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地上の好きな天使 第1章 第4話
第一章
第4話 天使へのおくりものと天の川の出来事
それから、三日後のこと。 朝から雨が降りつづいていました。
カノンとフーガが、おやつをたべおえた今も、雨はあいかわらず長い尾を引きながら、まっさかさまに空から落ちてきます。
ピチャピチャ、ポタポタ……。雨の矢は、次から次とお庭につきささっては、いよいよらんぼうな水音を、そこいらぢゅうにはね返しています。お庭にたまった水たまりも、まるで小鳥のためのプールみたいに、もうだいぶ深くえぐられていました。
カノンとフーガは、昼間からおおきなため息ばかりついて、いつもの出窓でずっとお庭をながめています。ふたりとも、マスカット色のおめめをくりくりさせて。でも、あたりには、こい霧がたちこめて、すぐそこの水たまりのそのさきは、もういくら目をこらしてもちっとも見えません。
それでふたりはしかたなく、雨水たちが、つぎからつぎへと天からおりては、じんわりと水たまりにひろげていく、弓矢のまとをみつめていました。雨水の矢が、いくつもいくつもささるたび、まとの輪っかができあがり、二重、三重、四重とたがいちがいにひろがってはぶつかり、おたがいを包みあって消えていきます。
カノンとフーガは、しばらくこれに見入っていましたが、ため息がおもわずもれてしまうのでした。……やれやれ。このまま、日がくれてしまいそう。
きょうはとうとう、チッポルの丘のすがたを見ませんでした。もちろん、お昼になると丘のまうえにやってきて、うれしそうに光る、天使のざぶとんの雲も。
なんてたいくつな日! こんな日は、お空の天使は、いったいどうしているんでしょう? お空のどこへ、いってるのでしょう?カノンもフーガも、こう、ぼんやりとおなじことを考えていました。
「こんな日は、天使もぬれちゃうから、あわてておひっこしするのかな?」 フーガがカノンにたずねました。
カノンは、ちょっと考えてから、
「そうかもね。でないと、頭の輪っかも白い翼も、みんなびしょびしょにぬれちゃうものね。ふかふかの、ざぶとんだってよ。朝までには止んでいればいいけど、きっと今日はそうじゃない。だからいまごろどこか、お山のかげか、このお空いっぱいおおっている、まっ黒い雲のむこうで、じっとしてるのよ...」カノンはそう言ってから、シッポで床を叩きました。
「ひょっとして、いつもとちがうお仕事してるかも。」それを聞いて、フーガがはしゃぎました。
「そうかもね!」……
でも天使って、そんなにいそがしいものかなって、半分はそう思いながらも、カノンはひとつうなずいて、出窓の方を見つめました。
出窓のとなりでは、カブリオルがこつこつ、えんぴつで机をたたきながら、たいくつそうにほおづえをついています。わけのわからない記号や数字のならんだノートを、ひろげてはいますけれど、とび色のつぶらな目は、てんでそっぽをむいています。
「ゼーゼー、ポポー。ゼーゼー、ポポー」 窓のすぐ下まで、キジバトのおかあさんが、えさをさがしに来ています。いつもよりもっとかすれ声で、ちょっとくるしげにのどを鳴らしています。お風邪でも引いたのかしら。
「3Xプラス、なんとかのジジョウが、6Yプラス36。」 カブリオルがぶつぶつ言っています。
「ええ。ふうん、なるほど……。ほう!」 ときどきザザァーッとほとばしるような雨音のシャワーに、じゃまされながら。
「これがZの2倍とおなじってことは……。ええっと……。」
それからしばらくして、カブリオルが床にえんぴつを落とす音。
その間にも、キジバトのおかあさんの、ゼゼッポ、ゼッポー。 いろんな声が、きれぎれに聞こえていました。 ……
そのあとのことは、カノンもフーガも、よくおぼえていません。ともかくふたりの子ねこはよりそって、出窓の籐カゴにぎゅうぎゅうづめにはいり込み、ぽかぽかの暖炉みたいなチェロの音楽に、からだごとそっくり揺すられながら、おたがいの毛をなめ合っているうち、いつしか眠りに落ちたのでした。……
こうしてまた、いつものように眠りの精が、ふたりの耳もとに、そっとやってくる番がきました。
きょうは、こんなふしをささやいていきました。ちょうどふたりの、夢のとぎれるときを、みはからって。
カノンとフーガは なかよしこよし
ゆめみるカノンに いたずらフーガ
小窓をたたく ホタルのでんぽう 気になるな
天使のおてがみ 天の川 気になるな
お星さま大好き きれいきれい
おはなし大好き ねえ話してよ
ググ~ウ。ふいに、おなかがなる音がして、カノンとフーガは目をさましました。なんだかとってもペコペコです。 なったの、どっちのおなかだ? ふたりは顔をみ合わせて、おめめだけでお話しました。あたしじゃない。あたしじゃない。
そのときまた、 ググ~ウ。こんどは、もう少し遠くでなりました。ふたりは窓のそとをふり返りました。
おやまあ。おなかのなる音にきこえたのは、一匹のアオガエルの呼ぶ声だったのです。コンコン、こんどはからだごとぶつけて、窓をたたいています。
雨は、いつしかすっかり小降りになっていました。しとしと、やわらかいささやき声で地面をひたしています。
「おいらはいいんだ。でもこのひとが、かわりに窓をたたいてくれっていうもんだからさ。なにか用事があるみたいですよ。」
アオガエルの子どもは、身ぶり手ぶりで、いっしょけんめい、窓のむこうでわめいています。となりの虫を、指さしながら。
「このひと?」 カノンが首をのばしてガラスのむこうをのぞいてみますと、出窓のさんに、この前のクモの坊やがたたずんでいます。
「それじゃ、おいらはこれで!」 アオガエルは、役目がすむなり、そそくさとお庭をとびはね去っていきました。うれしそうに雨にぬれながら、ピョコン、ピョコン。水たまりに次つぎできる、おおきい輪っかや、ちいさい輪っかを飛びこえて。
その後すがたを、クモは手をふりながら見送ります。
「まって、クモさん。いま開けてあげる。」
カノンとフーガが、あわてて籐カゴから跳ね起きると、カブリオルも、すかさず椅子から立ちあがり、かわりに窓をあけてくれました。
「いらっしゃいませ。」
「おじゃまします! よっこらしょ。」
クモのぼうやは、カブリオルにていねいにあいさつすると、よちよち、さんをよじのぼり、出窓のまんなかにおいてある、カノンとフーガのいる籐カゴの脇にちょこんとすわりました。ちょうどま後ろにたてかけてある、赤ん坊を抱いたうつくしい女のひとの肖像画のふちに、よりかかりながら。肖像画の女のひとのまわりには、白い翼をつけた天使たちが舞っています。……
「ねえねえ。あれどうなった?翼のプレゼントの、すすみ具合。」フーガがはしゃいでたずねました。
「あれですか。――まぁまぁといったところですね…。ぼくの編んだぶんはさっきもう、この家の下にある織物工場の、〈かかり〉のお嬢さんに渡してきたのだけれど。これからいろいろ、集まってきますよ。蝶々や蛾の仲間たちの編んだ、ぜいたくな糸も少しずつ集まってきていましたっけ。きっと夜には、すっかりできあがりますよ。」
クモは、ゆっくりと首をふって言いました。
「織物工場…って」カノンがたずねました。
「どこにあるの」フーガもたずねました。
「この家の下ですよ。」クモは肩をすかして言いました。
どうりで、クモのからだは、そんなにぬれてはいませんでした。
「ですが、そこから意外な場所につながっているんですよ!」
ふたりのねこは、たがいに顔を見合わせました。
カブリオルが、籐カゴのさしむかいに、ピーナッツのちいさいかけらをひとつ、おきました。
「おきゃくさま、はいどうぞ!」
「やあ、これはどうも。」クモはひくひく、えしゃくしながら、ピーナッツのゆり椅子にこしかけました。
「クモさん、こんなおやつはいかが?」 カブリオルが、こんどはビスケットのあまりをくだいて、クモに差しだしました。
「やあ、ありがとう。でもぼくはおなかがいっぱいなんです。雨の日は、小ムシがおもしろいようにわき出てくるもんですから、たべものにはことかかないんですよ。」
そうクモが言いおわるかおわらないうちに、フーガが横からカリカリ、やりはじめました。クモはかまわず、話をつづけました。後足を二本組んで、ピーナッツのゆり椅子をこぎながら。
「雨はきっとあがるはずですから、今夜はきっとぼくらは天使に、これまででもっともすばらしい、とっておきのプレゼントができることでしょう」
「ほんとなの?」カノンがさけびました。
「ハーックシュ!」フーガがいきなり、おひげをふるわせ、くしゃみしました。おひげのさきには、ビスケットのかけらがついています。
「まぁすてきだこと。そうね、さっきまでザアザア降りだったけど、このぶんだと、そのうちきっとやむわ。そんなとっておきのプレゼントにふさわしく、今夜はお星さまがいっぱい出るといいわね。」
カブリオルも、はじめて聞く話でしたが、さいしょから知っていたような顔をして、ビスケットをむしゃむしゃかじりながら話にくわわりました。
「そうねがいたいです。」 クモは、ゆり椅子に片ひじついて言いながら、なんだかいつもよりちょっととくいそうに、にやにやしはじめました。
じっさい、雨音はもうやんでいました。…
みんなは、なにげなく窓の外をながめはじめました。
そのときです。なにやら青白い、ほのかな光の玉がひとつ、ふらふらと迷い子のながれ星のように、雨あがりの夕空に、そっと落ちてきたのは。
「まあ。ホタルだわ?」 カブリオルが手をたたいて言いました。今年はじめて見るホタル。カノンとフーガは、生まれてはじめてです。
「ニャャャャン?」ふたりはとってもふしぎそうに、おひげをふるわせ鳴いています。
「デンポー!」 ホタルは言って、ひらっと舞ってゆらめくと、いつもよりもつよく、出窓のガラスに光をともしました。
「ごくろうさま。あなたも、どう? あがっていかない?」 カブリオルはそう言って窓をあけてやると、コップの花瓶を、そくざに出窓に置きました。コップには、オダマキの花が一輪、さしてあります。かわいらしいその花びらは、ちょうど夜のちいさい妖精のための、ランプの傘にうってつけのかたちに、はずかしそうにうつむいています。夕暮れ色の、赤味をおびたむらさきと、黄色い線の入った、スタンドランプです。
「やあどうも。それじゃ、えんりょなく……。ずっと仕事に出ていましたので、すっかり身体もぬれてしまいました。せっかくですのでこのきれいなお花の傘をかりて、自分のともすランプの熱で、乾かさせていただきましょう。」ホタルはうれしそうに、おしりのあかりをふくらませながら、カブリオルのそっと開けた、出窓のさんをのぼって、入ってきました。
「やぁ、意外にあっさり、夜空の雲がはれてきましたね。」
ホタルはいいながら、よちよちしたあしどりで、オダマキの花びらのなかへ、ようよう入りこみました。
こうしてホタルがひと息つきますと、オダマキの花びらには、生き返ったようにやさしいランプの火が点るのでした。
カブリオルはいつも、夏になると、夕方の郵便屋さんを、こうして迎えるのが好きでした。それもちょうど、お空に一番星があらわれるころ。
「そうそう。一番星が、ついさっき夜空にまたたきはじめましたよ」
ホタルはひと息つきながら、花ランプのなかからそっと言いました。
「まぁ、そんな頃になるのね…。さてと、ところで、今夜はどんなおたより?」
カブリオルは、ランプの花びらにほんのり映る、ホタルの影にたずねました。
カノンとフーガはめずらしそうに、おしりのあかりをつけたり消したりする、この黒い虫を、傘からのぞきこんではみつめています。いまにも、ちょいちょい手をだしてひっかきたくなるのを、ふたりとも必死になって、こらえています。カブリオルのだいじなお友達ですもの。
「今夜はですね。ですから、とっておきのですよ。」
ホタルは、傘のなかから、じつにうきうきした声をあげました。ランプのあかりも、たちまちいきおいをましました。
「ねえきみ、ひょっとしてそれは、あのことかい? つまりその、もしかしてお空にかんけいあることとか。翼にかんけいあることとか……。」
クモの坊やが、よこからこうたずねました。
「お空! 翼!」 カノンとフーガも、口をそろえてさけびます。
「そうですね。たしかにかんけいありますよ。では、さっそくお読みしましょう。」
ホタルの郵便屋さんは、そう言うと、ちいさな穴のぷちぷちあいた、葉っぱのお便りを、花びらの傘のなかにひろげました。
「読み上げます。 ザブトンノ雲ノ天使、キットコンヤ天使ノツバサヲ受ケトリニ来タル。ミナアツマレ。糸、ワタ、羽根ヲモツモノタチ、ゴゴ3時マデニイソイデレイノ地下のハタオリ嬢ノモトヘゴ寄付クダサレ。ソシテ天へ飛ビ立テル羽根モツモノタチ。夜二ハ ミナシテ天使ノツバサヲカカゲ、丘ノマ上ニトドイタ天ノ十字ヲメザシ飛ビタテ。集合場所・レイノアソコ。以上。」
「すごいなあ。」 みんなはこぞって拍手しました。
クモの坊やは、わめきました。
「なんてぐうぜんだ! ぼくはじつに、これとおなじことを、たったいまこの家の子ねこたちに、言いにきたのですよ。」
たいそうこうふんしたようすで言いながら、クモはピーナッツの揺り椅子から身をのけぞらせました。
「ちなみに、ぼくがこの電報を配りにくるのは、この家が最後です。雨の中、仲間たちにはもうすっかり配って来ましたのでね」ホタルがいいました。
するとクモが、こんどはわざと息をひそめて、話をつづけました。
「なんとまあ苦労さま。さて、それはそうと、差出人は書いてないのかい。もしかすると、天使からじきじきにたのまれたのか、いや、そうにちがいないけれど…。」
「ほんとにそうだったらいいわ!」 カノンがうなづきながら、ひとりごとのように言いました。
よいの一番星は、ひときわあかるさをまして来たようにみえます。
「ともかく、すてきなことにはちがいないわね。おまけにこの手紙の届け場所が、ここになるなんて…」
カブリオルがビスケットをほおばりながら言いました。 それをきいたホタルがそっと、花びらのすきまからはい出して、ランプの傘のてっぺんによじのぼりながら、ていねいにこたえました。
「この家の辺りが、ここらの生きものたちにとって恰好(かっこう)の集合場所になるのは、なにも今にはじまったことではありません。チッポルの丘と同様に。」
ホタルがここまで言うと、まってましたとばかり、クモがいばって続けました。
「そうですとも。おまけにここと、あの丘とは、ひじょうに不思議な秘密の線で、まるで魔法のひねり技のように、くるっとひとつに結ばれているわけですから」
「くるっとひとつって?意味わからない」フーガがさけびました。
「まあ、そうなの。なんだかいたずらっこのタイムマシンみたいな話ね!ふうん。…じゃあ、こことつながってる意外な場所っていうのは、例のチッポルの丘だったってことね?」カブリオルがさけびました。
「いかにもです。」クモも得意げにわりこみました。
「地上の道を行くと少し遠く離れた例の丘ですが、ある地下の通路を通すと、またたく間にくるりと回ったと思うなり、もう繋がっているというわけなのです。」
ホタルもうなづき、こう続けました。
「そんなわけでわたしも、今夜この電報を、最後にこの基地局へお届けするのに、ちっとも疑問に思いませんでしたよ。なにしろこの家のちょうどま下が、つまり、えんのしたですが、そこが今回の天使への贈りものをしあげるのにおおきなコウケンをされた、みなさんたちの糸や羽根や綿毛やらを集めて仕上げる、織物工場になっているのですからね。」
「そうなんだ。わーい!」
フーガが、おひげのつけねをクシャクシャにしながら、さけびました。さけぶうち、自分でもこうふんしてきたフーガは、お鼻までフンフン鳴らしていばりました。そしてとうとう、おおきなくしゃみをまたひとつ、しました。
「でも、それでこんなすばらしい知らせをもらって、おまけに今夜、鳥さんたちが、仕上がったばかりの、糸と綿毛と羽根の織物を持ってお空へ昇って行くのを見物できるなんて、すてきなことだわ!」
カノンは、そう言っておもわずシッポをぴくぴくっと、ふるわせました。まるで電気がはしったみたいに。
「だけど、見物とはいっても、運んでいく鳥さんたちはともかく、私たち、いっしょに天までのぼっていかれぬものには、いったいどこまではっきりと、そのケッテイテキ瞬間を、この目でみられるかどうかは、疑問だわ。」カブリオルがいいました。
「まあ、そういえばそうかもしれないですね。」
クモがもっともらしくつぶやきました。二本の前足で、うで組みしながら。
「ケッテキシュンカンって?」 フーガが首をかしげました。
「天使に、あの翼がわたされる、瞬間ってことよ。」
カブリオルが、フーガのおひげをツンツンひっぱって言いました。
「ほんとに、おくりものは天使にとどくのかしら?わたしたちには見えなくても、届いてくれるならいいのだけど。」カノンがふいに、言いました。
「天使は、今夜こそ姿をあらわしてくれるのかしら! もしかすると、今夜こそだれかが、見とどけるかもしれないわ。もちろん、だれにも見えないってこともあるかもしれないけれど…。」
言葉をかみしめるように、カノンはこうつぶやきました。
「まぁね。それはそれ。なにしろこれまで、一度だって天使の姿を見たものはないのだから…。おくりとどけにいく連中じしんがだよ。」
クモも、こっくりうなづきながら、あいづちをうちました。
「ましてや、ぼくらなんかは、なおさらさ。ついこの間の糸玉にしろ、自分たちで作っておきながら、いざ天使にわたるところを見られないんだ。まして天使の姿なんぞは。わかるのはただ、それらしい、なにかの信号みたいなもの。ありがとうって、きらめく光とか、風にそよぐ、うれしそうなうた声とかいったね……。しかしまあ、それで充分なのかもしれないのです。それはうつくしい合図には、ちがいないのだから…。」
と、クモは足を組みなおして言いました。
「ぼくはやっぱり…」とホタルがわりこみました。
「今夜こそそれをみたいものです。星たちを味方につけながら。だってこんなにがんばって、あちこち電報を配って回ったのですから!」
「そうよね! ホタルさん。あなたの努力も、今夜はきっとむくわれるわ。天使はお礼に、お空になにをくれるかしらん?楽しみだこと。」 カブリオルも、片手でカノンのながいシッポをつまみながら、ビスケットをむしゃむしゃほおばりながら言いました。
「それにしても、きょうのお空の天使は、めずらしく『夜空』に、あらわれるのね?」カノンが、ふいにつぶやきました。
フーガも、耳のうしろをくりくりなでていた、かぎの手をとめて言いました。「ほんとほんと。」
「やあ。じっさい、こんなことは、はじめてですよ。ぼくの知るかぎり。」クモの坊やも言いました。
カノンが、ひらりとシッポをもちゃげました。
「ひょっとすると、今夜はとびきりすごい星空になるのかもしれないわ。だってほら!あれほど雨が降ったあと、いまはこんなに風が舞って、ガタゴト、窓をたたきはじめているもの。きっと重たくてぶあつい灰色の雲を、いまどんどん吹き飛ばしてくれているんだわ。」
「そのようですねぇ。さてさて。それじゃあ、そろそろわたしはこれで…帰らなくっちゃ。みなさんも、これにそなえて、夕べの食事はお早めにとっといてくださいね。わたしも風がやむまで、とりあえず家へもどりますが、天の十字星が丘のま上にとどくまでには、みんなをあつめて、もいちどここいらへやってきますから。仲間を連れてね。」
ホタルはそう言い残すと、すっかり乾いた身体をたたくと、気持ち良さげにすごしていた黄色いお花のてっぺんからポトリ、と机におちました。いえ、おりました。 おだまきランプは消えました。そのかわり、ホタルは自分のおしりのあかりをつけたり消したり、こまめに合図をおくりながら、吹きすさぶ風のなかへ、ふらふら飛びたっていきました。みなも窓ごしに見おくりました。
草つゆも、もうだいぶかわきかけています。
「ばいば~い!」 ひとしきりさけんでから、フーガはふと振り向くと、カブリオルにこうたずねました。
「ねえね、あのホタルさんちってどこ?」
「あそこの樅の木のうしろよ。お水をはった、畑のなかだわ。みんなで光のおしゃべりするときは、いっせいに樅の木にとまるのよ。まるでクリスマスツリーみたいに、にぎやかなんだから!」カブリオルがにこにこ笑ってこたえました。
「まぁすごい。季節はずれのクリスマスツリー!」カノンも、はしゃいでそう言いました。
「ほんとうですね。やつらのツリーは、じっさいこのあたりの風物詩(ふうぶつし)。」クモもあいづちを打ちました。それからパンパン、と前あしをはたくと、言いました。
「――さて…と。それじゃぁぼくも、これでおいとまします。何やかやといううち、いつの間にやら夕飯の時。こんやばかりは、早めにたべとかないと! なにしろぼくは、ちょっくらみんなより先にここへ来て、機織り嬢に、織りあがったばかりの翼の完成品を見せてもらい、引き取ってきたらさっそく仲間にその仕事の出来栄えについて解説してあげなくっちゃあならないのですからね。きっと、これをすばやく編んでくれる織物師の娘さんは、いつもの悲しいお仕事をするより、それはもう何倍もよろこんで、きっときれいに仕上げてくれるはずですよ。」
じつに早口で、クモはまくしたてました。
「よくご存知なのね」カブリオルは言ってから、
「...悲しいお仕事って?織物工場のはたおりお嬢様って、いつもは悲しいお仕事してる方なの?」と、それとなく尋ねてみました。
「ええまあ。ちょっとわけがありまして」クモが、あたまをかきかき、こたえました。「取引き先がなにかと口うるさく、何ともいえずおそろしいのですよ。」
「まあ…。」カブリオルは一瞬目をぱちくりさせました。何やら気のせいのような遠い記憶を、思い返したように。が、さほど気にせず、ほんの少し窓をあけると、ほそいすき間をつくってやりました。
「ではでは、また。」クモは、いそいで 窓のさんをわたると、地面へころがり降りていきました。
「わい。楽しみ!」カノンとフーガが歓声(かんせい)をあげます。
ヒュルルルル……。窓のすきまから、くるったように一じんの風が舞い立つと、お庭のさきに、ちいさなたつ巻をおこしました。ノバラの白いはなびらが、口笛ふきのじょうずな風の妖精をのせて、くるくる渦を巻きながら、空へのぼっていきました。
「それじゃほら! あたしたちも早いとこ、お食事すませないと。天の十字が丘のま上へ来るまえに。」
カブリオルがふたりの子ねこをせきたてました。
カノンとフーガも、わあいわあい飛びはねながら、キッチンへかけて行きました。
***
「ねえ、カブリオル! 天の十字ってどんな星?」
「カノンとフーガの大好きな、白鳥座じゃないの! もちろん。」スプーンでおなべをたたきながら、カブリオルがこたえました。
「ハクトージャ! デデブ!」 みんなの声が、廊下ぢゅうにひびきわたります。
ガタゴトゴト……。ほのぐらい夕やみ色にすっかりそまった家ぢゅうの窓ガラスが、風にゆすぶられ身ぶるいしながら、三人の影絵をとり囲んで、ちらちらと映し出していました。テーブルの黄色いあかりの灯る下に、みんなの影が、湯気をかこんであつまるころには、夜のとばりはもうすっかり落ちていました…。
そして満天の星空がひろがっていました。
***
「ほらみて。ここんとこ、とびきり光ってる!」
「そこはね、シジュウカラたちのくれた羽根がつまってるところを、おカイコさんの光る糸がかがり縫いしてあるとっておきのところだ。水色がかった銀の糸みたいで、すてきだろ?」
ほうぼうから集まってきた小鳥たちが、クモを中心に取り巻きながらくちぐちにさけんでいました。お庭にもう集まってきては、仕上がったばかりの羽根について、何やかやと言い合っているのでした。
「ところで、ここの金色のまじった糸は?」
「どいつらのだろう?」
「きっと、ヤママユガさんの糸でしょう」クモがこたえると、
「うぉっほん。まあそんなところでしょうな。」太ったカワラヒワのだんなも言いました。
「何しろ今晩の羽根には、ぜいたくにもたくさんの蛾や蝶々の吐いてくれた糸が使われておるようですからな」
と、そこへいつの間に、綿毛をもった草花たちも、みんなこぞってじぶんの羽根のつめ込んである場所をさしては、えっへん、おっほん、いばりはじめました。
「この辺りはただ、キセキレイが、足のつけねの白い羽毛をくれたなかに、すぐとなりの黄色い毛まで入れちまったんだろうね。でも、そのまわりのかがり縫いが、ウスタビ蛾さんのかすかに緑がかった糸なので、これまたなかなかのアクセントさ。」
「白っぽいっていっても、いろんな光の糸や羽根があるのね。」
カノンもフーガも、カブリオルも、みんなできたてほやほやの、天使におくる翼の織物を、わきでながめながら、葉陰でささやきました。
おおぜいのホタルたちが、目印に点してくれた、樅の木のライトをめざして、野や森ぢゅうの羽根をもつ仲間たちが、もうずいぶんそろってきました。
カデシさんの家のお庭のまん中には、暗闇にともるかすかな炎のように、青白い光を放っている天使の翼が、チッポルの村のおおぜいの仲間たちに、ぐるり、まわりを取り囲まれています。
「もうそろそろね?」
ワタスゲの精が、わた雪みたいなベレー帽をちょこんとのせた頭をもたげて、そっとささやきかけました。
「そうだわ。合図をかけましょう。わたしたちが先頭を行って、みちびきましょうね。ホタルたちにも、手伝ってもらうわ。」
タンポポの精も言いました。
ちかくのしげみで、一羽のトラツグミが、フィー、フュー。よわよわしげな笛を吹きました。
みんなは、丘のほうを振りかえり、それからにわかに列を組みはじめました。
ホタルたちが、樅の木を飛び立って、ほのかに宙に浮きあがりました。そして、丘へとつづく小道づたいに、草のしげみや道の両がわのトネリコ並木に、つぎつぎと飛び移っては、小鳥たちの行く手に明かりを照らしていきました。 あるものたちは、地面に近づいて、カノンとフーガの足もとをそっと照らしてくれました。まだすこし、草むらにはつゆがのこっていて、足をぬらしましたけれど、気にしないことにしていました。
クモの坊やは、カノンの長いシッポのさきにつかまって、ゆらゆら揺れて進んでいます。ちょっとあぶなかしいけれど、フーガのよりはずっとらくだし、目がまわりません。
カブリオルは、暗闇に咲くツキミソウの花を一輪、つみとると、そのラッパみたいにつき出した、目にもあざやかな黄色い花がさのオシベの杖に、ホタルを呼んで五匹もつかまらせました。こうして、やけに明るい懐中電灯ができました。
カブリオルはいさましく片手をふって歩きながら、もう片方の手にはツキミソウの懐中電灯をさげその光を道にあてて行く手をしめしてやりました。
列のいっとう後ろのほうから、小鳥たちとおしゃべりしながらチョコチョコ先を歩いているカノンとフーガのしっぽが、ツキミソウのライトのなかをゆらゆらゆらり、カチャンコカチャンコ、いそがしく上下してみえます。カデシさんも、星座表をもって、そのあとにつづきます。
ホタルたちは、ゆ~らゆら、踊る光で宙を舞い、子ねこたちの目のまえを、浮いたり沈んだりしながらまわっています。そのあい間を、いくつもの流れ星が、またたく間に通りぬけていきます。そんなふうに、あちこちに光がうごめくので、カノンとフーガは目がまわりそう。お空にかがやく星たちと、迷子の星のようなホタルたちのあかりの区別も、ままなりません。
カデシさんは、歩きながら、ときおりみんなに星座の説明をしてくれます。ライトをお空にかざしては、ひとつひとつ、めだつ星座にスポットを当てて、うみへびだの、カラスだの、おおぐま、こぐま、いろんな動物たちを黄色い光線で、宙に描いてくれました。
でもカノンとフーガには、ほこりのようにうじゃうじゃと、いろんなお星さまがあちこちで息をしているので、なにがなんだかよくわかりません。星座表で見るよりずっと、たくさんの星がこんばんはをして、まばたきしながらカノンとフーガをみつめています。カデシさんが線でむすんだ星座と星座の間からも、ちいさな星たちがたくさん顔を出してきて、ちかちか手をふっています。おまけにホタルたちまで、めちゃくちゃに空を飛びかって、邪魔をします。ふたりはすっかり頭がこんぐらかりました。
「ねえね、あすこに長いながい、雲が泳いでるよ!」 フーガが目をこすりこすり、わめきました。
「ほんと! 風さん、あんなに吹いても、お空の雲をすっかり追いはらえなかったのね。」 カノンも、高いお空のまん中をつらぬいて通っている、もやもやしたうすい帯をシッポでさすと、ちょっぴり惜しそうにそうさけびました。
「ばかだなあ。きみたち! あれが天の川じゃないか!」 クモのぼうやがけらけらわらっていいました。
「あの帯は、雲じゃないの。星でできてるんだぜ。」
小鳥たちも、チクチクピー。けたたましくさえずり合うと、みんなでどっとわらいました。
「天使はあの、ミルクの帯にのって来るのよ。」 タンポポの精がささやきました。「お星さまのぎっしりつまった、ミルクの帯に。」
そうこうするうち、チッポルの丘のまえに、みんなはたどりついていました――。
原っぱのま上には、ヘビつかいが、たったいま一匹のおおきなヘビをつかんで、天たかくかかげたところのように、みえました。と、そのあとを追うように、ゆうゆうと羽根をひろげた白鳥が一羽、あおい夜空にあらわれました。小さなたて琴が、そばでうつくしい音をつまびく中、天にながれるミルクの帯のまん中を、丘の上空めがけて飛んでくるのが見えます。
「白鳥さんだ!」 「天の十字だ!」
みんなは口ぐちにさけびます。
白鳥は、やがて天の川のほぼまん中までやってくると、二三度おおきく羽ばたいて、ゆるやかに舞い降りました。
「白鳥さんの降りたそばでポロンポロン鳴ってる、あのちっちゃなたて琴は、あたしたちのつくった琴よ。いつかの冬の日、あたしたちがつまびいて、天使にあげた琴なのだわきっと!」
ヒガラたちが、かぼそい声でたからかに、そうさえずりました。
「そうそう…あの中には、機織りの娘さんがひとり、かくれていて、天の川のむこうの恋人ともうじき会うことになっているんだよ。白鳥さんのくちばしをはさんだ、向こうがわの星の、男の子にね。」
カデシさんが言いました。
とふいに、クウクワッツ……白鳥がひと声あげました。それと同時におおきな翼を天の川いっぱいにひろげたのです。
――と、それきり白鳥は、翼をとじようともせず、ちょうどミルクの帯のまん中に天の十字をえがいたまま、じっとたたずんでしまいました。――
みんなは白鳥と、その翼の橋の両側でまたたく、ふたつのお星さまをじっと見つめました。
と、その時です。白鳥が、ぐっと首だけそらしたと思うと、ちょうどまっすぐに落ちてきた、一粒の流れ星のコンペイトウを、いまにもくわえようとしたではありませんか…。
けれども、コンペイトウは、白鳥のオレンジ色と水色にまたたくくちばしを、あっという間にすりぬけて、お空のむこうへすっとかくれてしまいました――。
「ああー。――――」いっせいに、みんなのため息がもれました。
「残念、もうすこしだったのにね。」カノンもがっかりして、つぶやきました。
「みどり色した、おいしそうなコンペイトウだった!」フーガもペロリと舌をだしました。
「でも、ああした流れ星のどれかにのって、天使の合図がやってくるんだとしたら、やたらにたべられちゃ、まずいのさ!」
クモのぼうやが、知ったかぶりして言いました。いつもするように、くいと、肩をすくませて…。
と、その瞬間のことでした…。一つの矢が、丘のちょうどま上あたりの、どこかの星座で放たれました。――――おおきなおおきな、流れ星です。
流れ星の矢は、たいそうながい尾をひきながら、白鳥の右の翼をすりぬけ、アンドロメダの大星雲めざして、まっすぐに飛んでいきました。
そうして大星雲の中心に、矢の先がみごとにささったそのとたん、いくつもの兄弟にわかれた流れ星たちが、大星雲の玉手箱から打ちあがった花火のように、こぞってつぎつぎ、飛びだしてきました。
「あっ! 流星群だ。」 カブリオルが夜空を指さしました。
と、その時。――このさけび声をきっかけに、羽根をもつ地上の仲間たちが、たちまち空へ舞い上がったのです……。みんなして、クモの職人たちの織りあげた、真珠色の光をはなつ、うつくしい天使の翼の織物を、くちばしでそっとくわえながら、元気よく羽根をはためかせ、夜空にむかって舞い立ちました。
キョキョキョキョキョ……
林のむこうで、なにかせきたてるように、ヨタカが鳴いて、みんなに声援をおくります。
みんなは、いよいよいきおいをますと、ぐんぐん空を昇っていきます。 やがて、天使の翼は、まるでひとりでに夜空にはためくように、ふうわり、ふうわり、風にたわんで浮かんでいます。そしてゆっくりとはばたきながら、天の川めざして昇っていくのでした。
丘のふもとで、これを見あげるカノンとフーガは、もう声もため息もでませんでした。そう、息もつかず、ただじっと、首が痛くなるほどいつまでも、この光景を見まもっています。……
キョキョキョキョキョ……
みんなの影が遠のいたぶん、ヨタカのするどい連続音だけが、やけにあたりに響きわたって聞こえます。ほかには、もうなにも、聞こえてはきませんでした。
そんな時間が、しばらくの間つづきました。
「いま、とどいたのかしら…」カブリオルが、そっと口をひらきました。
「かさなったようにみえるね。」カデシさんも、声をひそめて言いました。
白鳥のひろげた翼をつないでいる、五つの星の十字架めがけて、みんなのとどける天使の翼の織物は、もやもやとゆらめきながら、かすかににじんだ白いえのぐの川のなかを、のぼっていくと、やがてさいごにひとつ、ゆるやかにはためいたその瞬間、一羽のみごとな白鳥に、とうとうぴったりと重なり合ったのです。
「ニャオ~ン!」 カノンはふと、けものの遠ぼえのような声をあげました。ふだんとはちがう、ふりしぼるような声です。
と、つぎの瞬間、それはそれはものすごいいきおいで、たちまち丘をかけのぼっていきました。そのまま息もつかず、カノンは丘のうえにそそりたつ、一本のポプラの木を、いっきにかけ上がって行ったのです。
フーガも、これを見てからだぢゅうとりはだをたてると、カノンを追いかけ、シマシマもようの背中をまんまるにして、全速力で丘をかけあがっていきました。もちろんフーガにとっての、全速力でしたけれど。
そして、カノンを呼びながら、やっぱりいっきに、……のつもりでしたけれど、ときどきずるずる、ずり落ちながら、ようやくカノンのいる梢に、たどりつきました。
ふたりの子ねこは、ポプラのてっぺんで、なかよく背中をならべながら、まだまだ遠い、お星さまの円天井をあおいで、白鳥の十字とひとつになった、天使の翼を見まもっています。
白鳥の星座をおりなす星たちが、かわるがわるウィンクをしては、地上に信号をおくっています。とくにおおきな、白鳥のしっぽは、ひときわ元気にまたたいています。
「デデブ、デデブ!」 フーガはそればかり言いました。ほかの星の名前は、ちょっとむずかしかったのです。
カノンは、アルビレオという、白鳥のくちばしのお星さまが気に入りました。オレンジとソーダ色の双子のお星さまが。こまかくまばたきしながら、ありがとうって、言っています。
ふたりはシッポをくりくりさせて、よろこびました。
と、そのうち、白い翼がまたひとつ、きらりとおおきくはためいたと思うと、おやおや?まるで風船でもしぼむように、くしゅくしゅとちぢみはじめたではありませんか。
気のせいかな?って、ふたりは思いました。でも、それはたしかにすこしずつ、ちぢまって、やがてやぶれたクモの巣みたいに、たよりない渦をまきながら、夜空をただよいはじめました。
そうして、いつしか白鳥の、右の翼のほうへ寄りあつまると、なにやらタバコのけむりのような、ちいさい星のかたまりになってしまいました。
白鳥の十字のわきばらの、もやもやした星のあつまりは、ちょうど「?」の文字そっくりに、いまにも消え入りそうになりながら、天にながれるミルクの川のなかに、ふわふわ浮かんでゆれています。
「あれが、白鳥座の、網の星雲だよ。」 カデシさんが、カブリオルに教えました。
たったいま、出来たばかりに思えたのに、もともとあそこにあっただなんて。カブリオルは、ちっとも気づきませんでした。
もしかすると、天使の糸玉って、あんなふうなのかなぁ。ポプラのうえでは、カノンとフーガがやっぱり「?」のかたちをしたおなじ網の星かげをみつめながら、そう思っていました。
と、おや?――――糸玉みたいな、もやもやしたその網の星雲から、ツゥーとかぼそい一本の糸が、またたく間にほどけてきました。
ほどけた糸は、ちょうど天からおりるつり糸のように、丘のうえのポプラめがけて、まっすぐに降りてきたのです。
それは、クモの糸でした。糸は、カノンとフーガの目のまえの、ポプラの葉さきにくっついて、よい足がかりをつけました。と、まもなく一匹のクモが、それをつたってみるみる空から降りてきたではありませんか。
「やあ!」 クモは言いました。
「クモさんだ! おかえりなさい。」 ふたりの子ねこは、シッポをふって迎えました。
「みんなといっしょにお空へいってたの! ちっともしらなかったわ。」 カノンが言いました。
「どうした? ぶじ、わたせた?」 フーガが、耳をぴんぴんはりつめて、さっそくクモにたずねました。
「う~ん…。――――まぁ、たぶんね。」 クモはそう、こたえました。
「たぶん?」「また、たぶん?」
カノンとフーガが、ちょっとがっかりした声で、聞きかえしました。
「そうさ。これだけは、だれにもわからないもの。どうしたってあいまいなんだ。でも、ちょっとは手ごたえのある信号も、あったんだ。ありがとう、っていってた…と、思う。みんな、そう感じたって。きみたちも、下で見ていたろ?」
「みんなの翼が、白鳥さんの羽根にとどいたと思ったら、白鳥さんのシッポとくちばしがきらきらして、そしたらきゅうに、翼の織物は、みるみるちぢこまっちゃったわ。」
カノンが、見たとおりをクモに話してきかせました。
「そおそ。それであっという間に、糸玉みたいにかたまっちゃったよ。そしたらじき、あんたがするする降りてきたの!」
フーガもそういって、はしゃぎまわりました。
「あっはは。でも、地上からは、ぴったりかさなってみえただろ? 天使の翼と、白鳥とがさ。」
クモは、わらって聞きました。
「見えた、見えた。」 ふたりがうなずいてこたえました。
「ぼくらが白鳥の、星の十字に、翼の織物をなげかけたとき、白鳥が首をこっくりしてウィンクした気がしたんだ。となりの琴座で、琴の音もポロンポロン、はじけたよ。きっとお礼のうたさ。それからまもなく、ぼくらのおくりものは消えたんだ……。そこらぢゅうでまたたく、星のなかへね。ちょうど白鳥の羽根のわきに、ほら、見えるだろ?ふわふわと、けむりみたいな渦をまいてる、綿毛のすじがさ? あのすじ雲のあつまりの中へ、翼の織物は、ふいにほどけて消えてった。それはもう、あっという間に! 吸い込まれるようにして。」
クモのぼうやは言いながら、白鳥座のわきの、けぶたい雲を指さしました。
「それはそれ、星雲よ。白鳥座の、網状星雲!」
丘のふもとで、カブリオルがいばってさけんでいます。
「さあ、あんたたち。もういいかげんに、降りていらっしゃい!」
「ニャオ~ン!」
カノンとフーガは、ふたりそろってお返事すると、いっきにポプラをかけ下りました。
クモのぼうやも、あわててカノンのシッポにしがみつき、いっしょに梢を下りてきました。
こうしてみんなが、丘のふもとにそろってならんだその瞬間、キラ、キラ、キラ……。あちこちで、ロウソクの火がまたたいたと思うと、あたりがきゅうにあかるくなりました。
ゆっくりと空を舞い降りてくる、ロウソクのあかりたちは、お星さまの分身のように、ゆらゆらとゆらめきながら、みんなにあいさつしています。
そう、ホタルたちです。ホタルたちが、帰って来たのです。……
と、その後を追って、ふわふわふわり。こんどは綿毛の精たちが、つぎからつぎと夜空の闇を舞い降りてきました。白いパラソルをくるくる、右に左に回しながら。
ピチュピチュピー、チュクチュク……。
さいごに、さかんにおしゃべりをかわしながら、羽虫や小鳥たちの群れが、丘をめがけて降りてきました。
「みんな、お帰り!」
「お帰りなさい! ごくろうさま。」
カノンもフーガも、カブリオルも、カデシさんも、クモのぼうやも、せいいっぱい拍手しながらみんなを迎えました。
「ああもう、すっかりくたびれた!」シメが、ハアハア声でいいました。
「わたしたちも。思ったよりもずっと息が苦しかった。」ヤマガラの夫婦も、肩で息をしながらいいました。
「おまけにおくりものが、とどいたのかとどかないのかも、よくわからなかった」アオジがためいきをつきました。
「そうだね。こんな思いまでして、お空にとどけものしたわりには、届いたっていう信号は、それほどはっきり帰ってこなかったかも。」ゼイゼイせきこむように、ウソも言いました。
「たしかにくるしい。きみらはしばらくじっくり休むがいいよ。無理をしちゃいけないからね」イカルがそっとウソの背中をたたきました。
「ううむ…。んん、でも…やっぱり、行ってよかったかもしれないよ。――――なにしろ、とってもきれいだった。たしかにやりがいは、あったかもしれない」イカルが、ゆっくりした口調で、いいました。
「そうだわね。そうかもしれないわね…。とってもくたびれたけれど、感動もしたし。なんだか一瞬、お空が急にあかるくなったもの。あれは忘れられないわ」 シメも、ヤマガラたちも、あいづちをうちました。
いつのまに、林のむこうから、ヨタカのけたたましい鳴き声が、キョキョキョキョ……休みなくこだまして、みんなをねぎらいはじめました。まるで拍手みたいに聞こえます……。
帰り道、カノンとフーガは、先頭にたって歩きながら、なごりおしげに何度も夜空を見上げました。
また、流れ星がいま、白鳥座から矢のように放たれました。そして南の空の山脈の、とんがり帽子のむこうがわに、ゆっくりと沈みかけている、さそりのシッポのまっ赤なお星さまを、ちょっぴりかすって逃げていきました。カノンちゃんよりもっと長い、あおじろい尾を、お空にすっとひきながら。
「天使ったら、今夜もはっきり、だれにもわかるほんとの姿をみせてはくれなかったね」
エナガのむれのひとりが、早口でそう言いました。
「ほんとほんと! なんだかお礼のメロディと、あいさつみたいな合図だけは、してくれてたみたいな気がするけどさ。どして、はっきりとは姿をみせてくれないんだろ? あたしたちが贈ったあの翼をつけたところをちょっとでいいから見せてくれたらよかったのに。」
別のエナガがもっと早口で、ざんねんそうにさえずっています。
「ねえカデシさん。どしていつもあたしたち、翼をつけた天使の姿をみられないの?」
カノンが、そっとカデシさんにたずねました。
カデシさんは、だまってあごひげをさすりながら、しばらく空を見あげて考えていました。
「地上に着く頃には、天使の姿はもうすっかりかわっていたんじゃないのかねぇ…。」
カデシさんは、肩をすぼめてこたえました。いつかの夜も、話したように。
「変わってた、って?。」カノンがちいさくお鼻をならしてききました。
「地上のきみらとそっくりの姿にさ。」
「だって、地上のあたちたちって、いろんな姿で、いっぱいあるよ」とフーガ。
「もちろんそうさ。いっぱいあるいろんな姿に、天使はいっぺんに変われるはずじゃないのかい?それにだ。それと同時にみんなは今夜、こうしてたしかに、天使に会えているじゃないか。」カデシさんは、元気づけるように、こういいました。
「たしかに?」フーガがぴょんぴょん飛びはねながら、たずねました。
「会えている?」カノンももう一度、聞きかえしました。
「そうさ。」カデシさんは、そううなづきました。
「みんなは、見えない形で会っていた、いや、こうして会っているんだよ」
「見えなかった!」フーガがぴょこぴょこ、跳びはねながらききました。
「そう。降りてきていたから。みんなのなかにね。なかに降りて来ていれば、見えないだろう?きみたちにも。ひょっとすると今でもきっとまだ降りたままだ。そしてもちろん、お空にとどけにいったなかまたちひとりひとりのなかにも、今でもきっといることだろう。」
カノンとフーガは、カデシさんを見上げました。「なにしろこうしてドキドキワクワク、まだ興奮さめやらないのだからね」
「今夜はたしかにすてきだったわ。」カノンが言いました。
「そうだね。でも、今夜にかぎらなくとも、みんなはしじゅう天使に会っているはずだし、こうして、天使とひとつになっていることだって、いっぱいあるはずだ。…おそらくそうと気づかないうちにね。」
「しょっちゅう、会ってくれてるんだ。翼なんか、わたさなくても?」とフーガ。
「きっと、そうだと思うね。降りてきてくれる。ただしみんなが思っているような翼を持った天使の姿としてでなく、だれかのまぶたの裏や、心のなかにだ。地上のだれかの姿や…なにかの形を、そして風景なんかをかりてね。そうさ。じっさいきょうの夜空は、いつもよりどきどきして、それにいつにもまして、ずっときれいだったろう?」
パイプをぷかぷか ふかしながら、夜道のなかでカデシさんがそうつぶやきました。……
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