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ディープステート傀儡政権日本の過去――FACEBOOK 過去記事から(2014年朝日新聞 作家高村薫氏の言説に寄せて、皆で討議)


朝日新聞? 2014/06/23 安倍政権下の集団的自衛権をめぐる話

この記事の、高村氏の 以下の論点について――

「何が得なのかを合理的に考えると、結論は『戦争をしない』。一千兆円の借金を抱える日本に戦争ができますか。」

何か論理がすれ違っています…

(――と私が言ったのを皮切りに、やりとりが始まりました‥。)

私の意見の続き

彼女の言うことは正論だともちろん思います。ただその正論が、もう
通用しない権力にたいしては、このような正攻法の対案提起・「合理」的対話要求は無効だとおもうし、そのような相手ではない…(権力側は)聴く耳持たず。
(というかこの国の権力は、はじめからそうだったと思いますが。ただいかにも耳を傾け、応えようとするフリ、ポーズだけはしていた。いまはもうそれさえかなぐり捨てている、という意味での、もう です)
  ――2014年当時の,集団的自衛権問題を通しての私の実感と判断

※これはちょうど現今において、WHO 及び 国内現政権 が「もはや交渉相手ではない」と判断するのに相当しています‥。

言葉を続けていました。

ではどういう方法があるというのか、という問いに対しては私は具体的な提示を持ちませんが‥
すくなくとも今言えるのは、彼女の問い
<何が得なのか> の前提条件( if 前文)は、「国民の立場に立てば」であり、「国民の立場に立った場合の」合理性なのであって、
この問題のねじれの秘鑰は、そもそもその立場には立つつもりなど無い人びとが相手(権力)である、ということ。相手ははじめから良識的前提の外に居るのです。国民の側からの合理性など、もとより何ら斟酌していない。
一千兆円の借金のツケを負うのも、<もうかる戦争>の惨禍を負うのも彼らではない

※ましてこの国を操る 裏組織 に於いてをや‥という訳ですね‥。いまにしてみれば‥

これに対する、当時の皆様の反応‥

N氏
同感です。
今朝の新聞には安倍政権支持53%とあった。
心ある国民の一人一人が戦争絶対反対の意思表示をし、無条件の不服従で行くしかないと思ってます。


Nさん
53%支持ですか…。ではその支持者に対して彼女は論を向けていると理解したほうがよいのでしょうか。どうも文章を読んだ感覚だと、新聞の読者はもちろん国民なのでそれは当然含むとしても(意識の前提として)政府に言っている――説得を試みている――ように取れてしまうのですが…
「(平和のための外交に)力を入れるべき」という主語(or説得対象)にしても。また「戦争をしない」(orする)のを決める権限を持つのは畢竟政府なのですし

M君
こんにちは。僕も意見に同感です。
高村さんの言葉には、なんだか違和感があります。借金1000兆円で戦争ができるか、合理的かどうか、という論のたて方は、単なる思考実験です。
できるに決まっているじゃないですか。増税すればいいんです。国債、つまり国の借金だって踏み倒せばいいんです。大口には払っておけば文句はでません、小口の国民への借金は踏み倒すんです。福祉を切り捨てればいいんです。生活保護もカットしましょう。年金もカットです。そうすれば戦費などなんとでもなりますよ。
戦争をしたいことがまずありきだと、そうなります。高村さんの知的な言葉遊びでは戦争は止められない。そんな気がします。

M君
仰るとおりですね。戦争をする権限を手中にしていて、かつ儲かるために戦争をしたがっている主体の身になって考えれば、Mさんの論理展開が素直ですし(倫理の問題を外せば。そして倫理の問題は事実、予め外れています)そういう展開をしたがるでしょう。そのリアリズムに立った理解とは、この記事は私にも思えません。肝心なところで(合理的判断の)主語が代わってしまうように感じられますね

戦争をしたがるリアリズムなんてないだろう――あってほしくない=ないことにする――という発想ゆえの危機感の希薄さは、言論人にもありがちだという話をMさんと昨秋、致しました。思い出しましたが、ようやく危機感を私たちと共有してくれたのかな?と思える程、いよいよ窮地になる前まで――つまりついこの間まで(秘密保護法はもう話題にのぼっていたはずの時期です)、頼りになるはずの言論人も「民主主義の危機(?笑)」みたいな標題をかかげていました。笑、は余計でしょう、と思ったのですが‥。

※民主主義の危機?笑)と言っていたのは、どなただったか‥もう忘れましたが、内田樹氏だったかもしれません(2024/06/23記)

K氏
個人個人の議論では、「過ちはくりかえしません」に、通じません。

独りで、自分の議論の正当性を語る。共感をあまりよばないのでは?

S氏(このシェア記事の、記事もと様)
ちょっと私の思いを書きます。
朝日新聞が集団的自衛権の行使容認を憲法の解釈変更でやろうとしている安倍政権に反対する立場に立ち、国民的な議論をひろげるために「集団的自衛権を問う」という企画を組んだのです。
これまでも何人もの人がこの欄に登場し、行使容認に反対する考えをそれぞれ率直に語っています。だから私は、集団的自衛権の行使容認反対の世論は内容ゆたかに膨らみ、ひろがっていると感じています。
高村さんのこの発言もそういう世論形成に役に立つ内容だと思います。(ただし、彼女が一番言いたかったことを見出しにすべきですが、それが「借金1000兆円 戦争ができる?」だろうかという疑問は持ちました。この見出しは誰が付けたかは分かりません)
高村さんは集団的自衛権の行使なんて認められないということを、国民とともに考えたいという立場で語っているだろうと思います。そのことに大きな意味があるのです。
大きな世論形成をしていくことが今大事なのではないでしょうか。

S様
知識人・言論人の発言は(その範囲も幅広くあるとは思いますがおしなべて)、前以て個人個人の議論を超越している、という特権を得ています。逆に、どんな有効な言論も、肩書きが一般人、から発された場合には自動的にあくまでも個人個人の意見とならざるを得ません。つまりこの事を状況論の位相でいいかえると、それだけになおさら知識人は、政治的状況(独裁政治への陥落、ターニングポイントの到来)が逼迫すればするほど、状況に対して=状況の帯びる危機の度合いに対して、<じつに精確で有効な>射程をすることを、おのずから要求されるわけです。また国民(読者)に対してまだ敵(独裁政治権力)が国民の願いを受け容れるか、受け容れるとしたらどの程度受け容れるのか などに対する幻想を抱かせるような言論は、できるだけされるべきではなく、またされてしまった場合には厳しいようですが適宜修正されなければならないでしょう。後手に回っている余地も時間もないわけです。
(という危機意識の共有がまずない場合には、これへの理解も、こうした発言の必然性に対する理解も成り立ちえませんが)こんかいの記事にかんしては残念ながら射程が充分であるとの感覚を持ちえませんでしたので、深い危機感からこのような見解とあいなりました。私たち主権者ができるだけ幻想でなく現実を直視しうる言論の展開を希望しています。

個人個人の議論より殆ど自動的に超越的な(マス媒体により開展を約束された)言論人の発言が、危機意識の共有などの前提条件への、射程が浅い場合、個人個人の議論を待つ間にそれこそ「過ちをくりかえす」ことにもなりかねません。貴重な慌ただしい時間と精魂を割いて、また一定の危険をおかしながらも、無名の個人が発言しなくてもすむような、むしろ権力の先を読み先手を打つような発言を、言論の先頭に立つ方々にはよろしくお願いいたします。

N氏
要するに、知的職業に就く有名人には、単なるアリバイ的発言でごまかすなということ。それなりの社会的責任を負ってるだろうにと言いたいわけです。その点、寂聴さんは体を張ってるだけに尊敬できると思ってます。

M君
Nさん まさにそのとおりだと思います。

ここで、私は 故 瀬戸内寂聴氏が体を張って??おられるか(というかむしろ、ここで引き合いに出されるべき言論をしておられるか)についての自分の判断は保留し、援軍にたいする感謝表明として いいね を打ちました。瀬戸内氏は私の大学の同窓生でもありましたし‥
ところが、この いいね は、のちのち別の女性友達からの反感を買い、私は瀬戸内寂聴は評価していない,好きじゃないという意見を頂戴することにも相成りました。まあいいんだけど‥

K氏
運動団体のリーダーと、独りのコトバとは、大きく影響が違う。カンタンな事実。知識人「影響力がどれ位なお、のこってるのでしょう?」
言論人は「媒体をもってる」(と貴方)の語る言葉が空しく消える。
(そのような?)状況ではないのでは、24時間忙しげに、何処ででも、スマートホンを手離さない人達(政治について真剣に考えない?と言う意味と理解‥)にはケッシテとどきません、、、

Nさんの端的におっしゃるとおりで、言論人や専門家にはそれでメシを食っている以上(金銭の授受が発生し、無名の個人のではなくある権威の声としてマス媒体に流通発信される以上、またその「名」を以てメディアの側から、また人脈から仕事が舞い込んでくる以上、社会的責任を負うのだから)個々人のうけもちと比較にならないほどに体を張ってくれ、専門家冥利に尽きる仕事をこの重大な局面できちんとしてくれといいたいわけです。
個々人の声などこの国においては他の発展途上?国と較べても虚しいものです。集会に何万人集まっても報道もスルー、署名を集めても内閣にスルーされるのですから。この「スルー」状態は日本が飛び抜けてひどくありませんか?これはすでに独裁状態でなくてなんですか。

これでは載せられないだの、もうすこしひねってくれだの、ことの深刻さを証さぬために諷喩で済ませておいてくれだの、あの領域の連中とまで合致した形勢をとるのか?、これ以上寝た子を起こすな、などとメディア(スポンサーや広告業者とのやりとりの絡んだ)との間での駆け引きもあるでしょうが、そんな奸計を必要とする媒体そのものが不透明なわけであり、そのぶん権力に吸収されているわけですから、メディアに檄を入れるくらいなことをしてくれないとほんとうに権力にのまれます


麗子さんの発言は過激に感じる人も、反体制・革新の立場にたつひとでもあるかもしれません。
が、今から二十数年(2014年時点)以上も前から「日本が再び戦争する国」に向けて「体制づくり」を開始した、が残念ながら「平和の砦」はほぼ崩壊しかけている、「再構築の必要がある」と、数多の政治家や著名人に警鐘を慣らすも無視されたり、革新勢力の功績に水をかけるものだといわれたり、国民を愚弄していると非難された経験をもつ私には、このままでは「戦争」に加わってしまう状況を阻止し得ない切迫した状況にある今、私などが喉から手が出るほど欲している公の発言の場を得ている「特権」をもつ著名人には、己の不明や危機感の希薄さを猛省し、それでも発言の特権を行使するのであれば、よほどの覚悟をもって、「権力」と対峙してほしいと言わざるを得ません。それができなければ、場を他者に譲るべきです。(高村薫さんに関して言えば日頃の言動に共感できることも屡々ですが)。


【反省点】
体を張ることは大変である‥。じっさい、このあとに、大物の首相や議員のなかに死者や投獄、他、危ない目に遭った人々の存在を知ることとも相成った。
自分がその立場に立つことを考えてみよう。しかしその立場に居られる人々におかれましては、その立場に居ない者達はしばしばこのようなもどかしさに置かれている旨、是非ご一考をされたく存じます。

マスコミに対する幻想が、未だ残っている時代であった。完全にあちら側に居る人々、国会以上に崩壊している集団、という認識の欠如。

権力、の意味が二重であることの認識の不足。
未だこれでも不足している、と今日了る‥。


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