地上の好きな天使 第一章(第2話)
第一章
第2話 子ねこのカノンとフーガ、はじめて天使をまねく丘のしらべをきく
さて、ここはふたたび、えかきのカデシさんの家のなか。
眠りの精が、まだうたたねの目を覚まさない、子ねこのカノンとフーガの耳もとで、またこんなふしをささやいていきました。
カノンとフーガは なかよしこよし
おちゃめなカノンに ものまねフーガ
ひよどり巡査の でしゃばり号令
気になるな
お庭にあつまれ ヒガラの楽隊
気になるな
おひさま大好き あたろ、あたろ
おはなし大好き また話してよ
***
「ピーッ、ピイッ! ピーヨ、イーヨィ」
ふいに、けたたましい笛の音がしました。
いねむりしていた二匹の子ねこ、カノンとフーガの姉妹は、おかげですっかり目を覚ましてしまいました。
「いったいなにごと? ヒヨドリのおまわりさんかしら?」
カノンは出窓に鼻をくっつけると、ガラスごしにお庭のようすをじっとうかがいました。
フーガも、まるでバネじかけの、びっくり箱のおもちゃみたいに、おおきな回転椅子から飛びあがると、あわてて出窓に着地して、カノンのとなりにすわりました。
あらあら、カノンったら、ピクピクおひげをふるわせて、何か言いはじめましたよ。
「ニャヤヤヤヤヤヤン、ヤン」
たいそう短く切って、いまいましげに。するとフーガまで、カノンよりもっと高い声で、
「ニャヤヤヤン、ヤヤヤヤヤン、ヤン」
やっぱりたいそういまいましげに、鼻ぢゅうしわだらけにしながら言いました。
それからはもう、姉妹でおひげをピクピクさせて、ニャヤヤン、ヤンの二重唱です。
あんまりさわぎがそうぞうしいので、カデシの娘さんが、とうとうベッドから起きてきました。
「どうしたの? カノンとフーガ。何かいた?」
娘さんのカブリオルは、眠い目をこすりこすり、子ネコたちにたずねました。
「ああ、…… あそこか。なぁんだ、いつものヒヨドリのおじさんじゃない!」
カブリオルは、ちいさい双眼鏡で庭をのぞきこむなり、ちょっとがっかりしたようにそう言いました。
モモの木のくねった枝の交番に、ヒヨドリのおまわりさんは、とまっています。まんまるい目をむいておつむのしらがをおったてながら、地面にむかってしきりに合図をしているのでした。
「よう、止まれえ! そこの楽隊ったら! えっへん。本日は歩行者天国ではないぞよ。
キュイーョ、イーョ!」
おまわりさんは、またひとつ、するどい警笛をならすと、そうがなりたてました。
すると、ツピン、ツピン、ツピン‥‥透きとおった日ざしの糸をつまびくような、かすかなコーラスがこうこたえました。
「だって、おまわりさん。しかたがないよ。」
「そうさしかたがないよ。」
みると、ちいさな小鳥たちが、豆つぶほどの銀のたて琴を手に手に、列をなしてならんでいるではありませんか。
それは、ヒガラの楽隊でありました。みな白い二本線のはいった灰色のセーラー服のそでさきにねこじゃらしのばちをかかげて、いっせいに、はるか南の地平線を指しました。
「おまわりさん。ほら、あそこをみてよ!」
青いお空をつき抜けて、とんがり帽子の山脈が、ながながとまぶしい雪のショールをはおって、そびえたっています。そのすそのに広がる、かすみがかった町のうえと、赤いお屋根の教会の丘との間を、いま、ポツンとひとつ、かわいらしいモヘヤ毛糸のお帽子みたいなわた雲が、漂っています。それは、すこしずつ、すこしずつ、光りをましながら、心地よさそうに風にふかれて、お空のまん中へむかっているのでした。
「あの雲をみて、おじさんなにか感じない?」
カノンとフーガは、これを聞くと、ふいになくのをやめて、おもわず身をのりだしました。ヒヨドリのおまわりさんも、とぼけたまんまるの目をいちだんとむいて、光のわた雲に見入りました。
カノンとフーガにとっては、なんとなく気になって、出窓にすわっては見あげている、あのいつもの見なれた、おいしそうなわたがしの雲でした。
でも、そういわれれば、いつにもまして、きょうはいちだんとまばゆい、真珠色の光をはなってみえます。
おまけにその雲間からは、たったいま ところどころ透きとおったひとすじの矢が、天からすべり落ちる虹の精にみちびかれて、すっと射しこんできたではありませんか。
そのはなつ音が、あちこちにこだまするように…。
楽隊の先頭に立つヒガラの隊長が、白く光るつやつやした頬をふくらまして、念をおすようにヒヨドリにむかってたずねました。
「あれをみて、きょうがどんなにわくわくする日かってこと、わからない?」
「なに? わくわくするとな。」
ヒヨドリのおまわりさんは、見ひらいた目をいっそう皿のようにむきだして、首をかしげました
「わくわくする日だって……」
窓辺のカノンとフーガも、おもわず顔を見合わせると、そのたいそう意味ありげの言葉を、くり返しました。
雲のうえで、天使のほうでもやっぱりこんなことを言っていたのを、みなさんはおぼえているかしら?
「それにぼくたち、時間がないんだ。」
ヒガラの隊長のすぐとなりにいた、坊やもすぐさま、そうさけびました。
ヒガラの楽隊たちは、めいめいクモの糸でできたたて琴のいとを、ツピンツピン、翼のさきではじいては、くちぐちにつぶやくようなかぼそい声で、なにかうったえています。 ヒガラたちのながい列にそって、琴の、無数のいとのつらなりが、カーテンのようにつづいています。そのいとの一本一本を、光のエレベーターがすばしこく上下にすべっているのがみえます。ときには青く、ときには赤味がかった金色に輝きながら、風にたわんでは消えていく、おねがいごとを、空にうたっているのです。
「ふむ。時間がないとな。つまりはあのわた雲が、どこかへ飛んで行っちまわんうちに、なにかしなければならんのだな?」
両手を後ろに組んだまま、ヒヨドリはかしこまったせきばらいをひとつ、してみせました。ヒガラたちはみな、ちからづよくこっくりをしました。
「おじさん、ぼくたちおもうの。きょうはきっと、〈なにかありそう〉なんだ。……そう、こんな天気の日にはね。そのときぼくらは、うたをかなでるのさ。〈そうしたい〉んだ! …… あのわた雲が、ちょうど丘のま上にくるのを待って、―― それはちょうどま昼で、お空のまん中なのだけどそのときを待って、―― いっせいに、ぼくたちはじめなくっちゃならないのさ。」
「丘のまわりで合奏を!」
「合奏を!」
そう、みんなは口ぐちに言いました。
ヒヨドリのおまわりさんは それをきくと、きゅうに交通整理なんてどうでもよくなりました。
「よろしい。それでは行っておいで。ただし川のむこうにカラスの軍団がたむろしているから、気をつけるように。キイ、イーオィ!」
「わかったよ。ありがとう、おまわりさん。」
ヒガラの楽隊はまた、めいめいねこじゃらしのばちをかかげて、いっせいにヒヨドリにあいさつしました。
それから隊長が、そのばちをたて琴にあてて、ポロロロン…、お空にのぼっていく合図の音を出しました。楽隊たちも、いっせいにポロロロン…。ねこじゃらしのばちがふれるたび、こんどはソーダ水ほどにほんのり青みがかった、銀色の注射液をツウ、とお空にむかってすべらせながら、琴のすだれは、いま、ふうわりと風をはらんで舞いあがりました。
ツピン、ツピン…ヒガラの楽隊は二列になって、宙を舞っていきます。すすき野原の波しぶきのむこう、ぽっかりと、まるで金の島のごとく浮かんでいる、チッポルの丘をめざして、そのむらがるかげは消えていきます。すすきの装飾音符の波がしらたちは、こがね色の手をざわざわ振って見おくっています。
ヒヨドリのおまわりさんも、ごくろうさんを言うように、こっくり、何度もうなづきながら、これを見おくりました。
もちろん、カノンとフーガも、じっとだまってこれを見おくりました。もう、ニャヤヤンのコーラスなんかすっかり忘れて、うっとりと、なごりおしそうに。
ジュリ、ジュリ、ジュリ‥‥。
おや? 窓辺まぢかで、まただれかがおしゃべりしているみたい。……と、すぐ目のまえにまではりだした、はだかんぼうのコブシの枝の一つ一つに、ろうそくの炎のような白いあかりが、ちらちらともってみえました。
白いともしびたちは、あちこち飛びうつりながら、しきりに何か相談ごとをしています。 カノンとフーガがよくよく目をこらしますと、それらのともしびたちが、ねずみ色のながい尾を、時計みたいにチクタク、振っているのがみえました。
それは、エナガの群れでした。みんな、まるでゼンマイじかけのおもちゃみたいに、枝から枝にぶるさがっては、休みなくからだを振っています。そのうち、群れのなかでも特別すばしこくて器用そうな二羽のエナガが飛びだすと、みんなをうながすように、さっそく仕事をはじめました。
二羽は左右にわかれ、遠い枝と枝とにはなれてとまったとおもうと、風になびくクモの糸を、どこからかたぐりよせては、じょうずによっています。ちょうど鉄棒するように、たがいに反対むきに枝さきをくるくる回るたび、糸はよじれていきました。
のこりのものたちも、元気に枝を跳ねわたると、みな手ぎわよく仕事にとりかかりました。コブシの幹にとりつけてあった、あわいもみの木色をしたふかふかのこぶを、みんなでゴトゴト、くちばしでうごかしはじめたのです。
それは、たまごのかたちをした、エナガの巣でした。このあわいかたまりのなかいっぱいにつめ込んだ、おふとんの羽根を、みんなしてつつき合っては、ひっぱりだしているのです。
カノンとフーガは、ふしぎそうに顔を見あわせました。だってなんだかもったいないのですもの。
「ピーヨ、イョ!」
とそこへ、あのけたたましい警笛をふいて、ヒヨドリのおまわりさんがやってきました。
「なにをしとおる! きみたち。」
ヒヨドリは木の手まえまでくると、空中の一点に停まったまま、翼だけはためかせて、エナガを呼びとめました。
「いったいそれを、どうするつもりかね?」
「ぼくたちの巣なんだから、どうしようとかってさ!」
「いま、いそいでるの。ぼくたち!」
エナガたちは、ジョイジョイ、ジュリジュリリ‥‥口ぐちにくちばしの中でぶつぶつ文句を言っています。が、仕事の手はすこしも休めません。
「なに。いそいでおるとな?」
ヒヨドリのおまわりさんが首をかしげてたずねますと、ひとり気のいいエナガが、きょろんとひとつ、まばたきをして、肩をすくめながら、みんなのかわりにこたえました。
「チェンバロをつくってかなでるのさ。天使の子にきかせるために。」
「天使だって?チェンバロだって?」
のどになにかつまったようなかなきり声で、ヒヨドリのおまわりさんはきき返しました。
「そう、チェンバロだよ。ピアノの、むかしのすがたをしたやつさ!」
「きょうは何かがおこりそうなんだ。おじさんだって、あのお空の光りかたをみて、なにか感じるでしょう?」
となりにいた、エナガの坊やも言いました。
ヒヨドリは、それをきいて、ふたたびあっけにとられたようすです。カノンとフーガも、またふたりして顔をみ合わせました。
そのうち、あらあら? エナガたちは、とうとうすっかり巣の中身をくりぬいて、しきつめてあった羽根を全部、ひっぱり出してしまいましたよ。と、そこへのっぽの一羽がやってきて、土の上へその羽根を順ぐり一列にならべると、ツンツンつついて、あっというまにわた毛を抜きとってしまいました。ふわふわの羽根はすっかりはだかんぼうの骨になり、ずらりとならんで光っています
「よし、たしかに八十八、あるぞ。」
隊長がくちばしで骨の数を確認しました。
「こっちもすっかり用意はいいぞ。」
クモのより糸のほうも、できあがったようです。
「ほう! こいつがその、チャンバラとかいう楽器かね?」
ヒヨドリが、さかんにまばたきをしてききました。
エナガたちは、より糸で、くるくると、それはじょうずに羽骨のくしを巻きつけていきます。
「これは、中の仕掛けさ。とっておきのね! こいつをつかってチェンバロのいとをかきならすんだ。」
「チェンバロのいとには、すすきの穂をつかうんだ。これからそれも八十八、あつめて、骨のくしにぴったりかみ合わせるのさ。おじさん、おねがいだからもうそこどいてよ!」
エナガたちはいそいでいます。ヒヨドリのおまわりさんは、風船でもしぼむように、すごすごモモの木の交番にひきかえすと、いつものように背中で手を組みながら、こちらのようすをうかがっています。
エナガたちは、いちもくさんに飛びたつと、トネリコの小川のふちのすすき野原へむかいました。からからに枯れたすすきの穂が、金の冠もおもたげに、いっせいに風になびいては、おいでおいでをしています。エナガの群れはまっすぐにすすきの波間におちてゆき、すっかりすがたを消してしまいました。……
あたりは静まりかえっています。ただすすきの手だけが、くるくるうず巻く指さきを、天にむかってさしのべながら、からだぢゅうの糸をほどいていくような、そんな手まねきのしぐさのまま、かみさまに時間を止められてしまった、というふうに、青いあおい空をみあげては、さらさらとすれ合ってたわんでいました。ときおりすすきの茎たちが、ふいの風にあおられるたび、こがね色にまばたきしながら、天のすべりだいを降りてくる、あんず色や、すみれ色した虹の精に、透きとおった背中をかしていました。
やがて、ほら…。エナガたちはうずまきのなかからひとつ、ふたつ、顔を出しはじめましたよ。そのうち、さっと群れを組んではばたきながら、空の一点めざしてのぼっていきます。すすきの穂も一列にならびます。
穂の列は、右から左へじゅんぐりに、せいたかのっぽになっていき、うつくしい三角形を宙に描いています。のこりの数羽が、そのうえから、象牙のくしの歯のように、ずらりと光る羽骨のしかけをくわえながら、ぴったりとかさなりました。さいごの一羽が、白いバレリーナそっくりに、空の舞台をくるくる回転しながら、クモのより糸を、そのかさなりにみるみるうちに巻きつけていったのです。
「ほう!‥‥」
遠くで首をながくして、このようすをじっと見つめていた、カノンもフーガも、ヒヨドリのおまわりさんも、みんなもう、ただためいきをつくばかりでした。
「これから森で、この楽器の入れものに、ちょうどいい巣箱を見つけに行くよ! よかったらききにきてね。ぼくらの演奏!」
遠くから、エナガの坊やが早口で空に向かってさえずりました。いったいだれにさけんでいるのでしょう?
そうして、みんなが宙を舞うたび、チェンバロのじゅうたんは空をはうように、ときにはミルク色に、ときには金色に輝きながら、何ともいえないかろやかな音をはじいているのがわかります。
シャロン、シャロン、ツピン。
小鳥たちの三角のうねりは、すすき野原の海を飛び越え、舟の帆みたいにはためきながら、南に浮かぶ金の島、チッポルの丘をめざしてみえなくなりました。
お空の上にはいつのまに、たったいま消えたばかりの、三角のうねりとそっくりの、長いすじ雲がたなびいています。ちょうど天使が、かぎ針でお空をひっかいたあとみたいな、かすかな糸を高くひきながら。
ヒヨドリのおまわりさんは、モモの木交番にこしかけたまま、ぼんやりとお空を見上げています カノンとフーガも、まあるい背中をもちあげて、ほっとひとつ、ため息をつくと、あとはもう、ただ夢みるようにぼんやりと、やっぱりお空をながめているのでした。
さて…。そのあと、お空の横断歩道は、しだいに忙しさをましてきましたよ。おまわりさんは、ぼやぼやしている場合ではありません。ほら! もうやってきました。
「ギィーーチ、ギチ、ギチ、ギチ‥‥」
もうれつな歯ぎしりをまくしたてて、いまいましげな一羽の鳥かげが、すうっとすすきの波間におちて行きました。さっきエナガたちがしたように。でも、もっとずっと、せっかちに。
やがて姿をあらわしたとき、くわえていたのは、細長いすすきの葉っぱでした。なんでも、ほどけたリボンのように、くるくるクレープを巻いています。よくみるとその曲線は、なんと4分の4拍子をかたどっているではありませんか。
ζδξλκγλ
拍子記号をくわえているのは、指揮者のモズ先生でした。
「かんじんのわしを、おいていくとは! なんてやつらだ。だいたい何分の何拍子か、わかっとるのかね? まったく!」
そう、ギチギチ、文句を言っているんです。
モズ先生は、さも不機嫌そうに、チャッ、チャッ、って舌打ちしながらも、拍子の花文字をおっことさぬよう、空たかくかかげると、長い燕尾服の尾をふりふり、拍子をとって、小鳥たちの楽隊のあとを追いかけていきました。
「先生! 待ってくださあい、ギィーッ。」
きしんだ木のドアをこじ開けるような、おかしな声をあげながら、あわててこれを追いかけるのは、キツツキのコゲラでした。きっと丘の原っぱで、楽隊のかなでる合奏に合わせ、すみっこの高い木の幹にとまって拍子とりをするよう、モズ先生に命令されたにきまっています。
「ギィ、ギギギギギィ‥‥‥」
むりやり木ねじを回すみたいな連続音をだしながら、白と黒、まだらの羽根をぱたぱたさせて、コゲラの弟子は飛んでいきました。
「おっほん。」
ヒヨドリのおまわりさんは、苦手なモズ先生と、気の毒なコゲラの弟子を見おくりますと、右をみて、左をみて、かしこまったせきばらいをひとつすると、またいつものように背中で手を組み、お空の視察をはじめました。
* * *
さて、ここは高いたか~い雲のうえ。
丘のま上で、つり糸をピクピクふるわせながら、天使のパドは、さっきからしきりにはしゃいでいます。
なぜって、けさはいったいどうしたことでしょう? 小鳥たちが、ふしぎとざわめきだって、合図をかわしあいながら、めいめい、すてきな音色をした、手づくりの楽器をたずさえては、なにやら相談ごとをしているのですもの。それもときおり、パドののっている、このざぶとんの雲のほうを、見あげたり、指さしたりしながら!
そして、そのたびパドのつり糸は、ピクピク、ツンツン、ふるえるのです。うれしさにこ踊りする、パドのこころそのもののように。
どうやら小鳥たちは、今日のこのご機嫌なパドの気配を、ちゃんと感じとっているようです。
そうしてパドのつり糸も、そしてもちろんパド自身も、小鳥たちの空をみあげる、なんともいえないときめきの気持を、からだじゅうに感じとっているのです…。
「うれしいなあ。お空と地上の間は、やっぱりこうでなくっちゃね。」
天使のパドは、足をぱたぱたさせて、そう言いました。それからまゆ毛をぴくりともたげると、つり糸がピクピク、いっそうはげしくふるえはじめました。そうして、やがてゆっくりと、大きならせんをひとりでに描きはじめたではありませんか…。
ぐる~ん、ぐるん。それはもう、宙いっぱいにひろがるよう。
らせんはちょうど、チッポルの丘を中心に、ゆうだいな弧を描きながら、森の木立や、小川のふちや、それにカデシさんのお家の庭の植木のまわりまで、すっかり巻きこむように、回りはじめました。すると、それぞれの場所でいそがしく動きまわっていた小鳥たちが、パドののった雲のほうを向いて、ちいさな翼をいっそううちふるわせて、なにかおしゃべりしたとおもうと、やがてつぎつぎと飛びたちはじめました。
まるで、つり糸にみちびかれるように、あっちからもこっちからも、小鳥たちの群れは浮かび上がると、丘のうえ、パドのつり糸が描いているらせんの軸をめざして集まってきます。
それとともに、あたりにちらばっていた雲までもが、らせんを描いてまわるパドのつり糸にひき込まれるように、すこしずつ、すこしずつ、近づきはじめました。そう、もうじきおひさまとひとつに重なろうとしている、このざぶとんの雲に向かって、です。
ヒツジ雲、かぎ針のひっかいたすじ雲、巻き雲たちが、だんだんとお空のまんなかへ集まっています。うっすらとミルク色した膜(まく)を、おひさまとパドの雲のまわりに、かけはじめました。
でも、それにもまして、小鳥たちは、なにか約束の時間にでもあわせるかのように、たいそうせきこんだようすで、近づいてきます。ふしぎな力にますますすいよせられて、集まってくるようにみえます。
そうなのです、小鳥たちはまぎれもなく、丘をめがけて飛んでくるのです。パドの大好きな、チッポルの丘へ。この雲のま下へ…。
「そうさ! 小鳥たちのこころは、ぼくのこころ。ぼくのこころは、小鳥たちのこころ。手にとるように、ぼくにはわかるよ。うきうきわくわく、もうどきどきさ!」
天使のパドは、そう言ってはしゃぎました。
ひさしぶりに、天使のこころが、地上にとどいた気がします。お空の上と下とが、ぴったりとひとつにつながりはじめた気がします。いっぱいにあふれる青い光が、お空の上の気持を下に、お空の下の気持を上に、じかに伝えてくれている。なんだかそういう気がします。
パドは、知らぬ間にらせんにつり糸をふりまわしていたその手をとめぬよう、気をつけながら、つりざおをしっかり持ちなおすと、くるりん、くるりん。こんどは丘のちょうどま上で、空中旋回させました。それも、すこしずつ、すこしずつ、つり糸を空のほうへと引き上げるように。かわいらしいふしのついた、口笛をひゅう、とならしながら。
その瞬間、おひさまがきらりと輝いて、パドの雲ととうとうひとつに重なりあおうとしていました。そうして、ちょうどおひさまの姿を映しだす、白いスクリーンとなりながら、ざぶとんの雲はうっすらと淡くにじんだ、七色の光の環を、おひさまのまわりにかけはじめたのです。そう、虹のあかんぼうの誕生です。
「さあ、いくぞ!」
天使のパドは、これを合図にさけびました。そして、おひさまめがけて光の網をとき放ち、地上いっぱいにかけおろしたのです。トゥララ、トゥララ……。おとくいの鼻歌をうたいながら。
天の光の網は、噴水みたいに丘をめがけてふりそそぐと、かがやく虹の糸となって、原っぱいっぱいにひろがり落ちていきました。
と、いつしかそのなかの数本の糸が、きれいな列をなしながら、やんわりと宙を舞いはじめようとしていました…。
森のほうへと、日ざしにすけるふしぎなこだまが流れています。
と、もうつぎの瞬間、パドはつり糸をつたってすべり降りはじめていたのです!。ぐる~んぐるん、空いっぱいにらせんを描き、地上へ、地上へと……
* * *
そのころ、窓辺のカノンとフーガは、ちょうどいま、お仕事を終えたばかりのカデシさんに、朝ごはんをもらって一息ついたところです。時計は十一時をまわっていました。
あんまりいっしょけんめいお外をみていたものですから、カノンもフーガも、食事のことなどすっかりわすれていました。めずらしいこともあるものです。
窓辺をはなれ、お台所へ行くと、コンビーフに、とりのささみをぺろりとたいらげたあと、ふたたび窓辺にもどりながら、カノンとフーガはこんなことを話し合っていました。
「ねえ、あたちたち、小鳥たちがこんなおしゃべりをいつもしてたこと、ちいっとも知らなかったね!」
「ほんとね、フーガ。でもあれは、いつもなのかしら。そうじゃないと思うわ。いつもとちがう言葉をしゃべってるように、聞こえたわ。いつも聞こえない音まで聞こえたし。いつも見えない光も、見えた気がした。小鳥たちの言うように、やっぱりきょうは、きっとなにか特別な日なんだわ?」
さて、ようやく一息ついたカノンとフーガの出窓劇場へ、お次に登場してきたのは、カワラヒワの一家でした。
「チュイン、チュイン、チュビーー」
そでの黄色いカフスをきらりとおしゃれにひらめかせ、ひとりひとりまた何やら、かわった楽器を肩にかけ、お庭の舞台へあらわれました。どうやらこんどは木琴のようです。上下二列にパルプの円筒がならんでいる、アシナガバチの古い巣は、ドングリの実のばちでたたく木琴にはうってつけでした。みな、手に手にドングリのばちを二本づつ、かかげていますが、ひとりちいさな坊やだけは、一本だけしか持っていません。
「ぼくも、ぼくも‥‥。」
ちいさなヒワは、べそをかきながら、おかあさんの後をくっついています。
どうやらなくしてしまったようですね。きっとあたらしいばちを、お庭にさがしに降りたのでしょう。
「コロロ、コロロ。キリ、コロロ。」
木琴は、ちょうどカワラヒワが夏のあいだに鳴きかわす、ころがるようなうつくしい声とそっくりの、まろやかな音色でひびきます。
「ピーヨイョ、イョ! あんたがたも、なにかね? 本日がなにかこう、特別の日という、予感ですかね?」
すこしもったいをつけて、ヒヨドリのおまわりさんは呼びとめました。
「ええ、きっとまぁ、そんなところですわ」
カワラヒワのおくさんが、うなづきます。
「わたくしたち、なにかどうしようもなく、さそわれる気がして。何かに呼びかけたくなるんですの。こんなお天気の日には。」
「だっておじさん!」と、こんどはカワラヒワの兄さんもいいました。
「あんなにかわいらしい七色を映した雲が、いつもよりずっとご機嫌そうに、ああして浮かんでいるんだもの。なんだか、虹の子でもかくしたみたいな、特別な光をばらまいて、ぽっかりとさ!」
「なるほど。‥‥そう言われれば、そうですな?」
ヒヨドリは、針山みたいなしらがあたまをこつこつふって、うなづきました。
カノンとフーガも、窓辺の席でこっくり、こっくり、うなづきました。
「あの雲ときたら、まるで光の天使のための、ふかふかのざぶとんみたいですわ。」
おくさんはうっとりといいました。
「えっへん。それによおく、ごらんなさい。おまわりさんよ! ほら、あちらを。」
でっぷりと太ったカワラヒワが、いげんたっぷりに、こんどはすこし西の空たかく、指さしました。それはさっきのエナガの群れが消えたあと、お空にうっすら尾をひいていた、かぎ針でひっかいたようなあのすじ雲でした。
でもいつのまに、さっきよりずっとふかふかしてふとってみえます。
「あれらはまるで、われわれの合奏をまねいているようではありませんかな? どうです、あれを見て、どう思いますね?」
カワラヒワのだんなは、黒いパイプをぷかぷかふかしながら、ヒヨドリにたずねました。
「ふむ、はて。なんだか魚の骨にみえますな!」
ヒヨドリは、とぼけた目をしろくろさせて、すっとんきょうな返事をかえしています。カノンとフーガは、くすくすわらいました。
「ほう!あなたには、あれが魚の骨にみえますかな。」
カワラヒワのだんなは、パイプをいっそうはげしくぷかぷかしながら、たいそうおどろいたようすで、そう言いました。が、そう言われれば、たしかに箒ではいたようなすじのなごりのまん中をよこぎるように、うっすらと、一本の線路がつらぬいてみえます。ヒヨドリには、それが魚の背骨に、うつったのでしょう。
「いやあ、われわれには、まるで木琴の板のように、みえてならんのです。われわれのかなでるうつくしい音楽をまねるように、ですぞ! うぉっほん。もっとも、あれはまもなく、もっと太って、ばらばらに散って、空の牧場にあそぶ、ヒツジたちの群れにかわるでしょうな。そして、われわれの演奏のあとをついてくるにちがいありませんぞ。うぉっほっほ。」
太ったカワラヒワは、ひとりでうなづきながら、たっぷりした声でそう言いました。
「とうちゃん、みっけた! ぼくのばち。」
坊やが、ドングリの実をくちばしにくわえてやってきました。首をふりおろしてパルプの行列にたたきつけますと、
「キュルリ、ズィン‥‥コロコロロ‥‥」まろやかなかわいた音が、あたりにばらまかれました。
「おお、これはよい。」
カワラヒワのだんなは目をほそめ、たいへん満足げにうなづいてから、ごじまんのそでのカフスをひらめかせ、遠い丘を指さしました。
「では、わしらはこれで。」
太っただんなは胸をはり、おなかもはって、自信たっぷりにえしゃくをすると、木琴をかついでさっさと空へ舞いたちました。ほかのカワラヒワたちも、あわてて後につづきます。
「ごきげんよろしゅう。」
カワラヒワのおくさんも、ていねいにおじぎをすると、さいごについて飛びたちました。
「コロコロロ、キリコロロ、ズィンズィンコロロ、キリコロロ‥」
こうしてやはり、すすきの装飾音符の波をこえ、ラムネ色のスタッカートの水しぶきをこえ、小川づたいにつらなっていく、トネリコ並木の八連音符をはるかにこえて、南の丘のフェルマータへとみるみる消えていきました。……
さて、そのころ森かげにたむろしていたカラスの群れも、これを見おくっていました。
「なんじゃ、きょうは? つぎからつぎと、行ったり来たり。」
みなでなにやら顔を見合わしています。
「おい、子分、川むこうでなんかありそうじゃあねえか?」
「おもしろそうですぜ、親分! やつら、みんな手に手に、なんかしら持っていきやすぜ!」
「わしらもちょいと行ってみましょうや。」
カラスの軍団は、色々相談しあってから、いよいよそろって頭を低くして、みな畑のはしをつぎつぎに助走しはじめました。そして、
「カワー、カワー」
しばらく鳴きかわして、河原のうえを何度か空中旋回したかとおもうと、あぶらぎった黒い翼をばたつかせながら、やがて川むこうの丘をかこんだブナ林の方へ、小鳥たちの群れのあとを追うように、飛んで行きました。
カラスのご一行さまをお迎えして、地平線では双児のケヤキの兄弟が、空の木目のうえにまっ黒なシルエットを彫り込んでいました。ちょうど歓迎の花火の、パッとひらいた瞬間のように、放射状の枝の影絵を空に放って迎えています。
「おっと。なんじゃ、あれは! 不気味な。‥‥いったいどうしようと言うんじゃ、やつら?」
ヒヨドリのおまわりさんは、カラス軍団の消えて行く空を見上げて、つぶやきました。
「こうしちゃおれんわい。いまこそ、仕事じゃ、仕事らしい仕事じゃ!」
もっともらしい理由を自分に言いきかせて、ヒヨドリはなっとくすると、むしゃぶるいしながら飛びたちました。
「キイーョ、イョィ」
あいかわらずけたたましい笛をふきながら、ヒヨドリはいそいで後について行きました。
さあ、これを見ていた子ネコのカノンとフーガは、どんな気持がしたでしょう?
カノンはフーガを、フーガはカノンを、うったえるような目でみつめました。そして、つぎの瞬間には、扉のすきまをすべり抜け、それはもういきおいよく、ふたりはオレンジ屋根のおうちを飛び出していたのです。子ネコの姉妹は、二発の鉄砲玉のように、猛スピードで庭をかけ抜けて行きました。
ピチャン、ピチャン、さわ岸をわたり、せいたかのっぽのすすきのハープをポロロン、ポロロンとおり抜け、いじわるなトゲだらけのイバラの迷路もくぐり抜け、フジの蔓べのブランコも、ヤマブドウが編んだ帆ばしらも、マストの網も、なわばしごも、ぐんぐんぐんぐん、とおり抜け……。
そうです、いつもは、危ないからふたりだけで行っちゃいけないよって言われている、こわい場所をいくつもいくつも、すり抜けて、カノンとフーガは、丘へ丘へと走って行きました。
いつも窓辺で、ガラス越しに見ていた丘。ときどきコンペイトウのお星さまを、塔のてっぺんでまたたかせている、赤い帽子の教会をのせた、なだらかな丘。お昼になると、おひさまのま下で、まっすぐに降りてくる光の帯を、ひとり占めしてなごんでいる丘へね。
***
どれくらい走りつづけたでしょう?
カノンとフーガは、ようやくやぶを抜け、はだかんぼうのブナ林を抜けて、ひろいひろい原っぱにかこまれた、まばゆい丘のふもとにやってきました。
おひさまのスポットを浴びて立つ丘を、ぐるりとりまいているこの原っぱは、ちょうど円形劇場のように、ブナの林にまんまるにくりぬかれて、のどかな山すその土地にひろがっています。
原っぱには、かぼそい金のおひげが、びっしり生えわたっています。すっかりわた毛をおとした枯れ草の波は、目にみえない風の手のひらに背中を押され、じゅんぐりにしゃがんだり、立ちあがったりしながら、ざわめきたっています。
丘のてっぺんには、赤いお屋根の教会が、古いろうそく色の壁のところどころに、からからに枯れたツタの蔓べを、くねくねと何本もま横に走らせながら、まっ黒いお口をぽかんとあけて、いつまでもあくびをしたまま、ひなたぼっこしています。あかるい、あおい光をぞんぶんに浴びて!
ちょうどいつもの、窓辺にたたずむカノンとフーガそっくりにね。
ふたりの子ネコは、これをみて、すっかりうれしくなりました。
それにしても、いったい何羽の小鳥たちが、この広場にあつまってきたことでしょう?
カノンとフーガは、イワガラミの蔓べのからんださじき席にそっとしゃがみこむと、原っぱのまあるい舞台のすそに、せいぞろいしている楽隊のみんなのようすを、こっそりうかがいはじめました。
たて琴を持った、ヒガラの楽隊がならんでいます。 ちょうどカノンとフーガの席のまん前で、あいかわらずたよりなげのかすかな声でおしゃべりしています。すすきのたて琴の糸たちが、それにあわせてささやくように、風にたわんで揺れています。
すぐちかくには、エナガたちもみえます。三角形のオルゴールみたいな、とっておきの巣箱がどうやらみつかったようです。
「りっぱなチェンバロになったわね!」
カノンがこうふんして、長いシッポを小刻みにふるわせながら、ささやきました。
「ほんとほんと! ねえね、カノンちゃんあれなあに? となりの、ちっちゃい小鳥たち!」
フーガもおもわずわめきたて、カノンにシーッ、とお口をふさがれました。
そう。まだ見なかった小鳥の群れもいます。ちょうどヒガラとエナガのあいだにはさまれて、よく似たちいさな群れのかげが、せわしげに、ちらちら動いています。
それは、コガラの群れでした。もうじきむかえるクリスマスにはふさわしい、カリヨンを手に手に、モミの木の切りかぶのお椅子を、フィチチー、フィチチーとさえずりながら、上がり下りしています。そのたび、かぼそい枝の階段でできた、ヌカキビの枯れ草のカリヨンが、そっとふるえながら、いくつもつりさがった鈴の音をツリンツリン、いわせるのでした。
そのほか、ユキヤナギのたわんだ弓でヴァイオリンを弾くカシラダカや、としとったユリの木のまん中にあいた巣穴にはいりこんで、入口にはやぶからひいた巻きヅルの糸をはりつめ、コントラバスにしたてては、ボンボンボン、ふといくちばしでつまびく、シメの夫婦もみえました。
はて、モズ先生は、どこでしょう?
やあ、いました、いました。双つにわれた、タラの木のとまり木のうえです。まあるいオーケストラボックスをやぶにらみして、あいかわらずいまいましげに、燕尾服の尾をふりふり、主役のピッコロ奏者、イカルの到着を待っています。とまり木の柱のトゲには、さっきのうつくしい4分の4拍子のクレープがささっています。
ギーチギチギチ‥‥、モズ先生は、歯ぎしりをして、シッポのタクトをコツコツ、とまり木にたたいていいました。
「だれか、イカルどもに連絡をつけられるものは、おらんのか?」
「さっきハシバミの梢のうえで会いました。いい音をだすのに、はらごしらえをしていくとかって。」
だれかが言いました。
「はっははー。そのかわりは、おれたちじゃダメなのかい?」
ふいに、どこかから、するどいダミ声がしました。
と、どうでしょう? しげみのむこうでこっそりと見物していたカラスたちが、とつぜん円形広場にしゃしゃりでてきました。
「いったい何をはじめる気かしれんが、もしお空の天使さまをよろこばそうなぞと言う集まりなら、ばかばかしいてなもんだぜ!」
カラスの親分がいいました。
「チッ!」
モズ先生は舌打ちしました。
カラスたちは口々につづけました。
「だいたいな、お空にむかっておくりものをするというなら、だれか犠牲者(ぎせいしゃ)をたてて、そいつをまつりあげないでどうするんだ、え?」
親分がいいますと、
「そうだそうだ。〈いけにえ〉を出さない天へのおくりものなんて、あるもんか!」
子分のカラスもいいました。
草陰から、このようすをみていたカノンとフーガは、おもわず顔を見あわせました。
「イケニエって?」
フーガがそっとたずねました。
「よくわからないけど、だれかが死んで、お空のささげものにされるってことじゃないかしら?」
カノンが不安そうにいいました。
「そんなことおかしいよ、フィチチー!」
ふと、一羽のちいさいエナガが、長い尾っぽをふるわせてカラスたちの群れに近づくと、ゆうかんにこういいました。
「ぼくたちの音楽会は、それだけで、お空へのいいおくりものなんだ」
「そうだよ。それだけでじゅうぶんよろこんでもらえるんだ!」コガラもまけずにいいました。
「そうざます。だいたいね、いけにえを出すというなら、あんたたちが、すすんでそれになればいいじゃないの!」
カワラヒワのおくさんが黄色い胸をはり、すごいけんまくでけしかけました。
カラスたちは、いっせいにギョッとしました。
「おう、そうそう。そうじゃ。だれかが、とは言わんで、自分たちがなればいい!」
モズ先生もギチギチまくしたてました。
「どうぞ、いい出しっぺがなさるいい! 自分たちがなれないんなら、それをひとに代わりにさせては、いかんですな」
ふとったカワラヒワのだんなもせき払いをしながら胸をたたいていいました。
「ちぇっ。おい、行くぜ」
カラスたちはしぶしぶ、きびすを返すと、すごすごと退散しはじめました。そうして、カワーカワーと鳴き交わしながら、遠くのしげみへと姿を消していきました。
「ふぅ…やれやれ。」
モズ先生はため息をついて、ひとまずシッポのタクトをちいさく振りました。みんなもほっと一息ついて、もとの位置へともどりました。
「それにしても、何をしとるんじゃ。イカルたちときたら、到着がおそいな…」
こう言って、モズ先生はふたたび空を見あげました。みんなもやきもき、空を見あげました。
おひさまは、まもなく丘のま上にさしかかろうとしています。空のまん中めがけて、西から東へいろんな雲が、たなびいてはおしよせてきています。かぎ針の引っかいたすじ雲、ヒツジ雲、卵を投げつけたような巻雲だのが、ほうぼうからうっすらとミルク色の膜を、おひさまのまわりにかけはじめています。その照明効果(しょうめいこうか)のために、原っぱの円形舞台は、こころなしかほの青く、すっ‥とあかりを落として、開演(かいえん)にはもってこいのしたくが、もうすっかりととのっていました。
さて、おひさまにかかったミルク色の膜のまん中には、いよいよあの、天使の雲のざぶとんが、ゆっくりゆっくり近づいてきます。
そうです。この丘のちょうどま上に……。
カノンとフーガは、胸がどきどきなりました。
モズ先生は、ついにしびれをきらして、(いえ、十分待ってから、と言っておきましょう)翼をひろげ、シッポのタクトを振りおろしました。
たて琴の前奏がポロロロン…。さいしょの音のヴェールをふりほどきます。
と、その時です、イカルたちの笛の音が聞こえてきたのは。
たて琴の音にさそわれて、はじけるようなピッコロの音が、たからかに鳴りひびきました。空から放たれた矢が、地上めがけてふりそそぐよう。まるであかちゃんのわらい声そっくりに、ピッコロの音は、入口のシラカバの柱の廊下にこだましたとおもうと、たちまち林ぢゅうにひびきわたりました……
すると、これを合図に他の小鳥たちの楽隊が、めいめいの楽器をかきならしはじめました。小鳥たちのオーケストラは、ざわめきたち、うちふるえるようなアンサンブル。かすかな音色が、幾重にも折りかさなっては透きとおったハーモニーをかなでます。
カノンとフーガは感激して、お空の青い円天井をあおぎました。
ミルク色の膜はいつしか透けて、おひさまはいま、ようやくあの、天使のざぶとんとぴったりひとつに重なり合い、姿を隠していくところでした。七つに色わかれした虹の輪っかが、天使のざぶとんをうっすらとかこみはじめます。とたちまち、まるで銀のパラソルをひらいたように、光の網がぱっと、空いっぱいに放たれたではありませんか。
(天使の投げる、光の網だ……。)
かさなる音のさざ波のなかで、みんなはひそかに、そうおもいました。天使のわた雲を透かして何本もの虹の糸が丘をめがけて降ってきます。そのまん中を、おひさま自身のほのかな影が、ちょうど白熱電球のあかりのように映しだされていました。雲にそっと、真珠色の襟のふちどりをプレゼントしながら。
シャロン、シャロン、ツピン‥‥。
さあ、おつぎの主役はエナガたちのチェンバロです。なんて清らな、澄んだ音色でしょう! 遠いむかしからかわることなく、ひとりでに刻まれていく、音のはた織りのようです。
と、これを追って、みんながそれぞれの楽器をかかげ、ふたたびこのあとにつづくフレーズを、あちこちでかなではじめました。
こうして音のはた織り機は、たおやかな幾本もの織り糸をかさねながら、天にむかって音の織物を送りだしていくのでした。
おや、あれはなんでしょう? いつのまに、丘のうえをすじ雲の五線譜がたなびきはじめているではありませんか。クモ糸でできた五線譜は、かぼそい雲になってあたりいちめんに漂いながら、原っぱのうえを流れていきます。
楽器をもたぬ小鳥たちも、みな飛び立って宙を舞い、原っぱのまわりの木の実や草のリボンたちも、みないっせいに舞い躍っては、光りかがやく五線の糸にすい込まれていきます。
ヤマブドウの蔓が巻きつけたト音記号が舞いあがり、三本のはたおびをひく、すすきの穂の装飾線がひるがえり、エビヅルの巻きひげの、フォルテのカギがぶらさがり、コメガヤの穂のフラットがひっかかり、しては、ふき抜けの空をのぼっていきます。
四分音符のヤマウルシの実は、テントウムシの符点をおんぶして。黒い和音をぶらさげたマツブサの実も、八連音符のズミの実も、みんなそろって列をなします。
あっ、そういえば、四分休符はどうしましょう? 四分休符を用意するのを、わすれました! 指揮者のモズ先生は、ぎくしゃくタクトを振りつづけながら、しまった、と心のなかで思いました。
と、どうでしょう? しげみのむこうにまだ姿をかくしたまま、ひやかし半分に見物していたカラスたちが、とつぜんこの空中芸にくわわり出しました。
黒い翼をはためかせ、クモ糸の五線譜に近づくと、大きなくちばしをぱっくり開けて、なんとそこから、しなびたコウモリの死骸をぺっぺっぺっ、いくつもはき出して行ったではありませんか!
片いっぽうの羽根だけを曲げのばしたままのかっこうで、すっかりひあがっているコウモリのミイラたちは、みな五線のなかほどでぶらぶらひっかかりました。
モズは一瞬ぎょっとして、その奇怪なおくりものをにらんでいましたが、それがふしぎとクモ糸の五線譜のなかで、うまいぐあいに四分休符のやくめをはたしているのがわかりますと、(やれやれ、助かったわい。‥‥)と、ほっと胸をなでおろしました。
「な、なんたる。いやいや、こうしてはおれんぞ、わしだって!」
はてさて、これを見ていたヒヨドリのおまわりさんは、いてもたってもいられなくなりました。もう〈職務〉のことなど(そんなものが、はじめからあったかどうかもわかりませんが)すっかり忘れて、にぎやかな音の響きのなかへ、そそくさと入りこんでいきますと、五線の糸のてっぺんに、ところどころ、なにかをのせていきましたよ。それはゆっくりと糸のうえをはっています。……ヒヨドリがおいていったのは、なんとシャクトリムシのトリルでした。
「ふん、でしゃばりめ。」
指揮者のモズは、思わずむっとしましたが、それでもそこを演奏する小鳥たちは、たちまちたのしげに音をふるわせたり、ころがしたりして、じょうずに弾き方をかえましたので、音楽はかえって生き生きとしました。
「ううむ。」
モズ先生はちょっぴりくやしそうに息をのんで、何ごともなかったように指揮をつづけました。
そのうち、音楽はいよいよクライマックスをむかえました。モズ先生は、いつの間に調子づいて楽団にいろんな要求をしていました。
「くそ、流れるようにというのが、わからんかな! どうも音をブツブツ切りやがる。なめらかに、レガート、レガート!」
すると、どうでしょう? 小川の岸辺で、そっとこのようすをうかがっていた一羽のセキレイがとうとうみのもからさっとおどり出ました。
スイスイ、スゥーィ。セキレイは、じつにすべらかな波形をえがいて宙を切り、軽々とバウンドしながら空の五線譜を、わたっていきます。あっというまに、みごとなスラーが音符と音符をつなぎます。
合奏は、たちまちしっとりと、水のながれのしなやかさを帯びました。
「そうじゃ、そうじゃ、そのとおり。」
モズ先生がうなづきます。
「う~ん、とってもすてき。」
カノンとフーガはいつしか目をつむりました。夢を見ているようでしたもの。……
さいごの和音がふんわり宙に消えたとき、ふたりはようやく目をあけました。
小鳥たちはみな、おおきな渦を巻きながら、すい込まれるけむりのようにたちのぼり、お空のまん中へ、みるみる姿を消して行きます。‥‥おひさまの、あの光の網のなかへと。
地上にいた、楽隊の群れも、指揮者も、みんないつのまにか消え去って、あたりはきゅうにしんと静まりかえっていました。
カノンとフーガはきょとんとして、まわりを見わたしました。さわのせせらぎの音が、林のむこうでおしゃべりするだけです。
「ニャワーン。いま見てたこと、聞いてたこと、みんな夢だったのかな?」
フーガが、半分ひとりごとのように呟きました。
「グルワーン。ふしぎな出来事だったわ。」
カノンがのどをならしていいました。……その時です。
ガラ~ン、ガラ~ン。
教会の鐘が鳴りひびきました。なにかの終わりを告げるように。風によじれて、鐘の音は大きく、小さく、なりながら、なんだかお礼を言うみたいに、とってもうれしそうに丘をかけ降りては、村いっぱいにひろがって、やがて消えていきました。……
ふたりは、またふと、お空を見あげました。
さっき小鳥たちが消えていった空に、あのほの白く光るはだか電球のおひさまと、ついさっきまでぴったりとかさなり合っていた、ちいさいわた雲の姿がみえます。
おひさまのまあるい影を半分ほど、しっぽにうつしながら、だんだんとはなれていった、天使のざぶとんと呼ばれるそのわた雲は、いつのまにおなかの下から、ツゥ、と一本のらせんのすじを、降ろしているではありませんか。すじは、先へいくほどけむりのようにほそくなって、消えています。そのま下には、このチッポルの丘が、原っぱの舞台のまんなかに、かつてないほどくっきりとおひさまの光を一身に浴びて、照らし出されているのです。
塔の十字架は、なんだかとってもうれしそう。お話したげに、きらきら、ツンツン、またたいてみえます。なにかの合図のように。
カノンとフーガは、さっきまでの出来事が、ほんとでも夢でも、どっちでもいいなって、思いました。それはどっちも、きっとひとつのことでしたもの。
(ああ、これでいい気持で、ゆっくりお昼寝できる。)って、ふたりはそう思いながら、ノンノンノン。おうちへの帰り道をたどって行きました。カノンはうちまたで、おしりをもちゃげ、ゆうらゆら。フーガはフーガでカチャンコ、カチャンコ。ぜんまいじかけの、小走りに。
ふたりともシッポをつんと、お空へむかってたてながらね。
そう、ちょうどだれかさんに、空から糸でつられているみたいに…。
* * *
さてみなさん。じつはね、これと同じころ、丘の反対がわの原っぱでは、もうひとつの出来事が起こっていたのですって。‥‥
それは、こういうことでした。
ひとりの少年が、枯れ草のうえにねそべりながら、このかすかな、気のせいのような小鳥たちのしらべの出来事を、夢ごこちに聞いていました。そしてそれを吸いとったおひさまと、ちいさいわた雲の重なり合った瞬間を、まぶたの裏であじわっていたのですって。
じつはその時ふと、少年の口をついて出た言葉が、教会の鐘と重なりながら、詩になって、小鳥たちのしらべのあとを追うように、村ぢゅうに響いて行ったのです。天使のうた声そっくりに。
そんな風のささやきに、カノンとフーガはすこしも気づきませんでした。ましてやもうじき、自分たちが、この少年と知り合うことなどは、知るよしもありません。
さて、少年の口ずさんだ詩は、こんなものでした。
トゥララ、トゥララ、 ぼくは天使
いつもきみと いっしょさ
トゥララ、トゥララ ぼくは天使
ここかしこに ただよう
天の扉あけましょう
光の糸たらしましょう
ひつじたちは おどるおどる
小鳥たちは うたうよ
光のうたをまきましょう
光の帯をほしましょう
気のせいじゃない ほんとさ
ぼくはいるんだ きみの目のうら
トゥララ、トゥララ‥‥
少年は、なにやらふと口をついて出た、ひとりごとめいた詩を、このときそっとつぶやきましたっけ。……昔から、このあたりを流れていた、なつかしいうたを想い出したようなすがすがしさで。
さいごに、もうひとつだけ。
教会の白い壁のすみに、どこかみなれた娘さんが立っています。壁をはいつくばっている、枯れたツタの蔓べを前に、いろんなかざりつけをしています。
いえいえ、じつはツタの蔓べを五線譜にして、宿題の音楽をとうとう、作りあげたのでした。もみがらやら、木の実やら、枯れ草の巻ヅルなんか、ぶらさげてね。すすきのクレープの四分の四拍子を、空たかくふりあげながら。
娘さんは、原っぱの小鳥たちのさえずりをききながらも、頭のなかでさかんに鳴り響いている音楽を、ついさっきまで、楽譜にするのにいっしょけんめいでした。
教会の塔のてっぺんが、ふいにきらきら輝いたとき、娘さんは丘のうえからこうさけびました。
「ほら、できたわ! おひさま、雲さん。あんたにあげる。とうとう生まれたわ! 宿題だけど、ステキな音楽。あたしがつくったのよ!」ってね。
* * *
空をめがけて、らせん状にたちのぼる虹の糸がそっと宙をわたり、村じゅうに響きわたる、教会の鐘の音が、おおきくおおきく手をふりながら、何度もお礼を告げていました。
そのなかを、かわいらしいふたりの子ねこたちの、ノンノンノン、なかよくならんでお家へ帰る姿が、ゆっくりと原っぱを通り抜けていきました。子ねこたちのシッポは、ときおりうれしそうに、ツンツン、っておどりあがっていました。まるでお空の雲の上から、つられているみたいにね。まあもちろん、気づかれない程度に、そおっとですけれど。
それから、すこし間をおいて、ひとりの娘さんが、ふたりの子ねこのたどったのと、まったく同じ道のりを、やっぱりノンノンノン、スキップしながら、たどって帰って行くのが見えました。
その晩、村にみぞれが降りました。
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