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ディープステートの起源

ディープステートは、日本では戦前「地底政府」の訳語があてられており、昭和12年あたりから文献に出てくる、とする投稿がX twitterに降りてきた。これにあてて‥‥

そもそも彼らは、何世紀頃から出現してきたのであろう?
と考えてみる‥。
他稿で、東インド会社や、それ以前――オランダが絵画で殊に潤った17世紀に起こったデルフトの火薬庫爆発事件などから、これらの組織が暗躍したとみられるのを、南蛮貿易時代―15c~中世明け、ざっくりと見て大交易時代かと考えてみたりもするが、貿易や輸出入の栄え以前に、その根があったであろうと、転生史を鑑みてもどうも遡行される気がする(Cf. 夏秋レイ スピリチュアルマガジン

最近、北宋画や南宋画を見ているうちに、それらの象徴的山壁様態――高い山脈と城壁の印象の渾然化した記憶のようなもの――について考えてみた。南宋画では、あたかもノスタルジックな精神の位相に降りて癒やしを求めるように、北宋画においてはよりグロテスクにor直視的に、「ある問題」に向き合う‥という差異はあろうが。
そして西洋絵画に於いて之がなされるとき――ふしぎと、この問題は19世紀象徴主義・世紀末芸術かもしくは中世絵画に於て、執拗に手掛けられるのであるが――ドルイド教やユダヤ教がこの背景に、寄り添うようにつねにある。
そうして、その痕跡はどうやらバビロン捕囚にまで遡るようだと追想できるとき、集合的無意識がその記憶の蘇りを遡及したがる根源、カルマの原基点は、どうも紀元前からあると思うに至った。

昨今、おおきな災害について、いやあれは人為である、自然災害なのではなく故意に起こされているなどの論調がかまびすしいが、その根拠を魂の審級運動という観点から再考していくと、宝永噴火や貞観大地震はおろかポンペイ噴火なども人工的なものでないかと感じられてくる。北宋南宋画の石切山脈を見ながら、洋の東西を越えてそう感じるのである。
ディープステートとその前身は紀元前から‥。西洋・東洋絵画(画家はどちらにも転生する)のであるから、バビロン捕囚もこれに因ると。
※その際、ミトラス教やゾロアスター教、マニ教、景教といった宗教の出現や勃興――発生動機がこれに絡んでくると見る。

デカルトは方法的懐疑でいちど全てを疑ってみたが、そうしてみよう。捕囚などの事件もさることながら、そのように古代の噴火や地震までもが人工的なものだとすると、現今Ha⚪︎rpなどで話題の気象⚪︎器も、それなりの仕方で古代より存ったとするなら、雨や嵐や台風も、すべてが人工現象なのではないか?

昨日の台風は人工だけど去年の台風⚪︎号は自然、雨雪は自然現象だけれども台風は人工、など区別を設けず、まず一切を疑ってみる。シャーマンが雨乞いをするくらいだから雨はいくらなんでも、というのも一切なし。神に祈ったつもりが魔に祈ったことになるのだとしたらそれもありうるのだ。
実際神と魔は境域が曖昧。

自然の気象は実にたおやかであると、前提することはできるのである。水は天から降るものでなく、ひたすら湧き出で流れるもの。湿気の調整で間に合わぬば、植物に「遣る」ものであったのかも知れぬと。
とすると、雨女なども、私は魔に憑かれてしまっていて..と言っていることになる。

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