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原泰久『キングダム』第39~40巻 「人の持つ本質は─── 光だ」

よう 天備宮

呂不韋「ここは かつて 時の秦王 恵公けいこうが独り国造りの思案を深くめぐらすために建てた宮とのこと
雍城一高き所に建てたのは天の啓示を受けたいがためとか…
ハッハ そういう場所を対話の場に選ばれる大王様のご趣味は 嫌いではありませぬ
よもや 席も対等とは」

嬴政「あえてそうした
咸陽の戦いによって明日どちらが玉座に座るか・・・・・・・・・・・・が決まる
ならば これが最後の対話
対等に座して語ろうではないか
俺もお前に話したいことは多くある」

呂不韋「……… …では 私の方からさっそく宜しいか 大王
ずっと妙な噂を聞く
“中華統一”という馬鹿な噂だ
天人てんじんにでもなるおつもりか
夢想の中の物語りならばよしとするが
本気なら およそ血の通った人間の歩む道ではござらぬぞ」

呂不韋「やれやれ せっかく水入らずの二人だけでと思いましたのに これは一体どういうことですかな 大王様?
ハッハ この呂不韋と二人きりになることが恐ろしゅうなりましたか 大王様」

嬴政「呂不韋 お前が嫪毐ろうあいを後宮に忍び込ませた張本人であることは調べがついている
つまり 此度の反乱の首謀者 嫪毐 これを作った元凶・・はお前ということになる
俺はずっと裁けなかった
七年前の竭氏・成蟜反乱を黙殺した時も
その後の刺客団による暗殺未遂の時も
近くは  成蟜が死んだ屯留反乱の時も
俺は一度も背後にいたお前を裁けなかった
だが 今度は違う
今 行われている咸陽の戦いでこちらが勝った暁には
いかなる言い逃れも許さず
必ずお前まで罪を渡及させ
大罪人として処罰する
そうしてお前を権力の座から引きずり降ろし
二人の戦いに終止符をうつ!


呂不韋「………… それはまァ 咸陽での勝利 ──という条件付きの話ですがな」

嬴政「……… どちらに転ぼうと 秦国の中枢は明日より新しき体制に生まれ変わる
ならば これまで いびつながら現体制の中で国政に関わり国を支えた者達に──
そして新しき朝廷でも大役を担う者達・・・・・・・・・・・・・・
節目となる我々の言葉を聞かせておくべきとは思わぬか 呂不韋

呂不韋「(──ほう 勝った後は李斯らさえも登用すると言うか)
フッ 私は一向に構いませぬが
むしろ話を聞かれてまずいのは大王様の方ではありませぬか?
では皆にも聞かせてやって下さい
中華統一という狂気の願望・・・・・を抱く胸の内を

嬴政「人の道を断ずる前に 自分を語れ 呂不韋
これまでいつも大口を叩いて人を翻弄してきたが その実 腹の底を見せる言葉は口から出ぬ
“天下”を語ろうと俺を誘ったな
ならばお前も腹をすえて口を開け
何をもって中華統一を狂気と断ずるのか
まずはその理由をお前の言葉で明らかにしろ
上辺の中傷では俺の夢には通じぬぞ


呂不韋「元より そのつもり
宜しい ではまず断ずる根拠として
この呂不韋の目から見た“天下”像についてお話しいたそう
この呂不韋が“天下”を語る上で
“国”や “民”や “王” それらの前に
大切なことを明らかにせねばなりません
“天下”の起源きげんです
大王様は 今────
我々の言い示す“天下”というものは いつ始まったのか──
何によって生み出された・・・・・・・・・・・のかご存じであられるかな?
分かりませぬか
答えは これです

一同(かねが天下を作ったと!?)

嬴政「“貨幣制度”か」

呂不韋「ほう…… さすがです…………
これこそ 人の歴史における最大の“発明”にして“発見”
全ては これから始まったのです」

呂不韋「“貨幣制度”が“天下”を作った
“金”が人の“欲”を増幅させたからです
千年以上前 「しょう」の時代とも言われますが
貨幣制度の誕生で物々交換であったそれまでの世界は一変した
運搬し易く腐らぬ貨幣は物流に“距離”を与え
散在していた社会を次々とつなげ広げていった
しかし 金のもたらした最大の発見は別の所にありました
裕福の尺度
あいつは“金”をいくら持っているのか
人は他人との裕福度の比較をする物差しを手にしてしまったのです
当然 生まれたのは “他より多くを得たい”という強烈な 我欲
それから千年 物々交換の範囲で生きていた人々の世は
中華という広大で複雑な世界へとまで進化した
とどまることを知らず成長し続ける我欲の応酬が成した業です
そして人は“天下”という言葉を口にしだした
かつての世は“天”の恩恵にあずかる世界
“下”はあまねく天に支配されるものであった
──が天の下が中華となりそれは
人間がその手で支配できるのではと思わせるものへと変わった
ハッハ 天も驚きでしょう
人が“金”を手にしただけでここまで増長・進化をとげるとは
しかし 私に言わせればまだまだです

嬴政「まるで金が全てのようなもの言いだ」

呂不韋「そこはあえて 断定いたしましょうか そうであると」

嬴政「ならば
お前が王となれば 人の我欲を至上とする醜悪な世になるのではないのか 呂不韋

呂不韋「戦争を第一手段・・・・・・・とする世の中より はるかにマシでしょう
為政者は国民に血を流させてはなりませぬ
為政者は国により多くの幸福をもたらす者であらねばなりませぬ
そして私は誰より深くその方法を知る者です」

瑠衣「…うっ 自惚れるな お前に何がっ…

蔡沢「自惚れではなかろう
その貨幣制度と共に・・生まれた“商人”は金の流れの中に身をおくことを生業とし
誰よりも金を通して人の世を洞察してきた者達である
そして相国 呂不韋は 一代で中華指折りの大商となり今の席までかけ上がったことは周知
その稀有な知識と経験は他の何者も及ぶところではない」

瑠衣「………」

呂不韋「…… ある意味対照的ですな
大王は 何やら理想をかかげて国を治めようとしておられるようですが
この呂不韋は “金”を操って国を治めまする
果たしてどちらが国民の喜ぶ治世となりましょう」

蔡沢「興味深い では“金”でどう国を治め どう今の中華と向きあう 呂相国」

呂不韋「……………… 全実権・・・をこの呂不韋にゆだねられるなら
私は十年で秦を中華史上 最も富に満ちた国に成長させることができる
物があふれ返り
飢えなどとは無縁の飽食
秦人全員が人生を楽しみ謳歌する国です」

蔡沢「ほう まるで夢のような国じゃ しかしこの乱世がそれを許すかな?」

呂不韋「乱世たればこそです
この五百年の争乱 人は十分すぎる程 「怒」「哀」に浸かってきた
国を問わず 人が今渇望するのは「喜」「楽」です
ならば秦は溢れんばかりのその「喜」「楽」をつかみ他に示せばよい
他国の人間は必ずそれを羨ましがり秦に流れてくるでしょう
他国の王が危機を感じるなら富を分け与える
さすれば王達も望んで秦の手を握りにくるでしょう
刃ではなく富を交わらせて関係を築くのです
そうすれば後はやり方は同じ・・・・・・
列国それぞれのもつ資源・産業を循環させる役を秦が担う
秦を中央にすえた中華全体の発展・繁栄」

蔡沢(………… 秦なくして経済の回らぬ世にすると…)

呂不韋「“暴力”ではなく“豊かさ”で全体を包み込む
それが私の考える正しい『中華の統治』です
つぶして従わせるという蛮行は争乱の世にこそ大国が見せてはならぬ姿
ましてや敵国全てを暴力で征服し尽くす「中華統一」などもってのほか
大王の理想とするところは理解できまする
国が一つになれば国家間の争いは無くなると──
しかしそれは勝利する側の身勝手な夢の押しつけに他ならない
もしも武力統一が成ったとしても
残る現実は勝った秦一国と討ち滅ぼされ征服された六つの敗北国
どれ程の悲劇がこの中華を覆うのか
祖国を守らんと散った兵士
略奪と虐殺
大地には血の川が流れ
その上に満ちるのは残された者達の悲しみと 絶望
そして秦への怨念
間違いなく中華史が未だ経験したことのない闇の世となりまする
そこに 何の光があるのです
当然 自国民にも多大な犠牲を強いる
それらの全てを“中華統一”という夢の代償として“善し”と考えておられるのなら
それはもはや狂気の沙汰としか言いようがない
それでも まだなお“中華統一”が王の道として揺らがぬとおっしゃるのなら
大王 あなたこそ誰よりも玉座にあってはならぬ人間です

呂不韋「…ハッハ どうされました
顔色が悪うございますぞ さすがに私の言葉に腹が立ちましたかな?」

嬴政「呂不韋… お前のやり方では戦はなくならぬ」

呂不韋「………… ええ なくなりませぬ なくなりませぬとも
いかなるやり方でも 人の世から戦はなくなりませぬ」

嬴政「なぜ 断定する」

呂不韋「若き頃 儲けのために武器の商いにも手をつけ
広く戦を見てきたからです
命懸けで戦う者達の思いはそれぞれ
何やら大儀のために戦う者
仲間のために
愛する者のために戦う者
ただ私利私欲のために戦う者
復讐を果たす者
しかし 誰も間違っていない・・・・・・・・・
どれも人も持つ正しい感情からの行動だ
だから堂々巡りとなる
しかし それらの感情の否定は人間の否定
さてさて 困ったものです
復讐心一つとってもそれをなくすことはおよそ至難であることは
邯鄲にてそれにあたった・・・・・・・あなた方も十分承知でしょう」

太后「……… チッ」

呂不韋「戦争はなくなりませぬ

紫夏(大丈夫です あなたなら 言えるはずです 力強く そうではないと)

瑠衣(ん? 何…? 光の… 玉? 紫の…)

呂不韋「……… ん──? どうされた
私同様に 足でも痺れましたかな?
それとも 己の描く道が誤りであるとようやく気付かれましたかな?」

瑠衣(………呂不韋にはあの光が見えてない? いや… 他の者達にも…
……… あの紫の光… まるで政様に寄りそうように…)

呂不韋「……… 大王?」

嬴政「お前の口にした為政は所詮“文官・・の発想の域・・・・・を出ないものだ 呂不韋

呂不韋「……… 何ですと?」

嬴政「いくさに向き合わぬ お前の為政
いかに耳に響きのいい言葉を並べようと
今の世の延長上にしかない
一時和平協定の下“富”で他国とつながろうと
各国が力を付けきったところで
再びより大きな戦争・・・・・・・期間へと突入する
五百年続いた戦争時代が 結局のところそのまま続いていく
手前勝手な「現実」という言葉で問題に蓋をするな
人の世をよりよい方向へ進めるのが為政者の…
君主の役目ではないのか」

呂不韋「よりよい方向とは?」

嬴政「戦国時代を終わらすことだ」

呂不韋「妄想の道だ
先ほども言った
戦争は紛れもない人の本質の表れ
人の世の営みの一部
その否定は人の否定
現実を受け入れて為政に挑まねば世は前進せぬ!


嬴政「違う
お前は人の“本質”を大きく見誤っている
たしかに人は欲望におぼれ あざむき 憎悪し殺す
凶暴性も醜悪さも人の持つ側面だ
だが決して本質ではない
その見誤りから 争いがなくならぬものと思い込み
その中で最善を尽くそうとしているが
それは前進ではなく 人へのあきらめだ!
そこに気付かぬが故に
この中華は五百年も戦争時代を続けている」

呂不韋「…ほう 面白い
そこまでおっしゃるのなら
大王の言う人の“本質”とは一体何です
空虚な綺麗事ではなく
あの邯鄲で正に人の闇に当てられた悲惨な経験を踏まえた言葉で
お聞かせ願おうか」

太后「………」

嬴政「…………
無論だ
俺の歩みはあそこから始まっている」

嬴政「人の持つ本質は─── 光だ

瑠衣「人の本質が… 光……」

嬴政「俺は九歳の時 ある闇商の一団に邯鄲から救出された
だが趙の追跡は厳しく
最後は
闇商の頭目 紫夏は
自分の命を盾として俺を助けてくれた
出会ってから共に過ごしたときはごく数日だったが
俺はこの人の中に初めて人の優しさと 強さと………
そして 強烈な光を見た
…はじめは紫夏だけが特別なのだと思っていた
紫夏だけが持っていた特別な光だと
だが そうではない
これまで散っていった者達──
王騎も 麃公も 成蟜も
そして 名もなき者達も
形や 立場が違えど 皆 一様に
自分の中心にある“光”を必死に輝かせて死んでいった
そしてその光を 次の者が受け継ぎ
さらに力強く 光り輝かせるのだ
そうやって人はつながり
よりよい方向へ前進する
人が闇に落ちるのは
己の光のようを見失うから
見つからず もがき 苦しみ… 悲劇が生まれる
その悲劇を増幅させ人を闇に落とす最大のものが戦争だ
だから戦争を この世から無くす

呂不韋「………… 武力でですか

嬴政「武力でだ
俺は戦国の王の一人だ
戦争からは離れられぬ運命にある
ならば俺の代で終わらす
暴君のそしりを受けようが 力でっ…
中華を分け隔てなく 上も下もなく 一つにする
そうすれば必ず 俺の次の世は
人が人を殺さなくてすむ世界となる

嬴政「呂不韋 人の世として望むべき世界がいずれかは…」

呂不韋「もう十分です
大王の語る世と私の語る世は出発地が…
前提とするものが違いすぎまする
もはや これ以上語らっても結論に至らぬでしょう
しかし… それにしても…
大きゅうなられましたな……… 大王…
………
………
………お互いの 描く為政の道がただごとではないことが分かりました
両者の勝敗の結果……
この秦国が明日からどちらの道へ歩み出すのか
その答えは 間もなく咸陽からもたらされるでしょう」

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