪失中の喪失だろうから。
(ニーチェ『愉しい学問』306番)
学問への信仰が前提とするのは、徹底的で究極の意味での誠実なる人間である。この誠実なる人間は、生、自然、歴史とは異なる"別の世界をそれによって肯定する"。そしてこの人間が「別なる世界」を肯定するとき、さて、どうなるだろうか? 彼は当然ながら、その反対のもの、
すなわちこの世界を、"わたしたちの"この世界を──否定せざるをえないのではないだろうか?……わたしたちの学問にたいする信仰もやはり、一つの"形而上学的な信仰"に依拠しているのである。われら現代の認識者、われら神なき者、われら形而上学を否定する者たちも、
数千年におよぶ古き信仰によって点されたあの炎から、"わたしたちの"火をとっているのだ。この炎は、神は真理であり、真理は"神的なもの"であるというキリスト教の信仰であり、これはプラトンの信仰でもあったのである……。
(ニーチェ『悦ばしき知恵』第5章断章344)
そもそもわたしたちにこの問いを問うたのは"誰なのか"? わたしたちのうちの"何が"、そもそも「真理への」意志をもたせるのか?──実際のところわたしたちは、なぜこの意志が生まれたのかという問いの前に、長らく立ち尽くしていたのである。──そしてもっと根本的な問いの前で立ったまま、
身動きもできなくなったのである。わたしたちはこの意志の"価値"について尋ねた。ただしわたしたちが真理を望むと仮定したうえでのことだが。しかし"なぜ"、"むしろ"非真理を望まないのか? なぜ不確実さを望まないのか? 無知をさえ望まないのか?──真理の価値の問題がわたしたちの前に歩みでる。
──あるいはむしろわたしたちがこの問題の前に歩みでたのだったろうか? ここでオイディプスであるのはわたしたちのうちの誰だろうか? スフィンクスであるのは誰だろうか? まるで疑問と疑問符のランデヴーのようなものではないか。──
(ニーチェ『善悪の彼岸』1)
形而上学者の基本的な信念は、"価値が対立しあうという信念"である。彼らのうちでもっとも用心深い人ですら、これこそが何よりも疑う必要のあることだということを、思いつきもしなかったのである。「すべては疑うべきである」と、たがいに褒めあっていたにもかかわらずである。
疑うべきだったのは、次のようなことだった。第一にこうした価値の対立がそもそも存在するかどうかということ、第二に形而上学者たちが太鼓判を押していた俗受けのする〈価値評価と価値の対立〉なるものが、[背景にあるものが]前景に投射された評価にすぎないのではないか、
暫定的な遠近法にすぎないのではないかということである。それだけでなくある片隅から、おそらく下から見上げた遠近法、画家たちがよく使う言葉でいえば、〈蛙の遠近法〉にすぎないのではないか?
(ニーチェ『善悪の彼岸』2)
すべての哲学者をなかば不信の念をもって、なかば軽蔑の気持ちをもって眺めたいと感じることがある。それは哲学者というものがなんとも無邪気な人々であることに何度も繰り返し気づかされるからだけではなく、むしろ彼らのやり口が十分に正直なものとは言い難いからなのだ。
そのくせ哲学者たちは、ごく遠まわしに誠実さの問題が示唆されただけでも、みんなでこぞって道徳的な大騒ぎをしでかすのである。そして誰もが明晰で、純粋で、神々しいほどに呑気な弁証法の自己展開の力で、自分だけの意見を発見し、獲得したかのようにふるまっている。
(ニーチェ『善悪の彼岸』5)
[哲学者たちのやり口はといえば]まずあらかじめ考えておいた命題とか、思いつきとか、「ひらめき」とかを想定する。これはたいていは哲学者が抽象的に作りだし、篩にかけたひそかな願望なのだ。そしてこれをあとから探しだした理由によって弁護する。
哲学者たちは誰もが弁護士のようなものであり(もっとも彼らはそう呼ばれるのは嫌うが)、しかも自分たちで「真理」と呼び習わしている偏見を抜け目なく擁護する代弁者なのである──そしてこのことをみずから認めるだけの大胆な良心など、とうてい持ち合わせていない。
(ニーチェ『善悪の彼岸』5)
老カントは、あのぎこちなく、つつましそうな偽善家ぶりによってわたしたちを弁証法の間道へと誘うのであり、この間道はわたしたちを「定言命法」へと導く(正しくは誘惑する)のだが──こうした芝居はわたしたちのような分け知りの人間を苦笑させるものだ。
わたしたちは年老いた道徳学者や道徳の説教師たちの巧みな策略をあばくことには、ちょっとした喜びをみいださずにはいられないのだ。スピノザは自分の哲学に──それは[この哲学(フィロソフィア)、すなわち知(ソフォス)への愛(フィロス)という]語の正しき意味で、結局は[神への知的な愛ではなく]
「"みずからの"智恵への愛」ということだが──[幾何学の体系を採用することで]〈ちちんぷいぷい〉と数学的な形式の呪文を唱えたのだが、こうすることで[自分の体系を]攻撃しようとする人々の勇気をあらかじめ殺いでおいたのも、こうした策略の一つである。
(ニーチェ『善悪の彼岸』5)
ピューリタン的な良心の狂信者であれば、不確実な〈何か〉に賭けるよりも確実な〈無〉に命を賭けることを望むかもしれない。しかしこれはニヒリズムであり、死に飽きるほどに絶望した魂の兆候というものである。その美徳のふるまいがどれほど勇敢に思えるとしてもである。
(ニーチェ『善悪の彼岸』10)
たとえば確定的なものは不確定なものよりも価値が高いとか、仮象は「真理」よりも価値が劣るという評価があるが、こうした評価は"わたしたちにとっては"何かを規定するという意味で重要ではあるが、実際には前景的な評価にすぎないのであり、
わたしたちのような存在がみずからを維持するために必要なある種の愚かしさにほかならない。ただしわたしたち人間が「万物の尺度」などではないと仮定してのことだが……。
(ニーチェ『善悪の彼岸』3)
いまや誰もが、かつてカントがドイツの哲学に及ぼした影響から目を逸らそうと、とくにカントがみずからに認めた価値を巧みに迂回しようと、努めているようにみえる。カントは何よりも自分のカテゴリー表を誇りに思っていたし、この表を手にして、「これこそが形而上学の目標としえた営みのうちでも、
もっとも困難な作業だった」と語ったものだった。──この「[目標と] しえた」という言葉の意味をよく理解していただきたい! カントは人間の新しい能力、すなわちアプリオリな総合判断の能力を発見したことを誇りに思っていた。たとえカントがそのことで思い違いをしていたにせよ──
それでもドイツ哲学の発展と急速な開花は、カントのこの誇りにかかっているのであり、できればもっと誇りをもてるようなものを──いずれにしても「新しい諸能力」を!──発見したいと考えたすべての若い世代の哲学者たちの競争心にかかっているのである。
(ニーチェ『善悪の彼岸』11)
しかしここでよく考えてみよう(今はその時期だ)。カントはアプリオリな総合判断がどのようにして可能なのかという問いを立てた。その答えはそもそもどんなものだっただろうか。"ある能力の力で"(フェアメーゲ・アイネス・フェアメーゲンス)というものだった。
しかしカントはこのたった三語で答えたのではなく、きわめて面倒で、厳かで、ドイツらしい含意と美辞麗句を駆使して答えたものだから、その答えのうちにひそんでいたほがらかでドイツらしい愚直さは聞き漏らされたのだった。
この新しい能力が発見されたことで人々は熱狂したし、カントはさらに人間のうちに道徳的な能力が存在することまで発見したものだから、人々の歓喜はその絶頂にまで高まったものだった。
(ニーチェ『善悪の彼岸』11)
コペルニクスは、私たちのすべての感覚に反して、地球が動かずに静止しているわけでは"ない"ことを信じるように説得したのだが、ボスコヴィッチは地球上にあって「不動である」最後のもの、すなわち「物質」であり「質料」であるもの、地球の最後のこまぎれの微粒子[原子]への信仰を捨てることを、
私たちに教えたのである。これは感覚にたいする勝利としては、地上がこれまで獲得した最大の勝利である。──しかしさらに一歩を進めるべきなのだ。私たちはあの有名な「形而上学的な要求」だけでなく、「原子論的な要求」にも、──宣戦布告し、しかも情け容赦のない血の闘いを挑まねばならない。
──この「原子論的な要求」は、誰ひとりとして予想もしなかったようなところで、いまなお危険な余生を送っているのである。──まずキリスト教がもっとも長い間、もっとも巧みに教えてきた別の宿痾のような原子論、すなわち"霊魂の原子論"にとどめを刺す必要があるのだ。
(ニーチェ『善悪の彼岸』12)
一つの理論にとって、それが反駁されうるということは、じつは少なからぬ魅力のあることだ。反駁されるというのは、緻密な頭脳によって吟味されるということだからだ。「自由意志」の理論はすでに何百回となく反駁されてきたが、それでもまだ生き延びているのは、こうした魅力のせいなのだろう──。
この理論を反駁できる能力があることを示すことに満足を感じる人が、何度でも登場するのだ。
(ニーチェ『善悪の彼岸』18)
ショーペンハウアーは、現に存在するものはすべて意志するものにほかならないと仮定することで、太古の神話学を王座に祭り上げた。彼は、意志の分析を決して試みなかったように思われる。なぜなら彼は、万人と同じく、意志することはすべて単純で直接的だと信じたから。
(ニーチェ『愉しい学問』127番)
もしこの有名な「自由意志」という概念を追い出すことができたなら、さらに一歩先に進めて、「自由意志」という珍妙な概念を裏返しただけの概念も、頭の中から叩きだしてほしいものだ。わたしが考えているのは「不自由な意志」の概念であるが、これは原因と結果の連鎖を誤用したことで生まれるものだ。
「原因」も「結果」も、純粋な"概念"として扱うべきだ。すなわち説明するためではなく、記述し、理解するための便宜的な虚構として使うべきだ。事柄「そのもの」の内には、いかなる「因果の連鎖」も「必然性」もないし、「心理学的な不自由」もない。そこでは「結果は原因に従う」ということもないし、
いかなる「法則」も支配していない。原因、継起、相互性、関係性、強制、数、法則、自由、根拠、目的などの概念をでっちあげたのは、まさにわたしたちなのだ。そしてわたしたちがこの記号の世界を「そのもの」とみなして物の世界の中に考えいれ、混ぜこんでいる
(ニーチェ『善悪の彼岸』21)
君たちは現代精神の民主主義的な本能に、しっかりと迎合しているだけなのだ! 「法則の前ではすべてのものが平等である。──そこでは自然は人間と異なるものではないし、人間よりも優れているものではない」というわけだが、そこには気取った底意が感じられる。
すべての特権的なもの、自律的なものにたいする賤民的な敵意が、二番煎じの少しはましな無神論が仮装しているのだ。「神様もまっぴら、殿様もまっぴら」──たしかに君たちはそう望んでいるだろう。だから「自然主義、万歳!」というわけだ。図星だろう?
(ニーチェ『善悪の彼岸』22)
認識者であるならば、ある日「わたしの高尚な趣味など悪魔にくれてやる! そうだ、例外よりも標準的なもののほうが興味深い。──例外者であるわたしよりも!」と言いだすに違いないからである。──そして彼は"下へ"降りていくだろう。そして「中へ」。"平均的な"人間を研究すること、
長い時間を費やして、真剣になってこの人物を研究すること、そしてそのためにさまざまな仮装をまとい、自己を超克し、馴々しくして、悪しき交際をすること──自分と同等でない人間とつきあうのは、すべて悪しき交際である──、これらはすべての哲学者の伝記の不可欠な一章である。
おそらくもっとも不快で、悪臭を放ち、幻滅にみちた一章であるだろう。しかし認識の幸運児にふさわしい運に恵まれれば、自分の課題の長さをほんとうに短縮し、軽減してくれるような人間に出会うだろう。──いわゆるキュニコス派の人間のことだ。こうした人々は自分の動物性、
下劣さ、「標準」をそのままに認めるだけでなく、"証人の前で"、自分について、自分の同類について語らずにはいられないほどの知性や欲望をもっているのである。──ときには書物の中でさえ自分の糞尿の上をころげ回るようなふるまいをするのだ。
(ニーチェ『善悪の彼岸』26)
幸福も美徳も、論拠となりうるものではない。しかし理論が人を不幸にしたり悪くするということだけでは、その理論の正しさを否定する論拠にならないことは、思慮深い人々もとかく忘れてしまいがちなことである。ある理論がきわめて有害で危険なものであったとしても、それは真理なのかもしれないのだ。
──だからある精神の強さを測定するのは、それがどれだけ「真理」に耐え抜くことができるかどうか、さらに明確に表現すれば、精神が真理をどれだけ希釈し、隠蔽し、甘く鈍いものとし、偽造せずにはいられないかという基準によってなのである。
(ニーチェ『善悪の彼岸』39)
ヨーロッパのすべての国で、そしてアメリカでも、「自由な精神」という呼び名が濫用されている。きわめて狭量で、囚われ、鎖につながれた精神が、この名で呼ばれているのである。これはわたしたちが意図するもの、本能的に感じるものとはほとんど正反対のものを欲する精神なのだ。
誤って「自由な精神」と呼ばれている者は、要するに厳しく言えば水平化する者たちである。民主主義的な趣味とその「近代的な理念」とかいうものに仕える、能弁で筆のたつ奴隷にほかならない。どれもこれも、孤独を知らぬ人間であり、みずからの孤独を知らぬ人間であり、愚かで健気な若者たちである。
勇気やまともな礼儀を知らぬわけではないとしても、自由というものを知らず、笑いたくなるほどに表面的な人間なのだ。こうした人々にみられる根本的な傾向は、人間のすべての悲惨と失敗の原因が、おおむねこれまでの様々な形式の古き社会のうちにあると考える傾向である。
(ニーチェ『善悪の彼岸』44)
今日ではドイツの中産階級のプロテスタント信者の大部分は、こうした無関心な人々になっている。とくに仕事が忙しい商業や交通の中心地では、こうした人が多くみられる。さらに勤勉な学者の大多数とすべての大学関係者がそうだ。
学者たちはそもそも職業的な性格からして(あるいは、現代的な良心からして、職業的な勤勉さをもつことを義務づけられているがために)、宗教にたいしては悠然とした態度を、ほとんど善意に満ちた明朗さに近い態度を示す傾向がある。この態度にはときに軽い軽蔑の気持ちが混じっていることがある。
学者たちは、教会に信仰が捧げられるときには、つねに精神の「不潔さ」が伴うと想定しているからである。学者たちが宗教にたいして畏敬に満ちた真面目な姿勢で向かい、はばかるような配慮を示すのは、歴史の助けを借りる場合だけである(ということは、
自分の個人的な経験によって"ではない"ということである)。しかし学者の宗教にたいする感情が〈感謝〉にまで高まったとしても、個人としては教会とか敬虔さのようなものに向かって、一足でも歩を進めたことにはならない。むしろその逆なのである。
(ニーチェ『善悪の彼岸』58)
たとえば現代のドイツで、宗教とは関係なく生きている人々には様々な種類と由来の「自由思想家」たちがいるのだが、その多くは、世代から世代へと勤勉さが引き継がれてきたために、宗教的な本能が消滅してしまった人々なのだ。こうした人々はもはや宗教が何の役に立つものだったかを理解できなくなり、
ある種の鈍い驚きの心をもって、ただ世界に宗教が存在していることを、いわば無関心に書き留めているだけなのである。これらの実直な人々は、事業とか娯楽とかにすっかり時間をとられていると感じている。「祖国」とか新聞とか、「家族の義務」など、時間をとるものが沢山あることはいうまでもない。
彼らは宗教の風習に反対するわけではない。たとえば国からこうした風習に参加するように求められるならば、要求されたとおりに、様々な用事を済ませるのと同じようにするだろう。それほど好奇心や不快な気持ちを感じることもなく、辛抱強い控え目な真面目さを示しながら。
(ニーチェ『善悪の彼岸』58)
学者は自分が優れていると信じ込み、良心に咎められずに寛容を信じ、そして天真爛漫なまでの単純な自信を抱いているが、そこにどれほどの素朴さがあるだろう。どれほどの尊敬に値する子供っぽさが、際限のない愚かな素朴さがあるだろう。学者はこうして自信をもって、その本能によって、宗教的な人間は
自分よりも価値が低い劣った人種だとみなす。学者は自分のことを、宗教的な人間から遠く離れて、上に成長してきた人間とみなしている。ちっぽけで、尊大で、矮小な賤民にすぎない学者が、「現代の理念」のための勤勉で、すばしっこい頭脳労働者であり、職人である学者が!
(ニーチェ『善悪の彼岸』58)
自分の使命は信仰することではなく、観想することにあると感じている者にとっては、信仰をもつ者はあまりに騒がしく、厚かましい。だから彼らを近づけないようにする。
(ニーチェ『善悪の彼岸』112)
怪物と戦う者は、自ら怪物にならぬよう用心したほうがいい。あなたが長く深淵を覗いていると、深淵もまたあなたを覗き込む。
(ニーチェ『善悪の彼岸』146)
さらにこれらの輩は心を一つにして、同情の宗教を信奉する。そして感情をもち、生き、苦しむすべてのものに共感するのである(下は獣にまで、上は「神」にまで同情する。「神への同情」という途方もない逸脱は、民主主義の時代のものだ──)。そして彼らは声を揃えて同情を叫び、焦るように同情する。
苦しむことそのものに死ぬほどの憎悪を抱き、苦しむ者を傍観していること、苦しむ者を苦しむ"ままにしておく"ことができないという、ほとんど女性的な無力に陥る。これらの輩はすべて意図せずに陰鬱になり、繊細になっている。
そして彼らの呪縛のもとでヨーロッパは新たな仏教の脅威の下にあるかのようである。これらの輩は心を一つにして、"相互の"同情という道徳を信奉し、それが道徳そのものであるかのようにみなし、高きもの、人間がかつて"到達した"最高の高さであるかのようにみなす。
これが未来に残された唯一の希望であり、現在というときを癒す薬であり、過去のあらゆる罪から解放する偉大な道徳であるとみなすのである。──これらの輩は心を一つにして、"救済者"としての共同体を信奉する。そして家畜の群れを、「自分自身」を信奉するのだ……。
(ニーチェ『善悪の彼岸』202)
だから奇妙に響くかもしれないが、これまでのすべての「道徳の科学」には道徳の問題そのものが"欠如していた"のである。ここには何か問題となるものがあるのではないかという疑念そのものが欠けていたのである。哲学者たちが「道徳の基礎づけ」と呼んでいたもの、そしてみずからに要求していたものは、
正しい光をあててみるならば、現行の道徳にたいして敬虔な"信仰"を学者ぶった態度で示す形式にすぎなかったし、その形式を"表現する"新しい手段にすぎなかったのである。それは特定の道徳性の内部で確認された一つの事実にすぎず、結局のところは、
こうした道徳を問題として把握することが"できる"ことを否定しようとするものにすぎない。
(ニーチェ『善悪の彼岸』186)
とくに「現実哲学者」とか「実証主義者」とか自称するごちゃまぜの哲学者たちを眺めてみれば、栄誉に憧れる若き学者の胸のうちに、危険な不信感が生まれるのも不思議ではない。こうした哲学者たちは、じつは学者にすぎず、専門家にすぎない。これは手に取るように明らかな事実である。
──こうした哲学者たちは敗北者であり、科学の支配のもとに"連れ戻された"人物なのである。たしかに彼らはかつては[科学]"以上のもの"を望んだのだが、この[以上のもの]であることの権利も、その責任を負う権利も、もっていなかったのである。
──だからこそ今になって言葉と行為をもって、真面目な顔をして、恨みがましく復讐の念に燃えながら、哲学の支配者としての使命と支配権に"不信の念"を表明しているのだ。
(ニーチェ『善悪の彼岸』204)
実際のところ大衆は長いあいだ哲学者たちについて考え違いをしていたし、見誤っていたのである。哲学者を科学的な人間や、理想的な博学の人と思い込み、宗教的に高揚し、感覚的なものを否定する、「浮き世離れした」夢想家のような人物、あるいは大酒のみの神のような人物と考えていたのである。
誰かがある人を「賢く」生きているとか、「哲学者のように」生きていると褒めるときは、それは「浮き世離れして、利口に」生きているというほどの意味でしかない。賢さとは、賤民にはある種の逃避のようにみえるのであり、勝てそうもない賭から身を引くための手段であり、技であるかのように
みえるのである。しかし真の哲学者とは──"わたしたちには"そうみえないか、友よ──、「哲学者らしくなく」生きる者であり、「賢くなく」生きる者、何よりも"利口でなく"生きる者ではないか? そして生の百の試練と誘惑に直面する責任と義務を負う者なのだ。
(ニーチェ『善悪の彼岸』205)
少し詳しく調べてみよう。学問的な人間とはどのような種類の人間だろうか? 学問的な人間とはまず、卑しい種類の人間である。高潔ではないことを美徳とする人間、すなわち支配することがなく、権威に欠け、自足することを知らぬ種類の人間である。学問的な人間とは、勤勉さをそなえ、
隊列を組んで忍耐強く並び、自分にできることと望むことのバランスを巧みにとり、その尺度というのを知っている人間である。彼は自分と同類の者について、そしてその同類の者たちが必要とするものについて、本能的な勘をもっている。[学者が必要とするのは]たとえば、わずかな独立と緑の草原であり、
これなしでは仕事から休らぐことができないのだ。あるいはたとえば、名誉と尊敬を求める心である(これは何よりも、人に認められることだ。人が彼の仕事を認めることができることを前提としてのことだが──)。またたとえば、名声を博して人々の注目を集めること、
自分の価値と有用性が絶えず承認されていることであり、これによって学者は、自分の心の中の"不信の念"を、あらゆる隷属的な人間と家畜の群れの心の底でわだかまっているものを、何度でも克服する必要があるのだ。
(ニーチェ『善悪の彼岸』206)
学者は模範となる人間ではない。彼らは誰よりも先に進むことも、誰よりも後に遅れることもない。彼らは善に与するか、悪に与するかを決める根拠をもつには、あまりに遠い場所に立っている。人々は学者を長いあいだ、哲学者、すなわち帝王のように文化を育成する者であり、独裁者であると間違えてきた。
それは学者に高すぎる名誉を与えることであり、学者の本質を見損なうことである。学者は〈道具〉にすぎない。一人の奴隷である。奴隷としては最高の種類のものであるのはたしかだとしても、みずからには何も、〈ほとんど何も〉、もっていないのである。
客観的な人間とは一つの〈道具〉である。
貴重で、壊れやすく、曇りやすい測量装置であり、鏡の工芸品なのだから、大切に扱い、敬ってしかるべきである。しかしそれは〈目的〉ではないし、出口でも入口でもない。こうした人はふつうは、内容も実質もない人間であり、「自己のない」人間である。
(ニーチェ『善悪の彼岸』207)
学者の愛はわざとらしいものであり、学者の憎しみは作りものであり、力技であり、ささやかな虚栄であり、誇張である。学者は客観的でありうるところだけで、本物なのである。学者はその朗らかな〈全体的な見方〉を維持できるときだけ「自然」であり、「自然らしい」のである。
つねにみずからを磨きあげ、鏡のようにものを映しだす学者の魂はもはや肯定することも、否定することも知らない。命令することも、破壊することもない。
(ニーチェ『善悪の彼岸』207)
今日、懐疑家ではないと自称する哲学者がいたとするならば、──このことは、客観的な精神についてのこれまでの説明からも理解していただけると思うが──、誰もが不快な感じを抱くだろう。人々は、いくらか遠巻きにその哲学者を眺めながら、多くのことを尋ねたがるに違いないし、尋ねるだろう……。
怖々と聞き耳を立てている人々のうちでは(最近はこの手の人物が多いのだ)、その哲学者は危険人物と呼ばれるようになるに違いない。こうした人々は、懐疑を否定するような哲学者の言葉を耳にすると、遠くで何か恐ろしい物音が聞こえたかのように、どこかで新しい爆薬が実験されたかのように感じるのだ。
いわば精神のダイナマイトが、おそらく新たに発見されたロシアの虚無剤(ニヒリン)が、たんにノーと言うだけではなく、ノーを望むばかりではなく、──考えるだに恐ろしいことだが!──ノーを"行う"だけの〈善き意志をもつ〉ペシミズムが爆発したのではないかと思うのだ。
(ニーチェ『善悪の彼岸』208)
懐疑とは、柔らかで優美な子守歌を歌ってくれる阿片のようなものなのだ。人々のうちの「精神」と、その地下でのざわめきにたいする処方箋として、現代の医師たちはハムレットを服用させるほどなのだ。懐疑家は、平穏の愛好者であり、ある種の治安警察でもある。
懐疑家は、「誰の耳も、もうこの嫌な物音でみちているのではないか。この地下のノーは忌まわしい。いい加減に静かにしろ、このペシミストのモグラたちめ!」と語るのである。柔和な生き物である懐疑家は、何にでもすぐに驚くのだ。
その良心はどんなノーを耳にしても、それどころかイエスという言葉が断固として語られたときですら、震え上がり、何かに噛みつかれたかのように感じるようにしつけられているのである。
(ニーチェ『善悪の彼岸』208)
だから哲学者とは何かということを学んで知るのは困難なことなのだ。それは学んで知るべきことではないからである。経験から「知っている」べきなのである。──それでなければまったく知ら"ない"ことに誇りをもつべきなのである。
しかし最近では誰もが、いかなる経験も"もちえない"事柄について語るのが流行しているのであり、それは哲学者と哲学の状況について、もっともよく、しかも最悪な形であてはまるのである。
(ニーチェ『善悪の彼岸』213)
多くの思想家や学者たちは、すべての必然性を苦しみと考える。必然性とは苦痛をもたらすもの、強制されるものとみなすのである。そして彼らにとって思考とは、遅いもの、たゆたうもの、ほとんど労苦に満ちたもの、しばしば「高貴な人が"汗"を流すだけの価値のあるもの」とみなされるのである。
──そして思考が軽いもの、神的なもの、舞踏や悪ふざけにごく近いものであることなど、考えてみようともしない!──彼らにとって「考えること」は、そのまま「真面目にとる」ことであり、「重大なものとみなす」ことである。──彼らはたがいに「考える」という営みを
このようなものとしてだけ「経験してきた」のだ──。
芸術家はこれについては鋭い嗅覚をそなえているのかもしれない。芸術家が、そして芸術家だけが知り抜いているのは、もはや何ごとも[自分の]「意志によるもの」ではなくなり、すべてが必然的なものとなったときこそ、
みずからの自由の感情が、繊細さが、全能の感情が、創造的な力によって定め、利用し、形成する感情が、もっとも高まるということなのである。──要するに、そのとき芸術家においては、必然性と「意志の自由」がまったく同一のものとなっているのである。
(ニーチェ『善悪の彼岸』213)
道徳的な判断を下すこと、判決を下すこと、それは精神的な狭さをもつ人間が、そうでない人々に加える復讐、お気に入りの復讐である。それは自然が精神的な広さを与えてくれなかったことにたいするある種の損害賠償であり、精神的な深みを手にいれて繊細に"なるための"好機でもある。
──悪意は人の精神を高めるからだ。精神の狭い者たちにとっては、精神的な資質や特権に恵まれた人々を、自分たちと同等な者として扱う尺度があるということは、心の底から嬉しいことなのである。──彼らは「神の前での万人の平等」のために闘っているのであり、ほとんどそのためにこそ、
神を信じることが"必要になる"ほどである。彼らのうちにこそ、無神論の最強の敵がいるのだ。
(ニーチェ『善悪の彼岸』219)
学ぶことでわたしたちは変わる。知識は、すべての栄養物と同じ働きをするのだ。栄養物はたんに人間を「養う」だけではない──それは生理学が教えてくれることだ。しかしわたしたちのもっとも深いところに、ごく「下のところ」に〈教えることのできないもの〉があるのはたしかなことだ。これは精神的な
宿命という花崗岩であり、あらかじめ定められた選り抜きの問いにたいして準備された、同じようにあらかじめ定められた答えと決意の花崗岩である。あらゆる枢要な問いにたいして、「わたしはそういう人間なのだ」という変えがたきものが答えを発する。たとえば男と女については、思想家は人に教えられて
自分の考えを変えることはできない。ただ学び尽くすことができるだけである。そして最後になって、それまでその問いについて自分のもとで「確定されていた」ことを、新たに発見するだけなのである。
ときにはある種の問題が解決され、それが"わたしたちに"強い信念をもたせることがある。
その後はそれをその人の「確信」と呼ぶことができるだろう。しかしやがては、──こうした確信もじつは、自己認識の足跡にすぎないものだったこと、わたしたちという存在そのもの"である"問題への道標にすぎないものだったことをみいだすだろう──
(ニーチェ『善悪の彼岸』231)
もしも女が、ロラン夫人やスタール夫人や、ジョルジュ・サンド氏を実例とすることで、こうした実例が「女そのもの」について"有利なこと"を証明するものと考えるならば、それは女としての本能が腐っていることを示すものである。──それが悪趣味を示すものだということは自明のことだとしてもである。
男たちのあいだでは、これらの女性は"滑稽な"女そのものであり──それ以上のものではない!──女性の解放と自立とを、知らず知らずに否定してしまう最上の"反証"にすぎないのである。
(ニーチェ『善悪の彼岸』233)
「男と女」というのは根本的な問題であるのに、このことが理解されていない。これはきわめて深い対立関係であり、永遠に敵対する緊張関係の必然性があるのに、そのことを否定して、平等の権利、平等の教育、平等の要求と義務が確立できると夢想するのである。
これこそが、平板な思考しかできない人の典型である。この危険な場所において浅薄さを露呈する思考者は──本能における浅薄さ!──、いかがわしい者、むしろその正体を漏らし、見抜かれた者とみなすことができる。
この思考者は、生のすべての根本的な問題について、そして将来の生の根本的な問題についても「近視眼的」であり、いかなる深みにも降りることのできない者なのだろう。
(ニーチェ『善悪の彼岸』238)
わたしたちの時代ほどに、女という弱き性が男性の尊敬を集めたことはかつてない。──これは民主主義の時代の傾向と根本的な趣味によるものであり、老人にたいして敬意を払わないこともその一つの現れである──。[女を]このように尊敬することから、濫用が生まれるのは不思議なことだろうか?
人というものはやがて、より多くのものを欲するようになり、もっと多くのものを要求するようになり、最後にはこうした尊敬が示されることにすら、侮辱を感じるようになる。そしてやがては権利を獲得するための競争を、そもそも闘いを好むようになるものである。
要するに、女は羞恥心を失ったのだ。女は趣味も失ったのだということを、すぐにつけ加えておこう。女は男を恐れることを忘れたのだ。しかし「恐れることを忘れた」女は、そのもっとも女らしい本能を失うという犠牲を払ったのだ。
(ニーチェ『善悪の彼岸』239)
もちろん学識のある雄のロバのうちには、愚かしい女性賛美者や女性を駄目にしてしまう輩がいて、女たちにこのような方法で女らしさを捨てることを勧めたり、ヨーロッパの「男」とヨーロッパの「男らしさ」が病んでいるすべての愚行を模倣するように勧めたりするのである。
──これは女性を、「一般教養」の水準にまで、おそらく新聞を読み、政治談義に耽る水準にまで引きさげようとするものである。そこかしこに、女を自由思想家や文学者に仕立てあげようとする試みまでみかけるほどである。
神をもたず、深みのある男性にとっては、敬虔さをそなえていない女というものが、まったく忌まわしい存在、あるいは笑うべき存在であることを知らないかのように──。
(ニーチェ『善悪の彼岸』239)
「古き良き」時代はすぎさった。モーツァルトの中でこの「古き良き」時代という歌は歌い尽くされた。モーツァルトのロココ趣味がまだ私たちに語りかけるということは何と幸いなことだろうか。彼の「巧みな社交」が、優しい熱狂が、中国風のものや唐草模様に対する子供っぽい好奇心が、胸奥の優雅さが、
優美なもの、惚れ惚れするもの、踊るもの、至福の涙を流すものなどへの彼の憧れが、南方への信仰が、私たちのうちにまだ"残っている"なにかに訴えかけることができるとは、何と幸いなことだろうか! ああ、いつの日か、これもやがては失われるに違いない!──しかしベートーヴェンの理解と味わいが、
これよりもさらに迅速に失われることを疑う人はいないだろう!──ベートーヴェンは一つのスタイルが移り変わり、一つのスタイルが破綻するにいたったことの残響にすぎなかった。モーツァルトのように幾世紀にもわたるヨーロッパの偉大な趣味の残響"ではない"のである。
(ニーチェ『善悪の彼岸』245)
成功はつねに最大の詐欺師である──そして「作品」そのものが成功なのだ。大政治家、征服者、発見者などは、もはや見分けがたくなるまでに、自分の創造したもののうちに変装している。じつは「作品」こそが、芸術家や哲学者の創造した「作品」こそが、それを創造したとされる者を作りだすのだ。
尊敬される「偉大な人間」なるものは、後から作りだされた小さくて劣悪な虚構なのである。歴史的な価値の世界においては、こうした贋金造りが"横行している"のである。
(ニーチェ『善悪の彼岸』269)
深い苦悩を味わったすべての人は、精神的な自負心と吐き気を感じているものだ──どれほどまでに深い苦悩を味わうことができるかによって、その人の位階がほぼ決まるのだ。こうした人は、自分の苦悩のために、もっとも賢い人やもっとも智恵のある人が知りうる以上のことを知っているという確信を抱き、
その確信によって彩られている。……苦悩する者が沈黙のうちに抱く精神的な自負心は、苦しみにおいて自分にふさわしくないすべての者から身を守るために、様々な仮装を必要とする。
深き苦悩は人を高貴なもの、他人と違った存在にする。もっとも洗練された仮装の形式の一つに、エピクロス主義がある。
これは苦悩を重く考えず、すべての悲しげな者、すべての深刻なものに抵抗しようという趣味を、やがてある種の大胆さをもって誇示するものだ。自分のことを誤解してもらうために朗らかさを利用する「朗らかな人間」もいる。──彼らは誤解されることを望んでいるのだ。
(ニーチェ『善悪の彼岸』270)
人が高貴であることを示す〈しるし〉のようなものがある。みずからの義務を、すべての人への義務にまで引き下げないこと。みずからの責任を譲り渡すことを望まず、分かち合うことを望まないこと、みずからの特権と、その特権の行使も、みずからの義務の一つと考えること。
(ニーチェ『善悪の彼岸』272)
待つ者に固有の問題。──高き人間が、問題を解決しうるためには、適切な瞬間に行動しうるためには、──いわば「爆発する」ことができるためには、幸運というものが必要である。さまざまな計算しがたいものが必要なのだ。だがそうしたことはふつうは起こることはないものだ。
だから地上のあらゆる片隅には座って待っている人々がいるのだが、彼らはいつまで待たねばならないかを知らないし、ましてや待っていても無駄であることも知らない。時には目覚めを促す呼び声が、行動することの「許可」をもたらす偶然がおとずれることもあるが、時すでに遅い。
天才の領域では「[筆をもつ]手のないラファエロ」というものは、例外的な存在ではなく、ごくありきたりのことなのではないだろうか。──おそらく天才というのはそれほど稀なものではない。稀なのは、偶然の前髪をつかむために、天才が使う必要のある五百本の手である。
(ニーチェ『善悪の彼岸』274)
大いなる誇り高き放下をもって生きること。つねに世から超然として生きること。──みずからの情動を、みずからの賛否の意見を、気の向くままにもち、そして手放すこと。しばらくのあいだ、そうしたものが訪れるに任せること。馬を御するように、むしろ驢馬を御するように、
そうしたものに"またがる"こと。──すなわちこうしたものの愚かさと情熱を利用する術を知っていなければならないのだ。
(ニーチェ『善悪の彼岸』284)
次のように言えるだろう、「馬にまたがらず、馬に完全に自分を委ねないなら、もちろん君は振り落とされないだろう、
けれど同時に馬に乗ってゆくことも望めない」。これに対しては、ただ次のように言えるのみである。「君は馬に自分を完全に捧げなければならず、でもいつ振り落とされるかわからないという覚悟もしなければならない」。
(ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記 1930.5.9)
今日の芸術家や学者のうちには、高貴なものへの深い渇望に駆り立てられていることが、その業績から理解できる人も多い。しかし高貴なものへの欲望というものは、高貴な魂そのものの欲望とは根本的に違うものだ。むしろこれは高貴な魂の欠如を示す雄弁で危険な兆候なのである。
高貴な人間であることを決定的に示すのは、その位階の秩序を定めるのは、古い宗教的な用語を新しい、もっと深い意味で使うとすれば、その人の業績ではなく、「信仰」である。すなわち高貴な魂が、自分は高貴な魂であることを根本的に確信しているかどうかなのだ。
これは探してえられるものでもなく、みつけられるものでもなく、おそらく失われることもないものである高貴な魂は、みずからに畏敬の念を抱くのである──。
(ニーチェ『善悪の彼岸』287)
高貴な人間は自分の敵や自分の災難、自分の非行についてすら、本気にうけとめていることができない。(近代の模範的な実例がミラボーだ。他人から侮辱されても、卑劣な行為を加えられても、まったく記憶していなかった。彼は他人を許すということができなかったが、それはそもそも他人がしたことを──
忘れてしまっていたからにすぎない)。
このような人間においてのみ本当の意味で「自分の敵を愛する」ということが可能なのだ。高貴な人間はその敵にすら、どれほどの畏敬を抱いていることだろう!──そしてこうした畏敬の念は、すでに愛への懸け橋なのである……。こうした人間は自分の敵を求めるが、
それはみずからを際立たせるためである。彼には、軽蔑すべきところのまったくない敵、尊敬すべきところが"非常に多い"敵でなければ、耐えられないのだ!
これと比較して、ルサンチマンの人間が考える「敵」がどのようなものか想像してみていただきたい──これこそがルサンチマンの人間の行為であり、
創造物である。「悪しき敵」を考えだし、「悪人」というものを考えだしたのは、まさにこのルサンチマンの人間なのだ。しかもそれを基礎概念として、その模像として、対照的な像として「善人」なるものを考えだしたのだ──この善人こそ自分だというわけだ!……
(ニーチェ『道徳の系譜学』第1論文10)
もしショーペンハウアーに〈敵〉がおらず、ヘーゲルもおらず、女も官能もなく、存在し、生存しつづけるいかなる意志もなかったならば、きっと病気になっていただろうし、ペシミストになっていただろうということも、軽く考えてはならないのだ。
(──ショーペンハウアーがどれほどペシミストでありたかったにせよ、彼はペシミストではなかったのである)
こうしたものがなかったならば、ショーペンハウアーは生き延びていられなかっただろうし、人生に別れを告げていただろう──、これは賭けてもいいくらいだ。
彼の〈敵たち〉が彼をこの世に引きとめたのだし、彼の〈敵たち〉が繰り返し生存へと誘惑したのである。古代のキュニコス派と同じように、ショーペンハウアーの憤怒は彼の清涼剤であり、気晴らしであり、報酬であり、吐き気を防ぐ薬であり、幸福でもあったのだ。
(ニーチェ『道徳の系譜学』第3論文7)
厳密な意味では「前提なき」学問などというものは存在しない。このような考え方はそもそも不可能なものであり、論理に反するものである。まず一つの哲学があり、一つの「信仰」が存在していなければならない。そしてこの哲学や信仰から、学問は一つの方向を、一つの意味を、一つの限界を、
一つの方法を、存在する"権利"を獲得するのである(これを反対の方向で考えようとする人、たとえば哲学を「厳密な学問的な土台」のもとに基礎づけようとする人は、哲学だけでなく、真理そのものも"逆立ちさせ"ねばならない。
これはかくも貴き二人の女性 [哲学と真理]にたいする最大の非礼ではあるまいか!)。
(ニーチェ『道徳の系譜学』第3論文24)
──ここで立ち止まって、じっくりと考えてみる必要があるだろう。学問そのものはつねに根拠づけを"必要としている"(しかしこれは、学問に根拠があるということを主張するものではあってはなるまい)。この問題に照らして古今の哲学者たちを吟味してみるがよい。彼らのうちの誰であっても、
真理への意志そのものがどれほどに根拠づけを必要とするものであるかということについて、十分に意識した者はいないのである。ここにすべての哲学の欠陥がある。──しかしそれはどうして生まれたのか?
(ニーチェ『道徳の系譜学』第3論文24)
コペルニクス以来というもの、人間は大きく傾いた斜面の上に立たされているかのようである。いまでは人間はますます速さをまして、中心となる場所から遠ざかってゆく。──どこへ? 虚無へか? 「自らを虚無とみなす胸をえぐられるような感覚」へか? いかにも! これこそはまっしぐらに進む道では
ないだろうか──古き理想へと? "すべての"学問は(これは天文学に限られるものではない。ただし天文学には人間を卑屈にし、卑下させる力があることについては、カントが注目すべき告白をしている。「それは私の重要性を否定する」と……)それが自然のものであるか、"不自然な"ものであるかを問わず
(私は認識の自己批判を、不自然な学と呼ぶ)、人間にこれまでの自尊心を捨てさせることに、人間の自尊心は奇妙な自惚れにすぎなかったかのように思わせることに、全力を尽くしているのである。そしてあたかも、人間が自己を尊重するためにこそ、このように苦労して作りだした人間の"自己蔑視"を
維持することを真摯に求めるのであり、そこにこそ学問に特有の誇りが、学問自身のストア的な平静心に固有の厳格な形式があるとも言えるほどである(これは実際に正当なことなのだ。軽蔑する者とは、「尊敬することを忘れなかった者」のことだからだ……)。
(ニーチェ『道徳の系譜学』第3論文25)
カントが自らこのようなことを意図していたかどうかは問題ではない。確実なのはカント以来というもの、あらゆる種類の超越論的な哲学者たちが、勝機をつかんだということである。──彼らは神学者から解放されたのだ。何という幸運だろうか!──
そうであるならば、不可知論者たちが、未知なるもの、
神秘的なものを崇拝する者として、いまや"疑問符"そのものを神とみなして崇拝するからといって、これを誰が咎めることができるだろうか?(シャヴィェ・ドゥーダンはかつて、「知りえないという状態にとどまるのではなく、理解できないものを"賛美する"という習慣」から生まれた弊害について
語ったことがある。彼によると古代人はこうした弊害に陥ることはなかったのだという)
人間が「認識する」すべてのものが、人間の願望を満たすのではなく、人間の願望に逆らい、人間を戦慄させるようになったときに、この責任を人間の「願望」にではなく、
「認識」に負わせることができるというのは、神業のような抜け道ではないか!……「認識なるものは存在しない。"だから"──神が存在する」。何という優雅な推論だろう! 禁欲的な理想の何という"勝利"だろう!──
(ニーチェ『道徳の系譜学』第3論文25)
誠実で無条件の無神論というのは(──わたしたち、現代の精神的な人間が呼吸しているのは、この無神論の"空気"のようなものにすぎない!)、見掛けほどにはこの理想と対立しているものでは"ないのである"。無神論はむしろこの理想の究極の発展段階の一つであり、この究極の姿の一つ、
その内的な帰結の一つなのだ。──この無神論は二千年におよぶ真理への訓練がもたらした畏敬すべき"破局"である──"神を信じるという虚偽"をついにみずからに禁じるにいたったのだ(インドでもヨーロッパとはまったく独立して同じ発展段階がみられることは、
このことを証明するものだ。インドでも同じ理想が、必然的に同じ帰結にたどりついた。決定的な段階に到達したのは、紀元前五百年頃の仏陀の頃であり、さらに正確には、数論派哲学の頃のことであり、これが仏陀によって通俗化され、宗教となったのである)。
(ニーチェ『道徳の系譜学』第3論文27)
哲学者たちの特異体質とは何か? たとえば彼らの歴史感覚の欠如、生成という考え方自身に対する憎悪、エジプト主義である。彼らは、永遠の相のもとで或る事象を非歴史化すれば、──それをミイラとすれば、その事象に"栄誉"をあたえたことになると信じている。哲学者たちが数千年来扱ってきたすべては
概念のミイラであった。現実的なものは何ひとつ彼らの手からは生命あるものとしてでてこなかった。崇拝するときには、彼らは殺して、剥製にする、概念の偶像崇拝者たるこれら諸氏は、崇拝するとき、彼らはすべてのものにとって生命の危険となる。死、転変、頽齢は、生殖や生長と同じく、彼らにとっては
異議である、──論駁でさえある。存在するものは"生成"しない、生成するものは"存在"しない……そこで彼らは、絶望的に存在するものに信仰をよせる。しかるに彼らはそれを手に入れることができないから、それが彼らに手渡されない根拠を探し求める。
(ニーチェ『偶像の黄昏』哲学における「理性」1)
私たちが今日科学を所有しているのは、私たちが感官の証言を受けいれようと決心してきたちょうどその限度、──私たちが感官をさらにいっそう鋭くし、武装させ、徹底的に思考しぬくことを学んだちょうどその限度においてである。その残余は畸形児であり、まだ科学とはなっていないものである。
言うなれば、形而上学、神学、心理学、認識論がそれである。さもなければ、論理学および数学というあの応用論理学のように、形式科学、記号論である。こうしたもののうちでは現実性は全然あらわれでてこない、問題としてすらあらわれでてこない。
論理学がそれであるような記号の約束がそもそもいかなる価値をもっているのかという疑問としても、あらわれでてこない。
(ニーチェ『偶像の黄昏』哲学における「理性」3)
哲学者たちの別の特異体質も以上におとらず危険である。それは、最後のものと最初のものとを取りちがえることにある。彼らは、最後にくるものを──悲しいかな! なぜなら、それは全然あらわれてくるはずのないものあるから! ──「最高の概念」を、言いかえれば、最も普遍的な、最も空虚な概念を、
蒸発する実在性の最後の煙を初めとして初めに定立する。すなわち、高級なものは低級なものから生長してはならない、そもそも生長したものであってはならないのである……
すべての最高の概念、存在するもの、無制約的なもの、善なるもの、真なるもの、完全なもの──これらすべてのものは
生成したものではありえず、したがって自己原因でなければならない。
かくして彼らは「神」という彼らの驚くべき概念を手に入れる……最後の、最も稀薄な、最も空虚なものが、最初のものとして、原因自体として、最も実在的なものとして定立される……
(ニーチェ『偶像の黄昏』哲学における「理性」4)
以前には、変化、変移、生成は、仮象性の証明であると、私たちを迷わす何ものかがそこにはあるにちがいないということの徴候であるとみなされた。今日では逆に私たちは、理性の偏見が、統一、同一性、持続、実体、原因、事物性、存在を措定するよう私たちを強制するちょうどその限度において、私たちを
ほとんど誤謬のうちへと巻きこみ、誤謬をおかすよう"強いる"と認めている。私たちは厳密な検算にもとづいて、ここには誤謬があるという"事実"を、内心それほど確信している。大きな天体の運動の場合は誤謬は私たちの肉眼を不断の弁護人としているが、いまの場合は私たちの"言語"が不断の弁護人である。
言語は、その発生から言って、心理学が最も未発達な形式をとっていた時代のものである。私たちが、言語形而上学の、平たく言えば"理性"の根本前提を意識するにいたるときには、私たちは一つの粗雑な呪物的なもののうちへと入りこんでゆくからである。
(ニーチェ『偶像の黄昏』哲学における「理性」5)
意志はもはや何ものをも動かさず、したがってまたもはや何ものをも説明しない──意志はたんに諸事象に随伴するにすぎず、なくともよいものである。
そのうえ"自我"にいたっては! これは、寓話と、虚構と、言葉の遊戯となっている。すなわち、この自我は、思考し、感情し、
意欲することをまったくやめてしまっている! ……このことから何が結果するのか? 精神的原因など全然ありはしない! そうした原因を証明するためのいわゆる経験は全部ありもしないものであった! "これこそが"その結果である!──だが、私たちはあの「経験」をひどく濫用してきた、
それにもとづいて私たちは世界を、原因の世界として、意志の世界として、幽霊の世界として"つくりあげて"きた。最も古く最も長つづきのした心理学がここで働いていた。この心理学はそれ以外のことを何ひとつとしてやってはこなかった。
(ニーチェ『偶像の黄昏』四つの大誤謬 3)
人間はその三つの「内的事実」を、彼が最も固く信じたもの、つまり意志、精神、自我を、己の内から外へ投影してきた──人間は、存在という概念を自我という概念から初めて取りだしたのであり、己の像に似せて、原因としての自我という己の概念にしたがって「事物」を存在するものとして定立してきた。
人間がのちに事物の内で、彼がその内へと挿入しておいたものをしか常に見いださなかったことに、何の不思議があろうか?──事物自身は、繰りかえし言えば、事物という概念は、たんに原因としての自我によせる信仰の反射にすぎない……そしてあなたがたのアトムすら、わが力学者および物理学者諸氏よ、
どれほど多くの誤謬が、初歩的心理学が、あなたがたのアトムのうちにもなお残っていることか! 「物自体」については言わずもがな! 原因としての精神という誤謬が実在性と取りちがえられている! 実在性の尺度とされている! そして"神"と名づけられている。
(ニーチェ『偶像の黄昏』四つの大誤謬 3)
悲劇は、ショーペンハウアーの意味での古代ギリシア人のペシミズムを示す何ものかをなんら証明するものではなく、むしろその決定的な拒否や"反対法廷"とみなさねばならない。その最も疎遠な最も冷酷な諸問題においてすら生そのものへと然りと断言すること、その最高の典型を"犠牲"として捧げつつ己自身
の無尽蔵さに狂喜する生への意志──これこそ私はディオニュソス的と名づけ、悲劇的詩人の心理学へいたる橋として達成した。恐怖や同情から逃れるためでなく、その激しい爆発によって危険な欲情から身を清めるためでなく──アリストテレスはそう解したが──、恐怖や同情を越えでて、生成の永遠の快感
"そのものとなる"ためにである、──"否定でおぼえる快感"さえそれ自身の内に含んでいるあの快感と……そしてこのことで私は、かつて私がそこから出発した箇所に再び触れることになる──『悲劇の誕生』は私の最初のすべての価値転換であった。
(ニーチェ『偶像の黄昏』私が古人に負うところのもの 5)
下降しつつある社会層の口ともいうべきアナーキストが美しい憤激をもって、「権利」「正義」「平等の権利」を要求するときには、彼はそれによってただ、その非文化の圧迫の下にいるのである。その非文化は、なぜ自分が本来苦しむのか、──何によって人生において自分は貧しいのであるのか、
ということを理解することができない。……理由の追求欲が彼の心のなかでは強い。何びとかが、彼に悪い状態にいることについて責任があるにちがいない……また彼には「美しい憤激」そのものが、すでに心持よく思われるのである。罵るということは、あらゆる不憫な連中にとっては、ひとつの悦びである。
力の、ちょっとした陶酔があるのである。不平の訴えや悲嘆は、それだけですでに、生にとってひとつの魅力を与える。その魅力のために、人は生を耐えるのである。あらゆる嘆きのなかには、或る微細な量の復讐が、含まれている。
人は自分の悪い状態を、時によっては自分の悪をさえも、別な状態にある人々に対して、不正のように、許されない権利のように、非難する。「もしぼくが下民であるならば、君もまたそれであるにちがいない」この論理に基いて革命がなされるのである。
(ニーチェ『偶像の黄昏』非政治的人間の遊撃 34)
私がいつも心がけてきた習慣だが──自己に対する極度の純粋さは私の存在の前提である。私は不純な条件のもとでは死んでしまう、いわば私はたえず水の中で、何か完全に透明で、光っている元素の中で、泳ぎ、ゆあみし、水をはねかしている。そのため、人との交際が私にはすくなからぬ忍耐の試練となる。
私の人道主義は、人間のあり方に同情することでは"なくて"、そうした人間に対する自分の同情に"じっと耐える"ことにある……。私の人道主義は不断の自己克服である。──しかし私は"孤独"を必要とする、というのはつまり、快癒が、自己への復帰が、自由な軽やかな嬉戯する空気の呼吸が、必要なのだ……
私の『ツァラトゥストラ』全篇は孤独への頌歌だ。あるいは、私の言うことがわかっていただけたら、"純潔"への頌歌だ……。さいわいにも、"純なる痴愚"への頌歌ではない。──色彩に対する眼のある人なら、それをダイヤモンド色と呼ぶだろう。
(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも賢明であるのか8)
いつも私が隠れ家をもとめるのは、ほとんどきまって同じ書物、結局少数の、まさしく私にとって証明ずみの書物である。多数の雑然たる種類を読むのはどうも私の流儀ではない。読書室は私を病気にする。多数の雑然たる種類を愛するということも、私の流儀ではない。
新刊書に対する用心、いや敵意こそ「寛容」とか「心のゆとり」とかその他「隣人愛」よりも、ずっと確実に私の本能に属している……。
(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも怜悧であるのか3)
低級種(「畜群」、「大衆」、「社会」)が謙譲を忘れて、おのれたちの欲求を宇宙的価値や形而上学的価値にまでふくらましあげる。このことによって全生存が卑俗化される。つまり大衆が支配するかぎり、彼らは例外者を圧制し、そのため後者は自信を失ってニヒリストとなる。
高級典型を考えだすすべての試みが失敗する。
その成果は、高級典型に対する反抗。
すべての高級典型の衰退と不安定。天才に対する闘争(「民衆文学」その他)。魂の高さをはかる尺度としての低劣な者や苦悩する者への同情。
(ニーチェ『権力への意志』27)
自己麻酔の種類。──心の奥底にかくれている、すなわち、どこへゆくべきか? を知らないこと。"空虚"。陶酔でこれをのがれようとする試み。音楽としての陶酔、最も尊貴なものが徹底的に没落するのを悲劇的に享楽する残酷さとしての陶酔、個々の"人間"や"時代"に対する盲目的な
惑溺としての陶酔(憎悪その他としての)。──科学の道具として無自覚にはたらきまわる試み、すなわち、多くの取るにたらない享楽にも眼をみひらいていること、たとえば認識者としても(おのれに対する謙譲)。おのれの分限を一般化して、一つのパトスにしあげること。
神秘主義、永遠の空虚のみだらな"享楽"。「芸術のための」芸術、"おのれ"自身にもよおす嘔吐の麻酔薬としての「純粋認識」。なんらかの不断の労働、なんらかの取るにたらない愚劣な狂信。すべての手段の混乱、全般的な不節制による病気(放蕩は楽しみを減殺する)。
(ニーチェ『権力への意志』29)
a)一種の"地上的解決"が試みられている。しかし、真理、愛、公正の"終局的凱歌"と同じ意味において(社会主義、「人格の平等」)。
b)同じく"道徳理想"の確立も試みられている(非利己的なもの、自己否認、意志否定を上位にすえることでもって)。
c)「彼岸」を確立することすら試みられている、
たとえそれは反論理的なXにすぎないとしても。しかしそれは、旧態依然たる一種の形而上学的慰めがそこから引きだされうるように、ただちに解釈される。
d)旧態依然たる神の導きが試みられているが、それは、報い、罰し、教育し、"改善"へと導く本物の秩序を生起する事のうちから読みとるためである。
e)あいかわらず善と悪とが信ぜられている。そのため善の勝利と悪の絶滅が"課題"として感取される(これはイギリス的である。ジョン・スチュアート・ミルという鈍物)。
f)「自然性」、自我の軽蔑。最高の精神性や芸術をすら、没人格化の結果と、無私無欲と解する試み。
(ニーチェ『権力への意志』30)
「困窮」が大きくなっているのではけっしてない。その反対である! 「神、道徳、献身」は、悲惨が怖るべく深刻な段階では、治療薬であった。"能動的ニヒリズム"は、事態が比較的はるかに有利な形勢にあるとき、あらわれるのである。道徳は超克されたと感取されることがすでに、
かなりの程度の精神的文化を前提し、これはまた生活の比較的よいことを前提する。或る種の精神的疲労は、哲学上の諸説の長期にわたる闘争によって哲学に"背をむける"絶望的な懐疑にまで達するなら、同じく、あのニヒリストたちがけっして"低い"階級の者ではないことを示している。
仏陀が出現したときの状態を考えてみよ。永遠回帰の教えは"学識"を前提しなければならなくなるであろう(あたかも仏陀の教えがそうしたものを、たとえば因果の概念その他をもっていたように)。
(ニーチェ『権力への意志』55)
「"現代性"」を栄養と消化にたとえて。──
感受性の言いようのない敏感(──道徳主義的装いをこらせば、"同情"の増大──)、ばらばらの印象の以前にもましたはなはだしい充満、──食物、文学、新聞、様式、趣味、風景すらの"世界市民主義"。これらのものが流れこむ"テンポ"は"快速調"である。
印象はたがいに消しあう。ひとは、何ものかを内に取りいれ、深刻に受けとることを、何ものかを「消化する」ことを、本能的に警戒する。──消化力の弱化がこれから結果する。この累積した印象に対する一種の順応が入りこむ。人間は"行動する"ことを忘れ、外部からの刺戟に"やっと反応するだけである"。
"人間はおのれの力を"、一部は"同化"で、一部は"擁護"で、一部は"反抗"で、"使いはたす"。"自発性の深刻な弱化"、すなわち──歴史家、批評家、分析家、解釈家、観察家、蒐集家、読書家、──すべてこれらは"反作用の"才能、──"すべてが"科学であるとは!
(ニーチェ『権力への意志』71)
有能な職人や学者が、おのれの技術に誇りをもち、満ちたりたまなざしで生をながめるときには、立派にみえる。これに反して、靴屋とか教師が、じつは自分はもっとましなことをするよう生まれついているのだと、悩ましげな顔つきをしてわからせようとするのを眼にするときにもまして、
傷ましいことは何ひとつない。手なれたこと以上にましなことなど、まったくない。そして手なれたこととは、なんらかの有能さを身につけ、それから創造すること、ルネサンスのイタリア語の意味での徳 virtu のことである。
(ニーチェ『権力への意志』75)
"商人"や"仲介者"の、精神的なものにおいてすらの優勢。すなわち、文筆家、「代表者」、歴史家(過去と現代とを混和する者としての)、異国主義者や世界市民主義者、自然科学と哲学との仲介人、半神学者。
(ニーチェ『権力への意志』76)
さまざまの道徳的装いをこらした"現代精神の無規律"。──美辞麗句でかざられているのは、寛容(然りと否を言うことの「無能力」の代用語)、同情の巾広さ(=三分の一は無関心、三分の一は好奇心、三分の一は病的な興奮)、「客観性」(=人格の欠如、意志の欠如、「愛」への無能力)、
規則に対する「自由」(ロマン主義)、虚偽や虚言に対する「真理」(自然主義)、「科学性」(ヒューマン・ドキュメント、ドイツ語で言えば通俗小説、添加──構成のかわりに)、無秩序と無節度にかわる「激情」、混乱に、象徴の紛乱にかわる「深刻」。
(ニーチェ『権力への意志』79)
社会主義は──それは、最もつまらぬ、そして最も愚かしい、すなわち皮相で、嫉妬深い人々、そしていわゆる四分の三の俳優たちの、窮極に考えられた専制だが、──まことに「現代的理念」とその潜在的なアナーキズムとの帰結である。しかし、民主主義的な幸福の、生暖い空気のなかでは、様々な結論に、
あるいは全く一定の結論に到達する能力は弛緩する。人はただ従う。人はもはやみずから結論を導き出すことがない。それゆえに、社会主義とはおおむね、希望のない、酸味を帯びた事柄である。今日社会主義者たちがつくる、毒を含んだ顔つきと絶望した顔つきとの間の矛盾よりも、愉快に見えるものはない。
なんという憐れむべき圧し潰された感情を、彼らの表現手段に証言していることだろう。そして、彼らの願望の無邪気な小羊のごとき幸福を。それにも拘わらず、ヨーロッパの多くの場所では、彼らの方が突撃と奇襲とに成功を収めることができる。次の世紀には到る処で、根柢からの「大騒動」となるだろう。
社会主義には「生の否定への意志」だけが潜んでいる。このような説を考え出すのは出来損いの人間や種族に違いない。社会主義の社会において生はみずからを否定しその根を絶ち切るのだ、ということがいくつかの大きな実験によって証明されたら結構なことであろう。
(ニーチェ『権力への意志』125)
"その手段"は、"真理"は実在するということである。真理に達する形式はただ一つだけあり、それは僧侶となるということである。秩序において、自然において、慣習において"善である"もののすべては、僧侶の知恵に帰着する。聖書は彼らの作品である。全自然は聖書にしるされてあることの実現にすぎない。
"その結論"。僧侶が"最高の"類型であるべきであるなら、僧侶の"徳"への"等級"が人間の価値等級をなさなければならない。"学究"、"官能の剥奪"、"能動的ならざるもの"、"無感動な"、"無欲情な"、"荘重なもの"、──この反対は、すなわち"最も深い"種類の人間。
(ニーチェ『権力への意志』139)
"僧侶的"類型の継続的発展としての"哲学者"は、──この類型の遺産を体内にもち、──敵手としてすら、以前僧侶がもちいたのと同一の手段で同一のものを争わざるをえない、──哲学者も"最高の権威"をえようと熱望する。
彼らが生存条件として必要とするのは、①彼らの神の絶対的優越性が、
"彼らの神が"信仰されるということ、②神に達するそれ以外の直通路はなんらないということである。この"第二の"要求のみが「異端」という概念をでっちあげ、"第一の"要求は「無信仰者」(言いかえれば、"別の"神を信仰する者──)という概念をでっちあげる。
(ニーチェ『権力への意志』140)
イエスは命ずる、彼たちに悪意をいだく者に、実行によっても、心の内でも、抵抗することなかれと。
おのれの妻と離縁するいかなる理由をもみとめることなかれと。
異郷人と同郷人、異国人と同国人との間にいかなる区別をももうけることなかれと。
なにびとにも立腹することなかれ、なにびとをも蔑むことなかれと。隠れて施しをなせと。富まんとねがうことなかれと。誓うことなかれと。裁くことなかれと。和解し、赦すべしと。人知れず祈れと。
「浄福」はなんら約束ではない。それは、以上のように生き行なうなら、現にあるものなのである。
"あとからの附加物"。──予言者や奇蹟家の全態度、立腹、最後の審判の呼びだしなどは、厭うべき頽廃である(たとえばマルコ伝6章11節の「何地にても汝らを受けず……われ汝らに告ぐ、まことにソドムとゴモラのかた……」)。「無花果の樹」(マタイ伝21章18節)。
(ニーチェ『権力への意志』163-164)
私たちの罪のために死んだ神、信仰による救い、死後の復活──これらはすべて本来のキリスト教を偽造したものであり、その責任はあの有害きわまるつむじ曲がり(パウロ)に帰せられなければならない。
"模範的な生"は愛と謙虚のうちにある。それは、最も低劣な者をこばまない心の豊かさのうちに、おのれの正しさを主張する意欲を、弁解を、私的な凱歌という意味での勝利を、正式に断念することのうちに、困窮や抵抗や死にもかかわらず、ここ地上における浄福を信ずることのうちに、和らぎのうちに、
立腹や軽蔑をしないことのうちにあるのであり、報いられようとはねがわないこと、誰にも拘束されていないこと、信仰に関しても精神に関してもなんら強制されていないこと、貧しい奉仕的な生への意志のもとできわめて誇りある生をおくることである。
(ニーチェ『権力への意志』169)
キリスト教はいかなるときにもなお可能である。それは、この名称で飾られてきた破廉恥な教義のいずれにも拘束されてはいない。それは、"人格神"とか、"罪"とか、"不死"とか、"救い"とか、"信仰"とかの教えを必要としないからである。それは、いかなる形而上学をも必要とせず、ましてや禁欲主義を、
ましてやキリスト教的「自然科学」を必要としない。キリスト教は一つの"実践"であって、信仰の教えではない。それが私たちに説くのは、いかに行為すべきかであって、何を信仰すべきかではない。
「私は兵隊にはなりたくない」、「私は法廷を気にかけはしない」、「私は警察の奉仕を要求しはしない」、
「私は私自身の心の平和をみだすことは何もしたくない。だから、私がこのことで苦しまざるをえないなら、苦しむということにもまして私に平和をえさせてくれるものは何もないであろう」と、誰かがいまこう言うとすれば──そのひとこそキリスト教徒であるにちがいない。
(ニーチェ『権力への意志』212)
「非難すべき行為」という概念は私たちを困惑せしめる。総じて生起するすべてのもののうち、それ自体で非難すべきものは何ひとつとしてありえない。なぜなら、生起しなかったらよかったのにとねがうことは許されないからである。というのは、いずれのものもすべてのものと結合されているので、
何かを排除したいとねがうことは、すべてのものを排除することにほかならないからである。或る行為を非難することは、総じて世界を非難することと同じことである……
ところで、そうしたときですらなお、非難される世界のうちでは非難するということもまた非難すべきこととなるにちがいない……
だから、すべてのものを非難するという考え方の帰結は、実際にすべてのものを肯定することとならざるをえないであろう……生成が一つの大きな輪環であるとすれば、いずれのものも等しい価値をもち、永遠で、必然的である。
──然りと否、愛好と嫌悪、愛と憎との相関関係すべてのうちには、生の特定類型の或る遠近法が、関心が、表現されているにすぎない。すなわち、それ自体では、存在するすべてのものは然りと言っているのである。
(ニーチェ『権力への意志』293)
心理学における大犯罪。すなわち、……
④人間のもつすべての"偉大さ"が解釈し変えられて、無我、なんらかの他物や他人に対する自己犠牲とされてしまったということ。認識者にあってすら、芸術家にあってすら、"人格性の放棄"が、おのれの最高の認識や能為の原因であると偽られてしまったということ。
⑤愛が偽られて献身(そして利他主義)とされてしまったということ。ところが愛は奪取であり、ないしは人格性の充溢から結果する分与である。このうえなく"全き"人格のみが愛することができる。没人格的な者、「客観的な者」は、このうえなく劣等な恋人である(──女性に問うてみよ!)。
このことは神への愛とか祖国への愛とかにもあてはまる。すなわち、確乎としてみずからにたのむところがなければならない。("自我に"化することとしての利己主義、"他人に"化することとしての利他主義)。
(ニーチェ『権力への意志』296)
"徳"は徳の説教者たちに対して弁護さるべきである。すなわち、彼らは徳の最悪の敵である。なぜなら、彼らは徳が"万人にとっての"理想であると教えるからである。彼らは、稀有のもの、模倣しえないもの、例外的な非凡なものという徳の魅力を、──徳の"貴族主義的魔力"を、徳から奪いさる。
同様に、あらゆる壺を熱心にたたきまわって、それがうつろな響きをたてると満足する頑迷な理想主義者たちに対しても、戦線をはるべきである。彼らが、偉大な稀有なものを"要求し"、それがないと突きとめると立腹し人間軽蔑をいだくとは、なんと無邪気であることか!
(ニーチェ『権力への意志』317)
徳は、ひとがそれを権威や律法として外部から私たちを支配するにまかせ、おのれ自身のうちからまずそれを産みだすのでないかぎり、背徳と同じく危険である。私たちがみずからそれを産みだすことこそ正しいのであって、そのような徳は、最も個人的な正当防衛や必需品であり、
他人が私たちと同じ条件のもとで生長するか異なった条件のもとで生長するかにかかわりあいなく、私たちが認知し承認する"私たち自身"の生存と生長の条件である。非個人的と解された"客観的"な徳は危険であるとのこの命題は、謙譲ということにもあてはまるのであって、
多くの選りぬきの精神がそれで徹底的に没落してゆく。謙譲の道徳性は、時を失せず"冷酷"となるということのみが意味をもつような魂にとっては、最もひどい柔弱化である。
(ニーチェ『権力への意志』326)
ある"べき"人間、これは、「ある"べき"樹木」ということと同じく、私たちの耳にはいとわしく響く。
倫理学、すなわち「願望の哲学」。──「異なったものである"べき"であるのに」、「異なったものとなる"べき"であるのに」、それゆえ不満足が倫理学の萌芽である。
これからおのれを救いうるとすれば、それは、第一には、こうした感情をもた"ない"境地を選ぶことによってであり、第二には、これが越権であり愚行であるとわきまえることによってである。
なぜなら、"或るもの"が現状とは異なったものであることを要望するとは、"すべてのもの"が異なったものであることを要望することにほかならないからであり──これは全体を非難する批判をふくんでいる。"しかし生がそれ自身そうした要望なのである"!
(ニーチェ『権力への意志』332-333)
たとえば私たちは、「背徳こそ、人間が生理学的にも滅びることの"原因"である」とは、もはや言わない。同じくまた、「徳によって人間は栄え、それは長い生命と幸福をもたらす」とも言いはしない。
むしろ、背徳と徳とは原因ではなく、"結果"にすぎないというのが、私たちの見解である。まともな人間となるのは、そのひとがまともな人間で"ある"からであり、言いかえれば、よい本能やりっぱな境遇の持ち主としてうみおとされたからである……
(ニーチェ『権力への意志』334)
道徳的価値をたくみに誤用してなされるニヒリズム的大贋造。すなわち、
a)人格性の剥奪としての愛。同じく同情。
b)"人格性を剥奪された知性"(「哲学者」)のみが、"真理"を、「事物の真の存在と本質」を認識するということ。
c)天才、"偉大な人間"が"偉大"であるのは、彼らが自己自身や自己のことをもとめないからであるということ。すなわち、人間の"価値"は、自己自身を否認するのに比例して"増大する"ということ。
d)「"意志に左右されない純粋主観"」の作品としての芸術。「客観性」の誤解。
e)生の目的としての"幸福"。目的への手段としての"徳"。
ショーペンハウアーでみられる生のペシミズム的断罪は"道徳的な"それである。畜群的基準の形而上的なもののうちへの翻訳。
(ニーチェ『権力への意志』379)
歴史学的立証。すなわち、哲学者たちはつねにデカダンであり、つねにニヒリズム的宗教に奉仕している。
権力への意志としてあらわれるデカダンスの本能。その手段の体系を一覧に供すること、すなわち、その手段の絶対的非道徳性。
(ニーチェ『権力への意志』401)
哲学者たちは、①昔から形容矛盾への驚くべき能力をもっており、②感官を無条件に信用しなかったと同様に、概念を無条件に信用した。彼らは、概念や言葉は、頭脳がきわめて蒙昧で寡欲であった時代から私たちがうけついだ遺産であるということに、考えおよばなかった。
(ニーチェ『権力への意志』409)
"哲学者"についての迷信、すなわち、"科学的"人間との取りちがえ。あたかも価値は事物のうちにひそんでいて、それを確保しさえすればよいかのごとくであるとは! どこまで彼らがあたえられた価値の教唆のもとで研究するかの問題(仮象、肉体などに対する彼らの憎悪)。
道徳に関してはショーペンハウアー(功利主義に対する嘲笑)。最後にはこの取りちがえは、ダーウィン主義が哲学とみなされるほどはなはだしくなり、かくして現今では"科学的"人間が支配権をにぎっている。
テーヌのごときフランス人もまた、価値尺度をなんらもつこと"なしに"探究する、ないしは探究すると思いこんでいる。「事実」への屈服が、一種の礼拝となっている。実際には、彼らは現存の価値評価を"絶滅している"のである。
(ニーチェ『権力への意志』422)
"理論と実践"。──宿業きわまりなき区別である。あたかも利害の問題をかえりみず盲目的に真理をめざす或る特別の"認識衝動"があり、そしてまた、それとは別に"実践的"関心の全世界があるかのごとくである…
これに対して私が示そうとするのは、いかなる本能がこれらすべての"純粋"理論家たちの背後で
はたらいていたか、いかに彼らはことごとく宿命的にその本能に呪縛され、"彼らにとって"真理である或るものを、彼らにとって、しかも彼らにとって"のみ"そうであるものをめざしたかということである。体系の間での闘争はまったく特定の本能(生命力、衰退、階級、種族などの形式)の間での闘争である。
いわゆる"認識衝動"は、"専有"・"征服の衝動"へと還元さるべきである。この衝動にしたがって、感官、記憶、本能などが発達したのだ。現象の能うかぎりすみやかな還元、認識で獲得された財貨(言いかえれば、専有され取りあつかいやすくなった世界)の経済的管理、蓄積…
(ニーチェ『権力への意志』423)
──私たちの思想がいかにして私たちの心にうかんだかという"事実"は、隠蔽したり破損したりしてはならない。最も深い汲みつくしがたい書物は、きっとつねに、パスカルの『パンセ』の箴言風の突発的な性格をなにほどかもったものとなるであろう。
駆りたてる力や価値評価は長いこと表面の下にかくれており、あらわれでるものは結果なのである。
私は偽りの科学性のすべての偽善に対して身を守る。すなわち、"客観性"を、冷ややかな非人格性を要するとき。笑うべき虚栄心がある、たとえばサント・ブーヴのそれ。
彼は、ときには心からの熱情をもって「賛成」したり「反対」したりしたことがあるのを、一生涯気にやみ、そうしたことはなかったものとその生涯から消しさりえたらとねがった。
(ニーチェ『権力への意志』424)
五指をすっかり示すということには、何か下品なものがある。「証明」されるにまかせるものなど、価値は少ない。──弁証法は不信をよびおこすということ、説得力が少ないということ、このことはそれにしてもあらゆる党派の演説家の本能が知っている。弁証家の効果ほど消去しやすいものは何ひとつない。
弁証法はただ"正当防衛"でありうるにすぎない。困惑のうちにあり、おのれの権利を"強奪"せざるをえないときでなければ、ひとはそれを使用することはない。それゆえユダヤ人は弁証家であったのであり、ライネッケ狐もそうであったし、ソクラテスもそうであった。
彼らは情容赦もない道具を手中にしている。彼らはそれで圧制することができる。彼らは、勝つことによって、相手を暴露する。
(ニーチェ『権力への意志』431)
哲学者たちの間では、知的正直性にもまして稀なものは何ひとつとしてない。おそらく彼らはこれと反対のことを言い、おそらく彼らはそのこと自身を信じているかもしれない。しかし彼らのやること一切に必然的にともなうのは、彼らが或る真理だけしか認めないということである。
彼らは、彼らが何を証明"せざるをえない"かを知っており、彼らがこれらの「真理」で一致しているという、ほとんどそのことで、哲学者としてたがいに認めあっている。
(ニーチェ『権力への意志』445)
"心理学的な取りちがえ"。──"信仰への願望"は──「真理への意志」と取りちがえられる。
しかるに"無信仰への願望"も同じく「真理への意志」と取りちがえられた(──さまざまの理由によって或る信仰からぬけでたいとの欲求。すなわち、なんらかの「信者」に対するおのれの正しさの主張)。
"何が懐疑家に霊感をあたえるのか"? 独断家に対する"憎悪"──ないしは、ピュロンの場合のごとく、休息の欲求、疲労である。
"なぜ"認識するのか、なぜむしろ欺かれないのか? ひとが意欲したのは、つねに信仰であった、──そして真理では"なかった"……信仰は研究の方法とは"反対の"手段によって
つくりあげられる──、すなわち、"信仰は研究そのものを排斥する"──。
"或る程度の"信仰は、今日では私たちには、信仰されているものに対する"異議"として十分である。──それどころか、その信仰者の精神的健康にうたれた疑問符である。
(ニーチェ『権力への意志』455-456)
現代は、何ものにもまして第一に気楽さを欲し、第二には、公然を、おのれの歳の市的趣味にかなったあの大々的な俳優的空騒ぎ、あの大々的な喧騒を欲し、第三には、各人が、すべての虚言のうちの最大のもの──この虚言は「人間の平等」と名づけられている──のまえにうやうやしく平身低頭し、
"平等化し"、"平等視する"徳をもっぱら崇めることを欲している。しかしこのことでもって、私の解するがごとき哲学者の発生は、たとえどれほど無邪気に現代がそれを促進せしめていると信じていようとも、根底から阻害されてしまっている。
(ニーチェ『権力への意志』464)
「因果性」は私達の手からすりぬける。論理学のやっているように、諸思想の間に一つの直接的な、因果的な結びつきを想定すること──これは、このうえなく粗雑な遅鈍な観察の結果である。
認識論者が手がかりにしているような「思考」は、全然あらわれることがない。これは一つのまったく勝手気ままな
虚構であり、過程のうちから一つの要素だけを際立て、その他すべての諸要素を除去することによって達せられたものであり、理解しやすいようにすることを目的とした一つの人為的な調整である…
思考作用をいとなむ或るものである「精神」、できうることならそのうえ「絶対的な、純粋な、純然たる精神」
──こうした着想は、「思考」を信ずる誤った自己観察からの派生的な第二の結果である。ここでは、第一には「思考」という一つの作用が空想されており、第二にはこの思考のあらゆる作用の起源であって、それ以外の何ものの起源でもない一つの主観基体が空想されている。
(ニーチェ『権力への意志』477)
まず"心象"──いかにして心象が精神のうちで発生するかを説明すべきである。ついで"言葉"、これが心象に適用される。最後に"概念"、これは言葉があってはじめて可能となる──多数の心象を、何か直観されえない、むしろ聞きとりうるもの(言葉)のもとへと総括するはたらき。「言葉」を聞きとるとき、
したがって、それらをあらわす言葉が"一つだけ"しかないようないくつかの類似した心象を直観するとき生ずるささやかな一片の情緒──このかすかな情緒が、共通的なものであり、概念の基礎なのである。いくつかのかすかな感覚が、等しいものとして立てられ、"同一のものとして"感覚されるということが、
根本事実なのである。それゆえ、二つのまったく隣接した感覚をこれらの感覚を"確認する"とき取りちがえるということ、──しかし、確認するのは"誰か"? "信ずること"があらゆる感官印象のうちにすでにある原初的なものである。
すなわち、一種の肯定が"最初の"知的活動なのである! 初めに「真なりと思いこむこと」ありき! それゆえ、どうして「真なりと思いこむこと」が発生したのかを説明すべし!「真」の"背後には"いかなる感覚がひそんでいるのか?
(ニーチェ『権力への意志』506)
論理学は、"いくつかの同一の場合があったならば"という条件に結びついている。じじつ、論理的な思考や推理がなされるためには、"この"条件がまずみたされていると虚構され"なければならない"。言いかえれば、"論理的真理"への意志は、すべての生起の根本的"偽造"が想定されおえたのちにはじめて、
成就されることができる。このことから明らかとなるのは、ここでは、第一には偽造、第二にはおのれの観点の貫徹という二つの手段を駆使しうる成る衝動が支配しているということである。すなわち、論理学は真理への意志から由来するのでは"ない"。
(ニーチェ『権力への意志』512)
(論理が持つ結晶のごとき純粋さは、結果として生じたものではなく、一つの要求だったのである。)
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』107)
「認識する」のではなく、図式化するのである、──私たちの実践的欲求を満たすにたるだけの規整や規格を混沌に課するのである。
理性、論理、範疇が形成されるときには、"欲求"が、すなわち、「認識する」欲求ではなく、理解し算定しやすくすることを目的として、包摂し、図式化する欲求が、
決定的となっていたのである……
ここではたらいていたのは、先在的な「イデア」ではなく、私たちが事物を粗雑にまた同等化してながめるときにのみ、事物は私たちにとって計算し取り扱いやすくなるという有用性である……
理性における"究極目的"は一つの結果で あって、いかなる原因でもない。あらゆる別種の理性があらわれる素地はたえずあるのであるが、そうした理性のところでは生はうまくゆかないのである、──生は見とおしがきかなくなり──あまりにも同等でなくなるのである──。
(ニーチェ『権力への意志』515)
証明とは、一方の端に一定の諸命題が書かれ、他方の端には(われわれが〈証明された〉と呼ぶ)命題が書かれているような、"一つの"図形である、ということができよう。
(ウィトゲンシュタイン 数学の基礎 第1部28)
要するに、こう問うてみる余地がある、すなわち、論理学的公理は現実的なものに適合するのか、ないしはそれは、現実的なものを、「現実性」という概念を、私たちにとってまず"つくりあげる"ための基準であり手段であるのか? ……しかし、前者を肯定しうるためには、さきに述べたごとく、
存在するものの何であるかをすでに知っていなければならないであろうが、これはけっしてありえないことである。それゆえ、矛盾の原理は"真理の標識"をふくんでいるのではなく、真とみなさる"べき"ものに関する"命法"をふくんでいるのである。
(ニーチェ『権力への意志』516)
論理学を信じこませる私たちの主観的強要が表現するのは、論理学自身が私たちの意識にのぼるはるか以前にも、論理学的要請を生起のうちへと置き入れること以外、私たちは何もしてこなかったということにすぎない。だからいまでは私たちは、この論理学的要請を生起のうちにみいだすのである、
──私たちはもはや別様にはなしえない──そこでこう思い誤る、この強要は「真理」に関して何ごとかを保証すると。同等のものを"でっちあげるはたらき"、粗雑な単純なものを"でっちあげるはたらき"をこのうえなく長期にわたっていとなんできたのちに、
「事物」、「等しい事物」、主語、述語、働き、客体、実体、形式をつくりあげたのは、ほかならぬ私たちである。世界は私たちには論理的なものと"みえる"、というのは、"私たちが"まずもって世界を論理化して"おいた"からである。
(ニーチェ『権力への意志』521)
"根本解決"。──私たちは理性を信じている。しかしこのものは灰色の"概念"の哲学である。言語はこのうえなく幼稚な先入見にもとづいて組み立てられている。
ところが私たちは不調和や問題を事物のうちへと読み入れる、というのは、私たちは言語の形式で"のみ思考する"からである──
かくして「理性」の「永遠の真理」を信ずるのである(たとえば、主語、述語その他を)。
私たちは、私たちが言語の強制をうけて思考することを欲しないならば、思考することをやめる。私たちは、ここで限界を限界としてみとめるべきではなかろうかと疑うところに、どうやら達している。
合理的思考とは、私たちが放棄することのできない図式にしたがって解釈することである。
(ニーチェ『権力への意志』522)
君が誰かに「ほうきを持ってきてくれ!」と言う代わりに──「柄と、それにささったブラシを持ってきてくれ!」と言ったと想像せよ。──回答は「君はあのほうきのことを言っているのかい? それならなぜそんな奇妙な言い方をするのか?」というものではないだろうか。──このとき、命令された人は、
「ほうきを持ってきてくれ!」という文よりも、「柄と、それにささったブラシを持ってきてくれ!」という文の方をよりよく理解するであろうか? ──この分析された文は、普通の文と同じ程度のことを成し遂げる。ただ、やり方が普通より回りくどいだけである。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』60)
心理学者たちの主要誤謬。彼らは、鮮明な表象にくらべて曖昧な表象を低級種の表象とみなしている。しかし、私たちの意識からすれば遠ざかり、それゆえ曖昧となるものは、このゆえにそれ自体では完全に明瞭でありうる。曖昧となるということは意識の遠近法の問題である。
(ニーチェ『権力への意志』528)
いかにして"認識"の事実は可能であるのか? 認識とはそもそも一つの事実であるのか? 認識とは何であるのか? このように問う第一虚偽。認識とは何であるかを私たちが"知って"いないなら、私たちは、はたして認識なるものがあるかとの問いに答えることは不可能である。──まことに結構! しかし、
"はたして"認識なるものがあるか、ありうるかを、私がすでに「知って」いるのでないなら、「認識とは何であるか」という問いを私が立てうるというのは、まったくの不合理である。カントは認識の事実を"信じている"。彼の欲したのは、或る無邪気なこと、すなわち、"認識の認識"である!
「認識は判断である!」しかし判断は、或るものがこれこれであるとの"信仰"である! だが認識では"ない"!
(ニーチェ『権力への意志』530)
因果性を私たちに異常に確信せしめるのは、事象が次々とあとを追って継起するという大きな習慣では"なく"、生起を"意図"から生起するものとして以外には"解釈"することのできない私たちの"無能力"である。それは、唯一の"結果をひきおこすもの"としての生命ある思考するものを──
意志を、意図を"信ずること"であり──、それは、すべての生起は一つの働きであって、すべての働きは働くものを前提するとの信仰である、「主体」によせる信仰である。このように主語・述語概念を信ずるというのは大きな愚昧と言うべきではなかろうか?
問題。意図は生起の原因であるのか? ないしはそれもまた幻想であるのか? 意図は生起自身"そのもの"ではなかろうか?
(ニーチェ『権力への意志』550)
私達は、結果は、その結果をすでに内属せしめている或る状態が指摘されるなら、説明されていると、思いこんでいた。じじつ、私達は結果という図式にしたがってすべての原因を捏造する。結果は私達に熟知されているからである……逆に、なんらかの事物について、何をそれが「結果せしめる」かを前もって
言うことは私達にはできない。事物、主体、意図──これらすべては「原因」という構想に内属している。私達は、なぜ或るものが変化したのかを説明するために、事物を探し求める。"アトム"ですらやはりそうした考えくわえられた「事物」であり「根源的主体」である……
最後には私達には、事物など全然
現存していないのであるから、事物は──したがってアトムもまた──何ものをも結果せしめないということが──因果性という概念は完全に役立たないということがわかる。──諸状態の必然的な継起的系列からはその因果関係はでてこ"ない" (──言いかえれば、それら諸状態の"結果をひきおこす能力"は、
1から2へと、3へと、4へと、5へと飛躍せしめる)。原因もなければ、結果もない。言葉のうえでは私達は因果ということから免れることはできない。しかしこれはなんら問題ではない。私が"筋肉"をその「結果」から分離せしめて考えれば、私は筋肉を否定してしまっている……
(ニーチェ『権力への意志』551)
"因果性による解釈は一つの迷妄である"……「事物」とは、概念や心象によって綜合的に結合されたその諸結果の総計のことである。じじつ、科学は、因果性という概念からその内容を抜きさり、この概念を比喩のための定式として残存せしめたが、この定式においては、
いずれの側を原因ないしは結果とみなすかは、根本においてどうでもよいこととなってしまった。二つの複合状態(力の位置関係)においては力の量は等しさを保っているということが、主張されている。
"生起を算定しうるのは"、それが或る規則に従っているとか、ないしは或る必然性に服しているとか、
ないしは或る因果の法則を私たちがあらゆる事物のうちへと投影するとかということのためではない──、それは「"同一の場合"」が回帰するからである。
カントが思いこんでいるように、"因果性の感覚"なるものはない。驚いて、不安をおぼえ、たよりにできる何か既知のものをもとめるのである……
新しいもののうちに何か古いものが指摘されるやいなや、私たちの心は鎮まる。いわゆる因果性の本能は、"なれていないものに対する恐怖"にすぎず、そのもののうちに何か"既知のもの"を発見しようとの試みにすぎない、──原因の探究ではなく、既知のものの探究である。
(ニーチェ『権力への意志』551)
「機械的必然性」はいかなる事実でもない、私たちがまずその必然性を生起のうちへと解釈し入れておいたのだから。私たちは、生起が"定式化されうる"ということを、その生起を支配している必然性の帰結であると解釈してきた。しかし、私が何か特定のことをなすということからは、けっして、私がそれを
強制されてなすということはでてこない。"強制"は事物のうちでは全然証示されえないものだ。すなわち、規則は、同一の生起が別の生起でもあるということはないとの証明にすぎない。私たちが、主体を、「"働くもの"」を、事物のうちへと解釈し入れておいたことによってはじめて、すべての生起は主体へと
はたらきかけられた"強制"の帰結であるかのごとき外観が生ずる──誰によってはたらきかけられるのか? これはこれで或る「働くもの」によってである。原因と結果──これは、原因となる或るものと、結果となる或るものとが考えられているかぎり、危険な概念である。
(ニーチェ『権力への意志』552)
「性質"自体"をもっている事物」──絶対に放棄されなければならない独断的な表象。
事物が"性質自体"をもっているということは、それが解釈にもとづく主観的なものであることをまったく度外視しても、"まったくくだらない仮説"である。これは、"解釈するはたらき"や
"主観であること"が本質的なものでは"ない"ということを、事物はすべての関係から解放されてもなお事物であるということを、前提しているにちがいないからである。
逆に、事物の外見上の"客観的"性格は、結局はたんに、主観的なものの内部での"程度の差"に帰するのではなかろうか? ──たとえば、
緩慢な変化をいとなむものが、「客観的」に持続する、存在する、「それ自体」でのものと私たちにはみえるということに、──客観的なものとは主観的なものの"内部での"偽りの種概念であり対立物であるということになるのではなかろうか?
(ニーチェ『権力への意志』559-560)
すべての統一が有機化として統一であるにすぎないとすれば? しかるに、私たちの信じている「事物」は、様々の述語の基底として"捏造しくわえられた"にすぎない。事物が「結果をひきおこす」とすれば、このことは、とにかくその事物のうちに現存してはいるが、さしあたり潜在している"その他すべての"
固有性を、私たちが、或る個々の固有性が現にあらわれでていることの原因としてとらえるということにほかならない。言いかえれば、私たちは、その事物の諸固有性の総計──X──を特定の固有性Xの"原因"と"みなす"のである。なんと"まったく"馬鹿げた狂ったことであることか!
すべての統一は、
"有機化と協働"として統一であるに"すぎない"。これは、人間の共同体が一つの統一であるのとなんら異なるところがない。それゆえ、アトム論的"無政府状態"の"反対"であり、だから、一なるものを"意味しはする"が、一なるものそのものではない一つの"支配形態"である。
(ニーチェ『権力への意志』561)
物自体と私たちにとっての事物との間の区別は、事物はエネルギーをもっているとみとめた古くからの幼稚な知覚にもとづいている。しかし分析の結果は、力もまた仮構し入れられたものであり、また同じく──実体もそうであるということを明らかにした。「事物が主観を触発する」?
実体表象の根ざすところは、言語のうちにあるのであって、私たちの外部に存在するもののうちにあるのではない! 物自体はいかなる問題ですらもない!
存在するものは感覚であると考えられるにいたるべきであるが、この感覚の根底にはもはやなんらの没感覚的なものもないのである。
運動のうちには感覚のいかなる新しい"内容"もあたえられてはいない。存在するものは内容的には運動ではありえない。それゆえ、運動は存在の"形式"である。
(ニーチェ『権力への意志』562)
科学──このものはこれまで、事物の完全な混乱状態を、すべてを「説明する」仮説によって、──それゆえ混沌に対していだく知性の反感から、取りのぞくことであった。──これと同一の反感が"私自身"を考察するさいに私をとらえる。内的世界をも私は一つの"図式"によって具象的に表象して、
知性の混乱状態から脱けだしたく思うのである。道徳はそうした"単純化"であった。それは、人間を"認知されたもの"として、"既知のもの"として教えたからである。──ところが私たちは道徳を絶滅してしまった──私たち自身が私たちにとってふたたび"まったく曖昧"となってしまったのである!
私は知っている、私は"私について"何ごとをも知っていないということを。"物理学"がこの心情を"慰めるもの"として生ずる。科学が("知識"への道として)道徳の除去されてしまったのちに新しい魅力を獲得するのである──しかも私たちは"ここでのみ"必然的帰結をみいだすが"ゆえに"、
私たちは、私たちのためにこの必然的帰結を保存するよう、それにもとづいて私たちの生を"整え"なければならない。このことは、認識者としての"私たちの生存条件"に関する一種の"実践的思索"を生ぜしめる。
(ニーチェ『権力への意志』594)
哲学者が気晴らしするのは、たとえばニヒリズムにおいてである。"いかなる真理も全然ないという"信仰、ニヒリストの信仰は、認識の戦士としてまったくの醜い真理とたえまなく闘争している者にとっては、大きなくつろぎである。なぜなら真理は醜いものであるからである。
「生起の無意味性」、このことを信ずるにいたるのは、これまでの諸解釈の虚偽を洞察した結果であり、無気力や弱さの普遍化であって、──"必然的な"信仰ではない。
人間の不遜──、すなわち、意味のみあたらないところでは、それを"否認する"とは!
世界は無限に解釈可能である。あらゆる解釈が、生長の徴候であるか没落の徴候であるかなのである。
統一(一元論)は惰性の欲求であり、解釈の多数性こそ力の徴候である。世界の不安な謎めいた性格を否認しようと欲してはならない!
(ニーチェ『権力への意志』598-600)
科学の発達は、「既知のもの」をますます未知のもののうちへと解消する、──しかるに科学は、まさしく"逆のこと"を"欲し"、未知のものを既知のものへと還元する本能から出発している。
要約すれば、科学が準備するのは、"主権的な無知"、すなわち、「認識」は全然あらわれることはないとの、
それがあらわれると夢みるのは一種の驕慢であったとの感情、それのみならず、「認識」を一つの"可能性"としてみとめるだけの概念をすら私たちはなんら保有してはいないとの、──「認識」とは一つの矛盾にみちた考えであるとの感情である。私たちは人間の太古の神話や虚栄をきびしい事実のうちへと
"翻訳する"が、「物自体」と同じく、「認識自体」もいまだ概念として"許容されて"はいないのである。「数と論理」による誘惑、「法則」による誘惑。
遠近法的評価を(言いかえれば「権力への意志」を)"圧倒する"試みとしての「"知恵"」。
(ニーチェ『権力への意志』608)
これまでこころみられた"世界解釈"のうち、現今では"機械論的"世界解釈が勝利をしめて前景にあらわれているように思われる。明らかにこの世界解釈はおのれの立場に良心のやましさをおぼえておらず、また、機械論的手続きの助けをかりてかちえておかれなかったら、進歩や成功はなかったと、
いかなる科学もひそかに信じている。誰でもがこの手続きを知っている。すなわち、「理性」や「目的」を能うかぎり排除し、所要の時間がたてば、あらゆるものがあらゆるものから生成しうることを示し、植物や卵黄の「運命のうちにある外見上の意図」もはやり圧と衝突に還元されたなら、
大っぴらにそれみたことかとほくそ笑みすればよいのである。要するに、このように真面目な事柄においても冗談めいた表現が許されるなら、このうえない愚昧の原理にも心から服するのである。
(ニーチェ『権力への意志』618)
物理学的"アトム"に"反対して"。──世界をとらえるためには、私たちは世界を算定しえなければならない。世界を算定しうるためには、私たちは恒常な原因をもっていなければならない。ところが、私たちは現実のうちにはそうした恒常な原因をみいださないので、
そうしたものを──アトムを、"仮構する"。これがアトム論の起源である。
世界が算定されうるということ、すべての生起が公式で表現されうるということ──これは真に「とらえる」ということであろうか?
音楽で算定され公式に簡約されうるすべてのものが算定されたとしても、いったい何がその音楽でとらえられているのであろうか? ──それゆえ、ついでは、「恒常な原因」、事物、実体、何か「無制約的なもの」。それらが"仮構された"としても──何が達成されたのか?
(ニーチェ『権力への意志』624)
"機械論の批判"。──私たちはここでは「必然性」と「法則」という二つの通俗的概念を遠ざける。前者は虚偽の強制を、後者は虚偽の自由を、世界のうちへと置き入れるからである。「事物」は規則的に行動し、"規則"に従って行動したりしはしない。
事物というものはないのである(──それは私たちの虚構である)。同様に事物は必然性の強制のもとで行動することもない。ここには服従ということはない。なぜなら、"或るものがあるがままのものであるということ"、
あるがままの強さをもち、あるがままの弱さをもっているということ、これは、服従とか規則とが強制とかの結果ではないからである……
(ニーチェ『権力への意志』634)
物理学者たちは彼ら流儀に「真の世界」を信じている。すなわちそれは、必然的運動をいとなみつつある、万人にとって同等な固定した"アトムの体系化"である、──そのため彼らにとっては、「仮象の世界」は、普遍的な、普逼的に必然的な存在の各人それぞれの流儀にしたがって到達されうる側面へと
還元される(到達されうるし、しかもなお調整された、「主観的」たらしめられた側面へと)。しかし、このことで彼らは誤っている。彼らが措定するアトムは、あの意識の遠近法主義の論理にしたがって推論されているのであり、──だからそれ自身もまた一つの主観的虚構である。
彼らの描くこの世界像は、けっして主観的世界像と本質的に異なったものではない。それは拡大された感官でもって構成されているにすぎず、"私たちの"感官でもって構成されていることに変わりないからである……
(ニーチェ『権力への意志』636)
科学は、私たちを意欲へとかりたてるのは何かと問うことは"ない"。むしろ科学は、"意欲されて"いるということを"否認して"、何かこれとはまったく別のことがおこっていると──要するに「意志」や「目的」を信ずるのは一つの幻想であると、考える。科学は、あたかも行為の動機は行為に先立って私たちの
意識のうちにあったかのごとく、行為の"動機"を問いもとめることはない。科学は、まず行為を一群の機械的現象のりもへと分解して、この機械的運動の先行過程を探究するが──それを、感情し、感覚し、思考するはたらきのうちに探究することは"ない"。"そこからは"科学は説明を受けとることはできない。
感覚こそまさに"説明さるべき"科学の材料であるからである。──科学の問題は、感覚を原因とみなすこと"なしに"世界を説明するということである。なぜならそれは"感覚"を感覚の"原因と"みなすということに他ならないからである。科学の課題は絶対に解決されてはいない。
(ニーチェ『権力への意志』667)
「不快の量は、快の量を凌ぐ。従って世界の在らぬことは、それの在ることよりも、よいであろう」──「世界は、合理的には存在しないかのような或るものである。なぜならば、世界はそれを受け取る主体にとって、快よりも不快の原因となるから」──そのような饒舌は、今日、ペシミズムと名のっている。
快、不快は、副次的なものであって、決して原因ではない。それは二義的な価値判断であって、支配的な価値をまって始めて導かれるものである。私は、この感受性のペシミズムを軽蔑する。それ自体が、生における深い衰退の徴候である。
(ニーチェ『権力への意志』701)
「"意識された"世界」は"価値の出発点"として通用することはでき"ない"。すなわち、「"客観的"」価値定立の必然性。
あらゆる有機体の総体的生が示しているような、たがいに助けあい妨げあう巨大多様なはたらきに関しては、この有機体の、感情、意図、価値評価の"意識された"世界は、
小さな一断片にすぎない。この一片の意識を、生のあの総体的現象にとっての目的であるとみなす権利は、私たちにはまったくない。意識作用が生の発展や権力拡大におけるいま一つの手段にすぎないということは、明白であるからである。このゆえに、快とか精神性とか道義心とか、
意識のなんらかの個別的な領域を最高価値として措定し、しかもおそらくは「世界」をすらこれらから是認するということは、一つの幼稚さである。
(ニーチェ『権力への意志』707)
言語という表現手段は、「生成」を表現するためには役立ちえない。不易なものとか「事物」とかなどから成る粗雑な世界をたえず立てるということは、私たちの"捨てさりえない保存欲求"に属しているのである。相対的には私たちはアトムやモナドについて語ってもよい。
(ニーチェ『権力への意志』715)
その世界のもっともらしい構造のすべてを私は汝に語りきかせよう、死すべき者どもの考えが けっして汝を追い越すことのないように──。
(パルメニデス 断片 8)
ひとは社会的協定の「深刻な不正」について語る。あたかも、或る者は有利な、或る者は不利な事情のもとで産まれたという事実が、それどころか、或る者はこれこれの、或る者はこれこれの固有性をそなえて産まれたという事実さえ、はじめから不正であるかのごとく語る。
社会のこのような敵視者たちのうち最も率直な者たちの側からは、こう公言される、すなわち、「私たち自身が、あらゆる劣悪な、病的な、犯罪者の固有性をもっているということ、それを私たちはみとめるが、これは、弱者が強者によって長期にわたって圧迫をうけたことの不可避的な"帰結"にすぎない」と。
彼らはおのれたちの性格の責めを支配階級に転嫁する。そこでひとは脅迫し、立腹し、呪詛する。ひとは、悲憤のあまり有徳的となり、──劣悪な人間であることが、悪党であることが、徒労におわらないようにと欲する。
(ニーチェ『権力への意志』765)
このような態度はここ数十年の発明であるのだが、これまた、私の知るかぎりでは、ペシミズムと、しかも悲憤のペシミズムと呼ばれている。ここでなされる要求は、歴史を裁くこと、歴史からその宿命性を奪うこと、責任の帰趨を歴史の背後に、"責任者"を歴史のなかにみいだすことである。なぜなら、
問題はこのことにあるからである。すなわち、ひとは責任者を必要とするのである。出来そこないの者どもは、あらゆる種類のデカダンどもは、わが身に関して反乱をおこしており、われとわが身で彼らの絶滅欲を満足させないためには、犠牲を必要とする(──これはそれ自体ではおそらくもっともな理由を
もっているであろう)。そのためには彼らは、彼らが正しいと見せかける必要がある。言いかえれば、彼らの生存の、彼らがかくかくであるということの事実を、なんらかの贖罪山羊に"転嫁する"ことができるようにさせてくれる理論を必要とする。
(ニーチェ『権力への意志』765)
芸術における現代的"贋造"は、"必然的"であると、つまり最も本来的な"現代精神の欲求にふさわしいもの"であると解される。
"天賦"の欠陥、それのみならず、"教育"、"伝統"、"習練"の欠陥に詰め物がされている。
第一。無条件に愛をささげる(──そして即座に"人格"のまえにひざまずく)ところの、"芸術的素質のとぼしい"公衆が探しもとめられる。そのためには現世紀の迷信が、「天才」の迷信が利用される。
第二。民主主義的時代の不満家、野心家、欺瞞家の暗い本能が論じ立てられる。すなわち、
"姿勢をとること"の重要さが。
第三。或る芸術の手続きが他の芸術のそれのうちへと取り入れられ、芸術の意図が認識や教会や種族の利害(国家主義)や哲学のそれと混淆する──ひとは、ありとあらゆる鐘を一挙に突きならし、彼こそ神ではなかろうかとの漠たる疑念をおこさせる。
第四。女性、苦悩する者、叛逆をうけた者が、阿諛される。芸術においてもまた麻酔的なものや麻痺的なものが優勢となる。教養ある者、詩や古代史の読者の心がそそられる。
(ニーチェ『権力への意志』824)
"圧制する"ための芸術としての現代芸術。──粗雑などぎつい"構図の論理"、公式にまで単純化されたモティーフ。すなわち、公式が圧制するのである。描線の内には、感官を迷わす荒々しい多様性、圧倒的な量。色彩、素材、欲望の残忍さ。
たとえば、ゾラ、ヴァーグナー。より精神的な秩序においてはテーヌ。それゆえ、"論理"と、"量"と、"残忍さ"。
(ニーチェ『権力への意志』827)
"画家"に関してはこう言える、「すべてこれらの現代人は、画家たらんと欲した詩人である。歴史のうちに、或る者は戯曲を、或る者は風習の舞台を探し求めたが、後者は宗教を、前者は哲学を表現する」。或る者はラファエロを、他の者はイタリア初期の巨匠を模倣する。風景画家は、頌詩や哀詩を作るために
木や雲を利用する。"誰ひとりとして"単純に画家であるのでは"ない"。ひとりのこらず、考古学者であり、心理学者であり、なんらかの回想とか理論とかを持ちだしてくる。彼らは、私たちの学識で、私たちの哲学で楽しむ。彼らは、私たちと同じく、普遍的理念で満たされており、満たされすぎている。
彼らが形式を愛するのは、形式そのもののためではなく、形式が"表現している"もののためである。彼らは、学識をつんだ、責めさいなまれた、反省的な世代の子たちである──読むことをせず、その眼をよろこばすことにのみ心をかけた古代の巨匠たちには遥かにおよばない。
(ニーチェ『権力への意志』828)
「私の絵を嗅いではいけないよ。絵の具は体に毒だ。」レンブラント。
(ゲーテ『箴言と省察』芸術と芸術家)
今日では音楽家のペシミズムというものも、非音楽家の間にすらある。不幸な若者が、絶望的な叫びをあげるまでピアノをかき鳴らし、泥土にも似たこのうえなく暗鬱で灰褐色の和音を自らの手ではじきだすのを、誰でもが体験し、誰でもがそれに恐れをなしたことがあるのではなかろうか? そうしたことで、
彼はペシミストであると"認められた"ことになる……しかし、はたしてそうしたことで「音楽的」でもあると認められたことになるのであろうか? 私はそれを信ずることはできない。生粋のヴァーグナー派は非音楽的である。彼は、ほぼ女性が催眠術師の意志に屈服するがごとく、音楽の自然力に屈服する──
ヴァーグナーが効果をあげようとのぞむとき好んで利用する手段を考えてもみよ。それらの手段は、催眠術師が効果をあげるために用いる手段と、奇妙に似ている(──そのオーケストラの動きや音色の選択、論理的で方正なリズムに対する恐るべき嫌悪、 忍びやかな、撫でるがごとき、秘めやかなるもの、
その「無限のメロディ」のヒステリー症)。──たとえば『ローエングリーン』の序曲にききほれる男性が、それにもまして女性が、そのときおちいる状態は、夢遊病者の法悦と本質的に異なるのであろうか?
(ニーチェ『権力への意志』839)
「音楽」と──偉大な様式。──芸術家の偉大さはその芸術家がひきおこす「美しき感情」にしたがって測られるのではない。これは婦女子の信じたがることである。そうではなくて、その芸術家が偉大な様式にどれほど近づいているのか、偉大な様式をどれほど能くしうるのかという程度にしたがってである。
こうした様式は、それが、気に入られることを蔑すむということ、口説きおとすのを忘れるということ、かえって命令し、"意欲する"ということを、大いなる激情と共通にもっている……私たち自身がそれにほかならない混沌を克服するということ、その混沌が形式となるようそれを強いるということ、
すなわち、論理的に、単純に、一義的になり、数学と、"法則"となるということ──このことがここでは大きな野心なのである。──この野心でもってひとびとを突き返すのである。
(ニーチェ『権力への意志』842)
大まかに言って、疑わしい怖るべき事物に対する偏愛は"強さ"の一症候であり、他方、小ぎれいな小いきなものを喜ぶ趣味は、弱い者の、繊弱な者のものである。悲劇での"快感"は"強い"時代や性格の目印であり、この快感の極致はおそらくは神的喜劇であろう。悲劇的残酷さのうちにありながらおのれ自身へと
然りと断言するのは、"英雄的"精神である。この精神は、苦悩をも"快"として感受するほど十分冷酷であるから。
これに反して、弱者どもが芸術を享受しようとすれば、彼らは、"彼ら自身の価値感情"を悲劇のうちに置き入れて解釈するであろう。たとえば、「道徳的世界秩序の凱歌」とか、「生存の無価値」
の教えとか、「諦念」の勧告とかを(また、アリストテレス流のなかば医学的な、なかば道徳的な欲情の放出を)。
どこまで人が事物にその怖るべく疑わしい性格をみとめうるか、"はたして"彼が最後には総じて「解決」を必要とするかが、"幸福・権力感情"の徴候である。
(ニーチェ『権力への意志』852)
あらゆる葛藤から一つの"協和音"を響きださせる圧倒的芸術家とは、自己自身の力強さや自己救済を事物にとってさえ有益ならしめる者のことであり、彼らは自己の最も内なる経験をあらゆる芸術作品の象徴的表現のうちで発言せしめる、彼らの創造作用は自己の存在に対する感謝である。悲劇的芸術家の深みは
その美的本能がはるか遠い帰結をも見渡すこと、最も身近なもののところに近視的に停滞していないこと、"大規模の経済"を肯定することのうちにあるが、この大規模の経済は、"怖るべき"、"悪意ある"、"疑わしいもの"を是認する、しかも、是認する──のみではない。
(ニーチェ『権力への意志』852)
そうだ、私は自分の憂愁のかわりに決してそのほかの幸福をつかもうとは思わない。この意味で、私はいつも幸福だったね、アルカーシャ、生涯を通じてさ。
(ドストエフスキー『未成年』)
ドストイェフスキーは自己の幸福に対して、生涯感謝する事を忘れぬ人であった。
(夏目漱石『思い出す事など』)
芸術、しかも芸術以外の何ものでもない! 芸術は、生を可能ならしめる偉大な形成者であり、生への偉大な誘惑者であり、生の偉大な刺戟剤である。
芸術は、生の否定へのすべての意志に対する無比に卓抜な対抗力にほかならない、優れて反キリスト教的、反仏教的、反ニヒリズム的なものにほかならない。
芸術は、"認識者の救い"、──生存の怖るべく疑わしい性格を眺め、眺めんと欲する者の、悲劇的な認識者の救いにほかならない。
芸術は、"行為者の救い"、──生存の怖るべく疑わしい性格を眺めるのみならず、それを生き、生きんと欲する者の、悲劇的・戦闘的人間の、英雄の救いにほかならない。
芸術は、"苦悩者の救い"にほかならない、──苦悩が意欲され、変貌され、神化されるところの、苦悩が大いなる喜悦の一形式であるところの状態へといたる道にほかならない。
(ニーチェ『権力への意志』853)
最後には、"社会的なごった混ぜ"。これは、革命の、平等権の回復の、「平等な人間」に対する迷信の結果である。そのさい、長いこと下積みに"甘んじてきた"階層の奴隷の本能、臆病・老獪・悪党の本能をもふくめて、衰退の本能(ルサンチマン、不満足、破壊欲、アナキズム、ニヒリズム)の担い手が、
あらゆる階級の血液のすみずみにまで混りこんで、二世代、三世代経過すれば、いかなる血筋のものかも見分けがつかなくなる、──すべてのものが"賤民化されて"いる。この結果、"精選"に反抗する、あらゆる種類の"特権"に反抗する総体対本能が生ずるが、この本能は、"特権ある者"すら事実上ただちに
屈服するほどの権力や安全さ、冷酷さ、実践上の残酷さをもっている。──なおも権力を固持しようと欲するものは、賤民におもねり、賤民と協働し、賤民を味方に"せざるをえない"──、何よりもまず「天才」がそうなのである。すなわち、天才は大衆を感動せしめる感情の"伝令者"となる、
──同情が、苦悩、低劣、軽蔑、迫害のうちにながらえてきたすべてのものに対してすらの畏敬が、その他すべてのものを圧倒しさるほど強調される(この典型はユゴーとヴァーグナー)。──賤民の抬頭は繰りかえし"古い価値"の抬頭を意味する。
(ニーチェ『権力への意志』864)
現代文明が表示するテンポと手段に関するこのような極端な運動がおこるときには、人間の重心は狂ってしまう。
そうした事情のもとでは重心は必然的に"凡庸な者"の方へと移ってゆく。賤民と変人(両者はたいてい結びついている)の支配に対抗して、"凡庸性"が、未来の保証者や担い手として、
身を固めるのである。このことから"例外的人間"にとっては新たな敵手が──むしろ新たな誘惑が、発生する。彼らが賤民に順応して、「勘当者」の本能の気にいる歌をうたわないとすれば、「凡庸」で「手固い」ことを必要とするであろう。彼らは知っている、凡庸は金色でもあるということを、
──そのうえ凡庸のみが金銭と"黄金"を支配するということを……そしてまたもや古い徳が、しかも総じて理想の"老衰した"全世界が、天賦に恵まれた弁護者の一団を獲得する……その結果、凡庸性が、才智、機智、天才を手にいれ、──人を楽しませるものとなり、誘惑する。
(ニーチェ『権力への意志』864)
最後には、文明が増大するが、これは必然的に、病的な諸要素、"神経衰弱的"・"精神病的"なものと"犯罪的なもの"との増大を同時にともなう。"芸術家"という"中間種"が発生するが、彼らは、意志の弱さと社会的な恐怖心から刑法にふれる犯罪をおかすこともなく、同様にまだ癲狂病院にゆくまでには
いたっていないものの、しかしその触角でもってこれら二つの領域のうちへと好奇的に手をのばす。文化のこのような特殊の雑草こそ、現代の芸術家、画家であり、音楽家であり、なかんずく小説家であるが、小説家は彼らの存在の仕方を示すために「自然主義」というきわめて
語義どおりでない言葉をもてあそんでいる……狂人、犯罪者、「自然主義者」が増大する。これは、やたらに"前進を"あせる文化の増大の徴候である、──言いかえれば、廃物、堕落、屑がらくたが重要性を獲得し、──退歩が"歩調をあわせている"のである。
(ニーチェ『権力への意志』864)
"利己主義の誤解"は、"凡俗な"本性の持ち主の側からなされている。彼らは、圧倒し、おのれへと強制し、おのれのものにすることを欲するところの、流出する力の感情についてと同じく、偉大な愛の征服欲や貪欲についてはまるで何も知らないが、──これこそ、おのれの素材をもとめる芸術家の衝動である。
活動感覚の求めさがすのがたんに活動領域でしかないということもしばしばである。──ふつうの「利己主義」においては、まさしく「非我」が、"ひどい平均人"が、類としての人間が、おのれを保存しようと欲している──"このこと"が、より稀有な、より繊細な、
より平均的でない者たちによって気づかれる場合、彼らを憤激させる。なぜなら、この者たちはこう判断するからである、「私たちこそ"高貴な者"である! あの畜生どものそれにもまして、"私たちの"保存こそ"それ以上に"問題なのだ!」と。
(ニーチェ『権力への意志』873)
劣等な人間が"はたして"高級な人間はいるのであろうかとの疑問にとりつかれると、危険は大きくなる! そして最後には、劣等な、屈服させられた、精神の貧困な人間のところにも"徳"はある、また、"神のまえでは"人間は平等であるということが、明らかにされる。
なんたる愚鈍の極致がこれまで地上でおかされてきたことか! つまり、高級な人間がついには奴隷のもつ徳の価値尺度にしたがっておのれ自身を測り──おのれが「"傲慢"」その他であると、おのれがもつすべての"高級な"固有性は非難さるべきものであると、みいだしたのである。
ネロやカラカラが帝位にあったときには、「あの帝位についている者よりも、最も低劣な人間の方が"いっそう価値がある"!」というパラドックスが発生した。そして最も権力ある者の像からはこのうえなく"へだたった神の像"が血路をひらいた、──十字架にかけられた神が!
(ニーチェ『権力への意志』874)
人間の"価値"を、その人間がどれほど他人にとって"有用である"かとか"値する"かとか"有害である"かとかということにしたがって評価すること、これは、芸術作品をそれがひきおこす"結果"に応じて評価するのと、まったく同じことである。しかし、このことでは
"他の人間との比較における"その人間の価値はまるで触れられてはいない。「道徳的価値評価」は、それが"社会的なもの"であるかぎり、あくまで人間をその結果にしたがって測定する。おのれ独自の味覚をもち、その孤独によって取りかこまれて身を隠し、伝達がきかず、伝達しようともしない人間、
──"計りきわめられたことのない"人間、したがって高級種の、いずれにしても種類を"異にする"人間、こうした人間を君たちは知ることもできず、比較することもできないのだから、どうして君たちはこうした人間の価値を評価しようとすることができようか?
(ニーチェ『権力への意志』878)
"階序によせて"。──類型的な人間のもっている"凡庸さ"とは何か? "事物の裏面"を必然的なものとして解さないこと、すなわち、不良の状態を、あたかもそれなしですましうるかのごとく攻撃することである。一方を他方とともに甘受しようと欲しないこと、──事物の固有性の或る部分のみをよしとして
その他の部分を"廃棄"したがることによって、その"事物の"、状態の、時代の、人物の"典型的性格"を、 抹殺し消去したがることである。
私たちの洞察するところはこれとは逆である。すなわち、
私たちは、人間のあらゆる生長とともにその裏面もまた生長せざるをえないと、"最高の"人間とは、そうした概念が許されるとすれば、"生存の対立的性格"を生存の栄光や唯一の是認として最も強く体現している人間"そのもの"のことにちがいないと、洞察する……
(ニーチェ『権力への意志』881)
a)人間を個々の仕事にしたがって評価してはならない。"表皮にとどまる行為"。"人格からの" 行為にもまして稀有のものは何ひとつない。階級、位階、民族、環境、偶然──仕事や行動のうちに表現されているのは、「人格」というよりもむしろこれらすべてである。
b)多くの人間どもが「人格」であると、
総じて前提してはならない。人格であるとしても多数の者は"数多くの"人格であり、大多数の者は"いかなる人格でもない"。
c)人格は相対的に"孤立した"事実である。それゆえ、平均的な水準を保って流れつづけることのはるかに重要であることを考慮すれば、ほとんど何か"反自然的なもの"である。
人格の発生には、時をえた孤立化が、防禦的・武装的生存への強制が、何か城壁をめぐらすとでも言ったことが、より大きな遮断の力が、属している。なかんずく、その人間性が"感染されやすい"ものである中位の人間よりはるかに"低度の感受性"しかもっていない必要がある。
(ニーチェ『権力への意志』886)
"階序"に関する"第一の問い"、すなわち、そのひとはどれほど"独居的"であるのか、ないしは"群居的"であるのかの問題。(後者の場合にはそのひとの価値は、その畜群の、その類型の存立を安全にする諸固有性のうちにあり、前者の場合には、そのひとを際立たせ、孤立化し、弁護し、
"独居を可能ならしめる"もののうちにある。)
"結論"。すなわち、独居的類型を群居的類型にしたがって評価してはなら"ない"、また群居的類型を独居的類型にしたがって評価してはなら"ない"。
高所から観察すれば、両者とも必然的であり、同じく両者の敵対関係も必然的である、──そして、この両者から
何か"第三のもの"が発達すればと望むあの「願望」にもまして追放すべきものは、何ひとつとしてない(雌雄同体としての「徳」)。これは、両性の接近や和解と同じく「望ましい」ことではない。"類型的なものを発達しつづけさせ"、"間際を"ますます"深く引きさくこと"……
(ニーチェ『権力への意志』886)
ここでは、すべての機械的活動に必然的にともなう"退屈さ"、"単調さ"が、躓きの第一の石である。"これに"耐えることを学ぶということ──しかも耐えるのみのことではない──、退屈を高級な魅力がとりまいているとみてとることを学ぶということ、これがこれまですべての高等程度の学校の課題であった。
私たちにはなんのかかわりもない何ものかを学ぶということ、しかもまさにこのことのうちに、このような「客観的」活動のうちに、おのれの「義務」を感取するということ、快感と義務とをたがいに分離して評価することを学ぶということ──これが、高等程度の学校の貴重な課題であり功績である。
このゆえに文献学者がこれまでは"本来の"教師であった。というのは、文献学者の活動自身が大規模なものとまでなる単調きわまる活動の模範をあたえているからである。この教師の采配のもとで生徒たちは「糞勉強」を学ぶのであるが、これすなわち、将来機械的に義務を果たす性能を身につける第一の
前提条件である(官吏、良人、事務の奴隷、新聞愛読者、兵士として)。そのような生活法は他のいかなるものにもまして哲学的な是認や弁明を必要とするだろう。すなわち"快適な"感情は誤審することのない何らかの法廷によって総じて低劣なものとして評価されねばならない。
(ニーチェ『権力への意志』888)
"私の弟子たちの典型"。──" 私となんらかのかかわりをもつ" 人間たちには、私は、彼らが、苦悩をうけ、見捨てられ、病気となり、虐待され、辱しめられることを希望する、──私の望むところは、彼らも、深い自己軽蔑を、おのれに対する不信の苦悶を、超克された者の悲惨を知らずに
すますことのないようにということである。私は彼らになんら同情することがない。というのは、私が彼らに望むのは、はたしてそのひとが"価値"をもっているか否かを今日証明することのできる唯一のものであるからである、──"持ちこたえるということ"が、それである。
(ニーチェ『権力への意志』910)
ジョン・スチュアート・ミルに反対して。──「或る者に正しいことは他の者にも正しい」、「自分が欲しないことを誰にもくわえるな」と言う彼の卑俗さを、私は嫌う。これは、全人間的交渉を"給付の相互性"にもとづけようとしており、そのためあらゆる行為は、己になされた何かに対する一種の支払いだと
みなされている。ここでの前提は最低の意味において"下賎"である。すなわち、ここでは"諸行為の価値の等価性"がたがいの間に前提されており、ここでは行為の最も個人的な価値が簡単に無効とされている(何ものによっても決済され返済されえないものが──)。「相互性」は、はなはだしい卑俗さである。
"私"のなす成ることは、他人によってなされては"ならない"し、なされ"えない"ということ、"いかなる差引勘定も"あってはなら"ない"ということ(──「おのれと等しき者」という"最も選りぬきの領域"において、同類の者の間において以外では──)、各人は何か"一回限りのものであり"、
"一回限りのことしかなさない"のだから、より深い意味では決して払い戻すことはないということ、──こうした根本確信が"群衆からの貴族主義的分離"の原因をふくんでいる。というのは、群衆は、「平等」を、"したがって"妥協の余地や「相互性」を信じているからである。
(ニーチェ『権力への意志』926)
もちろん、たいていの者は、あの美しい落ち着いた対象の影響をうけるときには、"本性が高まる"と信じている。だから、イタリアにあこがれて出発したり、旅行したりなどするのであり、すべての読書や観劇もこのためである。
"彼らは形成してもらいたいと欲している"のであるが──これが、彼らが文化にたずさわることの意味である! しかるに、強者、権力ある者は、"形成する"ことを欲し、いかなる異質的なものももはや身のまわりにあることを欲しない!
たいていの者が大自然のうちへとでかけてゆくのも、これと同様であり、それは、"おのれを"みいだすためではなく、大自然のうちでおのれを喪失し忘却するためである。すべての弱者や自己不満家の願望としての「"忘我"」。
(ニーチェ『権力への意志』941)
"謙譲のうちにある危険"。──私たちの力も、私たちの目標も、立法的となっているとは自覚されるにいたらない時期に、偶然そのうちに私たちが置かれた課題、社会、日常の秩序や勤労の秩序にあまりにも早期に順応するということ、このことで、良心の安心感、爽快さ、共同感が、あまりにも
早く獲得されてしまうのである。これは時期尚早の謙譲であり、この謙譲が、心の内外の不安からまぬがれさせるものとして感情に取り入り、甘やかし、このうえなく危険な仕方で卑屈ならしめる。あたかも私たち自身が価値を指定するいかなる尺度や権利をしおのれのうちにもってはいないかのごとくに、
「おのれと等しい者たち」の流儀にしたがって尊敬することを学ぶということ、これまた一つの良心にほかならない内なる趣味の声に"抗して"、等しい評価をするよう努力するということ、これが、怖るべき巧妙な桎梏となる。すなわち、愛や道徳のあらゆる絆を一挙に断ちきって、
ついにはなんらかの爆発が生じないとすれば、そのような精神は、萎縮し、卑小となり、柔弱となり、一個の物件に化する。──
(ニーチェ『権力への意志』970)
運命そのものである人間、おのれを担うことによって運命を担う人間が、重荷の"英雄的"負担者の全種族である。おお、いかに彼らはいちどはおのれ自身から解放されて休息したいとねがっていることか! いかに彼らは、おのれを圧する負担から少なくとも数時間まぬがれるために、
それを引きうけてくれる強い心臓と首筋の持ち主を飢えもとめていることか! だが、いかに彼らのこの願いの徒労であることか! ……彼らは待ちのぞむ。彼らは通りすぎゆくすべてのものに眼をとめる。だが、誰ひとりとして、彼らの苦悩と激情の千分の一をすらたずさえて彼らを迎えにくる者はない。
誰ひとりとして、"どれほど"彼らが待ちのぞんでいるのかを推測する者はない……最後には、最後には彼らは、彼らの第一の処世智を習得する──もはや待ちのぞむべきでは"ない"ということを。しかも、ついでただちに彼らの第二の処世智をも習得する、すなわち、愛想よくなり、謙譲となり、
今後は何びとにも耐え、何ものにも耐えるということを──要するに、彼らがこれまですでに耐えてきたよりも、なおいささか"多く耐える"ということを。
(ニーチェ『権力への意志』971)
堅く、しなやかで、香わしい木材で刻まれていて、私を楽します"出来のよい者"にこそ──この書物は捧げられてあれ。
この者は、おのれに裨益するものを味わう。
この者は、何にせよ、その裨益の限度を越えるときはそれを好むことをやめる。
この者は、局部的な損傷にきく薬の何かを見ぬいており、
彼は病気をおのれの生の大きな刺戟剤としてもつ。
この者は、身にふりかかる意地悪い偶然をも利用しつくすことをこころえている。
この者は、おのれを破滅しかねまじき不運によって、いっそう強くなる。
この者は、彼が見、聞き、体験するすべてのものから、おのれの主要問題に有利なものを、
本能的に集める、──彼は一つの"選択"原理に従う、──彼は多くのものが振るい落とされるにまかせる。
この者は、反応すること緩慢であり、この緩慢さは、長い間の慎重さと期するところある"矜持"とが育成したものである、──彼は、刺戟を、それがどこからきてどこへゆこうとしているのかと吟味し、
屈従することがない。
この者は、たとえその交わりが書物とであろうと人間とであろうと風景とであろうと、つねに"おのれの"仲間のうちにいる。
この者は、"選択する"ことによって、"許容する"ことによって、"信頼する"ことによって、畏敬する。
(ニーチェ『権力への意志』1003)
第一に問うべきは、私たちが、はたしておのれに満足しているかということでは全然なく、はたして総じてなんらかのものに満足しているかということである。もし私たちがたった一つの瞬間に対してだけでも然りと断言するなら、私たちはこのことで、私たち自身に対してのみならず、
すべての生存に対して然りと断言したのである。なぜなら、それだけで孤立しているものは、私たち自身のうちにも事物のうちにも、何ひとつとしてないからである。だから、私たちの魂がたった一回だけでも、絃のごとくに、幸福のあまりふるえて響きをたてるなら、
このただ一つの生起を条件づけるためには、全永遠が必要であったのであり──また全永遠は、私たちが然りと断言するこのたった一つの瞬間において、認可され、救済され、是認され、肯定されていたのである。
(ニーチェ『権力への意志』1032)
認識のあらゆる獲得は、気力から、おのれに対する冷酷さから、おのれに対する潔癖さから"結果する"……私の生きぬくがごときそうした"実験哲学"は、最も原則的なニヒリズムの可能性をすら試験的に先取する。こう言ったからとて、この哲学は、否定に、否に、否への意志に停滞するというのではない。
この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲する──あるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、"ディオニュソス的に然りと断言すること"にまで──それは永遠の円環運動を欲する、──すなわち、まったく同一の事物を、結合のまったく同一の論理と非論理を。
哲学者の達しうる最高の状態、すなわち、生存へとディオニュソス的に立ち向かうということ──、このことにあたえた私の定式が"運命愛"である。
そのために必要なのは、これまで"否定されてきた"生存の側面を、"必然的"としてのみならず、望ましいとしてとらえるということ、だからそれを、
これまで肯定されてきた側面の補足や前提条件としてのみならず、否定されてきた側面自身のために、生存の意志をしてより明瞭におのれを語らしめるところの、より強力な、より豊穣な、"より真実な"生存の側面としてとらえるということである。
(ニーチェ『権力への意志』1041)
人類自身がデカダンスのうちにあるのではあるまいか? つねにそうであったのではあるまいか? はっきりしているのは、人類にはデカダンスの価値だけが至高の価値として"教えられて"きたということである。無我の道徳はすぐれて典型的な下降道徳である。──ここには、人類自身がデカダンスのうちに
あるのではなく、あの人類の教師どもがそうであるという可能性の余地がひらかれてあれ! ……そして、じじつ、人類の教師ども、指導者どもはデカダンであった、"だから"、すべての価値がニヒリズム的なもの(「彼岸的なもの」……)のうちへと価値転換された、これが私の命題である。
彼らは、おそらくは哲学者、或いは僧侶、予言者、透視者、聖者、その他何であったにせよ、つねにみずから道徳家を名のった。彼らはことごとく道徳を信じた、彼らは一致していた、──人類を「改善する」ことでは……
(ニーチェ『権力への意志』1888年秋の最終計画 この計画の第二書への序文3)
私は今まで、子供の時分から、私と同じ苦しみを、心と良心とに持っている人を一人も見いだしたことがなかった。……しかし元来、人はただ"同じ考えの者"、同じ意志の者のあいだでのみ栄えうるということは、私の確信だ(くだっては身体の栄養や健康の増進においてさえ)。私がそういう人間を
持っていないことは私の不幸だ。私の大学教授生活は誤った"環境"に適応しようとした退屈な試みだった。私のワーグナー一家への親近も同様だ、ただ前者の場合と方向は反対だったが。私の人間関係のほとんどすべては孤独感情の突発から発生した。オーファーベックともレーともマルヴィータとも。
──私は誰かと一箇所でも一隅でも共通であることを発見したり、あるいは発見したと信じた時には、"滑稽なほど"幸福だった。私の記憶は、私がまったくもう孤独に堪えられなかった右のような弱さに関して、何千という恥かしい思い出の重荷を背負っている。
(ニーチェ 妹への書簡 ヴェネチア 1885.5.20)
私たちが論じた"もう一つ" の観点についてですが、音楽の最も小さな"品詞"に魂や生命を吹き込むということは、──この最も小さな部分に魂や生命を吹き込むということは、音楽の場合にはヴァーグナーが"実践した"ものでして、
そのときからほとんど支配的な演奏方式(俳優や歌手にとってさえ)となったものですが、私たちはこれを、音楽以外の諸芸術にみられる類似の現象を考え合わせながら、考察してみたのです。これは特徴的な堕落の徴候で、生が全体から身をひいて、極小の部分ではびこるようになる証拠なのです。
ですから「楽句法」は組織する力の衰滅の症状でしょう。換言しますと、"偉大な"状況をもっとリズミックに緊張させる能力の欠如で、"リズミックなもの"の退化のかたちです……。
(ニーチェ 書簡集 カール・フクスへ 1888.8.26)